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2013年4月30日 (火)

主権回復の日とサンフランシスコ講和条約/戦後史断章(11)

4月28日は、「主権回復の日」で、天皇、皇后両陛下が臨席して記念式典が行われた。
第二次世界大戦以来の戦争状態を終結させるためのサンフランシスコ講和条約が、1951(昭和26)年9月8日に日本と連合国との間で調印され、1952年(昭和27)年4月28日に発効したことに由来する。
この条約により、日本は被占領状態に終止符を打ち、独立を回復した。
その意味で、記念すべき慶びの日である。

しかし、沖縄県が復帰したのは、それから約20年後の1972年5月15日のことであった。
「ひめゆりの塔」などで知られるように、もっとも悲惨な体験をした沖縄県のみが復帰が遅れ、かつ現在も基地が集中している。
基地が存在すること自体は、地政学的な判断の結果で止むを得ないことかも知れないが、そのことがさまざまな不条理な事態を招いている。
その不条理をどう軽減し、分かち合うのか?

式典でも沖縄県への配慮が表明された。

 沖縄県から仲井真弘多(なかいまひろかず)知事の代理として出席した高良倉吉(たからくらよし)副知事からは「式辞を聞く限りでは納得したというか、理解できた感じがする」と一定の評価も得られた。
 しかし、沖縄は四月二十八日を日本から切り離された「屈辱の日」と位置付ける。高良氏はこの日に沖縄県宜野湾市で開かれた抗議集会に関し「共感できる」とも述べた。
 安倍政権が式典開催にこだわったのは、野党だった自民党が昨年の衆院選で、保守層の支持を広げようと「四月二十八日を主権回復の日として祝う式典を開催する」と公約したからだ。
・・・・・・
 式典は、自民党がサンフランシスコ講和条約発効六十周年を記念して昨年の開催を計画していたが、当時は民主党政権だったため政府主催で開けなかった経緯がある。首相としては、自民党が政権奪還を果たしたことを誇示する晴れの舞台にするため、開催にこだわったとみられる。
 政府側は当初からある程度の反発は想定していたというが、県議会が全会一致で抗議の決議をするなど、考えていた以上に沖縄の拒否反応は強かった。
 米軍普天間飛行場の移設先としている同県名護市辺野古沖の埋め立て申請を出し、知事の許可を待っている段階でもあり、危機感を持った菅義偉官房長官は今月初めに沖縄入り。関係各所に「祝典ではない。誤解がある」と説明し、必死に火消しに努めたが、祝う要素の有無だけで沖縄の怒りが消える問題ではないことを浮き彫りにした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013042902000111.html

沖縄の現状をみれば、沖縄県民の怒りは当然であろう。
戦後あいまいなままにしてきたツケが、蔽いきれなくなっている。
安倍首相は、戦後レジームからの脱却を旗幟としているが、記念式典は、戦後レジームの矛盾を浮き彫りにしたのではないか。

 「沖縄タイムス」社説は「沖縄の主権回復を問え」という見出しである。沖縄の主権? 「沖縄の戦後史は、主権を失ってしまった住民による主権獲得のための抵抗の歴史だと言っていい」とつづる。
 そうか、同じ「主権」と言っても、安倍さんは「国家主権」のことだし、沖縄の人々にとっては「住民主権」のことなんだ!

http://www.asahi.com/politics/articles/TKY201304300353.html

そもそもは、サンフランシスコ講和条約がムリな形で締結されたのではないか。
日本を含む52カ国が参加したが、ソ連・ポーランド・チェコスロヴァキアの3カ国は調印していない。
台湾(国民党政府)は講和条約を締結したが、中国(共産党政府)は参加を認められなかった。
インドは会議そのものに参加せず、講和条約発効後、自主的に戦争状態の終結を宣告した。
インドネシアは調印したものの批准しなかったし、ビルマは不参加だった。
基本的には西欧主導で、アジアの存在感は薄い。

現在の領土問題もこの条約に起因すると言えるだろう。
千島列島・南樺太に関して、帰属する国家を明記していない。
沖縄などの諸島は米国信託統治下とされたが、尖閣諸島について、中国等が異議を唱えている。

当初のアメリカの対日講和案では、沖縄・北方領土は割譲することになっていたという。
東西冷戦が深刻化する中で、アメリカは日本を西側の一員として位置づけることを急いだのであろう。
結果として、日本は経済発展することができ、日本人の多くは豊かな生活を享受できるようになっている。
そのことは有難いことだったというべきであろうが、その陰に沖縄という存在があることを忘れてはならないだろう。
  

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