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2012年12月24日 (月)

エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13)

総選挙で圧勝した自民党の安倍総裁は、岸信介元首相の孫である。
⇒2012年12月22日 (土):御殿場の岸信介の旧邸/戦後史(9)
幼い頃、安保反対のデモ隊のマネをして、「アンポハンタイ」と口にしていたという話である。
その安倍氏は、首相として、外交政策特に東アジア政策の舵取りをどう進めるのであろうか?

安倍氏の尊敬する祖父・岸信介は、戦前、政治家になる以前は、エリート官僚であった。
農商務省(後に農林省と商工省に分かれ、岸は商工省に所属)から満洲「国」の産業部次長になった。
産業部は、日本の商工省に相当する役所で、次長というのは実質的なトップであった。
小林英夫『「昭和」をつくった男―石原莞爾、北一輝、そして岸信介』ビジネス社(0609)に、次のような記述がある。

 満鉄経済調査会の文書の中に、次のような趣旨の文面が見られます。
<満洲国では、日本人が前面に立ってはいけない。なぜなら、中国人は大変誇り高い民族で、メンツを重んじる民族だから、そのメンツをつぶすような形で統治をすれば、日本による統治は短命に終わる可能性が高くなってしまう。それゆえ、彼らを形式的には祭り上げて、実質的な権限は日本人が持つのが望ましい>
 こうした統治のあり方を「内面指導」と呼んでいます。その内面指導を行うほうがはるかに効率よく、またスムーズに統治できると、当時の関東軍は考えたのです。
……
 岸は当初、産業部次長の肩書でした。「次長」ですから、やはりナンバー2です。何かしら重要な判断をする際は当然、トップの承諾なり許可が要る。しかし、彼は産業部次長の職にあった三年もの間、一度もトップのもとを訪ねなかったといいます。では、そのトップは何をしていたかというと、日がな一日写経をしていたという。そのトップは中国人なわけです。

このような姿が、満州「国」の実態であった。
「中国人は大変誇り高い民族で、メンツを重んじる民族だから」という辺りの文章には、つい野田首相と胡錦濤前国家主席との「立ち話」を思い出してしまう。

 いまの野田佳彦首相は、その未熟な政治力が、内憂外患を招いている。とくに近隣外交の拙劣さが、禍となり、国難が襲ってきている。韓国の李明博大統領の突然の竹島上陸、尖閣諸島国有化めぐり、中国に反日、暴動の動きを誘発させてきた。野田佳彦首相は、APECが開かれたウラジオストックで、胡錦濤国家主席から「国有化しないでしい」と要請されたにもかかわらず、その翌日に国有化方針を打ち出してしまい、胡錦濤国家主席は、「顔を潰された」とカンカンに怒ったという。
http://blogos.com/article/47504/

民主党は、戦前の関東軍以下の歴史感覚、政治感覚しかなかったということだ。
所詮民主党政権は未熟・幼稚であったということになるが、そのツケは代表辞任で済むような話ではないだろう。

岸が満州に渡ったのは1936(昭和11)年のことであった。
1931年9月 満洲事変
1932年3月 満洲国建国宣言
1933年3月 国際連盟脱退
1935年8月 皇道派の相沢中佐が統制派の永田軍務局長を刺殺
1936年2月 皇道派の青年将校による二・二六事件発生
1937年7月 盧溝橋事件が起こり、日中戦争が始まる

簡単に並べてみても、物情騒然というか慌ただしい情勢である。
岸が、大日本帝国官僚から満州「国」官僚に変身したのは、このような時代であった。

 

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