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2013年1月 2日 (水)

貞観地震の津波は「末の松山」を越えたのか?

最近は、兄姉たちと正月に集まっても、小倉百人一首で遊ぶこともなくなった。
孫の世代が主役となっているが、子供の頃はよくカルタ取りに興じたものだ。
「ムスメフサホセ」の一字決まりの歌などは奪い合いになるのが常だったが、その他にも共通の得意札があって、たとえば次の1枚もそうだった記憶がある。

契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは

42番の清原元輔(三十六歌仙の1人)の歌である。
もちろん、小中学生の段階では、歌意などは無関係であった。
「かたみに袖をしぼりつつ」ということから、漠然と誰かが死んだときの歌かなあ、松山が出てくるから四国の方のことだろうか、などと考えていたのではないか。

調べてみると、意味はたとえば次のようである。

固く約束をしたよね、互いに涙で濡れた袖をしぼりながら。あの末の松山を決して波が越えることがないのと同じに、私たちの仲も絶対に変わるまいと。
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/ogurapeji.htm

「末の松山」は、宮城県多賀城市付近にある地名だという。
Photo
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、大きな被害を受けたところだ。

最近購入した『百人一首のなぞ』学燈社(0812)所収の河野幸夫『歌枕「末の松山」と海底考古学』に、意外なことが書いてあった。
これは津波の歌であるというのである。
今回の地震でも大きな被害を受けた地域である。
しかも、貞観地震の際のものらしい。
日本災害史に疎い一般人に、貞観地震の名前を知らしめたのは、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)であった。
子供の頃から慣れ親しんでいた歌が、その歴史的な地震の歌とは!

「末の松山」というのは、歌枕の1つである。
歌枕は、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材、またそれらを集めて記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱらそれらの中の、和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしていう。(Wikipedia

「末の松山」を詠んだ歌は、以下のように数多い。
http://www.bashouan.com/piTagaUtamakura.htm

「後撰和歌集」   土左
わが袖はなにたつすゑの松山かそらより浪のこえぬ日はなし

「拾遺和歌集」  人麿 
浦ちかくふりくる雪はしら浪の末の松山こすかとぞ見る
(古今和歌集に載る藤原興風の歌が、拾遺和歌集では柿本人麻作として採録されている)

「金葉和歌集」  大蔵卿匡房 
いかにせんすゑの松山なみこさばみねのはつゆききえもこそすれ

「千載和歌集」  藤原親盛 
あきかぜは浪とともにやこえぬらんまだきすずしきすゑの松山

「新古今和歌集」  藤原家隆朝臣 
霞たつすゑの松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空
「能因集」
  すゑのまつ山にて
白浪のこすかとのみそきこえける末の松山まつ風の声

「後鳥羽院御集」
  冬
見わたせば浪こす山のすゑの松木すゑにやとる冬の夜の月

「末の松山」は「波」とセットで使われており、「愛の契り」に触れた歌に多く詠まれている。
清原元輔の歌は、次のように解説されている。

元輔が友人に代わり「心かはりてはべりけるをむなに人にかはりて」の詞書を添えて心変わりした女性に詠み贈ったものであり、「末の松山」は海岸からかなり離れたところにあるので、ここまで波が越えて来ることはまずあり得ない。この「あり得ない」ことを「末の松山に波が越えるようなもの」として比喩し、「波が越える」となれば「あり得ない」ことが起きる、すなわち愛が破局することを意味した。
http://www.bashouan.com/piTagaUtamakura.htm

河野幸夫氏の上掲論文によれば、「末の松山」近くの多賀城市沖合に海底遺跡がある。
この遺跡を調査すると、「末の松山」を波が越すと詠んだ平安初期の歌は、貞観地震の時の情景を<記憶>したものだという。
まさに松村正直氏の著書のタイトルのように、『短歌は記憶する (塔21世紀叢書)』六花書林 (1011) であるが、ネットで調べてみると、今回の地震では「末の松山」は奇跡的に無傷だったようだ。

 末の松山のあるところは周辺が赤に染まっているのに、奇跡的に津波から免れている。国土地理院の地形図を見ると、沖の石など周辺が標高2mばかりであるのに比べ末の松山付近は数m程度小高くなっている。”末の松山を波が越すということがありえないように、二人の間の恋は永遠で心変わりしない”という清原元輔の歌の根拠は今回の震災でもくつがえらなかった
Photo_2
http://blog.goo.ne.jp/yoshinogawa3/e/bd4424225d33eb380884d2af14ca4c30

「末の松山」を、貞観津波は越えたか否か?

末の松山を詠んだ歌が初出する古今和歌集(905年奏上)は貞観津波からどれほども経っていないので、貞観津波が末の松山を越えなかったという伝承が都に伝わり多くの歌が生まれたというのが妥当な解釈だと思う。しかし、逆に津波が越えた伝承から歌が生まれたと解釈する人もいるらしい。
同上

文学史的な議論は別に、「想定外」として、津波の教訓を生かせなかったのが残念だと思う。

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