専門家の市民感覚/花づな列島復興のためのメモ(220)
裁判員制度が施行されて、4年になる。
趣旨は、「市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映させる」ためということである。
しかし、私はこの制度について、疑問を持っている。
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問
考えてみれば、、「市民が持つ日常感覚や常識」を反映すべきであるのは、裁判に限らない。
たとえば、放射性物質の漏洩事故を起こしたJ-PARCは、最先端の科学の現場である。
そこでも、原子力の専門家とも思えない安全性の軽視である。
⇒2013年5月26日 (日):放射性物質漏洩事故の認識/原発事故の真相(71)
事故が起きたのは、高速増殖原型炉「もんじゅ」を抱える日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構が共同で運営する実験施設である。
研究者側は「漏れは想定外だった」と言う。
またしても「想定外」。
福島第一原発事故の東電と同じように、「想定外」だったら免責されるという発想であろうか。
専門家の矜持はどこに行ったのか?
あろうことか、放射性物質の濃度が異常であると認識したとき、排気ファンで強制換気したという。
そのファンには、放射性物質を取り除くフィルターが付いていない。
つまり、閉じ込めておくべき放射性物質を、拡散させているのだ。
今回も、事故ではなく、事象と呼ぶのであろうか?
原子力こそ、専門家と素人の知識に格段の差異がある。
だから、専門家の見識に頼らざるを得ないのである。
その専門家に健全な市民感覚を期待できないとしたら・・・
余りにリスクが高いのではないか?
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