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2013年3月

2013年3月31日 (日)

総選挙無効判決をどう考えるか/花づな列島復興のためのメモ(204)

1票の格差をめぐって、広島高裁が25日、小選挙区の区割りを「違憲」と判断し、広島1、2区の選挙を無効とした判決を下した。
⇒2013年3月26日 (火):衆院選無効の高裁判決/花づな列島復興のためのメモ(202)
この判決について、産経新聞が毎日新聞の社説に異を唱えている。

毎日新聞は26日付の社説で、「警告を超えた重い判断」の見出しで、大要、次のように論じた。

 選挙無効の判断は、過去の国政選挙の1票の格差をめぐる裁判で高裁・最高裁を通じて初めてだ。
 憲法が要請する投票価値の平等に基づいて実施されなかった選挙で選ばれた衆院議員に正当性はない。判決はそう言っているのに等しい。
 裁判所はこれまで「違憲」の判断をした場合でも、混乱を回避するため「事情判決の法理」を適用し、選挙を有効としてきた。
 広島高裁が過去の例にならわなかったのはなぜか。最高裁は11年3月の大法廷判決で「選挙区間の人口の最大格差は2倍未満が基本」とした法律の区割り基準について合理的との見解を示し、1票の格差が最大2・30倍だった09年選挙は「違憲状態」との結論を導いた。だが、昨年12月の選挙時点で格差は2・43倍に拡大。格差2倍以上の選挙区も09年選挙の45選挙区から昨年は72選挙区に激増していた。
 高裁判決は、こうした状態を招いた国会の対応はもはや許されないと判断したのだ。最高裁判決から1年半が経過した昨年9月が是正のタイムリミットだったと結論づけ、「民主的政治過程のゆがみの程度は重大で、最高裁の違憲立法審査権も軽視されている」と強く警告した。国会は率直に批判を受け止めるべきだ。
 最高裁で無効判決が確定すれば、訴訟対象の衆院議員は失職する。失職議員が関与して成立した法律は有効なのか。そんな疑問も湧く。 「違憲状態」だった小選挙区の1票の格差是正がないまま実施された昨年12月の衆院選広島1、2区について、広島高裁が「違憲・選挙無効」の判決を言い渡したのだ。
 さらに根本的な問いかけもある。他の議員も「違憲状態」で選出された点は同じだ。ならば再投票は失職議員の欠員補充だけで足りるのか。解散して全議員を選び直すのが筋だとの意見も出てこよう。
 広島高裁判決は、混乱を避けるため、無効の効果は今年11月26日を経過して発生するとした。最高裁が85年に「違憲」判断をした際、当時の寺田治郎裁判長らが補足意見で示した見解を援用したもので、定数是正に一定の猶予期間を与えたものだ。

http://mainichi.jp/opinion/news/20130326k0000m070082000c.html

これに対し、産経新聞の高橋昌之氏が次のように批判している。

 「安倍政権」という文言は使っていませんが、事実上は「安倍政権が今後成立させる法律は有効なのか」、つまり「安倍政権に正当性はあるのか」と言っているのに等しいわけです。
 ひとつの高裁の判決をもって、最高裁で判決が確定してもいない段階で、政権の正当性にまで踏み込んで言及するのは、新聞の社説として議論が飛躍しすぎており、適切と言えるでしょうか。毎日新聞は安倍政権がお嫌いなのかもしれませんが、今回の衆院選無効判決を利用して、安倍政権にダメージを与えようという政治的思惑を感じざるをえません。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130331/elc13033114090000-n1.htm

つまり、高橋氏は、毎日新聞社説の「解散して全議員を選び直すのが筋だとの意見も出てこよう」の部分を全体の結論として、これは「安倍政権にダメージを与えようという政治的思惑」だと論難しているのだ。
客観的に見て、これは誤読というべきであろう。
毎日新聞社説の「筋だとの意見出てこよう」の「も」が付いているのを無視している。

高橋氏は、「事情判決の法理」をその論拠としている。

国政選挙の無効を求める訴訟では、違憲でも公益に重大な障害が生じる事情がある場合に無効を回避できる「事情判決の法理」を適用するのが通例だからです。

そもそも「事情判決の法理」というのは、公益を著しく害するという場合の緊急避難的措置と考えるべきである。
すでに「違憲」ということが指摘されて久しい。
「事情判決の法理」の限界を越えたというのが今回の判決の意義だろう。
⇒2013年3月 7日 (木):国会は違憲状態をいつまで続けるのか?/花づな列島復興のためのメモ(197)

産経新聞がいくら安倍政権支持だとはいえ、これでは衣の下から鎧が見える。
もっとも、安倍首相は、夏の参院選に合わせて、衆参同時選挙をする気かもしれないが。

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2013年3月30日 (土)

避難生活のストレス/原発事故の真相(65)

災害により住み慣れたわが家から離れて避難生活を送ることには、筆舌に尽くしがたいストレスがかかる。
私は幸いにしてそのような災害に遭ったことはないが、自宅を離れて生活したことはある。
入院生活である。

脳梗塞を発症して救急車で搬送された急性期の病院における入院生活は、ほとんどワケも分からないうちに始まり、あっという間に過ぎた。
回復期に転院したリハビリ専門病院は、人里離れた山奥に立地していた。
ここには4か月半ほど滞在(?)した。
急性期と併せて約160日であったが、終わりごろには、入院生活が耐え難い様子が家族にはよく分かったようである。

私自身は、転院当初はせいぜい1か月程度長くても2か月でシャバに復帰できると考えていたので、転院時の関係者のカンファレンスで、「目標3か月」と言われた時には、「そんなに長く・・・」という気がした。
しかし、途中で考えが変わり、制度的に入院可能なギリギリの期限まで入院リハビリしたいと考えるようになった。
自分で考えていたより回復しないことを、自分の身体で思い知ったこともあるし、自宅では思うようなリハビリ訓練を続けられないという話を聞いていたこともある。

しかし、4人部屋で、基本的にはプライバシーというものがない生活は、やはりストレスであった。
個室もあるが、当然差額料金を負担しなければならないし、個室は個室で他者との触れ合いもないので、別のストレスがあろう。
特に脳血管障害のリハビリにとって、会話をすることは重要である。
同室の人と会話をすることは、ストレスの要因でもあったが、それ以上に重要なことと理解していた。

それでも、いずれ限界が来る。
自分の状態が改善してくるに連れ、客観的に観察する余裕も出てくる。
中には明らかに精神状態が正常ではない患者もいる。
これが近未来社会の縮図だと考えたが、あまり明るい未来はないように思えた。

入院の場合は、それでも自業自得とも考えられるから、仕方がないと思うしかない。
しかし、災害による避難生活は、他力によるものである。
少なくとも直接的には自分が原因ではない。
避難場所にもよるであろうが、ストレスは入院に比べてはるかに大きいと思われる。

東日本大震災は、原因を、地震・津波と原発事故の2つに分けて考えられる。
後者の原因は前者ということになろうが、前者は天災、後者は人災である。

今日の東京新聞に、天災と人災とでは、「影響の尾の引き方が違う」という復興庁の調査結果が紹介されている。

 震災や事故後の避難中などに亡くなった震災関連死の認定数は、宮城、岩手、福島の被災三県で二千五百五十四人で、半数以上の千三百三十七人を福島が占める。本紙の調べでは福島の震災関連死者のうち、少なくとも七百八十九人は原発避難者だった(いずれも三月十日までの集計)。
 今回、復興庁が調査したのはこのうち、震災から一年が経過した昨年三月十一日から同九月末の半年間の福島の震災関連死者。この時期の全国の関連死者四十人中、三十五人が福島に集中していたためだ。死亡に至る経緯などを市町村や医療機関から聞き取り、分析した。
 三十五人は南相馬市、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、浪江町、葛尾村、飯舘村の八市町村の出身。五十代が一人で、ほかは六十歳以上だった。複数回答による死亡原因の調査では、避難所生活での肉体的・精神的疲労が45%で一番多く、避難所などへの移動中の疲労が24%だった。
 報告書の中で、福島県の医療関係者は「『生きているうちに今の避難先から出られない』という不安や、生きがいも、希望も、生きる意欲も持てないというメンタル面の影響も大きい」と指摘している。
 医療関係者は、二〇一一年十二月~一二年二月の施設での死亡率が前年同期比一・二倍になっている現状を挙げ「全体の死亡リスクがあがった。死亡は氷山の一角」とも懸念している。
 同庁の担当者は「仮設住宅より住み心地の良い公共住宅の早期再建が必要。国として財政支援をしたい」と話している。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013033090070102.html

宮城、岩手、福島3県の違いについては先日も触れた。
⇒2013年3月11日 (月):2年という時間の長さと短さ/花づな列島復興のためのメモ(199)

130330
東京新聞2013年3月30日

原発事故による避難者の場合、将来の見通しに不確定要因が強い。
また、事故直後の国の情報に翻弄され不信感を拭えていない。
心の整理がつかないのだ。

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2013年3月29日 (金)

浪江・小高原発の新設計画を撤回/花づな列島復興のためのメモ(203)

東北電力が、浪江・小高原発(福島県浪江町、南相馬市)の新設計画を撤回すると発表した。
計画予定地は東京電力福島第1原発事故の被害地域で、地元の反対が強まっていた。
建設は不可能と判断したということだが、当然のこと、というよりも原発事故から2年を経過しても、建設を諦めなかったのかというのは驚きである。
Photo
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013032802000236.html

私の知人に、南相馬市出身の人がいる。
実家は、津波の被害は免れたが、放射線量は未だに結構高いそうだ。
計画予定地は福島第1原発から北へ約10キロの地点にあり、全域が避難区域に含まれている。
⇒2013年3月24日 (日):原発事故による故郷喪失/原発事故の真相(62)
Photo_2
http://www.minyu-net.com/osusume/daisinsai/keikai.html

こんなところに、原発が新設などできるわけがないだろう。
福島原発事故を受け、11年12月には浪江町議会が誘致を白紙撤回する決議を、南相馬市議会が計画中止を求める決議をそれぞれ可決した。
馬場有浪江町長、桜井勝延南相馬市長も立地を認めない考えを示していた。

東北電力は、青森県で増設を予定している東通原発2号機の計画は維持する方針だという。
しかし東通原発は原子力規制委員会が敷地内断層を活断層の可能性が高いと指摘している。
⇒2012年12月21日 (金):危険の可能性を指摘された原発は稼働させるな/花づな列島復興のためのメモ(177)
東北電力の想定通りに進むとは考えられない。

全国の建設・計画中の原発は、以下の通りである。

【建設中】
 島根3号機   松江市         
 大間原発    青森県大間町    
 東通1号機   青森県東通村     

【計画中】
 東通2号機   青森県東通村      
 浪江・小高原発 福島県浪江町、南相馬市(計画取りやめ)
 東通2号機   青森県東通村
 浜岡6号機   静岡県、御前崎市
 上関1号機   山口県上関町      
 上関2号機   山口県上関町    
 川内3号機   鹿児島県、薩摩川内市  
 敦賀3号機   福井県敦賀市    
 敦賀4号機   福井県敦賀市
http://www.sankeibiz.jp/business/news/130329/bsc1303290800005-n2.htm
      

計画が進めば進むほど、撤回する時のコストは高くなる。
経済の論理としても、原発の新増設は出来ないと思い定めるべきではなかろうか。

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2013年3月28日 (木)

瀬戸内晴美『鬼の栖』/私撰アンソロジー(19)

瀬戸内寂聴(晴美)さんが、東京新聞の第2,4木曜日に、「回想記」を寄せている。
今日は、『鬼の栖』について書いている。
1965年9月から1966年8月まで、河出書房から出ていた雑誌「文芸」に連載されたものであるが、1967年に単行本化されている。
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当時「文芸」の編集長は寺田博さんだったが、瀬戸内さんが「菊富士ホテルのことを書きたい」と言うと、寺田さんは、すぐに大賛成というようなことだったらしい。
寺田さんは、「作品」(作品社)、「海燕」(福武書店・現ベネッセコーポレーション)の編集長を歴任した辣腕の編集者として知られるが、文芸評論の著作もある。

瀬戸内さんは東京女子大の卒業であるが、クラスメートに近藤(水島)富枝さんがいた。
近藤さんは、着物や布についてのエッセイストとして著名である。

『鬼の栖』の書き出しは、近藤さん(小説上は華枝)の案内で、本郷の菊富士ホテル跡を訪ねるところから始まる。
瀬戸内さんの記述によれば、富枝さんの父方の叔母が菊富士ホテルの設立者・羽根田幸之助氏の長男富士雄氏に嫁いだ。

瀬戸内さんがこのホテルに興味を持ったのが、大杉栄と伊藤野枝がこのホテルで過ごしたことがあったからである。
大杉と野枝は、関東大震災直後の混乱の最中に甘粕正彦憲兵大尉に虐殺された。
瀬戸内さんは、『美は乱調にあり』で野枝を描いていて、『鬼の栖』の連載を引き受けたのは、『美は乱調にあり』を連載中であった。
菊富士ホテルには、大杉と野枝以外にも、正宗白鳥、石川淳、谷崎潤一郎、宮本百合子、湯浅芳子・・・等が住んでいた。
まさに綺羅星の如くである。

私は函入りの単行本で読んだ。
20台前半だった。
瀬戸内さんは40代前半であり、女の人がエロティックな文章を書くのが新鮮だった記憶がある。
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2013年3月27日 (水)

水素発生のメカニズム/原発事故の真相(64)

福島第一原発事故は、水素爆発により多量の放射性物質が空中に放出された。
もちろん、水素爆発は破壊力が大きいが、水素爆弾とは全く異なるもので、水素爆発自体が放射性物質を発生させるものではない。
私は、水素爆発のことを、わざわざ「爆発的事象」ともって回った言い方をする枝野官房長官(当時)を、激務で緊急事態に対処していることは承知しつつ、訝しく感じた。
⇒2013年3月21日 (木):「事故」と「事象」/「同じ」と「違う」(57)
⇒2011年3月15日 (火):地震情報と「伝える力」
⇒2011年3月31日 (木):政府が風評被害の発生源になっていないか?

ところがとんだ私の思い違いであった。

2012年3月3日の中国新聞によると、2011年3月15日、政務三役らが出席した会議において、SPEEDIの計算結果を高木らが見て「一般には公表できない内容であると判断」し、他のデータを用意することになったという。このときは原子炉内の全ての放射性物質の放出を想定し「関東、東北地方に放射性雲が流れるとの結果が出た」と広範囲な流出も予測したという。
Wikipedia緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム

つまり、実際に進行していたメルトダウン→メルトスルーという事態が、政府関係者の間では認識されていたのだ。
政府(菅内閣)がパニックを恐れて重要な情報を隠蔽し、結果として無用な被爆を招いているのである。
⇒2011年5月 6日 (金):政府による情報の隠蔽と「見える化」/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(22)
⇒2011年9月11日 (日):政府による「情報の隠蔽」は犯罪ではないのか

そもそも水素爆発の端緒となる水素は、どのようにして発生したのか?
水素爆発直前の原子炉は下図のようであったと推定されている。
Ws000003
木下正高/熊谷英憲/澤田哲生『徹底図解 東日本大震災』双葉社(2011年6月)

地震で原子炉が自動停止し、その後津波(だけかどうか分からないが)により、緊急の冷却システムおよび崩壊熱除去システムも作動不能になって、燃料棒の温度が上昇した。
燃料棒を覆っている被覆管のジルコニウムが高温になって、水蒸気から酸素を奪って水素が発生した。
Ws000001
同上

水素は破損した圧力容器から格納容器に漏出した。格納容器の隙間から漏れ出た水素が建屋の上部にたまり、酸素と反応して爆発した。
化学式で表せば以下のようである。

Zr + 2 H2O → ZrO2 + 2 H2
2 H2 + O2 → 2 H2O

この水素爆発が原子炉建屋を吹き飛ばし、格納容器から漏出していた放射性物質を拡散させた。
原子炉建屋の水素爆発の水素の源について、明確な説明はリアルタイムでは聞かなかったように思う。
以下の記述のように、専門家にとっても想定外のことだったらしい。

原子炉建屋の水素爆発は、ほとんど世界の専門家の誰もが実際に起こるとは予測していなかったらしい。格納容器の水素爆発については熱心に研究されていたが、建屋の爆発についてはほぼ皆無だったというのは、素人には不思議な感じがするが事実だったようだ。原子炉建屋は換気されている、という漠然としたイメージがあったとの証言もある。3月11日に、菅総理から「水素爆発の可能性は?」と尋ねられた原子力安全委員会の斑目委員長が、「窒素で満たされているので大丈夫」と答えたのは、本人も証言している通り、格納容器の水素爆発しか念頭になかったからである。
渕上正朗、笠原直人、畑村洋太郎『福島原発で何が起こったか-政府事故調技術解説』日刊工業新聞社(2012年12月)

水素爆発は、一般人にも比較的馴染みのある言葉ではなかろうか。
それが原子炉事故と複合すると、とんでもないことになる。


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2013年3月26日 (火)

衆院選無効の高裁判決/花づな列島復興のためのメモ(202)

「ついに出た」という感じではなかろうか。
1票の格差をめぐって、広島高裁が25日、小選挙区の区割りを「違憲」と判断し、広島1、2区の選挙を無効とした。

 筏津(いかだつ)順子裁判長は判決理由で「選挙権の制約や民主的政治過程のゆがみは重大。最高裁の違憲審査権も軽視されている」と指摘。格差の抜本的な是正に乗り出さなかった国会の怠慢を厳しく指弾した。
 被告の広島県選挙管理委員会は上告するとみられ、無効判決が確定しない限り選出議員は失職しない。一連の訴訟で小選挙区についての判決は八件目で、違憲判断は六件目。最高裁大法廷が他の訴訟と合わせて統一判断を示す見通し。
 二〇〇九年の衆院選について最高裁大法廷は一一年三月、各都道府県にあらかじめ一議席を配分する「一人別枠方式」による最大格差二・三〇倍の区割りを違憲状態と判断。昨年十一月に議員定数を「〇増五減」する緊急是正法が成立したが、昨年十二月の衆院選には適用されず格差は拡大した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013032602000117.html

続いて今日、岡山2区の選挙無効を求めた訴訟で、広島高裁岡山支部(片野悟裁判長)も、「違憲、無効」とする判決を言い渡した。今までも違憲状態という司法の判断は下されていたが、ついに選挙を無効だと断じる判決が、2日続いたのである。
⇒2013年3月 7日 (木):国会は違憲状態をいつまで続けるのか?/花づな列島復興のためのメモ(197)

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http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/national/20130326-OYT1T00429.htm

しかも、前日の広島高裁の無効判決は、11月以降に効力が発生するとしたが、今回の判決では、猶予期間を設けなかった。
行政事件訴訟法には、行政の決定などが違法でもこれを「無効」として取り消すと公益を著しく害する場合は、請求が棄却できる規定がある。
「事情判決の法理」と呼ばれるものであるが、今まで違憲判決であってもこれを準用して、選挙そのものは無効とされなかった。

しかし、このことに国会が甘えて、いつまでも違憲状態を是正しなかったことが、厳しく断罪されたわけである。
まったくもって、昨年の11月に野田前首相が解散総選挙に打って出たのに、どのような思惑があったのだろうか?
余人には窺い知れないところではあるが、選挙無効の判決まで出てしまったことにより、マンガ的な判断であったというしかないだろう。

昨日、原告の弁護士は、「なめるのもええかげんにせえよ」ということだろう、と記者会見で言っていた。
もちろん、「直ちに無効とすると、選挙区の議員が存在しない状態になる」ので、一定期間が過ぎた後に選挙を無効とする「将来効判決」といわれる形をとっているので、ただちに議員を失職するということではない。
その期限は11月26日とされた。

もちろん、選管は控訴するであろう。
岡山2区で当選した自民党の代議士は、「厳粛に受け止める」と言いつつ、最高裁の判断を待ちたいと言っていた。
そういう思考が断罪されているのではなかろうか。
最高裁がどういう判断をするかは予断を許さないが、大きな一石を投じたことは間違いない。

野田前首相は、「決められない政治からの脱却」を標榜して、増税と原発再稼働を「決め」た。
違憲状態だと既に指摘されていた国会議員によって、「決め」たのである。
やはり何かがオカシイと言わざるを得ない。
⇒2013年3月22日 (金):何かがオカシイ今の日本/花づな列島復興のためのメモ(201)

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2013年3月25日 (月)

自主避難者への支援をどう考えるか?/原発事故の真相(63)

福島原発事故により、生活を一変せざるを得なくなった人は数多い。
その補償は、第一義的には東京電力が責任を持ってなすべきだと思うが、公共的な支援も欠かすことはできないだろう。
事実として原発は国策として推進されてきたこともあるし、国民の生活を守る責務もあるからだ。

放射線量が高いため「帰還困難区域」 になった福島県富岡町の通行を遮断するためのバリケードが閉じられる様子がTVに映し出されていた。

Photo
放射線量に応じた避難区域の見直しで、25日、町は3つの区域に再編されました。
このうち、放射線量が高いため「帰還困難区域」になった町の北東部では、立ち入りを制限するバリケードが午前0時に閉じられました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130325/k10013421901000.html

帰還困難区域に住んでいた人は強制的に避難生活を送らざるを得ない。
そのような人に対しては、負担を誰が負うのかは別として、可能な限り従前の生活に近い状態が実現されるべきであろう。

しかし、放射能汚染から逃れるために、自主避難したり、しようとしている人たちはどう考えるべきか?
除染ということが行われている。
にもかかわらず、福島市や郡山市などでは、未だに除染目標の1mSv/年を超える箇所が少なくないという。
除染効果に期待して従来の生活拠点での生活を維持してきた人の中に、効果に失望して避難を計画する人が出てくるのも当然だろう。

災害救助法に基づく住宅支援は自主避難者にも適用されている。
国は自主避難者たちに家賃補助をしてきた。
みなし仮設住宅の位置づけで国から、世帯当たり月額6万円を上限とした家賃が補助されてきたのである。

しかしその新規申請の受け付けが、昨年末に打ち切られ、新たに自主避難する場合は全額自己負担せざるを得なくなった。
言い換えれば、自主避難できるのは、富裕層に限られてくのである。

既に避難している人たちも、当然に経済的負担や精神的苦痛を負っている。
この被害を、誰がどう補償するか?

 東京電力福島第1原発事故で、福島県から山形、新潟両県に避難している被災者らが6月にも国と東電に対し、経済的負担や精神的苦痛に対する賠償を求めて山形、新潟両地裁に集団提訴することが19日、分かった。群馬県の弁護団も前橋地裁への提訴を検討しており4月に結論を出す。3県の弁護団が明らかにした。
 山形、新潟両県の弁護団は4月から原告を募る説明会を開催。請求額などは未定で、自主避難者が多い3県の弁護団が連携して準備を進める。
 訴訟では、東電に対し精神的損害への慰謝料が不十分と主張。国に対しては、原子力損害賠償紛争解決センターによる裁判外紛争解決手続き(ADR)の賠償基準見直しを求める。
 新潟県の弁護団によると、ADRは和解まで数カ月かかる上に賠償額が低く、十分な補償が得られないのが現状という。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130319/dst13031913570006-n1.htm

公的な補償は、できる限り公平であるべきだろう。
しかし、何が公平かは一義的には決まらない。
強制的避難者、自主的避難者、先に避難を開始した人、除染に期待して踏みとどまっていた人、あるいは費用を負担する納税者・・・

すべての利害関係者が満足するような解決策などはあり得ないだろう。
としたら、まさに真の意味で政治力が問われるのではないか。

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2013年3月24日 (日)

原発事故による故郷喪失/原発事故の真相(62)

東日本大震災は、原発事故を起こしたことにより、戦後最大の危機的事態となった。
その状況は未だに「収束」はしていない。
ネズミ一匹が引き起こした停電で、使用済み燃料プール冷却システムが停止した。
⇒2013年3月20日 (水):福島第一原発の停電事故/原発事故の真相(60)

原因箇所とされる配電盤が、トラックの上に設置された仮設のものであるという。
「2年以上経っても仮設か?」という疑問が湧くが、高線量の瓦礫が本格的な設備を設置する作業を妨げているのだという。
使用済み燃料にせよ、瓦礫にせよ、汚染水にせよ、放射能の発生は長期にわたる。
また、その健康被害もまた、急性のものだけでなく、時間を経過した後に発生する健康被害のことが問題であるのは、被爆国であるわれわれが十分に認識しておくべきである。
「直ちに健康に影響がない」ことだけでは、不十分なのである。

東日本大震災で自宅を離れざるを得なくなった被災者は、現時点で未だに15万人異常に上るといわれる。
うち、福島県内では11月6日現在、仮設住宅に3万25763人、借り上げ住宅に5万6806人が避難するなど計9万3864人が自宅以外で生活を送っている。

原発事故により、県内11市町村に警戒区域などの避難区域が設定された。避難区域の現状は【図】の通り。田村、南相馬、楢葉、川内、飯舘の五市町村では再編が済み、大熊町は10日に帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の三区域に再編された。残る町村でも放射線量などに応じて再編が進められている。
Photo
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/12/post_5761.html

飯舘村のように方角が風下に位置していたため、飛び地のように高線量の地域もある。
これらの地域が安全を取り戻すには、どれくらいに時間が必要であろうか?
放射能の半減期からして、一朝一夕ではないだろう。
新たな故郷喪失である。

わが国は、戦後経済の高度成長期の大勢の人が故郷を捨てて、仕事のある場所に移った。
われわれの世代ではごく当たり前のことであった。
しかし、少なくともそれは自発的な選択としてあった。
原発による故郷喪失とは全く質が異なる。

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2013年3月23日 (土)

原子力規制委への期待と危惧/原発事故の真相(61)

福島第一原発の深刻な事故を受けて、原発の安全性が根底から問われている。
安全性を確保するための組織として、原子力規制委は大きなミッションを持っているはずである。
期待に応えるべく、新たな安全基準を作成し、適用することになっている。

現在稼働している商用原発は、大飯原発だけである。

原発稼働状況一覧
 北海道電力(1原発3基中稼働なし)
 東北電力(2原発 4基中稼働なし)
 東京電力(3原発13基中稼働なし他4基廃炉)
 中部電力(1原発 3基中稼働なし他2基廃炉)
 北陸電力(1原発 2基中稼働なし)
 関西電力(3原発11基中稼働1原発2基)
  
 中国電力(1原発 2基中稼働なし)
 四国電力(1原発 3基中稼働なし)
 九州電力(2原発 6基中稼働なし)
 日本原電(2原発 3基中稼働なし他1基廃炉)
http://genpatumap.seesaa.net/article/198173618.html

大飯原発について、野田前首相は、再稼働を「私の責任で判断する」と言って、再起動に踏み切った。
⇒2012年5月31日 (木):野田首相に理はあるか/花づな列島復興のためのメモ(75)

福島第一原発事故後に新設された原子力規制委員会は、事故前の規制組織「原子力安全・保安院」と原発を推進する「資源エネルギー庁」が同じ経えか産省にあって、ムラを形成していたことの反省を踏まえ、国家行政組織法第三条に基づく独立性の高い委員会とされた。
しかるに、大飯原発の再稼働を判断した野田前首相は、首相権限で国会同意という手続き抜きで、原子力規制委員会の人事を行った。
本来は国会の同意が必要にもかかわらず、自らの問責決議が可決されて国会が事実上閉会に等しかった状況を背景に、原子力緊急事態宣言が発動中であることを根拠に、である。

政権交代後の今年2月、正式に国会同意が得られた人事であるが、人選には当初から疑問なしとは言えなかった。
委員長の田中俊一氏は原子力委員会委員長代理や日本原子力研究開発機構副理事長などを務めた経歴である。
委員は、日本アイソトープ協会主査の中村佳代子氏、日本原子力研究開発機構原子力基礎工学研究部門副部門長の更田豊志氏らであるが、いずれも核燃料サイクルの推進機関や放射性廃棄物の集荷、貯蔵、処理をする団体の関係者ということになる。
つまり、基本的には、原発推進を目指す「原子力ムラ」の住人であった人たちである。
⇒2012年9月 6日 (木):火事場泥棒的に原子力規制委の人事を行おうとする野田政権/原発事故の真相(46)

原子力規制委は、発足当初は、電力需給は考慮せず、安全性を科学的に判断すると言ってきた。
現在策定中の原発の新安全基準は、7月に施行される予定である。
本来ならば、国内で唯一稼働中の関西電力大飯原発は、この新安全基準が施行されるまでは運転を見合わせるべきであろう。
百歩譲っても、新安全基準が施行されたならば、真っ先に運転中の原発が適合しているかどうかを問うがスジであろう。

しかるに、原子力規制委員会は3月19日、審査のために停止を求めないとする方針を決めた。
定期検査に入るために9月に停止した後に新安全基準に適合しているかを審査するという。
その理由は、今夏の電力需給逼迫を懸念して、ということらしい。

規制委が1月末に示した骨子案によると、新基準では電力会社の過酷事故対策を義務化し、地震や津波対策も強化を求める。
 既存の原発も新基準に適合させる「バックフィット」が再稼働の条件。規制委がこの日の定例委員会で示した方針では、「(新基準)施行と同時に混乱なく運用できるものでなければならない」とし、7月の新基準導入時点で稼働中の原発は定期検査終了後に審査するとした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130319-00000022-asahi-pol

需給が逼迫しているから基準に適合しているかどうかの審査を先延ばしするというのでは、本末転倒と言わざるを得ないであろう。
なし崩しの構造は健在のようである。
⇒2012年6月 5日 (火):「なし崩し」に壊れていく「国のかたち」/花づな列島復興のためのメモ(77)

思えば、「原発が稼働していない夏」という大きな意義を持つ社会実験の機会を逃した野田氏は、後世に「大きな決断をした」と評価される機会を逸したと考えるべきではないか。

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2013年3月22日 (金)

何かがオカシイ今の日本/花づな列島復興のためのメモ(201)

日銀トップの陣容が一新した。
アベノミクスの具現化ということであろうか、株式市場は活況を呈しているらしい。
株価も、基本的には大きく上昇している。
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バブルの再来か、という感じである。
確かにバブルの時代は、私のような者でも楽しい思い出がたくさんあるが、バブル経済を素晴らしかったという人は少ないのではないか。

少なくとも、今の日本は、浮かれているような状況ではないだろう。
東日本大震災からの復興もまだ限定的である。
にもかかわらず、南海トラフ大地震の恐るべき被害想定が発表されたばかりである。
とりあえず、静岡県民としては、浜岡原発をどうするのかが気になる。

野田前首相が「収束」を宣言した東京電力福島第一原発は、依然として極めて危うい状況にあることが、冷却系統の停電という「事象」によって露呈した。
ネズミ一匹で、大山鳴動ではないが、心肝を冷やされたのは私だけではないだろう。
安倍首相は、「収束」を否定したが、ならば真の収束に向けてどう工程を考えているのか?

福島第一の現場は未だに高線量であって、それが廃炉作業を困難にしているという。
瓦礫が散乱していて、作業の妨げになっているということだ。
ならば、その瓦礫の処分をどうするのか?
現に放射能を発散している瓦礫を受け入れるところはあるまい。
津波による基準値以下の瓦礫でさえもめている自治体が少なくない。

高線量の瓦礫は、結論的には、現地で処理するしかないだろう。
早く方針をはっきりさせ、必要な対策を講じるべきではないか。
津波による瓦礫についても、広域処理をすることに疑問の声もある。

原発事故による避難生活者は、現時点でも15万人以上になるという。
飯舘村のように、除染しても除染しても、なかなか線量が下がらないで帰還できない地域もある。
故郷喪失者の悲哀を置き去りにしたまま、株価上昇を喜ぶ気にはなれない。

見渡せばオカシナことばかり目につく。
違憲状態の選挙で当選した国会議員の先生方が、憲法改正に意欲的だったり、十分な説明もなされぬまま、TPP交渉参加を前のめりに決定したり。

あるいは、フェアプレーをモットーとすべきスポーツの世界での不祥事。
特に、「道」の精神で始まったはずの柔道界。
「道」とは真逆な、パワハラ、暴力行為、不正会計・・・。

人間は情報により動く動物である。
そして、基本的な情報の枠組は、教育の過程と報道による。
教育と報道のあり方が、日本の国をオカシクしているように思えるのだが。

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2013年3月21日 (木)

「事故」と「事象」/「同じ」と「違う」(57)

東京電力福島第一原発の停電事故は、仮設配電盤の内部の壁に焦げた跡が見つかり、その近くに感電死したネズミらしき小動物もいたといわれる。
東電は、小動物が配電盤に入り込んで端子に触れ、異常な電流が流れて事故につながった可能性があるとみて、さらに詳しく調べるとしている。
原因究明に全力を注いで頂くのは当然であるが、開示の仕方に疑問がある。
昨日書いたように、時間遅れの問題もそうであるが、このような事態を、東電では「事故」ではなく「事象」というようである。

 東京電力は、福島第一原発で起きた停電事故のことを、発生当初から「事象」と呼び続けている。使用済み核燃料プールの冷却が二十九時間も止まるという重大事は、単なる出来事や自然現象なのだろうか。
 二十日の記者会見で東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理に問うと、「『事象』か『事故』かは神学論争的な話」とした上で、「原子力の世界では、外部に放射性物質が出て、影響を与えるようなら事故だが、そうでなければ事故とは呼ばない」と言い切った。
 ただ、二年前、1、3号機の原子炉建屋で水素爆発が起き、土煙とともに放射性物質をまき散らした際にも、東電も政府も「爆発的事象」と言い続けていたのも事実。
 「事象」は深刻な事態を小さく見せようとする原子力関係者特有の言葉と受け止められることが多い。にもかかわらず東電がこの言葉を安易に使い続けていては、信頼を回復する日は遠い。 

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013032190070756.html

確かに、2011年3月12日、福島第一原発1号機が水素爆発を起こして煙の上がったのを、枝野官房長官が、「なんらかの爆発的事象」があった、と記者会見で説明した時、少なくとも私は、まさかメルトダウンするような「事故」が起きているとは受け止めなかった。
水素爆発について具体的な説明がなかったので、「単なる水素爆発」ならば放射能の漏れ出す心配はないだろう、と考えたのだった。
⇒2011年3月31日 (木):政府が風評被害の発生源になっていないか?

3月15日朝の枝野官房長官の記者会見では、「サプレッションプール」という言葉が説明なしに使われていた。
格納容器に繋がるサプレッションプールと呼ばれる箇所に欠損がみられることが明らかになった、という説明であった。
意図してかどうか分からないが、一般人に馴染みがない専門用語を使って、危機的事態であることを隠そうとしていたようにも思える。
菅首相が現地視察の後、「危機的な状況にはならない」と強調していたこともあった。
⇒2011年3月15日 (火):地震情報と「伝える力」

「事故」と「事象」とでは、受け取る側の印象が大きく違うような気がする。
「事象」の説明を、コトバンクでは、以下の辞典類を引用している。

①世界大百科事典 第2版の解説
②デジタル大辞泉の解説
③百科事典マイペディアの解説
④ASCII.jpデジタル用語辞典の解説
⑤大辞林 第三版の解説
⑥世界大百科事典内の事象の言及

これらにおいて、①③④⑥は、確率論における「事象」の説明のみが載っており、②⑤には、一般的な意味と確率論における意味が併記されている。
たとえば、⑤の説明は以下の通りである。

(認識の対象としての)出来事や事柄。                「自然界の-」
②〘数〙 確率論で,さいころを投げるというような,試行の結果起こる事柄。

どうやら、東電は、「事象」という用語に表されるように、停電はネズミによって引き起こされた「出来事」だ、と主張しているように思われる。
幸いにして停電事故は大事には至らなかった。
「ハインリッヒの法則」は、軽微な事故の積み重ねが、重大な事故を招くということである。
⇒2012年6月19日 (火):フクシマ原発訴訟が問う「無責任の体系」/原発事故の真相(37)

東京電力の体質は、2年経っても変わっていないということか。

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2013年3月20日 (水)

福島第一原発の停電事故/原発事故の真相(60)

福島第一原発で、18日19時前に停電事故が起きた。
1、3、4号機の使用済み燃料プール代替冷却システムなどが停止した。
Photo_3
http://webnews.asahi.co.jp/ann_s_000002215.html

幸いにして、停止した各号機プールと共用プールの冷却装置は、20日午前0時過ぎまでに復旧し、冷却を再開したと、東電から発表があった。
Photo_2 
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013031990135557.html

4号機では、4日半の余裕しかなかったわけである。
一昨年の12月、野田前首相が宣言した「事故収束」が、まったく現実的ではないフィクションに過ぎないことが露呈した。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)でんの

停電の原因は何なのか?

東京電力が調べたところ、外部の送電線から電気を受けている3つの配電盤が停止していて、このうち2つの配電盤で復旧や切り替えなどを行った結果、停電からおよそ28時間たった19日午後10時43分までに、1号機と4号機、それに3号機の使用済み燃料プールで冷却システムが順次復旧しました。
東京電力は、その後、ほかの配電盤の切り替えなど復旧作業を続け、残る共用プールの冷却システムの運転を20日午前0時12分に再開させ、今回停止したすべての冷却システムを復旧させました。
一方で、東京電力は、今回停止した配電盤のうち、残る1つで異常があったとみて調べていますが、目立った損傷などはなく、トラブルの原因はいまだに分かっていません。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130320/k10013326961000.html

要するに、現時点で原因は分からないということだ。
ネズミのような小動物が原因ではないかとも言われている。
原因が特定できないということは、何時また再発するのかも分からないということだろう。
そして、停電は復旧したが、冷却システムの配電盤には予備が用意されていないという事実も。

発表のタイミングも問題ではないか?
事態発生から発表まで3時間が経過していた。

東京電力は発表が遅れたことについて「設備の状況を確認したうえで取りまとめて発表しようとしていたが確認に時間がかかってしまった。大変申し訳ない」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130318/k10013290991000.html

第一報は、「取りまとめて」発表するのではなく、最悪事態の予測も含めた速報性が求められる。
東京電力の隠蔽体質は少しも変わっていないと見られても仕方がないだろう。
この2年間は何だったのだろう。

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2013年3月19日 (火)

アイデンティティ、コミュニケーション、ブランディング/知的生産の方法(45)

アイデンティティ、コミュニケーション、ブランディング・・・。
これらの言葉は、すでに日本語として定着していると言ってもいいだろう。
いずれも英語の言葉の発音を、カタカナで置き換えたものであるが、そういう芸当は日本語の利点であろう。
日本語の表記の豊かさと仮名の創造/知的生産の方法(26)

これらの言葉を、日本語で説明したり、言い換えたりするのは難しい。
たとえば、アイデンティティについて、次のような説明がある。

自我同一性、自己同一性。あるいはそれがよって立つところのもの。
「私」を「私」たらしめ、一貫性、同一性を与えているものは何か、ということへの意識、自己確信。
他者や社会によって承認され、認識される自己の同一性(すなわち身元)。

企業のCI(コーポレートアイデンティティ)などによって、アイデンティティという難しい概念も一般化した。
わが国のCIは、1975年にマツダ (東洋工業:自動車メーカー)が、PAOS(中西元男社長)に委託して行ったものが最初だと言われる。
1980年代になると、「CI ブーム」が起き、電博を中心とする広告会社の重要な営業領域となった。

最近は新しい戦略概念「ブランディング」がその役割を引き継ぐ形となっていると言われる。
つまり、アイデンティティとブランディングは不可分ということになる。
CI ブームの頃は、マークやロゴを変えることが中心だったきらいがある。
マークやロゴは、VI(ヴィジュアルアイデンティティ)の手段であるが、情報受信における視覚の重要性を考えれば、当然のことでもあった。
VI,、CI、ブランディングの関係は下図のように説明されている。
Ci
http://www.panf-senka.com/objective/logo_pr_web/03.html

これらは、ステークホルダー(潜在顧客を含めた利害関係者)とのコミュニケーションの質を向上させることに主眼がある。

今日の東京新聞に、「パ紋」の話題が載っている。
「パ紋」とは、パーソナル(個人)紋章のことである。
家紋の個人版といえよう。

今や家紋は絶滅危惧種といえよう。
核家族化が進み、「家」という意識が薄くなった。
紋付きの着物を着る機会も一般人にはほとんどない。

その代わり、個人のアイデンティティ意識が高くなっている。
自分は自分であり、その初代だ、ということである。
家紋は代表的な記号であったが、家紋に代わるパ(-ソナル)紋があれば、ということである。
そして、自分のアイデンティティを表現するようなパ紋を作ろうということになる。
Photo
東京新聞2013年3月19日

パ紋の使い方はたとえば手提げバッグにあしらうと次のようである。
Photo_2
「コミュニケーションの道具にしてもらうのが一番の願い」と、発案者のグラフィックデザイナー原田専門家氏は言っている。
上質の遊びといえよう。
なお、原田氏のサイトは以下の通り。
http://hara1000.com/rogo/

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2013年3月18日 (月)

記号(情報)の要件/知的生産の方法(44)

先ごろ亡くなった山口昌男氏は、記号論の紹介者として知られていた。
⇒2013年3月12日 (火):無類の知の渉猟者・山口昌男/追悼(29)

記号論とは何か?
新明解国語辞典(三省堂)は、「記号」について次のように説明している。

記号
その社会で意志伝達のために使われるしるしの総称。[広義では文字を含み、さらに言語をも含む。教義では文字を除外する]

さらに「しるし」については、次のようである。

しるし
①目印
②抽象的な概念を現す約束・(その種類を代表するもの)として決めた具体的な形のあるもの、符号・紋・記章・合図など

われわれの身の回りには、行動を指示したり、なにかを分かりやすく知らせたりする記号に満ちている。
たとえば、交通信号である。
Photo
青(緑)、黄色、赤はそれぞれ進め、注意、停止を意味している。
それぞれはっきり識別できるような色が選ばれている。

この識別できるということが、記号(情報)として機能するための要件である。
バックグラウンドと識別できなければ、そもそも認識できない。
ノイズとシグナルの関係である。

情報の定義は数多くあるが、この可識別性に着目したのが、牧島象二氏の次の定義である。

情報とは、均一なbackgroundの中に、これと区別できる何等かの特徴をいう。ただし、均一とか区別とかは、すべてわれわれの認識の限界内での話とする。
牧島象二『Patternに憑かれて』牧島象二先生記念会(1969)

国旗も代表的な記号の例であろう。
子ども向けのゲームに国旗ゲームというトランプの神経衰弱のようなゲームがある。
国旗のデザインは結構似たものがあり、特に三色旗の中には、識別が難しいものが少なくない。
Photo

Photo_2

上がギニア、下がマリであるが、赤と緑が入れ替わっているだけなので、少なくともわれわれには紛らわしいだろう。
あるいは形を変えた次の国旗。
Photo_3
ペナンである。
もちろん、当事国にとっては識別し易いのであろうが・・・。

その点、日章旗の可識別性は優れている。
Photo_4

しかし、次のパラオと似ていると言えなくもないだろう。
Photo_6

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2013年3月17日 (日)

情報生産地はなぜ集積するか?/知的生産の方法(43)

ある情報Aが存在して、それに別の情報Bが何らかの形で反応して新しい情報Cが生まれる。
⇒2013年3月10日 (日):新しい情報の生まれ方/知的生産の方法(41)

情報A*情報B⇒情報C

この(*)という作用は、脳の中の作用である。
ところで、人間の脳は、コンピュータと比較される。
中国語でコンピュータのことを電脳というのは、人間の脳と同様の働きをするということであろう。

しかし、脳の研究が進めば進むほど、少なくとも現在の方式のコンピュータと人間の脳との間には大きな隔たりがあることが認識されるようになっている。
例えば、人間の脳では、左脳と右脳という役割分担があるが、コンピュータにはそういうしくみが組み込まれていない。
また、人間の脳には主観や自己主張が存在するが、コンピュータには存在しない。
「キレ」はコンピュータでも可能であろうが、果たして「コク」はどうであろうか?

コンピュータが行っている情報処理は、プログラムに定められた等価的な変換であって、少なくとも現時点ではクリエイティブ(自己組織的・発見的)な情報処理ということではない。
今のところクリエイティブな作業は、人間の独擅場である。

とすれば、人と人が触れ合うことは、情報創造において重要である。
いくらインターネットが発達して、ICT(情報通信技術)時代になったといえ、それは変わらない。
シリコンバレーのような、情報創発が偏在する地域が生まれるのはこうした理由であろう。

わが国の国土政策は、1961年に策定された「全国総合開発計画」以来、1987年に策定された「第四次全国総合開発計画」に至るまで、一貫して地域間の均衡ある発展を基調としてきた。
情報通信技術の進展によって、地域間格差が解消されることが期待されている。
距離的なバリアーを小さくし、情報・知識の東京一極集中が緩和されるという展望である。

ようやく現在の「21世紀の国土のグランドデザイン」において考え方の大きな転換があり、複数の国土軸、すなわち西日本国土軸(いわゆる太平洋ベルト)に加え、北東国土軸、日本海国土軸、太平洋新国土軸の4つの国土軸が相互に連携することにより形成される多軸型の国土構造を目指すこと、とされた。
目標年次を2010年から2015年までとされているが、目標年次近くになって、東日本大震災が起きて、国土政策も大きな打撃を受けた。
震災を受けて、国土強靭化がいわれているが、結果として東京一極集中への流れを変えられなかったこれまでの方向を転換させることができるであろうか。

地域間格差は現状ではますます拡大していると見るべきであろう。
知識産業化が進めば進ほど、自然発生的には、地域的な「デジタル・デバイド」が拡大するとみる方が妥当ではなかろうか。
現実に存在するイノベーション活動の地域的な偏在を解消するためには、東京以外の場所にテクノリージョン=ハイテクベンチャー企業の集中地域・典型例がシリコンバレー=を創造することが条件となる。

テクノリージョンを形成して行くためには、次の三つの要素が揃うことが必要条件であるとされる。
 A 知識の源泉(大学、研究所などのテクノロジーの中核となる科学技術の発信基地)
 B 資金と経営ノウハウ(ベンチャーキャピタルやエンジェルなど)
 C 地域コーディネーター(AおよびBをその地域に根づかせるための努力する人)
ここで重要なことは、「地域」という小規模の地理的範囲が要であることだろう。
「距離的な近さ」がイノベーション活動を活性化させるということである。

情報通信技術で可能なのは、データに近い情報であって、知識とか知恵と呼ばれるような情報のやり取りは、face to faceが重要なのではなかろうか。
むかし、筑波に学園都市が形成されつつあったときに、赤提灯がないのが欠陥ではないか、と言われた。
果たして現状はどうなっているであろうか。

静岡県でも、「ファルマバレープロジェクト」が推進されている。
ヒトゲノムの解析において重要な役割を果たしてきた遺伝学研究所や県立がんセンターを中核的な研究施設とし、既にかなり集積が進んでいる医薬品に関する産業基盤を活かして、新たなテクノリージョンを形成していこうというプロジェクトである。
⇒2012年2月25日 (土):立国の鍵としての富士山麓地域/花づな列島復興のためのメモ(27)

しかしながら、人が集い、交流するための魅力はまだないと言わざるを得ないのではないか。
テクノリージョン足り得るためには、赤提灯に限らず、文化的な施設が集積していなければならない。
しかし、西武百貨店沼津店の撤退に象徴されるように、中核となるべき沼津市は疲弊傾向から抜け得ていない。
⇒2013年1月31日 (木):西武沼津店の閉店と地方再生の可能性/花づな列島復興のためのメモ(186)
Photo
西武が撤退し、灯りの消えた建物(沼津駅前)

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2013年3月16日 (土)

TPP交渉参加の覚悟/花づな列島復興のためのメモ(200)

安倍晋三首相が、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉への参加を正式表明した。
菅元首相が軽躁に、「平成の開国元年」と称してTPPへの参加を表明したのは、2011年の正月のことであった。
⇒2011年1月 5日 (水):綱領なき民主党の菅VS小沢の不毛な争い

以来、2年以上経過したが、未だによく分からないというのが正直な感想である。
交渉参加については、当然立場によって評価が異なるだろう。
政府の試算によれば、日本のTPP参加による経済効果は次のようである。

 プラスの効果は、日本の関税撤廃で安い農産品などの輸入が増えることによる消費の拡大効果が3兆円(0・61%)と最も大きい。他のTPP参加国の関税撤廃で日本の工業品などの輸出が増える効果は2・6兆円(0・55%)と見積もった。このほか、日本への投資拡大などの効果が0・5兆円(0・09%)あるとみている。
 一方、農林水産業の生産額が3兆円程度減ることなどで、GDPに与えるマイナスの効果を2・9兆円(0・6%)と見積もった。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20130315-OYT1T01094.htm?from=ylist

差し引きすると、実質国内総生産(GDP)を3・2兆円(0・66%)押し上げる効果があると見込んでいる。
まあ、政策はトータルの効果が大きいことが必須条件であるから、このような試算を行い、その結果を公表することはいいことだろう。
問題は、プラスとマイナスの帰属が異なっているので、その間の調整を具体的にどうするかが問題である。

交渉はこれから始まるのだから、結果は分からない。
しかし、現時点で明らかなことは、農林業などの第1次産業にマイナスが発生し、工業すなわち第2次産業などにおいてプラスの発生が見込まれるということである。
当然産業構造の変化圧力として作用するであろう。

安倍首相はコメなどは断固として守ると決意を表明したが、相手のある話であり、思惑通りにコトが運ぶかどうかわからない。
というよりも、今までの結果を振り返ってみれば、日本が有利に交渉を進められるのは疑問であるというべきであろう。

産業構造の変化を促進すべきか、あるいは抑制すべきか?
一般論としていえば、関税障壁によって保護されているような産業が淘汰され、逆に発展が阻害されている産業が伸展するのは良いことであろう。
しかし次の点には留意することが必要であろう。

第一は、急激な変化は社会的混乱を招くことである。
マイナスとなる産業は、主に東日本大震災の被災地域と重なるのではないか。
ただでさえ、東日本大震災で疲弊している地域にさらなる打撃が加わることは致命的ではなかろうか。

第二は、産業の非経済的側面の評価である。
コメなどの食糧は、生命にかかわるものである。
値段だけでは評価しきれない。

また、いわゆる社会的機能をどう考えるか。
たとえば、農地には、雨水の調節機能や景観の形成等の経済評価が難しい機能があるのは確かであろう。
これらの機能は、ムリに経済評価をしようとすると、こじつけのようなことになる恐れもある。

TPP交渉にはこれまでに米国、カナダ、豪州、ペルー、マレーシアなど11カ国が参加している。
当然既に決まったことについては尊重せざるを得ないだろう。
わが国はアジア太平洋地域の自由貿易圏に加わることになるが、通商目的を主とする広域経済協定は事実上初めてである。
新たなステージに移行するわけであるが、そこで発生する不公平は局限しなければならない。

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2013年3月15日 (金)

認知症の原因としての情報不全/知的生産の方法(42)

歳をとると、誰でも認知能力が衰えてくる。
しかし、肉体的な能力は20歳頃、記憶力については40歳頃にピークを迎えるが、語彙や日常的な問題解決能力は75歳までは増え続けるともいわれる。
加齢と認知能力の関係は、下図のように説明されている。
Photo
http://www.nikkeibp.co.jp/aging/article/report2011/20120402/08/01.html

この図でも短期記憶能力は、50歳ごろから急速に低下していく。
もちろん、個人差があることは個人的な体験でも分かることである。
一般に比べて病的に進行したのがいわゆる認知症であろう。

私が体験したのは、妻の昔からの知人の例である。
妻に対して、「お母さんはどうしている?」と聞く。
妻が「もう死んだよ」と答えると、「そうかねえ」といって納得する。
しかし、ものの2~3分くらい経つと、また同じ質問をして同じ答を聞き、同じように反応する。
私の子供の名前などは覚えているから、不思議と言えば不思議である。

この場合は、別に他人に迷惑をかけているわけではないが、次のような話もよく聞く。
自分の大切にしているもの、たとえば財布、をしまい込んで、その場所はおろか、しまい込んだことすら忘れてしまう。
本人は、きっと盗難にあったのだと妄想する。

悲劇的なのは、このような「もの盗られ妄想」は身近な人に向けられやすいことである。
家族が犯人呼ばわれされ、それを叱責すると、その経緯は忘れてしまうから、なぜ叱責されたかが認識されないで、攻撃されたという風な印象が残る。
介護者に対しても同様である。
介護者に対して叱責など嫌な思いをした印象が積み重なると、介護者に「もの盗られ妄想」が向けられる。

介護者が嫁で、被介護者が姑であることは多いであろう。
ただでさえ問題が起きがちな嫁姑である。
かなりやっかいな事態になるのは、容易に想像できる。

「週刊朝日」2013年3月15日号に、「新名医の最新治療 Vol270」として、『認知症の周辺症状』という記事が載っている。
同記事に、聴力が弱くなって、上記のような症状が現れた例が示されている。
聴力が弱くなって、入ってくる情報が部分的になると、状況の理解も低下し、思い込みも激しくなる。
結果として、「もの盗られ妄想」が昂進した。
しかし、聴力改善により症状は劇的に改善されたということである。
認知症は記憶能力の低下によるというだけではなく、的確な状況判断を損なう情報取得能力の低下によるものでもある。

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2013年3月14日 (木)

原発事故の生態系への影響/原発事故の真相(59)

生態系の変化が、人間の生活圏と深くかかわっていることを、私たちは水俣病という犠牲によって理解した。
レーチェル・カーソンの『沈黙の春 (新潮文庫) 』が、『生と死の妙薬』というタイトルで邦訳されたのは1964年である。
水俣病の現象は、それ以前の1956年に認識されていたが、熊本大学水俣病研究班により、原因物質がメチル水銀だという公式見解が示されたのは、1968年9月26日であった。

一方、作家の水上勉が、水俣病(当時の言い方では“水俣奇病”)をテーマにした小説『海の牙』双葉文庫(9511)の元になる「不知火海沿岸」を発表したのは、1959年12月の「別冊文藝春秋」であった。
⇒2009年7月 7日 (火):水俣病と水上勉『海の牙』
科学的なアプローチで突き止めた原因物質の特定に先立って、作家の想像力はチッソ水俣工場の廃液に起因することを作品にしていた。
⇒2011年7月27日 (水):大阪万博パラダイム/梅棹忠夫は生きている(2)

福島原発事故の生態系への影響はどうであろうか?
日本生態学会のシンポジウムでは、イノシシやサルなどの生息域が拡大しているという報告が相次いだという。
代表的な生態系の森林では、いわゆる除染もままならない。
キノコなどに放射性セシウムが蓄積されていくことは知られているが、生態系全体への影響はどうだろうか?

東京新聞2013年3月11日の「放射能汚染を追う下」という記事に、次のような図が載っていた。
Photo

国の基準値を超えるような食品が流通することはないというが、全体像は把握されていないというべきであろう。
しかし、変異の兆候は出ているとも考えられる。
人の命や生態系などの「この世にただ1つしかないもの」については金銭評価が難しい。
⇒2012年5月15日 (火):金銭で評価し得ない被害の補償/原発事故の真相(28)/因果関係論(12)

地域の生物に異変が見られ、やがて人間にも異変が生じる。
食物連鎖の頂点にいる人間への影響は、一般に遅延事象として現れる。
⇒2013年2月10日 (日):カワセミと放射性物質/原発事故の真相(57)

1960年代に排出が多かった水銀は、現在も世界各地のマグロやクジラから検出されるという。
原発再稼働を急ぐ前に、広範なウォッチングを慎重に継続していくことが必要ではないだろうか。


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2013年3月13日 (水)

原発関連自殺の実態/原発事故の真相(58)

自殺のニュースは胸が痛い。
特に、学生・生徒が、いじめや体罰を苦にして、というようなニュースは辛い。
自殺に至るまで、どんなにか悩んだことだろうか。
私くらいの年齢になると、どんなに大きく思えるような悩みも、ほとんどの場合、時間が解決してくれることを体験上知っている。
しかし、中学生や高校生にとっては、その時間が耐えられないのだろう。

東京電力福島第一原発事故に関連した自殺もかなり出ているようだ。
しかし、その実態は明らかではない。
何が原因で自殺したかは、本人が亡くなっている以上、明確にすることには困難が付きまとう。

学校でのいじめによる自殺についても、学校関係者、教育委員会が、いじめの事実があったことは(しぶしぶ)認めても、次のように言うのは常套的であくる。
「自殺を予測することはできず、直接の原因はわからなかった」
⇒2010年11月10日 (水):いじめと自殺の因果関係/因果関係論(7)
⇒2010年11月27日 (土):いじめと自殺の因果関係(続)/因果関係論(8)
⇒2012年7月10日 (火):大津市中学生自殺事件/花づな列島復興のためのメモ(106)/因果関係論(13)

原発事故による場合、因果関係はより不分明であろうし、遺族には、自殺を表沙汰にしたくない心理も働くのではなかろうか。
そもそも、原発関連死の統計も不十分である。
⇒2013年3月11日 (月):2年という時間の長さと短さ/花づな列島復興のためのメモ(199)

 厚生労働省が震災後、自治体に例示した関連死認定の基準は、自殺について「発作的なものでなく、震災を契機としたストレスによる精神的疾患に基づくもの」を認定対象にしている。震災関連死に詳しい津久井進弁護士は「福島の場合、インフラや住宅の整備で復興への道筋が見えた過去の震災とは、将来に対する絶望感がまったく違う」と指摘。「医学的な要因だけでなく、社会的背景が原因の場合も認められるべきだ」と指摘する。 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013031302000105.html

厚労省の基準は間違いではないだろうが、自殺者の心理に対する洞察が欠けているのではなかろうか。
「発作的なものでなく」というが、自殺をするその瞬間というのは、「発作的なもの」である場合があると思われる。

東電も自殺との因果関係を認めたがらないようである。

 原発事故で避難を強いられ、11年7月に自殺した五十崎(いそざき)喜一さん(当時67歳)の妻栄子さん(63)が「避難生活でうつ病を発症し自殺した」として東京電力に約7600万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が26日、福島地裁であった。東電側は「避難生活と自殺の因果関係が認められない」と述べるにとどまった。五十崎さんは記者会見で「誠実に対応して、早く救済してほしい」と訴えた。
 意見陳述で、栄子さんは「働き者で家族思いだったお父さん(喜一さん)の心が、原発事故による避難生活で下り坂を転げ落ち始めた。お父さんを返してください」と述べた。
 東電側は、原発事故と喜一さんのうつ病発症との因果関係を不明とし、「因果関係に関する精神科医の意見書がない限り、反論できない」と主張した。
 また、妻が避難生活の影響で自殺したとして、東電に損害賠償を求めている渡辺幹夫さん(62)の第3回口頭弁論でも、東電側は「精神科医の意見書がない」との主張を繰り返した。第1回公判から約5カ月、審理は遅々として進んでいない。弁護側の広田次男弁護士は「東電は消極的な対応に終始して、裁判を引き延ばしている」と法廷で苦言を呈した。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20130227ddlk07040265000c.html

原発事故の損害賠償は、第一義的には東電が負うべきであろうが、到底東電だけでは賄いきれないだろう。
国策として推進してきた以上、国も一体的に損害賠償にあたるべきではなかろうか。

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2013年3月12日 (火)

無類の知の渉猟者・山口昌男さん/追悼(29)

文化人類学者の山口昌男さんが、10日亡くなった。
私が初めて山口さんの著書を手にしたのは、多分『本の神話学)』中央公論社(7107)ではないかと思う。
その読書の幅の広さと量に圧倒された。

最初にその名前を目にしたのは、週刊の「日本読書新聞」掲載された吉本隆明『共同幻想論』河出書房新社(1968)の書評である。
内容のことはともかく、その頃学生の間で人気の高い吉本さんを、ほとんど全否定してみせた腕力に、先ず注目させられたのである。

人類学的思考』せりか書房(7103)の初出一覧の項を見ると、1969年1月~3月に掲載されている。
山口さんは、1931年8月生まれだから、30代後半だった。
印象としては、ずっと成熟した雰囲気を醸していたような記憶があるが、今にして思えば、若気の気負いもあったように思える。

人類学的思考の「幻想・構造・始原-吉本隆明『共同幻想論』をめぐって」を見てみると、冒頭に次のように書いてある。

 ひとあたり読んでみて、良くわからない部分の多いのに先ず驚いた。私にとってこれは最近珍しい体験である。これは昔前、田舎の中学生として小林秀雄の文章に初めて接した時の驚き、あわてふためきようにも似てないとは言えなかろう、と思われるのである。

これには、思わずニヤリとしてしまった。
ついこの間、二人の分かりにくさについて書いたばかりである。
⇒2013年3月 4日 (月):小林秀雄と吉本隆明の「キレ」と「コク」/知的生産の方法(38)

山口さんの業績は次のように要約されている。

 60年代からナイジェリアや、インドネシアで人類学的調査を実施。そのフィールドワークを基に「中心と周縁理論」や道化の役割を考察した「トリックスター論」など独自の文化理論を構築した。
 雑誌「現代思想」などで構造主義や記号論を紹介。75年には記念碑的作品「道化の民俗学」「文化と両義性」を発表した。自ら「トリックスター」を体現し、国内外の気鋭の学者と積極的に交流、学際的に知の世界を刺激。硬直化する日本のアカデミズムに風穴を開けた。さらに80年代に一世を風靡(ふうび)した浅田彰さん、中沢新一さんら若手の学者や文化人による「ニュー・アカデミズム・ブーム」を生む契機ともなった。また、磯崎新さん、大江健三郎さん、大岡信さんと共に雑誌「へるめす」の編集同人としても活動した。
 ナイジェリア・イバダン大講師、仏パリ大第10分校客員教授などを歴任。札幌大学長も務めた。東京外語大名誉教授。
 著書に「アフリカの神話的世界」「知の遠近法」など。96年「『敗者』の精神史」で大佛次郎賞受賞。11年文化功労者。

http://mainichi.jp/select/news/20130311ddm041060075000c.html

 大学学長としてユニークな大学運営をしたこと、東京外国語大学に籍を置いていたこと、専門分野にとどまらない該博な知識の所有者であることなど、先に亡くなった中嶋嶺雄さんと共通する要素も多い。
⇒2013年2月20日 (水):中国論をこえた浩瀚な学識・中嶋嶺雄/追悼(28)

大知識人と呼ぶべき先達が相次いで鬼籍に入る時代ということか。
合掌。

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2013年3月11日 (月)

2年という時間の長さと短さ/花づな列島復興のためのメモ(199)

東日本大震災から丸2年である。
もう2年かという思いと、まだ2年かという思いが交錯する。
朝から、メディアは震災特集一色である。

東日本大震災は、誤解を恐れずに端的にいえば、巨大津波と原発災害ということになろう。
前者は天災であり、後者は人災である。
津波については、その発生自体を防ぐことはできない。
そして、その巨大な破壊力はTVの映像等を通して理解できたつもりである。

児童と教職員計84人が死亡・行方不明となった大川小学校を訪ねたときの様子は衝撃的であった。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)
自然現象としての津波は不可避だとしても、災害の大きさは対応の仕方如何で変わってくる。
辛いことではあっても、しっかりと検証することが亡くなった児童たちの冥福のためにも重要であろう。

原発災害の真因については未だ曖昧である。
これだけの災害が、津波によるものであることは間違いないにせよ、果たして津波がなければ安全だったのか?

主要な4つの事故調査報告書でも、国会事故調の報告書では、重要な機器・配管類の損壊が、津波ではなく地震により起きた可能性を、全面的には否定できない、というものであった。
⇒2012年7月21日 (土):原因を「想定外の津波」に限定していいか?/原発事故の真相(40)
⇒2012年7月25日 (水):政府事故調の報告書/原発事故の真相(41)

しかも、その国会事故調の現地調査を、東電が妨害したとみられる事実が発覚している。
⇒2013年2月 7日 (木):情報の漏洩と事実の隠蔽/原発事故の真相(56)
民主党の野田政権も、自民党の安倍政権も、事故の真因が不明確なままに、原発を再稼働させ、積極的に活用しようというスタンスである。
私には、「国民の生活を守るため」と言って、こともあろうに「国民安全の日」に大飯原発を再起動させた野田前首相の言葉を忘れまい。
⇒2012年7月 2日 (月):「国民安全の日」に大飯原発を再起動させる無神経/花づな列島復興のためのメモ(100)

東日本大震災による被災者数は以下の通りと報じられている。
Photo
東京新聞2013年3月11日

いまなお31万5196人の人が、避難生活を送っているのである。
そして、上記によれば原発関連死として、789人が数えられている。
これは、原発事故に伴う避難やストレスによる体調悪化などで死亡したケースを、同紙が市町村に該当者数を取材した数値である。
なお、「震災関連死」とは、建物の倒壊や火災、津波など地震による直接的な被害ではなく、その後の避難生活での体調悪化や過労など間接的な原因で死亡すること、と定義されている。
上表の数値は宮城、岩手、福島3県の数値であるが、福島県は1337人を占めている(10日現在)。

同紙によれば、認定数の多さだけではなく、影響が長期に及んでいるのも福島の特徴だ。
震災後1年目と2年目の震災関連死の認定数は以下のようだ。
福島 761 576
宮城 636 220
岩手 193 168
福島の震災関連死≒原発関連死なのだ。
原発事故は収束した、という言い方がいかに欺瞞的であるかが数字的にもはっきりしている。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)
⇒2012年3月28日 (水):冷温停止の大本営発表/原発事故の真相(22)
⇒2012年6月21日 (木):福島原発事故「収束」宣言と消費税/花づな列島復興のためのメモ(90)

原発即時廃止こそが、花づな列島復興の条件ではなかろうか?

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2013年3月10日 (日)

新しい情報の生まれ方/知的生産の方法(41)

 「情報」とは何か?
さまざまな人が定義を試みているが、「情報」という言葉で表そうとする内容自体が多様なので、所詮決定版の定義などはあり得ない。

言語学に、シニフィエとシニフィアンという概念がある。
石川幹人『人間とはどういう生物か: 心・脳・意識のふしぎを解く』ちくま新書(1201)には、次のような図が載っている。
Ws000003
つまり「情報」というシニフィアンで表象しようとするシニフィエが必ずしも同じではないということである。
ここではそのことに深入りせずに、実務者の立場で、「情報=役に立つ知らせ=役に立つ記号の集合」と考えよう。
「役に立つ」というのは、実用的に役に立つというようなことだけではなく、文芸や音楽などのように感性に作用するような刺激も「役に立つ」ものといえよう。

「役に立つ」という限定は、無意味な記号の集合を排除するためである。
もちろん、役に立つか立たないかは、人によって異なる。
ある人にとって有用であっても、他の人にとって無用ということはあり得る。

それでは、新しく「情報」が生まれるのはどういう風にだろうか?
何もない真空の状態では、情報は生まれない。
情報が生まれるためには、そこに原材料となるものがなければならない。
その原材料もまた情報である。

つまり、ある情報Aが存在して、それに別の情報Bが何らかの形で反応して情報Cになる。

情報A*情報B⇒情報C

*はとりあえず不明である。
何らかの化学反応に似ているが、反応した後でも原材料の情報Aと情報Bはそのまま残っている。
それがモノと情報の大きな差異である。

情報Aと情報Bを反応させる反応器は、人間の脳である。
知的生産の方法というのは、目にすることができない脳という反応器の中の反応の様子を、何らかの形で可視化しようという試みである。

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2013年3月 9日 (土)

論理が先か感情が先か?/知的生産の方法(40)

組織は人間の発明の中でも最大級であるといわれる。
そして、組織がうまく機能するためには、マネジメントが必要だとした。
P.ドラッカーは、次のように言っている(エターナルコレクション版『マネジメント<下>』(1973年)P.302)

社会的な目的を達成するための手段としての組織の発明は、人類の歴史にとって一万年前の労働の分化に匹敵する重要さをもつ。組織の基盤となる原理は、「私的な悪徳は公益となる」ではない。「私的な強みは公益になる」である。これがマネジメントの正統性の根拠である。マネジメントの権限の基盤となりうる正統性である。
http://blog.livedoor.jp/pfd/archives/cat_50012761.html?p=2

組織の中で仕事をするためには、他人との意思の疎通・コミュニケーションが不可欠である。
コミュニケーションを促進するファシリテーターの役割が重要化しつつある。
⇒2011年2月 9日 (水):ファシリテーターと理路の見える化/知的生産の方法(10)

コミュニケーションというような作用は、脳の高次機能といわれる働きによる。
回復期のリハビリ病院における私の主治医は、西大條学先生であった。
西大條先生の著書『「恐竜の脳」で生きる/野生への回帰が人を強くする』太陽企画出版(9310)については触れたことがある。
⇒2010年4月25日 (日):恐竜の脳」の話(1)最近の政局をめぐって

脳の構造については、菅原美千子『ロジックだけでは思いは伝わらない! 「共感」で人を動かす話し方』日本実業出版社(1001)に次のような図が載っている。
Ws000001_2

脳の進化は、爬虫類の脳⇒哺乳類の脳⇒人間の脳という順に発達してきた。
爬虫類の脳は、脳幹・視床下部と呼ばれる部位である。
呼吸・心拍・血圧など生命維持にかかわる機能を司る。

哺乳類の脳は、大脳辺縁系にある。
「好き・嫌い」などの原始的な感情を司る扁桃体や、記憶をを司る海馬から成る。
人間の脳は、大脳新皮質にあって、思考活動を司っている。

脳の中で一番早く反応するのが大脳辺縁系の扁桃体だという。
つまり感情を司る部位である。
第一印象は「好き・嫌い」で決まるということである。

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2013年3月 8日 (金)

道徳教育は有効か?/花づな列島復興のためのメモ(198)

政府の「教育再生実行会議」は、道徳教育を教科にするよう求める提言を出した。

 道徳の教科化は第1次安倍政権が設置した教育再生会議が平成19年6月に提言。文部科学相の諮問機関である中央教育審議会で検討されたが、見送られた。公明党は当時から反対の姿勢で、福田康夫政権に「道徳は教師や親も含めた大人が教え伝えるべきで、教科になじまない」と申し入れた経緯がある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130307/stt13030700320000-n1.htm

教育のあり方が、大津市の中2男子のいじめ自殺や大阪市の部活動体罰による自殺事件などにより、大きな社会問題になっている。
⇒2012年7月10日 (火):大津市中学生自殺事件/花づな列島復興のためのメモ(106)/因果関係論(13)
⇒2013年1月26日 (土):体罰問題をどう考えるか?/花づな列島復興のためのメモ(184)

命を大切にしたり、他人を思いやったりする心を育むことの重要性は、改めて指摘するまでもないだろう。
しかし、それが道徳を教科にすることによって、実効性があるのかどうかは疑問であろう。
しても効果があるのか。
道徳教育の現状は、Wikipediaによれば、以下のようである。

現在は学校でおこなわれる道徳教育については学習指導要領に規定されており、「道徳教育は、学校の教育活動全体を通じて行うもの」であるとしている。即ち学校において行われる全ての活動は一つの例外もなく道徳的であることが求められる。
さらに、小学校、中学校、中等教育学校の前期課程には道徳の時間が年間あたり35単位時間(1単位時間は、小学校45分、中学校50分)設けられ、各学校によって異なるが、だいたい1週間あたり1校時割り当てられるようになっている。ミッション系や仏教系、新興宗教系の私立学校では「宗教」の時間に代替することが可能である。欧米にはこういう時間がなく、宗教教育などで代替されている。イギリスでは宗教の時間とともに、PSHEの時間が道徳教育と広義の社会的スキルの学習を担当している。
県立高等学校で道徳の授業がある例は少なく、茨城県と埼玉県のみである。2013年度からは千葉県でも導入される。

道徳を教科にすることはこれまでも繰り返し唱えられてきた。
森喜朗元首相の私的諮問機関、教育改革国民会議が、2000年に提言し、2007年には第1次安倍内閣の教育再生会議が「徳育」の名称で教科にすることを求めた。
しかし、文部科学相の諮問機関、中央教育審議会で実現は難しいとの意見が相次いだことにより、実現はしなかった。

見送られた理由は、点数評価、専門の教員免許、検定教科書の使用などにおける難しさである。
「教育再生実行会議」の提言は、これらの問題点をどうクリヤーするのか必ずしも明確ではない。

教科書を使って成績を評価するとなると、特定の価値観を押し付けることになりかねない。
道徳というのは心の問題である。
成績評価をするとなると、「良い子」でいることを競わせることになりかねない。
それではいじめは陰湿化する可能性があろう。

心の問題は、評価が難しい。
「キレ」の思考だけでは割り切れないであろう。
教科としてではなく、文学に親しんだり、哲学のテーマを探究したり、美術に触れたりというような総合的な学習の中で、本人の「気づき」を誘発することが必要ではないか。
いわば「コク」の世界をどう教えていくかという課題であり、学校教育の教科の問題に閉じ込められる問題ではないように思える。

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2013年3月 7日 (木)

国会は違憲状態をいつまで続けるのか?/花づな列島復興のためのメモ(197)

昨年12月に行われた総選挙について、前日の東京高裁に続き、札幌高裁が違憲判決を出した。

最高裁が違憲状態と判断した「一票の格差」を是正しないまま実施された12年12月の衆院選は違憲だとして、札幌市の有権者が北海道3区(札幌市白石、豊平、清田区)の選挙無効を求めた訴訟で、札幌高裁(橋本昌純裁判長)は7日、小選挙区の区割りを「違憲」と判断した。一方で、実際に選挙を無効とした場合の影響の大きさを考慮し、「事情判決の法理」に従って選挙自体は有効とした。
格差が最大2.43倍だった先の衆院選を巡り、二つの弁護士グループが全国の高裁、高裁支部に起こした計16件の訴訟のうち、判決ついて違憲判決を出し、は東京高裁(6日)に続き2件目。東京高裁も同様の「違憲」判決を出していた。
http://mainichi.jp/select/news/20130307k0000e040236000c.html

まあ、違憲判決は「想定内」のことであった。
最高裁大法廷で、2010年7月の参院選、2009年の衆院選について、違憲判決を出していたからである。
⇒2012年10月18日 (木):永田町に繁殖するシロアリを退治せよ/花づな列島復興のためのメモ(151)

両院ともに違憲という状態で解散を行った野田政権の責任は重い。
この総選挙は、小選挙区制の欠陥がくっきりと表れた選挙でもあった。
⇒2012年12月17日 (月):総選挙の結果をどう見るか?/花づな列島復興のためのメモ(175)

想定された違憲判決ではあるが、「事情判決の法理」というのはどういうことだろうか。
毎日新聞の解説を見てみよう。

 行政事件訴訟法は、行政処分が違法でも、取り消すと公益を著しく害すると裁判所が判断した場合、「事情判決」によって取り消し請求を棄却できると定めている。公選法に基づく選挙訴訟にはそのまま適用できないが、「1票の格差」を巡る訴訟では過去に2度、最高裁が違憲と判断した場合でも、選挙を無効とする影響の大きさなどを考慮し、事情判決の法理(法の原則的な考え方)に従い、選挙自体は有効としてきた。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130307ddm001010035000c.html

選挙を無効とすることは、公益を著しく害するということだろう。
しかし、選挙で圧勝した自民党政権は、さっそく憲法改正の方向性を明確化している。
⇒2012年12月18日 (火):違憲状態で勝利して改憲とは?/花づな列島復興のためのメモ(176)

まったくブラックジョークのような話であるが、安倍内閣の世論支持率は高い。
「事情判決の法理」は行政事件訴訟法が根拠だという。

第三十一条  取消訴訟については、処分又は裁決が違法ではあるが、これを取り消すことにより公の利益に著しい障害を生ずる場合において、原告の受ける損害の程度、その損害の賠償又は防止の程度及び方法その他一切の事情を考慮したうえ、処分又は裁決を取り消すことが公共の福祉に適合しないと認めるときは、裁判所は、請求を棄却することができる。この場合には、当該判決の主文において、処分又は裁決が違法であることを宣言しなければならない。
  裁判所は、相当と認めるときは、終局判決前に、判決をもつて、処分又は裁決が違法であることを宣言することができる。
  終局判決に事実及び理由を記載するには、前項の判決を引用することができる。

まったく社会正義とは何か、ということを考えざるを得ない。
国会が両院ともに違憲状態であり、その違憲状態を放置したままで行われた選挙によって、改憲までも行われようとしてるしているのである。

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2013年3月 6日 (水)

コンセプチュアル・スキルの時代/知的生産の方法(39)

職業人のスキルとして、よく知られているものに、ロバート・カッツが提唱したモデルがある。
Photo
http://www.net-eduket.jp/products/ningenryoku/index.html

スキルを、テクニカル・スキル、ヒューマン・スキル、コンセプチュアル・スキルに区分し、職場での階層に応じて必要とされるスキルのウェイトが変わる、というものである。

テクニカル・スキルは、専門領域の業務を遂行するためのスキルである。
ヒューマン・スキルは、人間関係を上手にやっていくスキルである。
コンセプチュアル・スキルは、モノ・ゴトを抽象化して概念操作を行うためのスキルである。

テクニカル・スキルは専門領域によって異なる。
化学技術者ならば、化学反応や反応速度などであり、技術者としてのレベルが向上するに連れ、より細分化していく。
いわゆる技術者だけでなく、経理や総務などの事務部門でも、上級になるほど細分化したスキルが求められる。

ヒューマン・スキルは、コミュニケーション・スキルと言い換えてもよいであろう。
池上彰さんの『伝える力 (PHPビジネス新書)』(0704)や阿川佐和子さんの『聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)』(1201)などがベストセラーになっているが、コミュニケーション・スキルに対する関心の強さを示している。
ヒューマン・スキルは、すべての階層に求められるから、ベストセラーも生まれやすいのだろう。

コンセプチュアル・スキルというのは捉えどころのないスキルである。
以下のような説明がされている。

コンセプチュアルスキルは、組織や社会の全体を視野に入れながら総合的な情勢判断と政策決定を行う能力のこと。具体的には、組織や社会に関する全般的な知識や論理的思考力および問題解決力などを含む。 またコンセプチュアルスキルは、経営者層、管理者層、監督者層のうち、組織運営の舵取りを行う経営者層で最も重要度が高いとされる。
kotobank

「コンセプチュアルスキルは、経営者層、管理者層、監督者層のうち、組織運営の舵取りを行う経営者層で最も重要度が高いとされる」のは確かであろうが、現代のような情報化が進んだ社会では、テクニカル・スキルとしてコンセプチュアル・スキルが必要とされているともいえる。
私が、このブログで、知的生産の方法として取り上げているものは、コンセプチュアル・スキルとほぼオーバーラップしていると考えている。

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2013年3月 5日 (火)

日米安保体制と沖縄/花づな列島復興のためのメモ(196)

今日は啓蟄だそうだ。
冬籠りしていた虫が、大地が暖まり春の訪れを感じ、穴から出てくる頃のことをいうが、確かに空気がなんとなく春の気配だ。
虫に限らず、さまざまな生き物が動き始める季節である。

さて、安倍首相は、基地問題等の沖縄の懸案事項にどう取り組み、どのような解決策を出すだろうか?
オバマ大統領との会談を終えた首相は、「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活したと自信をもって宣言したい」と語った。
民主党政権で失われた信頼感が回復したということだろう。

しかし、当事者である沖縄の見る目は違うようだ。

 同じ一つの事象を見ていながら、見る側の立ち位置によって、全く違って見えることがある。今回のケースはその典型例だ。
 米軍普天間飛行場の移設問題について両首脳は、日米合意に沿って早期に進めることを確認した。埋め立て申請の時期には言及していないものの、これによって3月中の埋め立て申請の可能性が強くなった。
 だが、辺野古への強引な移設作業によって「日米同盟の強い絆が復活する」と考えるのは、あきらかな誤りだ。希望的観測に浸るのではなく、厳しい現実を直視すべきである。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2013-02-24_45701/

「絆」は、東日本大震災によって脚光を浴びた漢字である。
2011年の「今年の漢字」に選ばれたことがその証拠である。
⇒2011年12月12日 (月):今年の漢字は、「絆」

私自身、被災者たちが家族であるいは地域で、さらには地域や国家を越えて助け合う姿にたびたび感動を覚えた。
⇒2011年3月23日 (水):震災を耐え抜いた家族の絆

しかし、「絆」という字は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱のことである。
したがって、しがらみや呪縛、束縛など、負の意味で使われていたという。
それが、人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近であるというのが辞書の解説である。

まさに、「同じ一つの事象を見ていながら、見る側の立ち位置によって、全く違って見えること」の典型だろう。
沖縄は、日米安保体制を維持していく上での基地負担を集中的に担ってきた。
米国が人(軍隊)を提供し、日本が物(基地)を提供する「人と物の協力関係」において、日本側の負担が沖縄に過重にしわ寄せされてきたのは事実である。

「最低でも県外」とは、2009年衆院選前の鳩山由紀夫代表の米軍普天間飛行場移設問題での発言として有名である。
この件では、鳩山氏が1人ピエロじみた役回りをした印象が強いが、言葉に責任を負う覚悟のない民主党全体の問題であろう。
⇒2013年3月 2日 (土):民主党は再生できるか?/民主党とは何だったのか(9)

防衛省は米軍普天間飛行場の移設を予定している名護市辺野古地域の漁業権を持つ名護漁業協同組合に、埋め立てへの同意を求める文書を提出した。
しかし、県内では県議会、全市町村議会が県内移設に反対を決議している。
また、全首長、議長らが上京して安倍晋三首相宛てに普天間の閉鎖、撤去を求める「建白書」も提出している。
こうした状況で、手続きが進められるであろうか。

仲井真知事も、政府の同意申請手続きに不快感を示している。
沖縄県民の意向を無視して移設作業を強行すれば、沖縄社会全体に大きな亀裂が生まれ、社会的混乱を引き起こすことになるだろう。
沖縄は、日本から離れていく可能性もゼロではない。
日米安保体制をどういう枠組みで維持していくのか、発想の転換が必要なような気がする。

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2013年3月 4日 (月)

小林秀雄と吉本隆明の「キレ」と「コク」/知的生産の方法(38)

小林秀雄の文章がセンター試験にでたことが話題である。
日経新聞のコラム「春秋」の2013年2月6日が、ネタにしている。

小林秀雄は入試に出すな。丸谷才一さんが、かつて国語論「桜もさよならも日本語」のなかで訴えていた。いわく「彼の文章は飛躍が多く、語の指し示す概念は曖昧で、論理の進行はしばしば乱れがちである。それは入試問題の出典となるには最も不適当なものだらう」。
▼文芸批評の神様も形無しだが、丸谷さんはその仕事自体を否定したわけではない。偉大さは認めるけれど、難解なこういう型の文章の出題者は責められなければならない、これで苦しんだ若者は「文学」への悪意をいだく――と非難したのだ。たしかに受験生のころ、この人の独特の調子に悩まされた人は少なくあるまい。
▼最近はどこの大学でもあまり登場しなくなっていたその難物が、今年は初めて、大学入試センター試験で出た。丸谷さんが昨年亡くなったから解禁したわけでもないだろうが、受験生は大いに戸惑ったようだ。しかも出題文は刀剣の鐔(つば)をめぐる随想とあって、国語の平均点を例年よりだいぶ押し下げる要因になったらしい。
▼読んでみると、これはやっぱり難しい。とはいえ、かみしめればよい味もするのが小林秀雄である。結局は、短時間でやっつける試験に向くかどうかの問題だろう。安直な5択方式でなく、たとえば「無常という事」についてじっくり語り合う。そこまで手間ひまかけた選抜ならば、神様も出てきがいがあるかもしれない。

東京新聞の「大波小波」欄と似たような論旨である。
⇒2013年2月 2日 (土):センター試験問題の「コク」と「キレ」/知的生産の方法(34)

去年亡くなった吉本隆明さんも、共通する要素がありそうである。
一周忌を前にして、批判本が目につく。
呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』筑摩書房(1212)や土井淑平『知の虚人・吉本隆明―戦後思想の総決算』編集工房朔 (1301) などが目についた。
前者の最終章「吉本隆明って、どこが偉いんですか?」で、呉氏は次のように書いている。

 大思想家の条件は、第一に、常人にはよく分からないことを書くことであるらしい。花田清輝もそうだし、小林秀雄もそうだ。よく分からないことを書けば、読者は必死になって読んでくれる。
・・・・・・
 むろん、本当に大思想家で、常人にはよく分からないことを書くひともいる。前にも触れた荻生徂徠はその代表だろう。・・・・・・

呉氏は、荻生徂徠は本当に大思想家であるが、花田清輝や小林秀雄や吉本隆明は、よく分からない書き方をしているだけだ、と言っているわけだ。
確かに、花田の『復興期の精神』、小林の『本居宣長』、吉本の『言語にとって美とはなにか』等は難解で、私も挫折した体験がある。
しかし、よく分からないから偉いに違いない、という風に思ったことはない。
吉本の「前世代の詩人たち」は非常に分かりやすく、この人は信頼できる、という印象をもった。
⇒2012年3月16日 (金):さらば、吉本隆明/追悼(20)

「分かる」ということは、そのモノ・コトが他のモノ・コトと「分けられる」かどうかに係わっている。
⇒2008年2月17日 (日):判読と解読
⇒2012年5月 1日 (火):個体識別/「同じ」と「違う」(47)
⇒2013年1月22日 (火):抽象的概念を規定する方法/知的生産の方法(32)
⇒2013年1月27日 (日):『「いき」の構造』に学ぶ概念規定の方法/知的生産の方法(33)

吉本の文章が分からないのは、呉氏の言うように、彼独特の用語法や文法に馴染みがたいものがあることは否定できない。
しかし、およそ詩的な文章はみな少なからず独特の用語法やオーソドクスな文法を逸脱している。
佐藤信夫氏が『レトリック感覚』等で説いているように、それがレトリックの本質であり、新しい認識を表現しようという試みであろう。

問題は、「コク」があるか否かである
⇒2013年1月17日 (木):「キレ」の思考と「コク」の思考/知的生産の方法(28)
私は、花田清輝、小林秀雄、吉本隆明などは、いずれも「コク」のある文章を書いた人だと思う。
好きか嫌いかは別として。

 

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2013年3月 3日 (日)

東宮一家の振る舞いの報じられ方/やまとの謎(83)

日銀の次期総裁は黒田東彦氏になるようである。
その是非の論議は専門家や国会に任せるとしよう。
東彦は“はるひこ”と読むという

皇太子のことを、東宮という。
国語辞典を引くと以下のような解説が載っている。
http://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E5%AE%AE

東は四季の春に配されて万物生成の意をもち、また易では長男を表す震にあたり、宮殿が皇居の東にあったところから

東宮は、皇太子の住まう宮殿のことであるが、、居所を呼ぶことで婉曲的に皇太子その人を指す。
「とうぐう」「ひつぎのみこ」「はるのみや」などと読まれる。
東彦をはるひこと読む由縁である。

その東宮は2月23日に53歳を迎えられた。
その東宮一家のことがいろいろ論議の的になっているらしい。

いつぞや同年代の人たちとバス旅行をしたおり、女性陣が熱い論議を交わしていた。
要は、雅子妃を支持するか、秋篠宮の紀子妃を支持するかであり、背景に、雅子妃殿下が公務をないがしろにしているのではないかということがる。
こういうことは継続的にウォッチングしているわけではないが、目には入ってくる。
⇒2011年9月30日 (金):皇統と皇太子の位置/やまとの謎(39)

現行の皇室典範の規定では、次代天皇は現東宮の徳仁殿下が継承することになる。
ところが、雅子妃の体調が優れないなどの理由で、さまざまな論議が起きている。
孫引きになるが、皇室評論家で文化学園大学客員教授の渡辺みどり氏は、次のように言っている。

「いまの皇太子さまは、雅子さまの問題を抱えておられるとはいえ、あまりに“内向き”になられているように見受けられます。ご家庭のことばかりでなく、広く国民のためにご活動なさるよう、ご自覚をもってご公務にあたる姿勢が望まれます。現に大震災の時も、秋篠宮家に比べて東宮ご一家のご活動は少ないと感じました。昨年8月に雅子さまと愛子さまは、ご静養のため那須の御用邸に20日間もお籠もりになっていた。栃木まで行かれたのならば、例えば東北の避難所まで足を延ばし、被災地に千羽鶴をお供えになるといったこともできたのでは・・・・・。そう思うと、残念でなりません」(『週刊新潮』3月1日号)
http://www.nishiokanji.jp/blog/?cat=24

西尾幹二氏のブログからの引用であるが、西尾氏は雅子妃の言動と共に、父親の小和田恒氏の言動も批判している。
小和田氏のことは置いておくとして、皇位継承の男系か女系かという問題も絡んでいる。
西尾氏の言葉を引用しよう。

もし愛子内親王とその子孫が皇位を継承するなら、血筋が女系でたどる原則になるため、天皇家の系図の中心を占めるのは小和田家になる。これは困るといって男系でたどる原則を適用すれば、一般民間人の〇〇家、△△家が天皇家本家の位置を占めることになる。
http://www.nishiokanji.jp/blog/?cat=24

これは悠仁親王が生まれる前の言葉であろうが、少し遠くを見れば事態は変わっていない。
「週刊新潮」2013年2月14日号に、『毎年恒例!「雅子さま」「愛子さま」の松屋デパート貸し切りショッピング』という記事が載っている。
タイトルだけ読めば十分なような記事であるが、以下のような内容である。

2月2日に、松屋で開催されている「東京私立小学校児童作品展」をご覧になるため、東宮一家が来店した。
混乱を避けるため開店前の来訪だったが、一家は先ず展示場に向かう前に買い物をした。
開店直前に展示場に入ったが、開店時間を過ぎると瞬く間に人の輪ができてしまった。
“公務よりプライベート優先”の一例である。

この東宮の銀座行啓と時を同じくして、秋篠宮はカンボジアのシアヌーク前国王の葬儀に参列するため成田を飛び立っている。
去年の松屋訪問は、天皇陛下の心臓手術前の検査入院を控えて葉山で静養していた時であった。
東宮の姿はなかったが、秋篠宮は葉山に駆けつけた。

最近も、宗教学者の山折哲雄氏が「新潮45」2013年3月号に『皇太子殿下、ご退位なさいませ』という論文を発表したとのことである。
同誌を手にしていないが、山折氏といえば、国際日本文化研究センター元所長で名誉教授、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授等の肩書を持つ宗教学者である。
「週刊新潮」2013年3月7日号によれば、「皇太子は自ら退位を宣言して、第二の人生を選ぶ時期ではないか」、そして「秋篠宮へ譲位」することを提案しているらしい。
その理由は、雅子妃のみならず東宮も「公より私を優先しているから、ということである。

週刊誌の記事を鵜呑みにするわけではないが、こういう書き方をされてしまう行動は如何なものだろうか?
私は、万世一系で男系により継承されてきたし、これからもそうあるべきだという皇位継承の論理に疑問を持つ。
⇒2011年1月 7日 (金):初詣と神道と天皇制
⇒2011年1月10日 (月):皇統論における「Yの論理」への疑問

しかし、小泉内閣時代の皇室典範改正論議にも曖昧な感じを拭えない。
⇒2008年11月26日 (水):「邪馬台国論争」と天皇問題
もともと、論理で割り切れる問題ではない、あるいは割り切るべきでない問題ということであろうが、日本国の重大問題ではある。。

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2013年3月 2日 (土)

民主党は再生できるか?/民主党とは何だったのか(9)

民主党が、2月24日に、野党転落後初めての党大会を東京都内のホテルで開いた。
その様子は以下のように報じられている。

海江田万里代表は夏の参院選と都議選での党勢回復に向け、組織の立て直しや地方との連携強化に全力を挙げる決意を表明する見通しだ。
・・・・・・
納税者や消費者の立場で「共生社会」を実現することや、「未来志向の憲法を構想していく」との記述を盛り込んだ綱領を決定。09年マニフェスト(政権公約)をめぐる公約違反や、政権運営の稚拙さを衆院選惨敗の原因として指摘した報告書も示す。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130224/stt13022414030003-n1.htm

やっと綱領が決定した。
これで再生に向かって弾みがつくか?
残念ながら、そういう感じは伝わってこない。

火中の栗を拾った形の海江田代表も大変だとは思うが、もっと必死で惨敗の総括をしなければならないのではないか。
海江田代表は、「政権再奪取を目指す」と述べ、「参院選は党の存亡を懸けた戦いとなる」と檄を飛ばしたが、マニフェストという国民との約束を弊衣の如く捨て去ったことを、国民は忘れていない。
総選挙での惨敗は、単なる不支持ではない。
国民は怒っているのであり、さらに嫌悪感すら抱いていたノダ。
政権奪取などは、夢のまた夢と知るべきだろう。

綱領には次のように書いてある。

私たちは、政権交代の実現とその後の総選挙の敗北を受け、あらためて原点を見つめ直し、目指すものを明らかにする。そして道半ばとなった改革を成し遂げるため、必ずや国民政党として再生し、政権に再挑戦する
http://www.dpj.or.jp/about/dpj/principles

言葉が上滑りしている、というかスイートスポットを捉えていないような気がする。
「原点を見つめ直す」としたが、党大会で採択された「党改革創生本部第一次報告」について、沖縄には次のような厳しい言葉がある。

在沖米軍基地問題について「『普天間』(中略)等、トップによる失敗の連鎖」「普天間に代表される安全保障上の失敗(中略)は国民の不信感をあおる原因となった」と総括した。根本的な認識が誤っていると言わざるを得ない。
 普天間飛行場移設問題混迷の原因は、鳩山由紀夫元首相の失敗、すなわち鳩山氏が「最低でも県外」と言ったことが誤りなのではない。政権交代以前、鳩山氏以外の有力者、例えば岡田克也幹事長(当時)や前原誠司副代表(同)らも同様の認識を示していた。問題は、鳩山氏以外の幹部が、首相を支えて公約を守ろうとせず、政権に就くや否や変節したことにある。
 4年間は消費税率を上げないという公約をあっさり破ったことも、同根だ。遮二無二公約を守ろうとする気概の欠如が問題なのだ。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-203184-storytopic-11.html

民主党が掲げた政治主導、天下りの根絶、地域主権等の公約は、基本的には今でも多数の支持を得るのではないか。
問題は、掲げた旗と実際にやっていることが全く異なっていたことだ。
民主党は改革の道半ばで政権を失ったのか?
改革の道から逸脱し、そのことにあまりにも鈍感であったから、国民に見放されたのではないか?

「原点を見つめ直す」ことは必要だろうが、掲げた理念をどう共有し、具現化していくのか?
このままでは、野党としての存在感も示せないだろう。
そして夏の参院選でも、後退を余儀なくされることは必定である。

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2013年3月 1日 (金)

裁量労働制のタテマエとホンネ/花づな列島復興のためのメモ(196)

現代社会は、いまさら改めて言うまでもないが高度情報化社会である。
それはポスト工業社会であり、モノの生産・流通・消費よりも、情報の生産・流通・消費のしめる意味が大きい社会である。
工業社会の成功によって、われわれの生活が新しい局面を迎えたわけである。

モノの生産と情報の生産の最大の違いは何か?
おそらく、成果物の評価が一義的には決まらないということではなかろうか?

たとえば、モノの代表としてクルマを考えてみよう。
クルマには仕様がきっちり決まっていて、その仕様に適合するクルマを一定の時間単位に、どれだけ生産したか、で生産性を表すことができる。
生産性向上のため、フォードは流れ作業を考案し、トヨタはカンバン方式を考案した。

しかし、情報の生産の場合は事情が異なる。
たとえば、分かりやすい例として、俳句を考えてみよう。
俳句の評価基準を明示的に表すことなど不可能だろう。
⇒2007年8月24日 (金):俳句評価の難しさ
⇒2007年8月25日 (土):第二芸術論再読
⇒2007年10月21日 (日):選句の基準…①月並と類句・類想
⇒2007年10月25日 (木):選句の基準…⑤「予想外」あるいは「勘と好み」

俳句は、桑原 武夫第二芸術 (講談社学術文庫 18)』(7606)などで特に有名であるが、おそらく情報の生産(知的生産)といわれているものに共通することであろう。
情報の生産に係わる仕事の成果物は定型的でなく、したがってその仕事の評価も難しい。

工場労働の多くは時間の関数である。
したがって、定時が決まっており、提示を越えた分は超過労働として、残業代が支払われる。
しかし、情報生産のような場合は、時間による管理が難しい。

いわゆる管理職に残業代が支払われないのは、時間の管理を自分で行うからであろうが、管理職の仕事がいわゆるコンセプチュアル・スキルを必要とするものであるからともいえる。
情報化時代とは、テクニカル・スキルもコンセプチュアル・スキル化する時代である。
それは、一般の労働者も管理職のようになるということである。

管理職については、従来から裁量労働制であった。
しかし、時代の変化により、一般社員も裁量労働制の方が適切と考えられるケースが増えてきた。
研究開発、取材・編集、ソフト開発などの専門業務型、については1988年に、企画・調査などの企画業務型は2000年に裁量労働制が認められた。

裁量労働制とは、一定時間働いたとみなし、仕事の手順や時間配分を従業員に任せるものである。
年々増加してきており、2011年には全国で9000件を超えている。
Photo_3
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013022802000101.html

裁量労働制は、本来、労働時間だけでは成果を評価しにくい働き方に対応するために設けられたものである。
しかし、それはいくら働いても労使で合意した労働時間分の賃金だけを払えばいいことにもなる。
経営者としては、残業代削減という側面で考えがちになる。
現実には、上司の指示のもとに行われている労働も多く、労働実態と制度の趣旨の間には、かなり乖離があるようである。

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