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2013年5月

2013年5月31日 (金)

地震予知の諸問題/花づな列島復興のためのメモ(223)

静岡県では東海地震対策に早くから取り組んできた。
「地震知事」の異名を付けられたほど力をいれた山本敬三郎知事の時代からであり、1970年代に遡る。
⇒2012年8月30日 (木):南海トラフ大地震にどう備えるか?/花づな列島復興のためのメモ(136)

以来、斉藤滋与史、石川嘉延、川勝平太と、思考も志向も異なる後継知事も、地震対策には注力してきたといえよう。
何といっても東海地震の震源域であるし、南海トラフ大地震では、県内だけで10万人以上の死者も予想されている。
静岡県知事選は、6月16日投票が行われる。
既に5月30日に告示され、無所属新人の元多摩大教授広瀬一郎氏(57)=自民党県連推薦、共産党新人の党県副委員長島津幸広氏(56)、再選を目指す無所属現職の川勝平太氏(64)が立候補を届け出た。

前回の選挙は2009年の6月であるから、政権交代の前夜である。
民主党の推薦を受けた川勝氏が、自公推薦候補を僅差で破った。
しかし、前回との比較で言えば、明らかに風向きは変わっている。

地震対策との関連でいえば、浜岡原発であろう。
住民投票について、川勝氏は「県民の判断を仰ぐのは当然」と再稼働前の実施を主張。
広瀬氏は「民主的か疑義がある」と否定的で、島津氏は「是非を問うまでもなく廃炉にすべきだ」と訴えている。

県民の意向はどうか?
もちろん、争点は浜岡原発だけではない。
折しも、地震対策を再考せざるを得ないようなニュースが発表された。
5月28日、南海トラフで想定されている巨大地震について、中央防災会議の作業部会が、地震を確実に予測することは困難とする調査部会の見解を盛り込んだ防災対策の最終報告を公表したのである。

 南海トラフはM8級の東海・東南海・南海地震の震源域が東西に並んでおり、これらが連動して巨大地震が起きる恐れがある。気象庁は東海地震の直前予知を目指して地殻変動を監視しているが、前兆現象が検出された場合、東海を上回る巨大地震の発生の有無を予測できるかが防災上の焦点になっている。
 作業部会の下部組織である調査部会は科学的な知見を基に検討した結果、前兆現象を捉えて地震の発生時期や規模を高い確度で予測することは困難との見解をまとめた。
 気象庁は昭和19年の東南海地震の直前に観測された地殻変動を前兆現象と解釈し、東海地震予知の可能性の根拠としてきたが、調査部会は「疑わしい」と指摘。東海地震や連動型の巨大地震について「確度の高い予測は難しい」と結論付けた。
 これを受け作業部会は最終報告で「新たな防災体制のあり方を議論すべきだ」として、予知体制の再検討を求めた。
・・・・・・
 復興が遅れると「国としての存立に関わる」として事前の防災対策を重視。被災地では行政の支援が行き届かないため、家庭で1週間分以上の食料などを備蓄するよう求めた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130528/dst13052817290019-n1.htm

そもそも、地震予知には問題があるとの指摘もあった。
東大のロバート・ゲラー教授(地震学)などである。
教授は、TVの番組などでも、「政府は不毛な短期的地震予知を即刻やめるべきだ」と指摘してきた。

また、地震の生起確率ということも混乱を招きやすい。
⇒2012年2月10日 (金):地震の発生確率の伝え方②/東大地震研平田教授の意見

そもそも、地震予知が可能だ、という根拠は、前兆すべりという現象を把握することが前提になっている。
⇒2010年9月 2日 (木):東海大震災は防げるか?
前兆すべりとは、本震の前の動きである。

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 この理論では、東日本大震災の前に前兆すべりが観測されたはずだった。観測網は東海地方の方が充実しているが、マグニチュード(M)9.0という巨大地震でも観測できなかったことは、M8級と想定される東海地震の予知が本当に可能かの検証が必要になる。
 東海地震は、政府が唯一予知の可能性があるとして、大規模地震対策特別措置法で予知した場合に備えた防災体制を構築している。
 地震予知連会長の島崎邦彦東大名誉教授は「東海地震のような前兆すべりは観測できなかった」と認めた上で、「(観測条件や地下の特性は)東海とは同じではない」と話した。
・・・・・・
 気象庁地震予知情報課の土井恵治課長は「前兆すべりがとらえられなかったことは事実だが、『なかった』と証明されたわけではない。東海地震の予知体制が否定されたわけではなく、今後も見逃さないように観測を続けていく」と話している。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104260467.html

地震予知が難しいのはよく分かる。
実験で確かめようがないからである。
しかし、前兆すべりも含め、以上事象を把握する体制が緩んではならないだろう。

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2013年5月30日 (木)

アベノミクスの危うさ(2)/花づな列島復興のためのメモ(222)

今日の株式市場も荒れ模様であった。
昨日書いたように、一触即発的不安定感というか、下げる要因を探しているかのようである。

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30日の東京外国為替市場でドル・円は1ドル=100円台半ばまで下落した。日経平均株価が前日比737円安と今年2番の下げ幅を記録、投資家のリスク回避目的の円買いが強まった。午後3時40分現在は、下値メドと見られる25日移動平均線(100円56銭近辺)でいったん下げ止まっている。
15時58分配信 モーニングスター

先週の木曜日に次ぐ下落幅だ。
木曜日ごとの下落である。
1

何やら、1929年から始まった大恐慌(世界恐慌)も連想される。

1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒として世界的な規模で各国の経済に波及した金融恐慌、および経済後退が起きた。1929年10月24日は「暗黒の木曜日」(Black Thursday)として知られ、南北戦争に次ぐアメリカの悲劇といわれた。
Wikipedia-世界恐慌

まあ、軽躁にアベノミクスなどと浮かれない方がいいということだろうか。
「新潮45」の佐伯啓思氏のアベノミクス論を見よう。
アベノミクスは、膨大な政府の財政赤字をファイナンスするために、日銀券をどんどん刷る路線に転じた。
イザというときには、政府が日銀を救済するので、日銀券の信用は政府によって保証されている。
同時に、日本の経済そのものが日銀券の価値を保証していることになる。

構造的には、ローの描いた図式と同じことでる。
アベノミクスは日銀券を刷って、金融市場を活性化し、株価を押し上げる
それが日本経済への期待を生み出し、それが日銀券の信用を高める。
そうなれば、日銀券による政府財政のファイナンスをやりやすくする、という図式である。

アベノミクスは、将来の日本経済を3本目の矢である成長戦略によって担保しようとしている。
問題は、目論見通りに、成長戦略によって日本経済が実体的に強くなるかどうかである。

将来の期待が実際に価値を生み出すならば、紙(お札)は金(カネ)に変化する。
将来より大きな価値を生むのなら、「資本」である。
紙を金に変えるから、まさに錬金術である。

ローと同じ時代に、本気で錬金術を研究したのが、アイザック・ニュートンであった。
近代科学の礎を築いた一方で、錬金術に取り組み、さらにはイギリス造幣局長官として、金本位制を確立した。

ところで、佐伯氏は、文化風土との関係で経済を捉えようとしている。
無から金を生み出そうととする発想は、砂漠のなかで生まれたキリスト教やイスラム教をベースにしたものだという。
その象徴がドバイである。

私は行ったことがないが、砂漠の中のドリームランドといった趣である。
Photo

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http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/36028974.html

私などは、つい「砂上の楼閣」という言葉を連想してしまうが、それは失礼というものだろう。
しかし、昔学生時代に読んだ和辻哲郎の『風土』を読み返したい気分にはなる。


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2013年5月29日 (水)

アベノミクスの危うさ/花づな列島復興のためのメモ(221)

株式市場が異常である。
日経平均は、5月23日(木)に、15,942.6円とほぼ1万6千円の高値を付けたあと、14,483.98まで急落した。
その後も徐々に落ち着いてきてはいるものの、一触即発的不安定感を引きずっている。
Photo_2

昨年末の政権交代以来、安倍内閣の経済政策、いわゆるアベノミクスがもてはやされ、株価は全体として急騰してきていた。
上がり方としては、バブル期以上との見方もあるくらいのペースである。
⇒2013年5月21日 (火):長期不況からの脱出かバブルの再来か?/花づな列島復興のためのメモ(217)

アベノミクスの「好調さ」は、しかし何となく危うさを感じさせる。
確かに「次元の違う」金融政策のインパクトは大きいであろう。
しかし、金融政策や財政政策だけで、失われた20年から脱却できるのだろうか?

それで、3本目の矢である「成長戦略」である。
しかしその具体的な中身は定まっていないようである。

「新潮45」の6月号に、佐伯啓思氏が、「反・幸福論」という連載の第29回として、『「砂漠の経済学」と「大地の経済学」』という文章を書いている。
そこにアベノミクスの「次元の違う」金融緩和が、かなりアクロバティックなもので、失敗する可能性もかなりあると書いている。
そもそも人々の「期待」を動かそうというのがムリなのではないか。

佐伯氏は、史上の有名なバブルであるジョン・ローのバブルをレビューする。
ローは、スコットランドの裕福な家に生まれ、18世紀初頭にフランスに渡ってルイ15世の摂政オルレアン公に取り入る。
そして財政難にあった王宮を救う政策をとった。

自らの銀行を作り、銀行券を発行して王宮に貸し付ける。
銀行券の信用を担保するのは、彼の行おうとしていた事業である。
それはミシシッピー開発と称するもので、その事業主体としてインド会社を設立し、そこから上がる収益が発見の裏付けになるというものだった。

ミシシッピー開発の評判は高く、インド会社の株も高騰して、キャピタルゲインを得ようと人々は金融街に殺到した。
しかし、ミシシッピー開発の実態はデタラメのものだった。
利益はインド会社の株価によるものであり、自分の刷った銀行券の生む利益が銀行券の信用となり、それを担保として銀行券を刷る。
循環構造である。

しかし、この循環が無限に続かないことは明らかである。
いつか歯車は逆に回りだす。

ローの図式は見方によれば、現代でも生きている。
ベンチャーキャピタルファンドの説明図は以下のようである。
Photo
http://www.sbinvestment.co.jp/venture/structure.html

この図の、資金調達がインキュベーション事業の収益を担保にして発行されたものだとしたら、非常によく似た図式である。
この事業が架空のものであったという詐欺話もよく耳にする。
しかし、仮に架空の事業であったとしても、お金が回っている間は、綻びは顕在化しない。

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2013年5月28日 (火)

専門家の市民感覚/花づな列島復興のためのメモ(220)

裁判員制度が施行されて、4年になる。
趣旨は、「市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映させる」ためということである。
しかし、私はこの制度について、疑問を持っている。
⇒2009年1月24日 (土):裁判員制度に関する素朴な疑問

考えてみれば、、「市民が持つ日常感覚や常識」を反映すべきであるのは、裁判に限らない。
たとえば、放射性物質の漏洩事故を起こしたJ-PARCは、最先端の科学の現場である。
そこでも、原子力の専門家とも思えない安全性の軽視である。
⇒2013年5月26日 (日):放射性物質漏洩事故の認識/原発事故の真相(71)

事故が起きたのは、高速増殖原型炉「もんじゅ」を抱える日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構が共同で運営する実験施設である。
研究者側は「漏れは想定外だった」と言う。
またしても「想定外」。

福島第一原発事故の東電と同じように、「想定外」だったら免責されるという発想であろうか。
専門家の矜持はどこに行ったのか?

あろうことか、放射性物質の濃度が異常であると認識したとき、排気ファンで強制換気したという。
そのファンには、放射性物質を取り除くフィルターが付いていない。
つまり、閉じ込めておくべき放射性物質を、拡散させているのだ。

今回も、事故ではなく、事象と呼ぶのであろうか?

原子力こそ、専門家と素人の知識に格段の差異がある。
だから、専門家の見識に頼らざるを得ないのである。
その専門家に健全な市民感覚を期待できないとしたら・・・
余りにリスクが高いのではないか?

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2013年5月27日 (月)

熊野本宮大社/紀伊半島探訪(7)

熊野本宮大社は、全国に3000社あるといわれる「熊野神社」の総本山である。
和歌山県田辺市本宮町本宮にある。
本殿へは、158段あるという石段を登っていく。
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身障者にはきつそうだったので、尋ねてみると裏側に身障者用の駐車場があるという。
有難いことだ。
至る所に八咫烏がデザインされている。
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八咫烏は、日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏である。
3本足のカラスとして知られる。

かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原」と呼ばれる中洲にあったが、明治22年の洪水で多くが流出した。
流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・再建したという。
http://www.hongu.jp/kumanokodo/hongu-taisya/

大斎原の古図として、以下のようなものが残されている。
Photo_8
http://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/hongu/colum/colum.htm

大斎原の現況は以下のような雰囲気らしい。
Photo_6
http://www.hongu.jp/kumanokodo/hongu-taisya/ooyunohara/

社殿は3棟並んで建っている。
左手の社殿が夫須美神(ふすみのかみ)・速玉神(はやたまのかみ)の両神、中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)、右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られている。

Photo_7
http://www.hongu.jp/kumanokodo/hongu-taisya/

左の社殿と他の2つの社殿の向きが90度違うのはなぜだろうか?
いにしえの雰囲気を漂わせている神社である。

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2013年5月26日 (日)

放射性物質漏洩事故の認識/原発事故の真相(71)

茨城県東海村にある日本原子力研究開発機構の実験施設(J-PARC)で、放射性物質が施設の外に漏れ出す事故が起きた。
J-PARCは、直径約500メートルの大型加速器など3台の加速器を組み合わせた実験施設で、日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構でつくるJ-PARCセンターが運営している。
加速器の中で陽子のビームをほぼ光速にまで加速し、金などの標的にぶつけて飛び出る中性子やニュートリノを研究に利用する。

この事故により、施設に出入りしていた何人かが内部被ばくした。
問題は、機構が国に報告したのは、事故発生から1日以上も後だったことである。
想定内の汚染と判断し、放射線量を下げるため排気ファンを作動させたことにより、施設外にも漏洩したとみられている。

 事故を過小評価していた―。機構は会見で、報告の遅れについてこう説明し、謝罪した。施設外への漏えいを認識してから、国への報告を判断するまで5時間近くもかかっている。安全協定を結んでいる茨城県への通報さえも、1日以上後になった。
 これでは、事故を機構内部だけで処理しようとした、と疑われても仕方がない。
 福島第1原発の事故後、原子力事業の安全性に対する市民の不安は高まっている。25日に運動会があった東海村の学校には、保護者から「事故をニュースで知ったが大丈夫か」「自分で放射線量を測定してから参加を決めたい」といった電話が寄せられている。
 原発に限らない。核燃料サイクル政策の要とされる青森県の再処理工場や「もんじゅ」、東海村の施設群などで、どんな実験が行われ、安全策や危機管理がどう図られているのか、市民に十分には伝えられていない。
 安倍晋三政権は安全性が確認された原発は再稼働させ、核燃料サイクル政策は維持する方針を示している。実行する前に、原子力事業全体の情報公開度を高め、市民が「安全性」を判断できる環境を整えなければならない。

http://www.shinmai.co.jp/news/20130526/KT130525ETI090007000.php

Photo
http://news.goo.ne.jp/picture/sankei/nation/snk20130526063.html

連日の原子力関連ニュースである。
原発とJ-PARCは、性格が全く違う。
にもかかわらず、安全意識には共通するものがあるように思える。
事故に対する意識である。

ハインリッヒの法則というものがある。
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという風に定式化されている。
Photo
http://www.tamakyo.com/tkb/iryokaigo_anzentaisaku.html

この法則の含意は、インシデント(ヒヤリ・ハット)を軽視するなということであろう。
J-PARCの事故が拡大しないことを祈るが、軽微であったとしても軽視していると、重大事故に繋がる可能性が高まる。
機構の態度は「KY:(時代の)空気読めない」であるが、「KY」は危険予知の略語でもあることを思い起こすべきだろう。

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2013年5月25日 (土)

核燃料リスクをどう軽減するか?/花づな列島復興のためのメモ(219)

核燃料サイクルという言葉がある。
Wikipedia-核燃料サイクルを見てみよう。

燃料サイクル(かくねんりょうサイクル)とは、核燃料にかかわる核種および資源の循環を指す。 狭義には核燃料物質特有の核種変換系統を、広義には商用炉を中心とする原子炉用核燃料の製造から再処理と廃棄(核燃料リサイクル、原子燃料サイクルとも言う)を意味する。
多くの場合、ウラン235を巡る後者の意味で用いられ、鉱山からの鉱石(天然ウラン)の採鉱、精錬、同位体の分離濃縮、燃料集合体への加工、原子力発電所での発電、原子炉から出た使用済み核燃料を、再処理して、核燃料として再使用できるようにすること、および放射性廃棄物の処理処分を含む、一連の流れのことである。 鉱山からの鉱石の採鉱から核燃料への加工までをフロントエンド、再処理以降をバックエンドと分けることもある。

原子力発電所から発生する使用済み核燃料中のプルトニウムやウラン235を抽出、」し核燃料として再利用すれば、単に廃棄処分することに比べ多くのエネルギーを産出できる。
このまた、使用済み核燃料のウランやプルトニウムを取り出すことになるため、 放射能が減少し、廃棄物の量が減ることにもなる。
つまり、核燃料サイクルを回すことは、原発を稼働させるための前提条件といってもいいだろう。
核燃料サイクルが順調に回らないと、放射性廃棄物が貯まる一方である。

しかし、わが国の原発においては、この核燃料サイクルが破たんしているのである。
⇒2013年5月18日 (土):「もんじゅ」22年間の運転の実態/原発事故の真相(70)
⇒2012年6月11日 (月):電源構成と核燃料サイクル/花づな列島復興のためのメモ(83)

原電の敦賀原発2号機は、直下に活断層があると認定されたことで、廃炉になる可能性が高まった。
原電は死活問題なのでなお抵抗を続けるであろうが、規制委も存在意義を問われることになるので、原電の希望に関わらず廃炉にせざるを得ないと思われる。
しかし、それで一件落着というわけにはいかないようである。
使用済み核燃料をどうするのか、という問題である。

Photo_2 二十二日の規制委定例会合で、更田(ふけた)豊志委員は2号機に残るリスク(危険性)について、(1)プールが壊れて水が抜け、核燃料の冷却ができなくなる(2)核燃料が損傷し、放射性物質が外部に出る-の二点を指摘した。
 2号機は二〇一一年五月に停止し、炉内の核燃料百九十三体はすべてプールに移されている。その意味では、原子炉自体には炉心溶融などの危険性はなくなった。
 やっかいなのは、プールで貯蔵されている約千六百体の使用済み核燃料だ。その多くは既に十分冷えており、理屈の上では安全な場所に移すことは可能。ただ、1号機のプールは核燃料の形式が異なるため使えず、原電が東京電力と合同で青森県むつ市に建設中の中間貯蔵施設(空冷式)は、まだ完成していない。
 さらに問題なのが、一一年まで使われた百九十三体。使用済み核燃料は、熱い上に強い放射線を放つため、通常三~五年間はプールに入れ、水で放射線を遮蔽(しゃへい)しながら冷やす必要がある。
 熱い核燃料であっても、専用の容器を使えば移送はできるというが、空冷式の施設はもっと冷えた状態でないと使えない。行き場はないのが現実だ。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013052590070106.html

矛盾が次々に露呈しており、原発は現時点では未完成の技術とせざるを得ないのではないか。
原発を稼働しなくてもいい省電力を推進する方向に舵を切るべきだ。
もちろん、既存の利益構造とは真っ向から対立するであろうが、客観的な合理性で考えればそうならざるを得ない。

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2013年5月24日 (金)

「成熟の喪失」とリベラル・アーツ/知的生産の方法(56)

江藤淳の代表作に、『成熟と喪失 “母”の崩壊』講談社文芸文庫(1993年10月)がある。
安岡章太郎「海辺の光景」、小島信夫「抱擁家族」、遠藤周作「沈黙」、吉行淳之介「星と月は天の穴」、庄野潤三「夕べの雲」といった戦後の主要な文芸作品を読み説いて、戦後という時代の特徴を考察したものである。
戦後生まれの政治家の発言が物議を醸している様子をみていると、「成熟と喪失」というよりも「成熟の喪失」が問題ではないのか、と思える。

問題となっているのは、安倍首相、猪瀬都知事、橋本大阪市長などである。
Ws000013
東京新聞2013年5月22日

いずれも多くの国民、都民、大阪市民の支持を得ての立場である。
しかし、彼らに投票した人がこのような発言を期待していたのだろうか。

それぞれ反省の弁を口にしてはいる。
しかし、内容の反省というよりも、諸外国の反応が国益を損ないかねないから、それならば謝るよ、という感じである。
要するに、ホンネは、自分の発言は間違っていないだろう、ということが透けて見える。

確かに、ストレートな言動が好感度をもたらしてきたことは事実であろう。
そして、日本人の潜在意識に、これらの発言を許容するような土壌があるのであろう。
だから、一見ストレートに自分の意見を言うことで、支持が得られる、換言すればウケを狙ったような感じである。

だがそれは卑しい態度というべきであろう。
人気商売という点は同じようなものだろうが、芸人と政治家は違う。

リベラル・アーツという言葉がある。
kotobankでは次のように説明している。

社会科学、自然科学系を指し、米国やカナダの大学では、一~二年次にこれらの科目を平均的に受講し、広い一般的知識を身に着ける。

現在の大学のカリキュラムがどうなっているのか分からないが、私が学生の頃には、大学の最初の2年間は教養課程と呼ばれた。
教養課程は専門課程に対するもので、Wikipedia-教養課程と専門課程の項では次のように説明している。

教養課程(きょうようかてい)とは、大学(学部)で専攻にとらわれず、広く深く学術の基礎を学び人間性を涵養する課程であり、専門課程(せんもんかてい)とは、大学(学部または大学院)で特定の専門分野を学ぶ課程である。

戦後生まれの政治家の発言の背景には、リベラル・アーツの不足があるように思う。
いまさら旧制高校のような教養を求めることはムリだとは思うが、教育システムを再考すべきときではないか。
まさか松下政経塾でよし、というわけにはいかないであろう。

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2013年5月23日 (木)

崖っぷちの原電と廃炉への工程/花づな列島復興のためのメモ(218)

敦賀原発2号機の真下に活断層があるという規制委の調査チームの専門家チームの報告を受けて、規制委が22日に直下に活断層があると認定した。
これにより、再稼働は不可能となるから、常識的には廃炉にせざるを得ないだろう。
しかし、現時点では、原電は廃炉を決断していない。

 日本原電は、原子力規制委の判断について「断じて受け入れることはできない」とのコメントを発表、徹底抗戦の構えを崩していないが、今後廃炉の決断を迫られる公算が大きい。規制委には廃炉を求める法的権限はなく、廃炉はあくまでも日本原電の判断となるが、保有する他の原発2基も運転再開は難しい。頼みにする電力業界からの支援にも限界があり、崖っぷちに追い込まれつつある。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130523/trd13052300070000-n1.htm

廃炉を強制する法律の規定はないが、再稼働できない施設を維持するのは費用の無駄遣い以外の何ものでもない。
廃炉作業は膨大な時間と費用を必要とする。
Photo
http://www.ne.jp/asahi/ma/ru/energy/hairo.html

未だ十分に経験が蓄積されていないので、時間や費用は明確には分からないが、およそ30年くらいの時間と5,000億円くらいの費用を要するらしい。
しかし問題は、原電が、廃炉に伴い発生する放射性廃棄物の処分地を確保していないということである。

原発を解体すると、さまざまなレベルの放射性廃棄物が一基当たり二万トン前後発生する。
 特に問題なのが制御棒や炉心部など放射線量が高い部材で、地中で三百年管理することになっているが、原電は「処分地は電力業界全体で検討している。現状では決まっていない」と回答した。
 商業原発として国内で初めて廃炉作業に入った原電東海原発(茨城県東海村)でも、処分地がない問題で、二〇一四年度から始める予定だった原子炉本体の解体が遅れる恐れが出ている。
 同様の問題は、廃炉作業中の中部電力浜岡原発1、2号機(静岡県御前崎市)でも持ち上がっている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013052302000112.html

また、廃炉という事態は、原電の経営状態に決定的な影響をおよぼすと思われる。
敦賀2号機が廃炉措置に移行した場合は原発の設備を会計上の資産として扱えなくなる。
Ws000011
東京新聞2013年5月23日

しかも原電は、基本料金の収入も失うことになり、経営が行き詰まることは必定である。
⇒2012年12月12日 (水):日本原子力発電の公開質問状に対する違和感

原電は、原発による電力を、電力会社に売るというビジネススキームである。
Ws000012
東京新聞2013年5月23日

もちろん、電力各社は最終ユーザーではなく、消費者が電気代を負担している。
そして現況は、電力会社は、発電に貢献していない装置の維持管理費を払い続けているのだ。
それは電力会社にとっては原価の一部であり、電気料金算定の基礎になっている。
理解の得られる話ではない。

 

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2013年5月22日 (水)

中城ふみ子/私撰アンソロジー(22)

米女優アンジェリーナ・ジョリーさんが、遺伝的に乳がんになりやすいため、予防として乳房を切除するという選択をしたことが新たな問題提起として受け止められ、国内の医療機関でも体制整備が進められるという。
多くの人が、このニュースに接して、中城ふみ子の名前を想起したのではないか。
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医療の進歩により、がんの一部については、高い確度で発症が予測できるとして、「予防として乳房を切除する」かどうかは、女性にとって判断に苦しむところだろう。
関川夏央現代短歌 そのこころみ』NHK出版 (2004年6月)の冒頭に、中城ふみ子が歌壇に登場したときの経緯が描かれている。

1954年、日本短歌社の短歌総合誌「短歌研究」は、新人の「五十首詠」を募集した。
角川書店から、1953年12月にライバル誌「短歌」が創刊されたことへの対抗策であった。
「短歌研究」の編集は、「あの」中井英夫が担っていた。

中井は、『虚無への供物』の著者であるが、同書刊行時のペンネームは、塔晶夫であった。
フランス語の「お前は誰だ(トワ・キ)」「おおっ!」のもじりであるという。
Wikipediaでは、次のように解説している。

『虚無への供物』は、アンチ・ミステリの傑作として高く評価され、夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』とともに日本推理小説の三大奇書に数えられる。

短歌の評論集として、『定本 黒衣の短歌史』(1992年12月)がある。
中城を登場させたのが中井であった。
中井は、中城の応募作を「短歌研究」の特選作とした。
雑誌に発表するに際して、「冬の花火」という表題を「乳房喪失」と改めた。

既に死期の近づいていることを悟っていた中城は、歌集を出版したいという願いを持っていて、自費出版するつもりで札幌の印刷屋で組版にかかっていた。
中井のすすめで東京の純文学系の出版社である作品社から刊行することに変更した。
しかし、歌集のタイトルで、中城は中井の提示する『乳房喪失』に頑強に抵抗した。

歌集は、『乳房喪失』として、1954年7月に出版されたが、8月3日に31歳の若さで亡くなった。
中城ふみ子の名前が広く知られるようになったのは、1955年に時事新報記者若月彰によって評伝『乳房よ永遠なれ』が出版され、ベストセラーになり、この評伝を原作とした映画『乳房よ永遠なれ』(日活、田中絹代監督、月丘夢路、葉山良二主演)が作られたことによる。


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2013年5月21日 (火)

長期不況からの脱出かバブルの再来か?/花づな列島復興のためのメモ(217)

最近は、連日のように株価がニュースになっている。
いわゆるアベノミクス効果なのだろうか?
この半年間の日経平均株価は以下のようである。
Ws000002

ほとんど一本調子の上昇基調である。 

民主党への政権交代期間を含む5年間では?
Ws000003

どうやら、麻生内閣時代に最安値を付けているようである。
それにしても、第2次安倍内閣誕生以来の昇り調子はひときわ目立つ。
ちなみに、1991年以降の株価と政局との関連性は以下のようである。
Photo
http://www.morningstar.co.jp/event/1010/ms10/

現在の水準は第1次安倍内閣発足時程度である。
麻生氏は現財務相であるが大丈夫だろうか?

アベノミクスと呼ばれる政策パッケージは、次のように表現されている。
Nipponcom
http://www.nippon.com/ja/column/g00087/

いわゆる「3本の矢」である。
華々しく成果を上げているように見える現況は、まだ1、2本目の矢が放たれただけであり、真の成果は3本目の矢である「成長戦略」如何であろう。
一口に成長戦略と言ってもとらえどころがない。

首相自らが主導する産業競争力会議では、次の4分野をターゲットにするとしている。
Photo_2
別冊宝島『アベノミクスとは何か?』(2013年4月)

この分野を重点ターゲットにすることに異論はない。
しかし、たとえばエネルギー分野で言えば、原発を輸出したり、早期の再稼働へ前のめりになるという姿勢には違和感を覚える。

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2013年5月20日 (月)

原電にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(216)

敦賀原発の2号機の真下に活断層があるという規制委の調査チームの専門家チームの専門家個人に、日本原子力発電(原電)が「厳重抗議」の文書を送りつけたという。
130520
東京新聞2013年5月20日

これはどう見ても原電の行き過ぎだろう。
暴発と呼ぶべきかっも知れない。
それだけ追い詰められているということだろうが、自分で自分の首を絞めているのではないか。

敦賀半島の地形図を見れば、素人の直感でもヤバい場所だと感ずる。
⇒2013年5月16日 (木):グリーンデバイスの開発を急ぐべき/花づな列島復興のためのメモ(213)

もっとも最近の若者は、ヤバいという言葉を、肯定的な意味でも使うようであるが、敦賀原電の立地のgoogli地図を見てよう。
Ws000010

右下方面に直線状に伸びる段差のある地形である。
その断層の最後に動いた時期の問題である。
判断を覆す余地はないだろう。

比喩的にいえば、審判団の協議中に、審判そのものに対してではなく、専門家としての知見を問われている人に、「厳重抗議」をしたようなものだろう。
規制委の姿勢はどうか?

 記者会見で、専門家が圧力を感じながら議論する問題点を問われた規制委事務局の森本英香次長は「科学的な観点で議論してもらうために、いい環境はつくっていきたい」と語ったが、具体策には触れずじまい。 こうした抗議が専門家への圧力となる可能性については「コメントを差し控えたい」と述べるにとどまった。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013052002000117.html

国会事故調の報告書で「事業者の虜」といわれた旧体制からの転換を示す意味でも、審判団(規制委)は、毅然とした態度でレッドカードを出すべきだろう。

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2013年5月19日 (日)

20年という時間の長さ/花づな列島復興のためのメモ(215)

世紀の変わり目の頃、ミレニアムという言葉が流行語のように使われたことがあった。
ミレニアムとは、日本語でいえば「千年紀」、つまり西暦を1000年単位で区切ったものである。
1000年ずつを区切りとし、1千年紀は西暦1年から1000年まで、2千年紀は1001年から2000年まであり、第3ミレニアムが始まるということだった。
生活実感とはあかけ離れたスケールであるから、それが具体的にどういう意味を持つのかは、さまざまな考え方があった。
しかし、新しいミレニアムが始まって間もない2001年9月11日、衝撃的な事件が起きた。
海を渡って放映されたリアルタイムの映像は、新しいミレニアムもただならぬものだろうと印象づけるものだった。

百年紀は、世紀、センチュリーである。
大分身近になってくるが、まだ100年間を生きる人はわずかである。
そういう希少感を狙いにしたのかどうか分からないが、トヨタがネーミングに使っている。
私は乗ったことはないが、Wikipedia-センチュリーでは、以下のような説明が載っている。
トヨタ自動車が主として日本国内で販売する同社の最高級乗用車であって、日本国内の官公庁、企業、富裕層などでの自家用使用でのショーファードリブンカー(運転手が付きオーナーは後席に乗る車)として企画されており、後部座席の快適性に重きを置いた作りになっている。
法人需要が大部分だが、富裕層の自家用車にも少なからず用いられており、特装改造のベース車として霊柩車化されての需要も多い。

それでは十年紀とは?
Wikipedia-10年紀は以下のような説明である。

10年紀(じゅうねんき、十年紀)は、“decade”(英 デケイド、ディケイド)や“decennium”(羅 デケニウム、ディセニウム)の訳語で、紀年を10年単位で区切ったもの。紀年単位の一つ。
西暦における10年紀の区切り方については、世紀や千年紀の区切り方に関する概念と同様である。西暦には0年が存在せず1年よりカウントが始まるため、本来は西暦の下一桁が1〜0の10年間を一つの区切りとする。しかし、–0年代という表現の場合は西暦の下一桁が0〜9の10年間で区切るのが一般的である。例えば、2000年代(英語では2000s)といった場合、2000年から2009年までの10年間を指すが、上述のように西暦を定義通りに区切ると、2001年から2010年までの10年間が一つの括り(10年紀)になる。
そういった違いを認識した上で時代区分が行われていても、受け手の捉え方の違いから欧米などの日本国外ではしばしば混乱を招いている。しかし、日本国内では世紀は一般的であっても、10年紀で西暦を区切る用法は一般的ではなく、10年で時代を区切るのは–0年代での用法となることが多いため、そういった混乱を招くのは希である。また、固有名詞としては〜の十年、旬年と訳されることが多い(例:国際防災の十年、国際防災旬年)。
紀年単位としての用法以外では、アーティストの結成10周年を記念したアルバムや作品集などのタイトルに、10年紀の英語表現であるdecade(ディケイド、デケイド)が使われることも多い。
ちなみに、10年紀の半分の5年間(=5年紀)については英語でlustrum(ラストラム)という表現がある。

確かに英語の授業でdecadeという言葉について学習した記憶がある。
しかし、日常生活で使うことはほとんどない。
それは「10年紀で西暦を区切る用法は一般的ではなく、10年で時代を区切るのは–0年代での用法となることが多いため」であろう。
私の個人史においては、(19)60年代とか70年代といえば、ある時代の空気が甦ってくる。

一般に20年といえば、やはり相当の重みのある時間ではなかろうか。
Jリーグが20年という時を刻んだ。
正直に言って、スタートしたとき、私は、今日のような隆盛を予見できなかった。

 サッカーのJリーグは20年前の平成5年5月15日、東京・国立競技場で開幕した。もう20年か、まだ20年か。関係者の思いはさまざまだろう。
 ただ、Jリーグの成功は、平成の日本のスポーツ界が行った最大の実験であり、成果であったと評価したい。
・・・・・・
 きっかけは昭和60年秋、メキシコW杯アジア最終予選で韓国に敗れた、国立競技場の決戦だった。このままでは未来永劫(えいごう)W杯に出場できないと、日本のサッカー界は2つの目標を掲げた。プロリーグの創設とW杯の招致だった。
 当時、日本リーグのスタンドはガラガラで、W杯には出場経験さえなかった。夢のような2大目標は冷笑の的とさえなったが、いずれも実現した。
 Jリーグは「百年構想」を掲げて全国に芝生のグラウンドを増やし、地域に根差した、サッカーにとどまらないスポーツクラブを広げることを目標とした。クラブの名称に企業名を入れることを禁じ、初代チェアマンの川淵三郎氏は「独裁者」とまで呼ばれた。
 それでも、「青臭い」「空疎」と批判された理念、理想があったからこそ、危機的状況の中でもクラブ数の拡大路線は続いた。そして20年の今がある。

http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130519/scr13051903270002-n1.htm

20年前、すなわち1993年といえば、バブル経済の崩壊こそ明らかだったが、まだいつか(近い将来)、ある程度の復活をすると考えていた人が多数派ではなかっただろうか。
この間、日本経済は長期不況にあえいでいたといってよい。
「もんじゅ」が試運転を開始したのが1991年5月。
その間、 発電実績は きわめてわずかなものといってよい。

核燃機構によると一億二百万キロワット時。「もんじゅ」の設計出力は二十八万キロワットですから、フル出力運転の十五日分程度にしかなりません。一般家庭の電力料金を一キロワット時当たり約二十円として「もんじゅ」の発電量を換算すると約二十億円となります。これまで八千億円かけて二十億円分発電した計算になります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-08/03_01.html

まさに「失われた2decades」と言えるのではなかろうか。
明らかに計画倒れ、というか無謀な計画である。
戦艦大和の出航と同じように、「空気」が決めたということであろうか?

Jリーグには、「青臭い」「空疎」と批判された理念、理想があった。
その理念、理想が今日の隆盛を導いた。
わが国のエネルギー政策も、利権の構図から抜け出て、「百年構想」を掲げるべき時ではないか。

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2013年5月18日 (土)

「もんじゅ」22年間の運転の実態/原発事故の真相(70)

高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の点検漏れ問題は、わが国の原子力ムラの実態を映し出しているようである。
「夢の」核融合技術へミスリードしてきた広報、報道。
馴れ合いともいえる安全管理。

高速増殖炉とはどういうものか?
単純化していえば、「核融合反応」を人為的に作り出して、そのエネルギーを利用しようということである。
いわば、太陽表面で起きているのと同様な反応を、この地球上で実現しようということである。
まさに「夢の技術」であるが、その難易度は核分裂を利用した原発よりもずっと難しいであろうことは、容易に想像できる。

原子力技術は「核燃料サイクル」と呼ばれる図式を前提としている。
Photo_2
http://blog.goo.ne.jp/teramachi-t/e/5f85ae153c2440b60f9f9a031e4a8761

「もんじゅ」はこのサイクルにおいて、要の位置を占めている。
すなわち、「使用済み核燃料」を再処理して プルトニウムとウランを取り出し、混合燃料を高速増殖炉などで燃焼して、さらにそこからプルトニウムとウランを取り出して利用しようという計画である。

「もんじゅ」の歴史を見てみよう。
1991年というから22年前のことであるが、5月18日(すなわち今日)、試運転を開始した。
4年後に発電を開始するが、翌年1995年には冷却用ナトリウム漏えい事故が発生し運転を停止する。
運転を再開したのは、15年後の2010年5月。
しかし再開から4ヶ月足らずで、炉内に機器が落下して、また運転中止。
そして今月15日に、大量の機器点検漏れの対応を問われ3回目の運転再開中止となった。
試運転からの22年間で、もんじゅが稼働できたのは、たった5年あまりであるが、これまでに1兆円以上が使われた。
http://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/1/2/1252.html

客観的に見れば、計画は破たんしていると考えるべきだろう。
ある元素が他の元素に変化する現象を利用した核技術は、『現代の錬金術』にもたとえられる。
錬金術は、現実問題として、すなわちコストを考慮すれば成り立たない、ということだ。

このことから、産経新聞のように、逆立ちした推進論も主張されている。

 核燃料サイクルの中核施設である高速炉が動かないと、使用済み燃料から再処理して出たプルトニウムの扱いが問題となる。
 プルトニウムとウランを混合した混合酸化物(MOX)燃料は、高速炉の代わりに既存の原発で使っていた(プルサーマル)が、生み出したプルトニウムを使い切れていない。高速炉は余剰プルトニウムの削減のため、「燃焼炉」として使うことも可能だ。
 日本は国内外で核分裂性プルトニウムを約26・5トン保有している。計算上、約4400発分の核兵器が造れる。核燃料の再処理は非核兵器保有国の中で日本だけに認められており、プルトニウムの大量の保有は国際社会から懸念を招く可能性がある。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130515/dst13051522350013-n1.htm

高速炉が現実に動かせない以上、上記のような主張は成り立たない。
「贔屓の引き倒し」というべきであろう。
日本原子力研究開発機構の安全管理についても、甘い評価を続けてきたことが分かった。

 機構の業務評価は二〇〇五年の発足以降、機構による自己評価と文科省の有識者委員会による二本立てで実施してきた。安全面のほか、もんじゅ研究開発や業務効率など約四十項目ある。
 もんじゅの研究開発では、トラブル続きのため、順調であることを示す「A」ばかりとはいかず、努力が必要な「B」や改善が必要な「C」の評価も少なくない。
 しかし、原発の安全性を保つために不可欠な機器の点検などが含まれる「安全確保の徹底」の項目では、自己評価、文科省の評価とも、東海研究開発センター(茨城県東海村)の放射能漏れや隠蔽(いんぺい)が発覚した〇七年度の評価がBだったことを除けば、全てAの評価を付けていた。
 その一方で、点検漏れは一〇年八月ごろから拡大し、昨年十一月に発覚した段階では、安全上重要なものも含め約一万点の機器で点検時期が守られず、うち半分は点検されずに放置されていた。
 評価とは正反対の状況で、今月十五日の原子力規制委員会で「こういう組織が存続していること自体が問題」(島崎邦彦委員長代理)などと批判された。

Photo_3
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013051890070200.html

政府(主として自民党)や推進者の側で、作られてきた虚構(すなわち神話)が暴かれつつある。
原子力政策全般を見直さざるを得ないのではないか。

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2013年5月17日 (金)

「成長の限界」はどのような形でやって来るか?/花づな列島復興のためのメモ(214)

世界人口について、正確な統計はないようであるが、すでに70億人を突破していると言われる。
超長期的にみると、特に産業革命以降の人口増加は、まさに幾何級数的である。
Photo
http://plaza.rakuten.co.jp/ommanipadmehum/diary/201110310000/

1人当たり消費エネルギーは、いわば文明のバロメーターである。
このような人口増と1人当たりエネルギー消費量が相まって、全体のエネルギー需要は急速に増えている。
その結果、化石エネルギー多消費による地球温暖化や原発災害のリスクが増大している。

マルサスは、『人口論』において、以下のように説いた。
・人口は幾何級数的に増加する
・食糧は算術級数的に増加する
つまり、人口増加は2*2*2*…と増えていくが、食糧は2+2+2+…のようにゆっくりとしか増えていかない。
上図は、マルサスのテーゼを裏書きしているといえよう。

横軸に時間を取ったグラフで表してみると以下のようになる。
Ws000008
http://d.hatena.ne.jp/sakinokoji/20120130/1327936332

マルサスのいうように、人口増加はいつか頭打ちとなって、地球上の人間の数に限界が来るのではないか。
それは、たとえばローマクラブの有名な予測でも示されている結果でもある。
⇒2011年12月24日 (土):『成長の限界』とライフスタイル・モデル/花づな列島復興のためのメモ(15)

この食糧不足が人口の制約条件になるという「マルサスの罠」を、人間は叡智(技術、組織・・・)によって抜け出してきた。
広義のイノベーションである。
Photo
http://ics.doshisha.ac.jp/

人間の思考能力には限界はあるのか、ないのか。
松田 卓也2045年問題 コンピュータが人類を超える日 廣済堂新書(2012年12月) は、アメリカの未来学者、発明家のレイ・カーツワイルの予言を紹介している。

2045年、コンピュータが人間の知性を超え、世界は「シンギュラリティー(特異点)」に到達するであろう。

本当に、コンピュータは人類を超えるのか?
私には、プログラミングによって作動する以上、そんなことはあり得ないとしか思えないのだが。

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2013年5月16日 (木)

グリーンデバイスの開発を急ぐべき/花づな列島復興のためのメモ(213)

敦賀原子力発電所の断層を検証してきた原子力規制委員会の専門家会議が、15日、「2号機の真下を走る断層は活断層である」という報告書を最終的に取りまとめた。
国の指針では、原子炉の真下に活断層があることを認めていない。
事業者が専門家会議の見解を覆せない限り、敦賀原発2号機は運転不能になり、廃炉に追い込まれる可能性がある。

福井県にある敦賀原発の断層について検証してきた、原子力規制委員会の専門家会議は15日午後、会合を開き、事務局の原子力規制庁の職員が「2号機の真下を走る断層は活断層である」という報告書について説明をしました。
このあと専門家から報告書の表現について一部意見が出ましたが、内容そのものに異論は出ず、報告書は最終的に取りまとめられました。
規制委員会の島崎邦彦委員は「安全上重要な構造物の下にある断層がいったん動けば、いきなり深刻な事態が起きてしまう。原発の安全性が低い状態を改善する第一歩が踏み出せた」と述べて成果を強調しました。
Photo



http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130515/t10014593831000.html

日本原子力発電は、来月までに断層の調査を終えるとしている。
「新たな知見が得られれば」専門家会議は報告書を見直すこともありえるだろうが、現実問題としてどうだろうか?
最終的に決定するのは規制委員会であり、専門家会議の報告書を受けて、来週にも対応を決めるうから、専門家会議のロジックをひっくり返すことも難しいのではないだろうか。
つまり、エネルギー制約を真剣に考えなければならないということである。

敦賀半島の地形図を見てみよう。
Photo_3
http://homepage3.nifty.com/kunihiko/earth/fault/tsuruga/Tsuruga.htm

敦賀半島には、2つの商業発電所と、高速増殖炉の実験炉「もんじゅ」がある。
敷地に沿って細長い尾根状の地形があるが、素人目にもいかにも活断層である。
今とは社会的な事情(むしろ、時代の空気と言うべきかも知れない)が異なるだろうが、よくこんな場所を選んで立地したものだと思う。

現時点では、アベノミクスは意図通りに、あるいは意図を越えて、成果を上げている。
株価と為替レートである。

アベノミクスは、3本の矢から成るといわれる。
Nipponcom
http://www.nippon.com/ja/column/g00087/

この政策パッケージにより、20年続いている不況(=デフレ経済)から脱却して、緩やかなインフレに移行しようということである。

日経平均株価と円の対ドルレートの推移は下図のようである。
Ws000002_3

現在までの効果は、主として、「大胆な金融緩和」と「機動的な財政出動」という2本の矢に対する期待感の反映であろう。
この短期的な効果を中長期的に持続させようとするならば、3本目の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」が欠かせない。

しかし、民間投資といっても膨大な分野である。
どこに照準を合わせるべきであろうか?

首相自ら主導する産業競争力会議では下記の4分野のターゲットが示されている。
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別冊宝島『アベノミクスとは何か?』宝島社(2013年4月)

いずれも喫緊の課題であることは間違いないだろうが、エネルギー問題は欠かせない視点である。 
原発の現状(安全性と稼働の可否)や化石エネルギーの諸問題(環境とのトレードオフや持続可能性など)を考えると、省エネと再生可能エネルギーへのシフトが成長戦略の柱になるのではないか。
⇒2012年5月23日 (水):節電の夏とグリーンデバイス/花づな列島復興のためのメモ(71)

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2013年5月15日 (水)

部分の和と全体の関係/知的生産の方法(55)

いま、私たちが享受している文明生活は、基本的には、産業革命以降の生産力の向上によるものと言ってよいであろう。
それを導いたのは、科学技術の発展であり、その基礎には、17世紀にニュートン、デカルトらにより確立された近代合理主義がある。
近代合理主義は、機械的世界観と要素還元主義を2つの柱としている。

機械論的世界観とはどのようなものか?

ある原因が結果を生み、その結果がまた原因となってさらなる結果を生み、という風に、世界は原因と結果の連鎖によって動いている、と考える物の見方のこと。 要するに世界は時計のようなものだという考え方。
この立場だと、 原因となるのは作用因だけであり、目的因は排除される。また、「世の中で起こることは全部最初から決まってんのや」という決定論を含意する。この世界観としばしば対置されるのが、生物学的世界観である。

http://plaza.umin.ac.jp/kodama/ethics/wordbook/mechanistic.html

それでは、要素還元主義とはどのように説明されるか?

要素還元主義とはある複雑な事象を理解しようとするとき、その事象をいくつかの単純な要素に分割し、
それぞれの単純な要素を理解することで元の複雑な事象を理解しようという考え方です。
簡単な例を出すと、ある野球チームを調査するときに、あのピッチャーはああいうやつだ。あのファーストはよく打つぞというように、個々の選手を研究することで、ああ、あのチームはきっと打撃の強いチームだな。と考える考え方です。
(必ずしも正確な例ではないですが、日常に即したものをあげてみました。)
現在では複雑な事象をそのまま捉えて全体として理解することが、非常に重要視されています。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312501953

つまり、世界は因果関係が成り立つ要素の集合体であると見なせ、その要素を統合すれば理解できるという考え方である。
そのように考えれば、世界は設計・制御可能な機械と同じであり、構成要素が多いだけであって、うまく構成要素に分解して考えれば、設計・制御が可能であることになる。
そのように理解する考え方を、機械論パラダイムと呼ぶ。
機械論パラダイムとは、全体は部分の総和であると考えるのである。

機械論パラダイムは、近代科学技術の華々しい“成功”をを導くものであった。
しかし、その“成功”は、機械論パラダイムの限界をももたらした。
要素還元主義の考えるように、全体は単なる構成要素の集合としての性格だけでは考えられないことが多い。

世界には、全体として捉えることによってこそ理解できるものがある。
生命現象は、分子や原子の運動法則だけでは捉えきれない。
機械論パラダイムの限界を超える思考として期待されているのが、生命論パラダイムである。
生命論パラダイムは、全体を全体として捉えようというホリスティックな考え方に基礎をおく。

生命体は、全体としてある固有の性質を発現するのであって、その性質は構成要素の中には存在しない。
つまり、要素から全体を復元することはできない。
その意味で、部分の総和は全体にならない。

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2013年5月14日 (火)

熊野速玉大社と新宮/紀伊半島探訪(6)

熊野速玉大社は、和歌山県新宮市新宮1にある神社で、熊野三山の一つである。
熊野速玉大神と熊野夫須美大神を主祭神とする。
境内は、2004(平成16)年7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部である。
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境内に推定樹齢1000年の梛(なぎ)の大樹がある。
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http://www.mikumano.net/meguri/sinnagi.html

平安末期に熊野三山造営奉行を務めた平重盛の手植えと伝えられ、梛としては日本最大だそうである。
梛の樹というのはあまり馴染みがなかったが、裾野市の某高級住宅地に、「梛の葉」というレストランがあって主婦に人気のようである。

新宮市は固有名詞であるが、本宮から神霊を分けて建てた神社のことであり、今宮とか若宮と同義である。
和歌山県南東端、熊野川河口に位置する。
熊野川の対岸は三重県である。
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新宮市は、熊野速玉大社(新宮権現)の門前町として発展した。
古くから木材の集散地として栄え、製材・製紙業が発達した。

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2013年5月13日 (月)

那智大社と那智滝/紀伊半島探訪(5)

那智滝の名前は子供の頃から、落差日本1位の滝として馴染みがあった。
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝で、一の滝における落差は133mある。
華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。

その那智滝を眺望する場所に那智大社がある。
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滝壺に近くには昔は行けたらしいが、今は行けないと聞いた。
いずれにしろ身障者にはムリだろう。

熊野那智大社は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある。
熊野三山の一つで、熊野那智大社の社殿および境内地は、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部になっている。

参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺がある。
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青岸渡寺は、西国三十三ヵ所巡りの第一番札所で、豊臣秀吉が再建した本堂は南紀最古の建造物である。
風格ある建造物である。
反対側は朱の大鳥居と大社の境内が続いている。
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境内に樟の巨樹がある。
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樟の枝葉を蒸留して得られる無色透明の固体が、樟脳である。
防虫剤として広く使われていた(る?)。
カンフル注射のカンフルはこの樟脳を指しており、“camphora”という種名にもなっているということである。

2011年の台風12号は、桁外れの雨の降り方で紀伊半島に大きな被害をもたらした。
この降水により大きな被害が発生したが、その復旧工事が1年半以上経っても盛んに行われていた。
熊野那智大社の近傍でも、アチコチに爪痕が残っている。
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1回の降水量が1800ミリを超えたというから、降水量が多いことで知られる紀伊半島でも異例の事態だったといえよう。
⇒2011年9月 6日 (火):台風12号による降水被害/花づな列島復興のためのメモ(3)

ちなみにわが国の年間の降水量の状況は下表の通りである。
Ws000000
http://www.japan-now.com/article/188395718.html

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2013年5月12日 (日)

「母さん助けて詐欺」に改名…世に詐欺のタネは尽きまじ

「詐欺は世に連れ」と言いたくなるくらい連日詐欺話のニュースを聞かない日はない。
私の知人も、母親に「銀行預金の通帳を預けてくれ」というような内容の、明らかに不審な電話を受けた、と言っていた。

 警視庁は12日、簡易ブログ「ツイッター」などを通じて一般公募していた「振り込め詐欺」の新名称について、応募があった1万4104件の中から 最優秀作品として「母さん助けて詐欺」を選んだと発表した。ほかに優秀作品として「ニセ電話詐欺」「親心利用詐欺」も選出。今後は従来の「振り込め詐欺」と合わせて、防犯イベントなどで活用していく。
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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130512/crm13051211430002-n1.htm

改名が被害の減少に繋がればいいが、新たな工夫をするので際限がないような気がする。
有名な「M資金」の話も未だ健在のようである。
Wikipedia-M資金では以下のように解説されている。

M資金(エムしきん)とは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金である。
M資金の存在が公的に確認された事は一度もないが、その話を用いた詐欺の手口(M資金詐欺)が存在し、著名な企業や実業家がこの詐欺に遭い、自殺者まで出したことで一般人の間でも有名になった。
Mは、GHQ経済科学局 (Economic and Scientific Section、略称 ESS)[1]の第2代局長であったウィリアム・フレデリック・マーカット(William Frederick Murcutt)少佐(後に少将)の頭文字とするのが定説となっている。その他にマッカーサー、MSA協定、フリーメーソン (Freemason) などの頭文字とする説などがある。

M資金の被害者になることは名誉な話ではないのでオフィシャルな形で表面化することは少なく、噂とか風評の類で広まる。
比較的よく知られていると思われるケースを挙げる。

1945年10月 GHQ(連合国軍総司令部)が日銀を査察。この時に押収されたダイヤモンドがM資金伝説の発端となる。
1970年5月 全日空大庭哲夫社長、3000億円のM資金融資話で念書を書き、失脚。
1978年12月 俳優田宮二郎、2000億円のM資金融資詐欺で1000万円被害。猟銃自殺。
1993年11月 大日本インキ川村茂邦社長、10兆円のM資金をあてにした土地開発事業で不動会社から損害賠償請求。
1994年3月 M資金詐欺で振り出した額面50億円の手形のコピーが出回ったための信用不安で大証一部上場の建設機械メーカー、光洋機械産業会社更正手続き決定。
1994年5月 元名古屋銀行東新町支店長ら4人、1億4000万円詐取のM資金詐欺で逮捕。
1994年5月 日産自動車副社長、M資金詐欺で辞任。
1996年11月 50億円の債務保証事件をめぐる特別背任で逮捕されたツムラ前社長が1992年に資金繰りのためM資金導入を画策していた事がわかった。
1997年12月 第一家庭電器社長辞任に絡んで、M資金がらみのトラブル説浮上。
2000年2月 政商として知られた国際興業の故小佐野賢治社主の隠し子を自称し、M資金融資話で大田区の女性宝石商から4135万円詐取の天野光子逮捕。
2000年2月 額面2兆円の架空国債還付金残高確認証を宮崎県の銀行に持ち込み、保護預かり証をだまし取ったグループ逮捕。
http://www.zeroinjyoho.com/?q=node/367より抜粋

噂であっても、上場企業の役員が辞任せざるを得ない事態になったり、自殺者が出たりしている。
私もかつて被害者になりかけたことがあった。
仕組みとしてはベンチャーキャピタルと同じで、第三者割当増資をした会社に新規事業のスキームとさまざまな資源を供与し、事業化を推進するというものである。
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http://www.sbinvestment.co.jp/venture/structure.html

上の図式で、うまくいけば「Win-Win」ということになり、なんら問題はない。
しかし、最初の資金調達が怪しげであると、限りなく詐欺に近くなる。
私が体験した話は、公認会計士、一部上場企業役員などが関係し、高崎市に実験プラントなどもあるというものだった。
結果的にある二部上場の会社が上図のようなスキームに乗って、日経新聞に第三者割当増資の公告までしたが、資金調達ができず実現しなかった。

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2013年5月11日 (土)

鴨長明『方丈記』/私撰アンソロジー(21)

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『方丈記』の名前を知らない大人は殆どいないだろう。
高校の国語の時間に必読になっている古典である。
特に冒頭の文章は人口に膾炙している。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖と、またかくのごとし。

音読に適した名文であり、内容も「そうだよなあ」と受験生にもそう思える。
しかし恥ずかしながら、私は全文を読んだ記憶がない。
冒頭部分だけを覚えていただけである。

『徒然草』は全段ではないにしても、記憶に残っている段はある。
⇒2010年3月 6日 (土):闘病記・中間報告
それに比べ、『方丈記』は、冒頭部分以外はまったく記憶から消えていた。

東日本大震災の後では、地震についての記述が特に印象に残る。
掲出の文は、文治地震の記述だと言われている。
Wikipedia-文治地震の解説は以下のようである。

文治地震(ぶんじじしん)は、元暦2年7月9日午刻(ユリウス暦1185年8月6日12時(正午)頃、グレゴリオ暦1185年8月13日)に日本で発生した大地震である。
地震は元暦年間に発生したが、この天変地異により後の8月14日に文治に改元され、年表上では文治元年であることから文治を冠して呼ばれる。この改元について『百錬抄』では「十四日甲子、有改元、依地震也、(地震による)」と記述しているが、異説もあり、『一代要記』には「八月十四日改元、依兵革也、」とあり兵革によるともされる。しかし中世の日本においては合戦や政変によるものより、地震や疫病流行など自然現象のもたらす災害による改元の方が多かった。

確かなことは言えないようではあるが、改元(「空気」を変えるために元号を変えることが行われた)するくらいの地震だった。
このような大きな影響を与えた災害が、仏教を大衆的なものに改革する変革者としての法然を生み、一方で無常観に満ちた鴨長明の『方丈記』を生んだといえよう。
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「一個人別冊Vol.1 日本の仏教入門」(2011年4月)

長明は、平安の貴族の時代から鎌倉に軍事政権が樹立される激動の時代を生きた。
昨年の大河ドラマ『平清盛』に描かれた時代からその直後の時代である。

長明は、賀茂神社の禰宜の家に生まれた。
終の庵を、日野に構えた。
方丈の庵である。
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『英語で読む方丈記』IBCパブリッシング(2012年12月)

『徒然草』にしろ『平家物語』にしろ、あるいは『源氏物語』もそうであるが、古典をワケのわからない時期に読むのはどうかと思う。
先日改めて『方丈記』を読んだところ、頭にスッと入ってくる。
『方丈記』の内容も、この歳になって理解できる部分がかなりあるように思う。
もっと早く通読していれば、とも思うが、やはり興味の湧いたときに読むのがいいのだろう。

大きな災害が時代の思潮に大きな影響を与えたとも考えられる。
東日本大震災というミレニアム災害は、どのように社会を変えるのであろうか?

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2013年5月10日 (金)

橋杭岩と宝永地震/紀伊半島探訪(4)

和歌山県東牟婁郡串本町に、橋杭岩(はしくいいわ)という景勝地がある。
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名前の通り、岩が直線上に立ち並ぶ姿が、橋の杭のように見える。
潮岬の近くで、同所の道の駅は、本州最南端になるそうである。
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http://bochibochikuroshio.blog137.fc2.com/

お定まりの弘法大師伝説がある。
弘法大師と天の邪鬼(上のマークの写真のキャラクター)が熊野地方を旅したときのことである。
天の邪鬼が弘法大師に、チャレンジした。

 「弘法さん、大島はご覧の通り海中の離れ島で、天気の悪い日には串本との交通が絶え島の人は大変困るそうですが、我々はひとつ大島と陸地との間に橋を架けてやろうじゃありませんか。」天の邪鬼が誘う。
「それが良い、それが良い。」と弘法大師。
 「ところで二人いっぺんに仕事するのもおもしろくない。一晩と時間を限って架けくらべをしましょう。」
天の邪鬼は、「いかに偉い弘法大師でも、まさか一夜で架けることはできまい。」と考えたのだ。

夜になって、弘法大師が橋を架けることになった。
弘法大師は、山から巨岩を担いできて海中に立てている。
一晩あれば、十分橋が架かるだろうと、天の邪鬼は焦った。
そして何か邪魔する方法はないかと考えた末、大声で鶏の鳴き真似をした。
それを聞いた弘法大師は、本当に夜が明けたのだと思ってついに仕事を中止した。
そのときの橋杭の巨岩が現在も残っている、という話である。

橋杭岩に転がっている岩の中には、岩のそそり立つところからかなり遠くのものもある。
これらの岩は、宝永地震で起こった大きな津波によってそこまで転がったのではないか、と推測されている。
湿ったところを好む植物・生物が死滅し、化石になったものが表面上に残っていて、それが宝永地震の起こった1700年代であることが分かった。
また、散らばっている岩が動くのには秒速4メートル以上の速い流れ(流速)が必要とされ、これもこの地域で頻繁に襲来する台風から起こる波や同じく震源域に近い東南海が震源の単独地震を想定して計算された流速ではなく、東海・東南海・南海地震の連動型であった宝永地震を想定して計算された流速と一致している。
Wikipedia-橋杭岩

なお、宝永地震はWikipediaでは次のように説明されている。

宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、遠州灘沖から紀伊半島沖(北緯33.2度、東経135.9度 [注 1])を震源として発生した巨大地震。南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、記録に残る日本最大級の地震とされてきた。世にいう宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、あるいは宝永大地震(ほうえいおおじしん)とも呼ばれ、地震の49日後に起きた宝永大噴火と共に亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。
南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、江戸時代には宝永地震のほか、慶長9年(1605年)の慶長地震、嘉永7年(1854年)の安政東海地震および安政南海地震が知られている。また、宝永地震の4年前(1703年)には元号を「宝永」へと改元するに至らしめた関東地震の一つである元禄地震が発生している。

それにしても、地震や津波は人知を超えているのではなかろうか。

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2013年5月 9日 (木)

東福寺の「青々とした緑」/京都彼方此方(6)

京都で夕方時間があったので、東福寺へ行ってみた。
東福寺と言えば紅葉で有名である。
特に通天橋からの眺めは、紅葉の名所に事欠かない京都でも有数のものであろう。
子供が小さい頃、連れて行ったことがあるが、銀塩写真だったこともあって手許に残っていないので、壁紙サイトから援用する。
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http://k-kabegami.sakura.ne.jp/toufukuji/1.html

奥に見えるのが通天橋である。
仏殿から開山堂(常楽庵)に至る渓谷に架けられた橋廊で、1380(天授6)年、春屋妙葩(普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたといわれる。

拝観受付が16:00までで、境内に入ることはできなかったが、通天橋の方を覗くことはできた。
秋の紅葉は今の季節は青々とした若葉である。
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近所のおばさんが犬を連れて散歩しているのに同道して、いろいろ話を聞くことができた。
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東福寺への往還は市バスを利用した。
京都は市街地が格子状の街路になっているので、路線バスのルートも見つけやすい。2
http://www.tofukuji.jp/haikan.html

新幹線からそれほど距離はないが、緑に包まれた雰囲気でやはり京都は「いい所」と言うべきだろう。
と書いていて、「青々とした」という表現と「緑に包まれた」という表現はどうか?

5行説では、「青」が東にあたる。
四神の青竜は東の守り神である。
高松塚古墳の壁画に青竜が描かれていた。
大相撲でも青房が東である。

季節で言えば、青が春であることは、青春という言葉の通りである。
皇太子のことを東宮と言ったり、日銀総裁の黒田東彦氏の名前を「はるひこ」と読むこともこれに由来するのであろう。
⇒2013年3月 3日 (日):東宮一家の振る舞いの報じられ方/やまとの謎(83)

つまり、若い、未熟な状態が「アオ」である。
青二才とか青野菜のように、である。
そしてその実体は、緑色であることが多いが、「みどり」もまた、生まれたての状態、若々しいさまの形容である。
「みどりご」とか「みどりの黒髪」などのように。

つまり、「あお」と「みどり」は無差別だったのだろう。
有名な「あおによし」という奈良(寧楽、平城)にかかる枕詞は、「青丹よし」ということだが、薬師寺の説明で、「この色が青と丹です」と言われ、得心したことがある。
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2013年5月 8日 (水)

言葉の共通理解のツールとしての辞書/知的生産の方法(54)

評判の映画『舟を編む』を観てきた。
2012年本屋大賞を受賞した三浦しをんさんの原作の映画化である。
三浦さんの名前は週刊誌などのエッセイで見かけたことはあるが、単行本は今まで読んだことがないので、作風も想像しにくい。

『大渡海』という辞書を編集している玄武書房という出版社の辞書編集部が舞台である。
『大渡海』という辞書の名前や原作のタイトルは、「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味で付けられている。
主人公は、同編集部の馬締光也という変わり者である。
営業に出しても役に立たないが、大学院で言語学を専攻していたということで、言葉に対する情熱は高い。
主人公のネーミングの感じや断片的なエッセイの記憶からすると、いわゆるライトノベルのジャンルかなと、何となく思っていたが、外れだったようである。

子供の頃、家に『大言海』という辞書があったのを憶えている。Photo_2
http://blog.goo.ne.jp/geheimnis_2005/e/2b5ba4a740424e3dee7b52412be5573b

大槻文彦編著で冨山房から出版されたものである。
子供のことであるから、その辞書で何かを調べたということもない。
父方の縁戚とは事情があって没交渉だったので、母方の祖父が遺したものではないかと思われる。

この祖父は私が生まれる前に亡くなっていて思い出は何もないが、聞くところによると、短歌や俳句を嗜んでいたらしい。
いくつかの小学校の校長を務めた教育者だった。
明治時代のことであるから、まあインテリの部類だったのだろう。
『一日十詠』(?)と題された和綴じの手書きの草稿があったのを記憶している。

原作にあたらないで映画を観ただけの印象であるが、『大渡海』には『大言海』が投影されているのではないかと感じた。
『大渡海』の編集主幹は加藤剛さんが演じているが、『大言海』の編著者の大槻文彦とはどのような人物であったか。
Wikipedia-大槻文彦を見ると、以下のように書かれている。

大槻 文彦(おおつき ふみひこ、1847年12月22日(弘化4年11月15日) - 1928年2月17日)は、日本の国語学者。明六社会員。帝国学士院会員。本名は清復、通称は復三郎、号は復軒。
宮城師範学校(現・宮城教育大学)校長、宮城県尋常中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)校長、国語調査委員会主査委員などを歴任し、教育勅語が発布された際にいち早く文法の誤りを指摘したことでも有名である。

まったくの偶然であるが、私が未就学児の頃、勝又猛先生という方が小学校の臨時教員(?)にいて可愛がってもらった記憶がある。
熱血先生だったようで、その後東北大学の教育学部に入ったらしい。
ネットで検索した範囲では、「伊豆漁村の展開過程」という東北大学教育学部の1961年3月発行の紀要の中の論文に同姓同名の人がいた。
1960年に私は15歳になっているから、東北大学卒業後5年くらいのことであり、「伊豆」というテーマからして同一人の可能性は高いと推測するが、何分確かめようもない。
その人が後に、宮城教育大学の学長になられたとような話を聞いたことがあるが若くして亡くなったようである。

予期した以上に(?)面白かったので、「三浦しをん」を検索してみたら、父親が『古事記』などの上代文学の研究家として著名な三浦佑之立正大学教授(千葉大学名誉教授)だった。
やはり家系というか環境の影響があるのだろうと思う。
去年は、712年に太安万侶によって献上されてから1300年という節目の年だったこともあって、三浦佑之という名前はよく目にしたが、1年前は霧島市にある鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンターに入院中だった。

鹿児島大学の川平和美教授が開発した新しいリハビリ法を受術するためである。
川平法は、NHKスペシャル等で取り上げられ、その効果が評判になっていた。
約5週間、缶詰状態でリハビリをしたが、やはり川平法といえどもマジックではなかった。
⇒2012年4月18日 (水):川平法に期待して再入院/闘病記・中間報告(41)
学習全般に言えることだと思うが、たゆまぬ日々の訓練以外に急速に改善する方法はないということだろう。

長嶋茂雄さんと松井秀喜さんに対する国民栄誉賞の授賞式の様子は、アンチ巨人といえども感動を呼ぶものであった。
⇒2013年4月 2日 (火):長嶋、松井の国民栄誉賞受賞
全身運動神経のような長嶋さんが、懸命のリハビリによって、始球式のボールを打とうとするまでに回復した姿は、多くの後遺症患者にとって何よりの励みになったと思う。
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http://www.sanspo.com/baseball/photos/20130505/gia13050514030010-p4.html

数多い長嶋語録の中でも、「リハビリは裏切らない」という言葉は大きな支えである。
松井さんの、長嶋さんを尊敬し、謙虚で驕らない人柄も窺えた。
「一流の人間とはどういうものか」を感じた人も多かったのではないだろうか。

私が入院した霧島リハセンターは、霧島連峰の近くにある。
霧島連峰の1つが、東日本大震災の直前に噴火して大きな被害が発生した宮崎県の新燃岳である。
噴火の時は、病院にも火山の石が落ちてきたそうである。
入院時は、噴火こそおさまっていたが、まだ近くへ行くことは禁止だった。

霧島連峰の中の高千穂峰は、『古事記』などに記されている日本神話のハイライト・天孫降臨の舞台として有名である。
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病院の休みの日に、遠路見舞いに来てくれた人たちと一緒に、高千穂峰の周辺をドライブした。
⇒2012年7月 9日 (月):天孫降臨の高千穂峰/やまとの謎(66)
去年は『古事記』で三浦佑之さんの本を読み、今年は三浦しをんさん原作の『舟を編む』を観たわけである。

ところで、言葉はヒトにとってもっとも重要なコミュニケーション・ツールであろう。
しかし、往々にして言葉の行き違いが問題を起こす。
使っている言葉と、その意味内容に個人差があるからである。
シニフィアンとシニフィエの問題である。

シニフィアンは心象を表す言葉、シニフィエは心象そのものである。
「月」という言葉(シニフィアン)を発しても、三日月を思い浮かべる人も満月を思い浮かべる人もいる(シニフィエ)。
シニフィエが異なれば、コミュニケーションに齟齬が発生する可能性は高い。
⇒2013年3月10日 (日):新しい情報の生まれ方/知的生産の方法(41)

シニフィアンとシニフィエの関係を確定させようとする努力の1つが辞書の作成であろう。
『舟を編む』でも、コミュニケーションのための拠り所というようなセリフがあったような気がする。
シニフィアンとしていかなる語彙を収録するか、それにいかなるシニフィエをつけるか。
辞書の個性といっていいだろう。

『舟を編む』に、『大渡海』の特徴をはっきりさせるたため、既存の辞書を調べ、見出し語の重複を調べるシーンがある。
膨大な見出し語候補について、代表的なライバル書2冊について調べ、両方に載っている語は○、どちらかに載っている語は△を付ける。
そして、『大渡海』の個性ということで重要なのは、無印からいかに選択するかである、と加藤剛さんが演じる編集主幹が説明する。

ユニークな説明で定評の『新明解国語辞典』三省堂は、赤瀬川原平氏によって、「新解さん」と命名された。
それほど際立ったキャラの持ち主であるということである。
有名なのは「恋愛」の語釈で、『舟を編む』にも使われている。
⇒『新解さんの謎 』文春文庫(1999年4月)

三浦しをんさんが「新解さん」を語っているサイトがある。
やはり『舟を編む』の創作に関連していた。
教えて!新解さん> 第4回:三浦しをんさん

『大渡海』は「新解さん」を凌ぐようなものを目指しているようでもある。
辞書の世界は汲めども尽きない。

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2013年5月 7日 (火)

「見立て」の効用/知的生産の方法(53)

佐藤可士和『佐藤可士和のクリエイティブシンキング』日本経済新聞社(2010年6月)に、「見立ての習慣、身につけよう-比喩することで本質が伝わる」という項目がある。
佐藤さんによれば、茶の湯の世界では、元来は和歌などの文芸で使われていた「見立ての手法」を取り入れてきた。
「見立て」の精神は、茶の湯の美学の核であるという。

「見立て」とは、本来「見て、選ぶ」ということである。
例えば、着物の柄を「見立てる」というように用いる。
転じて、医者が病名を特定することを「見立てる」という。
例えば、彼が鼻水を流しているのは花粉症であって、風邪ではないと診断することが「見立て」である。

さらにそこから、「なぞらえる」という用法が生まれた。
「雪を花に」「見立てる」という使い方である。
あるもの(雪)を他のもの(花)になぞらえることであるが、それを意識的に利用したのが例えば作庭の手法である。

磯崎新『見立ての手法―日本的空間の読解』鹿島出版会(1990年8月)によれば、日本の庭園は、池泉の庭の池も白砂を敷つめた枯山水の庭も、大海を表現している場合が多いといわれる。
例えば、有名な竜安寺の石庭は、縦横12m×24mの長方形の中に白砂が敷つめられ、15個の石が5組に分けられて点在している。
この石組が、西欧の名画の構図と同じく黄金分割線上に配されているという。
その石の組み方自身、デザイン論的に興味をそそられるところでもあるが、この庭に禅的なものを含め、様々な説明・解釈が行われてきている。

われわれは、往々にして変化流動し捉えどころのない状況に直面する。
その混沌とした状況は、そのままでは思考をめぐらすことが困難であり、そこに何らかの「形」を与えること、すなわち“in-form”することが必要である。
そのための有力な手段が言葉であり、特に,複雑で捉えどころのない事象を分かりやすく認識する工夫が、馴染み易いモノに「見立て」る方法である。

例えば、流動的・可変的な事象は「流れ」に見立てられることが多く、御可能性が限られている事象は、自然現象に見立てられることが多い。
典型としては、この世の事象や人の運命を河川との関係で捉える場合である。
例えば『方丈記』では「ゆくかわの流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とこの世の変転するさまを描いている。
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https://www.jpmorganasset.co.jp/promotion/column/025.html

また、マキュアベリは、運命を「破壊的な川」に喩えているという。
その猛威は「洪水」のようであり、「あらゆる人々はこの猛威に屈し、踏み止まることもできずに逃亡する」が、人間は、川が「平静な時に堤防や堰を築いて防御策を施すこと」が可能であり、「運命はわれわれの行為の半分を裁定するが、他の半分、あるいは半分近くはわれわれによって支配されているとみるのが正しい」という。

「見立ての手法」は、佐藤さんの項のタイトルにあるように、「比喩すること」に近い。
⇒2013年4月13日 (土):アナロジー思考/知的生産の方法(48)

佐藤さんは、「見立て」はモノの本質をつかむ絶好のトレーニングになるという。
また、「見立て」はイメージの共有に役立つから、コミュニケーションという意味でも効果がある。
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佐藤可士和『佐藤可士和のクリエイティブシンキング

「見立て」は、「なぞかけ」の一種とも考えられる。

「○○とかけて××と解く。その心は」
「□□」

という言葉遊びである。
秀逸な「なぞかけ」の答は、アタマの柔らかさを示している。
Wikipedia・なぞかけには、次が例示されている。

「ミニスカート」とかけて、「結婚式のスピーチ」と解く。その心は「短いほど喜ばれる」(3代目三遊亭遊朝の作品)

お後がよろしいようで・・・。

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2013年5月 6日 (月)

丸山千枚田/紀伊半島探訪(3)

三重県熊野市(旧南牟婁郡紀和町)の丸山に、日本最大級の棚田がある。
日本の棚田百選の一つになっている。
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まさに「耕して天に至る」という感じで、営々として積み重ねられた努力に頭が下がる。
熊野は基本的に山地だから、田畑は段々状になる。
丸山千枚田は、実際には高低差160m(標高90-250m)の谷合に、約1,340枚(7ha)の棚田があるといわれる。

丸山千枚田がいつ頃から存在したかは明らかではない。
関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が紀伊に移封され、慶長6年(1601年)に検地が行われたときには既に約2,240枚の棚田があったとされる。
その後、明治時代には11.3haにまで増え、戦後20数年間は、ほぼその規模で維持されてた。
しかし、昭和40年代半ば以降、過疎化・高齢化などにより耕作面積が減少した。

棚田経営は近くの銅鉱を中心とした鉱山での労働との兼業によって維持されていた。
しかし、1978年(昭和53年)に鉱山が閉山して労働力の流出を招いた。
後継者不足、高齢化]、減反政策、コメの価格低迷、機械化が難しいことなどの諸要因も重なり、耕作放棄が進み、1992年(平成4年)には530枚まで減少した。

この歴史的遺産を残すため、1993年(平成5年)に当時の紀和町の町長が音頭を取って、行政の支援を表明、同年8月に「丸山千枚田保存会」が結成された。
1994年(平成6年)には紀和町が日本初の千枚田を保存する「紀和町丸山千枚田条例」(平成6年紀和町条例第1号)を制定した。
紀和町は平成の大合併により、2005年(平成17年)11月1日に熊野市と合併し、消滅したが、条例は新・熊野市に引き継がれた。

棚田をできれば残したい、という気持ちは多くの人が共有するものであろう。
「全国棚田サミット」も開催されているし、第6次産業という言葉もある。
6次というのは、1次、2次、3次のすべてを取り込むということで、1+2+3と1×2×3が共に6になることに由来する。
⇒2010年10月30日 (土):第6次産業の可能性

私は、むかしネパールに行ったとき、棚田をみて、既視感のようなものを感じたことを覚えている。Photo
http://ouac1949.world.coocan.jp/langtangreporta07.html

丸山千枚田の中には、1㎡以下のものもあるという。
ヒトの営みの形を示すものとして、保存に尽力している人たちに敬意を表したい。

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2013年5月 5日 (日)

将棋ソフトの進歩と解説ソフトの可能性/知的生産の方法(52)

「第2回電王戦」は、コンピュータが3勝1敗1分けという結果に終わった。
コンピュータの圧勝といっていいだろう。
3月30日に第2戦で現役のプロ棋士が初めて敗れ、以後はコンピュータの2勝1分けである。
⇒2013年4月 4日 (木):佐藤可士和さんの「キレ」と「コク」/知的生産の方法(46) 

将棋ソフトの歴史は浅い。
誕生は1975年というからまだ40年足らずである。
早稲田の大学院生だった滝沢武信早稲田大学教授らによる。
しかし、初期のソフトは弱く、80年代になっても小学生名人に簡単に負けてしまう程度だった。

90年代後半に、コンピュータの処理速度や記憶容量などの向上と連動して、力量が急成長した。
Windowsが登場した頃であり、大型機からのダウンサイジングという形で、パラダイムシフトが起きたのである。
2000年代になると、棋譜から自動学習する能力を身に付け、成長は加速した。
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東京新聞2013年5月1日

そして3月下旬からの第2回電王戦である。
プロ棋士5人と5種類の将棋ソフトが対戦した。
戦績は以下のようであった。
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東京新聞2013年5月1日

トップ棋士三浦弘行八段を破った「GPS(ゲーム・プログラミング・セミナーの略)将棋」を開発したのは、金子知適東大准教授である。
金子氏の感想の中で、特に興味を持ったのは、「将棋解説者になるコンピュータを開発中」という点である。

現在は、「将棋は強くてもしゃべりが下手」ということらしい。
以前にソムリエロボットの開発のニュースを見たのを思い出した。
NECシステムテクノロジー株式会社が2007年11月29日付でプレスリリースしたものである。

 当社が三重大学と共同で開発した、ワインの種類や味を判別できる「ソムリエ・ロボット」が、2007年6月にギネス新記録に認定され「はじめてのロボット・ソムリエ」としてギネスブックに掲載されました。
・・・・・・
 当社は、2006年7月に独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の支援を受けて、三重大学との産学コラボレーションにより「健康・食品アドバイザーロボット(味見ロボット)」を開発しました。
味見ロボットは、食品に赤外線を照射した時の赤外線吸光度スペクトルを分析することによって、チーズ、肉類、パン類等、数十種類の食品を判別することができます。
「ソムリエ・ロボット」は、味見ロボットの機能を強化したしたもので、センサーの分析精度を向上することで、より判別が難しいと言われるワインについて、数十種類の銘柄や味などを判別することができます。
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http://www.necst.co.jp/topics/20071129/index.html

やはりこのリリースから読み取る限り、「判別する」能力は優れているらしいが、それを表現することについては触れていない。
表現することは、当時は余り力点が置かれていなかったのであろう。
しかし、ソムリエは、キザとも思えるような表現で、テイストを表現する。

将棋の解説もワインの解説も、表現力が問われる。
多分、それはヒトの最後の砦であろう。
その分野で、ヒトの優位性はいつまで保てるのであろうか?

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2013年5月 4日 (土)

寺山修司/私撰アンソロジー(20)

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5月4日は寺山修司の命日である。
1983年に、47歳の若さで亡くなってから、30年が過ぎたことになる。

演劇実験室「天井桟敷」を主宰し、詩人、劇作家、歌人、演出家、映画監督、小説家、作詞家、脚本家、随筆家、俳人、評論家、俳優、写真家などとして、文字通りマルチな分野に才能を発揮した。
競馬への造詣も深く、競走馬の馬主でもあった。

1954(昭和29)年、早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。
山田太一と同級生だった。

在学中から早稲田大学短歌会などにて歌人として活動し、18歳で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞した。
20歳で処女戯曲『忘れた領分』が早稲田大学の大隈講堂「緑の詩祭」で上演され、それを観た谷川俊太郎の病院見舞いを受けて交際が始まり、21歳で第一作品集『われに五月を』が出版された。
1958年(昭和33年)第一歌集『空には本』を出版。

石原慎太郎、江藤淳、谷川俊太郎、大江健三郎、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之らと「若い日本の会」を結成する。
60年安保反対運動に参加したが、顔触れが、保守と革新が入り混じっていて、今思うとウソか冗談のようである。

目も眩むような早熟の才能であったが、出発点は、短歌であったと言って良いだろう。

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2013年5月 3日 (金)

憲法の硬性と弾力性/花づな列島復興のためのメモ(212)

今年は例年になく憲法改正論議が高まっている。
もちろん、安倍首相率いる自民党が改正を党是としていることと、衆院で圧倒的多数を占めている現下の状況が絶好のチャンスであるから、ということであろう。
改憲というテーマは、自民党にとっては1955年の結党以来のものである。
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東京新聞2013年5月3日

憲法改正は、最終的には国民投票を経て行われる。
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http://www.yoakenonippon.com/law/

改憲に対する主要政党のスタンスは下表のようである。
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http://www.yomiuri.co.jp/election2005/feature/0004/fe_004_050903_01.htm

国民投票には、国会が憲法改正を発議する。
その要件が憲法96条に定められている。

第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

これについて、自民党や日本維新の会などは、改正して要件を緩和すべきだとしている。
民主党は、反対の方向で党内の意見をまとめる考えのようでり、連立与党の公明党は、具体的な改正の中身と合わせて議論すべきだとして、慎重な姿勢を示している。
生活の党は、改正に反対であり、維持すべきだとしている。

各党それぞれといったところだが、96条を改正して、発議のハードルを低くすることは是か非か?

私は憲法が国の形を定める根本であるならば、基本的には硬性であるべきだろうと考える。
今の国政選挙の状況を見ると、いわゆる風の吹き方次第で、各党のシェアが大きく変わる。
それと連動して憲法が変わるのではきわめて不安定になる恐れがある。

もちろん、不磨の大典ということではない。
必要ならば改正するのは当然である。
しかし、その発議の要件は、一般の法律の改正よりも厳しくあるべきだろう。
ちなみに、大日本帝国憲法(明治憲法)も出席議員の3分の2以上を議決の要件としていた。

第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

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2013年5月 2日 (木)

富士山を見るための距離と視角/知的生産の方法(51)

「富士山」が、世界文化遺産に登録される見通しとなった。
正式決定は、6月の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会になるが、内定したということだろう。
今さら格付けでもあるまいという意見もあるようだが、静岡県民として子供の頃より当たり前のように親しんできた山だ。
素直に慶賀しよう。

ユネスコの諮問機関は、「三保松原」以外の構成資産について、顕著な普遍的価値を持つことを認め、その意義は「日本をはるかに越えて(世界に)及んでいる」との見解も示した。
問題は、「三保松原」の除外である。

 静岡県の川勝平太知事は1日、国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告が「富士山」の世界文化遺産登録で除外を条件とした静岡市の三保松原について、「富士山と物理的に離れているからという除外理由は論外。理由にならない」と述べ、一体での登録を目指す姿勢をあらためて示した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130501/dst13050118040010-n1.htm

もし、「富士山と物理的に離れているから」というのが主要な理由だとすれば、川勝知事の言うように、「理由にならない」のではないか。
たとえば、北斎の富嶽三十六景でも最も有名な「神奈川沖浪裏」。
ゴッホやドビュッシーなどにも影響を与えたというから、「日本をはるかに越えた、顕著な普遍的価値」を持つ代表的な作品として良いであろう。
The_great_wave_off_kanagawa

この絵の「神奈川沖」とはどこか?
まあさまざまな詮索が可能であろうが、ここでは富士山の見え方という点から検討している例をみよう。

北斎の「神奈川沖浪裏」に描かれた富士は、よく見ると三角形様に描かれています。
これは、まず、東の三角(上図の三角B)の表情と見ることができます。
あるいは、右下に流れる線は吉田大沢の尾根線かも知れません。
  左稜線のわずかの変曲状の線は宝永山の特徴を示しているようにも見えます。

http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami0.html

このような形態の分析から、以下のような結論が導きかれる。
・方角としては真東を中心に、東の方(東南東、東北東まで含む)から見たもの
・富士の左右の稜線の傾きは、ほぼ同一に見える
・陸地が描かれていないのは、 かなり外海に近い浦賀水道辺りか
・舟の種類は不明だが、大量輸送が役割とすれば、海運基地の木更津港から出航した船か

これらの情報から、以下のような結論(仮説)が提示されている。

「木更津と横浜を繋ぐラインよりも、もっと南の浦賀水道の領域、
さらには、三浦半島の先端と房総半島のの先端を繋ぐ、
  浦賀水道と外海との境界における『荒波の神奈川沖である』とした方が面白い」

Kanagawaokimap
http://mohsho.image.coocan.jp/kanagawaokinami0.html

この説の当否はともかく、北斎の心象風景が、西欧の芸術家の感性を射たこと、その心象の形成地点は、富士山から物理的に離れた場所であったこと間違いないだろう。

そしてこのことは、モノを認識する際の、距離とか視角について、重要なヒントを与えているように思う。
人間がモノを見てカタチや色を感じるためには、次の3つの要素が必要である。
 a 対象物
 b 光
 c 人間の目

ヒトは、目に映る外界の中から、自分の関心のあるものしか意識しない。
同じ風景を見ていても、人によって見るもの、見えるものは違っている。
北斎の「神奈川沖浪裏」がインパクトがあるのは、今までにない見え方であるからに違いない。
同時に、「確かにこうも見えるかも知れない」という普遍性があるからであろう。

ところで、モノを見る場合、近くに寄って見る方が良く見えると考えがちである。
しかし、例えば虹の実態は水滴の集合体であるが、虹として見るためには、当然一定の距離をおいて眺めることが必要である。
近くに寄って細かく見れば、虹という現象がより深く理解できるということではない。
一般論として言えば、現場に当事者として参画することはもちろん重要であるが、ときには一歩下がって距離をおいて見なければ見えないこともある、ということである。

福島原発事故の初動において、菅首相(当時)が、現場に行って、状況を確認しようとしたのは、ちょっと考えると現場主義に立った行動のように思える。
しかし、未だ混乱している状況の中で、現場に行って理解できることは限られている。
先ずは全体像を鳥瞰的に把握すべきであったのではないか。
⇒2011年3月14日 (月):現認する情報と俯瞰する情報

多くの要素から構成される複雑な事象、例えば歴史の認識は、個々の歴史資料や歴史的事実を捉えるだけでは不十分であり、それらを統合する大局観が必要になる。
三保松原は、確かに富士山とは距離が離れている。
しかし、その価値を決めるのは、物理的な距離ではなく、富士山を見るのにその距離や視角がどう機能してきたか、それが保全するに足るものであるか否かであろう。

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2013年5月 1日 (水)

徐福公園/紀伊半島探訪(2)

徐福は今から2200年ほど前、秦の始皇帝の命により、日本にやって来たと言われる。
Wikipedia-徐福によれば、次のようである。

司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。

日本では、青森県から鹿児島県に至るまで、徐福に関する伝承が残されている。
徐福ゆかりの地として、佐賀県佐賀市、三重県熊野市波田須町、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡などが知られている。
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(財)新宮徐福協会「徐福公園パンフレット」)

南紀白浜に行ったついでに、速玉大社の近くにある徐福公園を訪ねた。
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公園内には、徐福のお墓や顕彰碑が建っている。
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徐福は、現在のいちき串木野市に上陸し、同市内にある冠嶽に自分の冠を奉納したことが、冠嶽神社の起源と言われる。
徐福はお茶をもたらしたと言われている。
徐福が持ち込んだ中国茶と抹茶用の茶の花粉が受粉して、静岡の藪北種が誕生して煎茶の品種になったと考えられている。

静岡と埼玉は絹の織物が地場産業であるが、徐福は養蚕の技術も伝来させている。
富士山の世界遺産登録対象から外されたということであるが、旧清水市の三保の松原は羽衣伝説で有名である。
⇒2011年10月 9日 (日):三保松原で薪能を観る
絹の透けた着物を織ることができたということであろう。
徐福の一族の女官の着物姿のことを指しているという説もある。

逗子市や葉山町に残る縄文時代末期の遺跡は、陶器や古墳の埋葬方式から観て、徐福たちの居住跡であるといわれる。
遺構から出土した漁具や水深測量の石球は、中国の徐福村の出土品と形状が酷似しているそうである。

徐福が上陸したと伝わる三重県熊野市波田須から2200年前の中国の硬貨である半両銭が発見されている。
波田須駅1.5kmのところに徐福の宮があり、徐福が持参したと伝わるすり鉢をご神体としている。

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