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2013年1月21日 (月)

「コク」の思考と『「いき」の構造』/知的生産の方法(31)

私が、村山昇『「キレ」の思考 「コク」の思考』東洋経済新報社(1211)において、ヒザを打ちたくなった箇所の1つが、九鬼周造の『「いき」の構造』を挙げていたことである。
この書は、いわば「近代の古典」と考えられる。

私は、中公新書の第1冊目として、1962年に刊行された日本の名著―近代の思想 』で、この書の存在を知った。
多分、1963年に大学に入学してからのことである。
実際に岩波書店から出ていた本を読んだのは、だいぶ後のことだったはずである。
一読しただけでは、なんのことやら、という感じであった。

「いき」の構造』の優れた解説書に、安田武、多田道太郎『『「いき」の構造』を読む』朝日選書(7903)がある。
対談形式の解題の書であるが、二人とも、日本文化に造詣が深く、かつ読み巧者という定評の持ち主であるので、良くできた解説書になっている。
同書の冒頭に、次のようなやりとりがある。

多田:安田さんのテキスト(九鬼周造『「いき」の構造』岩波書店)は何版ですか。
安田:僕が持っているのは第十刷、昭和四十一年の版です。
多田:僕のが三十三年の第八刷ですから、その間あまり刷ってないですね。ところが最近また若い人がずいぶん読んでいるらしい。九鬼周造の名前は知らなかったけれども評判を聞いて読んだとか、題名に惹かれて読んだとか……。

私の本棚にあったのは、安田さんと同じ第十刷のものであるが、新刊ではなく古書である。
神保町の古書店のラベルが貼ってある。

林秀彦さんという脚本家がいた。
『鳩子の海』『七人の刑事』『若者たち』『ただいま11人』など、ある年代の人にとっては懐かしいと感じるのではなかろうか。
林さんは、こういうヒット作を次々と世に送り出したシナリオ・ライターだった。
三島北高校出身の女優で、最近は俳人の顔も持つ富士真奈美さんと結婚していたことがあった。

私は、ある偶然から、ゴールドコーストを見下ろす山の上の林さんのお宅を訪ねたことがある。写真で拝見していた通りの端正な風貌と紳士的な振る舞いが印象的であった。
写真というのは、『梗概』という小説のカバーに使われていたものである。
私が、『梗概』のことを話題にすると、多分オーストラリアでそういう人に会うことが少なかったためであろうと思うが、ちょっと嬉しそうな顔をされて、話が盛り上がる1つのきっかけになった。
林さんが帰国されたことは報じられていたが、改めて検索してみて。2010年に亡くなられていたことを知った。

林さんは、日本での生活に疲れ果て、日本ではもう生きていけないという思いで、オーストラリアに移住したという(『日本を捨てて、日本を知った』草思社(9906))。
そして、自己主張と嫉妬が渦巻くアングロ・サクソン文明の中で暮らすうちに、グローバル・スタンダードの美名に惑わされて、みずからの美点を捨てようとしている日本の姿に気づいた。
虹と同じで、その中にいると見えないものがある。
虹は、一定の距離をもって、しかも特定の角度でないとみえない。

オーストラリアの山の上という隔絶された世界に住んでみて、林さんは、日本にいた時には見えなかった日本という国の美しさを見たのだろう。
日本的な思考・美意識こそ、これからの文明の礎になるべきではないのか。
「キレ」の思考 「コク」の思考』において、村山氏も「日本人は、元来「コク」の思考において、民族コンピテンシー(強みとする能力)を発揮してきたはずである」としている。

その民族コンピテンシー(強みとする能力)は、日本語と共に存在する。
⇒2010年7月10日 (土):日本語のコミュニケーション/梅棹忠夫さんを悼む(3)
⇒2012年11月29日 (木):日本語の表記の豊かさと仮名の創造/知的生産の方法(26)
林さんのいう日本的な美意識の代表が「いき」の概念であり、思考の代表が『「いき」の構造』であった。
林さんは、『「いき」の構造』を、「知り合う若者には誰彼かまわず『死んでも読め』と薦めた」と書いている。

九鬼周造は、「一 序説」で、次のように問いかける。

先づ一般に言語といふものは民族といかなる関係を有するものか。

九鬼の考察を、大久保喬樹編『九鬼周造「いきの構造」   ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫(1202)の表現で示せば、次のようである。

私たちは民族を形成して暮らしているが、その民族の特質は言葉を通じて現れる。言葉というものは、その民族の過去から現在までのありようを語るのであり、民族性の表現にほかならないのである。それゆえに、ある民族の言葉というものは、必ず、その民族のの暮らしに固有の特異な色合いを帯びているものなのである。

その日本語の代表として、九鬼周造は「いき」という言葉を選んだ。
つまり、「いき」という日本語は、民族的ニュアンスの著しい語ということになる。
言い換えれば、民族コンピテンシーが発揮される部分ではなかろうか。

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