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2012年12月13日 (木)

邪馬台国所在地問題の陥穽/やまとの謎(70)

邪馬台国の所在地は、大別して九州説と畿内説がある。
よく、九州説は方角は合っているが、距離に難点がある、とか、畿内説は距離は合っているが、方角に難点がある、という言い方がされる。
結局、どっちもどっちで、考古学的な発掘成果を待とう、ということになる。
しかし、邪馬台国という名前がいわゆる『魏志倭人伝』という中国の史書に登場する名前であることを考えれば、決定的な考古学的な発掘資料が出てこない限り、邪馬台国所在地を決定づけるものとはならないと思う。

混乱の第一の原因は、日本列島に上陸してからの魏使の行程の読み方にあろう。
池田宏『古代史学に対する疑問』新樹社(7706)は、アカデミズムの定説を批判する。
池田氏は『魏志倭人伝』の行程部分を次の3つに分けて検討する。

A 郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。……又南に一海を渡ること千余里、命けてかん海と日う。一大國に至る。……又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。
B 東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至。……東南のかた奴國に至ること百里。……東行して不彌國に至ること百里。……南のかた投馬國に至る。水行二十日。……南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。……水行十日、陸行一月。
C その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

池田氏は、<B>の部分について、伊都国は福岡県糸島郡前原町(現前原市)付近、奴国は博多付近が定説とされ、その他の国については意見が一致していないと書いている。
この定説について、池田氏は疑問を呈している。
古代に糸島郡や博多付近に、北九州の中心部とも推定できる集落があったことは判明しているが、だからといって倭人伝の伊都国や奴国をこの地と断定できるのか?

全くその通りであって、畿内説でいう纏向遺跡についても、3世紀中ごろに高度な集積があったことが考古学的に確認できたとしても、どうして倭人伝の邪馬台国と断定できるのか?

池田氏は、津田左右吉の『日本古典の研究』のなかの「魏志倭人伝の邪馬台国の位置について」の中の記述を取り上げる。

こヽで大切なのは方位と距離とであるが、末蘆(松浦)から奴(儺)までは、或は不弥を宇瀰とすればその不弥までは、ほゞそれが地理上の事実と一致する。
……
さうしてまた百里とか五百里とかいふ大数によって距離を記してあるこの記載からいへば、それにこのくらゐの不精確なところがあつても、怪しむに足らぬ。

伊都国に比定されている糸島半島の方角は、どう見ても東より北側であって、東南とはいえないだろう。
あるいは、唐津から前原までと前原から博多までは、だいたい同じくらいであって、5:1の記述はおかしいだろう、というのが池田氏の批判である。

一方、池田氏は上記のような事情について、次のように述べている。

 結論からいえば、倭人伝に記載されている方角距離の記録が日本列島の実地に合わない原因は、当時の倭国に「日本列島の真実の地理を洩らすべからず」とする強力な伝統政策があったからであって、それ以外にはあり得ないのである。

池田氏の批判は、中田力氏が『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)の説くところと一致重なっている。
中田氏は、上記のような事情を踏まえたうえで、邪馬台国を宮崎県西都付近に比定した。
⇒2012年12月 7日 (金):魏使の行程のアポリアとしての「水行十日陸行一月」/邪馬台国所在地論

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