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2012年11月25日 (日)

原発の立地をどう判断するか?/花づな列島復興のためのメモ(162)

関西電力大飯原発は、野田首相が、「国民の生活を守るために再起動すべきというのが私の判断」と明言したのが6月8日のことだった。

   野田首相が再稼働の理由として強調したのが、電力需給逼迫による停電のリスクだ。原発が電力供給の3割を占めてきたことを念頭に、

「数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれない。しかし、関西での15%もの受給ギャップは11年の東日本でも体験しなかった水準で、現実的にはきわめて厳しいハードル。仮に計画停電が行われ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人もでる」

と述べた。さらに、火力発電にシフトすると燃料費が電気代に転嫁されることを理由に、

「夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」

と、秋以降も継続して稼働させる考えを示した。
http://www.j-cast.com/2012/06/08135066.html?p=all

私は、最もロジカルであるべき原子力行政が、ずいぶんといい加減な判断で行われていることに戦慄さえ覚える。
当然のことながら、この「判断」が適正なものであったか否かが検証されなければならないはずである。
にもかかわらず、そういう検証がなされたという報道はない。
私が知らないだけかも知れないが、野田首相が挙げた再稼動の理由は正しかったのか?

需給ギャップは、どの程度であったのか?
結果論というかも知れないが、結果でしか評価できないものもあるのだ。
「みんなの努力」は、結果として何%ぐらいと見積もられるのか?
それが分からなければ、今後の適切な判断もできないのではないか?

原発のコストも不透明である。
城南信用金庫の創設したシンクタンクの試算によれば、原発は火力より高いという。

 活動の第一弾として「原発を廃炉にすることが経済的にも正しい」とするリポートを発表した。経済産業省によると、一キロワット時当たりの発電コストは原発が五~六円で、火力の七~八円より安い。だが、これは原発が立地する地域に対して国が支払う交付金などが含まれていないと指摘。
 立命館大学の大島堅一教授の試算によると、原発のコストは一〇・二円で、火力の九・九円より割高になっている。加えて、使用済み核燃料の処理や保管に掛かる費用も含めて考えると、「原発のコストは恐ろしく高価。将来、大幅な電気料金の値上げにつながる発電方法」と位置付け、コスト面からも原発に頼る危うさに警鐘を鳴らす。

「原発廃炉 経済的にも正しい」 城南信金がシンクタンク

経産省は、コスト算出の根拠を明示すべきだ。
どの範囲の費用までが含まれているのか?

除染などの事故対応費用は?
あるいは、使用済み核燃料の処理等のライフサイクルコスト(LCC)はどう考えられているのか?

また、敷地内の地層のズレは活断層の可能性はどうなのか?

 原子力規制委員会は、関電に追加調査を指示し、その結果を踏まえて稼働の是非を判断する方針だが、活断層が動くことがあれば重大な事故につながりかねない。追加調査を進めるとしても、運転を止めてから行うのが筋だろう。規制委は稼働停止を関電に要請すべきだ。
・・・・・・
 だが、規制委の田中俊一委員長は「何の根拠もなしにこういったものを簡単に判断できるほど世の中は甘くはない」と語り、全国で唯一稼働中の大飯原発の停止を、直ちに求めることを否定した。調査前に田中委員長は「濃いグレーの場合もそれなりの判断をする」と話していたが、どの段階から濃いグレーになるのかもはっきりしない。規制委との意見交換会に出席した有識者から、停止を求める声が出たのは当然だ。
 そもそも大飯原発3、4号機は、政府が暫定的にまとめた安全基準に従って7月に再稼働された。事故時の対策拠点となる免震棟建設など時間がかかる対策は後回しで、地域防災計画の見直しもできていない。活断層の現地調査も、本来なら再稼働前に実施すべきだった。hに活断層はあるのか、ないのか。白黒の決着がつかないまま、関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の稼働が続いている。

社説(毎日新聞):大飯原発の断層 運転止めて調査が筋だ

グレーだったらどう判断すべきか、小学生でも分かる理屈だ。
田中委員長の見識を疑うが、そもそも田中委員長らの人事は国会の承認を得ていないのだ。
⇒2012年9月 6日 (木):火事場泥棒的に原子力規制委の人事を行おうとする野田政権/原発事故の真相(46)
⇒2012年11月 8日 (木):改めて、原子力規制委の任務と人事を問う/原発事故の真相(51)

野田首相は、再稼動の判断を正しかったとするならば、国民の疑問に明快に答えるべきだ。
国会事故調の黒川委員長も、野田首相の判断の内容と時期については疑問を呈しているのだから。⇒2012年6月 9日 (土):なぜ事故調報告を待てないのか?/花づな列島復興のためのメモ(81)
なし崩し的に重要な判断を積み重ねることは許されるべきではない。
⇒2012年6月 5日 (火):「なし崩し」に壊れていく「国のかたち」/花づな列島復興のためのメモ(77)

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コメント

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年11月26日 (月) 11時18分

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