伊豆半島と能登半島/「同じ」と「違う」(56)
日本地図を180度反転させてみると、伊豆半島と能登半島がほぼ似た形をしている。
静岡県→富山県、伊豆半島→能登半島、駿河湾→富山湾という関係である。
⇒2011年1月18日 (火):馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)
伊豆半島の地図と、反転させた能登半島の地図を並べてみよう。
同じ縮尺である。
もちろん細部は異なるが、形やサイズがよく似ていると言っていいだろう。
2013年2月13日付の静岡新聞に、佐藤洋一郎氏の「伊豆半島と能登半島」と題する時評が載っていた。
佐藤氏は、植物遺伝学の研究者で、現在は総合地球環境学研究所の副所長・教授である。
佐藤氏は、伊豆半島と能登半島は、「おどろくほど似ている」という。
公共交通の便が悪く、県都からも遠い。
山がちで目立った製造業がない。
もちろん違うところはたくさんある。
先ず天候である。
今の時期、かたや紺碧の空から陽光が降ってくるが、他方は鉛色の空から雪が降ってくる。
桜や菜の花が咲き誇るのに対し、大地が雪で覆われていて生命の息吹が感じられない。
魚の種類や旬もまったく違う。
伊豆半島と能登半島は縁遠い存在である。
そこで佐藤氏は、縁遠い両地域が、交流を図ったらどうかと提案する。
伊豆-能登サミットである。
自分にあって相手にないもの、逆に相手にあって自分にないもの。
こういう学びあいの交流が双方にとって有益ではないか。
三島駅北口にある「大岡信ことば館」で『家持と女たち』という展示をやっている。
「大岡信の万葉集展」というシリーズ企画の第4回である。
⇒2011年7月 9日 (土):「大岡信ことば館」における『私の万葉集とことば』座談会
⇒2012年8月26日 (日):大岡信『二人の貧窮者の問答』/私撰アンソロジー(15)
家持は『万葉集』の編集に深く関わった。
⇒2008年6月 7日 (土):『万葉集』の編纂過程
⇒2008年6月 8日 (日):大伴家持とその時代
⇒2008年7月11日 (金):大伴家持の生涯
家持は、天平18(746)年から天平勝宝3(751)年まで、越中守として赴任した。
上記展示の中に越中の国庁の位置図がある。
現在の高岡市伏木で、小矢部川の河口近くである。
小矢部川が、家持の歌に出てくる射水川である。
国庁があった付近は、伊豆半島で言えば沼津の付近である。
旧制沼津中学(現沼津東高校)出身の大岡さんに相応しい場所だ。
両半島の交流の材料の一つとして、大岡さんの万葉集論はどうだろうか、などと妄想した。
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