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2013年1月10日 (木)

「日本」という国名について/やまとの謎(78)

先頃、私の古い投稿に対して、 稲田麻緒という方からかなり長いコメントを頂いた。
⇒2008年5月16日 (金):「日本国」誕生
コメントは、抜粋すると、以下のようなものであった。

iPSの話題から、それならば歴史も新しい歴史ストーリーが出来るはずと考えて、インターネットにある歴史のDNA分析も1300年記念の年で完成、歴史断片の中から、初期化する要素情報を捜すことにしました。
私は、次のような仮説を立てました。
大山の西は、690年に統一された。
685年 白鳳寺院を各地に作らせる 高句麗の勢力あるところに白鳳寺院あり
689年 飛鳥浄御原令の発布をもって備前国、備中国、備後国に分割
    それから遅れること二十数年後、713年吉備津国滅亡、美作分割と丹波分割、出雲です
690年 撰善言司
711年には藤原の宮が焼失、(出張 二条城) ついに大阪城落城です。
712年 大長年号が終了する。
713年 好字令
703年 若光に王の姓が与えられる。
716年 各地の高句麗人が高麗郡に追い出される
724年 王若光 高麗郡司に初任  武蔵国司初任(百済)
731年 甲斐国司初任、諏訪国は廃止、信濃に併せる。
日本が日本となったのは大山の西が統一されたとき、690年、それから日本とはっきり意識するまでには、ヤマトが大和と表記され、日本がニホンと読まれるようになるまでやや若干の時間が掛かった。
国内は高句麗派とヤマト派の大きく二つの国に分かれていた。しかし渤海が成立して、高句麗派の朝鮮半島回帰の意味を失い、支持基盤が失われ、新羅との同盟から、親唐に意識が変わっていった。だから、吉備津国敗北と同時に、遣新羅使から遣唐使に変わり、白鳳時代は終わった。唐で遣唐使が日本と言って、710年平城京に移る。日本史が初期化したつもりです、歴史ストーリーに利用を期待しています。

私には、歴史の初期化という発想が興味深く思えたが、残念ながら現在の知識では論評することができない。
「日本という国の成立」について、100均ショップで売っている『日本の歴史事典』大創出版(0411)は、「もう一度勉強したい方に最適」をセールスポイントとしている。
ハンディでコンパクトにまとまっており、コスト・パフォーマンスが高いといえよう。
私は、手軽に俯瞰的にある時代をイメージしたい場合に、便利に使っている。
その1-2「弥生時代と邪馬台国」の項に、以下のような記述がある。

 中国の文献によれば、紀元前一世紀頃の日本には一〇〇余の小国があったとされ、また紀元五七年、(当時の日本)奴国の王が、後漢光武帝に使者を送り印綬を与えられるなど、この頃各地の王たちは中国や朝鮮半島と盛んに交易し、使者を送り先進文化を取り入れようとしていた。

良く知られているように、古代において、日本列島を中心とする地域は、中国各王朝から「倭」と呼ばれていた。
したがって、上記の「倭「当時の日本」」という表記は妥当でああろう。
しかし、その前の「紀元前一世紀頃の日本」というフレーズはどうであろうか?
別に直後に、「当時の日本」という書き方をしているから問題はないとも考えられる。
網野善彦『歴史を考えるヒント 』新潮文庫(1209)に目を通していたら、次のような記述がある。
冒頭の「Ⅰ「日本」という国名」のところである。

……しかし、国の名前であるならば、誰かがいつか何らかの意味を込めて定めたことになります。それでは、この国の名前が決まったのは、果していつだったのでしょうか。
……
 それでは、日本という国名が決まったのはいつなのかといいますと、現在の大方の学者の認めるところでは、淨御原令という法令が施行された六八九年とされています。
……
 いずれにしてもはっきり言えることは、このとき以前、つまり倭から日本に国名を変えた時より前には、日本国という国は地球上に存在しなかったということです。
……
「日本の旧石器時代」「弥生時代の日本人」といった表現を、今でも歴史学者は平気で使います。私も無意識にそういう言い方をしてしまうことがありますが、本当はこれは日本人の歴史意識を曖昧なものにする、決して言ってはならない表現だと思います。旧石器時代に日本という国はなく、弥生時代に日本人はいなかったのです。

私が知る限りでは、岩波新書に芹沢長介『日本旧石器時代 』(8210)という書籍がある。
芹沢長介といえば、わが国の旧石器研究のパイオニアであり、第一人者であった。
旧石器遺跡ねつ造事件に、芹沢の学説が影響していたのではないかとも言われている。

もとの研究分野は縄文時代だったが、彼は放射性炭素年代測定の結果によって日本列島に相当古くから人間がいた可能性を指摘し、議論を起こしつつあった。そのころ、岩宿遺跡で石器を発見したアマチュア考古学者・相沢忠洋の相談を受け、彼の発掘物を旧石器時代のものと確信して、発掘調査を行った。これまで日本に旧石器時代はないと見てきた考古学界に議論を巻き起こした。
以後、日本における旧石器時代の研究に尽力し、後期旧石器のみならず前期・中期旧石器もある可能性があると論じた。また、「遺物の年代は、層位が型式に優先する」との理論を提唱した。ただし、芹沢が掘り出した前期・中期旧石器に関しては、石器ではなく自然石が石器のように見える偽石器であるとする見解も強かった(前期旧石器存否論争)。それに対し芹沢は実際に前期・中期旧石器を出土させ、彼の論は学会の主流となった。
しかし、これらの発掘調査に関わっていた人物が藤村新一で、彼は芹沢の議論を補強するような旧石器を次々と発掘している。そして、旧石器捏造事件発覚によって殆どの遺跡が捏造であることが判明し、前期旧石器存否論争は振り出しに戻ってしまった。芹沢は「100万年前の石器を早く出せ」と口癖のように言い続け、藤村はそれに応じて「必ず見つける」と公言していた。捏造発覚が遅れたら、100万年前の地層から藤村が石器を「発見」していた可能性が高い。

Wikipedia

それはともかく、網野論法でいけば、『日本旧石器時代 』というタイトルは疑問であろう。

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