反権力の闘士・大島渚さん/追悼(24)
今日の午後、映画監督の大島渚氏が亡くなった。80歳だった。
大島さんは京都府の出身で、京都大学を卒業後、昭和29年に助監督として映画会社の「松竹」に入り、入社から僅か5年という異例の早さで監督になりました。
昭和35年に発表した「青春残酷物語」や「太陽の墓場」など性や暴力を描いた社会派の作品が話題となり、日本映画の新しい波「ヌーベル・バーグ」と評されて、映画革新の代表的な存在になりました。
しかし、自身の学生運動を投影させた作品「日本の夜と霧」の上映を、映画会社が公開から4日で中止にしたことに抗議し、昭和36年に独立しました。
その後、低予算で芸術的な映画を製作する日本アート・シアター・ギルドと提携し、「絞死刑」や「新宿泥棒日記」などの話題作を次々と発表しました。
さらに大島さんは、フランスと合同で製作し、男女の究極の愛の姿を独特の映像美で描いた「愛のコリーダ」など作家性の強い作品を作り続け、昭和53年に発表した「愛の亡霊」は、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞しました。
また、日本とイギリスなど、4か国の合作映画で、太平洋戦争中の日本軍の捕虜収容所を舞台に、歌手で俳優のデヴィッド・ボウイさんらが出演した作品「戦場のメリークリスマス」は、世界的にも大きな話題となりました。
一方で、テレビの討論番組やワイドショーにも数多く出演し、歯に衣着せぬ発言は映画ファンだけでなく多くの人たちに強い印象を残しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130115/k10014817051000.html
私にとっては、映画監督や討論番組の論客としてはもちろんだが、脳血管障害に倒れ、そこからリハビリによって社会復帰を遂げた人、という意味で大きな存在だった。
⇒2010年12月 2日 (木):大島渚の闘病生活/闘病記・中間報告(16)
大島さんのリハビリは、夫人で女優の小山明子さんが『小山明子のしあわせ日和―大島渚と歩んだ五十年』清流出版(1010)にまとめている。
小山さんの介護生活は決して順調なものではなかった。
自身が鬱になったりもした。
大島さんは、最初の発症から5年後に、再発している。
私も3年を経過したところだが、何とか再発を避けたいと念じている。
大島さんの印象は「怒れる人」であろう。
京都大学時代には、京都府学連の委員長を務めたという。
TVの討論番組でも、激昂するのが「ウリ」だった。
脳血管障害患者の後遺症の1つに、感情失禁ということがある。
⇒2012年11月11日 (日):感情失禁について/闘病記・中間報告(55)
大島さんも例外ではなかったようだ。
小山さんの努力は尋常ではなかったであろう。
怒れる反権力の闘士に、ようやく安息の時が来たのであろうか。
合掌。
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コメント
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合作映画は スゴイ映画が 多いですね
映画同好会(名前検討中
投稿: ザ・村石太 | 2013年3月26日 (火) 22時08分