『万葉集』における表記の多様性/やまとの謎(79)
『万葉集』にはいくつかの謎がある。
そのうちのいくつかについては、「やまとの謎」の例としてすでに挙げた。
⇒2010年12月20日 (月):『万葉集』とウィキリークス/やまとの謎(20)
⇒2011年7月12日 (火):『万葉集』を書いたのは誰か?/やまとの謎(34)
⇒2011年11月27日 (日):柿本人麻呂の時代と日本語/やまとの謎(49)
特に、『万葉集』が書かれた時代は、日本語の表記方法が整備されつつあった時代ということになる。
先ずは万葉仮名として、日本語の音韻を書き記す工夫を行った。
漢字という表意文字を、意味を捨象して表音文字として使用するというイノベーションである。
⇒2008年11月15日 (土):音韻と表意文字
⇒2008年2月 9日 (土):上代特殊仮名遣い
それが「仮名・かな・カナ」として整理され、日本語は豊かな表記方法を持つに至る。
⇒2012年11月29日 (木):日本語の表記の豊かさと仮名の創造/知的生産の方法(26)
⇒2010年7月10日 (土):日本語のコミュニケーション/梅棹忠夫さんを悼む(3)
歴史読本編集部編『最新 日本古代史の論争51 』新人物往来社(1206)に、古橋信孝氏が、『『万葉集』をめぐる謎』という項目を書いている。
その中に、「なぜ表記の方法が多様なのか」という項目がある。
古橋氏の論旨は大要以下の通りである。
『万葉集』の表記には2通りがある。
1つは、漢字の意味を使ったもの(訓仮名)であり、もう1つは漢字の音を使ったもの(音仮名)である。
ほとんどが音仮名で書かれているのは、東歌、防人歌の東国の方言を活かそうとしたものが中心である。
音仮名がいわゆる万葉仮名であり、Wikipediaでは以下のように説明している。
楷書ないし行書で表現された漢字の一字一字を、その義(漢字本来の意味)に拘わらずに日本語の一音節の表記のために用いるというのが万葉仮名の最大の特徴である。万葉集を一種の頂点とするのでこう呼ばれる
・・・・・・
『万葉集』や『日本書紀』に現れた表記のあり方は整っており、万葉仮名がいつ生まれたのかということは疑問であった。正倉院に遺された文書や木簡資料の発掘などにより万葉仮名は7世紀頃には成立したとされている。実際の使用が確かめられる資料のうち最古のものは、大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡において発掘された652年以前の木簡である。「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。
しかしながらさらに古い5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣には「獲加多支鹵(わかたける)大王」という21代雄略天皇に推定される名が刻まれている。これも漢字の音を借りた万葉仮名の一種とされる。漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立していた事になる。
平安時代には万葉仮名から平仮名・片仮名へと変化していった。平仮名は万葉仮名の草書体化が進められ、独立した字体と化したもの、片仮名は万葉仮名の一部ないし全部を用い、音を表す訓点・記号として生まれたものと言われている。
万葉仮名を「男仮名」と呼ぶのは、和歌を詠む時など私的な時や、女性に限って用いるものとされていた平仮名が「女手」とされたのに対し、公的文章に用いる仮名として長く用いられたためである。
万葉仮名のくずし字から平仮名ができた。
変体仮名とも呼ばれ、以下のようなものである。
現在でも蕎麦屋の表記などで使われている。
変体仮名
私は、家の近くの赤橋の字が最初読めなかった。
三島市観光情報
「は」は「者」という字のくずし字であるが、知らない人には「む」にしか読めない。
巻17以降は、大伴家持の歌日記のようであるが、やはり音仮名で書かれている。
何故だろうか?
古橋氏は、家持も日本語の音を活かそうとしたのではないか、とする。
日本語を書きとめようとしたとき、散文は漢文に翻訳して書いたが、歌をは一字一音の音仮名で表記した。
『古事記』『日本書紀』はそういう表記をしている。
和歌は、枕詞など口誦を装う様式として、柿本人麿が確立した。
それは文語体としての漢詩文に対する口語体としての和文の成立であった。
家持は、人麿の確率した和歌が文語体化してきていると感じたのではないか。
それで、口語体の回復を考えたのであろう。
古橋氏は、このように推論する。
口誦性は、短詩型文芸にとって重要な要素であるとかねがね感じていた。
記憶を定着させる作用は、口誦の良さが決め手ではなかろうか。
⇒2011年7月 3日 (日):長谷川櫂『震災歌集』/私撰アンソロジー(3)
⇒2013年1月 2日 (水):貞観地震の津波は「末の松山」を越えたのか?
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