存在感の際立った「怪優」・三國連太郎さん/追悼(30)
映画「飢餓海峡」「釣りバカ日誌」シリーズなどで知られる俳優、三國連太郎さんが亡くなった。
14日朝方、急性呼吸不全のため東京・稲城市の病院で息を引き取った。
真骨頂は徹底的な役作り。57年の映画「異母兄弟」では、老人役のために上下10本以上の歯を抜いて挑んだというエピソードはあまりにも有名。メガホンをとった「親鸞・白い道」で87年のカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど、監督としても才能を発揮した。 88年には映画「釣りバカ日誌」に出演、釣り好きの建設会社社長、スーさんをコミカルに演じて新境地を開拓。22年間にわたる人気シリーズとなった。
数々の華やかなロマンスの主だったが、晩年はどこに行くのも友子さんと一緒だった。「僕のマイナス面を補って、今日まで人付き合いさせてくれた」という明るい友子さんに、亡くなる2日前の12日、ふいに「港に行かなきゃ。船が出てしまう」と口走ったという。最後まで心優しいスーさんのまま、三國さんは旅立った。
http://www.sanspo.com/geino/news/20130416/oth13041605060012-n3.html
沼津や伊豆に縁のある人だった。
三国連太郎さんは、少年時代を伊豆半島で過ごし、晩年は一時、沼津市内に自宅を構えた。遺作となった作品も伊豆や沼津を舞台にした映画だった。この土地を愛し、多くの足跡を残した個性派俳優の死に、生前を知る人からは惜しむ声が上がった。
三国さんの自宅は沼津市北部、愛鷹山の中腹の別荘地にあり、沼津市の千本松原や駿河湾、伊豆半島を一望できる。
・・・・・・
傾斜のきつい別荘地内で、散歩は三国さんの日課だったという。別の女性(71)は「奥さんと一緒だったり、一人でつえを突いたり。まるで散歩がここでの仕事だというように毎日歩いていた。道端で休んでいるだけでも立ち姿に威厳があり、さすが俳優だと感じた」と振り返った。
三国さんは、昨年公開された井上靖の自伝的小説を映画化した「わが母の記」に主人公の老父役で出演し、遺作となった。メガホンをとった沼津市出身の原田真人監督(63)は一〇年末、出演を快諾した三国さんと都内で会食。昔の沼津の街の話で盛り上がった。「三国さんは伊豆から沼津に出てきたとき、駅南口にあった松菱デパート(一九五三年開店、七一年閉店)の屋上から眺めた風景が忘れられないと言っていた」。三国さんの最初の都会体験だったらしい。
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20130416/CK2013041602000073.html
確かに松菱という店があった。
屋上の子供遊園地で遊んだ記憶があり、懐かしい名前だ。
『わが母の記』は、わが母校(沼津東高校、旧制沼津中学)の先輩である井上靖原作である。
井上の自伝的作品がであるが、随所に見たことのある風景のある映画だった。
ちなみに監督の原田眞人さんも同じ母校の卒業生である。
⇒2012年6月 3日 (日):『わが母の記』と沼津・伊豆
狩野川に架かる永代橋という橋の袂に、伊豆家という天丼の名店(?)がある。
数年前まで、よく来ていたということを聞いたことがある。
闘病中のエピソードとして、次のようなメモが報道されている。
妻の友子さんは「とてもいい顔をしています。最後まで、きれいでかっこいい人でした」と語り、ときに涙ぐみながら弔問客に応対していた。
友子さんによると、三國さんは闘病中に演技論を残し、メモ帳に赤ペンで「(演技は)再現できない。運命的な『物』である」「コピーできない演技とは経過そのものであったと認知した」「50年目にやっと認知した。(中略)遅かった」などと自筆で書いていた。
昨年5月ごろ、病状が悪化したときに書いたとみられる「ついに終末の刻に逐い詰められたようだ どう闘って生きるか? 連」という走り書きも残されていた。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130416/ent13041606400002-n1.htm
私は『釣りバカ日誌』はバスツアーの車内でしか見たことはないが、西田敏行さんと絶妙のアジのある演技だった。
次のような言葉が遺されている。
安易なマンネリを嫌い、続編やシリーズものへは一切出演しない俳優として知られていたが、「釣りバカ日誌」だけは例外。最終作の台本を読み、こう確信したという。「このせりふを言うために私は今まで出演したのだ」と。
三国さん演じる鈴木会長が会社を去る際、全社員を前にあいさつする。《私は創業者ではあるが、この会社は私のものではない。経営陣のものでもない。…君たち社員のものだ》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130416-00000505-san-movi
どこかの企業の経営者に聞かせたい言葉ではなかろうか。
90歳は天命でもあったのだろう。
合掌。
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