『原子力と日本病』/原発事故の真相(52)
年末に行われた総選挙において、将来のエネルギー政策はどの程度の比重をもって争われたのだろうか?
議席を競った12党の党首の公示第一声では、7人が「脱原発」を掲げ、2人が容認姿勢ということだった。
したがって、政党のスタンスとしては、「脱原発」の方が多数派である。
⇒2012年12月 5日 (水):争点としての原発政策/花づな列島復興のためのメモ(169)
しかし、選挙結果は、「原発容認」の自民党が圧勝という結果だった。
安倍首相は、安全性が確認されることを条件に、原発を新設も含めて推進する意向のようである。
だが、それでいいのか?
福島原発事故の収束を野田首相(当時)が宣言したのは、2011年12月16日のことだった。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)
しかし、現実は未だに、「終息」はおろか「収束」すらしていないと考えるべきであろう。
⇒2011年12月18日 (日):収束と終息/「同じ」と「違う」(37)
野田首相の「収束宣言」は、原子炉の「低温停止」が達成されていることが条件だった。
それを野田首相は、「冷温停止状態」というような欺瞞的なレトリックを弄して「収束宣言」をしたのだ。
⇒2012年3月14日 (水):冷温停止「状態」とは?/原発事故の真相(20)
福島原発事故は決して収束していない。
いまなお、放射性物質は漏れ出ているのである。
住み慣れた家屋、故郷から離れて「疎開」や仮設住宅住まいを余儀なくされている人が大勢いるのである。
主要な4つの事故調査報告書が出されたが、事故の実態は未だ十分に明らかにされたとはいえないだろう。
また、あれだけの大事故でありながら、責任の所在すら明確ではない。
そういう中で、大飯原発が再稼働し、敷地内の断層が活断層であるか否かの判断がはっきりしない。
⇒2012年11月 3日 (土):大飯原発の活断層をどう考えるか/花づな列島復興のためのメモ(157)
⇒2012年10月24日 (水):活断層定義問題と大飯原発の稼働/花づな列島復興のためのメモ(154)
判断がはっきりしないのなら、はっきりするまで止めるのかと思えば、活断層と断定できるまでは運転を続けるのだという。
もはや、電力需給のバランスの問題ではなく、電力会社の経営の問題なのだ。
ここに、日本が克服しなければならない病巣がある。
福島の事故前から、「原発震災」の危険性を指摘してきた人の1人に村田光平氏がいる。
村田氏は、駐スイス大使等を歴任した外交官であるが、外務省在職中から私人として原発の危険性について訴えてきた。
⇒012年6月 9日 (土):なぜ事故調報告を待てないのか?/花づな列島復興のためのメモ(81)
村田氏の著書に、『原子力と日本病 』朝日新聞社(0206)がある。
残念ながら現在は絶版になっており、古書店で手に入れるしかないが、Amazonでは5,000円くらいする。
定価は1,260円であるから、約4倍である。需給を反映したものだろう。
朝日新聞社は、「脱原発」の社論を掲げるなら、こういう著書を増刷すべきではないか。
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コメント
日本人には、目指す世界がない。
むしろ、何も動かないのが、天下泰平の世の中であり、伝統的にそれを人民が願っているのだ。
「我々はどこから来たか」「何者であるか」「どこに行くか」という考え方はない。
日本語には、時制 (過去・現在・未来の世界を分けて考える考え方) がないからである。
一寸先を闇と見る政治家たちに行く先を案内されるのは不安でたまらない。
つかみどころのない人間ばかりの社会では、とかくこの世は無責任となる。
国がひっくり返っても、責任者は出なかった。その責任感の無さ。
人にはいろいろな意見がある。
だから、社会のことには、政治的な決着が必要である。
万難を排して、原発は再稼働を停止する。優柔不断では犠牲者・被害者が増大する。
これは、終戦詔勅を受け入れる時のようなものである。ことは人の命にかかわる問題である。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もつて万世のために太平を開かんと欲す。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
投稿: noga | 2013年1月 8日 (火) 22時58分