抽象的概念を規定する方法/知的生産の方法(32)
「〇〇とは何か?」
こういう問いは、日常的によくあるし、少し厳密な議論をしようと思えば不可欠といえよう。
しかし、「そのための方法論は?」ということになると、学校でも、職場でも教えられた記憶がない。
九鬼周造『「いき」の構造』岩波書店(3011)は、「いき」というような曖昧で捉えどころのない概念にどうアプローチしていくか、格好のテキストともいえる。
『「いき」の構造』の内容は決して平易というものではない。
しかし、構成といいボリュームといい、それこそ「いき」な書だと思う。
全体の構成は次の通りである。
一 序 説
二 「いき」の内包的構造
三 「いき」の外延的構造
四 「いき」の自然的表現
五 「いき」の藝術的表現
六 結 論
まず、内包的構造と外延的構造とはどういうことか?
goo辞書では次のように説明している。
外延:論理学で、概念が適用される事物の集合。例えば、惑星という概念の外延は水星・金星・地球・火星・木星・土星など。
内包:論理学で、概念が適用される事物に共通な性質の集合。例えば、学者という概念の内包は「学問の研究者」など。
ある疑念に含まれるものが外延で、それらに共通の性質が内包ということであろう。
中山元『思考の用語辞典』筑摩書房(0005)により、もう少し調べてみよう。
外延と内包は、英語ではextensionとintensionである。
語源的にいうと、ラテン語の伸ばす(tendere)という語に、外を意味するexと内を意味するinをつけたものである。
つまり、外延extensionは拡がりを示し、内包intensionは内側に含まれるものを示す。
「外延的な定義」といえば、その言葉(モノ・コト)に当てはまる実例を集めて、そのモノ・コトを定義するという方法である。
例えば「芸術」という言葉について考えれば、芸術と考えられるもの(文芸、音楽、絵画、映像など)の集合を考えるということである。
「惑星」ならば、水・金・地・火・木・・・である。
しかし、「惑星」か否かははっきりしているが、「芸術」か否かは必ずしもはっきりしていないのではないだろうか。
例えば、毛筆の書き文字などは、芸術である場合もあればそうでない場合もある。
楽器の演奏や陶芸なども同様であり、外延的な定義をすることは、芸術的な書き文字、楽器演奏、陶芸作品等を定義しなければならないのではないか?
一方、「内包的な定義」は、その言葉の本質的な属性を考える、という方法であり、「芸術とは○○である」と考えるということである。
この場合も、惑星ならば分かりやすいが、芸術などは難しい。
「芸術とは人に感動を与えるものである」は間違いではないだろうが、それだけか?
九鬼周造は、(「いき」の)自然的表現と藝術的表現を対比的に説明している。
自然的表現は、人の手によらないものであるのに対し、藝術的表現は人が意図して表現したものであろう。
しかし、人が意図して表現したものの中で、藝術的表現と呼ばれるための条件は何か?
外延的に、「あるものが芸術である」と言えるためには、「芸術とはどういうことか」が分かっていなければならない、言い換えれば内包が明確にされていなければならないのではなかろうか。
書き文字や楽器の演奏や粘土細工が、「これは芸術である」ということが正しいかどうかは、「芸術」という概念にそれらが含まれているかどうかが予め分かっていなければならないのではないか?
それは「どうどう巡り」ということにになってしまうように思われる。
また、内包的に「芸術とは○○である」といえるためには、芸術と比較対照されるものがあって、その差異が説明可能でなければならない。
比較対照されるもののなかで、共通するものを「類」、その中での違いを「種差」という。
芸術と非芸術、例えば書き初めの習字、リハビリのための粘土細工、騒音でしかない楽器の演奏、あるいはダジャレやスポーツなど、が同じ類(あるいは種)に属する(芸術)のか違う類(あるいは種)に属するのか(非芸術)、ということはどうやって決まるのだろうか。
それはその言葉の概念だけで決められるわけではない。
その語が適用されている現実を参照する必要があるだろう。
つまり、外延を考えることではないか。
芸術の外延である文芸、音楽、絵画、映像……などのすべての外延を貫く内包的な定義(芸術の本質)を規定することができるのだろうか?
そんなものはあり得ないのではないか、ということがウィトゲンシュタインなどによる最近の哲学の帰結らしい。
何だか当たり前のような、当たり前ではないような話ではあるが……。
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