長嶋、松井の国民栄誉賞受賞
今日の静岡新聞の一面トップは、長嶋茂雄、松井秀喜両氏への国民栄誉賞授与であった。
2013年4月2日
この授賞にはいろいろ意見があるようであるが、私としては素直に慶賀したい。
瞬刊リサーチというサイトによれば、両氏への受賞に対する賛否は以下のようである。
・長嶋氏、松井氏とも妥当:25%
・長嶋氏は妥当:57%
・松井氏は妥当:2%
・長嶋氏、松井氏とも妥当でない:18%
http://shunkan-news.com/archives/5552
思えば長嶋氏がジャイアンツに入団した1958年は、私が中学2年生のときである。
私にとっては、脳梗塞の発症とリハビリの先達という意味もある。
⇒2010年10月13日 (水):長嶋茂雄氏のリハビリテーション/闘病記・中間報告(14)
長嶋氏のリハビリの効果が上がれば、脳梗塞の後遺症に苦しむ人にとっての朗報であることは間違いないだろう。
私にとっての長嶋氏の印象は、いきなり金田投手から4連続三振を喫したことが第一である。
さすがにプロは違うと思った。
私が野球に興味を持ち、神社の境内で三角野球(すなわち二塁抜き)に興じていた1950年代前半は、川上哲治氏がまだ全盛期だった。
打撃の神様と呼ばれ、球が止まって見えるなどの逸話を、子供心に剣の達人のようなものだろうと思った。
その川上氏からジャイアンツの4番打者の座を奪ったのが長嶋氏だった。
初戦で4連続三振を喫したものの、間を置かず打ち出す。
長嶋氏の同期の立教大学からは、杉浦忠、本屋敷錦吾の三羽ガラスがプロ野球に入団し、大学野球からプロ野球に人気が移ったころだった。
当時は、セントラルリーグが圧倒的な人気を持っていた。
しかし、私は、南海に入団した杉浦や阪急に入団した本屋敷の方に、学生野球出身者らしい魅力を感じた。
生来の素直ではない性格の故だったのかとも思うが、たとえば、杉浦には次のようなエピソードが遺されている。
稲尾との投げ合いになったある試合で、稲尾が投げた後の1回裏に杉浦がマウンドに行くと、1回表に稲尾が投げたのだから投球の際に踏み込んだ部分はそれなりに掘られているはずなのに、マウンドはきれいにならされていた。杉浦は「初回だからかな?」程度に思っていたという。しかし2回裏、3回裏、それ以降も同様にきれいにならされていて、ロージンバッグもすぐ手の届く位置に置かれていた。「もしや稲尾がならしているのでは?」と感じ、実際にその通りであったため、杉浦は稲尾を「すごいピッチャーだと思った」という。杉浦は「それからはすぐ稲尾に習い真似をしました。しかし私はピンチの後ではついマウンドが荒れていることなど忘れてしまうのですが、彼はたったの1度もマウンドが荒れた状態で私に(マウンドを)渡したことはなかった」と語っている。
Wikipedia-杉浦忠
稲尾の超人的な(神様、仏様、稲尾様と呼ばれた)働きもさることながら、杉浦も入団2年目の年に、38勝4敗(勝率9割5厘)という驚異的な数字を挙げている。
もちろん今とは諸条件が異なり、比較にはならないにしても、想像を絶する成績である。
私にとって第二の長嶋氏の印象は、当時の職場の人たちと一緒に長嶋の引退試合を後楽園球場に見に行ったことである。
どういう話の流れだったかは覚えていないが、比較的自由な、つまり規律がうるさくない職場だった。
伝説的な「長嶋茂雄は今日で引退しますが、巨人軍は永遠に不滅です」という挨拶をナマで聞いた。
周囲の大のオトナがこぞって泣いていたようだった。
ダブルヘッダーが終わって、当時の職場である芝公園まで歩いて帰った記憶があるが、その時間に帰ってから仕事をしたとは思えないし、なぜ帰ったのかも分からない。
数々の語録を残しているユニークなキャラクターは多くの人を惹きつけてきた。
まあ上記の瞬刊リサーチをみても、長嶋氏の受賞には大方が賛成のようである。
松井氏が、長嶋氏を師と仰いでいる。
彼の現役引退という機会に同時授賞をということであろうが、松井氏はもう少し待ってからでも遅くはなかったような気がする。
しかし、「ゴジラ」が戦後という時代のある部分を象徴するとしたら、東日本大震災によって戦後という時代が終わりを告げた時に、「ゴジラ」の愛称で呼ばれた彼が受賞するのも意味があるのかも知れない。
⇒2012年10月21日 (日):ゴジラは何の隠喩なのか?/戦後史(2)
⇒2012年11月 6日 (火):『ゴジラ』論の変容/戦後史(6)
⇒2012年11月 9日 (金):『ゴジラ』映画と社会の変容/戦後史(7)
読売新聞が販促に使うであろうことはウンザリもするけど、まあそんなことは些細なことだろう。
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