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2013年1月 8日 (火)

人麻呂終焉の地論争/やまとの謎(77)

柿本人麻呂の名前を初めてめにしたのは、小倉百人一首の中でだったと思う。

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

天智天皇、持統天皇に次いで、3番目の歌であるが、当時はその位置について考えてみることもなかった。
もちろん『万葉集』を代表する歌人であるが、選ばれたこの歌が、そんなに秀歌とも思えなかった。
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」までが、「ながながし」に係る序詞である、というような解説を読むとよけいそういう気がした。

「あしひきの」は「山」に掛かる枕詞である。
枕詞の代表選手とも言えるが、「語義・かかり方ともに未詳」と説明されている。
⇒2009年9月30日 (水):枕詞と被枕詞(続)/「同じ」と「違う」(11)
今でも、この歌の優れている所以が分からない。

しかし、人麻呂には、私の愛唱する歌もある。
⇒2011年6月21日 (火):柿本人麻呂/私撰アンソロジー(2)
百人一首は代々の勅撰集から抜粋する方針で編まれているので、現代のわれわれの基準で云々するものでもないだろう。

大歌人の割に、その生涯については謎に包まれている。
⇒2011年11月27日 (日):柿本人麻呂の時代と日本語/やまとの謎(49)
⇒2011年12月 1日 (木):人麻呂装置説/やまとの謎(51)

死についてもさまざまに論じられてきた。
柿本人麻呂の死を主題にした歌群として、万葉集巻二に、鴨山5首といわれる223~227番の歌がある。

●柿本人麻呂が石見国で臨死(みまからむ)とする時、自ら傷(いた)みて作る歌一首:
・鴨山の 岩根し枕(ま)ける 我をかも 知らにと妹(いも)が 待ちつつあるらむ (巻2-223)
(意味:鴨山の岩を枕に伏して死のうとしている私を そうとは知らずに妻は今こうしている間も待ち焦がれていることであろうか)
●柿本朝臣人麻呂の死(みまか)りし時、妻依羅娘子(よさみのをとめ)が作る歌二首
・今日今日と 我(あ)が待つ君は 石川の貝に交りてありと いはずやも  (巻2-224)
(意味:今日は今日はと私がお待ちしているあなたは、石川の貝に混じって、水の中だというではありませんか)
●直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲(しの)はむ  (巻2-225)
(意味:直接会うことはできないでしょう。石川に 雲よ立ちわたれ。せめて眺めてあの方を偲びましょう)
●丹比真人(たぢひのまひと)[名は欠けたり]柿本朝臣人麻呂が意(こころ)に擬(なずら)へて報(こた)ふる歌一首
・荒波に 寄り来る玉を 枕に置き 我れここにありと 誰か告げけむ  (巻2-226)
(意味:波に打ち寄せられて来る玉を枕もとに置き わたしがここに伏せっていると、誰が告げてくれたことであろうか)
●或る本の歌に曰く
・天離(あまざか)る夷(ひな)の荒野(あれの)に君を置きて 思いつつあれば 生けるともなし (巻2-227)
(意味:大和から遠く離れた荒びた田舎に貴方が行ってしまっていると思うと、私は恋しくて、そして、貴方の身が心配で生きている気持ちがしません)

http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/index.htm

わずか5首にすぎない人麻呂終焉歌群であるが、古来さまざまな説があって、人麻呂像が確定できない要因の1つとなっている。
223の題詞からすれば、石見国(島根県)で没したと考えられる。
Wikipediaの解説では以下のように記されている。

その終焉の地も定かではない。有力な説とされているのが、現在の島根県益田市(石見国)である。地元では人麻呂の終焉の地としては既成事実としてとらえ、高津柿本神社としてその偉業を称えている。しかし人麻呂が没したとされる場所は、益田市沖合にあったとされる、鴨島である。「あった」とされるのは、現代にはその鴨島が存在していないからである。そのため、後世から鴨島伝説として伝えられた。鴨島があったとされる場所は、中世に地震(万寿地震)と津波があり水没したといわれる。この伝承と人麻呂の死地との関係性はいずれも伝承の中にあり、県内諸処の説も複雑に絡み合っているため、いわゆる伝説の域を出るものではない。 その他にも、石見に帰る際、島根県安来市の港より船を出したが、近くの仏島で座礁し亡くなったという伝承がある。この島は河砂の堆積により消滅し、現在は日立金属安来工場の敷地内にあるとされ、正確な位置は不明になっている。
また他にも同県邑智郡美郷町にある湯抱鴨山の地という斎藤茂吉の説があり、益田説を支持した梅原猛の著作の中で反論の的になっている。

「鴨山をどこに比定するか。
斎藤茂吉は執念ともいうべきリサーチと歌人の直観力を武器として、島根県邑智郡邑智町湯抱を終焉の地とした。
梅原猛は、『水底の歌―柿本人麿論 』で人麻呂水刑説を提起し、激越に斎藤茂吉を否定して、益田市を終焉の地とした。
梅原説を紹介しているサイトから引用する。

ところが、『水底の歌』の著者=梅原猛氏は、人麻呂が鴨山で詠んだ歌の前書きに、「死に臨んで自らを傷む」とあることに着目する。『万葉集』で、前書きに「自傷」という言葉が使われているのは、非業の死をとげた有間皇子の歌と、人麻呂のこの歌しかないからである。
梅原氏は、このことを根拠にして、人麻呂は死を命じられたと判断する。そして、人麻呂は高官だったと推測する。罪によって官位を剥奪されると、位が高かった者でも、その死を漢字「死」を使って記録されることになる。つまり、「死」という文字は、契沖の指摘に反して、人麻呂が六位以下だった証拠になるとは限らないからである。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/z212.htm

古田武彦は、『人麿の運命』原書房(9403)において、斎藤、梅原両説の検証を踏まえ、定評の鋭い史料批判により浜田市以外にあり得ないとした。
三者三様それぞれ異様とも思える熱の入れ方である。
現時点では誰の説が妥当なのか判断しにくいが、時代が下がるほど批判しやすいし、説得力が増すように思われる。

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