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2013年2月 2日 (土)

センター試験問題の「コク」と「キレ」/知的生産の方法(34)

東京新聞の「大波小波」欄は、都新聞時代からの名物コラムだといわれる。
昭和8(1933)年からというから、80年の歴史を持っていることになる。
匿名コラムではあるが、錚々たるビッグネームが書いてきたらしい。
中村光夫、尾崎秀樹、埴谷雄高、大岡昇平などが書いていたことが明らかにされている。

現在の筆者は不明だが、「様々なる意匠」という署名で、2月1日付で『国語の学力と文学』と題する一文が掲載されていた。
内容は、今年のセンター試験の国語の問題についてである。

平均点が過去最低だったというのだが、その原因として、出題文が受験生に不慣れな小林秀雄と牧野信一だったからである、というのが各予備校の見方らしい。
これを読んで、私は時代は変わったのだなあ、と思った。
牧野信一はともかく、小林秀雄の文章が受験生に不慣れだとは!

私の高校生の頃は、小林秀雄の評論は受験問題頻出というような記憶がある。
ネットを覗いてみると、以下のような事情らしい。

 いまからざっと三十年前、昭和五十年頃までに大学入試を経験した人たちは、小林秀雄と聞いて身を乗りだす人と、そっぽを向く人とに分れる。
 当時、国語の問題の出典第一位は、いまも同じで「朝日新聞」だったが、二位には夏目漱石と小林秀雄が並び、以下に大きく水をあけていた。しかも、小林秀雄は難解で通っていた。文科系・理科系を問わず、小林秀雄を制する者よく大学入試を制すとさえ言われていた。
 しかし今日、若い人たちに小林秀雄はさほどに知られていない。昭和五十年頃を境として、大学入試の出題数が急速に減ったからだ。国語にかぎらず受験生をただ落とさんがための奇問・難問が年々ふえ、入試問題の見直しが行なわれて、受験生泣かせの代表とされていた小林秀雄はぱったりと出題されなくなったのだ。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/610209.html

今年出題されたのは『鐔』という作品らしいが、私は未読である。
「様々なる意匠」氏によれば、小林に「特有の断定や論理の飛躍だらけで、論理展開を正確に解読できる評論とはいいがたい」ものらしい。

牧野の文章もまた、ヌエのようで、何を伝えたいのか不可解、とした上で、「様々なる意匠」氏は、以下のように続けている。

 しかし、である。このような古色と独創に包まれた文章をわざわざ好んで味わい興じる力をこそ、文学は必要とする。テクニカルな「文意把握」の学力に、アkンベをしてみせた出題だとすれば、それも一つの見識とはいえないか。
 近年の国語教科書は主張が明晰な論説文が主で、文学作品は甚だ乏しい。・・・・・・これがわが国語の「学力」だとすれば悲しい限りだ。国語ではなく「文学」と「哲学」の授業が必要ではなかろうか。

この「様々なる意匠」氏の一文を読んで、これはまさしく村山昇『「キレ」の思考 「コク」の思考』東洋経済新報社(1211)のテーマではないかと思った。
「主張が明晰な」文章は、「キレ」のいい文章であろう。
一方、小林秀雄の評論は、「コク」の思考の産物と言えるのではないか。

「学力」もまた、アサヒスーパードライのように、「コクがあるのにキレがある」ことが望ましい。
⇒2013年1月17日 (木):「キレ」の思考と「コク」の思考/知的生産の方法(28)
世界に通用する学力には、「キレ」が必要条件であろうが、「コク」も求められよう。
問題は、「コク」の学力を評価する試験問題が可能か否かである。

村山氏の上掲書では、「コク」と「キレ」を以下のように表現している。
Photo_7

解釈の幅が広いということは、正解の幅も広いあるいは曖昧だということである。
ということは、そもそも試験にはなじまないということであろう。
特に、センター入試のようにマークシート方式では所詮測ることが不可能ではないか。

とすれば、「コク」の思考・学力に優れている学生を入学させたい大学は、センター試験の配点を小さくし、「コク」の思考・学力を試す独自の問題を作成して、ウェイトを高くするしかない。
それはかなり面倒なものであることが予想されるが、そこが本丸だとしたら、手を抜くことは大学の自殺行為であろう。

一般に、教育の問題は、人間を対象にする以上曖昧さと不可分であり、正解というものを規定し難い。
試験で測定できるのは、ほんの一部の学力に過ぎない。
それは私が学校優等生でなかったからということでなく、社会経験からそういうことだろうと考える。

入試問題には、客観的な評価がし易い「キレ」の学力が重視されがちである。
しかし各大学が競うべきは、「コク」を含めた思考力ではないだろうか?

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コメント

夢幻亭様

再びおじゃまします。 小林秀雄は私もよく読みます。まさに彼独自の「コク」で世の事象を切り取る評論家ですね。それでいて「キレ」も鋭い。
夢幻亭さんがご指摘のように、子ども教育が「キレの思考」ばかりに目を向ける状況には危惧を覚えます。全人的にふくよかに、その人間の「コク」を醸し出す教育への見直しが必要だと思います。私も教育を生業としている一職業人として、もがいているところです。

投稿: 村山昇 | 2013年3月 4日 (月) 10時48分

村山昇様

小林秀雄の文章がセンター試験に出題され、そのため国語の点数が低くなった、という話を聞いて驚きました。難解ではありますが、掬すべき文章だと思っていたからです。
教育の問題は、現在一つの焦点になっていますが、国語力はすべての学力の基礎だと考えます。グローバル化への対応と国の伝統の尊重は、必ずも背反はしないでしょうが、かなり細い隘路だとはいえそうです。人間が社会的動物である以上、教育の果たす役割は時代を超えて大きいのではないでしょうか。「キレ」と「コク」を勝手に解釈して使わせていただいています。
一層のご活躍を祈念いたします。

投稿: 夢幻亭 | 2013年3月 4日 (月) 21時40分

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