樂美術館/京都彼方此方(5)
昨日の佐川美術館に続き、京都市にある樂美術館を訪ねた。
京都市の堀川一条東入るから少し下がった辺りにある。
http://www.raku-yaki.or.jp/museum/access.html
ちょうど「樂歴代名品展 樂家歴代が手本として学んだ伝来の茶碗」という展示だった。
楽美術館の収蔵品は、設立時に先代・十四代覚入氏が寄贈された約1100余点である。
400余年にわたって樂家に蓄積されてきた歴代の作品と茶道具・関係資料である。
樂家各代が、手本とすべく伝えてきたもので、樂焼きのエッセンスである。
たとえば14代(先代)覚入の作品である。
http://www.raku-yaki.or.jp/museum/collection/collection_15.html#01
まったく「わびさび」を形にするとこういうことになるのか、という感じである。
しかし、これに何かを付加して行かなければならないから、樂家に生まれるというのも楽ではない。
まさに「守破離」である。
次代の処女作も展示されていた。
十分に、「新しい樂」を予感させるものと思った。
美術館の隣の樂家(?)にちゃわん屋というのれんが掛かっていた。
樂美術館の近くに、(一条)戻橋がある。
794年の平安京造営のときに架橋された。
橋そのものは何度も作り直されているが、場所は変わっていない。
一条通は平安京の一番北の通りであり、洛中と洛外を分ける橋でもあった。
陰陽師・安倍晴明は、十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、妻がその顔を怖がったので、十二神将を戻橋の下に隠していたという。
高倉天皇の中宮建礼門院の出産のときに、母の二位殿が一条戻橋で橋占を行った。
このとき、12人の童子が手を打ち鳴らしながら橋を渡り、生まれた皇子(後の安徳天皇)の将来を予言する歌を歌ったという。
この童子は、晴明が隠していた十二神将の化身であろうと、『源平盛衰記』に書かれているという。
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