寺山修司/私撰アンソロジー(20)
5月4日は寺山修司の命日である。
1983年に、47歳の若さで亡くなってから、30年が過ぎたことになる。
演劇実験室「天井桟敷」を主宰し、詩人、劇作家、歌人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、俳人、評論家、俳優、写真家などとして、文字通りマルチな分野に才能を発揮した。
競馬への造詣も深く、競走馬の馬主でもあった。
1954(昭和29)年、早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。
山田太一と同級生だった。
在学中から早稲田大学短歌会などにて歌人として活動し、18歳で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞した。
20歳で処女戯曲『忘れた領分』が早稲田大学の大隈講堂「緑の詩祭」で上演され、それを観た谷川俊太郎の病院見舞いを受けて交際が始まり、21歳で第一作品集『われに五月を』が出版された。
1958年(昭和33年)第一歌集『空には本』を出版。
石原慎太郎、江藤淳、谷川俊太郎、大江健三郎、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之らと「若い日本の会」を結成する。
60年安保反対運動に参加したが、顔触れが、保守と革新が入り混じっていて、今思うとウソか冗談のようである。
目も眩むような早熟の才能であったが、出発点は、短歌であったと言って良いだろう。
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