アベノミクスの危うさ(3)/花づな列島復興のためのメモ(224)
佐伯啓思氏は、「新潮45」の6月号の「反・幸福論」の第29回『「砂漠の経済学」と「大地の経済学」』において、資本主義には本来バブル要素がある。
それは、もともと不毛の地において、無から出発する。
だから、無に帰しても元に戻るだけだ、と考える。
つまり、「砂漠の経済学」である。
ホリエモンこと堀江貴文氏や村上ファンドを率いた村上世彰氏の行動様式は、それを目指したものといえよう。
それに対して、伝統的な日本人の経済観念は、土地と結びついている。
豊葦原瑞穂の国とは、葦が茂った場所で、稲穂が生い茂る国の意である。
米作りは、日本人にとっては神と共にある生活であり、農と村と祭りは不可分だった。
土地がある程度安定した形で価値を生み出すという考えは、「砂漠の経済学」とは大きく異なる。
失敗したら無に帰すのではなく、土地が残り、辛抱強く待てばまた富は生みだされてくる。
そこでは、利益よりも、一緒に汗を流して働くことの方が重要である。
すなわち「大地の経済学」である。
われわれのエートス(社会集団・民族を支配する倫理的な心的態度)は、ヘッジファンドに代表されるような狩猟的な富の獲得というエートスにはなじめないものだろう。
ホリエモンや村上ファンドが一時的にはもてはやされたものの、結局は断罪されたのは、日本人のエートスの生み出す「空気」と相容れなかったということではないか。
罪刑法定主義とはいうものの、司法判断に世論が大きな影響を持つのはよくあることである。
安倍首相は、『新しい国へ』 文春新書(2013年3月)で、「瑞穂の国の資本主義」を主張している。
「瑞穂の国の資本主義」は、「農」を土台にし、その上に「工」が乗り、その上に「商」が乗り、さらにその上に「金融」が乗る、という構造である。
豊饒な大地をベースにした構造であり、不毛の土地で展開される金融中心の強欲資本主義とは違うというわけである。
現在はグローバル化の時代であるといわれる。
企業経営者は口を揃えて、グローバル化の必要性を説く。
はなはだしくは、社内の公用語を英語にして、日本人同士のコミュニケーションも英語で行うという。
経済の世界での主流は、グローバル資本主義である。
利益優先的であり、バブル的であり、刹那的である。
強欲資本主義に近づいている。
「大地の経済学」は苦境に立たされている。
確かに、言われているアベノミクスは、グローバルスタンダードを目指しているかのようである。
佐伯氏も、アベノミクスが好調ならば、われわれの本来持っている経済観念が見えなくなる、という。
佐伯氏は、アベノミクスの「成長戦略」のひとつとして、TPP交渉参加があるという。
それは「農」を破壊するものだ、と言っているから、佐伯氏は、TPP交渉参加に反対のようである。
そこで私は、理解できなくなる。
アベノミクスと「瑞穂の国の資本主義」は、どこで折り合いをつけているのであろうか。
ダブルスタンダードということではないのか?
私の疑問である。
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