富士山を見るための距離と視角/知的生産の方法(51)
「富士山」が、世界文化遺産に登録される見通しとなった。
正式決定は、6月の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会になるが、内定したということだろう。
今さら格付けでもあるまいという意見もあるようだが、静岡県民として子供の頃より当たり前のように親しんできた山だ。
素直に慶賀しよう。
ユネスコの諮問機関は、「三保松原」以外の構成資産について、顕著な普遍的価値を持つことを認め、その意義は「日本をはるかに越えて(世界に)及んでいる」との見解も示した。
問題は、「三保松原」の除外である。
静岡県の川勝平太知事は1日、国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告が「富士山」の世界文化遺産登録で除外を条件とした静岡市の三保松原について、「富士山と物理的に離れているからという除外理由は論外。理由にならない」と述べ、一体での登録を目指す姿勢をあらためて示した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130501/dst13050118040010-n1.htm
もし、「富士山と物理的に離れているから」というのが主要な理由だとすれば、川勝知事の言うように、「理由にならない」のではないか。
たとえば、北斎の富嶽三十六景でも最も有名な「神奈川沖浪裏」。
ゴッホやドビュッシーなどにも影響を与えたというから、「日本をはるかに越えた、顕著な普遍的価値」を持つ代表的な作品として良いであろう。
この絵の「神奈川沖」とはどこか?
まあさまざまな詮索が可能であろうが、ここでは富士山の見え方という点から検討している例をみよう。
北斎の「神奈川沖浪裏」に描かれた富士は、よく見ると三角形様に描かれています。
これは、まず、東の三角(上図の三角B)の表情と見ることができます。
あるいは、右下に流れる線は吉田大沢の尾根線かも知れません。
左稜線のわずかの変曲状の線は宝永山の特徴を示しているようにも見えます。
http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami0.html
このような形態の分析から、以下のような結論が導きかれる。
・方角としては真東を中心に、東の方(東南東、東北東まで含む)から見たもの
・富士の左右の稜線の傾きは、ほぼ同一に見える
・陸地が描かれていないのは、 かなり外海に近い浦賀水道辺りか
・舟の種類は不明だが、大量輸送が役割とすれば、海運基地の木更津港から出航した船か
これらの情報から、以下のような結論(仮説)が提示されている。
「木更津と横浜を繋ぐラインよりも、もっと南の浦賀水道の領域、
さらには、三浦半島の先端と房総半島のの先端を繋ぐ、
浦賀水道と外海との境界における『荒波の神奈川沖である』とした方が面白い」
http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami0.html
この説の当否はともかく、北斎の心象風景が、西欧の芸術家の感性を射たこと、その心象の形成地点は、富士山から物理的に離れた場所であったこと間違いないだろう。
そしてこのことは、モノを認識する際の、距離とか視角について、重要なヒントを与えているように思う。
人間がモノを見てカタチや色を感じるためには、次の3つの要素が必要である。
a 対象物
b 光
c 人間の目
ヒトは、目に映る外界の中から、自分の関心のあるものしか意識しない。
同じ風景を見ていても、人によって見るもの、見えるものは違っている。
北斎の「神奈川沖浪裏」がインパクトがあるのは、今までにない見え方であるからに違いない。
同時に、「確かにこうも見えるかも知れない」という普遍性があるからであろう。
ところで、モノを見る場合、近くに寄って見る方が良く見えると考えがちである。
しかし、例えば虹の実態は水滴の集合体であるが、虹として見るためには、当然一定の距離をおいて眺めることが必要である。
近くに寄って細かく見れば、虹という現象がより深く理解できるということではない。
一般論として言えば、現場に当事者として参画することはもちろん重要であるが、ときには一歩下がって距離をおいて見なければ見えないこともある、ということである。
福島原発事故の初動において、菅首相(当時)が、現場に行って、状況を確認しようとしたのは、ちょっと考えると現場主義に立った行動のように思える。
しかし、未だ混乱している状況の中で、現場に行って理解できることは限られている。
先ずは全体像を鳥瞰的に把握すべきであったのではないか。
⇒2011年3月14日 (月):現認する情報と俯瞰する情報
多くの要素から構成される複雑な事象、例えば歴史の認識は、個々の歴史資料や歴史的事実を捉えるだけでは不十分であり、それらを統合する大局観が必要になる。
三保松原は、確かに富士山とは距離が離れている。
しかし、その価値を決めるのは、物理的な距離ではなく、富士山を見るのにその距離や視角がどう機能してきたか、それが保全するに足るものであるか否かであろう。
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