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2012年11月29日 (木)

日本語の表記の豊かさと仮名の創造/知的生産の方法(26)

長い間、日本語の文字種が多いことは、機械化にとっての大きな障壁だった。
実用的な日本語を書こうとすれば、2000字程度の文字は必要であろう。
もちろんその大部分は漢字である。

1980年に、私は勤務していた組織にとって大きな意味を持つプロジェクトの、調査報告書とそれに基づく企画書を作成した。
その時点で、調査報告書の方は手書き、企画書の方は写植だったことを覚えている。
日本語のワープロがなかったのであり、今から思えば隔絶の感があるが、高々30年余り前のことに過ぎない。
和文(邦文)タイプは、特殊技能の1つだったと言ってよい。
ひっくり返った2800程度の文字を選択して、1字ずつ印字する。
フォントが違えば重い活字を入れ替える。
とても素人の手に負えるものではなかった。

日本語ワープロの発売は、1979年の2月であった。
東芝のJW-10という機種で、以下のような仕様である。

価格: 630万円。
記憶装置: 10MB-HardDisk, 8inch-FloppyDisk
書体: 独自開発。コードは発表されたばかりのJISに準拠。
表示装置: 中央無線製ラスター式CRT 24dotの漢字を 41桁×14行表示
プリンタ: ワイヤドット式 24dot/文字 (独自開発)
CPU: ミニコンTOSBAC40CのCPU相当をLSI化したもの。
http://www.ffortune.net/comp/history/wordpro.htm

価格からして、個人はもとより中小企業がおいそれと手を出せるものではなかった。
印字の品質も、 24dot/文字だから、もちろん読めることは読めるが、画数の多い漢字だと略字風になってしまう。
しかし、一度ブレークスルーすれば、その後の改良進化の速度は速い。
お陰でいま私たちは、漢字、ひら仮名、カタ仮名、アルファベット等の入り混じった文章を容易に作成できる。
Web2.0の時代になって、それを多くの人に伝えることすら容易になったのである。

私たちの書き言葉の環境はずいぶんと恵まれたものといえよう。
しかし、そうなるになる過程では、多くの先人たちの工夫と苦労があったはずである。
漢字の伝来、万葉仮名の工夫、ひら仮名の考案、カタ仮名の考案・・・
単に1人の人が作り出せばいいというものではない。
多くの人が使って初めて意味が出てくる。

言語を書き記すことは、コミュニケーションの上でも、思考を展開させていく上でも、エポックメーキングなことである。
そのひら仮名の創成の過程を知る上で興味深い発掘があった。

121129 平安時代の貴族の邸宅跡(京都市中京区)から出土した9世紀後半(平安時代前期)の土器片約20点に、平仮名が墨書されているのが見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が28日、発表した。10世紀に成立したとされていた平仮名が、9世紀後半に確立していたことを示す史料で、専門家は「今後の日本語研究の基準となる希有(けう)な発見」としている。

 墨書土器が見つかったのは、右大臣、藤原良相(よしみ)(813~867年)の邸宅跡。同時期の平仮名は、富山県や宮城県などでも断片的に見つかっているが、今回は出土量も多く、平安京跡でまとまって見つかったのは初めて。

 仮名は9世紀以降、1音に1字を当てる万葉仮名、万葉仮名の草書体を用いた草仮名、そして平仮名の順に移行するとされる。今回の発見で、10世紀といわれていた平仮名の確立が約50年さかのぼることになる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121128/wlf12112820350011-n1.htm

たまには、先人の努力を偲んでみることとしたい。

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