体罰問題をどう考えるか?/花づな列島復興のためのメモ(184)
大阪市立桜宮高校の体育系学科で、部活動の顧問教諭から体罰を受けた生徒が自殺した問題は、教育における今日の問題を集約しているかのようである。
大阪市教育委員会は、同校の体育科の募集中止を決めた。
橋下市長は満足げではあるが、それで一件落着とは行くまい。
体罰はいかなる場合でも非か?
今の教育現場のことを知らないでいうのだが、一般論として、体罰がいいか悪いかと問われれば、良くないということになろう。
しかし、学級崩壊という話もよく聞く。
横行するイジメによる犠牲者も出ている。
こういう学級をどうするか?
教師の力量だけに任せていていいのか?
問題は生徒だけではない。モンスター・ペアレントといわれるような保護者もいる。
「出席停止処分」という制度はあるけれども、義務教育でこれを実施すると必ず「教育を受ける権利を奪った」との抗議があるという。
教師が畏敬すべき存在ではなくなっている。
大人、先生は尊敬されるべきであろう。
本質的には、そういう人に教師になって頂きたいと思う。
しかし、問題を起こす生徒は、そもそも他人を敬うということを知らないのではないか。
ある場合には、怖い体験も必要ではないか、という声もある。
かつて、戸塚ヨットスクールのあり方が問題になったことがある。
最後の手段としての体罰はあり得るのではないか?
2.募集中止という措置について。
桜宮高校の場合、自殺した生徒は体育科に属していた。
しかし、体罰が常態化していたのは、部活動の中だという。
学科の募集中止と体罰問題解決とがどういう因果関係にあるのか不明である。
体育科の募集予定委定員は、普通科で行うという。
大阪市教育委員会は、市長の顔を立てただけではないのか?
今回の措置は、逆教育効果(権力に従うフリをして、実質はそのまま)のような気がする。
3.高校入試段階で専門分化は必要か?
在校生やOBには、体育科として入学できないことを、大人の論理の押しつけではないのか。という批判があるようである。
桜宮高校はスポーツを中心にした教育で全国に有名で、体育系のクラスを志願する中学生がいることは事実だろう。
しかし、具体的にはどんなカリキュラムが用意されているのだろう?
市教委はスポーツに特色のあるカリキュラムにする方針だという。
しかし、これからの話のようだ。
スポーツに特色のあるカリキュラムとは、どんな特色だろうか?
「勝利至上主義ではなく他者を慈しむ心を育てる」といっても、イメージするのが難しい。
そういうことなら、普通科のカリキュラムの方が向いているのではないか?
体罰は、「注意をしても聞かない、もしくは理解できない」という子供に対する教育的な指導であろう。
現に、学級経営すら不可能になる生徒がいることは確かであろう。
そのような子をどう指導するか?
体罰は、しばしば当人の人格否定や心身に対する傷害(致死)になる可能性もある。
教育には一義的な正解はないのだろうが、そもそも学校というところが正解を求めているところでもある。
広く深い議論の場がどうしたら作れるであろうか?
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