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2012年12月

2012年12月31日 (月)

今年を振り返る

2012年も今日で終わりだ。
年々、1年が過ぎるのが早くなって行くような気がする。
多分に加齢によるものだろう。
⇒2007年12月29日 (土):年齢と感覚時間

今年1年は、自分にとってどんな年であったか?

突然の脳梗塞の発症から満3年が過ぎた。
⇒2010年3月 6日 (土):闘病記・中間報告
恐れていた再発も、今のところは大丈夫のようである。
右半身のマヒは相変わらずだが、きわめて緩徐的にしても改善しつつあることは確かだ。
個人的には、全体として穏やかに過ごせたのではないかと思う。

後遺症のリハビリは未だ改善の途上にあることを実感する。
4月~5月に、約5週間鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンターに再入院して、川平法を受術した。
⇒2012年4月18日 (水):川平法に期待して再入院/闘病記・中間報告(41)

世評の高い川平法とはいえ、回復期を過ぎてからの回復には限界がある。
できれば急性期の直後に受術したかったとは思うが、やむを得ない。
しかし、川平教授をはじめとするスタッフの方たちの真面目な取り組みはよく分かった。
⇒2012年4月30日 (月):川平法の印象/闘病記・中間報告(47)

現在は、引き続き通院してOT(作業療法)とPT(理学療法)を受けており、その効果はあると思う。
半年ぶりぐらいに会う人は、歩き方が早くなったとか、手がよく上がるようになった、などと言ってくれる。
しかし、脳梗塞に罹患したことは、初対面でも一目で分かるようだ。

社会的なニュースで印象的なものは次のようなことであろうか。
1.民主党政権の自壊と自民党の政権復帰
⇒2012年12月17日 (月):総選挙の結果をどう見るか?/花づな列島復興のためのメモ(175)
2.脱原発運動の高まり
⇒2012年6月30日 (土):「日本の春」になるか、官邸への反原発デモ/花づな列島復興のためのメモ(98)
3.山中伸弥教授のノーベル賞受賞
⇒2012年10月 9日 (火):山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞/花づな列島復興のためのメモ(148)

民主党政権にはまったく期待を裏切られた。
しかし、私は政権交代前の自民党に戻すことにも賛成できなかった。
したがって、いわゆる第三極の動向に期待したが、余りパッという結果とはならなかった。
⇒2012年12月 3日 (月):総選挙における各党のポジショニング/花づな列島復興のためのメモ(167)

争点や価値観が多様化すれば、多党化現象は必然である。
選挙区で1人しか当選しないという制度は、二大政党制を定着させるため、ということであったが、多量の死に票、無効票が発生している。
少数政党が生き残る道を考えた方がいいのではないか。
ものの見方・考え方のもよるが、自民党圧勝という結果は、必ずしも民意を的確に反映したものとはいえないだろう。
自民党幹部もその辺りは承知しているようで、「自民党は下野して変わった」と盛んに吹聴していたが、どうであろうか?

民意を全体として最も適切に議席数に反映させるためにはどうすべきか?
選挙制度改革にパーフェクトな解など期待し得ないだろうが、先ずは違憲とされている現状を何とかしなければならないであろう。
個人的には、全国1区の選挙区で、獲得票数に比例配分すべきだと考える。
ムリに争点を絞ると、野合に近い合従連衡が生じる。

今年は秋口に、個人的にお世話になってきた2人の先達が亡くなった。
こちらの年齢も相応に高くなっているのだから、まあ仕方のないことではあるが、往時の元気な姿を思うとやはり寂しい気持ちは拭えない。

著名人にもこのブログで何人かの方に追悼の意を表させていただいた。
特に、吉本隆明氏の死は、やはり時代の画期ということを感じざるを得なかった。
⇒2012年3月16日 (金):さらば、吉本隆明/追悼(20)
吉田茂以来64年ぶりという安部首相の再登板によって、名実ともに戦後レジームは終焉を告げるのではなかろうか。

追悼文を書けなかった人にも、死を惜しみたい人はいる。
原田正純氏などがその1人である。
Wikipediaによる略歴は以下の通りである。

鹿児島県さつま町出身。ラ・サール高校、熊本大学医学部卒業。熊本大学医学部で水俣病を研究、胎児性水俣病も見いだす。水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。 熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。1989年、『水俣が映す世界』(日本評論社)で大佛次郎賞を受賞。2001年、吉川英治文化賞受賞。2010年、朝日賞受賞。
2012年6月11日、急性骨髄性白血病のため熊本市内の病院から退院後自宅にて死去。77歳。

福島原発事故と水俣病とは、原因は違うが、強者が引き起こして被害を受けた弱者が救済されにくい、という構造は同じである。
⇒2012年8月 2日 (木):水俣病と福島原発事故/「同じ」と「違う」(49)/因果関係論(18)
われわれは、福島で水俣と同じ失敗を繰り返してはならないが、世の中の雲行きは怪しげである。
野田前首相は、基本的に善意の人であろうが、そして自ら正しいと信じて、消費税の増税や大飯原発を再稼働させたのであろうが、ドジョーを自認したこの人の顔を見ると、「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を思い出してしまう。

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2012年12月30日 (日)

土壌中の放射性セシウム除去の新技術/花づな列島復興のためのメモ(180)

福島第一原発事故は、野田前首相の「収束宣言」から1年が過ぎたが、未だ被害の全容や原子炉の損傷部位が分かっていない。
⇒2011年12月17日 (土):フクシマは「収束」したのか?/原発事故の真相(14)
⇒2012年3月28日 (水):冷温停止の大本営発表/原発事故の真相(22)
⇒2012年6月22日 (金):原子炉の内部の状態/原発事故の真相(38)

放射能汚染区域は広大である。
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http://matome.naver.jp/odai/2131468288290995401

対策としては、基本的には除染ということになる。
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http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/977757c9dafbfcc2200ad005c62a1e7d

しかし、低廉で効果的な方法はなかなかなかったと言えよう。 
福島県出身の社長の率いる中小企業が、北海道大学と協力して、有効な土壌セシウムの除去技術を開発した。

 土壌と固く結び付いたセシウムを分離するのは、埼玉県川口市の三央産業(平山善章社長)が開発した「ジェットバーナー」という装置。土や汚泥に高温で高速の燃焼ガスをあてて水分を飛ばし、同時に大半のセシウムも吹き飛ばす。
 極めて細い炭素の管「カーボンナノチューブ」を使ったスポンジが吹き飛ばしたセシウムを吸着する。北海道大の古月(ふうげつ)文志教授が開発した。セシウムを吸着するとされる顔料のプルシアンブルーと珪藻(けいそう)土も含まれている。
 ジェットバーナーで粉砕した後、通常のフィルターと特製スポンジの二段階でセシウムを取り除く。セシウムを吸ったスポンジは、押しつぶして体積を小さくできる。システム全体で99%のセシウムを取り除くことが可能だという。
 装置の価格は一日二十トンを処理できるタイプで二億円程度。運転コストは、人件費を別にすれば一トンの処理に三千円程度の燃料費ですむ。
 福島県出身の平山社長は「早く福島に持って行き、役立てたい」と話す。二つの技術を合体させたのは水処理装置を扱う企業、NSP(東京都港区)で、井戸康正社長は「体積が圧縮され、セシウムの濃度が高くなったスポンジを最終的にどこで処理するかが課題。最終処分場を早く決めてほしい」と話している。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012123002000088.html

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東京新聞2012年12月30日

復興予算は、こういう技術開発に優先的に配分されるべきではなかろうか。

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2012年12月29日 (土)

安倍政権と原発政策/花づな列島復興のためのメモ(179)

第2次安倍政権が誕生し、デフレ脱却を最誘電に掲げて、今のところ市場は好感しているようである。
⇒2012年12月27日 (木):「失われたx年」からの脱却はなるか?/花づな列島復興のためのメモ(178)
昨日大納会だった証券市場は、今年の最高値で引けた。13年ぶりである。

12月27日の各紙は、こぞって安倍内閣の陣容を紹介していた。
私の地元の地方紙は以下のようであった。
121227
静岡新聞2012年12月27日

前政権に比べれば、仕事をしそうなイメージであるが、予断は持たないでおこう。
安倍政権の評価はまだなんとも言えないとすべきだろうが、気がかりなのは、上記の紙面の左側に乗っている「敷地内の活断層」に対する原子力規制委調査団の判断である。
私は、少なくとも、活断層の可能性があると指摘された場所に立地している原発は稼働させるべきではないと考える。
⇒2012年12月14日 (金):活断層の上の原発を止められない?/花づな列島復興のためのメモ(173)
⇒2012年12月11日 (火):敦賀原発は廃炉へ/花づな列島復興のためのメモ(172)
⇒2012年11月 3日 (土):大飯原発の活断層をどう考えるか/花づな列島復興のためのメモ(157)
⇒2012年10月24日 (水):活断層定義問題と大飯原発の稼働/花づな列島復興のためのメモ(154)
⇒2012年4月28日 (土):活断層の上の原発/花づな列島復興のためのメモ(57)
⇒2012年8月29日 (水):直下に活断層があっても原発運転?/原発事故の真相(44)

ところが、自民党政権は選挙公約においても、「脱原発」は掲げなかった。
茂木経産相はエネルギー政策として原発を推進していくようである。

 茂木(もてぎ)敏充経済産業相は27日の閣議後の記者会見で、「2030年代に原発稼働ゼロを目指す」との方針について「再検討が必要」と見直しを明言した。既存の原発再稼働についても「(原子力規制委員会で)安全性が確認された原発は、政府の責任において再稼働を決めていきたい」と語り、地元自治体の理解を前提に再稼働を進める考えを示した。
 原発の新増設については、既に着工しているJパワー(電源開発)大間原発と中国電力島根原発3号機の建設を容認する方針を表明。着工前の原発の新増設についても「専門的知見を十分蓄積したうえで政治判断していきたい」と述べ、新増設を認めないとした民主党政権の方針を白紙に戻す考えを明らかにした。国内には建設中の原発が3基、着工前の原発建設計画が9基分あり、新増設が認められれば、中長期的にも原発を一定程度活用することを意味する。
 一方、原発の使用済み核燃料を再処理し再び燃やす核燃料サイクルについては「完全に放棄するという選択肢はない」と継続する意向を示した。
http://mainichi.jp/select/news/20121227k0000e010181000c.html

民意は民主党に「喝」を下した。
しかし、自民党に対して「あっぱれ」を呈上したということでもないようである。
根底に選挙制度のマジックがあるし、そもそも違憲と判断された中での選挙が有効か、という問題もある。
⇒2012年12月17日 (月):総選挙の結果をどう見るか?/花づな列島復興のためのメモ(175)
⇒2012年12月18日 (火):違憲状態で勝利して改憲とは?/花づな列島復興のためのメモ(176)

民意と選挙結果の乖離をどう縮めるべきか?
圧勝に驕るならば、前回と同様の短命に終わることになろう。

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2012年12月28日 (金)

「湯たんぽ」の<候・効・好>考/闘病記・中間報告(57)

病気のためか加齢のためかは判然としないが、最近手足の冷えが気になる。
発症前は、手足が冷たいと、ことさらに意識するようなことはなかった。
最近、自分の右手、つまり麻痺側、が冷たいなぁ、と感じることがよくある。
OT(作業療法士)の人と話をしたら、やっぱり動かし方が少なくなるからでしょう、ということだった。

入院中は、暖房完備で夜も暖かった。
退院して冬を迎える時、寝室のエアコンを新調した。
古くから使っているものに比べると、静かだが強力である。
今年は、居間のエアコンもリプレースした。

わが家は、いわゆるマンションである。
以前、会社の都合で単身赴任をしていた時、ワンルームのマンションを借りていたことがあって、真冬の夜でも半袖で居られるくらい暖かかった記憶がある。
マンションというのはそういうものだ、と思っていたら、自宅はそんなことはなかった。
角部屋のせいなのか、構造上の問題なのかは分からない。
結露はひどいので、内外の温度差があることは間違いないのだが。

退院してから、冬場は「湯たんぽ」を愛用している。
子供の頃は使っていた記憶があるが、永くご無沙汰だった。
使ってみるとすこぶる快適である。
湯たんぽのすすめ」というサイトに、「湯たんぽ」のメリット・効用が列挙されていた。

  • ヒーターの類いと異なり皮膚が乾燥しない。
  • 乾燥しないので、咽が乾かない。
  • ほかほかと自然な暖かさがあります。
  • 体全体(布団全体)が温かく、朝も快適に起きられます。
  • 電気の消し忘れがないので寝坊した朝でも安心。
  • 問題となっている電磁波が発生しない。
  • だんだんと温度が下がるので、体に優しい。
  • 電気代もかからずエコロジー。
    阪神大震災でも大活躍→
    阪神大震災時の「湯たんぽ」心尽くしの湯たんぽ
    まいにち中学生ニュース 被災地へ湯たんぽ トルコや雲南を救済 〔現在リンク切れ)
  • 一人分が安価なので、人数分揃えられる。
  • 翌朝も気分の良い温かさが持続。
  • 残り湯(まだ熱い)で顔や食器を洗える。
  • 屋外でも簡単に使えて温かい(テント泊の方、お試しを)。
  • 電源不要なので病院で入院中の人も使える。

子供の頃は金属製のものだったが、最近はいろいろな材質のものが出回っている。
わが家で使用しているのは、硬質プラスチック(PVC?)製である。

Photo
http://www.designgumi.com/blog/index.php?ID=133

「湯たんぽ」は、まさに「熱と温度」の問題の典型例である。
「湯たんぽ」は、熱容量と熱伝導、熱拡散のほど良いバランスを、低コストで実現している。
⇒2009年8月14日:「同じ」と「違う」(1)熱と温度 その1.熱容量と比熱
⇒2009年8月17日 (月):温度と熱 その2.水の特異性/「同じ」と「違う」(2)
⇒2009年8月26日 (水):熱と温度 その3.熱伝導率と熱拡散率/「同じ」と「違う」(5)
⇒2009年8月27日 (木):熱と温度 その4.熱伝導率と熱拡散率(続)/「同じ」と「違う」(6)

Wikipediaによれば、日本での「湯たんぽ」の使用の歴史は以下のようである。

日本では室町時代に使用されており、栃木県日光市の輪王寺に、徳川綱吉が使用したという犬型の湯たんぽが存在している。古くは陶器製が主で、金属製のものが現れたのは大正期以降である。戦時中は金属が貴重となったため、陶器製のものが使われるようになった。現在ではプラスチック製やポリ塩化ビニル製のものが主流となっているが、金属やプラスチック製の湯たんぽと違い、陶器製の湯たんぽは保温性が良く遠赤効果があるとされている。
1990年代になってから、保温性の高い液体をプラスチックの容器内に密閉し、電子レンジで加熱することにより湯水の出し入れをしなくてもよいものが登場したが、加熱のし過ぎによって容器が破損し、内部の高温の液体が漏れ出して火傷を負う事故があったため、メーカーのADEKAが利用者に商品の回収を呼びかけている。
2007年(平成19年)からは原油価格の高騰によって省エネルギー性が注目され、商品数・売上が増加している。

東日本大震災を体験し、本格的な省エネ時代を迎えているが、「湯たんぽ」はますます見直されて増加していくのではなかろうか。

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2012年12月27日 (木)

「失われたx年」からの脱却はなるか?/花づな列島復興のためのメモ(178)

第2次安倍内閣がスタートした。
再登板総理は昭和23(1948)年の吉田茂以来、64年ぶりとのことである。
私は4歳くらいで、記憶はない。

最優先課題は、デフレ脱却を柱にした経済再生である。
民主党政権下では、デフレ脱却の気配すら見えなかったが、安倍内閣は実効性のある施策を打ち出せるだろうか?
アベノミックスといわれる経済政策は、効果があるだろうか?

一般に、「失われたx年」と言われている。
起点はバブル経済が崩壊した1990年頃と考えられるから、世紀の変わり目の頃は、「失われた10年」といわれた。
それからさらに10年以上が経過し、「失われた20年」という言い方が定着した。
しかし、「21世紀はデフレの世紀だ」というようなことも言われ、デフレ経済は、長期的なトレンドである、という見方もある。

マクロな日本経済の動向は下図の通りである。
Ws000000
日本経済新聞2012年12月27日

アベノミックスの柱は、「日銀による物価上昇率目標(インフレ・ターゲット)すなわち金融政策」と「財政出動」である。
インフレ・ターゲットは、1%をメドとしてきた日銀と、2%という安倍首相との綱引きがあったが、結局は日銀側が歩み寄ることになろう。
問題は、インフレが、たとえ小幅であっても、弱者、持たざる者にとっては厳しいものになる可能性があることであろう。

財政出動とは、公共事業のことである。
「コンクリートから人へ」の民主党のキャッチフレーズを、意識的に否定するかのように、「国土強靭化、防災・減災」が謳われている。
各省庁が東日本大震災の復興に名を借りて予算の奪い合いをしていたが、果して政治主導で「役人の壁」を突破できるかどうか?

わが国の財政事情は、国際比較でもワーストに数えられる。
Ws000001
日本経済新聞2012年12月27日

従来型の公共事業では債務残高は膨らむ一方である。
民主党政権に倦んだ世の中の安部政権に対する期待の高さを物語るように、安倍氏が経済政策を口にしてから、株高・円安が続いている。
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http://blogos.com/article/52722/

いかに野田政権の退陣を待ち望まれていたか、であろう。
しかし、株価、為替レート共に、ずっと続くものではない。
特に円安ならばそれでいい、というものでもあるはずがない。
輸入品の値上がりは、諸物価値上げのきっかけとなる可能性がある。

一方で、マクロなトレンドとして不可避なのは、人口である。
すでに日本社会は、人口減少社会という未体験ゾーンに入った。
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http://williberich.at.webry.info/201006/article_6.html

65歳未満の人口の減少度合いは、さらに急である。
すなわち、高齢者の比率が高くなるわけで、社会保障の充実は喫緊の課題である。
東日本大震災が、日本社会の大きな転換期に起きたことは、偶然ではあろう。
しかし、そこから汲み取るべき課題は、必然的な構造転換をどう進めるかである。

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2012年12月26日 (水)

近現代百人一首/私撰アンソロジー(17)

いよいよ年の瀬も押し詰まってきて、新年の準備があちこちで進められている。
近くの三嶋大社では、総門の大しめ縄の飾り付けも終えた。
Photo
http://www.at-s.com/news/detail/474552269.html

しかし、元旦から開いている店が多くなった現在では、個人レベルでの年末の用事は減ってきているのではないだろうか?
正月といえば、昔は家族で小倉百人一首で遊んだものだ。
一時期は絶滅危惧種の遊びだったが、最近は「脳にいい」とかで、小学生から高齢者の認知症予防まで人気復活のようである。

「文藝春秋」2013年1月号が、『新・百人一首-近現代短歌ベスト100』を企画掲載している。
惹句は以下の通り。

小倉百人一首から八百年--。
短歌界の重鎮四氏が、明治天皇、斎藤茂吉から皇后美智子、俵万智まで、時代を代表する百首を新たに選んだ

短歌界の重鎮というのは、岡井隆、馬場あき子、永田和宏、穂村弘の4氏である。
いずれも評論などでも名高い(つまり私が知っている)歌人であり、バランス良く選ばれている。
選ばれた100首は、私でも知っているものもあったが、いずれも名歌・秀歌といえよう。
読み巧者たちが選んだものだから、保証書付きである。

そこからさらに何首かを選ぶという大胆な試みをしてみた。
そもそも、俳句や短歌の選に、客観的な基準などないだろう。
⇒2007年8月24日 (金):俳句評価の難しさ
⇒2007年10月25日 (木):選句の基準…⑤「予想外」あるいは「勘と好み」
私の「勘と好み」は、以下のようである。
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人によって選ぶ歌は異なる。
それを比較してみるのも面白いと思う。
選句や選歌はコミュニケーションの手段として有効ではなかろうか。
⇒2007年8月22日 (水):選句遊び
⇒2007年10月15日 (月):「選句遊び」余談

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2012年12月25日 (火)

天孫降臨と藤原不比等のプロジェクト/やまとの謎(73)

大山誠一氏は、「聖徳太子は架空の存在であり、実在しなかった」と主張して、古代史に大きな波紋を呼び起こす一石を投じた。
一般人向けの著作としては、『「聖徳太子」の誕生 』吉川弘文館(9904)がある。
確かに、『日本書紀』に描かれた聖徳太子の人物像には、非現実的な部分が少なくない。
⇒2010年12月17日 (金):聖徳太子(ⅰ)/やまとの謎(19)

しかし、文献史学者として、非実在論を打ち出すには、想像できないくらいの勇気がいたことであろう。
その後、谷沢永一氏のような啓蒙家によって、聖徳太子の虚構性は広く知られるようになった。
⇒2011年3月19日 (土)谷沢永一氏と聖徳太子論争/やまとの謎(28)

それでは、聖徳太子は、『日本書紀』において、なぜそのように描かれたのか?
『日本書紀』編纂の最高責任者とされる藤原不比等は、聖徳太子を律令国家の出発点におくことによって、皇室の尊厳を確立した。
そして、聖徳太子信仰の隆盛とともに、天皇制の砦は盤石となった、というのが大山氏の聖徳太子の位置づけである。

その大山誠一氏が、『天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト 』NHKブックス(0911)を上梓して、藤原不比等が『日本書紀』によって、最終的に何を意図したのか、にアプローチしている。
私はリハビリ入院中という余り快適とはいえない環境で、この本を読んで、深い霧に包まれた古代に、晴れ間の光線が射すような感想をもった。
⇒2010年12月17日 (金):聖徳太子(ⅰ)/やまとの謎(19)

そして、鹿児島大学病院霧島リハセンターへの再入院の機会に、天孫降臨の地といわれる高千穂峰を実見し得た。
⇒2012年7月 9日 (月):天孫降臨の高千穂峰/やまとの謎(66)
また、今年、天孫降臨神話との親和性がいいと思われる宮崎県の西都という「都」がついた地名と古墳群の存在が有名な場所を邪馬台国に比定する中田力の『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)に触れ得た。
⇒2012年11月20日 (火):「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ
偶然ではあるが、中田氏は、脳血管障害患者にとって大きな恵みをもたらしているMRIの世界的研究者であった。
⇒2012年12月23日 (日):『脳のなかの水分子』とMRI/闘病記・中間報告(56)

大山氏は、『天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト 』で、次のような問いを立てている。

藤原不比等は、なぜ天孫降臨というようなある意味で荒唐無稽なストーリーを構想したのか?
そして、どういう理由で、高千穂峰をその地に選んだのか?
また、そのことは、天皇制のあり方をどう規定しているのだろうか?

そして、大山氏は、藤原不比等が『日本書紀』によって狙ったことを、次の3つのプロジェクトに分けて考察した。
プロジェクトX:草壁皇子の擁立
プロジェクトY:軽皇子の擁立
プロジェクトZ:首皇子の擁立

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2012年12月24日 (月)

エリート官僚としての岸信介/満州「国」論(13)

総選挙で圧勝した自民党の安倍総裁は、岸信介元首相の孫である。
⇒2012年12月22日 (土):御殿場の岸信介の旧邸/戦後史(9)
幼い頃、安保反対のデモ隊のマネをして、「アンポハンタイ」と口にしていたという話である。
その安倍氏は、首相として、外交政策特に東アジア政策の舵取りをどう進めるのであろうか?

安倍氏の尊敬する祖父・岸信介は、戦前、政治家になる以前は、エリート官僚であった。
農商務省(後に農林省と商工省に分かれ、岸は商工省に所属)から満洲「国」の産業部次長になった。
産業部は、日本の商工省に相当する役所で、次長というのは実質的なトップであった。
小林英夫『「昭和」をつくった男―石原莞爾、北一輝、そして岸信介』ビジネス社(0609)に、次のような記述がある。

 満鉄経済調査会の文書の中に、次のような趣旨の文面が見られます。
<満洲国では、日本人が前面に立ってはいけない。なぜなら、中国人は大変誇り高い民族で、メンツを重んじる民族だから、そのメンツをつぶすような形で統治をすれば、日本による統治は短命に終わる可能性が高くなってしまう。それゆえ、彼らを形式的には祭り上げて、実質的な権限は日本人が持つのが望ましい>
 こうした統治のあり方を「内面指導」と呼んでいます。その内面指導を行うほうがはるかに効率よく、またスムーズに統治できると、当時の関東軍は考えたのです。
……
 岸は当初、産業部次長の肩書でした。「次長」ですから、やはりナンバー2です。何かしら重要な判断をする際は当然、トップの承諾なり許可が要る。しかし、彼は産業部次長の職にあった三年もの間、一度もトップのもとを訪ねなかったといいます。では、そのトップは何をしていたかというと、日がな一日写経をしていたという。そのトップは中国人なわけです。

このような姿が、満州「国」の実態であった。
「中国人は大変誇り高い民族で、メンツを重んじる民族だから」という辺りの文章には、つい野田首相と胡錦濤前国家主席との「立ち話」を思い出してしまう。

 いまの野田佳彦首相は、その未熟な政治力が、内憂外患を招いている。とくに近隣外交の拙劣さが、禍となり、国難が襲ってきている。韓国の李明博大統領の突然の竹島上陸、尖閣諸島国有化めぐり、中国に反日、暴動の動きを誘発させてきた。野田佳彦首相は、APECが開かれたウラジオストックで、胡錦濤国家主席から「国有化しないでしい」と要請されたにもかかわらず、その翌日に国有化方針を打ち出してしまい、胡錦濤国家主席は、「顔を潰された」とカンカンに怒ったという。
http://blogos.com/article/47504/

民主党は、戦前の関東軍以下の歴史感覚、政治感覚しかなかったということだ。
所詮民主党政権は未熟・幼稚であったということになるが、そのツケは代表辞任で済むような話ではないだろう。

岸が満州に渡ったのは1936(昭和11)年のことであった。
1931年9月 満洲事変
1932年3月 満洲国建国宣言
1933年3月 国際連盟脱退
1935年8月 皇道派の相沢中佐が統制派の永田軍務局長を刺殺
1936年2月 皇道派の青年将校による二・二六事件発生
1937年7月 盧溝橋事件が起こり、日中戦争が始まる

簡単に並べてみても、物情騒然というか慌ただしい情勢である。
岸が、大日本帝国官僚から満州「国」官僚に変身したのは、このような時代であった。

 

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2012年12月23日 (日)

『脳のなかの水分子』とMRI/闘病記・中間報告(56)

天皇誕生日である。
79歳になられた陛下は、2月に心臓の手術を受けられたが、変わらぬご様子で公務に就かれている。
私は、天皇制という制度は必ずしも合理的でないし、歴史的には批判的に考えるべき要素も多いと思うが、国民の大多数が「是」としている現状からして、否定すべきものではないと考える。

皇位継承や女性宮家の問題が論議されている。
大統領のように選挙で選出するという性格ではないので、世襲によるしかないであろう。
しかし、いたずらに神聖化することは間違いを起こすことになるのではないか。
その点、宮内庁の陵墓に対する姿勢などは如何かと思う。
発掘を許さないという姿勢の結果、比定に疑問を持たれている陵墓が少なからずある。
比定いるされている天皇はもちろん、埋葬されている人物に対しても失礼というものではないだろうか?
⇒2008年11月 1日 (土):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑧高松塚に関する史料
⇒2008年11月28日 (金):御廟山古墳(陵墓参考地)を一般公開
⇒2009年5月29日 (金):箸墓は卑弥呼の墓か?
⇒2010年9月10日 (金):牽牛子塚古墳は、斉明陵か?

天皇誕生日は、私にとっては、記念すべき(?)脳梗塞の発症日である。
3年前の今日、椅子から立ち上がって外出しようとしたところ、歩行できずに倒れてしまったのだ。
自分では意識ははっきりしていたと思う。
しかし、脳梗塞の発症だという認識はまったくなかった。
⇒2010年3月 6日 (土):闘病記・中間報告

医者から、「元のようには戻りませんが、頑張ってリハビリに励んで下さい」という励ましにならない言葉を何回も聞かされたが、確かに後遺症はやっかいである。
ごく簡単・単純な動作(たとえばマウスの操作)が未だにできない。
あるいは、発声が以前と比べ不自由である。
日常生活のコミュニケーションで困ることはほとんどないが、たとえば、カラオケでは特に高音部が出にくいし、発声が遅れてリズム・メロディについていけないことがある。

私がラッキーだったのは、発症の時点での科学技術の水準である。
まず第一に、独りで倒れたのにもかかわらず携帯電話のおかげで、外部(娘)と連絡が取れたことである。
意識がはっきりしていたにも拘わらず、固定電話のあるところまで動けない。
焦ったけれど立ち上がることができず、携帯電話がポケットに入っていなかったら、と思うとぞっとする。

第二は、医学・医療の発達である。
緊急に搬送された救急病院で、血栓溶解治療を受けられたことが挙げられる。
日本でこの療法が承認されてから、まだ数年しか経っていなかった。

脳梗塞は、脳に行っている動脈が詰まることによって、血液が流れなくなり、脳に酸素や栄養などが届かなくなってしまい、脳細胞が死んでしまう病気ですね。
それでは動脈をふさいでいるものを溶かしてしまえば、血液が再び流れるようになって脳梗塞が治るのではないか? このような考えから始まったのが血栓溶解療法です。この溶かすための薬がt-PA(アルテプラーゼ)です。平成17年10月に承認を受け、日本でも治療ができるようになりました。
http://kagomc.jp/gairai/kessen/#h2-kessen01

そしてMRIの実用化である。
MRIはNMR(核磁気共鳴)をベースとしている。
MRI(磁気共鳴画像)のWikipediaの説明をみてみよう。

断層画像という点ではX線CTと一見よく似た画像が得られるが、CTとは全く異なる物質の物理的性質に着目した撮影法であるゆえに、CTで得られない三次元的な情報等(最近のCTでも得られるようになってきている)が多く得られる。また、2003年にはMRIの医学におけるその重要性と応用性が認められ、"核磁気共鳴画像法に関する発見"に対して、ポール・ラウターバーとピーター・マンスフィールドにノーベル生理学・医学賞が与えられた。

MRIが地方の病院にまで普及したのも最近である。
MRIのお陰で、格段に診断の精度は高くなった。
私も、「決して小さくはない脳梗塞」という診断を、搬送された当日の夜に聞いている。

日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)の著者・中田力氏は、fMRIの研究の第一人者である。
fMRIのWikipediaの説明は以下の通り。

fMRI (functional magnetic resonance imaging) はMRI(核磁気共鳴も参照)を利用して、ヒトおよび動物の脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法の一つである。最近のニューロイメージングの中でも最も発達した手法の一つである。

中田氏は、『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』紀伊國屋書店(0608)で次のように書いている。

 MRIは、水分子の画像である。
 MRIとは、身体を形成する水分子が、与えられた特別な周波数に音叉のように共鳴して起こす、ほんのわずかな信号を捉えて画像を作り出す技術である。いわば、MRIの画像とは、水分子の奏でるシンフォニーのようなものである。

まったく水というのは不思議な物質である。

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2012年12月22日 (土)

御殿場の岸信介の旧邸/戦後史断章(9)

次期首相に内定している自民党安倍総裁の母方の祖父が、岸信介である。
⇒2012年10月 3日 (水):自民党総裁選の決選投票をめぐる因縁/戦後史(1)
Wikipediaの岸信介の項に載っている系図は以下の通りである。
Ws000000

岸は、戦後世代にとっては、60年安保の一方の主役として記憶されている。
⇒2012年10月22日 (月):60年安保と岸信介/戦後史(3)
しかし、岸は、戦前から農商務省のあるいは満洲「国」のエリート官僚として活躍していた。
終戦と共に、A級戦犯の容疑で巣鴨拘置所(俗に巣鴨プリズンといわれる)に拘留されたが、「奇跡」的な復活を遂げ、あれよあれよという間に、首相になった。
岸のことを、「昭和の妖怪」などと評するが、昭和自体がすでに「遠くになりにけり」である。

岸は、晩年を御殿場市東山で過ごした。
御殿場市は、東海の軽井沢などとも呼ばれ、秩父宮旧邸など由緒のある建造物が少なくない。
その御殿場市の「東山旧岸邸」が、今年の静岡県景観賞民間施設部門の優秀賞を受賞した。

 東山旧岸邸は1969年に建築家吉田五十八が設計、建築した近代数寄屋造りの私邸。伝統的な数寄屋建築と近代的な住まいの機能を持ち合わせた建築物として評価も高い。2003年に同市に寄贈され、09年から一般公開されている。イヌシデやムクロジ、岸元首相の好みで選ばれたノムラモミジなどの樹木が色づき始めた庭園には小川も流れ、来館者が自由に散策できる。
 景観を保つため、施設管理者などが毎日の清掃以外に月に1度、庭園や建築物の清掃活動を行い、保全に努めているという。
 昨年、優秀賞を受賞し、岸邸に隣接する「とらや工房」では、茶や茶菓子も楽しめる。来場者は落ち着いた雰囲気の中で季節の移ろいを味わっている。
Photo_2
http://www.at-s.com/news/detail/474541666.html

閑静な環境の中の瀟洒なたたずまいであり、こんな邸宅は庶民的な発想ではとても手に入るようなものではない。
毀誉褒貶はあるが、昭和を代表する人物の1人であると思う。

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2012年12月21日 (金)

危険の可能性を指摘された原発は稼働させるな/花づな列島復興のためのメモ(177)

またしても、原発敷地内の断層が活断層の可能性が高いという判断が示された。
東北電力東通原発(青森県東通村)である。
東通原発は、東北電力と東京電力の2社が敷地を保有している。
東通村は、本州の最北端・下北半島にある。

東北電力東通原発がある青森県東通村で、海岸線から約1.3キロ内陸の地点まで、過去約千年間で少なくとも5回の大津波が来たことを示す地層が見つかったとする調査結果を、北海道大の平川一臣特任教授がまとめました。以下にご紹介します。
「東通村では営業運転している東北電力東通原発1号機(定期検査中)のほか、建設中や計画中の原発3基(東北電力1基、東京電力2基)がある。見つかった地層は東通原発からの約6キロの距離にあり、標高約5メートルの場所。建設時に東北電力が想定してきた津波の高さは6.5メートルだが、同社は実際に地層を掘削する津波の調査はしておらず、発見は論議を呼びそうだ。

Photo_2
 
 平川特任教授によると、調査は7月中旬に東通村の小田野沢地区で実施。947年に朝鮮半島の白頭山が噴火した火山灰の層の上に、津波によるとみられる堆積物の砂の層を五つ確認した。火山灰層の下にも1層あったという。津波を起こした地震などの詳細は分かっていないが、平川特任教授は「1611年の慶長三陸地震などが考えられる」としている。
 慶長三陸地震では北海道でも津波被害が発生。また、ほかにも北海道沖を震源として500年間隔で地震があり、東北から北海道まで広範囲に大津波が押し寄せた可能性もある。ただ現在まで十分な調査が進んでいないという。
 東通村がある下北半島にはほかにも、建設中の電源開発・大間原発(大間町)や使用済み核燃料の中間貯蔵施設(むつ市)など多くの原子力関連施設がある。平川特任教授は「下北半島は非常に重要で、あらためてさまざまな調査をするべきだ」と指摘している。」

http://blog.jisinbousai.net/?eid=717185

そこに今回は活断層の可能性が高いことが指摘されたわけである。

Photo_4島崎邦彦委員長代理ら現地調査した5人の専門家は、活断層の可能性が高いとの見解で一致した。活断層ではないと主張する東北電は、原子炉への影響を考慮してきておらず、再調査や耐震性の見直しは必至。同原発の再稼働は、当面困難となる情勢だ。
 5人は13、14両日、現地で、原子炉建屋の近くを南北に走る「F-3」「F-9」などの断層を調査した。
 専門家らは会合で、これらの断層について「考慮すべき活断層だ」(粟田泰夫・産業技術総合研究所主任研究員)などと口をそろえ、島崎氏は「活断層ではないという主張は到底受け入れ難い」と結論付けた。
 東北電は、粘土層が地下水を吸って膨張する「膨潤」が地層のずれの原因とし、「活断層ではない」と主張している。規制委は26日に同社から意見を聞いて最終判断する。同社は従来の主張を繰り返す方針。

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/20121221t23001.htm

敷地内の断層は原子炉建屋から数百メートル離れている。
施設直下を走る日本原子力発電敦賀原発とは異なり、「再稼働は可能」と判断される可能性はあるが、一般論というか常識的に考えて、再稼働はあり得ないだろう。
「疑わしきは罰せず」という法理とは異なる。
原子炉の安全性については、「疑わしきはNo」なのだ。
⇒2012年7月24日 (火):何をもって安全性の証明とするのか?/花づな列島復興のためのメモ(117)/因果関係論(15)

しかも、原子力規制委員会の専門家調査団の全員一致した見解である。
なぜか、将来のエネルギー政策は、総選挙の争点としては真剣に討論される期間がなかった。
自民党と民社党の間で、共に争点化を避ける方向の力が働き、一種のなれ合いが生じていたのではないか?
いま、原発の立地や稼働が最優先、安全、安心は二の次という電力会社の体質に政治が追随するならば、立憲政友会と立憲民政党という戦前の二大政党による過ちを繰り返すことにならないか?

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2012年12月20日 (木)

邪馬台国と金印/やまとの謎(72)

『魏志倭人伝』を適切に解読すれば、邪馬台国は宮崎平野にあった、というのが中田力『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)が得た結果であった。
中田氏は、『魏志倭人伝』を前提とするという条件を設定する限り、理論的にこの結論は揺るがない、と言う。
そして、『魏志倭人伝』に続く日本古代史の記載解析は、「記紀」が中心になることも議論の余地がない、とする。

そして、「記紀」を参照とするという条件を設定すると、「記紀」に描かれた大王(天皇)はすべて実在したものと考えるべきだ、というのは必然だという。
私は、合理的な理由があれば、必ずしもそう考える必要はないのではないかとも思うが、さしあたっては、古代天皇の誰かが実在しなかったと考える合理的な理由もない。
中田氏は上記のように言って、古代の年代解析は、「記紀」を参照する限り、中田氏の示した数理考古学の結果が議論の出発点とならなければならない、とする。
⇒2012年11月26日 (月):邪馬台国と『記紀』の年代論/やまとの謎(68)
⇒2012年12月16日 (日):天孫降臨の年代と意味/やまとの謎(71)

上記を揺るがしがたい大前提とすると、3世紀半ばの日本の代表勢力として、以下の存在を考えることができる。
・邪馬台国:九州中央部の広い範囲を勢力下におく。
←唐津から宮崎平野に至る行程から
・狗奴国:邪馬台国の南方にあり、邪馬台国と争う存在。
・出雲国:神話として描かれる。アマテラスとスサノオの姉弟喧嘩から天孫降臨までの期間。

そして歴史(考古学)的事実との整合性を考えると、博多の奴国の存在がある。
金印である。
時代的には邪馬台国時代を2世紀ほど遡る。
しかし、その頃、倭国の宗主として権勢を誇った国である。

大和朝廷との係わりの記載はどこかに残されていないか?
中田氏は、神武の母方の曽祖父・海神の綿津見大神を考える。
志賀島の志賀海神社が綿津見神を祀っている。
アマテラスやスサノオの時代には、志賀島を中心に、綿津見神の勢力があったと考えられる。

同じ名前の大綿津見神は、神話の最初に登場する。
志賀島の綿津見神の先祖が大綿津見神だとすると、博多の奴国は、大和朝廷や出雲よりもずっと以前に成立したと考えられる。
「倭国の大乱」が、博多の奴国が力を失って起きた混乱だとすれば、邪馬台国は勢力伸長のために博多の奴国と血族関係を結んでも不思議ではない。

神武の父親のウガヤフキアエズはホオリ(山幸彦)と海神の娘・豊玉姫の間に生まれた。
ホオリの父はニニギであるから、神武は天孫降臨から数えて4代目である。
卑弥呼=アマテラスの時代は、天孫降臨以前であるから、綿津見国(博多の奴国)も、宗主の座からは降りたものの、まだ健在だったと考えられる。

邪馬台国は博多の奴国に代わって宗主の立場にあった。
大陸との交通の主要港は、博多から唐津に変わり、金印を賜るほどになった。
中田氏は、天孫降臨は、金印を賜った事実を意味するのかも知れない、としているが、面白い見方だと思う。

最近見た週刊新潮の連載「一の宮巡礼」の47として、海神神社が載っている(2012年12月13日号)。
対馬国一宮である。
古老の中には、「わだつみじんじゃ」と呼ぶ人もいるという。
(大)綿津見神の勢力は、対馬を含んでいた、というよりも、対馬の勢力が博多を圏域にしていたのだろうか?
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週刊新潮2012年12月13日号

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2012年12月19日 (水)

さわやか or 泥沼流・米長邦雄さん/追悼(23)

永世棋聖の米長邦雄さんが、12月18日亡くなった。
1943(昭和18)年6月10日生まれで、69歳だった。
前立腺がんだというが、まだまだ元気な姿を見たい人だった。

記憶に新しいのは、今年の1月14日のボンクラーズ(コンピュータ将棋)との対局である。
ボンクラーズは、富士通研究所の伊藤英紀氏が開発したソフトウェアである。
コンピュータ将棋選手権で優勝経験のある将棋プログラム「ボナンザ」をベースとし、6台のサーバを並列処理させることで、高速演算を可能としたといわれる。

ボンクラーズは、2011年5月のコンピュータ将棋世界選手権を制した。
現役棋士との公式対局が期待されたが、60歳で現役を退いていた米長さんが大役を引き受けた。
しかし当時68歳となっていた米長さんに既に全盛期の棋力はなく、正座で対局を行う体力もなかったと言われる。

米長さんは自宅にパソコンを導入、ボンクラーズをインストールして、対策を研究した。
若手棋士やタイトル保持者を自宅に招待してボンクラーズと指させてはみたものの、ほとんどは敗れてしまったそうである。
正攻法では勝てないことを悟った米長さんは、コンピュータが苦手な序盤に大優勢を築き、そのまま逃げ切る作戦を立てた。
米長VSボンクラーズは、インターネットで生配信され、好評を博した。

私は将棋については駒の動かし方程度の知識しかない。
しかし、米長さんの生き方は興味をもって眺めていた。
容姿や考え方からは「さわやか流」と呼ばれていたが、棋風からは「泥沼流」と評された。
以下は、ボンクラーズとの対戦に関するWikipediaの解説である。

米長は「ボナンザ」開発者である保木邦仁の勧める、初手▲7六歩に対する△6二玉に着目する。これは定跡に無い手で、ボンクラーズのもつ膨大な序盤の定跡データを無効化できるかもしれないと言うのだ。さらにコンピュータは構想力が劣り、6二玉からの狙いを看破できず、金銀で6筋、7筋の位を張る米長陣を、金銀が上ずり玉飛が接近しており、自身が優勢と誤判断する。米長はこの筋を研究し、述べ300時間の準備の上で対局に臨んだ。
来る2012年1月14日、実戦でも米長は6二玉からの構想で、79手目までに6筋、7筋を制圧、ボンクラーズを抑え込む形で大優勢となった。だが直後に、米長に見落としが出て位を奪還されてしまう。その後は「人間と違い、ミスをしない」コンピュータであるボンクラーズが、逆転勝利を収めることとなった。
局後の記者会見で米長は、△6二玉は最善手であったはずで、負けたのは単に私が弱かったからだと語った。米長の構想については羽生善治、谷川浩司、森下卓らトップ棋士も評価しているほか、複数のコンピュータ将棋開発者からも比較的良い評価を受けている。

米長さんは、棋界だけでなく、一般社会にも大きな影響力を持った。
1993年に、7度目の挑戦で、49歳で念願の名人位に就いた。
名人在位中に50歳になり、在位の最年長記録を作ったが、1期だけで失い、以後タイトル戦から遠ざかった。
名人位奪取に際しては、30歳も若い棋士の研究会に参加し、教えを乞うたという。

3人の兄は東大に進んだ。
そのうちの泰氏は、全日本学生名人戦で優勝を果たすなどアマチュア強豪として知られ、都市工学の専門家であるが、将棋の棋風分析の一人者という。
「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」という言葉は米長語録として有名であるが、実際は親友の故芹沢博文九段が言い始めたということである。

芹沢九段は、沼津の出身であり、実の妹は私の友人である。
天才肌の人で、酒豪で知られたが、肝不全で51歳で亡くなった。
尋常ではない酒量で体調を崩した結果の早逝であり、その死は「時間をかけた、ゆるやかな自殺」と言われている。
文学者などにみられる破滅型の人だったといえよう。
妹は兄と違い、全くアルコール類を嗜まないが、飲み会の座を盛り上げてくれる心遣いの人である。
米長さんは芹沢さんと大の仲良しだったという。
個性的な棋士に合掌。

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2012年12月18日 (火)

違憲状態で勝利して改憲とは?/花づな列島復興のためのメモ(176)

総選挙に圧勝した自民党の安倍総裁は、早くも憲法第96条の改正に意欲を示している。

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

改憲の発議に、3分の2の国会議員が必要、言いかえれば3分の1が反対すれば発議ができない、という条項がハードルが高すぎるということである。
連立のパートナーとなるであろう公明党は消極的であっても、日本維新の会やみんなの党と連携すれば、96条改正のチャンスと見たのだろう。

しかし余りに性急ではなかろうか。
他に優先的に取り組むべき課題があると思う。
そもそも今回の総選挙は、最高裁により違憲と判断された状態で行われたものであった。
⇒2012年10月18日 (木):永田町に繁殖するシロアリを退治せよ/花づな列島復興のためのメモ(151)

しかも今回の総選挙は、小選挙区制の欠陥がくっきりと表れた選挙でもあった。
戦後最低の投票率に終わったことは、有権者の側の問題が大きいであろうが、投票行動を誘起できない一因は制度にもあると思う。

自民党は、294議席を得たが、それは自民党あるいは自民党候補者が積極的な信任を得たのではないことは、当選者が最も感じていることであろう。
小選挙区で自民党候補の名前を書いたのは、全有権者の4分の1程度に過ぎない。
また、比例区で自民党に票を投じたのは約16%であった。
121218
東京新聞2012年12月18日

私は民主党の敗北は当然の結果であると思うが、それでも小選挙区での自民党と民主党の得票率と議席数をみると、余りにその落差が大きいのではないかと考える。
自民党:得票率 43.01% 議席数 237(/300=79%)
民主党:得票率 22.81% 議席数  27(/300=  9%)

つまり、得票率において自民党の50%強の民主党は、議席数においてはわずか11%強に過ぎない。
前回総選挙では逆の現象が起きていたのだからオアイコではあるが、民意の正確な反映という意味では如何なものかと思う。

それにしても、このような選挙で勝って、それで任期の期間は独裁の権限を付託された、などということが、いかに現実離れした空論であるかが、改めて確認されたということだろう。
⇒2011年8月14日 (日):退陣菅内閣の「7つの大罪」論と後継内閣の責務

世論調査でも、自民党の圧勝という結果に違和感を持つ人が、少なくないことが示されている。
Ws000000
静岡新聞2012年12月18日

「0増5減」などという小手先の選挙制度改革ではなく、可能な限り民意を反映するような制度改革がなされるべきだろう。

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2012年12月17日 (月)

総選挙の結果をどう見るか?/花づな列島復興のためのメモ(175)

総選挙の結果が明らかになった。
自民党の雪崩的な圧勝である。
自公で3分の2以上に達し、政策ごとに民主党や日本維新の会と連携すれば、安倍政権はほとんどフリーハンドである。
これが国民の選択の結果である。

私はこの結果に大きな危惧と不安感を覚えるが、いま多数の選択を非難するつもりはない。
ただ、有権者は、はたして何を選択したのだろうか、ということが疑問として残る。

今回の総選挙は、私にとっては大きな意味を持つものであった。
1つは、東日本大震災という未曽有の体験をした後に、国民はどういう選択をするのだろうか、という関心である。
もう1つは、脳梗塞の発症という個人史的な大事件の後の最初の総選挙であるということだ。
身体障害者の身になってみると、社会のあり様がまた違った視点で見えてくる。
多くの人々は親切で優しく接してくれることは予想外であったが、特に古い公共的な建物などにおいて、バリアが結構存在するのだ。

今回の総選挙は、前回の政権交代総選挙と対比すると、あたかもオセロゲームのように、民主党と自民党の立場が逆転した。
前回落選した自民党の元職等が次々と復活を遂げ、一方では民主党の議員の落選が相次いだ。
樽床総務大臣や田中文科大臣、藤村官房長官などの現職閣僚や仙谷元官房長官のような「実力者」が枕を並べて討ち死にした。

それは、一種の既視感を伴うものでもあった。
今回総選挙に、熱気とか盛り上がりが感じられなかったのも、この既視感の故ではなかろうか。
投票率が低かったのも、新鮮さが欠けることが理由の1つであろう。

民主党政権の3人の首相のうち、鳩山氏は引退に追い込まれ、管氏は小選挙区で敗北し辛うじて比例区でギリギリ復活当選した。
いかに民主党に対する批判が強いかを物語るものであろう。
その責任は、3年4月の民主党という政党のあり様が負うべきであろうが、野田現首相の責任は最も重いと考えられる。
自民党野田派か、と揶揄されるほどに、政権交代の大義を無視してきたからである。
⇒2012年6月 4日 (月):乾坤一擲の覚悟で自民党に擦り寄る野田首相を嗤う/花づな列島復興のためのメモ(76)
⇒2012年6月10日 (日):政権は自民党野田派か?/花づな列島復興のためのメモ(82)

オセロゲームのような結果になったのは、小選挙区制という制度も大きな要因であろう。
各選挙区で1人しか当選者を認めない小選挙区制では、今回のように多数の政党が競う選挙戦では、いわゆる死に票が多く発生するであろうことは、予測されていたことであった。
⇒2012年12月 6日 (木):代議制民主主義の功罪/花づな列島復興のためのメモ(170)

私は、価値観が多様化している時代であればこそ、多数の政党が存立するのは悪いことではないと考える。
今回の総選挙はまさに多数政党による争いであった。
しかし、政党の基本的なスタンスはいくつかの軸によって整理され、大別される。
たとえば、タカ派-ハト派、公助-自助などである。
⇒2012年12月 3日 (月):総選挙における各党のポジショニング/花づな列島復興のためのメモ(167)

これらを括る軸として考えられるのが、リベラル-非リベラルであろう。
今回の総選挙では、維新が太陽の党(旧立ち上がれ日本)が合流した結果、自民党と維新の政策がが近づいた。
また、野田政権下の民主党は自民党と無差別に近くなった。
⇒2012年9月21日 (金):野田氏のポジショニングは自民党総裁候補と無差別

この結果、政策を競うべき、自民党、民主党、日本維新の会が、非リベラルという点でほとんど無差別となった。
ある程度の人数を確保できそうで、リベラル色が残っているのは、日本未来の党くらいしかなかった。
121203
東京新聞2012年12月3日

その日本未来の党も、結果的には弱小政党にしかならなかった。
真正面から脱(卒)原発を打ち出しただけに、もう少し浸透する時間が欲しいところだった。
公明党は宗教色から特殊な存在と考えると、基軸的政党の自民、民主、維新が、すべて非リベラルという状況をどう見るか?

私が気になるのは、「リベラルの退潮」という現象が、中長期的に定着した流れなのかどうか、ということである。
民主党が自民党に比べればリベラル色が濃かったのは確かであろう。
しかし、民主党を否定すること=リベラルを否定すること、であってはならないだろう。
⇒2012年12月 3日 (月):総選挙における各党のポジショニング/花づな列島復興のためのメモ(167)

時代の深層底流は果たして、非リベラルの方向に向かっているのだろうか?
⇒2012年12月10日 (月):深層底流の読み方/知的生産の方法(27)

現在、尖閣や竹島などの領土問題により、どうしてもナショナリズムに流されがちである。
戦後史の中で生きてきた私には、それは危うい傾向ではないかと思う。

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2012年12月16日 (日)

天孫降臨の年代と意味/やまとの謎(71)

中田力氏は、『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)において、邪馬台国を宮崎平野に比定し、安本美典氏の提唱した「天皇の即位年数解析法」をして、古代天皇の在位期間を推定する。
初代神武から29代欽明までを、次の4つのグループに分ける。
神武~開化(1~9)
崇神~仲哀(10~14)
応神~武烈(15~25)
継体~欽明(26~29)

そうすると、これらの天皇の在位期間が不自然に延長されていることが推測される。
⇒2012年11月26日 (月):邪馬台国と『記紀』の年代論/やまとの謎(68)
そこで、それを修正することにより、これらの在位年代を推測すれば、下図のようになる。
Photo
上掲書p91

すると、神武の即位年は282年と計算される。
もちろん、推計の誤差はあるが、それを考慮しても卑弥呼の年代は神武以前ということになる。
他の記述から、『魏志倭人伝』における卑弥呼の像と、『記紀』におけるアマテラスの像が重なることが、和辻哲郎などによって指摘されていたが、数理的な解析からもそれが裏付けられることになる。

実は、このことは、安本美典氏が既に論じていたことである。
⇒2008年11月16日 (日):安本美典氏の『数理歴史学』
⇒2008年12月 1日 (月):邪馬台国に憑かれた人…②安本美典と「神話伝承」論
⇒2009年11月26日 (木):卑弥呼の死(7)天照大御神の年代観
⇒2009年11月29日 (日):卑弥呼と天照大御神/「同じ」と「違う」(14)

『記紀』では、死んだ妻イザナミを追って黄泉の国を訪れたイザナギが、禊することによって、左目からアマテラス、右目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれた。
高天原はアマテラスが、黄泉の国はスサノオが受け継ぐ。
黄泉の国は出雲に比定されている。
高天原と黄泉の国が、現存した二大勢力を反映したものであったとすれば、高天原は邪馬台国の反映と考えるのは自然であろう。

禊をした場所はどこか?
宮崎県のシーガイアの近くの阿波岐原(みそぎ池)と言われている。

Photo_5
みそぎ池は、一ツ葉海岸に隣接する阿波岐原森林公園内にあり、近くにはイザナキノミコトを祀る、延喜式(967)に日向四社として紹介されている古社、江田神社をはじめ、シーガイアやフローランテ宮崎、フェニックス自然動物園など多くの観光施設がある。

http://isan.kanko-miyazaki.jp/search/search.php?key=3&kbn=evn

天孫降臨までは、物理的な空間としても、『記紀』神話のストーリーからも、わずかな距離である。
⇒2012年4月19日 (木):入院しました/闘病記・中間報告(42))

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2012年12月15日 (土)

環境に対する体制選択としての総選挙/花づな列島復興のためのメモ(174)

いよいよ総選挙の投票日が明日になった。
異例の多数政党の乱立によって、かえって争点が見えにくくなっているきらいもある。
しかし、ベストではなくてもベターを選択して有権者としての責任を果たしたいと考える。

もともとは、消費税増税の是非を問うのが主たる争点だったはずである。
しかし、野田首相の策略か、解散を決定してから、目まぐるしく状況が動いた。
野田氏は、TPPという対立軸を設けて消費税の問題を正面に据えることを避けた。
また、政権交代以前に逆行するのかどうか、を争点にしようとした。

政党の合従連衡が中途半端な形でしか進まなかったのは、野田氏の計算した通りだろう。
しかし、おそらくは野田氏の計算を超えた動きが国際関係の面であったように思う。
中国の尖閣諸島をめぐる示威的な動きや北朝鮮の事実上のミサイル打ち上げなどである。
このような事態が選挙期間中に、言い換えれば一種の無政府状態において起きたのは、決して偶然ではあるまい。
結果として、わが国ではタカ派的論調が勢いを増しているように感じられる。

しかし、自衛隊の国防軍への改組や憲法9条の否定を軸にした改憲論が、国民の多数の意見だろうか?
私は疑問に思うが、「自民+維新+α」という形で危険な方向性が力を得るような気配である。

私は、東日本大震災後初めての国政選挙は、いわば文明のあり方を問う選挙ではないかと考える。
「復興第一」の声も空しくなってきつつあるが、この歴史的な体験を踏まえて、われわれがどのような社会を目指すのかが問われているのではなかろうか?
⇒2011年3月22日 (火):津々浦々の復興に立ち向かう文明史的な構想力を

文明史的という言葉で改めて思うのは、梅棹忠夫氏の構想力である。
⇒2009年4月14日 (火):文明の情報史観
⇒2010年7月 7日 (水):梅棹忠夫さんを悼む/追悼(8)

いまもっともその声を聞きたい人であるが、残念ながら叶わない。
梅棹さんの構想力のベースに生態学の知見があることは間違いないだろう。
⇒2010年7月 8日 (木):梅棹忠夫さんを悼む(続)

われわれは、地球環境の中で生存している。
その環境を生物の生態に視点をおいて見た場合、生態系という言葉で表現される。
121215
東京新聞2012年12月15日

人間が環境(生態系)に排出する廃棄物は、生態系の作用として分解され、物質が循環(代謝)する。
その分解能力の限界が、環境容量である。

一般的には環境汚染物質の収容力を指し、その環境を損なうことなく、受け入れることのできる人間の活動または汚染物質の量を表す。環境基準などを設定した上で、許容される排出総量を与えるものと、自然の浄化能力の限界量から考えるものがある。
環境容量の定量化は困難であるが、環境行政の点からは、総量規制のひとつの理論的背景となったといえる。近年、エコツーリズムの発達に関連して、自然公園などへの最大受け入れ可能人数などの議論にも用いられている。
生態学では、その環境が養うことができる環境資源(森林、水、魚など)の最大値を意味し、環境容量に達した資源は増えも減りもしない定常状態となる。

http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2783

環境容量の大きさや安定性は、生態系を構成する生物の多様性によって規定される。
生物多様性は、Wikipediaでは以下のように説明されている。

生物多様性 (せいぶつたようせい、英語 'biodiversity', 'biological diversity') とは、生態系・生物群系または地球全体に、多様な生物が存在していることを指す。
生物多様性の定義には様々なものがあるが、生物の多様性に関する条約では「すべての生物(陸上生態系、海洋その他の水界生態系、これらが複合した生態系その他生息又は生育の場のいかんを問わない。)の間の変異性をいうものとし、種内の多様性、種間の多様性及び生態系の多様性を含む」と定義されている。

たとえば、セイタカアワダチソウのような生物が繁茂するような環境は脆弱であろう。
⇒2012年11月22日 (木):セイダカアワダチソウの風景と記号論/知的生産の方法(25)
単純な系は代償が効かないからである。
原発事故という測り知れない犠牲を払って、われわれが何を学び、どう変わったかが問われる選挙である。

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2012年12月14日 (金)

活断層の上の原発を止められない?/花づな列島復興のためのメモ(173)

日本原電の敦賀原発の敷地の破砕帯が活断層の可能性が高いことが、原子力規制委の専門家会議で結論付けられた。
当然、敦賀原発の運転はできず、廃炉へ動かざるを得ないだろうと、一般には考えるところだろう。
⇒2012年12月11日 (火):敦賀原発は廃炉へ/花づな列島復興のためのメモ(172)

敦賀原発の敷地に隣接している浦底断層が活断層であるというのは、日本原電を含めての共通認識だった。
Photo
http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/20120308/1331235063

見方が分かれていたのは、原発直下に存在する破砕帯が、動く可能性があるか否かということである。

Photo_4 日本原電はこの破砕帯に活動性はないとして耐震設計の対象にしてこなかった。
・・・・・・
 しかし、4月11日、福島県浜通り地方でマグニチュード(M)7.0の地震が起きた際、正断層の井戸沢断層(長さ19キロ)が動いたことが判明。宇根部長は「日本では正断層は動かないはずだが、東日本大震災でこれまでと違う力が地殻に働くようになった。破砕帯は全国にあるが、敷地内に活断層が通る敦賀原発は特に影響を考えるべきだ」と話している。浦底断層は約4千年前に活動したとみられている。
http://www.asahi.com/special/10005/OSK201108120219.html

この破砕帯について、規制委が結論を出し、日本原電側は、納得できないとして、公開質問状を提出している。
⇒2012年12月12日 (水):日本原子力発電の公開質問状に対する違和感

常識的に考えて、隣接して活断層が存在するだけで、原発の立地不適というべきだろう。
その活断層に関連した破砕帯が真下を通っている原発を、まだ稼働させようという神経が理解できない。
しかも、もう稼働開始から40年以上経っているのだ。
Photo_6
東京新聞121212

ところが、このような場合に稼働を禁止したり、廃炉を命じたりする法的枠組みがないらしい。

Photo_7  活断層の上に原発の重要施設を造ることを禁じる規定は、法令そのものにはない。原発を規制する法律は原子炉等規制法で、それと一体的に運用されているのが、旧原子力安全委員会(廃止)が決めた耐震設計審査指針。禁止規定は、指針を解説する形の手引を読んで初めて「活断層の真上に重要施設を設置することは想定していない」との記述を見つけることができる。
 法律に関連する手引のため、合わせて読めば「禁じられている」と解釈できるが、強制力となると怪しくなってくる。
 敦賀原発で活断層と認定された比較的小規模な断層が、手引でいう活断層に当たるかどうか、明確な具体的な基準もない。
 規制委も法的な根拠に乏しい問題は認識しており、専門家チームで新しい安全基準を検討している。素案には活断層上の原発禁止規定が盛り込まれ、来年七月には、この基準が委員会規則として法令化される予定だ。
 ただし、中身の議論はこれから。既存の原発で活断層が見つかった場合の対応や、活断層と判断する具体的な基準、直下でなくとも活断層の危険が高いと判断される場合の対応など明確にすべき点は多い。

東京新聞121212

法的枠組みを早急に整備すべきではあるが、法令が明確でないならば、こういう問題こそ政治主導を発揮すべきではなかろうか。

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2012年12月13日 (木)

邪馬台国所在地問題の陥穽/やまとの謎(70)

邪馬台国の所在地は、大別して九州説と畿内説がある。
よく、九州説は方角は合っているが、距離に難点がある、とか、畿内説は距離は合っているが、方角に難点がある、という言い方がされる。
結局、どっちもどっちで、考古学的な発掘成果を待とう、ということになる。
しかし、邪馬台国という名前がいわゆる『魏志倭人伝』という中国の史書に登場する名前であることを考えれば、決定的な考古学的な発掘資料が出てこない限り、邪馬台国所在地を決定づけるものとはならないと思う。

混乱の第一の原因は、日本列島に上陸してからの魏使の行程の読み方にあろう。
池田宏『古代史学に対する疑問』新樹社(7706)は、アカデミズムの定説を批判する。
池田氏は『魏志倭人伝』の行程部分を次の3つに分けて検討する。

A 郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。……又南に一海を渡ること千余里、命けてかん海と日う。一大國に至る。……又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。
B 東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至。……東南のかた奴國に至ること百里。……東行して不彌國に至ること百里。……南のかた投馬國に至る。水行二十日。……南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。……水行十日、陸行一月。
C その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html

池田氏は、<B>の部分について、伊都国は福岡県糸島郡前原町(現前原市)付近、奴国は博多付近が定説とされ、その他の国については意見が一致していないと書いている。
この定説について、池田氏は疑問を呈している。
古代に糸島郡や博多付近に、北九州の中心部とも推定できる集落があったことは判明しているが、だからといって倭人伝の伊都国や奴国をこの地と断定できるのか?

全くその通りであって、畿内説でいう纏向遺跡についても、3世紀中ごろに高度な集積があったことが考古学的に確認できたとしても、どうして倭人伝の邪馬台国と断定できるのか?

池田氏は、津田左右吉の『日本古典の研究』のなかの「魏志倭人伝の邪馬台国の位置について」の中の記述を取り上げる。

こヽで大切なのは方位と距離とであるが、末蘆(松浦)から奴(儺)までは、或は不弥を宇瀰とすればその不弥までは、ほゞそれが地理上の事実と一致する。
……
さうしてまた百里とか五百里とかいふ大数によって距離を記してあるこの記載からいへば、それにこのくらゐの不精確なところがあつても、怪しむに足らぬ。

伊都国に比定されている糸島半島の方角は、どう見ても東より北側であって、東南とはいえないだろう。
あるいは、唐津から前原までと前原から博多までは、だいたい同じくらいであって、5:1の記述はおかしいだろう、というのが池田氏の批判である。

一方、池田氏は上記のような事情について、次のように述べている。

 結論からいえば、倭人伝に記載されている方角距離の記録が日本列島の実地に合わない原因は、当時の倭国に「日本列島の真実の地理を洩らすべからず」とする強力な伝統政策があったからであって、それ以外にはあり得ないのである。

池田氏の批判は、中田力氏が『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)の説くところと一致重なっている。
中田氏は、上記のような事情を踏まえたうえで、邪馬台国を宮崎県西都付近に比定した。
⇒2012年12月 7日 (金):魏使の行程のアポリアとしての「水行十日陸行一月」/邪馬台国所在地論

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2012年12月12日 (水)

日本原子力発電の公開質問状に対する違和感

日本原子力発電株式会社(日本原電)は、敦賀原発の破砕帯が活断層の可能性が高いとした原子力規制委員会に対して、公開質問状を提出した。
専門家会合の見解見を、「科学的根拠が十分ではない」ということである。
⇒2012年12月11日 (火):敦賀原発は廃炉へ/花づな列島復興のためのメモ(172)

同社の増田博副社長は同日、規制委の事務局を担う原子力規制庁を訪ねて提出。その後、記者会見を開き、「活断層の可能性が否定できないとの見解は、科学的な見地から理解できない。その判断のプロセスを教えてもらいたい」と述べた。廃炉の可能性については、「現時点ではコメントを差し控えたい」と語った。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121211-OYT1T01250.htm?from=ylist

日本原電は、規制委の専門家調査団に対して、真っ向から勝負を挑んだといえよう。

 日本原子力発電敦賀原発(福井県)の敷地内を走る断層の一種「D-1破砕帯」を原子力規制委員会の専門家調査団が「活断層の可能性が高い」と評価したことについて、調査団の座長役の島崎邦彦委員長代理は12日、規制委の定例会合で「D-1破砕帯は浦底断層と同時に動いて施設に重要な影響を与える恐れがある」との評価結果を口頭で報告した。
 正式な報告は島崎委員長代理が近く報告書としてまとめる予定で、この日の会合では、規制委のメンバーから特段の意見は出なかった。調査団の評価結果については、原電が11日に規制委に公開質問状を提出。田中俊一委員長は報告書の中で原電へ回答することを島崎委員長代理に求めたうえで、「原電が調査を継続すると言っているので、新たなデータが出てきたら有識者で対応していただきたい」と述べた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121212/dst12121212100010-n1.htm

私は地学の専門家ではないが、日本原電の姿勢に著しい違和感を抱かざるを得ない。
同時に、田中委員長は、「原電が調査を継続する」から「新たなデータが出てきたら有識者で対応」するのは結構だが、それまでの間は稼働はできないという姿勢を明確にすべきだろう。

破砕帯が活断層であるか否かの挙証責任は、日本原電側にある。
日本原電の開示資料は以下のように説明している。

D-1 破砕帯につき、これが少なくとも約9.5 万年前の上載地層を変位させていないこと等を確認したことを説明しました。それにより、当社のこれまでの主張(参考1)である敷地内の破砕帯は「活断層でないこと」および「浦底断層の活動に伴い同時に活動しないこと」をこれまでの根拠に加え、改めて科学的に立証できたと考えております。
http://www.japc.co.jp/news/press/2012/pdf/241211.pdf

問題は、この説明では、専門家会合のメンバーは納得しなかったのである。
公開質問状を投げかける前に、どうしたら挙証責任を果たせるかを真摯に考えるべきである。

日本原電にとっては、敦賀原発が従来通り稼働できるか、それとも廃炉を余儀なくされるかは、組織の存廃に係わる問題である。
同社は、1957年に電力9社と電源開発(当時は国有会社)が共同出資して設立した原発の事業会社である。
現在は東海第2、敦賀1号機と2号機の3基の原子炉を保有しているが、東日本大震災と東京電力・福島第1原発の事故で、現在は3基すべての稼働を停止している。

2012年3月期連結決算の売上高は1460億円、経常利益は93 億円であり、東日本大震災による特別損失を計上して最終損益は129億円の赤字だった。
この期の稼働は実質的にはなかった。
東海第二は昨年3月の東日本大震災で自動停止した。
敦賀1号機は昨年1月から、同2号機は昨年5月7日から、それぞれ定期検査のため停止されており、その後、現在に至るまで発電量はゼロである。

実質的に稼働がなくても売上が計上できているのは、電力会社が基本料金を払っているからである。
言い換えれば、電力会社は実質的に電気を買っていないのにもかかわらず、費用を計上している。
このような費用を積算の根拠にして、電気料金の値上げをするのは、はなはだ釈然としない。

また、廃炉ということになると、日本電源はこの売上も見込めないことになる。
敦賀1号機と2号機が廃炉になれば、日本原電の発電能力は半分以下に落ちる。
建設予定の敦賀3号機、4号機が建設される客観情勢にはないと考えるべきだろう。
日本原電の超過債務は電力会社に波及し、電力会社の経営を圧迫することになる。

電力料金に反映することが予想される。
もちろん消費者の立場からいえば、電力料金の値上げは好ましくない。
しかし、日本原電や電力会社は、当然負担すべき費用を今まで負担してこなかったと考えるべきだろう。
原発のコストを計算し直すべきであるが、定性的な判断でも優位性がないことは明らかである。
電力会社は、費用構造を透明にすべきだ。

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2012年12月11日 (火)

敦賀原発は廃炉へ/花づな列島復興のためのメモ(172)

日本原子力発電・敦賀原子力発電所の敷地内の破砕帯が、活断層である可能性が高いと、原子力規制委員会の専門家会合で結論づけられた。
敦賀原発1号機は、わが国で2番目に古い商用の原発施設である。
1969年に臨界に達し、1970年より営業運転を行ってきた。
121211
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121211-OYO1T00247.htm?from=top

危険な場所で原発を長年にわたり稼働させてきたわけであり、ぞっとする事態である。
原発を巡っては、総選挙でも、政党の主張は原発容認(推進)と脱(卒)原発に大きく分かれている。
⇒2012年12月 5日 (水):争点としての原発政策/花づな列島復興のためのメモ(169)

東京電力は、福島第1原発事故で「想定外」ということを強調したが、国は活断層の真上に原子炉など重要施設を置くことを「想定していない」との文言で禁止している。
日本原子力発電は、このような実態を「想定外」というのだろうか?

破砕帯とは、以下のようなものである。

断層運動により,地層あるいは岩石が粉々に砕かれた部分が一定の幅をもち,一定の方向に延びている場合,その部分を破砕帯という。幅数cmの場合から数百mの場合まである。大規模な断層には大規模な破砕帯を伴う場合が多く,このため,何々断層といわず何々破砕帯ということもある(たとえば,棚倉破砕帯やメンドシノ破砕帯など)。破砕帯の岩石は強度が低いため,地すべりの原因となることがある(これを破砕帯地すべりと呼ぶ)。
http://kotobank.jp/word/%E7%A0%B4%E7%A0%95%E5%B8%AF

昔、石原裕次郎が主演した『黒部の太陽』という映画で一躍有名になった。
破砕帯が存在するということは、地層に応力が発生しているということである。
活断層であるか否かは定義の問題も絡んでくるが、基本的には堅い地盤とは言い難い。
笹子トンネルにも破砕帯が存在することが知られている。
崩落事故と破砕帯の因果関係は分からないが、東北地方太平洋沖地震のような大規模地震が発生した後では、破砕帯が存在する付近の人工物は、入念な安全検査が必要だっただろう。
⇒2012年12月 6日 (木):代議制民主主義の功罪/花づな列島復興のためのメモ(170)

なんでこんな危険な場所に原発を作ったのだろう?
現時点で考えれば不思議な感じがするが、国策として原発を推進しようという流れの中で、地元からの強い要望もあったのだろう。
しかし、東日本大震災を体験した以上、従来の延長線上で原発政策を考えることはできない。
常識的に考えれば、廃炉にせざるを得ないだろう。

敦賀原発が廃炉になる公算が大きくなったことで、いずれ噴き出すのが、日本原電の経営問題と国の責任のあり方。
経済産業省の試算では、日本原電の3基の原発が全て廃炉となった場合、2,500億円規模の損失が生じる見通し。
また、敷地内に断層問題がある以上、すでに1,400億円をつぎ込んでいる敦賀3・4号機の建設続行は、絶望的な情勢となっている。
巨額の債務を抱えた日本原電の経営が立ち行かなくなるのは、必至の情勢だが、そもそも原子炉の設置許可を出したのは、当時の国だった。
今後、国は、規制委員会の「クロ判定」の責任を、廃炉費用を肩代わりするなどで背負わざるを得ないとみられる。

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00236871.html

総選挙は、原発についての国民的判断を示す最初の機会である。
選挙期間に行われた世論調査では、原発容認・推進を掲げる自民党が過半数の議席を獲得する勢いだという。
これに石原党首が原発是認の日本維新の会と合わせれば、確実に多数派となるだろう。
しかし、原発に限ってみれば、脱原発派の国民が多数であると考えられる。
多数の国民を「反民主党→自民党の消極的支持→原発容認≠民意」という形にしてしまいそうな民主党の罪は大きいと言わざるを得ない。

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2012年12月10日 (月)

深層底流の読み方/知的生産の方法(27)

ビジネスパーソンになじみのある術語として、「SWOT分析」がある。
企業活動に影響を与えるであろうと考えられる要因を分析するフレームである。

Swot Strength(強み), Weakness(弱み), Opportunity(機会), Threat(脅威) の頭文字を組み合わせた短縮語。経営戦略を検討するときは自社の内部状況と自社を取り巻く外部環境を正しく分析することが大切。企業の強み、弱み、機会、脅威の総合的な評価をSWOT分析という。
http://www.s-naga.jp/k-page/10swot.html

しかし、内・外部の環境を的確に分析し認識することは容易ではない。
環境を構成する要素自体、いかようにも考えられるからである。
まして、その動向や将来の姿を捉えることは至難ともいえよう。
とはいえ、仮説的にでも、これらの予測を行わなければ、当てずっぽうで行動することになる。

どうしたら、的確な未来予測をする能力を身につけることができるだろうか?
まず考えられるのは、因果関係から推測できないだろうか、ということであろう。
世の中の事象は、因果関係によって発生している。
結果には、原因がある。
その対応関係を見つけることができれば、未来事象を予測することができる。

将来の人口構成などは比較的定量的に予測可能なものだろう。
今年生まれた人の大多数が、20年後には20歳になる。
死亡率も、20年先の予測をするのなら、先ず安定的と考えていいだろう。
しかし、社会経済的な事象の多くは予測が難しい。
バブル経済の中にいれば、現在がバブルであることやそれがいつはじけるかを予測することは難しい。
物理現象とは異なり、社会的な事象には明確な因果関係が存在するとは限らないのである。

そこで考えられるのは、歴史に学ぶことである。
歴史は1回性のものであるから、厳密な法則などあり得ないだろう。
しかし、抽象化することにより、ある程度の法則性を考えることができる。
問題は、抽象度が高くなるほど現実から遠ざかって、実務などの役にはたたないことである。

われわれは、何をどう見ればいいのだろうか?
戦後生まれで、マスメディアに頻繁に登場する論客の1人に、寺島実郎氏がいる。
Wikipediiaによれば、以下のような略歴である。

寺島 実郎(てらしま じつろう、1947年8月11日 - )は、日本の評論家。多摩大学学長・教授、帝塚山大学特別客員教授、(三井物産経営企画部)三井物産戦略研究所会長、日本総合研究所理事長、新潟県知事泉田裕彦後援会会長を兼任。北海道雨竜郡沼田町出身。

まさに赫々たる肩書きである。
寺島氏は長く三井物産に在籍したビジネスマンである。
しかし、大学の学長やシンクタンクの理事長という仕事の関係から、特定の企業の代弁者としての言説は控え、極力、大局観に立った発言をしているように思える。

たとえば、世紀の変わり目の頃に刊行したものに、『寺島実郎の発言―時代の深層底流を読む』東洋経済新報社 (0112) がある。
Amazonの紹介文は以下のようである。

世紀末から新世紀へ。何事もなかったのごとく、われわれは世紀の壁を越えた。自分が生きる同時代を的確に認識することは難しい。しかし、時代潮流の深層には確実に何か大きな変化が進行している。事象の変転に右顧左眄しない思想の基軸が問われている。日本は米国というトラウマからいつ抜け出すのか。

問題は、ここで言われている「時代潮流の深層」である。
われわれは、とかく目に見える表層の動きにとらわれがちである。
表層は目に見えるが、深層は見えにくい。
表層の変化は早く、深層の変化はゆっくりであろう。
しかし、長期的に見れば、表層の動きを規定しているのは、深層の動きであることがしばしばである。
深層の動きは、偏った立場からではなく、かつ長期的な視野の下でなければ見えてこない。
今回の総選挙においても、表層における政党の多数乱立という現象に、不可逆的な動きがあるのではなかろうか。

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2012年12月 9日 (日)

師走の街に流れるトーンチャイムの音色

チャイムは、学校や職場などで、始業や終業を知らせるのに使われる。
鐘の音のような音を出す装置またはその音のことである。
時刻を知らせるためのチャイムは、時計と連動したものである。
ウェストミンスターの鐘の音やビッグ・ベンの鐘の音などが有名である。

私は中学生の時に、放送室で下校のお知らせとして、ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』のレコードを流す係だった。
もちろんLP盤である。
指揮者やオーケストラについては、明瞭な記憶はない。
第2楽章であるが、『家路』というタイトルの歌曲にもなっている。
「遠き山に日は落ちて」であるが、夕方の文字通り家路につく時の旋律として知られている。
考えてみれば、その放送室がクラシック音楽との出会いの場だった。

合奏楽器としてトーンチャイムというものがある。
少しずつ音の高さが異なるチャイムを、複数の人が分担して鳴らすことによりメロディを構成する。
Toncha1
http://seirei.ath.cx/puppet/toncha.html

知人のU子さんが、トーンチャイムのグループに入っていて、演奏会をやるというので聴きに出かけた。
121208

平均年齢は不詳だが、2グループ合計30人中、〇子さんが28人、〇恵、〇江さんが各1人ということでおおよその察しはつくだろう。
⇒2011年9月 2日 (金):当世女子ネーミング考
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グループ「ムジカ・アンジェリカ」

Img_19052
グループ「ひびき」

ゲストとして、ソプラノ歌手の小林教子さんが、吉川尚子さんの伴奏で、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』から「ある晴れた日に」他を熱唱した。
Img_19112

今年は総選挙も重なってとりわけ急かされるような気になる師走であるが、心温まるひとときだった。

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2012年12月 8日 (土)

「ヒヤリハット」が続く日本列島/花づな列島復興のためのメモ(171)

昭和16(1941)年の12月8日午前7時、NHKラジオから臨時ニュースが流れた。

臨時ニュースヲ申シ上ゲマス。臨時ニュースヲ申シ上ゲマス。
大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。
帝国陸海軍ハ今八日未明、西太平洋ニ於ヒテ、アメリカ、イギリス軍ト戦闘状態ニ入レリ。
帝国陸海軍ハ今八日未明、西太平洋ニ於ヒテ、アメリカ、イギリス軍ト戦闘状態ニ入レリ。
http://radio-critique.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/1nhk1941128600-.html

昨日も、友人との待ち合わせ場所に移動するクルマの中で臨時ニュースを聞いた。
妻の運転しているクルマで、国道1号線に出るために信号待ちをしている時だった。
クルマが橋の上にいるような感じで揺れた。
何だろうと思い、外の様子を見ると、電線が大きく揺れている。
「地震だ!」とラジオのスイッチを入れると、三陸沖が震源地だという。

「3・11」の時は、建屋内にいたので、感覚は違ったが、一瞬あの津波の映像がよみがえった。
ラジオも、「すぐに避難して下さい」と緊迫した声で訴えている。
その後、石巻市の鮎川で1mの津波を観測したという放送まで聴いたところで、目的地に着いた。
夏に訪れた大川小学校のことなども思い起こされた。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)・みちのく探訪(1)

被災地に住んでいない私でさえ、あの日のことが頭をよぎったのだから、被災した人たちは嫌な思いだっただろうと推測する。
7日の地震は阪神淡路大震災と同程度のエネルギーだという。

 7日起きた地震はマグニチュード(M)7.3と、6434人の犠牲が出た阪神大震災(平成7年)と同じ規模のエネルギーを持っていた。専門家は、震源が牡鹿(おしか)半島の東約240キロの海底と離れていたことに加え、揺れの周期が短かったことから被害が軽微だった可能性があるとしている。
 防災システム研究所の山村武彦所長によると、今回の地震は、東日本大震災で壊れ残った「正断層」タイプのプレートのずれによる余震とみられる。宮城県などの住民は「大きな横揺れが1分ほど続いた」と証言しているが、これは「震源地が遠く、陸地に届くまでにエネルギーが減衰したため」と説明する。
 直下地震だった阪神大震災は今回の地震とは対照的に、揺れた時間は13~14秒と短かったが、縦揺れが激しく、被害を決定づける重要な要素の「揺れの周期」が1~2秒と長かった。
 こうした長い周期は「キラーパルス」と呼ばれ、共振現象から建物の倒壊を起こしやすい。阪神大震災では死者の87.8%が家屋の倒壊による圧死だったが、周期が0.3~1秒と短かった東日本大震災では、逆に建物の下敷きになった例は少なく、92.4%が津波による水死だった。
 山村氏は「地震は同じマグニチュードや震度であっても、その被害規模は断層の壊れ方や、揺れの伝わり方によって全く違う」と説明。今回の地震も周期が短かった可能性があり、「家屋への被害が少なかったのでは」と述べた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121207/dst12120722520037-n1.htm

今回の地震は、海のプレート(岩板)が陸のプレートに沈み込む海溝の外側で起きる「アウターライズ型地震」だったそうである。

Photo
 気象庁では東日本大震災の余震としており、永井章・地震津波監視課長は記者会見で「東日本大震災でプレートの『ストッパー』が外れた状態になり、(海のプレートを)引っ張る力が強まった影響で、断層がずれた」との見方を示した。
 今回の震源の北東側では東日本大震災が発生した約40分後に、M7・5のアウターライズ型地震が発生している。
http://blogs.yahoo.co.jp/ishikawaryou1/8022080.html

事故などについて、「ハインリッヒの法則」と呼ばれるものがある。
別名「ヒヤリハットの法則」で、大事故を防ぐためには、小事故を防がなければならないとするものである。
⇒2012年6月19日 (火):フクシマ原発訴訟が問う「無責任の体系」/原発事故の真相(37)
地震列島で原発の安全性が確保できるものかどうか、総選挙の重要な判断基準である。

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2012年12月 7日 (金)

魏使の行程のアポリアとしての「水行十日陸行一月」/邪馬台国所在地論

いわゆる『魏志倭人伝』(『魏志』巻三十・東夷伝・倭人条)の記載は、魚豢の『魏略』をベースにしたものだという。
『魏略』が成立したのは、魏の終わり~晋の初め頃といわれ、3世紀である。
日本列島にようやく小さな地方単位のまとまり(『魏志倭人伝』に記載された国)ができた頃である。
『魏志倭人伝』には、政治的な思惑などから、方位や距離に関して作為的な改変が行われているのではないか、という説もあるが、その必要性はないだろうし、あったとしても確かめようがない。

中田力氏が『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)において示された解釈の特色の1つは、末蘆国から伊都国への道程を、原文通りに東南方向に考えていることである。

東南陸行五百里にして、伊都国に到る。

伊都国の位置は重要である。
多数説では、伊都国を前原付近(糸島市もしくは怡土と呼ばれた福岡市西区付近)に比定する。
しかしこれでは伊都国は末蘆国の「東南」というよりも「北東」になる。
3
原文尊重という立場に立てば、中田説のように東南方向に考える立場に軍配を上げざるを得ない。

『魏志倭人伝』の行程の記載は不弥国までと以降とで変化がある。
里数で表現されていたものが日数になる。
つまりアバウトになっているわけである。

この理由は何か?
『隋書倭国伝』に、「夷人里数を知らず、ただ計るに日を以てす」とあることから、日数表現で距離を記載するのは夷人と考えて良い。
その理由を中田氏は、上級官吏が倭国の粗末な船に乗るのを躊躇したからだろうとするが、そんなところかと思う。

そこで行程である。
次の一節は、茫漠たる記述の故に、古来さまざまな解釈が行われてきた。

南、投馬国に至る、水行二十日
南、邪馬台国に至る、水行十日陸行一月

素直な読み方は、直前の不弥国から連続して読む方法であろう。
すなわち、不弥国から投馬国へは南に水行二十日、投馬国から邪馬台国へは南に水行十日陸行一月かかる。
かつてはこう読む読み方が中心であった。

しかし、そうすると不弥国から邪馬台国へは合計水行三十日陸行一月ということになる。
不弥国をどこに比定するかは別として、いずれにしても九州のどこかであれば、九州の範囲を越えてしまうのではないか?
ごく素直に読めば以下のようである。

不弥国~投馬国   水行二十日
投馬国~邪馬台国  水行十日陸行一月

この茫漠たる情報から、中田氏は、かなりの説得力を以て、「邪馬台国=西都」としているわけである。
⇒2012年11月20日 (火):「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ
中田氏の推論の傍証となるような記事が、雑誌「ジパング倶楽部12年12月号」(交通新聞社)に載っている。
『矢岳越え-鉄道遺産の宝庫、肥薩線のハイライト』である。

熊本県の八代駅と鹿児島県の隼人駅を結ぶ肥薩線は、車窓風景の美しい路線として知られる。八代駅~人吉駅間は球磨川の流れに沿って線路が延び、「川線」の愛称が付けられている。一方、人吉駅~吉松駅間の愛称は「山線」で、九州屈指の山岳路線となっている。

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「ジパング倶楽部12年12月」

「川線」の部分は、邪馬台国時代も街道筋であった、というのが中田氏の推論で、人吉盆地は南九州山岳地帯の中継点だったとする。
「山線」は、急勾配が連続する難路で、大畑駅にスイッチバックとループ線の両方が作られた。
山深さを示している。

私が高校時代に通学に利用していた御殿場線は、箱根を貫通する丹那トンネルが掘削される前までは、東海道本線だった。
しかし、私が通学に利用している頃には、すでに「山線」と呼ばれていた。
岩波駅や富士岡駅にはスイッチバックが設けられていたのを懐かしく思い出す。

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2012年12月 6日 (木)

代議制民主主義の功罪/花づな列島復興のためのメモ(170)

2009年総選挙によって醸成された政治への期待感は、その後の民主党政権の3年4月の姿によって、見事に雲散霧消したといえよう。
これを、「選んだ国民のレベルに応じた政治だった」などとシニカルに語りたくはない。
2010年参院選で、早くも民主党が惨敗したので、いわゆる「ねじれ構造」が発生(定着?)したが、このような反作用はつきものなのか?

ここで、わが国の基本的な政治形態である「代議制民主主義=間接民主主義」をもう一度考え直す必要はないのだろうか?
今回の総選挙の特徴は、12政党(政治団体)が乱立した多党選挙であることだろう。
しかも、政党が分裂、合流を繰り返し、政党の安定性が揺らいでいるし、選挙後の連立の枠組みも定かではない。

このような現象は、たまたま現在が過渡期にあって、混乱しているだけなのか、あるいは長期的なトレンドとしてそうなのか?
有権者としては、どの政党に投票したらいいのか、ずいぶん悩ましい選挙になると予想される。

このような状況において、代議制民主主義あるいは政党内閣制は、真に民意を反映した政治を行えるのだろうか?
代議制民主主義は、小学生の頃から普遍の価値をもった制度だというように教えられてきたような記憶があるが、現代のように、情報通信が発達した社会においても、代議制民主主義は最も有効な制度なのだろうか?

特に、小選挙区制の下での多党選挙にはいわゆる「死に票」が多いといわれる。
90年代に政治改革が叫ばれ、小選挙区制度に変わった。
小選挙区制度によって、二大政党制になるので、政策論争中心となる、といわれた。
しかし、現在までの実情は、そのような言説が絵に描いた餅に過ぎないことを示している。
現に、二大政党が衰退し、多党化が起きている。

慶應義塾大学・小林良彰客員教授の『政党乱立は政治家の「再選のため」に起きていた-異例の多党選挙で有権者が選ぶのはどの政党か』(ダイヤモンド・オンライン121205日号)に、以下のような説明がある。

 具体的には、日本の衆院選の小選挙区で当選した候補者の平均得票率は50%程度しかなく、残りの50%は死票になっている。言い換えると、小選挙区制度で吸収できる民意は約50%しかなく、それで選ばれた衆議院議員が国会で多数決を行うために、さらに半分の25%の民意で国会の議決が決まってしまうことになる。しかも定数不均衡が1対2.4となっている地域もあるため、地方の有権者の10%の意志、いや、投票率は約65%と考えれば6~7%の有権者の意志で小選挙区の議席の半分が占められていると言ってもいい。したがって国民の多くが賛成する政策が国会で通らず、国民の多くが反対する政策が国会で通ることになる。つまり、民意から遠く離れた政治が行われることになる。

小選挙区制の弊害であろう。
「国民の多くが反対する政策が国会で通ることになる」典型例として、大飯原発再稼働がある。
安定した地盤でないところに構造物を作るのはきわめて危険であるのは分かり切っているのに、「活断層かどうか断定できないから稼働を続ける」というのが、野田政権の判断であった。
惨事を起こした笹子トンネルでも、破砕帯の存在が、施工をした飛島建設のサイトに載っている。

途中に200mもの区間にわたる破砕帯(自然の力で岩盤が乱され、壊された状態)に遭遇し、粘土化した地山と毎分6トンもの湧水に見舞われた難工事でしたが、トビシマの技術力により克服しました。

当然、この破砕帯は、東北沖太平洋地震の巨大な力を受けているはずである。
破砕帯が存在するにも拘わらず、目視だけのメンテナンス(?)。
あり得ないことだと思うが、大飯原発を稼働させる精神と共通するものではなかろうか。

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2012年12月 5日 (水)

争点としての原発政策/花づな列島復興のためのメモ(169)

第46回衆議院選挙が、4日公示された。
東日本大震災後初の大型国政選挙であり、合計480の議席を争うことになる。
争点は多岐にわたるが、比較的旗幟が明瞭に分かれているのは、エネルギー政策、ことに原子力発電の位置づけであろう。

議席を競う12党の党首の公示第一声では、7人が「脱原発」を掲げ、2人が容認姿勢を鮮明にした。

 脱原発を訴えたのは民主、日本未来、共産、みんな、社民、新党大地、新党日本の各党。ただ、力の入れ方には温度差もあった。
 民主党の野田佳彦首相(党代表)は、二〇三〇年代に原発稼働ゼロを目指す考えを強調。「脱原発か続原発か。時代を逆戻りさせない」と声を張り上げたが、取り上げ方は他の政策と横並びで、政権として判断した関西電力大飯(おおい)原発の再稼働にも触れなかった。
 これに対し、脱原発の本家を自負する党は、競うように聴衆に訴えかけた。
・・・・・・
 一方、原発容認派は自民党の安倍晋三総裁と日本維新の会の石原慎太郎代表の二人。
 安倍氏は、自民党が安全神話の中で原子力政策を進めてきたことを陳謝。脱原発依存の必要性は認めた。しかし、三年以内に各原発の安全性を検証した上で「大丈夫だと判断したものは再稼働していく」と明言した。
 石原氏はゼロにすれば、電気料金が上がって日本経済が大打撃を受けると主張した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012120502000120.html

日本維新の会は、石原氏が代行に就任して、脱原発から原発容認へ急旋回した。
合流を急いだ結果、内部のすり合わせも十分でないことが露呈している。

Ws000000_2 日本維新の会が発表した公約集「骨太2013~16」の表現が波紋を広げている。元になった党綱領集「維新八策」に比べ脱原発は曖昧な内容になったが、それでも幹部間の認識のズレが露呈した。環太平洋経済連携協定(TPP)も「国益に反する場合は反対」という留保を付けた。合流した旧太陽の党への配慮がにじみ、党内からは「切れ味に欠ける」との声も聞かれる。
・・・・・・
 旧太陽側の多くはもともと脱原発に反対。一方、関西電力の筆頭株主である大阪市の市長として電力供給体制の問題点を指摘してきた橋下徹代表代行にとって、脱原発は外せなかった。
 その結果、脱原発を(1)原発に依存しているメカニズムを分析した上でルールを制定(2)市場での電力需給調整や廃炉(3)再生エネルギーなどの活用――の3段階で検討。「結果として30年代までに原発がフェードアウト(消えてゆく)することになる」という文言を入れた。
・・・・・・
 一方、石原慎太郎代表は11月30日の党首討論会で「フェードアウト」の表現見直しに言及。幹事長の松井一郎大阪府知事はその後も「原発は30年代でフェードアウトする」と見直しを否定する。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0101P_R01C12A2PE8000/?dg=1

維新八策の段階では、「みんなの党」とは親和性がいいかと思われたが、「太陽の党」との合流により、守旧的イメージが強くなった。
選挙結果にどう影響するかは、まだ本格的な選挙戦が始まったばかりだから軽々には言えないが、おそらくは「太陽の党」との合流により、全国レベルでは無党派層の支持をかなり失ったのではないか。

石原代表の原発容認論は確信的なものであろうから、夏場に限定しない大飯原発再稼働には反対してきた橋下氏とは明らかに懸隔がある。
ブレーンだった飯田哲也氏が、「日本未来の党」の代表代行に就任したことから、関西広域連合として議論されてきた原発政策は、嘉田滋賀県知事のイニシアティブに移った。

石原代表の主張するように、「原発ゼロならば日本経済は大打撃を受ける」ことになるのか?
日本経済は、原発の社会的費用を負担しないで、競争力を維持しているのか?

争点はもちろん原発に留まらない。争いの構図はさまざまに考えられる。
民・自の二大政党か、第三極か、はその1つであると思われるが、第三極の中で、どの政党がイニシアティブを握ることになるのか、も興味深いところである。
私の住んでいる選挙区では、民・自・共・無所属の4人の候補者が手を挙げている。
果して誰に投票すべきか。
選挙制度が今のままでいいのか、という点も疑問である。

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2012年12月 4日 (火)

トンネル崩落事故とメンテナンス社会化/花づな列島復興のためのメモ(168)

中央自動車道の笹子トンネル(山梨県)で、信じられないような事故が起きた。
大規模な崩落が発生し、車が下敷きになった。
121203
静岡新聞121203夕刊

笹子トンネルは、静岡県東部地域からは、山梨、信州方面に出かけるときに利用することが多い。
Photo
http://plaza.rakuten.co.jp/555yj/diary/201212020000/

今年の夏も、4回ほど妻の運転で通った。
自分で運転できなくなってから、なるべく楽な高速道路で、と考えていたが、まさかという感じである。

笹子トンネルは、全長4.7キロ、1977年の開通である。
中央道は東京と名古屋を結ぶ大動脈であるが、私は信濃や山梨に「安・近・短」の旅行に出かけることが多く、中央道は便利に使っている。

管理は中日本高速道路が行っている。
9月に目視などの点検を行ったが、天井板に異常は見つからなかったという。
しかし、目視だけのメンテナンスでは不十分だったということだろう。

モータリゼーションの進展と共に、高速道路が日本国中に整備された。
新東名など、部分開通をしたばっかりの路線もある。
建造物はメンテナンスがつきものである。
メンテナンスの仕方によって、寿命も大きく違ってくる。

今まで、作ることに力を入れて、メンテナンスに余り重心を置かなかったのではないか。
量的成長よりも質の充実を目指す時代になっていると考えるべきであろう。
すなわち、新しく作ることよりも、メンテナンスに注力すべき時代である。

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2012年12月 3日 (月)

総選挙における各党のポジショニング/花づな列島復興のためのメモ(167)

4日公示される総選挙の争いの構図が明瞭になってきた。
嘉田滋賀県知事が2日、日本未来の党の公約を発表したが、リベラルの旗幟を鮮明にしたものだった。
軸となるべき政党の右傾化の中で、差別化がはっきりしたといえよう。
⇒⇒2012年11月23日 (金)民主党政権への挽歌/花づな列島復興のためのメモ(160)
Photo
東京新聞121203

田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授] 氏は、「ダイヤモンド・オンライン」121128号の『嘉田知事の「日本未来の党」が総選挙の鍵を握った-選挙構図も政権の枠組みも激変する!? 』で、今回の総選挙に大きな明るい展望が開けてき、この動きが総選挙の台風の目になるに違いない、と書いている。

私もそうあって欲しいと願う。
長年の自民党の政治の弊に対して、元来保守的な層の人たちでさえ叛旗を翻したのが前回総選挙だった。
そこで「希望の星」として民主党に投票したのだが、政権交代だけが目的だった寄合所帯の政権は惨憺たるものだった。

民主党にリベラルのレッテルを貼り、「リベラルはだめだ」というように論評されたりした。
ダメなのは民主党であって、必ずしもリベラルということではあるまい。
リベラルという用語も歴史的に変化してきているが、Wikipediaでは、現代の政治思想としてのリベラルを、次のように解説している。

20世紀後半、石油危機後の低成長時代を迎え、スタグフレーションや財政赤字といった問題が深刻化する中、従来のリベラリズムに対する批判が経済学のシカゴ学派から始まり、福祉国家の見直しや国営企業の民営化、規制緩和を志向する新自由主義が優勢となった。その後、1980年代の新自由主義への対抗から、小さな政府と大きな政府との中道を模索し、市場を重視しつつも国家による公正の確保を志向する第三の道が1990年代に台頭した。2000年代の今日では、グローバル化の進行に伴い、市場を自由化しようとするリバタリアニズムや新保守主義とどのように対応していくかがリベラリズムの課題となっている。

いま、自民党は旧態から脱皮しえず、民主党は自民党と無差別になってしまった。
⇒2012年6月 4日 (月):乾坤一擲の覚悟で自民党に擦り寄る野田首相を嗤う/花づな列島復興のためのメモ(76)
⇒2012年6月10日 (日):政権は自民党野田派か?/花づな列島復興のためのメモ(82)
⇒2012年9月21日 (金):野田氏のポジショニングは自民党総裁候補と無差別

わが国の「失われた20+α年」に責任を共有する民・自両党が二大政党である時代は終わったのだ。
必然的に第三極への期待が高まることになる。
第三極の旗手となるかと思われた橋下大阪市長の日本維新の会は、石原前都知事の太陽の党との合流により失速した。

失速の要因の1つに、反リベラル姿勢があると考える。
田中氏は以下のように書く。

橋下徹氏の第三極Aと嘉田氏の第三極Bは互いに競い、互いに認め合って二大政党を隅に追いやる役割を果たせばよい。AとBの対決が本格的な論戦として激しくなればなるほど、自民対民主の対決の影が薄くなり、結果的に総選挙後の政界地図を大きく塗り替える。

A,B以外の第三極はどうか?
選挙後のことを言うのは早計だろうが、小異を捨てる合従連衡が進むだろう。
田中氏は、次のように書いている。

そのみんなの党は総選挙後AとBを連携させるかけがえのない接着剤とならねばならない。また、第三極中心の政権が樹立できれば、その政権の中核的存在になることが期待される。だからAとBの間にひとり身を置くことは最も有力な選択肢と言える。

第三極が現実を動かすためには、大同化が必要である。
第一段階として、行政改革、官僚改革など統治構造の改革を柱に、まとまったらいいのではないかと考える。

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2012年12月 2日 (日)

天智天皇の近江大津遷都の意図/やまとの謎(69)

『日本書紀』によれば、中大兄皇子(天智天皇)は、667(天智6)年3月19日に、近江の大津宮に都を遷した。
そして翌年、ここで即位した。
皇太子在位20数年であった。
⇒2008年3月13日 (木):天智天皇…④その時代(ⅲ)

近江遷都に関しては、柿本人麻呂や額田王の万葉集の中でも有名な秀歌によってわれわれにもなじみ深い。
⇒2009年8月30日 (日):近江遷都へのとまどい感
人麻呂の近江の海の歌も人口に広く膾炙している。
⇒2011年6月21日 (火):柿本人麻呂/私撰アンソロジー(2)

天智天皇は即位4年後の671年に、46歳で崩御した。
そして翌年には、壬申の乱が起きて、近江朝は崩壊し、大津宮も灰燼に帰してしまう。
わずか5年の儚い寿命であった。

そして大津宮はたちまちのうちに荒廃してしまうのは柿本人麻呂の歌のとおりである。
⇒2009年8月30日 (日):近江遷都へのとまどい感

天離る 夷にはあれど 石走る 淡海の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処と言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも

柿本人麻呂は謎の多い歌人だが、持統天皇の頃に活躍した。
すなわち、持統朝というさほど時を経ていない時点で、草に埋もれるような状態だったということだろう。
そのため、大津宮の正確な場所について、長らく論争があった。

 大津に都があったのはわずか5年間でした。そのため,大津京の場所を特定することが難しかったのですが,昭和49年と53年の調査によって,錦織二丁目地域内に古代の建物の柱跡が見つかり,その配列や規模からここが大津宮の中心部分とされました。昭和54年には柱跡が発見された場所を「近江大津宮錦織遺跡(おうみおおつのみやにしこうりいせき)」(この読みは遺跡案内板-滋賀県教育委員会設置による)として国の史跡に指定されています。今後の発掘による成果を待たねば大津京の全容を見ることはできないでしょうが,現在この地には住宅や商店が密集しており発掘調査は容易ではありません。
http://www.asuka-tobira.com/ootsukyo/ootsukyo1.htm

大津宮の場所は特定できたとしても、なぜその地が選ばれたかについては謎が残る。

一般的には、予想される唐・新羅連合軍の侵攻に対処するためであると考えられている。
しかし、遷都が行われた667年は、白村江で唐・新羅連合軍に歴史的大敗をした663年から4年後であり、この間、665年には、唐の劉徳高たちとの間で和議が成立している。
唐・新羅から侵攻される恐れはなくなったのではないか?

長谷川修という作家がいた。
京都大学工学部燃料化学科を卒業して、以下のように、何回も芥川賞の候補になったユニークな作風の人だった。

 長谷川修は、かつて大江健三郎が登場した『東大新聞』に作品を投稿。第8回五月祭賞の佳作に入選。佳作が不本意だったか、同じ作品を『新潮』の同人雑誌賞に応募する。こうして「キリストの足」は、昭和38年『新潮』12月号に掲載され、注目を浴びた。昭和40年代、「真赤な兎」「孤島の生活」など四作品が、毎年のように「芥川賞候補」にノミネートされ、話題作を発表。その手法の斬新さ、不条理性、思いがけない着想の離れ業は、ユニークな長谷川文学を印象づけた。53歳の生涯は、円熟期の惜しまれる急死だった。(武部忠夫)
山口の文学者たち・長谷川修

長谷川氏の芥川賞の候補作は次のとおりである。
第52回 「真赤な兎」
第54回 「孤島の生活」
第55回 「哲学者の商法」
第66回 「まぼろしの風景画」
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/kogun/kogun52HO.htm

長谷川氏は、古代史に造詣の深い作家でもあった。
近江志賀京―古代史推理』六興出版(7808)に、次のような記述がある。

「大化の改新」以来、中大兄皇子(天智天皇)は唐の国制に倣って、わが国のすべてを中央集権の体制に切り換え、近江志賀の地に国都を築いて、この志賀京を全国の中心とする新国家体制の一大構想を計画していた。そして志賀京はこの構想の中核をなすもので、そのため実に用意周到な準備を整えた上で、近江遷都を行ったものと思えるのである。したがって近江遷都は一時の思いつきや気まぐれで行われたものではなく、あくまで志賀京をわが国の中心地として、さまざまの検討を重ねたあげく、この地を選んでいるのだ。

長谷川氏の推理がどこまで妥当なものであったのかは分からない。
しかし、長年の皇太子期間が近江遷都の準備期間であったとしているのは興味深い。
日本という国土を眺めた場合、飛鳥の地よりも近江の方が中心として相応しいと言えるのではないか。

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2012年12月 1日 (土)

琵琶湖の地政学/花づな列島復興のためのメモ(166)

水問題に関する国際会議に、世界水フォーラムというものがある。
Wikipediaによる説明は以下の通りである。

世界水フォーラム(せかいみずフォーラム、World Water Forum、略称:WWF)とは、民間のシンクタンクである世界水会議(World Water Council、略称:WWC)によって運営されている、世界の水問題を扱う国際会議。世界で深刻化する水問題、特に飲料水、衛生問題における世界の関心を高め、水企業、水事業に従事する技術者、学者、NGO、国連機関等からの参加で世界の水政策について議論することを目的とする。国連主催の正式な会議ではないが、各国の政府関係者や政府代表も多数参加し、閣僚宣言も出されることから、世界の水問題とその政策に関する議論に大きく影響を与えている。

日本では、2003年3月16日~23日に京都で第3回世界水フォーラムが開催された。
アジアでは初めてであり、182の国・地域、43の国際機関から約24000人(海外からは6000人)が参加した。
その開会式で皇太子殿下が記念講演をされた。
演題は、「京都と地方を結ぶ水の道-古代・中世の琵琶湖・淀川水運を中心として-」というものであった。
開催地に相応しいテーマといえよう。
講演内容は、宮内庁のサイトに掲載されている。
「はじめに」の一部を引用する。

 京都は内陸部の都市ですから,日本に於ける水運の要だったといえば,不思議に思われるかもしれません。まず,(地図1)により,京都の地理的な位置を,水運という観点から確認したいと思います。
 京都の西には,隣接する大阪府から西に瀬戸内海が広がっています。瀬戸内海は,本州,四国,九州という日本列島を構成する島々に囲まれて,波も比較的穏やかで,製塩地,森林地帯,農産地をその後ろに控え,古来より物資流通の大動脈として機能してきました。
 現在の京都には,大阪湾に注ぐ淀川の支流,桂川,鴨川,宇治川が流れています。つまり,瀬戸内海と京都とは,河川によって結びついております。
 また,京都市の東には,滋賀県の中央部に日本一大きい琵琶湖という湖があります。琵琶湖は南北に約50キロメートルあり,琵琶湖の北端から日本海へは直線で約20キロメートルであります。琵琶湖の東には,古代から東日本へ通じる主要な街道が通っておりました。この点だけを見ていただいても,京都が西は淀川を通じて瀬戸内海へとつながり,西日本の各地と結びついており,東は琵琶湖を通じて日本海や東日本の地域へ,比較的アクセスしやすい地理的条件を備えていることが,お分かりいただけると思います。
 ところで,今回の水フォーラムでは,琵琶湖の水運,淀川の水運も議題の一つとうかがっていますが,今までお話ししてきたことからも,京都という場所を考える上で,琵琶湖と淀川の水運が,大きな役割を果たしてきたことがご想像いただけるかと思います。

近代において動力機械が発明され、陸上交通に利用されるようになるまで、物流は基本的には水運(舟運)に依存していた。
大坂や江戸などの大都市は、いずれも沿岸部であると同時に、きめ細かな水路が神経のように都市の各地域を繋いでいた。
大坂も江戸も水の都であった。

今年の2月ごろ、「ブラタモリ」というTV番組で、小名木川のことをやっていた。
江戸のごく初期に家康の命で作られた運河で、行徳の塩を江戸に運ぶためのものであった。
小名木川は、現在でも生きている水路であるが、多くの水路が埋め立てられ、街の風情を著しく損なった。
利便性・効率性と風情は、所詮両立しがたいものである。
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水はもちろん水路としてだけでなく、生命にとっての必須の物質である。
と同時に、洪水や津波のように、おおきな脅威の元でもある。
水の存在様式は、人間の活動にとって、おおきな作用因子である。

地政学という分野がある。
地理的な環境が国家や地域に与える政治的、軍事的、経済的な影響を検討する。
代表的なテーマは、大陸、半島、島国などの性格の違いというようなことである。
水は、まさに上流と下流、左岸と右岸、沿岸と内陸のように、地域的な関係を規定する要素であろう。
⇒2009年10月16日 (金):八ツ場ダムの深層(6)吾妻川の地政学

琵琶湖というものの持つ意味、そして「日本未来の党」の持つ意味は、地政学的な観点からも興味深いところのように思える。
ところで、「日本未来の党」の出現は思わぬアクシデントももたらした。
岡山県の倉敷市選管が、衆院選の投票所入場券に「未来へ一票。」との記載があるものを用意した。
これでは「日本未来の党」への投票呼び掛けと受け取られかねないとして刷り直すことにしたそうである。
まあ、「想定外」ということだろうなあ。
121129
山陽新聞121129

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