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2013年1月16日 (水)

アレフに敗訴の警察は真摯な反省を

国松警察庁長官銃撃事件が起きたのは、1995年3月30日のことであった。
阪神淡路大震災が起きて日本社会が混乱する中で、上九一色村のいわゆるサティアンに強制捜査が行われたり、地下鉄サリン事件が発生するなど、落ち着かない日々の中でそれは起きた。
多くの人が、「またオウムか?」と思ったのではなかろうか?
⇒2010年5月 2日 (日):「恐竜の脳」の話(2)オウム真理教をめぐって

オウム真理教は、主な信者に、高学歴の理系人間が多いことでも注目された。
⇒2011年11月25日 (金):オウム真理教事件と知的基礎体力(?)

国松長官事件は、犯人を特定できないうちに時効期間の15年を迎えてしまい、終結せざるを得なかった。
警視庁は、2010年3月30日に捜査結果を発表した。
そのとき公安部長が、「犯人を特定できる証拠はなかったが、犯人はオウム真理教の信者グループによるテロ以外に考えられない」とした。
130116
東京新聞2013年1月16日

これに対して、オウム真理教から改称した団体であるアレフが、「オウム真理教の信者グループによるテロ」という表現が名誉棄損に当たるとして提訴した。
警察側は「アレフとは名指ししていない」などとして、これに反論した。
立件されなかった事件ついて、犯人を名指し(特定)することの可否が争われたわけである。

東京地裁は、「オウム真理教とアレフは実質的に同一団体と一般的に認識されている」と指摘して、公表により「アレフがかつて事件を実行した宗教団体だとの印象を受ける」とした。
法務・検察幹部にはこのような公表の仕方はまずい、という判断もあったようであるが、警察が押し切って公表した。
状況証拠からすれば、オウム真理教はきわめて疑わしいことは否定できないだろう。
しかし、疑いが濃いことと、犯人だと断定することには質的な差異がある。
いわゆる千里の径程があるといえよう。

東京地裁が、「無罪推定の原則に反し、重大な違法性を有する行為」と指摘したことは当然であると思う。
東京地裁は謝罪文の交付まで命じている。
このところ、捜査側の重大なミスが多い。
警察側は、公益上必要な措置を強調するが、恣意性が入り込むことを避けられない。
たとえ善意からスタートしたことであったとしても、世の中を害する結果になることがあることはやってはいけないのである。

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