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2013年4月10日 (水)

教科書の聖徳太子像/やまとの謎(85)

週刊誌の記事ではあるが、清水書院の来年度の高校日本史教科書に、<聖徳太子は実在したか>という項目が記載されているらしい。
「週刊ポスト」2013年4月19日号に、『大人だけが知らない「日本の歴史」の新常識』という記事が載っている。
同記事によれば以下のような記述であるという。

『書紀』の記す憲法十七条は冠位十二階、遣隋使の派遣についても、厩戸王(聖徳太子)の事績とは断定できず、後世の偽作説もある

ついに、というか、やっと、というか、高校の教科書でもそういう扱いになってきたのか、と思う。
『日本書紀』の聖徳太子(厩戸王)に関連した記述には、まったく合理的でないようなことが多い。
私の高校時代の日本史の教科書は、坂本太郎氏が書いたものだった。
好学社版だったと思うが、『日本書紀』などは現代語訳すら目にしたことがない高校生は、教科書を疑うことなど露ほどもなかった。
だいたい、教科書を疑っていては受験に間に合わない。
受験には絶対的な納期(タイムリミット)がある。

坂本太郎氏は、日本史のアカデミーにおける頂点に位置していたはずであるが、そんなことも関心の外であった。
坂本太郎氏の一般向けの著書に、『聖徳太子』(人物叢書178)吉川弘文館(7912)がある。
もちろん聖徳太子を実在した人物として扱っている。
きわめて伝統的な聖徳太子像といえよう。

この伝統的な聖徳太子像に、文献史学者として異を唱えたのが大山誠一氏である。
大山氏は、『「聖徳太子」の誕生 』吉川弘文館(1999年4月)等において、「聖徳太子は架空の存在であり、実在しなかった」と主張した。
⇒012年12月25日 (火):天孫降臨と藤原不比等のプロジェクト/やまとの謎(73)

そして、さらにこの異説を一般向けに解説したのが谷沢永一氏だった。
谷沢氏は、評論家であり書誌学者だった。
谷沢氏は、『聖徳太子はいなかった (新潮新書) (2004年4月)でという啓蒙書で、聖徳太子虚構説をあたかもすでに定説になっているかのように論じた。

これを真っ向から批判したのが、美術史家の田中英道・東北大学名誉教授である。
田中英道氏は、『聖徳太子虚構説を排す』PHP研究所(2004年9月)で、聖徳太子虚構説を、トンデモ本に類するものと批判した。
⇒2011年3月19日 (土):谷沢永一氏と聖徳太子論争/やまとの謎(28)

さて、最近の朝日新聞出版「週刊日本の歴史」の03号の「飛鳥時代①蘇我氏と大王家の挑戦」(2013年4月)ではどのように扱われているであろうか?
同号の冒頭に、田中史生(関東学院大学教授)『「聖徳太子」と仏教伝来の実像』という解説が載っている。

 現在の「聖徳太子」のイメージの多くは、奈良時代に成立した『日本書紀』に依拠する。特に、推古即位直後に「厩戸皇子」が皇太子となり、政治を取り仕切ったとする『書紀』の記事は、推古時代のあらゆる政策を「聖徳太子」の事績とする根拠となった。

「聖徳太子」「厩戸皇子」という表記から分かるように、『日本書紀』の記述に潤色が多いという立場である。
たとえば、蘇我馬子と物部守屋の間の崇仏論争も、随所に仏典などを利用した潤色が認められる、としている。
田中史生氏は、「ただ、仏教受容をめぐり倭国支配層の間に葛藤があったことは確かだと、筆者はみる」と書いているが、これだけでは「聖徳太子」像についてどう考えているのか分からない。

田中史生氏は、寺院が従来の氏族組織の論理と全く異なる自律的な組織運営を行っていたとし、寺院における財の所有主体は「仏」と観念され、「仏」には死がないから、寺院も永続的な経営体制、一種の法人経営であった、とする。
そこで、蘇我氏や厩戸は、寺院の法人的な経営が財産を散逸させないで子孫に伝える手段に着目し、王位継承問題と結びついた崇仏論争を決着させ、寺院の建立を始めたとする。
厩戸が「聖徳太子」に潤色されていった背景として、仏教受容の過程があったということである。

田中史生氏は、基本的には、厩戸は実在し、『日本書紀』の記述は多分にフィクションが入っているという点で、大山説と同様である。
その潤色の結果としての「聖徳太子伝説」について、「飛鳥時代①蘇我氏と大王家の挑戦」は以下のように整理している。

1.仏舎利を手に誕生?
2.一度に何人もの話を聞き分ける?
3.予言者の力があった?
4.地球儀を持っていた?
5.仏教の聖人の化身?

「聖徳太子」が一種の共同幻想として作用してきたのは間違いないであろうが、その実像はどう考えたらいいのだろうか?

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コメント

聖徳太子は、日本の歴史の中で、幾つもの伝承を重ねて存在し続けてきた最高の有名人、です。
それなのに、実像と虚像の別は、はっきりしていません。
西洋の、例えばサンタクロースなどは、モデルとなった人物が居た、という説もありながら、本当には居ない、ということを、皆が知っています。
聖徳太子を、只、実在の偉人として、教科書に載せていたことは、消極的、と云うか、杜撰、と云うか、日本人の曖昧性の一端を表わすこと、と云えることかもしれません。

話しは飛躍するかもしれませんが、冤罪事件なども、あらためることは、非常に困難である、ということを、テレビドラマなどで、よく見ます。

成り行きを、只、手をこまねいて傍観していて、そこに誤りがあっても、手も口も出さない、何故か、それが日本の国民の良き姿という観念もあると思います。

投稿: 五節句 | 2013年4月22日 (月) 13時17分

五節句様

こんにちは。
本当に、『日本書紀』の記述を読むと(もちろん現代語訳ですが)、とても実在した人物(自然人)とは思えないようなことを当たり前のように書いていますね。そして、私が学校で教えられたのは、基本的には『日本書紀』に描かれた像のものだったと思います。
それがようやく教科書の扱いが修正されるようです。高額紙幣の顔から姿を消して久しくなりますが、やはり客観的な観点が必要だろうと思います。
聖徳太子には、日本人の一種の共同幻想が反映されていたのだと思います。

投稿: 夢幻亭 | 2013年4月24日 (水) 16時17分

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