20年という時間の長さ/花づな列島復興のためのメモ(215)
世紀の変わり目の頃、ミレニアムという言葉が流行語のように使われたことがあった。
ミレニアムとは、日本語でいえば「千年紀」、つまり西暦を1000年単位で区切ったものである。
1000年ずつを区切りとし、1千年紀は西暦1年から1000年まで、2千年紀は1001年から2000年まであり、第3ミレニアムが始まるということだった。
生活実感とはあかけ離れたスケールであるから、それが具体的にどういう意味を持つのかは、さまざまな考え方があった。
しかし、新しいミレニアムが始まって間もない2001年9月11日、衝撃的な事件が起きた。
海を渡って放映されたリアルタイムの映像は、新しいミレニアムもただならぬものだろうと印象づけるものだった。
百年紀は、世紀、センチュリーである。
大分身近になってくるが、まだ100年間を生きる人はわずかである。
そういう希少感を狙いにしたのかどうか分からないが、トヨタがネーミングに使っている。
私は乗ったことはないが、Wikipedia-センチュリーでは、以下のような説明が載っている。
トヨタ自動車が主として日本国内で販売する同社の最高級乗用車であって、日本国内の官公庁、企業、富裕層などでの自家用使用でのショーファードリブンカー(運転手が付きオーナーは後席に乗る車)として企画されており、後部座席の快適性に重きを置いた作りになっている。
法人需要が大部分だが、富裕層の自家用車にも少なからず用いられており、特装改造のベース車として霊柩車化されての需要も多い。
それでは十年紀とは?
Wikipedia-10年紀は以下のような説明である。
10年紀(じゅうねんき、十年紀)は、“decade”(英 デケイド、ディケイド)や“decennium”(羅 デケニウム、ディセニウム)の訳語で、紀年を10年単位で区切ったもの。紀年単位の一つ。
西暦における10年紀の区切り方については、世紀や千年紀の区切り方に関する概念と同様である。西暦には0年が存在せず1年よりカウントが始まるため、本来は西暦の下一桁が1〜0の10年間を一つの区切りとする。しかし、–0年代という表現の場合は西暦の下一桁が0〜9の10年間で区切るのが一般的である。例えば、2000年代(英語では2000s)といった場合、2000年から2009年までの10年間を指すが、上述のように西暦を定義通りに区切ると、2001年から2010年までの10年間が一つの括り(10年紀)になる。
そういった違いを認識した上で時代区分が行われていても、受け手の捉え方の違いから欧米などの日本国外ではしばしば混乱を招いている。しかし、日本国内では世紀は一般的であっても、10年紀で西暦を区切る用法は一般的ではなく、10年で時代を区切るのは–0年代での用法となることが多いため、そういった混乱を招くのは希である。また、固有名詞としては〜の十年、旬年と訳されることが多い(例:国際防災の十年、国際防災旬年)。
紀年単位としての用法以外では、アーティストの結成10周年を記念したアルバムや作品集などのタイトルに、10年紀の英語表現であるdecade(ディケイド、デケイド)が使われることも多い。
ちなみに、10年紀の半分の5年間(=5年紀)については英語でlustrum(ラストラム)という表現がある。
確かに英語の授業でdecadeという言葉について学習した記憶がある。
しかし、日常生活で使うことはほとんどない。
それは「10年紀で西暦を区切る用法は一般的ではなく、10年で時代を区切るのは–0年代での用法となることが多いため」であろう。
私の個人史においては、(19)60年代とか70年代といえば、ある時代の空気が甦ってくる。
一般に20年といえば、やはり相当の重みのある時間ではなかろうか。
Jリーグが20年という時を刻んだ。
正直に言って、スタートしたとき、私は、今日のような隆盛を予見できなかった。
サッカーのJリーグは20年前の平成5年5月15日、東京・国立競技場で開幕した。もう20年か、まだ20年か。関係者の思いはさまざまだろう。
ただ、Jリーグの成功は、平成の日本のスポーツ界が行った最大の実験であり、成果であったと評価したい。
・・・・・・
きっかけは昭和60年秋、メキシコW杯アジア最終予選で韓国に敗れた、国立競技場の決戦だった。このままでは未来永劫(えいごう)W杯に出場できないと、日本のサッカー界は2つの目標を掲げた。プロリーグの創設とW杯の招致だった。
当時、日本リーグのスタンドはガラガラで、W杯には出場経験さえなかった。夢のような2大目標は冷笑の的とさえなったが、いずれも実現した。
Jリーグは「百年構想」を掲げて全国に芝生のグラウンドを増やし、地域に根差した、サッカーにとどまらないスポーツクラブを広げることを目標とした。クラブの名称に企業名を入れることを禁じ、初代チェアマンの川淵三郎氏は「独裁者」とまで呼ばれた。
それでも、「青臭い」「空疎」と批判された理念、理想があったからこそ、危機的状況の中でもクラブ数の拡大路線は続いた。そして20年の今がある。
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130519/scr13051903270002-n1.htm
20年前、すなわち1993年といえば、バブル経済の崩壊こそ明らかだったが、まだいつか(近い将来)、ある程度の復活をすると考えていた人が多数派ではなかっただろうか。
この間、日本経済は長期不況にあえいでいたといってよい。
「もんじゅ」が試運転を開始したのが1991年5月。
その間、 発電実績は きわめてわずかなものといってよい。
核燃機構によると一億二百万キロワット時。「もんじゅ」の設計出力は二十八万キロワットですから、フル出力運転の十五日分程度にしかなりません。一般家庭の電力料金を一キロワット時当たり約二十円として「もんじゅ」の発電量を換算すると約二十億円となります。これまで八千億円かけて二十億円分発電した計算になります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-08/03_01.html
まさに「失われた2decades」と言えるのではなかろうか。
明らかに計画倒れ、というか無謀な計画である。
戦艦大和の出航と同じように、「空気」が決めたということであろうか?
Jリーグには、「青臭い」「空疎」と批判された理念、理想があった。
その理念、理想が今日の隆盛を導いた。
わが国のエネルギー政策も、利権の構図から抜け出て、「百年構想」を掲げるべき時ではないか。
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