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2013年4月

2013年4月30日 (火)

主権回復の日とサンフランシスコ講和条約/戦後史断章(11)

4月28日は、「主権回復の日」で、天皇、皇后両陛下が臨席して記念式典が行われた。
第二次世界大戦以来の戦争状態を終結させるためのサンフランシスコ講和条約が、1951(昭和26)年9月8日に日本と連合国との間で調印され、1952年(昭和27)年4月28日に発効したことに由来する。
この条約により、日本は被占領状態に終止符を打ち、独立を回復した。
その意味で、記念すべき慶びの日である。

しかし、沖縄県が復帰したのは、それから約20年後の1972年5月15日のことであった。
「ひめゆりの塔」などで知られるように、もっとも悲惨な体験をした沖縄県のみが復帰が遅れ、かつ現在も基地が集中している。
基地が存在すること自体は、地政学的な判断の結果で止むを得ないことかも知れないが、そのことがさまざまな不条理な事態を招いている。
その不条理をどう軽減し、分かち合うのか?

式典でも沖縄県への配慮が表明された。

 沖縄県から仲井真弘多(なかいまひろかず)知事の代理として出席した高良倉吉(たからくらよし)副知事からは「式辞を聞く限りでは納得したというか、理解できた感じがする」と一定の評価も得られた。
 しかし、沖縄は四月二十八日を日本から切り離された「屈辱の日」と位置付ける。高良氏はこの日に沖縄県宜野湾市で開かれた抗議集会に関し「共感できる」とも述べた。
 安倍政権が式典開催にこだわったのは、野党だった自民党が昨年の衆院選で、保守層の支持を広げようと「四月二十八日を主権回復の日として祝う式典を開催する」と公約したからだ。
・・・・・・
 式典は、自民党がサンフランシスコ講和条約発効六十周年を記念して昨年の開催を計画していたが、当時は民主党政権だったため政府主催で開けなかった経緯がある。首相としては、自民党が政権奪還を果たしたことを誇示する晴れの舞台にするため、開催にこだわったとみられる。
 政府側は当初からある程度の反発は想定していたというが、県議会が全会一致で抗議の決議をするなど、考えていた以上に沖縄の拒否反応は強かった。
 米軍普天間飛行場の移設先としている同県名護市辺野古沖の埋め立て申請を出し、知事の許可を待っている段階でもあり、危機感を持った菅義偉官房長官は今月初めに沖縄入り。関係各所に「祝典ではない。誤解がある」と説明し、必死に火消しに努めたが、祝う要素の有無だけで沖縄の怒りが消える問題ではないことを浮き彫りにした。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013042902000111.html

沖縄の現状をみれば、沖縄県民の怒りは当然であろう。
戦後あいまいなままにしてきたツケが、蔽いきれなくなっている。
安倍首相は、戦後レジームからの脱却を旗幟としているが、記念式典は、戦後レジームの矛盾を浮き彫りにしたのではないか。

 「沖縄タイムス」社説は「沖縄の主権回復を問え」という見出しである。沖縄の主権? 「沖縄の戦後史は、主権を失ってしまった住民による主権獲得のための抵抗の歴史だと言っていい」とつづる。
 そうか、同じ「主権」と言っても、安倍さんは「国家主権」のことだし、沖縄の人々にとっては「住民主権」のことなんだ!

http://www.asahi.com/politics/articles/TKY201304300353.html

そもそもは、サンフランシスコ講和条約がムリな形で締結されたのではないか。
日本を含む52カ国が参加したが、ソ連・ポーランド・チェコスロヴァキアの3カ国は調印していない。
台湾(国民党政府)は講和条約を締結したが、中国(共産党政府)は参加を認められなかった。
インドは会議そのものに参加せず、講和条約発効後、自主的に戦争状態の終結を宣告した。
インドネシアは調印したものの批准しなかったし、ビルマは不参加だった。
基本的には西欧主導で、アジアの存在感は薄い。

現在の領土問題もこの条約に起因すると言えるだろう。
千島列島・南樺太に関して、帰属する国家を明記していない。
沖縄などの諸島は米国信託統治下とされたが、尖閣諸島について、中国等が異議を唱えている。

当初のアメリカの対日講和案では、沖縄・北方領土は割譲することになっていたという。
東西冷戦が深刻化する中で、アメリカは日本を西側の一員として位置づけることを急いだのであろう。
結果として、日本は経済発展することができ、日本人の多くは豊かな生活を享受できるようになっている。
そのことは有難いことだったというべきであろうが、その陰に沖縄という存在があることを忘れてはならないだろう。
  

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2013年4月29日 (月)

南方熊楠記念館/紀伊半島探訪(1)

南方熊楠記念館は、かねてから是非行きたいと考えていた人物記念館である。
南紀白浜に来たからには、と行ってみた。
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記念館の創立については、以下のように説明されている。

南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星。植物学・菌類学者としてのみならず、民俗学の創始者、19才から14年間アメリカ、イギリスなどへ海外遊学、10数ヶ国語を自由に使いこなし、国内外に多くの論文を発表した。日本に「ミナカタ」ありと世界の学者を振り向かせ、生涯在野の学者に徹した。天文学、鉱物学、宗教学などにも多くの足跡をのこしています。没後、遺族からそのいくつかの資料の寄贈を受け、南方熊楠の遺した偉大な業績と遺徳をしのびその文献、標本類、遭品等を永久保存し、一般に公開するとともに博物学の巨星を後世に伝え、学術振興と文化の進展を目的として昭和40年4月に開館した。
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/info/index.htm

熊楠は、「知の巨人」という形容詞が付けられることが多い。
1867(慶応3)年に、紀州徳川家が治めていた和歌山城下で、金物商の二男として生まれた。
熊楠の名前は、熊野の「熊」と海南市藤白神社のご神木である「楠」からとられたという。
一風変わった名前のように思えるが、この地方では比較的多い名前であると、熊楠自身が語っている。

東京大学予備門を退学後、14年にわたり欧米で独学した。
十数カ国語に通じたといわれ、その研究対象は博物学、民俗学に始まって、天文、地理、歴史、宗教、性愛、超心理現象などに及んだ。
まさに博物学である。

知的才能は幼少の頃から際だっていたようで、9歳の頃には、近所の酒屋から日本最初の百科事典といわれる『和漢三才図絵』借りてきて筆写を始めたという。
3年かけて、12歳までに81冊105巻を写し終えたというから、並の子供ではないことは確かだ。
関心のあるテーマに熱中し、書物を読んで写し取ったり、動植物を観察するために山に入って数日戻らなかったりするということがあったらしい。
その博覧強記ぶりを、民俗学者柳田国男は、「日本人の可能性の極限かと思ひ、又時としては更にそれよりもなほ一つ向ふかと思ふことさへある」と評している。

大阪大学の医学部に、ホルマリン溶液に浸した熊楠の脳が保存されている。
希有の天才の脳は、溝が深くて表面積が普通の人より広く、聴覚性と視覚性の発語中枢と呼ばれる部分がよく発達しているというのが、熊楠の脳を調べた故黒津俊行大阪大学教授の所見である。
しかし、結論的には、「相当優れた脳であることは間違いないが、--南方氏のあの偉大さを直接証拠立てる何物もない」とされている。
そして、報告書には、人間の大脳は、その能力を十分に使いこなされていない、熊楠と凡人との差は努力の違いである、というようなことが記されているという。

1886(明治19)年、熊楠は、横浜港からサンフランシスコに向けて出航する船に乗り込んだ。
東京大学予備門(後の第一高等学校)に進んだが、平均的な成績を求める秀才型の教育に飽きたらず、退学して米国行きを決意したのだった。
1892(明治25)年、大英帝国の都・ロンドンに渡る。ビクトリア朝の末期である。
大英博物館への出入りを許された熊楠は、「ここが自分が望んでいた場所だ。これで勉強ができる」と感動したという。
当時、大英博物館には150万冊の蔵書があったといわれるが、熊楠は、数カ国語にわたる約500冊の書物から、自分の関心のあるテーマについて抜き書きし、そのノート(『ロンドン抜書』)は52冊に及んだ。

熊楠は、トラブルから1900(明治33)年に学半ばにして帰国せざるを得ない事態となってしまった。
1897(明治30)年に、熊楠は中国の革命家孫文と出会う。時に孫文30歳、熊楠29歳であった。
孫文は、1895(明治28)年に広州で起こした武装蜂起に失敗し、アメリカからイギリスに逃れていたのだった。その後、孫文は1911年の辛亥革命により中華民国が成立する過程で、臨時大総統に就任するが、軍事的基盤が弱かったことから、軍閥の袁世凱にその地位を譲る。
1919年には、国民党を創設して、軍閥の打倒と不平等条約の撤廃などを目指すが、1925年に、「革命いまだ成功せず」の言葉を残し、北京で客死した。

帰国した熊楠は、和歌山市から那智勝浦に移るが、そこで熊楠の学問的業績が飛躍的に伸長することになった。
那智山は神域として照葉樹の原生林が残っていて、熊楠の研究にとっては格好のフィールドであった。
那智山麓の離れの借家で、和歌山南部の熊野山中や田辺などで採集した「粘菌」の研究に没頭する。
粘菌が生態系の中で果たしている役割は未だ十分に解明されていないらしいが、動物とも植物とも判別しがたい不思議な生物である。

生態系の中では、動植物などの有機物を地中のバクテリアが分解して無機物に変える。
粘菌は、バクテリアを主食とする生物で、バクテリアの多量発生を抑え、分解の速度をコントロールすると考えられている。
熊楠は、日本における粘菌研究のパイオニアであった。

熊楠の宇宙観・世界観を示すものと言われる「南方曼陀羅」といういたずら書きのような図がある。
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仏教的世界観の中に、当時の科学の論理を部分的に超える論理を見出している、といわれる。
ニュートン力学に代表される自然科学は、因果律の発見を目標としている。
因果律とは、一定の原因と一定の結果との対応関係の必然性を示すものである。
これに対して、仏教では「因縁」という考え方をする。因縁の「因」は因果律の因であるが、「縁」は偶然性を意味している。
「南方曼陀羅」は、物事の変化のありさまを、必然性ばかりではなく偶然性も織り込んで理解すべきことを示している。
偶然性の問題に正面から取り組む量子力学が登場するのは、それからおよそ30年後の1930年代になってからのことである。
あるサイトでは、次のような図で説明していた。
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http://blogs.itmedia.co.jp/businessanatomy/2012/12/post-fa3d.html

1906(明治39)年、西園寺公望内閣の内相原敬によって「神社合祀令」が通達される。
神社は一町村一社を標準に、由緒・財産のない格式の低い神社を、格のある神社に合併せよ、という趣旨である。
明治44年までの5年間で、和歌山県下の神社数は、3,700から600に激減したという。
熊楠にとって、神社を取り巻く自然林は人手の入っていない生物の宝庫であり、研究の場であった。反対運動の急先鋒として意見を発表し、奮闘する。

1918(大正7)年に、神社合祀は廃止されるが、それまでの12年の間に全国で約7万の神社とそのまわりの自然林が姿を消したとされる。
それは、「国」の成り立ちの基盤である「地域」の拠り所が消えたこと、そして身近に存在した多様なな生物種から成る生態系が消えたことをも意味していた。

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2013年4月28日 (日)

脳と言語と思考/知的生産の方法(50)

私たちは、いわゆる五感によってi外界の状況を感受する。
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http://smi-md.at.webry.info/201204/article_10.html

この中で、情報量は圧倒的に視覚が大きなウェイトを占める。
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http://smi-md.at.webry.info/201204/article_10.html

五感は、ヒトに限らず動物もも同じように、あるいはヒト以上に鋭い場合がある。
ヒトが他の動物に対して優越しているのは、五感の直接的な感受性ではない。
第二信号といわれる言語を発達させたことによる。

有名な「パブロフの犬」という実験により、以下のようなことが明らかになった。
犬に餌を与える時、ベルを鳴らしてから餌を与え続けると、ベルを鳴らしただけで唾液を分泌するようになる。
ベルの音に反応して唾液を分泌するのは、後天的に作り出された反応であって、ベルを鳴らすという条件によって生み出される反応である。
これを、条件反射と呼ぶ。

犬の場合には、ベルの音という直接的な刺激に基づく反応であるが、人間の場合には、言語によって形成される反応がある。う
ベルという言葉で、ベルを鳴らすのと同様の反応をする場合がある。
ベルという言葉が信号の信号、つまり第二信号として作用していることになる。
2008年2月16日 (土):外界からの刺激の「意味」

言語は、モノに直接そなわった性質を反映する面もあるが、それとは別個に社会的、歴史的に形作られるという面もある。
第二信号系によって人間は高次の神経活動すなわち知的活動を行うことが可能となった。
動物は本能によって生きているが、人間では本能にかわって、第二信号が行動を制御している。
生命の究極的な目的が「生きる」ことであるとするならば、動物では生きるための具体的方法を本能が設計している。
これに対し、人間では、生きるという目的の認識やそのため方法・手段の認識を第二信号系の作用を通じて行っているのである。

その結果として、人間は抽象的な概念操作ができるようになった。
言語を獲得した結果として、と言うよりも、脳の増強と言語の獲得とは、共進化と言った方が適切かもしれない。
共進化というのは生物学的に正確ではないのかも知れないが、下図のように相互にフィードバックして、というイメージである。
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http://www.jaist.ac.jp/ks/mot/12100.html

岸田秀氏は、『唯幻論論 (岸田秀コレクション) 』青土社(1997年5月)などにおいて、人間はすべての本能が壊れており、幻想(観念)によって行動する動物であると言っている。
外界の刺激に直接反応しないで、第二信号系を駆使して、思考によって事前に様々な想定をするのは、行為の結果が必ずしも期待する結果に直結しないからである。

「思考は行動のリハーサル」と言われるように、あらかじめ行動の結果を予測して、それをもとに行動の判断をすることが、人間に固有の能力といってよい。
「想定外」という言い訳は、思考力不足と同義ではなかろうか。

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2013年4月27日 (土)

牟婁の湯と有間皇子の悲劇/やまとの謎(86)

南紀白浜にやってきた。
大学に入ったばかりの頃、同じクラスになった人たちと4人で、大学の施設を利用したとき以来である。
その頃と違うのは、パンダをウリにしていることであろうか。 まだ、日本古代史に対する関心は全くなかった。
したがって、『万葉集』などにも出てくる「牟婁の湯」の地であることななど、まったく知らなかった。

658年10月、斉明天皇は孫の建皇子を亡くし、傷心を癒すため紀の国の牟婁の湯へ行幸した。
皇太子の中大兄皇子、間人皇女、額田王なども同行した。
そこに、飛鳥の蘇我赤兄から、有間皇子謀反の報が入った。
有間皇子は、藤白坂(和歌山県海南市の南、藤白神社付近から山越えしていく道)に差し掛かり、絞首刑に処せられた。

『万葉集』巻2は、56首の相聞と94首の挽歌から成るが、挽歌は有間皇子からはじまっている。
645(乙巳)年は、中大兄皇子らのクーデターの年である。
むかしは、この年を「大化の改新」としていたが、最近では646年の改新の詔に始まる政治改革を大化の改新と呼んでいることは、「週刊ポスト4月19日号」の『大人だけが知らない「日本の歴史」の新常識』という記事にもあるとおりである。
⇒2013年4月10日 (水):教科書の聖徳太子像/やまとの謎(85)

乙巳のクーデターによって即位したのは孝徳天皇である。
私が学校で歴史を勉強していた頃は、中大兄皇子の主導によると教わったが、実相についてはいろいろな説が出ているようである。
⇒2008年4月 9日 (水):大化改新…⑬異説(ⅰ)論点の鳥瞰

孝徳天皇の子供が有間皇子である。
有間皇子は、斉明天皇の土木工事に対すして人々が反発し、「狂心の溝渠だ。作るはしから自然に壊れる」と誹謗したりする空気の中で、658(斉明4)年謀反を計画する。
しかし、蘇我赤兄の報告により事前に発覚して、処刑されてしまった。
⇒2008年3月12日 (水):天智天皇…③その時代(ⅱ)

どうやら、有間皇子の謀反にも後の大津皇子と同じように、謀略の匂いが漂ってくるが、『万葉集』の編者はそういう人間に対する挽歌をトップバッターに置いた。
たまたまか、権力による謀殺を悼むというような編集意図があったのか。

有間皇子はいかにも悲劇の皇子である。
父の孝徳天皇は、即位年の大化元年12月9日(646年1月1日)に都を難波宮に移すが、中大兄皇子は反対だった。
白雉4年(653年)に都を倭京に戻す事を求めたが、孝徳天皇がこれを聞き入れなかったため、中大兄は勝手に皇族達やほとんどの臣下達をつれて倭京に戻ってしまった。
孝徳天皇の皇后である間人皇女でさえも、である。
失意の中、孝徳天皇は白雉5年10月10日(654年11月24日)に崩御した。

孝徳天皇の死後、有間皇子は政争に巻き込まれるのを避けるために、心の病を装い、療養と称して牟婁の湯に行ったのだった。
しかし、有間皇子に蘇我赤兄が近付き、斉明天皇や中大兄皇子の失政を指摘し、自分は皇子の味方である事を伝えた。
皇子は喜び、斉明天皇と中大兄皇子を打倒するという自らの意思を明らかにしたが、これは罠であった。

蘇我赤兄が有間皇子に近づいたのは、中大兄皇子の意を受けであるといわれる。
赤兄は中大兄皇子に密告し、謀反計画が露見して、有間皇子は捕らえられ、中大兄皇子に尋問された。
有間皇子は「全ては天と赤兄だけが知っている。私は何も知らぬ」と答えたが、翌々日に藤白坂で絞首刑に処せられた。

処刑に先んじて、磐代の地で彼が詠んだ2首の辞世歌が『万葉集』に収録されている。

磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む(2-141)
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(2-142)

私の高校時代以来の愛読書である阿川弘之『雲の墓標』新潮文庫(1958年7月)の冒頭のところに、主人公のに1人が詠んだ歌が出てくる。
京大の学生で『万葉集』を学んでいる学生たちである。
応召の直前、図書館裏の大きな橿の木の下でしゃべりあった時のことである。

真幸くて逢はむ日あれや荒橿の下に別れし君にも君にも

有間皇子の歌に通底しているように思う。
阿川さんの創作ではなくて、『万葉幻視考』集英社(1978年1月)の著者大浜厳比古さんが、学徒徴集の際に詠作したものだという。
⇒2008年5月27日 (火):偶然か? それとも……③『雲の墓標』


不思議な因縁が、牟婁の地に私を誘ったようだ。

それにしても大阪から、特急でも2時間以上かかる。 斉明天皇たちは、何日かけたのだろうか。

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2013年4月26日 (金)

樂美術館/京都彼方此方(5)

昨日の佐川美術館に続き、京都市にある樂美術館を訪ねた。
京都市の堀川一条東入るから少し下がった辺りにある。

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http://www.raku-yaki.or.jp/museum/access.html

美術館に入るエントランス部分である。
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ちょうど「樂歴代名品展 樂家歴代が手本として学んだ伝来の茶碗」という展示だった。
楽美術館の収蔵品は、設立時に先代・十四代覚入氏が寄贈された約1100余点である。
400余年にわたって樂家に蓄積されてきた歴代の作品と茶道具・関係資料である。
樂家各代が、手本とすべく伝えてきたもので、樂焼きのエッセンスである。
たとえば14代(先代)覚入の作品である。
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http://www.raku-yaki.or.jp/museum/collection/collection_15.html#01

まったく「わびさび」を形にするとこういうことになるのか、という感じである。
しかし、これに何かを付加して行かなければならないから、樂家に生まれるというのも楽ではない。
まさに「守破離」である。
次代の処女作も展示されていた。
十分に、「新しい樂」を予感させるものと思った。

美術館の隣の樂家(?)にちゃわん屋というのれんが掛かっていた。
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樂美術館の近くに、(一条)戻橋がある。
794年の平安京造営のときに架橋された。
橋そのものは何度も作り直されているが、場所は変わっていない。
一条通は平安京の一番北の通りであり、洛中と洛外を分ける橋でもあった。Photo_3

陰陽師・安倍晴明は、十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、妻がその顔を怖がったので、十二神将を戻橋の下に隠していたという。
高倉天皇の中宮建礼門院の出産のときに、母の二位殿が一条戻橋で橋占を行った。
このとき、12人の童子が手を打ち鳴らしながら橋を渡り、生まれた皇子(後の安徳天皇)の将来を予言する歌を歌ったという。
この童子は、晴明が隠していた十二神将の化身であろうと、『源平盛衰記』に書かれているという。

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2013年4月25日 (木)

佐川美術館

友人が、紀伊白浜にあるマンションを静養(?)に使え、と言ってくれたので甘えてゴールデンウィークの前半を路用して、白浜まで行くことにした。
どうせなら、途中の道程で、行きたくて行けていないところ、会いたくて会えないままの人等の寄り道をしていこうということになった。

先ずは、守山市にある佐川美術館である。
佐川美術館は、名前の通り、佐川急便が設立母体となっている。
創業40周年記念事業の一環として、1998年3月に開館した。
琵琶湖のほとりに、竹中工務店の設計・施工による瀟洒な建物が建っている。
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http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/outline/

日本画家の平山郁夫氏、彫刻家の佐藤忠良氏、陶芸家の樂吉左衞門氏の作品を中心に展示されている。
いずれも当代の最高峰といえよう。
クリーンアップトリオというところか。

平山郁夫氏は、山梨県の北杜市にある美術館に行ったことがある。
⇒2012年9月 8日 (土):平山郁夫シルクロード美術館と高句麗壁画
佐藤忠良氏の作品は、静岡県立美術館のアプローチの庭園に設置されている。
今回は、特に樂氏の作品に関心があった。

私は茶の湯の道はまったく不案内だが、「一樂二萩三唐津」という言葉くらいは知っている。
そして、茶の湯の作法やマナー的なことには関心がないが、その美意識、特にシンプルに飾りを捨て去った設えとか「見立て」というようなことには興味がある。

「一樂」といっても実物を鑑賞する機会は滅多にない。
美術館に行くしかないだろう。

佐川美術館の樂吉左衞門館の展示は、「[2007-2012年]の軌跡」という企画である。

樂吉左衞門館開館記念展(2007年)より今日までに 開催した樂吉左衞門館での展覧会の軌跡をたどります。
本展では、2000年以降に制作された作品の中から、樂吉左衞門館にて開催した様々な展覧会より選りすぐりの作品を紹介いたします。
・・・・・・
それぞれに異なった作行きの吉左衞門作品の多彩な魅力をお楽しみいただけます。

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http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/plan/2013/04/voyage20072012.html

私ごときがコメントしても意味がないので差し控えよう。
しかし、以下のような説明があって、私にとっては一層意義あるものになった。

「守破離」をコンセプトに、美術館としては珍しい水庭に埋設された地下展示室と、水庭に浮かぶように建設された茶室の2つで構成。樂家の伝統と斬新な造形美を表現するべく、樂吉左衞門氏ご自身が設計創案・監修されました。

茶室は事前予約制ということだったが、余裕があったので頼み込んで入れてもらった。
南ア産の石に畳を埋め込むなどの奇想ともいうべき設えである。
葦が育ち始めで青々と気持ちがいい。
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「守破離」については、若い人たちに、偉そうに言ったばかりである。
先ずはお手本をしっかりと守るようにしよう、その型を自家薬篭中のものにし得たとき、「破」がやってくる、と。
お手本は、ベンチマークということだろう。
そして、ベンチマークは、ブレない軸のために必須の要件だと考える。

 

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2013年4月24日 (水)

イカ釣り漁一斉休業とLED照明/花づな列島復興のためのメモ(211)

「アベノミクス」が急速な円安を招いている。
それは意図したことだから、政府や日銀はさぞかし「してやったり」ということであろう。
しかし、円安がいいとは限らない。

Photo_3 全国漁業協同組合連合会(全漁連)は23日、急激な円安による燃油価格の高騰を受け、加入するイカ釣り漁業者が26、27の2日間、一斉に休漁すると発表した。一斉休漁は2008年以来。政府から一段の支援を引き出すのが狙いで、全漁連などは26日に水産庁を訪れて支援を要請する予定。
 記者会見した全漁連の長屋信博常務理事は「景気浮揚策で円安が進んだ。国の政策による影響は、政策で支援をお願いしたい」と述べ、値上がり分を政府が穴埋めするよう要求。「二十六日の動きを見て、ほかの(魚種の)団体も判断するのではないか」と休漁の動きが広がるとの見方を示した。
 全漁連によると、休漁するのは小型イカ釣り漁船約四千隻。イカ釣り漁は夜間に照明を使うため、コストの約三割を燃料費が占めるが、燃料に使うA重油の価格は昨年十月に一キロリットル当たり約八万円だったが、二十三日現在は推定で九万二千四百円に値上がりした。今の価格が続けば、年間で一隻あたり七十七万円の赤字になるとしている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013042402000112.html

円安が政府の政策によるものだとしても、「値上がり分の補助を」というのは如何なものだろうか。
同じ補助をするにしても、「値上がり分の補助を」というだけでは、一過性で投資的ではない。
できれば、燃料費の高騰に対抗できるような省エネに資することへ支出した方がいい。

イカ釣り漁船等においては、夜間の漁業に水中照明を使用している。
大光量照明が必要になるが、光量が増えればそれだけエネルギー消費量が増えるので、低消費エネルギー化が課題とされている。
LEDはまさに好適な光源であるが、大光量化しようとして高エネルギー化すると、光に変換されなかったエネルギーが熱となり、熱に弱いLEDが故障、短寿命化、発光効率の低下といった問題を引き起こす。
そのため、熱拡散性に優れた材料の開発が待たれていたが、ようやく実用化の段階に入った。
⇒2012年5月23日 (水):節電の夏とグリーンデバイス/花づな列島復興のためのメモ(71)

また、魚の種類によって好みの光の波長が異なる。
Photo_2
http://lumi-system.jp/column/051-20110705.html

魚灯にLEDをつかえば、魚の種類に合わせた波長を選ぶこともできる。
一石二鳥ならぬ一石(半導体)二利(一漁、一省エネ)である。

一斉休漁を、長期的な視点で生かしたい。

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2013年4月23日 (火)

伊豆東部火山帯と大室山さくらの里/花づな列島復興のためのメモ(210)

四川省では2008年に続き、今回の地震である。
地震の起きた四川盆地は、下図のような地形条件である。
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http://worldmap.at.webry.info/theme/90478c86cf.html

つまり、世界の屋根ヒマラヤ山脈に連なるチベット高原に隣接している。
この地形の成因は、プレートの運動である。
Photo_2
http://blogs.yahoo.co.jp/digital_devil0611/5160476.html

インド・オーストラリアプレートが南南西の方向からユーラシアプレートに衝突した結果できたのが、ヒマラヤ山脈であり、チベット高原である。

わが伊豆半島も、かつては南の海上にあったものが、フィリピン海プレートに乗って本州に衝突したといわれている。
Photo_3
http://izugeopark.org/izugeomain/

その結果生まれたのが富士山であり、箱根山である。
規模や形は異なるが、ヒマラヤ山脈と富士山は「同じ」ようなものとも言える。
その富士山周辺で、異変が続いている。
⇒2012年1月31日 (火):活火山・富士山周辺で起きている地震
⇒2012年9月30日 (日):「火山の冬」と富士山噴火の可能性/花づな列島復興のためのメモ(147)
⇒2013年4月 7日 (日):河口湖の水位低下の原因は?/花づな列島復興のためのメモ(205)
⇒2013年4月 8日 (月):箱根の群発地震と富士火山帯の活動/花づな列島復興のためのメモ(206)

富士山麓に生活基盤を置く者にとっては、どうにもきになることである。
地球科学的な営みは、スケールが違うので、日常はなかなか実感しづらい。
何か異変が起きたとき、あるいは起きそうなときに関心の対象になる。

「伊豆半島ジオパーク」は日本ジオパークとして認定され、世界ジオパークの認定を目指している。
Wikipedia・伊豆半島ジオパークでは以下のように解説している。

Photo_4伊豆半島ジオパーク(いずはんとうジオパーク、英: Izu Peninsula Giopark)とは、静岡県の伊豆半島における大地(ジオ)が育んだ貴重な資産を多数備えた地域が、それらの保全と活用によって経済・文化活動を高め、結果として地域振興につなげていく仕組みである。メインテーマは「南から来た火山の贈りもの」で、これは伊豆半島がフィリピン海プレートに載って南から来た火山島であったことに由来する。
2011年3月28日に静岡県伊豆地域13の基礎自治体と県、各種団体、企業、大学などが協力して、「伊豆半島ジオパーク推進協議会」を設立。2012年9月24日に日本ジオパークネットワークへの加盟が認められ、今後は世界ジオパークへの認定を目指す方針である。

伊豆東部には火山の跡が散在している。
東京新聞2013年4月20日に、「伊豆東部火山群・上」という記事が載っていた。
Photo_6

私にとってはなじみの場所だ。
そのランドマークになっているのが大室山で、いつぞやちょうど山焼きをしているところに通りかかったことがある。
全山燃え上がる様子は迫力がある。
Photo_7
http://shizuoka.mytabi.net/izu/archives/omuroyama-yamayaki.php

そのふもとに「さくらの里」がある。
40種3,000本の桜が植栽されている公園である。
4月14日に訪ねてみた。
今年は異常に開花が早かったので、すっかり葉桜になっていた。
Img_28042

予定されていたライトアップも中止だったが家族連れがくつろいでいて気持ちのいい日和だった。

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2013年4月22日 (月)

幻の名車・ミシマ号の復刻/戦後史断章(10)

終戦後の一時期に高性能を誇ったオートバイが三島の地で製造されていた。
ミシマ軽発工業が開発したバイクで、最盛期には年間の生産量が1万台を越えたという。
各種レースでも好成績を収め、「西のホンダ、東のミシマ」と称された。
その名も「ミシマ号」という。

ミシマ軽発工業は過当競争の結果、1954年に倒産。
長男敏之氏により、建設機械メーカー・丸善工業として再生した。
私は前職時代に、同社と縁があって、敏之氏(現会長)にもお世話になったことがある。
同氏は、現在の三島商工会議所の会頭である。

この度、同商議所の本年度事業として、「ミシマ号」を電気バイク化して復刻した。
製造業の新商品開発や技術力向上につなげようと、電気バイクとして復刻した。
食品機械や工作機械、制御板設計などの8事業所が参加し、中古フレームを基に、類似パーツを加工して、8カ月かけて完成させた。

130421 ミシマ号の誕生は一九四八(昭和二十三)年ごろ。「ミシマ軽発工業」創業者の故・諏訪部伊作さんが友人から話を持ちかけられ、航空機エンジン製造の経験をもとに試作した。
・・・・・・
 しかし全国で八十社がひしめいたメーカーの過当競争に敗れ、五四年に倒産。別会社が三年ほどミシマ号を生産したが、製造は通算で十年に満たなかった。
 ミシマ号は地元の製造業者の間で語り草だった。敏之さんの胸に復刻への思いはあったものの、図面もなかった。ある時、三島商工会議所の関係者が、人づてに岩手県二戸市のオートバイ愛好会でミシマ号を保存していると聞き、丸善工業が二〇〇八年に借り受けた。
 昨年七月、復刻プロジェクトをスタート。敏之さんが会頭を務める商議所のメーカーの技術力向上を目的に丸善工業など八社の技術者らは実物を見ながら、部品を加工。電気バイクに見えないようにエンジンの中身をくりぬいてバッテリーを隠し、モーターは工具入れに似せるなどの工夫を凝らした。
 復刻ミシマ号は、全長百九十八センチ、幅七十四センチ、モーター出力六百ワットで原付きバイクに相当。最高速度は五十キロ、一回八時間の充電で三十キロ走行できる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041702000222.html

「ものづくり」は最近人気がないようである。
安倍首相も、楽天の三木谷社長などと親しく、成長戦略に柱としてIT産業を考えているようである。
IT産業は重要であるが、雇用の裾野は狭いのではないか。
やはり「ものづくり」の復興が必要であるように思う。

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2013年4月21日 (日)

四川省の地震/花づな列島復興のためのメモ(209)

四川省でまた大きな地震が起きた。
2008年5月12日にも、死者8万7000人の巨大地震が発生している。
三国志の蜀の地で、劉備玄徳の名前や辛い四川料理で有名である。
私はかつては辛いものが大好きだったが、発症後は食道が過敏になり、刺激物は苦手になった。

震源の近くに、水問題の聖地とも称される都江堰がある。
都江堰は、四川という名前のもとになった4つの川の1つである岷江に設置されており、世界文化遺産に登録されている。

Ws000001_2
http://www.asahi.com/international/update/0420/TKY201304200219.html

四川盆地は,その標高は200―750m程度の盆地であるが、その西側のチベット高原東端部は標高が4,000m以上に達し、その境界は非常に大きな標高差をなしている。
Photo_4
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/science_080526.htm

インドプレートがユーラシアプレートを圧迫してヒマラヤ山脈が形成されたといわれており、元来地質活動が活発な場所である。
⇒2008年5月24日 (土):四川大地震と都江堰
今回も、チベット高原と四川盆地の境界部部の断層帯で大きなズレが生じたのだろう。

Photo_5中国南西部の四川省雅安市芦山県で20日朝に発生した地震は、21日現在で死者・行方不明者が203人、負傷者も約1万1500人に上り、被害規模は拡大している。
マグニチュード(M)6.6の地震は同日午前8時過ぎに発生。被災地は2008年に約7万人が死亡した大地震の震源にも近い。死者の多くは芦山県に集中しており、現地では救助活動が行われているが、道路が狭いことや地滑りなどで救助は難航している。

国際赤十字・赤新月社連盟の関係者は、芦山県の中心部が落ち着きを取り戻しているものの、かなりの量のテントや物資が依然必要だと説明。交通渋滞のため、物資がなかなか届かないと話した。
一方、雅安市の地震当局者は記者団に対し、死者の数が今後急増することはないとの見通しを示したが、一部山間部では被害状況を完全に把握していない場所もあるかもしれないと述べた。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE93K00020130421

レンガでできた家が崩壊している。
建築基準などないのであろうか?
また福島県で地震があったようだ。
なんだかマグマと地殻の動きが活発化しているようで気になる。

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2013年4月20日 (土)

脳の3層構造とコミュニケーション/知的生産の方法(49)

ヒトが生物界の頂点に位置しているのは、組織を形成する能力に負うところが多い。
そして、組織を作り、維持し、発展させていくうえで、コミュニケーションは必須である。
ヒトのコミュニケーションは、他の動物に比べ、質・量ともに格段に優れている。
それは、ヒトの脳の発達による。

ヒトの脳は、大まかに言えば次図のような構造をしている。
3_2
http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/brainscience1.htm

脳の進化は、爬虫類の脳⇒哺乳類の脳⇒人間の脳という順に発達してきた。
脊椎動物の脳は、どの生物でも基本構造はとても似ている。
どの生物の脳も「脳幹」「小脳」「大脳」から成り、違うのはそれぞれの大きさである。
Photo_2
http://www.brain.riken.go.jp/jp/aware/evolution.html

魚類、両生類、爬虫類では、脳幹が脳の大部分を占めている。
脳幹は反射や、えさを取ったり交尾するといった本能的な行動をつかさどっている。
小脳は、小さ な膨らみにすぎない。
大脳も小さく、魚類と両生類では、生きていくために必要な本能や感情をつかさどる「大脳辺縁系」のみである。
大脳辺縁系は、進化的に 古いことから「古皮質」と呼ばれる。
爬虫類では「新皮質」がわずかに出現する。

鳥類や哺乳類になると、小脳と大脳が大きくなる。
特に大脳の新皮質が発達し、「感覚野」「運動野」といった新しい機能を持つようになる。
霊長類では新皮質 がさらに発達して大きくなり、「連合野」が出現し、より高度な認知や行動ができるようになった。

ヒトでは、新皮質が大脳皮質の90%以上を占めている。
脳の進化は、基本構造が変化するのではなく、新しい機能が付け加わるように進化してきた。
つまり、ヒトの脳には生物の進化の歴史が刻まれているのである。

コミュニケーションのために必要な「書く力」「聞く力」「話す力」などは、ヒトの段階で飛躍的に向上した。
しかし、脳の中で一番早く反応するのは、大脳辺縁系の感情を司る扁桃体だそうである。
つまり、論理で納得する以前に、感情が納得しなければ前に進まないということになる。
適切なコミュニケーションのためには、論理が正しいだけでは足りない。
というよりも、論理が正しい前に、感情的に受け入れられるものでなければならないのである。

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2013年4月19日 (金)

辰野金吾設計の東京駅の干支

東京駅は、昨年10月1日に、修復復原工事を終えてグランドオープンした。
Img_28092

南北二つのドーム状の八角形の屋根に干支のレリーフが飾られている。
1945年の東京大空襲で屋根が焼失していたが、八角形の天井の隅に干支のレリーフも復刻された。
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干支は丑、寅、辰、巳、未、申、戌、亥の8つだが、東西南北を示す子(北)、卯(東)、午(南)、酉(西)がいない。
残りはどこにいるか?

その居所が判明したらしい。
佐賀県の国重要文化財「武雄温泉楼門」の4の干支である。
武雄は、辰野の故郷である。

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JR東日本東京支社によると、駅舎に四種の干支がない理由は、当時の資料や記録がなく謎だった。欠けた干支が気になった丸の内駅舎にある東京ステーションホテル社員が三月、楼門を所有する武雄温泉株式会社に「動物の絵はありますか」と問い合わせ、判明した。
 武雄温泉楼門は、丸の内駅舎が完成した翌年の一五年にできた。二階天井の東西南北に、杉板に彫られた四種の干支がある。
 「辰野式」と称される西洋建築で赤れんが造りの東京駅に対し、楼門は和風建築。干支の材質や見た目も異なるが、同社の大宅賢二常務(59)は「東京駅と楼門の完成時期が近く、縁があると感じた」と指摘、関連調査を専門家に依頼することも検討している。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041902000102.html

他愛のないような話だが、機能だけではない建築の「遊び」というものだろう。
「遊び」が減り、ギスギスしている社会だが、ホッとするようなニュースである。

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2013年4月18日 (木)

規制委員会よ、お前もか!/原発事故の真相(69)

7月から、原発の新しい規制基準が施行される。
4月8日に、国会事故調査委員会の黒川清・元委員長らが、衆院の原子力問題調査特別委員会に招致され、事故調査について説明した。
驚くべきことに、国会事故調は昨年7月に調査報告書を国会に提出しているが、国会が、国会事故調の元委員から調査についての説明を直接聞くのは初めてだという。
国会が設置した事故調査委員会であるにも関わらず、である。

黒川氏は、地下貯水槽からの放射性汚染水漏れなど相次ぐトラブルを挙げ「事故は明らかにまだ収束していない」と述べた。
⇒2013年3月20日 (水):福島第一原発の停電事故/原発事故の真相(60)
⇒2013年4月 9日 (火):東電の当事者能力の欠如/原発事故の真相(66)
⇒2013年4月15日 (月):福島第一原発の汚染水は他に対策がないのか?/原発事故の真相(68)

また、東電の隠蔽(?)によってできなかった実地調査も実現していないし、被害者に対する対応も進んでいあい、と政府の対応を批判した。
⇒2013年2月 7日 (木):情報の漏洩と事実の隠蔽/原発事故の真相(56)

国会事故調報告書は、調査結果に基づいた7 つの提言をまとめ、提言の実現に向けた実施計画
を速やかに策定することを国会に求めた。
原子力規制機関の監視を目的とした常設委員会を国会に設置すること、規制機関に対して施策実施状況等について国会への報告義務を課すこと、事業者に対して立ち入り調査権を伴う監査体制を国会主導で構築することなど国会の関与を強化する内容であったが、当の国会にどの程度の積極的なスタンスがあるのか、きわめて心許ない感じである。

また、報告書は規制組織について、次のように批判している。

旧経済産業省原子力安全・保安院や内閣府原子力安全委員会について「電気事業者の虜(とりこ)になっていた」

新組織の規制委は大丈夫だろうか?
現に運転している大飯原発に対して、どのような判断を下すのかが、さしあたってリトマス試験紙として機能するのではなかろうか。
新基準案は4月10日に、原子力規制委員会から示された。

Pk2013041102100047_size0 原子力規制委員会は17日、定例会合を開き、国内で唯一稼働している関西電力大飯原発3、4号機(福井県)が、原発の新規制基準に適合しているかどうかについての事前評価について、規制委と事務局の原子力規制庁が中心となって評価を実施することを決めた。田中俊一委員長は「従来(の審査)は外部専門家に任せすぎて、責任がどっかにいっていた。今回は規制委と規制庁が責任をもってやる」と述べた。
・・・・・・
 新基準では各原発で想定される最大の津波に耐えられる防潮堤の設置や、事故時の対応拠点となる免震重要棟の整備を要求。大飯原発ではまだ未整備だが、田中委員長は事前評価で安全上重要な問題がなければ、次の定期検査に入る9月まで運転を認める考えを示している。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041102000130.html

大飯原発が、7月段階で基準不適合となるのは明らかであろう。
論理的には、運転停止とすべきであろうが、定期検査に入る9月まで、運転を認めるのではないかと言われている。
⇒2013年3月23日 (土):原子力規制委への期待と危惧/原発事故の真相(61)

大飯原発では、作業拠点が完成するのは2015年度中で、関電はそれまでは、代わりの施設として3、4号機の中央制御室の横にある会議室をあてるとしているが、中央制御室は原子炉に近い。
関電は既存の防潮堤を数メートルかさ上げして新基準に対応する考えだが、想定すべき最大級の津波の規模を検討するのはこれからという。
テロや過酷事故の際に通常の制御室とは別に、独立して原子炉を制御・冷却できる「第二制御室」の要求については、5年以内に整備すればよいと猶予期間が設けられた。

 田中氏は「大飯は対策が進んでいる」「(津波よりも)原発の敷地が高い」など予断を持った発言を繰り返す。 十日の記者会見では、一月に「基準を満たしていない場合は、運転を止めてもらう」と発言したことを問われ「どう言ったか覚えていない」とはぐらかし、どんな重大な不適合があれば運転停止を命じるのか問われても「精査してみないと分からない」と述べるにとどまった。
 規制委が自ら決めた新基準。初めて判断を迫られる大飯原発で、例外扱いがまかり通れば、規制委への信頼が大きくゆらぐのは間違いない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041102000130.html

これでは、「規制委員会よ、お前もか!」ということになりかねないのではないか。

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2013年4月17日 (水)

淡路島地震と伊方原発/花づな列島復興のためのメモ(208)

このところ、地震活動が活発化しているようだ。
今日も、三宅島を震源とする地震があった。
富士火山帯が不気味である。
⇒2013年4月 8日 (月):箱根の群発地震と富士火山帯の活動/花づな列島復興のためのメモ(206)

4月13日(土)5時33分頃、淡路島の洲本市を震源として発生した地震は、淡路島地震と命名されたらしい。
マグニチュードは、暫定値ではあるが、気象庁は6.3と発表した。
死者こそ出なかったが、洲本市では、1995年の阪神淡路大震災の時よりも強い揺れを記録し、住宅損壊など当時よりも大きな被害が出た。
Ws000002
Wikipedia・淡路島地震

果たしてこの地震は、どういう原因で起きたのか?
今のところ、今までに知られていない断層が動いた可能性が高いと判断されている。
また、南海トラフ地震との関連性を指摘する専門家もいるようである。

良く知られているように、関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層帯がある。
中央構造線であり、北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼んで区別している。
Photo_2
Wikipedia・中央構造線

中央構造線周囲が活発化しているらしい。
中央構造線は淡路島を横断している。
果たして淡路島地震は、中央構造線と関係があるのだろうか?

Photo_4関東から九州へ、西南日本を縦断する大断層系で、1885年(明治18年)にハインリッヒ・エドムント・ナウマンにより命名される。中央構造線を境に北側を西南日本内帯、南側を西南日本外帯と呼んで区別している。一部は活断層である。
中央構造線の直近には、四国電力の伊方原発(愛媛県伊方町)が立地している。
伊方原発を襲う地震で最も怖いのは、東南海・南海地震ではなく、この伊方沖を走る中央構造線の断層による地震だという。
直下型の強烈な揺れが伊方原発を襲うとしたら・・・・・・

 四国周辺の断層に詳しい高知大理学部の岡村真教授(地震地質学)によると、伊方沖の断層で起こる地震は、マグニチュード(M)8程度が想定される。発生周期は不明だが、「千数百年に1回の間隔で起こっている」と予測する。
  一方、四国電力は伊方沖の断層のうち、沖合8キロの長さ54キロの断層で発生する地震が、伊方原発への影響が最大になると想定する。地震の規模はM7・8で、揺れの強さを示す加速度は最大413ガルを見込んでいる。
・・・・・・
  実際、想定を超える加速度を記録する事態が続いている。東京電力の柏崎刈羽原発は2007年の新潟県中越沖地震で、想定の2・5倍の揺れを記録。東北電力の女川原発も05年の地震で想定を上回った。
  もう一つは震源と原発の距離の近さだ。岡村教授は「伊方原発は地震の発生とほぼ同時に激しく揺れる。四電は揺れを検知すると、自動的に制御棒を挿入して原子炉を安全に停止できるというが、挿入の前にダメージを受ける可能性はないのか」と懸念する。

http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/555/

われわれは、原発の安全性の想定が現実に甘かったということを経験した。
「想定外をなくすには、最悪のケースに備えるのが基本」であるが、四電の想定はどうなのか?
原発の「安全神話」が崩れさった現在、根本から考え直すことが必要だろう。
中央構造線に限らず、日本列島で地震のリスクがない場所などあり得ないのではないか。

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2013年4月16日 (火)

存在感の際立った「怪優」・三國連太郎さん/追悼(30)

映画「飢餓海峡」「釣りバカ日誌」シリーズなどで知られる俳優、三國連太郎さんが亡くなった。
14日朝方、急性呼吸不全のため東京・稲城市の病院で息を引き取った。

 真骨頂は徹底的な役作り。57年の映画「異母兄弟」では、老人役のために上下10本以上の歯を抜いて挑んだというエピソードはあまりにも有名。メガホンをとった「親鸞・白い道」で87年のカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど、監督としても才能を発揮した。 88年には映画「釣りバカ日誌」に出演、釣り好きの建設会社社長、スーさんをコミカルに演じて新境地を開拓。22年間にわたる人気シリーズとなった。
 数々の華やかなロマンスの主だったが、晩年はどこに行くのも友子さんと一緒だった。「僕のマイナス面を補って、今日まで人付き合いさせてくれた
」という明るい友子さんに、亡くなる2日前の12日、ふいに「港に行かなきゃ。船が出てしまう」と口走ったという。最後まで心優しいスーさんのまま、三國さんは旅立った。
http://www.sanspo.com/geino/news/20130416/oth13041605060012-n3.html

沼津や伊豆に縁のある人だった。

Photo_5 三国連太郎さんは、少年時代を伊豆半島で過ごし、晩年は一時、沼津市内に自宅を構えた。遺作となった作品も伊豆や沼津を舞台にした映画だった。この土地を愛し、多くの足跡を残した個性派俳優の死に、生前を知る人からは惜しむ声が上がった。
 三国さんの自宅は沼津市北部、愛鷹山の中腹の別荘地にあり、沼津市の千本松原や駿河湾、伊豆半島を一望できる。
・・・・・・
 傾斜のきつい別荘地内で、散歩は三国さんの日課だったという。別の女性(71)は「奥さんと一緒だったり、一人でつえを突いたり。まるで散歩がここでの仕事だというように毎日歩いていた。道端で休んでいるだけでも立ち姿に威厳があり、さすが俳優だと感じた」と振り返った。
 三国さんは、昨年公開された井上靖の自伝的小説を映画化した「わが母の記」に主人公の老父役で出演し、遺作となった。メガホンをとった沼津市出身の原田真人監督(63)は一〇年末、出演を快諾した三国さんと都内で会食。昔の沼津の街の話で盛り上がった。「三国さんは伊豆から沼津に出てきたとき、駅南口にあった松菱デパート(一九五三年開店、七一年閉店)の屋上から眺めた風景が忘れられないと言っていた」。三国さんの最初の都会体験だったらしい。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20130416/CK2013041602000073.html

確かに松菱という店があった。
屋上の子供遊園地で遊んだ記憶があり、懐かしい名前だ。

『わが母の記』は、わが母校(沼津東高校、旧制沼津中学)の先輩である井上靖原作である。
井上の自伝的作品がであるが、随所に見たことのある風景のある映画だった。
ちなみに監督の原田眞人さんも同じ母校の卒業生である。
⇒2012年6月 3日 (日):『わが母の記』と沼津・伊豆

狩野川に架かる永代橋という橋の袂に、伊豆家という天丼の名店(?)がある。
数年前まで、よく来ていたということを聞いたことがある。
闘病中のエピソードとして、次のようなメモが報道されている。

Photo 妻の友子さんは「とてもいい顔をしています。最後まで、きれいでかっこいい人でした」と語り、ときに涙ぐみながら弔問客に応対していた。
 友子さんによると、三國さんは闘病中に演技論を残し、メモ帳に赤ペンで「(演技は)再現できない。運命的な『物』である」「コピーできない演技とは経過そのものであったと認知した」「50年目にやっと認知した。(中略)遅かった」などと自筆で書いていた。
 昨年5月ごろ、病状が悪化したときに書いたとみられる「ついに終末の刻に逐い詰められたようだ どう闘って生きるか? 連」という走り書きも残されていた。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/130416/ent13041606400002-n1.htm

私は『釣りバカ日誌』はバスツアーの車内でしか見たことはないが、西田敏行さんと絶妙のアジのある演技だった。
次のような言葉が遺されている。

安易なマンネリを嫌い、続編やシリーズものへは一切出演しない俳優として知られていたが、「釣りバカ日誌」だけは例外。最終作の台本を読み、こう確信したという。「このせりふを言うために私は今まで出演したのだ」と。
 三国さん演じる鈴木会長が会社を去る際、全社員を前にあいさつする。《私は創業者ではあるが、この会社は私のものではない。経営陣のものでもない。…君たち社員のものだ》

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130416-00000505-san-movi

どこかの企業の経営者に聞かせたい言葉ではなかろうか。
90歳は天命でもあったのだろう。
合掌。

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2013年4月15日 (月)

福島第一原発の汚染水は他に対策がないのか?/原発事故の真相(68)

土曜日(4月)の朝、関西地方の人は肝を冷やしたのではないだろうか。
震度6弱の地震が、05時半過ぎに発生した。
1995年1月の阪神淡路大震災の時と似たような時間帯のはずである。
私は地震発生時には日本にいず、第一報はクアラルンプールの空港で、新聞記者らしき人の質問で知ったので、臨場感はないのだが。

 住宅の損壊は1200戸を超え、大阪管区気象台によると、最大震度3の余震が16回続いた。震源から遠く離れた場所でも高層ビルなどを大きく揺らすことがある「長周期地震動」も観測。気象庁は洲本、淡路両市について強い順に4~1の4段階中、3番目の強さの「階級2」を発表した。
 淡路市では、市役所駐車場や専門学校のグラウンドで液状化とみられる現象により水や泥が噴き出した。津名漁港付近では約10センチの地盤沈下も起きた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130414/dst13041401030000-n1.htm

肝を冷やしたのは関西人だけではない。
福島第一原発事故の現場は、未だに混乱している。
何よりも相次ぐ高濃度汚染水の漏出が止まらない。

東京電力福島第1原発事故現場で起った汚染水漏れで、廣瀬直己社長はきのう10日(2013年4月11日)、地下貯水池の使用を全面的に断念すると発表した。ポリエチレンを主とした貯水池の造りそのものが適当でなかったということらしい。
専門家によると、水漏れを起こした貯水池は普通のゴミ処理場と変わらない造りだった。「必ず漏れるものだから、それを高濃度汚染水に使うのははじめから間違い」(瀬戸昌之・東京農工大名誉教授)という。

http://www.j-cast.com/tv/2013/04/11172880.html

今頃何を言っているのか。
必ず漏れる構造の貯水池を高濃度汚染水の貯水に使うとは!

汚染水は400トン/日出てくる。
容量の問題で地上にある貯水池だけでは足りない。
⇒2013年4月 9日 (火):東電の当事者能力の欠如/原発事故の真相(66)

東電は、汚染水を入れるための貯水タンクを増強中であるが、綱渡りの状況で、計画に余裕がない。
Photo
東京新聞2013年4月12日

高濃度汚染水の処理ができなくなる非常事態用の移送先タンクの7割がすでに満水だという。
3割でどれくらいもつのだろうか? Photo_3
東京新聞2013年4月14日

容量約一万トンと、小学校のプールにすると二十杯分の非常用タンクは、4号機南側の高台にある。高濃度汚染水はおびただしい放射線を放つため、タンク本体は地中に埋め、内部に水素がたまらないよう排気する配管も備えている。
 原子炉建屋地下は、毎日四百トンのペースで高濃度汚染水が増えている。非常用タンクは、除染装置が使えなくなり、あふれそうになった場合、緊急に移送するため造られた。
 東電は、昨夏の時点では「このタンクの大半は必ず空けておく」と本紙の取材に答えていた。その後、除染装置がフランス製の一系統のみから、米国製と日本製が加わって三系統に増え、長期にわたり汚染水処理が途絶える事態は起きないと判断。処理後の水をためるタンクが乏しくなってきたこともあり、一万トンのうち七千二百トンを処理水の貯蔵に使い始めたという。
 当初の空き容量一万トンがあれば、万が一の場合でも一カ月近くは余裕がある。しかし、現在の容量は三割弱の二千八百トンにまで減っている。これでは一週間分の除染停止しかカバーできない。
 東電の担当者は「現在、建屋地下の汚染水の水位は十分低い。除染装置が三つとも使えなくなったとしても、建屋内に空き容量があるため、一カ月ほどは大丈夫」と強調する。
 ただ、三月には仮設電源盤にネズミが入り込んで同時多発的な停電が発生。使用済み核燃料プールの冷却のほか除染装置の一つも停止した。
 さらに現在、発生中の地下貯水池の水漏れ事故で、池の水を全て地上タンクに移すことになり、タンク事情はさらに悪化。もし増設が追いつかなければ、除染装置自体は動くのに、処理した水の行き場がないため稼働できない事態も十分あり得る。こうした状況が長引けば、建屋地下の高濃度汚染水がまた海に漏出する恐れが出てくる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041402000142.html

非常用タンクの容量は、言ってみれば治水ダムぼ容量のようなものだろう。
空けておいてこそ、いざという場合に機能する。
その容量を平時に使うということは、非常時には使えないということだ。

東電は汚染水対策として、以下を考えているという。
Ws000000_2
東京新聞2013年4月12日

東電の汚染水処理計画は、次から次に破綻している。
何か他に方法がないのだろうか。

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2013年4月14日 (日)

TPPとWindowsXP/花づな列島復興のためのメモ(207)

TPPが具体的に動き出した。
 安倍首相は12日、日本の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に向けた日米間の事前協議で合意し、決着したと発表した。
 米国が日本車にかけている関税の撤廃時期を最大限遅らせることなどが柱で、米政府は近く日本の交渉参加を米議会に通知する。90日間の手続き期間を経た後、日本は7月にもTPP交渉に参加する見通しとなった。
 安倍首相は、主要閣僚会議で「日米の合意は国益を守るものだ。一日も早く交渉に参加して交渉を主導していきたい」とあいさつした。米政府は日本の参加承認を留保していた豪州、ニュージーランド、カナダ、ペルーから日本政府が同意を得られ次第、米議会に通知する。
 焦点となっていた自動車の関税(乗用車2・5%、トラック25%)については、TPP交渉で認められる最も長い期間をかけて撤廃することで決着した。2012年に発効した米国と韓国の自由貿易協定(FTA)では、乗用車は5年、トラックは10年後に米国が関税を撤廃するが、これを上回る時間をかける。

http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/yomiuri-20130412-01060/1.htm
「交渉参加に向けた日米間の事前協議」ということであるが、先行きは果たしてどういうことになるのであろうか?
安倍首相の説明するように、本当に「国益を守るもの」になるのかどうか、どうも不安である。
不安の原因は、TPPというものについて、未だよく分からないことがある。

そもそも、TPPはTrans-Pacific Partnershipの略である。
Trans-Pacificを環太平洋と訳していいのか?

transpacificを辞書で引くと、「on, from the other side of, spanning or crossing the Pacific Ocean」と説明されている。
和訳すれば、太平洋の向こう側の、太平洋を横断して、太平洋をまたいでということになろう。
「環」というのとはニュアンスが異なる。
環太平洋というならば、次のような用例がより相応しいだろう。

an earthquake zone called the Circum-Pan-Pacific Earthquake Belt:環太平洋地震帯という地震頻発地帯

 Trans-Pacific Partnershipというのは、太平洋両岸連携協定と訳すべきだろう。
しかし、実際の交渉参加国は下図のようである。
Tpp2010_11_tpp_sankakoku_1
http://yutakarlson.blogspot.jp/2013/03/tpp.html

まあ、環太平洋というのも間違いないではない気がするが、どうもこの辺りの説明が不十分なような気がする。
不安になる理由は、次のような論説があるからである。
たとえば、中野剛志『TPP亡国論』集英社新書(2011年3月)という書の案内には次のようにある。

TPP(環太平洋経済連携協定)参加の方針を突如打ち出し、「平成の開国を!」と喧伝した民主党政権。そして賛成一色に染まったマス・メディア。しかし、TPPの実態は日本の市場を米国に差し出すだけのもの。自由貿易で輸出が増えるどころか、デフレの深刻化を招き、雇用の悪化など日本経済の根幹を揺るがしかねない危険性のほうが大きいのだ。いち早くTPP反対論を展開してきた経済思想家がロジカルに国益を考え、真に戦略的な経済外交を提唱する。

あるいは、浜田和幸『恐るべきTPPの正体 アメリカの陰謀を暴く 』 角川マーケティング(2011年4月)は次のようである。

2011年、野田首相(菅?)が参加表明したTPP。賛否両論が渦巻いているが、TPPの実態をきちんと説明したものはほとんどない。「TPPはアメリカ政府がアメリカの産業界と一体となり、日本の構造改革を成し遂げようとするために考え出した、アメリカに都合のよい“日本改造計画”に他ならないのである」。その根底には、アメリカの経済・雇用回復のために、日本市場を利用しつくすというアメリカの思惑がある。ならば、日本がTPPに参加すると私たちの生活はどうなってしまうのか。農業問題だけではない、TPPの正体を丁寧に説き明かした一冊である。

これらの書で説かれていることは、安倍首相の説明とは大きく乖離している。
いずれもTPPが話題になり始めた頃の啓蒙書であり、その後状況が変わっているのかも知れない。
しかし、これらの論者が納得したという話も聞こえてこない。

それはともかくとして、不安になる要因の1つとして、マイクロソフト社が「Windows  XP」のサポートを通告したタイミングと重なったことがある。
私もWindowsユーザーである。

現在主に使っているPCは、「Windows  7」であるが、サブというか予備的に使っているものはXPを搭載している。
そして、XPに仕様上の(使用上の)不満があるわけではない。
「Windows 7」マシンも、買い替え時期に「Windows 7」しか売っていなかったから購入しただけで、自分の意志で選択したというわけではない。

Os20130411_ms_01サポート終了まで約1年を切り、移行へのカウントダウンがはじまった「Windows
XP」だが、国内では2000万台以上が稼働していると見られており、今後どのように移行が進んでいくか注目される。
IDC Japanが2012年11月に実施した調査によると、「Windows XP」は、企業や法人において1419万台が稼働。これは全体の3517万台のうち、40.3%にあたり、「Windows 7」の39.9%を上回る割合だ。コンシューマー市場については、4225万台の27.7%にあたる1170万台が「Windows XP」だという。
http://www.security-next.com/039229

報道されているところでは、米国が日本からの輸入車にかける関税は、当面維持されることになった。
また、かんぽ生命保険ががん保険に参入することは、政府が当面認めないとの約束もさせられた。
がん保険は、アメリカの保険会社が強い分野である。
私は農本主義者ではない。
しかし、「食」は生活の基本であるとは思っている。
だから、日本の農家が壊滅するような事態は好ましくないと考える。
事前合意の内容は、多分にアメリカのいいなりのような気がする。
果たして、交渉を「国益を守るもの」にできるのかどうか、不安である。

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2013年4月13日 (土)

アナロジー思考/知的生産の方法(48)

アナロジーといえば、頭に浮かぶのは「比喩」であろう。
たとえば、次のような文脈では、比喩=アナロジーである。

アナロジー(比喩)というのは小説に欠かせないものです。同時に、人に何かを伝える時にもアナロジーを上手く使えば、伝えやすくなります。
例えば、こんがらがったプログラミングのコードを「スパゲティ」と呼ぶのも、アナロジーの一種ですね。

もっとも笑える25のアナロジー(比喩)

比喩は代表的なレトリックであり、以下のように分類される。

直喩
隠喩
  換喩
  提喩
  諷喩

直喩は、「(まるで・あたかも)~のようだ(ごとし、みたいだ)」のように、比喩であることを読者に対し明示している比喩のことである。
「赤ん坊の肌はまるで綿飴のようにふわふわだ」というように。

換喩(メトニミー)は、表現する事柄をそれと関係の深い付属物などで代用して表現する比喩である。
 
 
 例えば、「食卓」は「食事のための卓(テーブル)」の意味。
 そこから転じて、そこに載る食事あるいは料理を指す語でもある。
 「東宮」(皇太子の居所)が、皇太子自身を指す。
 「白バイ」で白バイ隊員(警察官)を指す。
 「霞ヶ関」=日本の官庁。
 「永田町」=日本の国会。

提喩(シネクドキ)は、上位概念で下位概念を表したり、逆に下位概念で上位概念に置き換えたりする比喩である。
具体的には
 あるカテゴリと、それに含まれる個別要素
 全体と、その一部分
 物体と、その材料

諷喩(アレゴリー)は、寓意に使われるようなたとえのみを提示することで、本当の意味を間接的に推察させる比喩である。
「抽象的」なものごとを「具体的」なものに当てはめていうような方法である。
 例えば、小人物に大人物の心はわからないの意を、「燕雀安ぞ鴻鵠)の志を知らんや」といって、悟らせるような使い方である。

よく言われるように、「新しいアイデアは、既にどこかにあるアイデアの組み合わせ」である。
生命は生命からしか生まれない(今のところ)。
同じように、アイデアは既存のアイデアからしか生まれない、ということである。
しかし、ただ単に既存のアイデアを持ってくるだけでは、新規性はない。
また、単に新しいだけでは、価値がない。
特許の要件としていわれるように、新規性&進歩性があってこそ、価値あるアイデア・考えといえよう。
⇒2012年2月27日 (月):ビジネスモデルとビジネスモデル特許/「同じ」と「違う」(43)

それでは、どうやって価値あるアイデア・考えを作り出すか?
往々にして、アナロジーによって思考が閃く。
例えば、ケクレはベンゼン環の構造を夢から考えついたという逸話がある。
ケクレは、ドイツの代表的な化学者の一人であり、ベンゼンの構造の発見者として有名である。

当時、ベンゼンの分子式がC6H6 であることは確認されていたが、その構造は解明されておらず、彼もその構造について非常に悩んでいた。1865年のある日、彼が暖炉のそばでうたた寝をしていると、1匹の蛇が自分の尾をくわえてぐるぐるまわる夢をみた。そのことをヒントにして、6個の炭素原子を1つのリング状の構造にすることを思いついたといわれている。その後、このリング状の構造は、ベンゼン環とよばれ、多くの化学者によってその構造が論議されてきたが、分光学の発達によりその六角環の構造が正しいことが立証された。このとき彼が示したベンゼン環の表し方(ケクレの式)は、有機化学において欠かすことのできない表記法の一つとなっている。
http://www.nararika.com/butsuri/kagakushi/kagaku/benzen.htm
模倣と創造は対立的な概念と考えられがちであるが、模倣と創造は、決して対立的ではない。
要するに、新しい見方によって、価値が生み出されるのではなかろうか。
2011年1月30日 (日):馴質異化と異質馴化/「同じ」と「違う」(27)

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2013年4月12日 (金)

鳥インフルエンザの拡大をどう防ぐか/因果関係論(21)

国際獣疫事務局(OIE、本部パリ)が、中国で死者が出ているH7N9型鳥インフルエンザについて、危機感を示す認識を表明した。
ウイルスに感染した鳥を見分けるのが難しく、対策が「かなり異例な状況」だからという。

 OIEはH7N9型のウイルスについて「家禽(かきん)類に対する病原性は非常に低いが、人に感染すれば重い症状をもたらす可能性がある」と指摘。検査で陽性反応を示した鳥を見ただけでは病気だと全く分からないため、「ウイルスを見つけるのは極めて困難だ」と対策の難しさを認めた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013041200066

鳥インフルエンザは新型ウイルスによるものだが、ウイルスというのは相当に厄介な代物である。
⇒2013年4月 5日 (金):鳥インフルエンザとウイルスの正体

鳥インフルエンザの問題は、2003年に起きたSARSのことを思い出させる。
SARSに比べれば、中国における情報公開はずっと良くなったと言われる。
しかし、どうしても不信感が拭えない。

SARSとは、Sever Acute Respiratory Syndrome(重症急性呼吸器症候群)の略で、最初の症例は、広東省で2002年11月に発見され、中国本土、香港などで感染が拡大した。
AIDS=後天性免疫不全症候群、BSE=牛海綿状脳症など、アルファベットで表記される疾病は、当然新しく発見されたものであるが、当初はその原因や感染のメカニズムなどが不明なため、不気味な感じが拭えない。

ホモ・ファーベルとも言われるように、技術は人間と他の動物を区分けする要素の一つである。
そして、人間の脳は、勝手に活動して創造力を発揮してしまう。
強制的にあるいは自発的に、それを抑制することは不可能なので、技術の発展には限界がない。

新しく発生(発見)されている疾病は、技術発展への反作用という側面があるように感じられる。
例えば、BSEの場合は、草食動物の牛が、肉骨粉を飼料にしたことが原因だとされている。
つまり、食物連鎖という生態系のメカニズムを、人為的にかく乱した結果だろう。

2003年4月14日 CDC(Centers for Disease Control and Prevention:アメリカ疾病予防管理センター)は、SARSの原因とされているコロナウイルスについて、ゲノム配列を決定した。
おもに飛沫感染によって広がるが、飛沫は大きいため、飛ぶ距離は通常1メートル以内とされる。

通常、インフルエンザウイルスは、例えばヒトからヒトへといった同種の間で感染するものである。
しかし、インフルエンザウイルスの性質が変異することによって、ヒトに感染しなかったインフルエンザウイルスが、ヒトへ感染するようになり、さらにはヒトからヒトへ感染するようになる。ヒトに感染しなかったものがヒトの間で感染する位まで大きく変異した(突然変異型の)インフルエンザウイルスのことを新型インフルエンザウイルスという。

英科学誌ネイチャー電子版が、鳥の体内で3種類のウイルスの遺伝子が互いに入り交じってできた可能性があるとの専門家の分析結果を報じた。

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 ネイチャーによると、北京にあるWHOのインフルエンザセンターがウイルスの遺伝子データを公開。日本の専門家などの分析で、8本ある遺伝子のうち、ウイルスの表面の形を決めるH7型とN9型の遺伝子はそれぞれ、欧州からアジアにかけて分布する異なる2種類の鳥インフルエンザのものと極めてよく似ていた。 残りの6本の遺伝子はいずれもアジアに広まっている別の鳥インフルエンザのものとほぼ一致。3種類のウイルスに感染した鳥の体内で遺伝子が入り交じって新たなウイルスができた可能性がある。一方で、豚の体内でウイルス混合が起きたとみる専門家もいる。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130404154529614

鳥インフルエンザの発症例は、次第に増えている。

中国上海市政府は11日、H7N9型鳥インフルエンザに感染した男性(74)が同日死亡したと発表した。上海での死者は6人目。中国では上海、江蘇、浙江、安徽の1市3省で死者10人となった。上海では死亡した男性を含む3人、江蘇省でも男性2人の感染が新たに確認され、国内の感染者は38人に拡大した。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201304/2013041100948

技術の進歩によって、今までにはなかった「新種の心配事」が生まれてくることは不可避だろう。
水俣病の巫覡を繰り返さないためにも、先行指標や予兆をどう見出すか、あるいは環境の異変をどう感知するか、大きな課題といえよう。

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2013年4月11日 (木)

浪江町の現状と将来/原発事故の真相(67)

福島第一原発の事故で福島県浪江町に設定された避難区域が4月1日、放射線量に応じて3区域に再編された。
一部で立ち入りが可能になったが、避難指示は継続される。
Ws000010
http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/information/20130331-OYT8T00487.htm?from=os4

区分は以下の通りである。
(1)町西部の山間部などが原則立ち入り不可の帰還困難区域
(年間累積放射線量50ミリシーベルト超、帰還見込み17年)
(2)中央の平野部が居住制限区域
(20ミリシーベルト超〜50ミリシーベルト以下、16年)
(3)東側海沿いが避難指示解除準備区域
(20ミリシーベルト以下、16年)

浪江町でも、帰還困難区域を除くエリア-人口は多いのに立ち入り禁止だった平地側の区域-が、日中に限って住民が立ち入ることができるようになった。
ただ、汚染土の中間貯蔵施設の設置のめどが立たないなど国の除染計画には遅れが生じている。
しかし、2月末現在、県内にに約14600任、県外に約6500人が避難しているとされる。

すでに2年を経過しているので、若年層を中心に、避難先に定着することを決めた人も少なくない。
原発事故は、個々人の生活を破壊した。
その生活再建は当然東京電力が補償する責を負っているのだろうが、浪江町のように、地域が丸ごと従前の暮らしには戻れない地域、言い換えればコミュニティ崩壊についての補償はどうするのだろうか?

浪江町の現在の様子がgoogleのストリートビューで見ることができる。

 Photo
Google日本法人は3月28日、避難区域に指定されている福島県浪江町のストリートビューを公開した。ストリートビュー撮影は同町の依頼で実現しており、馬場有町長は「ストリートビューで町のありのままの姿を多くの町民の皆さまにお知らせできること、世界に発信できるということをとても、嬉しく思っています」としている。
ストリートビューでは、倒壊した建物がそのままになっている同町のメインストリートなど、無人の町の姿を見ることができる。
東京電力・福島第1原子力発電所事故の影響で、同町の2万1000人の町民は全国に避難を余儀なくされている。「全町民の方から、被災地の現況を知りたいというニーズがある」と同町がGoogleにストリートビュー撮影を依頼し、Googleが「震災の記憶の風化を防ぐ一助となる」として応じた

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1303/28/news124.html

2011年9月2日、、野田内閣発足に伴い経済産業大臣に就任した鉢呂吉雄氏が、「市街地は人っ子一人いない、まさに死の街という形だった」と発言して問題視され、結局は辞任した。
鉢呂氏の舌禍は、他にも「放射能をうつす」というような発言もあったとされるが、「死の街」という表現は、決して失当とはいえないだろう。

浪江町と福島第一原発の位置関係は下図のようである。
Photo_2
http://d.hatena.ne.jp/kmbk12/20110329/1301399928

飯舘村が浪江町と同一の方向にある。
放射性物質の多くが、この北西方向に流れたのである。

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2013年4月10日 (水)

教科書の聖徳太子像/やまとの謎(85)

週刊誌の記事ではあるが、清水書院の来年度の高校日本史教科書に、<聖徳太子は実在したか>という項目が記載されているらしい。
「週刊ポスト」2013年4月19日号に、『大人だけが知らない「日本の歴史」の新常識』という記事が載っている。
同記事によれば以下のような記述であるという。

『書紀』の記す憲法十七条は冠位十二階、遣隋使の派遣についても、厩戸王(聖徳太子)の事績とは断定できず、後世の偽作説もある

ついに、というか、やっと、というか、高校の教科書でもそういう扱いになってきたのか、と思う。
『日本書紀』の聖徳太子(厩戸王)に関連した記述には、まったく合理的でないようなことが多い。
私の高校時代の日本史の教科書は、坂本太郎氏が書いたものだった。
好学社版だったと思うが、『日本書紀』などは現代語訳すら目にしたことがない高校生は、教科書を疑うことなど露ほどもなかった。
だいたい、教科書を疑っていては受験に間に合わない。
受験には絶対的な納期(タイムリミット)がある。

坂本太郎氏は、日本史のアカデミーにおける頂点に位置していたはずであるが、そんなことも関心の外であった。
坂本太郎氏の一般向けの著書に、『聖徳太子』(人物叢書178)吉川弘文館(7912)がある。
もちろん聖徳太子を実在した人物として扱っている。
きわめて伝統的な聖徳太子像といえよう。

この伝統的な聖徳太子像に、文献史学者として異を唱えたのが大山誠一氏である。
大山氏は、『「聖徳太子」の誕生 』吉川弘文館(1999年4月)等において、「聖徳太子は架空の存在であり、実在しなかった」と主張した。
⇒012年12月25日 (火):天孫降臨と藤原不比等のプロジェクト/やまとの謎(73)

そして、さらにこの異説を一般向けに解説したのが谷沢永一氏だった。
谷沢氏は、評論家であり書誌学者だった。
谷沢氏は、『聖徳太子はいなかった (新潮新書) (2004年4月)でという啓蒙書で、聖徳太子虚構説をあたかもすでに定説になっているかのように論じた。

これを真っ向から批判したのが、美術史家の田中英道・東北大学名誉教授である。
田中英道氏は、『聖徳太子虚構説を排す』PHP研究所(2004年9月)で、聖徳太子虚構説を、トンデモ本に類するものと批判した。
⇒2011年3月19日 (土):谷沢永一氏と聖徳太子論争/やまとの謎(28)

さて、最近の朝日新聞出版「週刊日本の歴史」の03号の「飛鳥時代①蘇我氏と大王家の挑戦」(2013年4月)ではどのように扱われているであろうか?
同号の冒頭に、田中史生(関東学院大学教授)『「聖徳太子」と仏教伝来の実像』という解説が載っている。

 現在の「聖徳太子」のイメージの多くは、奈良時代に成立した『日本書紀』に依拠する。特に、推古即位直後に「厩戸皇子」が皇太子となり、政治を取り仕切ったとする『書紀』の記事は、推古時代のあらゆる政策を「聖徳太子」の事績とする根拠となった。

「聖徳太子」「厩戸皇子」という表記から分かるように、『日本書紀』の記述に潤色が多いという立場である。
たとえば、蘇我馬子と物部守屋の間の崇仏論争も、随所に仏典などを利用した潤色が認められる、としている。
田中史生氏は、「ただ、仏教受容をめぐり倭国支配層の間に葛藤があったことは確かだと、筆者はみる」と書いているが、これだけでは「聖徳太子」像についてどう考えているのか分からない。

田中史生氏は、寺院が従来の氏族組織の論理と全く異なる自律的な組織運営を行っていたとし、寺院における財の所有主体は「仏」と観念され、「仏」には死がないから、寺院も永続的な経営体制、一種の法人経営であった、とする。
そこで、蘇我氏や厩戸は、寺院の法人的な経営が財産を散逸させないで子孫に伝える手段に着目し、王位継承問題と結びついた崇仏論争を決着させ、寺院の建立を始めたとする。
厩戸が「聖徳太子」に潤色されていった背景として、仏教受容の過程があったということである。

田中史生氏は、基本的には、厩戸は実在し、『日本書紀』の記述は多分にフィクションが入っているという点で、大山説と同様である。
その潤色の結果としての「聖徳太子伝説」について、「飛鳥時代①蘇我氏と大王家の挑戦」は以下のように整理している。

1.仏舎利を手に誕生?
2.一度に何人もの話を聞き分ける?
3.予言者の力があった?
4.地球儀を持っていた?
5.仏教の聖人の化身?

「聖徳太子」が一種の共同幻想として作用してきたのは間違いないであろうが、その実像はどう考えたらいいのだろうか?

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2013年4月 9日 (火)

東電の当事者能力の欠如/原発事故の真相(66)

東京電力福島第一原子力発電所の地下貯水槽から汚染水が漏出している問題で、移送先でも漏出していることが分かった。。

福島第1原子力発電所の地下貯水槽から放射性物質に汚染された水が漏れていた問題で、移送先の貯水槽から新たに汚染水が漏えいし、高濃度の放射能を検出したと発表した。東電は同日、移送を停止した。
・・・・・・
東電は6日未明、地下貯水槽からの漏えいを発表。8日には広瀬直己社長が茂木敏充経済産業相を訪ね、1)第2貯水槽の水は第1と第6に移送、2)第3の水は水位を低下させる──などの緊急対策をまとめたばかり。今回、移送先の汚染水漏れを受けて9日に緊急会見した東電原子力・立地本部の尾野昌之本部長代理は「地下貯水槽の信頼性が落ちていることは反論のしようがない」と弁明した上で、漏えいの原因については遮水シートに穴が開いた状態の可能性を挙げながら、「まだどうこう言えない」と話した。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE93802T20130409

東電は、当面の対策として、「いまの優先は第1、第2地下貯水槽の水をすべて他に移送して使用停止すること。7つある(地下貯水槽の)うち、使っていない第5、第6も使うことを検討する」などと説明している。
しかし、事故処理を東電主導のままで行っていいのだろうか?
東電は先月20日ごろには、貯水池の水位がじりじり下がり、池の遮水シートの近くで微量の放射性物質も計測しながら、水漏れの予兆を見逃していた。

 Photo
東電の資料によると、問題の貯水池の水位は三月十日前後から不安定になり、二十日ごろには明らかな下降線をたどった。今月五日の公表時には、最高値だった時より0・5%下がっていた。
 東電は遮水シートの内外で放射性物質の濃度も測っている。これまで計測されなかったのに、二十日には、微量ながら放射性物質を計測していた。
 二つの小さな異変を「水漏れの予兆」と疑うべきだが、東電は逆に、水漏れを否定する方向で調査を進めていた。その根拠としたのが塩素濃度だ。
 シートの外側では、処理水に含まれる塩分を検知する塩素濃度も常時、計測している。水が外に漏れていれば上昇するはずの外側の値が、二十日の時点では大きな変化はなかったことから、このときは「水漏れはない」という判断に傾いたという。
 東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は七日の会見で「あらためて整理すると(水位の低下を)確認できるが、日々の作業で認識するのは難しい。危機意識が足りなかった」と述べた。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013040802000118.html

水位にしろ、放射性物質の濃度にしろ、測定データがあるにもかかわらず、見逃していたというのは、どういうことだろうか?
水位が低下し、過去に測定されていなかった物質が測定されたのなら、通常は「?」と思うはずである。
何の疑問も持たなかったとしたら、問題意識がなさ過ぎる。
要するに、当事者意識がない、ということだろう。

気がついていて、隠蔽しようとしたのなら、もっと悪質である。
世の中には、おおやけになることなく闇から闇へ消えていく情報があるだろうと思う。
まさかとは思うが、しばらく隠蔽していれば、「そんなことがあったのか」で済んでしまうかもしれないのだ。

汚染水は400トン/日出てくる。
容量の問題で地上にある貯水池だけでは足りない。
事故がまったく「収束」していないことは、冷却し続けるためのシステムが完成していないことからして明らかであろう。
使用済み燃料といえども、冷却が必要という意味では現役なのだ。

先日は、ネズミ一匹で停電事故である。
⇒2013年3月20日 (水):福島第一原発の停電事故/原発事故の真相(60)
今回の漏水事故の原因箇所も特定できていない。
線量が高く、確認作業ができないのだ。

もはや東電に事故処理の当事者能力があるとは思えない。
そもそもレベル7という最悪の原発事故を起こした失敗企業であり、債務超過企業でもある。
すみやかに破綻処理をして、しかるべきリーダーの下で今後の措置を講ずるべきではないのか。
⇒2012年7月27日 (金):筋の通らない東電の値上げ/花づな列島復興のためのメモ(118)
 

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2013年4月 8日 (月)

箱根の群発地震と富士火山帯の活動/花づな列島復興のためのメモ(206)

箱根が揺れているという。
「天下の険」と謳われている箱根山は、首都圏に最も近い立派な活火山である。
その箱根で、群発地震が起きているという。

箱根山は、富士火山帯に位置する。

Photo_6
http://blog.goo.ne.jp/tetsu7191/e/813b9d4dd4b46b24b053ebf9adcb8ca0

河口湖の水位が低下したり、富士宮市で湧水が噴出したり、富士山周辺で異常現象が相次いでいる。
⇒2013年4月 7日 (日):河口湖の水位低下の原因は?/花づな列島復興のためのメモ(205)

富士火山帯の活動が活発化しているのであろうか?
箱根山が活火山であることは、たとえば大涌谷に行けば実感するだろう。
Ws000004

その大涌谷で、突如として強い縦揺れ地震が発生し、箱根ロープウェイが2時間にわたって緊急停止した。
箱根町役場の話では、駒ヶ岳と仙石原にかけての地域で、直下型地震が群発化してきたようだという。
マグマが上昇しているのではなかろうか?
Photo_5
http://www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/kaseigan1.html

火山列島でもある日本列島は火山の恵みと脅威を併せ体験してきた。
⇒2012年9月30日 (日):「火山の冬」と富士山噴火の可能性/花づな列島復興のためのメモ(147)
また、精神的な慰藉の対象でもあった。
⇒2009年2月 4日 (水):浅間山の癒しと脅威

富士山は日本のシンボルである。
富士火山帯の動向が気にかかる。

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2013年4月 7日 (日)

河口湖の水位低下の原因は?/花づな列島復興のためのメモ(205)

河口湖の水位低下がニュースになっている。
本来はボートでしか行けない六角堂が、徒歩で行けるようになった。
六角堂というのは、下図で赤い丸で囲んだところにあり、普段は島のようになっている。
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http://news.livedoor.com/article/image_detail/7563194/?img_id=4588184
格子窓にはめられた透明なアクリル板1枚が石で割られ、床を支える柱2本が折られていた。
六角堂は、鎌倉時代に日蓮宗の信徒が建立したとされるものであるが、1995年に富士河口湖町が復元した。
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http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130404-OYT1T00445.htm?from=ylist

河口湖水位テレメータ(自動計測器)の異常値が、3月4日にネット配信され、広く知られるようになった。
テレメータを管理する山梨県富士・東部建設事務所吉田支所の担当者コメントは、以下の通りだ。

3月4日に計測器を点検したことが異常数値の原因と思われます。つまり、ネット配信を一時停止しないままテレメータの計測棒を引き抜いたため、急激な水位低下と誤認されるデータが表示されたようです。河口湖では水位の緩やかな低下傾向が続いていますが、その原因は、この冬の降雨量が少なかったためと判断していますし、一日に何mも水位幅が減少するというのはあり得ません。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20130404/Shueishapn_20130404_18172.html

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http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1948.html

果たして水位低下の原因は、冬の降雨量が少なかったためだけなのか?
富士山の火山活動についての取材を続けているジャーナリストの有賀訓氏は、次のように言う。

実は、5年前に河口湖湖底の東西に走る断層沿いに『発熱現象』が起きているのですが、その断層になんらかの動きがあったのかもしれません。今回、河口湖で進行している水位低下の原因は、ほかに可能性がないのなら、南側にそびえる富士山の火山活動にあるとみられるのではないでしょうか.。
http://wpb.shueisha.co.jp/2013/04/04/18172/

富士山の近傍では、最近異常事象が多い。
⇒2012年1月31日 (火):活火山・富士山周辺で起きている地震
⇒2012年9月30日 (日):「火山の冬」と富士山噴火の可能性/花づな列島復興のためのメモ(147)
去年5月、河口湖の湖底から気泡が出ているのが発見されたという話もある。

直径1cmほどの気泡が15秒ほど湧き上がって止まり、数分後、また同じように気泡が上がる、という現象が繰り返し起こった。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1948.html

木村政昭琉球大学名誉教授は、「湖底が温められている。これは、もしかしたらマグマの上昇を示している可能性がある」といい、一昨年の富士宮市の湧水も同じ原因ではないか、とする。

Photo_2
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1948.html

富士山噴火の可能性は切迫しているのだろうか?

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2013年4月 6日 (土)

記号の解釈/知的生産の方法(47)

コミュニケーションもアイデンティティやブランディングと同様に、含意が広い言葉である。
⇒2013年3月19日 (火):アイデンティティ、コミュニケーション、ブランディング/知的生産の方法(45)
はてなキーワード> コミュニケーション をみると、以下のような説明が載っている。

表情やメディア(言葉など)を通じて情報を共有すること。情報を、発し合い、受け取り合いする交わり。

情報のやり取りし、共有することであるが、情報は、一般的には、「発信者から、何らかの媒体を通じて受信者に伝達される一定の意味を持つ実質的な内容のこと」とされる(IT用語辞典)。
つまり、「実質的な内容」は抽象的なものであるので、それを知覚するためには、「何らかの媒体」が必要になるわけである。

「何らかの媒体」によって表現されたものが、記号である。
記号は、狭義には意味を付与された図形のことであるが、広義には文字も含む。
まあ、現在は、アイコンが最も代表的な記号ということになろう。
⇒2013年3月18日 (月):記号(情報)の要件/知的生産の方法(44)

さらに広義には、表現物、ファッション、街、様々な行為やその結果までをも含む。
記号それ自体は、紙の上のインク、造形された物体、空気の振動、光などでしかない。
しかし、人間がこれらを何らかの意味と結び付けることにより、記号として成立する。

記号は、他の記号と共にまとまった集合体となったり、あるいは相互に作用し合ったりして、何かを指し示す。
記号の集合がテキストである。
文字の集合は分かりやすいが、その他の記号についても同様の考え方をすることができる。

記号と意味の対応関係を規定するものをはコードという。
いろいろなテクストに潜むコードを明確にするが、記号分析である。

外界から五感を通じて、外界からの刺激を受けた時、その意味を考えるということは、それを記号として捉えるということである。
都市や建築のように、本来記号としての性格を持っていないと考えられるものでも、それを記号として捉えることによって、そこから新たな意味を抽出することができる。
記号論的に都市をとらえるとは、どういうことか?

都市がわれわれに向けて発信しているさまざまなメッセージを解読することであり、都市を一種のテクストとして読むということである。
文芸評論家の前田愛氏(明治文学が専門)は、都市を構成する記号的要素が文学(成島柳北、樋口一葉など)によっての中にどういう表現されているかを分析している。
都市そのものが発しているメッセージを直接言語化することは難しいが、都市について書かれた文学作品は、都市のさまざまざなメッセージを言語化したものであるから、都市の持っている記号群についての記号であると考えるのである。

この意味で、優れた記号分析を実践したのは名探偵シャーロック・ホームズであった。
以下は、『四つの書名』の中のホームズとワトソンの会話である。

ホームズ:「‥‥きみが今朝ウィグモア街の郵便局に行ったのは観察で判るけれど、きみがそこで電報を打ったと判るのは推理の力でね」
ワトソン:「その通りだ!‥‥しかし、正直な話、どうして判ったんだろう?」
ホームズ:「簡単なことさ。‥‥説明などいらないくらい簡単なことだよ。‥‥僕の観察によれば、きみの靴の甲には赤土が少しついている。ウィグモア街の郵便局の前の歩道は最近敷石をはずして、土を掘り起こしているからね、郵便局に入ろうとすれば、その上を踏まないわけにはちょっとゆかない。そこの土がちょうどそんな赤い色をしているわけで、この界隈には他に例がない。ここまでが観察。あとは推理だね」
ワトソン:「じゃあ、電報はどうして推理したんだろう」
ホームズ:「何でもない。午前中僕はきみの前に座っていたんだから、君が手紙を書かなかったのは判っている。それに、開けたままのきみの引き出しには切手も葉書も十分にあった。となると、郵便局に出かけて、電報を打つ意外の何をするんだろう。よけいな要素を取り除いていけば、残ったものが答えのはずだ」

http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/isej/jise04/pierce.html

状況を読む力は、名探偵の能力に似ているということであろう。

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2013年4月 5日 (金)

鳥インフルエンザとウイルスの正体

中国で流行している鳥インフルエンザが不気味である。

Photo_2 中国で感染、死者が相次ぐ鳥インフルエンザウイルス(H7N9型)で見つかった2カ所の遺伝子変異は、致死率が高いH5N1型ウイルスが哺乳類で飛沫(ひまつ)感染しやすくなる遺伝子変異と共通していることが東京大医科学研究所の河岡義裕教授らの分析で5日、分かった。
 H5N1型の変異は河岡教授らが哺乳類のフェレットを使った実験で解明したが、生物テロに悪用されると懸念する声が米国内で上がり、1年近く研究が止まった経緯がある。
 2カ所の変異が実際にH7N9型の病原性を高めているかは未確認だが、河岡教授は「重症例が知られていないH7N9型で死者が出たことを考えると、哺乳類に感染しやすく、体内で増殖しやすいウイルスが生まれた可能性は否定できない」としている。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130405/bdy13040517570003-n1.htm

鳥インフルエンザとは何か?
Wikipediaには以下のような説明が載っている。

鳥インフルエンザ(英語:Avian influenza, Avian flu, bird flu)とは、A型インフルエンザウイルスが鳥類に感染して起きる鳥類の感染症である。
鳥インフルエンザウイルスは、野生の水禽類(アヒルなどのカモ類)を自然宿主として存在しており、若鳥に20%の感染が見出されることもある[要出典]。水禽類の腸管で増殖し、鳥間では(水中の)糞を媒介に感染する。水禽類では感染しても宿主は発症しない。
家禽類のニワトリ・ウズラ・七面鳥等に感染すると非常に高い病原性をもたらすものがあり、そのタイプを高病原性鳥インフルエンザと呼ぶ。現在、世界的に養鶏産業の脅威となっているのはこのウイルスである。このうちH5N1亜型ウイルスでは家禽と接触した人間への感染、発病が報告されている(但し、感染者はヒト型とトリ型のインフルエンザウイルスに対するレセプターを有していた。いまのところ、一般の人に感染する危険性はきわめて低い)。ヒトインフルエンザウイルスと混じり合い、人間の間で感染する能力を持つウイルスが生まれることが懸念されている。 将来、それが爆発的感染(パンデミック)になりうる可能性がある。

ウイルスは、物質と生物の間といわれる。
そもそも生物とは何か、あるいは生命とは何か、という根源的な質問に答えようとすると意外に困難である。
生命現象には様々な側面があるが、生命の定義に関わる部分は、次の2つと考えられている。
 ①代謝:内部における物質交換と外部との物質のやりとり
 ②遺伝と生殖:同じ型の個体の再生産

そのような性質を持つ最小の単位が細胞である。つまり、生命の最小の単位は細胞であると考えられる。
そして、細胞から構成されるものに生命を認める、というのが一般的である。Photo
山川 喜輝『これならわかる! 生物学』ナツメ社 (2012年7月)

ところが、ウィルスなどは判断が難しい。
ウィルスを生物とするか無生物とするかについて長らく論争があり、いまだに決着していないと言ってもよい。ウィルスは、増殖はするが代謝を一切しない。
ウィルスは代謝を行っておらず、代謝を宿主細胞に完全に依存し、宿主の中でのみ増殖が可能である。
彼らに唯一できることは生物の遺伝子の中に彼らの遺伝子を入れる事である。
厳密には自らを入れる能力も持っておらず、ただ細胞が正常な物質と判別できずウィルスタンパクを増産し病気になる。
これらの違いからウィルスは生物学上、生物とは見做されていない。

生物学者の福岡伸一氏は「ウィルスは生物と無生物の間をたゆたう何者かである」と表現している。
ウィルスの大きさはどれ位か?
細胞と比べたのが下図である。
1
http://www.newkast.or.jp/innovation/archives/researches/yokoyama_project.html

細胞(動物)の直径は、約10~20μm、腸菌等のバクテリアは、約1~2μmに対し、ウイルスの大きさは、約30~100nmで、細胞に比べてウィルスは、はるかに小さい。
私たちは未だよく分かっていない環境の中にいることを、改めて感ずる。

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2013年4月 4日 (木)

佐藤可士和さんの「キレ」と「コク」/知的生産の方法(46)

いま最も目覚ましい活躍をしているクリエーターとして、佐藤可士和さんの名前を挙げても異議を唱える人はほとんどいないだろう。
佐藤さんの名前を初めて目にしたのは、何の雑誌だったかは忘れたが、立川市にある「ふじようちえん」という幼稚園のリニューアルのプロジェクトの紹介記事であった。

同幼稚園の園舎は、ドーナツ型という実にユニークな形をしている。
Photo_4
http://yousakana.jp/?p=1183

数々の賞を受賞しているので有名であるが、設計をしたのが佐藤さんというわけではない。
手塚建築研究所を主宰している手塚貴晴さんと由比さんという夫婦の建築家である。

佐藤さんは何をしたのか?
佐藤 可士和、 齋藤孝『佐藤可士和の 新しい ルール づくり(2013年03月)によれば、建築に関してのコンセプトは、手塚貴晴・由比夫妻が立案した。
「仲間はずれのない空間」ということで、丸くつなげることによって端をなくした。

佐藤さんはその前工程をやった。
つまる、「どういう幼稚園を作るのか」ということで、「園舎自体が巨大な遊具」というものであった。

私は佐藤さんの仕事に興味を抱き、『佐藤可士和の超整理術』日本経済新聞社(2007年9月)を購入して読んだ。
シンプルなデザインのしゃれた体裁の本で、クリエーターの著書らしいと思った。
Photo_5

内容は6章に分かれている。

1章 問題解決のための“超”整理術
2章 すべては整理から始まる
3章 レベル1「空間」の整理術-プライオリティをつける
4章 レベル2「情報」の整理術-独自の視点を導入する

5章 レベル3「思考」の整理術-思考を情報化する
6章 整理術は、新しいアイデアの扉を開く

随所にヒントが散りばめられている。
たとえば下図は、「3章」のプライオリティの説明である。
Photo_6
空間の整理が情報と思考にも当てはまることが分かる。
「断捨離」と言われるが、整理の要諦は捨てることであろう。

そして、整理して捨てるものを決めるのは「キレ」ということであろう。
⇒2013年1月17日 (木):「キレ」の思考と「コク」の思考/知的生産の方法(28)
佐藤さんの仕事は確かに「キレ」を感じるが、必ずしも「キレ」と「コク」が対立するわけではないことを示す事例でもある。
先日、将棋ソフトのボナンザが現役棋士に初めて勝ったというニュースが流れた。

 将棋のプロ棋士5人と5種類のコンピューターソフトによる団体戦「第2回将棋電王戦」の第2局が30日、東京都渋谷区の将棋会館で行われ、後手の佐藤慎一四段(30)が141手で、将棋ソフト「ポナンザ」に敗れた。現役のプロ棋士が公の場で将棋ソフトに負けたのは初めてで、進化し続けるコンピューターソフトの実力を見せつけた。第1局はプロ棋士が勝利しており、これで対戦は1勝1敗となった。
プロ棋士が初敗北=将棋ソフト「ポナンザ」に—電王戦

松田 卓也『2045年問題 コンピュータが人類を超える日廣済堂新書(2012年12月)によれば、コンピュータの進歩は、2045年には、人間を凌駕する知能を獲得すると言われている。
「2045年問題」と呼ばれ、一部では話題になっているようである。
「凌駕する」という意味は、意識や感情面を含めて、ということである。

CPUに使われる半導体の集積度が18カ月で2倍になるという「ムーアの法則」がこの先も成立すれば、ということである、この問題をどう考えるかは人それぞれであろう。
しかし、ルールが決まっている世界では、いずれにせよ時間の問題であることはボナンザが示している。
佐藤さんと齊藤さんが意気投合しているように、これからは「ルールづくり」の力が問われることは必定であろう。

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2013年4月 3日 (水)

クーペリナ化石の国内初発見-栃木県はテキサス州の近くだった?

浅学にして知らなかったが、クーペリナという生物がいたらしい。
2枚の殻を持ち、太古の海底にすんでいたという無脊椎動物である。
その化石が、栃木県佐野市で、日本で初めて見つかったというニュースである。

Photo_2 栃木県佐野市葛生化石館は2日、葛生地区の石灰岩地層から、約2億7000万年前の古生代ペルム紀に生息していた腕足動物の一種、クーペリナ属の化石が見つかったと発表した。
 化石館によると、クーペリナ属の化石発見は国内では初めて。1960年代には米テキサス州西部でも発見されており、化石館は、葛生一帯がかつてテキサス州近くにあったとする説を補強する発見としている。
 佐野市葛生化石館によると、腕足動物は古生代に繁栄した海の生き物で、2枚の殻がある。貝にも似ているが、それぞれの殻の大きさが異なる。その中で、クーペリナ属は熱帯性の浅海に生息したとされ、大きさが微小であるのが特徴だ。
 昨年夏頃、化石に詳しいマニアが石灰岩の塊を化石館に持ち込み、田沢純一・新潟大名誉教授の協力を得て調査を進めてきた。その結果、塊から計13個体を発見した。大きさは約2~2・5ミリだった。
・・・・・・
 葛生地区の石灰岩地層からは多くの化石が見つかっている。一帯は古生代ペルム紀には赤道付近にあり、生物が多い温暖な小島だったとされる。ただ、中国大陸近くだったなどとする説もある。化石館の奥村よほ子学芸員は、「今回、テキサス州西部と同じクーペリナ属の化石が見つかったことで、小島がテキサス州の近くにあったとする説の補強材料になる」と説明した。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20130403-OYT1T00393.htm

地球科学のプレートテクトニクス理論の概要は次のようである。
液体のマントルの上に浮かぶようにして地殻が存在する。
Photo_2
http://www.jma-net.go.jp/sapporo/knowledge/jikazanknowledge/jikazanknowledge1_1.html

地殻は地球の表面で十数枚に別れている。プレートといい、その上に大陸が乗っている。
液体のマントルは非常にゆっくりとではあるが、対流運動をしており、その動きにつれてプレートもほんの少しずつ移動している。
数万年の時間で見れば、大陸も動いているのである。
1960年代後半以降に発展した新しい地球科学では、地球の表面が、何枚かのプレートで構成され、このプレートが、対流するマントルに乗って互いに動いていると説明される。
東日本大震災をもたらしたのも、プレート間の歪みである。
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http://japanshielder.iza.ne.jp/blog/entry/2335472/

Photo
http://pics.livedoor.com/u/nandeya_member/8182971

プレートテクトニクスは現在の定説と言っていいだろう。
私は、大学時代に、竹内均、上田誠也『地球の科学―大陸は移動する (NHKブックス 6)』(6404)を読んで、こんなに面白い学問分野があるのか、といささか興奮したのを鮮明に覚えている。
⇒2011年7月15日 (金):日本人はムー大陸から来た?/やまとの謎(36)

しかし、頭では理解していても、栃木県がテキサス州近くにあったと説明されて、すぐにはピンとこない。
熱心なアマチュアは、岐阜県高山市の化石研究家、三宅幸雄さんという人だが、その功績に拍手を送りたい。
大学教授などの専門家は、細分化された分野に過剰に特化しているのではなかろうか。
そのため、東京大学地震研究所の研究グループが立川断層について、コンクリート構造物とみられる跡を誤って「活断層を確認した」するようなミスを犯すことになる。
「催眠術にかかってしまった」と弁明していたが、「催眠術?」というのが素人の感想ではないだろうか。

むかし、梅棹忠夫が「アマチュア思想家宣言」という文章を書いたことがある。
梅棹のアマチュア精神こそが、彼の飽くなき探求心の源だったのではなかろうか。
⇒2011年7月31日 (日):アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4)

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2013年4月 2日 (火)

長嶋、松井の国民栄誉賞受賞

今日の静岡新聞の一面トップは、長嶋茂雄、松井秀喜両氏への国民栄誉賞授与であった。
Ws000000
2013年4月2日

この授賞にはいろいろ意見があるようであるが、私としては素直に慶賀したい。
瞬刊リサーチというサイトによれば、両氏への受賞に対する賛否は以下のようである。

・長嶋氏、松井氏とも妥当:25%
・長嶋氏は妥当:57%
・松井氏は妥当:2%
・長嶋氏、松井氏とも妥当でない:18%

http://shunkan-news.com/archives/5552

思えば長嶋氏がジャイアンツに入団した1958年は、私が中学2年生のときである。
私にとっては、脳梗塞の発症とリハビリの先達という意味もある。
⇒2010年10月13日 (水):長嶋茂雄氏のリハビリテーション/闘病記・中間報告(14)

長嶋氏のリハビリの効果が上がれば、脳梗塞の後遺症に苦しむ人にとっての朗報であることは間違いないだろう。
私にとっての長嶋氏の印象は、いきなり金田投手から4連続三振を喫したことが第一である。
さすがにプロは違うと思った。

私が野球に興味を持ち、神社の境内で三角野球(すなわち二塁抜き)に興じていた1950年代前半は、川上哲治氏がまだ全盛期だった。
打撃の神様と呼ばれ、球が止まって見えるなどの逸話を、子供心に剣の達人のようなものだろうと思った。
その川上氏からジャイアンツの4番打者の座を奪ったのが長嶋氏だった。

初戦で4連続三振を喫したものの、間を置かず打ち出す。
長嶋氏の同期の立教大学からは、杉浦忠、本屋敷錦吾の三羽ガラスがプロ野球に入団し、大学野球からプロ野球に人気が移ったころだった。
当時は、セントラルリーグが圧倒的な人気を持っていた。
しかし、私は、南海に入団した杉浦や阪急に入団した本屋敷の方に、学生野球出身者らしい魅力を感じた。
生来の素直ではない性格の故だったのかとも思うが、たとえば、杉浦には次のようなエピソードが遺されている。

稲尾との投げ合いになったある試合で、稲尾が投げた後の1回裏に杉浦がマウンドに行くと、1回表に稲尾が投げたのだから投球の際に踏み込んだ部分はそれなりに掘られているはずなのに、マウンドはきれいにならされていた。杉浦は「初回だからかな?」程度に思っていたという。しかし2回裏、3回裏、それ以降も同様にきれいにならされていて、ロージンバッグもすぐ手の届く位置に置かれていた。「もしや稲尾がならしているのでは?」と感じ、実際にその通りであったため、杉浦は稲尾を「すごいピッチャーだと思った」という。杉浦は「それからはすぐ稲尾に習い真似をしました。しかし私はピンチの後ではついマウンドが荒れていることなど忘れてしまうのですが、彼はたったの1度もマウンドが荒れた状態で私に(マウンドを)渡したことはなかった」と語っている。
Wikipedia-杉浦忠

稲尾の超人的な(神様、仏様、稲尾様と呼ばれた)働きもさることながら、杉浦も入団2年目の年に、38勝4敗(勝率9割5厘)という驚異的な数字を挙げている。
もちろん今とは諸条件が異なり、比較にはならないにしても、想像を絶する成績である。

私にとって第二の長嶋氏の印象は、当時の職場の人たちと一緒に長嶋の引退試合を後楽園球場に見に行ったことである。
どういう話の流れだったかは覚えていないが、比較的自由な、つまり規律がうるさくない職場だった。
伝説的な「長嶋茂雄は今日で引退しますが、巨人軍は永遠に不滅です」という挨拶をナマで聞いた。
周囲の大のオトナがこぞって泣いていたようだった。
ダブルヘッダーが終わって、当時の職場である芝公園まで歩いて帰った記憶があるが、その時間に帰ってから仕事をしたとは思えないし、なぜ帰ったのかも分からない。

数々の語録を残しているユニークなキャラクターは多くの人を惹きつけてきた。
まあ上記の瞬刊リサーチをみても、長嶋氏の受賞には大方が賛成のようである。

松井氏が、長嶋氏を師と仰いでいる。
彼の現役引退という機会に同時授賞をということであろうが、松井氏はもう少し待ってからでも遅くはなかったような気がする。
しかし、「ゴジラ」が戦後という時代のある部分を象徴するとしたら、東日本大震災によって戦後という時代が終わりを告げた時に、「ゴジラ」の愛称で呼ばれた彼が受賞するのも意味があるのかも知れない。
⇒2012年10月21日 (日):ゴジラは何の隠喩なのか?/戦後史(2)
⇒2012年11月 6日 (火):『ゴジラ』論の変容/戦後史(6)
⇒2012年11月 9日 (金):『ゴジラ』映画と社会の変容/戦後史(7)

読売新聞が販促に使うであろうことはウンザリもするけど、まあそんなことは些細なことだろう。

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2013年4月 1日 (月)

法隆寺再建・非再建論争の現在/やまとの謎(84)

世界遺産の法隆寺には謎が多い。
「法隆寺の七不思議」はいくつかのバージョンがあるようであるが、梅原猛『隠された十字架―法隆寺論』新潮社(1977年12月)は、以下のように整理している。

〇「古事記」「日本書紀」には何故か法隆寺についての記述が殆ど書かれていない。それは故意に記述をしなかったと考えるべきである。
〇寺の戸籍と云われる「資財帳」は絶対に正確でなければならないが、法隆寺の資財帳には創建当時の事が殆ど書かれていない。奇妙なことである。
〇法隆寺の中門は四間なので、真ん中に柱が立っている。門の中心に柱が立っている造りはどう考えてもおかしい。<とおせんぼ>をしているようである。
〇五重塔の上に鎌が三本固定されてある。そんな所に何故ピカピカ光った刃物があるのだろうか。
〇創建当時の法隆寺には講堂がなかった。つまりその当時の法隆寺は学問寺ではなかった。とすると、一体何の為に建てられた寺だったのだろうか。
〇金堂の中に安置されてある御本尊は、真ん中に釈迦三尊、左に阿弥陀三尊、右に薬師三尊、と並んでいる。まず本尊が三体ある事がおかしい。
〇薬師三尊像は釈迦三尊と全く同じスタイルで印相も脇侍も同一である。又、これらの本尊は法隆寺の建物より古いので、一体どこから持ってきたのか不明である。更に何故この本尊でなければならないのかそれも分からない。
〇釈迦如来の脇侍は通常、文殊菩薩、普賢菩薩、であるが、玉を持っているので薬王菩薩、薬上菩薩である。それでは完全におかしい。
〇釈迦如来の衣服は、如来の服装ではなく、中国北魏時代の帝王の服である。何故そんな衣服を纏っているのか
〇釈迦如来の左手の「与願の印」はこれでは全く意味が違っていまう。小指、薬指、を曲げる印はおかしい。
〇釈迦如来のお顔の眉間に釘が一本突き刺してある。白毫を止めるためのものとは言え常識外れの手法である。
〇光背の図柄は、あたかもめらめらと火炎が立ち上るようなデザインで異様だ。
〇救世観音が安置されてある夢殿は石造りであるが、これは建物そのものが石棺ではないのか。この場所で聖徳太子が思索に耽り、瞑想をした、とあるが、こんな陰気くさい所で出来るものではない。ウソである。
〇救世観音のお顔は、北魏様式の仏面とは言え、その様式を備えた生首(なまくび)をその儘乗せたと云うほかない。とした場合、それは誰の生首なのか。
〇観音菩薩が手に持っているのは通常「宝珠」であるが、ここでは「舎利瓶」になっている。つまり「骨ツボ」である。何故か。
〇光背のデザインは釈迦本尊同様燃え盛る火炎のようだ。
〇この像は1200年間白布に巻かれた秘仏になっていた。その理由は何か。
〇夢殿の屋根の頂点には「露盤宝珠」が載っているがホントは「舎利瓶」。夢殿の屋根の上にはホネが載せてあるという事である。完全におかしい。
〇金堂の中には、御本尊三体、その回りに四天王、建物の内側には壁画が描かれてある。建物が古く、壁画が新しく、その差は約100年くらいある。--とすると、100年間壁画の無い時代があった事になる。そんな事は有り得る事なのだろうか。
〇壁画には、インド女性としての仏画が描かれてある。壁画のテーマはすべて阿弥陀の世界らしいと云う。阿弥陀の世界とは死後の世界の事を指している。すべてが死後の世界、阿弥陀の世界、というのも奇妙ではないか。
〇金堂の一階は九間幅で、二階は四間幅、従って一階と二階を通す「通し柱」はない。上と下は別々の構造である。どうしてこんな無理な建物を作ったのか。

http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/houryuuzi.html

こう数え上げてみれば、まことに奇妙なことが多い寺である。
しかし、その境内に足を踏み入れると、古代から建っている伽藍の雰囲気に、そんなことなどは忘れてしまう。
私も退院した年の秋に、親しい人たちと奈良旅行をした際、欠かせぬ訪問先として法隆寺は全員一致で決まった。
⇒2010年10月26日 (火):聖武天皇の宝剣?/やまとの謎(3)
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朝日新聞出版から、新しく「週刊日本の歴史」の刊行が始まった。
類似のMOOKは既に何種類か出ているが、とりあえず最新号を入手してみた。
03号で「飛鳥時代①蘇我氏と大王家の挑戦」である。
その中に、山岸常人『法隆寺再建・非再建論争はまだ終結していない!?』という記事がある。
「法隆寺再建・非再建論争」については既に触れたことがあるが、邪馬台国論争と並ぶ古代史論争の雄といえよう。
⇒2007年8月30日 (木):若草伽藍の瓦出土
⇒2010年12月26日 (日):「麗し大和」と法隆寺論争/やまとの謎(21)

Wikipedia-法隆寺では、以下のように記述している。

法隆寺ではこの寺は聖徳太子創建のままであるという伝承を持っていた。しかし、明治時代の歴史学者は『日本書紀』の天智天皇9年(670年)法隆寺焼失の記述[2]からこれに疑問を持ち、再建説を取った。これに対して建築史の立場から反論が行われ、歴史界を二分する論争が起こった。再建派の主要な論者は黒川真頼、小杉榲邨(こすぎすぎむら)、喜田貞吉ら、非再建派は建築史の関野貞、美術史の平子鐸嶺(ひらこたくれい)らであった。 

非再建論の主張
法隆寺の建築様式は他に見られない独特なもので、古風な様式を伝えている。薬師寺・唐招提寺などの建築が唐の建築の影響を受けているのに対し、法隆寺は朝鮮半島三国時代や、隋の建築の影響を受けている。
薬師寺などに使われている基準寸法は(645年の大化の改新で定められた)唐尺であるが、法隆寺に使われているのはそれより古い高麗尺である。
日本書紀の焼失の記事は年代が誤っており、推古時代の火災の記事を誤って伝えたものであろう。など
 

再建論の主張
日本書紀の記事は正確である。
飛鳥時代の様式や高麗尺が使われているといっても建設年代の決定的な証拠にはならない。
書物に載っている法隆寺の場所と現在の場所が違う。など
 

論争の過程で、もともと二伽藍併存並存していたものが片方の伽藍が消失したという説(関野、足立康)も提出された。
非再建論の主な論拠は建築史上の様式論であり、関野貞の「一つの時代には一つの様式が対応する」という信念が基底にあった。一方、再建論の論拠は文献であり、喜田貞吉は「文献を否定しては歴史学が成立しない」と主張した。論争は長期に及びなかなか決着を見なかったが、1939年(昭和14年)、聖徳太子当時のものであると考えられる前身の伽藍、四天王寺式伽藍配置のいわゆる「若草伽藍」の遺構が発掘されたことで、再建であることがほぼ確定した。また「昭和の大修理」で明らかになった新事実(現在の法隆寺に礎石が転用されたものであること、金堂天井に残されていた落書きの様式など)もそれを裏付けている。
2004年12月、若草伽藍跡の西側で、7世紀初頭に描かれたと思われる壁画片約60点の出土が発表された。この破片は1000度以上の高温にさらされており、建物の内部にあった壁画さえも焼けた大規模な火事であったと推察される。壁と共に出土した焼けた瓦は7世紀初頭の飛鳥様式であり、壁画の様式も線の描き方が現法隆寺のものより古風であるという。出土した場所は、当時深さ約 3m ほどの谷であったところで、焼け残った瓦礫としてここに捨てられたと見られている。実際に焼失を裏付ける考古遺物が多数発見された。

「週刊日本の歴史」の山岸氏の文章もこのような経緯を紹介しているが、論点を次のように整理している。
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現在の焦点は年輪年代法による使用木材の伐採年の位置づけであろう。
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上記写真の五重塔心柱は594年、金堂の一部部材は660~670年頃に伐採されたと推測されている。
『日本書紀』の天智9年(670)年の「一屋無余」焼失との整合性をどう考えるか?
そもそも天智紀の記述はどこまで信頼していいのか?

若草伽藍と現在の伽藍の敷地があまり重なり合っていないことから、現在の伽藍は若草伽藍が存在している時期に建設が開始されたのではないかと考える研究者も存在する(Wikipedia)というが果してどうだろうか?
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いわゆる「九州王朝説」の人たちは、筑紫から移建されたと考えている。
果してどうであろうか?

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