言葉の共通理解のツールとしての辞書/知的生産の方法(54)
評判の映画『舟を編む』を観てきた。
2012年本屋大賞を受賞した三浦しをんさんの原作の映画化である。
三浦さんの名前は週刊誌などのエッセイで見かけたことはあるが、単行本は今まで読んだことがないので、作風も想像しにくい。
『大渡海』という辞書を編集している玄武書房という出版社の辞書編集部が舞台である。
『大渡海』という辞書の名前や原作のタイトルは、「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味で付けられている。
主人公は、同編集部の馬締光也という変わり者である。
営業に出しても役に立たないが、大学院で言語学を専攻していたということで、言葉に対する情熱は高い。
主人公のネーミングの感じや断片的なエッセイの記憶からすると、いわゆるライトノベルのジャンルかなと、何となく思っていたが、外れだったようである。
子供の頃、家に『大言海』という辞書があったのを憶えている。
http://blog.goo.ne.jp/geheimnis_2005/e/2b5ba4a740424e3dee7b52412be5573b
大槻文彦編著で冨山房から出版されたものである。
子供のことであるから、その辞書で何かを調べたということもない。
父方の縁戚とは事情があって没交渉だったので、母方の祖父が遺したものではないかと思われる。
この祖父は私が生まれる前に亡くなっていて思い出は何もないが、聞くところによると、短歌や俳句を嗜んでいたらしい。
いくつかの小学校の校長を務めた教育者だった。
明治時代のことであるから、まあインテリの部類だったのだろう。
『一日十詠』(?)と題された和綴じの手書きの草稿があったのを記憶している。
原作にあたらないで映画を観ただけの印象であるが、『大渡海』には『大言海』が投影されているのではないかと感じた。
『大渡海』の編集主幹は加藤剛さんが演じているが、『大言海』の編著者の大槻文彦とはどのような人物であったか。
Wikipedia-大槻文彦を見ると、以下のように書かれている。
大槻 文彦(おおつき ふみひこ、1847年12月22日(弘化4年11月15日) - 1928年2月17日)は、日本の国語学者。明六社会員。帝国学士院会員。本名は清復、通称は復三郎、号は復軒。
宮城師範学校(現・宮城教育大学)校長、宮城県尋常中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)校長、国語調査委員会主査委員などを歴任し、教育勅語が発布された際にいち早く文法の誤りを指摘したことでも有名である。
まったくの偶然であるが、私が未就学児の頃、勝又猛先生という方が小学校の臨時教員(?)にいて可愛がってもらった記憶がある。
熱血先生だったようで、その後東北大学の教育学部に入ったらしい。
ネットで検索した範囲では、「伊豆漁村の展開過程」という東北大学教育学部の1961年3月発行の紀要の中の論文に同姓同名の人がいた。
1960年に私は15歳になっているから、東北大学卒業後5年くらいのことであり、「伊豆」というテーマからして同一人の可能性は高いと推測するが、何分確かめようもない。
その人が後に、宮城教育大学の学長になられたとような話を聞いたことがあるが若くして亡くなったようである。
予期した以上に(?)面白かったので、「三浦しをん」を検索してみたら、父親が『古事記』などの上代文学の研究家として著名な三浦佑之立正大学教授(千葉大学名誉教授)だった。
やはり家系というか環境の影響があるのだろうと思う。
去年は、712年に太安万侶によって献上されてから1300年という節目の年だったこともあって、三浦佑之という名前はよく目にしたが、1年前は霧島市にある鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンターに入院中だった。
鹿児島大学の川平和美教授が開発した新しいリハビリ法を受術するためである。
川平法は、NHKスペシャル等で取り上げられ、その効果が評判になっていた。
約5週間、缶詰状態でリハビリをしたが、やはり川平法といえどもマジックではなかった。
⇒2012年4月18日 (水):川平法に期待して再入院/闘病記・中間報告(41)
学習全般に言えることだと思うが、たゆまぬ日々の訓練以外に急速に改善する方法はないということだろう。
長嶋茂雄さんと松井秀喜さんに対する国民栄誉賞の授賞式の様子は、アンチ巨人といえども感動を呼ぶものであった。
⇒2013年4月 2日 (火):長嶋、松井の国民栄誉賞受賞
全身運動神経のような長嶋さんが、懸命のリハビリによって、始球式のボールを打とうとするまでに回復した姿は、多くの後遺症患者にとって何よりの励みになったと思う。
http://www.sanspo.com/baseball/photos/20130505/gia13050514030010-p4.html
数多い長嶋語録の中でも、「リハビリは裏切らない」という言葉は大きな支えである。
松井さんの、長嶋さんを尊敬し、謙虚で驕らない人柄も窺えた。
「一流の人間とはどういうものか」を感じた人も多かったのではないだろうか。
私が入院した霧島リハセンターは、霧島連峰の近くにある。
霧島連峰の1つが、東日本大震災の直前に噴火して大きな被害が発生した宮崎県の新燃岳である。
噴火の時は、病院にも火山の石が落ちてきたそうである。
入院時は、噴火こそおさまっていたが、まだ近くへ行くことは禁止だった。
霧島連峰の中の高千穂峰は、『古事記』などに記されている日本神話のハイライト・天孫降臨の舞台として有名である。
病院の休みの日に、遠路見舞いに来てくれた人たちと一緒に、高千穂峰の周辺をドライブした。
⇒2012年7月 9日 (月):天孫降臨の高千穂峰/やまとの謎(66)
去年は『古事記』で三浦佑之さんの本を読み、今年は三浦しをんさん原作の『舟を編む』を観たわけである。
ところで、言葉はヒトにとってもっとも重要なコミュニケーション・ツールであろう。
しかし、往々にして言葉の行き違いが問題を起こす。
使っている言葉と、その意味内容に個人差があるからである。
シニフィアンとシニフィエの問題である。
シニフィアンは心象を表す言葉、シニフィエは心象そのものである。
「月」という言葉(シニフィアン)を発しても、三日月を思い浮かべる人も満月を思い浮かべる人もいる(シニフィエ)。
シニフィエが異なれば、コミュニケーションに齟齬が発生する可能性は高い。
⇒2013年3月10日 (日):新しい情報の生まれ方/知的生産の方法(41)
シニフィアンとシニフィエの関係を確定させようとする努力の1つが辞書の作成であろう。
『舟を編む』でも、コミュニケーションのための拠り所というようなセリフがあったような気がする。
シニフィアンとしていかなる語彙を収録するか、それにいかなるシニフィエをつけるか。
辞書の個性といっていいだろう。
『舟を編む』に、『大渡海』の特徴をはっきりさせるたため、既存の辞書を調べ、見出し語の重複を調べるシーンがある。
膨大な見出し語候補について、代表的なライバル書2冊について調べ、両方に載っている語は○、どちらかに載っている語は△を付ける。
そして、『大渡海』の個性ということで重要なのは、無印からいかに選択するかである、と加藤剛さんが演じる編集主幹が説明する。
ユニークな説明で定評の『新明解国語辞典』三省堂は、赤瀬川原平氏によって、「新解さん」と命名された。
それほど際立ったキャラの持ち主であるということである。
有名なのは「恋愛」の語釈で、『舟を編む』にも使われている。
⇒『新解さんの謎 』文春文庫(1999年4月)
三浦しをんさんが「新解さん」を語っているサイトがある。
やはり『舟を編む』の創作に関連していた。
⇒教えて!新解さん> 第4回:三浦しをんさん
『大渡海』は「新解さん」を凌ぐようなものを目指しているようでもある。
辞書の世界は汲めども尽きない。
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