地域政策の象徴としての「むつ小川原」/花づな列島復興のためのメモ(227)
原発依存度を考える際に、欠かせないのが核燃料サイクルであろう。
原発からは、使用済み核燃料が出てくる。
使用済みといっても、放射能のある現役の放射性物質である。
事故を起こした福島第一でも、使用済み燃料が大きな問題として残っている。
⇒2013年5月25日 (土):核燃料リスクをどう軽減するか?/花づな列島復興のためのメモ(219)
この使用済み燃料を再処理して、原発の燃料としたり、高速増殖炉で使うというのが「核燃料サイクル」であう。
東京新聞6月5日
ところが、この核燃料サイクル計画が、絵に描いた餅と化している。
⇒2012年6月11日 (月):電源構成と核燃料サイクル/花づな列島復興のためのメモ(83)
核燃料サイクル政策の要である青森県六ケ所村の再処理工場も、福井県敦賀市の高速増殖炉原型炉もんじゅも、トラブル続きで実用化のめどが立っていない。使用済み核燃料の全量再処理を目指した現行の原子力政策には、そもそも無理があったと言わざるを得ない。
さらに、小委員会の検証作業では他の二つの処理方法と比べて最もコストがかかることも判明した。
こうしたことから「再利用」路線は、技術的にも経済的にも継続させる根拠が見いだせなくなっている。定期検査で停止している原発の再稼働はもとより、新設計画もままならない現状を踏まえれば、従来政策の見直しは自明の理といえる。
http://www.topics.or.jp/editorial/news/2012/05/news_13378212013.html
むつ小川原は、戦後の地域政策を象徴する場所と言える。
1969年の閣議決定で、「新全国総合開発計画」に指定された。
全国総合開発計画は、この新全総や三全総の頃までは、社会的な注目度も高かったように思う。
小峰隆夫の地域から見る日本経済
Wikipedia-むつ小川原開発計画を見てみる。
むつ小川原開発計画(むつおがわらかいはつけいかく)は、1960年代末より青森県上北郡六ヶ所村を中心とする一帯に石油化学コンビナートや製鉄所を主体とする大規模臨海工業地帯を整備することを目的とした開発計画。「世界最大の開発]と言われたがコンビナートは実現せず、のちに原子力関連施設が進出することとなった。
1968年12月23日、当時の通商産業省(現・経済産業省)は、太平洋ベルト地帯に集中していた重厚長大型産業を過疎地に移し、公害や過密問題を解決すべく、下北半島における工業地帯開発計画の構想試案を発表。1969年5月30日に閣議決定された新全国総合開発計画(新全総)に、同計画が盛り込まれた。
当初は天然の良港である陸奥湾や、工業用水の取水源としての小川原湖の活用が考えられていたが、陸奥湾でのホタテの養殖に成功した漁業者の強硬な反対や、小川原湖の湖水に塩分が含まれることが判明し、どちらも開発から除外され、県の部署の名称も「陸奥湾・小川原湖開発室」から「むつ小川原開発室」に改められた。1971年8月に公表した開発対象区域は陸奥湾沿岸を除いた1万7千ヘクタールであったが、2ヶ月後には7千900ヘクタールに修正。さらに1972年6月には製鉄所計画を撤回し、面積を六ヶ所村中心の5千500ヘクタールまで縮小した。日産200万バレルの製油所、エチレン換算年間400万トンの石油化学工場、1千万キロワットの火力発電所を建設するとしたが、1973年の第1次オイルショックで製油所100万バレル、石油化学160万トン、火力発電320万キロワットまで縮小。さらに1979年の第2次オイルショックで頓挫した。
時代の変化とのミスマッチということになるが、それは結果論というものであろう。
そして、石油から原子力に方針転換が図られる。
1984年4月20日、平岩外四電気事業連合会会長は県に対し、核燃料サイクル施設・ウラン濃縮施設・低レベル放射性廃棄物貯蔵施設の建設協力を要請。農・漁業者による反対運動、住民投票条例制定運動もあったが北村正哉知事は翌年4月9日に受け入れを回答、原子力関連施設がむつ小川原開発計画の一部として盛り込まれた。これを受け、反核団体は4月9日を「反核燃の日」と定め、抗議を強めたが、その後六ヶ所村は原子力関連施設を次々に受け入れた。
日本原燃のウラン濃縮工場は1988年10月14日に着工。1991年9月27日に原料の六フッ化ウランの搬入を開始し、1992年3月27日に操業を始めた。低レベル放射性廃棄物埋設施設は1990年11月30日に着工、1992年12月8日に操業開始。高レベル放射性廃棄物の貯蔵管理施設は1992年5月6日着工、1995年1月18日に完成。同年4月25日に予定していた高レベル放射性廃棄物のガラス固化体陸揚げの際、木村守男知事は国に対し青森県を最終処分場としない旨の確認を求め、輸送船の接岸を一時拒否する一幕があった。核燃料再処理工場は1993年4月28日着工。2006年3月に試運転を開始したが、廃液漏れや耐震設計ミスなどが発覚し、完成時期を延期。2011年8月現在、完成には至っていない。プルサーマルに使用されるMOX燃料工場は2010年10月に着工。2016年3月の竣工を目指している。
言ってみれば、使用済み核燃料は原発から出る廃棄物、生物に例えれば排泄物である。
稼働する以上、どこかに処理施設がなければならない。
原発から出る使用済み核燃料が処理できない状況は、「トイレなきマンション」に喩えられる。
アベノミクスが原発推進というエネルギー政策を転換しない限り、成功する見通しはない。
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