« 御殿場の岸信介の旧邸/戦後史断章(9) | トップページ | エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13) »

2012年12月23日 (日)

『脳のなかの水分子』とMRI/闘病記・中間報告(56)

天皇誕生日である。
79歳になられた陛下は、2月に心臓の手術を受けられたが、変わらぬご様子で公務に就かれている。
私は、天皇制という制度は必ずしも合理的でないし、歴史的には批判的に考えるべき要素も多いと思うが、国民の大多数が「是」としている現状からして、否定すべきものではないと考える。

皇位継承や女性宮家の問題が論議されている。
大統領のように選挙で選出するという性格ではないので、世襲によるしかないであろう。
しかし、いたずらに神聖化することは間違いを起こすことになるのではないか。
その点、宮内庁の陵墓に対する姿勢などは如何かと思う。
発掘を許さないという姿勢の結果、比定に疑問を持たれている陵墓が少なからずある。
比定いるされている天皇はもちろん、埋葬されている人物に対しても失礼というものではないだろうか?
⇒2008年11月 1日 (土):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑧高松塚に関する史料
⇒2008年11月28日 (金):御廟山古墳(陵墓参考地)を一般公開
⇒2009年5月29日 (金):箸墓は卑弥呼の墓か?
⇒2010年9月10日 (金):牽牛子塚古墳は、斉明陵か?

天皇誕生日は、私にとっては、記念すべき(?)脳梗塞の発症日である。
3年前の今日、椅子から立ち上がって外出しようとしたところ、歩行できずに倒れてしまったのだ。
自分では意識ははっきりしていたと思う。
しかし、脳梗塞の発症だという認識はまったくなかった。
⇒2010年3月 6日 (土):闘病記・中間報告

医者から、「元のようには戻りませんが、頑張ってリハビリに励んで下さい」という励ましにならない言葉を何回も聞かされたが、確かに後遺症はやっかいである。
ごく簡単・単純な動作(たとえばマウスの操作)が未だにできない。
あるいは、発声が以前と比べ不自由である。
日常生活のコミュニケーションで困ることはほとんどないが、たとえば、カラオケでは特に高音部が出にくいし、発声が遅れてリズム・メロディについていけないことがある。

私がラッキーだったのは、発症の時点での科学技術の水準である。
まず第一に、独りで倒れたのにもかかわらず携帯電話のおかげで、外部(娘)と連絡が取れたことである。
意識がはっきりしていたにも拘わらず、固定電話のあるところまで動けない。
焦ったけれど立ち上がることができず、携帯電話がポケットに入っていなかったら、と思うとぞっとする。

第二は、医学・医療の発達である。
緊急に搬送された救急病院で、血栓溶解治療を受けられたことが挙げられる。
日本でこの療法が承認されてから、まだ数年しか経っていなかった。

脳梗塞は、脳に行っている動脈が詰まることによって、血液が流れなくなり、脳に酸素や栄養などが届かなくなってしまい、脳細胞が死んでしまう病気ですね。
それでは動脈をふさいでいるものを溶かしてしまえば、血液が再び流れるようになって脳梗塞が治るのではないか? このような考えから始まったのが血栓溶解療法です。この溶かすための薬がt-PA(アルテプラーゼ)です。平成17年10月に承認を受け、日本でも治療ができるようになりました。
http://kagomc.jp/gairai/kessen/#h2-kessen01

そしてMRIの実用化である。
MRIはNMR(核磁気共鳴)をベースとしている。
MRI(磁気共鳴画像)のWikipediaの説明をみてみよう。

断層画像という点ではX線CTと一見よく似た画像が得られるが、CTとは全く異なる物質の物理的性質に着目した撮影法であるゆえに、CTで得られない三次元的な情報等(最近のCTでも得られるようになってきている)が多く得られる。また、2003年にはMRIの医学におけるその重要性と応用性が認められ、"核磁気共鳴画像法に関する発見"に対して、ポール・ラウターバーとピーター・マンスフィールドにノーベル生理学・医学賞が与えられた。

MRIが地方の病院にまで普及したのも最近である。
MRIのお陰で、格段に診断の精度は高くなった。
私も、「決して小さくはない脳梗塞」という診断を、搬送された当日の夜に聞いている。

日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)の著者・中田力氏は、fMRIの研究の第一人者である。
fMRIのWikipediaの説明は以下の通り。

fMRI (functional magnetic resonance imaging) はMRI(核磁気共鳴も参照)を利用して、ヒトおよび動物の脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法の一つである。最近のニューロイメージングの中でも最も発達した手法の一つである。

中田氏は、『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』紀伊國屋書店(0608)で次のように書いている。

 MRIは、水分子の画像である。
 MRIとは、身体を形成する水分子が、与えられた特別な周波数に音叉のように共鳴して起こす、ほんのわずかな信号を捉えて画像を作り出す技術である。いわば、MRIの画像とは、水分子の奏でるシンフォニーのようなものである。

まったく水というのは不思議な物質である。

|

« 御殿場の岸信介の旧邸/戦後史断章(9) | トップページ | エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

思考技術」カテゴリの記事

闘病記・中間報告」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『脳のなかの水分子』とMRI/闘病記・中間報告(56):

« 御殿場の岸信介の旧邸/戦後史断章(9) | トップページ | エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13) »