政権交代という共同幻想/戦後史断章(9)
2009年の総選挙に比べると、昨年末の総選挙は、熱気が感じられないものだったことは多くの人が言っている。
同じように政権交代が起きたのに、この違いは何だろうか?
書店をブラウジングしていたら、呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』筑摩書房(1212)という本が目に留まった。
「これだ!」と思った。
いうまでもなく、吉本隆明氏は「戦後最大の思想家」と評された人である。
昨年の3月に亡くなったが、多くの雑誌が追悼号を出していることからも、その存在の大きさ、影響力の広さが窺える。
私も、熱心な読者であったとはいえないが、影響を受けたと自認している。
2012年3月16日 (金):さらば、吉本隆明/追悼(20)
その吉本氏の代表作といわれているのが『共同幻想論』である。
難解な著書で私も何回か読破しようとトライした記憶がある。
呉氏は、その「共同幻想」という概念を逆手にとって、吉本人気は、結局共同幻想に過ぎなかった、と言っているようである。
吉本氏の影響力を表しているものとして、たとえば室伏志畔氏の論考を見れば十分であろう。
室伏氏は、次のように書いている。
私は幾度となく時代の曲がり目毎に吉本隆明から顔を張られた思いがある。そのたびに私は身構えを改めてきた。それを私に促したのは吉本思想が常に手放すことのない時代への批評的介入の見事さにあった。
⇒2012年3月20日 (火):『方法としての吉本隆明』/やまとの謎(59)
私は、呉氏の結論(?-実は未だ読了していない)に妙に納得した。
呉氏は、ネガティブな評価として使っているのだろうが、その存在あるいは言説が「共同幻想」となるとは、タダモノではないというべきであろう。
そして、2009年の総選挙の時の熱気というのは、「政権交代」という共同幻想が生み出したものではなかったか?
戦後の(イコール私の人生の)大部分が自民党政権によるものであった。
政治改革や行政改革が何度も叫ばれてきたが、結局は基本的な構造は変わることがなかった。
そして、国政に対する苛立ちが次第に煮詰まって、2009年の夏を迎えた。
この「政権交代」という共同幻想が「幻想」に過ぎないことを見事に示したのが、鳩山、菅、野田の3代の民主党政権であった。
この時期に、「3・11」という歴史的な災厄がわが国を襲ったのは、偶然に過ぎないだろうが、必ずしもそうは言えないという気もする。
そして、安倍氏の復帰という昨年末の熱気のなさは、もはや共同幻想が限りなく小さくなったことの反映だろう。
総選挙の結果は、自民党の圧勝だった。
しかし、それは「政権選択」の意識を伴わないものだった。
自民党政権という慣れ親しんだものへの復帰であり、人々は「羹(民主党政権)に懲りて、膾(第三極?)を吹いた」ようにも見える。
しかし、3年前と比べ、自民党の得票率が劇的に上昇したわけではない。
議席数は得票率を反映したものではないが、今の選挙制度の宿命であるから、当面はこの結果を受け入れざるを得ない。
そして、選挙だけが意思表示の手段ではないことを地道に考えていくしかないであろう。
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