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2012年11月17日 (土)

張作霖爆殺河本真犯人説の論拠/満州「国」論(11)

秦郁彦氏は、『陰謀史観』新潮新書(1204)において、田母神氏らのコミンテルン陰謀説を下表のように整理している。
Photo_2
p152

張作霖陰謀説は、一連の陰謀説の出発点に位置する。
秦氏は、田母神氏の論文を、「実証性に乏しい俗論に過ぎない」と論評する一方で、定説となっている河本犯行説の確度を検証している。
秦氏の援用する資料は以下の通りである。

1.『昭和天皇独白録』
寺崎御用掛の遺した筆記録。「事件の首謀者は河本大作大佐である」という記述がある。
これに対して、小堀桂一郎氏は、「先帝陛下までそれ(河本犯行説)を信じられて」と言っている。

2.河本大佐の磯谷廉介中佐宛書簡
1928年4月18日付の書簡で、「今度という今度は是非やるよ」等、決意を示したと見られる記述がある。

3.森克己博士のヒヤリング
森克己という人は、満州建国大学教授。参謀本部から満州事変秘史の収集を依頼され、1942~44年に関係者からヒヤリングした。河本の聴取記録も含まれ、爆殺計画の企画実行の経緯が語られている。

4.川越守二大尉の回想記
1962年防衛庁戦史室の依頼で執筆。河本を補佐して爆殺の準備にあたった経緯が記述されている。

5.尾崎義春少佐の回想録
河本の部下で警備参謀の任。爆破の様子が記述されている。

6.森島守人奉天領事
著書の中に、実行者の東宮大尉が「黒幕は河本大佐」と記述している。

7.河本大作の獄中供述書
中国共産党時代の獄(太原)中供述書ではあるが、他の第一次資料とも整合している。

8.桐原貞寿中尉が撮影した写真記録
爆破の現場写真や張作霖の葬儀などを撮影。

秦氏は、「これだけ証拠が揃うのは裁判でもめったにあるまい」としている。
当時の状況から、可能性のあるのは、日本、国民革命軍(蒋介石)、ソ連の三者であった。
事件の第一報は、関東軍の奉天特務機関から参謀本部に舞い込んだ。

張作霖の列車南方便衣隊により爆破せらる。張負傷す

その証拠として、現場付近で日本兵が刺殺した中国人が持っていた命令書だった。
しかし、その命令書は日本流の漢文であることを中国側から指摘された。
林久治郎奉天総領事は、「ひどいことだず、陸軍の連中がやったんだ」と語ったという。

その後、林総領事は、日本軍犯行説を、「風説」と報じたが、海外メディアはもちろんのこと、日本の新聞でさえ「風説」を肯定するような書きぶりだった。
現時点では、「歴史を書き換える」必要はないようである。

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コメント

中国軍閥の総帥張作霖と関東軍の川本少佐二人のたくましい軍人に
同時に愛された長州宝塚歌劇団の花形美少年女形オトコの娘のわた
くし薬師丸ローザでございます。わたくしは川本少佐のへの愛にお
ぼれ、川本の命をうけて、張を爆殺しました。

華やかに女装して舞台で舞うさなかわたくしは張によって略取され
大きく広がるスカート姿のまま張の後宮で張に抱かれ愛乗され愛揉
みされてその強絶輪のペニスをわたくしのアヌスに貫通され犯され
ているさなか、自分の豊満なからだを少佐からいただいた自爆針で
突いて自爆しました

張はバラバラに解体したわたくしの体から吹き飛ばされ壁で頭を強
打して病院に運ばれる途中亡くなりました。史上有名な張作霖腹上
爆死事件の真相でございます。

投稿: 薬師丸ローザ | 2013年9月16日 (月) 04時14分

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