『ゴジラ』映画と社会の変容/戦後史断章(7)
『ゴジラ』の第2作は、1955年に製作された『ゴジラの逆襲』である。
再び日本を襲ったゴジラは大阪に向かう。
ゴジラに蹂躙された大阪は、数年前の東京と同じように破壊され尽くす。
東京襲撃のゴジラは、芹沢博士のオキシジェン・デストロイヤーによって、彼自身の生命と引き換えに仕留められるが、逆襲してきたゴジラに対しては、政府も人々もまったく無力である。
また、山根博士は、「第二のゴジラと共に新たに出現したアンギラスの脅威、我々は今や、原水爆以上の脅威の下にある」と言って、アイゼンハワー政権の世界戦略のなかで、核兵器が世界各地に配備されていく状況を暗示している。
つまり、1950年代のゴジラ映画においては、ゴジラは原水爆の圧倒的な破壊力のイメージを伴うものであった。
ところが、1962年の『キングコング対ゴジラ』では、原水爆による被爆のイメージは、背景に後退したものとなった。
キングコングが南洋の島から東京に連れ出されてくるのは、ある製薬会社の提供番組の視聴率アップのためだし、ゴジラはライバル会社のキャンペーンに関係している。
この映画では、ゴジラは北極の氷山のなかで冬眠していたことになっており、ハリウッド映画の『原子怪獣現る』と共通である。
また東京に到来したキングコングは、若い女性を攫って国会議事堂に登るが、エンパイアステートビルのオリジナル版の焼き直しである。
とすれば、『キングコング対ゴジラ』では主役は、テレビ、マスコミ、ハリウッド映画であって、原水爆とゴジラの関係は希薄化されている。
そして、1960年代を通じ、ゴジラは善玉になり、さらには「かわいい」化していく。
大阪万博直後に製作された『ゴジラ対ヘドラ』では、田子の浦のヘドロや光化学スモッグなどの公害がテーマにされているが、冒頭の場面で、ゴジラの人形で遊んでいた子供が、ゴジラが好きかと聞かれて、「スーパーマンだもん」と答えるシーンを、吉見氏は紹介している。
それは原子力の平和的利用と軌を一にしている。
原水爆イメージの希薄化を象徴的に示したのが『モスラ』の登場ということになる。
モスラは、原水爆実験で死の島と化したインファント島であるが、そこには先住民が住み続けていて、島で発見された「赤いジュース」によって放射能被害が解毒される。
つまり、被爆後の希望であり、未開人を文明国に連れてきて見世物にするという植民地主義的なファンタジーである。
吉見氏は、『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)において、ロードショーの観客動員数を次のように整理している。
1954年 『ゴジラ』……約961万人
1955年 『ゴジラの逆襲』……834万人
1962年 『キングコング対ゴジラ』……1255万人
1964年 『モスラ対ゴジラ』……720万人
1965年 『怪獣大戦争』……513万人
1966年 『南海の大決闘』……421万人
1967年 『ゴジラの息子』……309万人
1968年 『怪獣総進撃』……258万人
1969年 『オール怪獣大進撃』……148万人
つまり60年代を通じ、最大の観客動員数を記録した『キングコング対ゴジラ』に比べ、8分の1にまで低下したことになる。
そもそも、映画の吸引力自体が低下しているとも考えられるが、配給収入の推移のデータとして下記があった。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5666.html
上図を見ると、60年代に邦画の配給収入は全体で約3分の2に低下している。
また、この期間は文字通り「所得倍増」という期間であるから、物価の変動を考慮すると、邦画全体で観客動員数は3~4分の1程度になったのではないかと思われる。
それにしても、ゴジラ映画の観客動員力は弱まったとしていいだろう。
そして、高度成長と共に、ゴジラは人々の意識から遠いものとなっていった。
吉見氏は、このようなゴジラ映画の低迷を、「ゴジラ的なもの」の周縁化、と呼んでいる。
それは、各地での原発の建設と並行的であった。
各原発の操業開始年度は次のようである。
1970年 敦賀原発、美浜原発
1971年 福島原発
1974年 高浜原発
1975年 玄海原発
1976年 浜岡原発
これらの70年代に操業が開始された原発は、60年代に建設されたものである。
計画段階では50年代から原子力の平和利用という流れができていた。
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