体罰、懲戒、指導/「同じ」と「違う」(55)
学校教育法上は、体罰は禁止されている。
しかし、現実に体罰は後を絶たない。
それは、平成19年2月5日付の文科省の「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」の「別紙」の「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」における「1 体罰について」の記述に起因していると思われる。
⇒2013年2月13日 (水):体罰はいかなる場合もゆるされないか?/花づな列島復興のためのメモ(192)
文科省の「通知」には、以下のように記述されている。
(4) 児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、・・・・・・和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。
(5) 有形力の行使以外の方法により行われた懲戒については、例えば、以下のような行為は、児童生徒に肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常体罰には当たらない。
○ 放課後等に教室に残留させる(用便のためにも室外に出ることを許さない、又は食事時間を過ぎても長く留め置く等肉体的苦痛を与えるものは体罰に当たる)。
○ 授業中、教室内に起立させる。
○ 学習課題や清掃活動を課す。
○ 学校当番を多く割り当てる。
○ 立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。
(6) なお、児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、・・・・・・体罰には該当しない。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf
この「通知」に例示されている「起立させる」、「清掃させる」、「当番を割り当てる」、「叱って席につかせる」などは、言ってみれば「当たり障りの無いもの」である。
現実の現場では、「叱っても席につかない児童はどうするか」、「スポーツの指導で有形力で示さなければならない場合はどうするか」等の微妙な問題が起きてくる。
体罰、懲戒、指導を明確に区別することは、果たして可能だろうか?
行為の類型では、おそらく区別することは難しいだろう。
これらを区分するのは、両者の主観ではなかろうか?
両者の主観が一致していれば、問題は起きにくい。
しかし、両者の主観が乖離していれば、片方は指導のつもりでも、他方は暴力と受け取るのではないか。
問題になっている女子柔道日本代表の園田隆二監督も、彼の主観では指導のつもりだった。
暴言や暴力などのパワーハラスメントを実際に行ったのかについて、園田監督は「事実です。わたし自身は、暴力という観点で、選手に手を上げたという認識は全くありません。選手に対して、ここでひと踏ん張りしてほしいとか、そこで頑張ってほしいところっていう気持ちがありまして、1つ乗り越えてもらいたい部分、精神的な部分もありますし、そういうところを1つ乗り越えてもらうために、手を上げてしまったっていう事実はあります」と語った。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00239659.html
彼は、選手たちに勝ってほしいという気持ちで厳しい稽古をする中で、その気持ちが一方通行だったことが衝撃だったと語っている。
大阪市立高校の部活の指導者についても同様ではなかろうか_?
いわゆるセクハラの問題についても、相手の嫌がる行為はクロだといわれる。
しかし、その線引きはなかなか微妙である。
次のような説明をしているサイトがあった。
たとえば「君はストッキングなんか穿かない素足の方がきれいだし、雰囲気に合っているね」という発言があったとする。この同じ台詞を、韓流スターのような、職場のあこがれのプリンスから言われたら、彼女は、どんなに寒くてもこの先二度とストッキングを穿かないだろう。
逆にこの同じ台詞を、しょっちゅう、隙あらばお尻を触ったり、失礼なことばかり言う人が言ったら、どうだろうか。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-2280.html
基本的には常識で判断するしかないと思うが、世の中の常識自体が変わってきているので住みにくい。
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投稿: XRumerTest | 2013年3月10日 (日) 06時04分