« 張作霖爆殺河本真犯人説の論拠/満州「国」論(11) | トップページ | 地頭力とフェルミ推定と数学的実在/知的生産の方法(24) »

2012年11月18日 (日)

瀬島龍三氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(12)

瀬島龍三氏は、元陸軍参謀にして、商社マンあるいは財界人として著名であった。
陸軍士官学校から陸軍大学校へ進み首席で卒業して(第51期)、昭和天皇から恩賜の軍刀を賜った。
⇒2007年9月 5日 (水):瀬島龍三氏の死/追悼(1)
1911年12月9日生まれ。
満州事変の首謀者とされる石原莞爾は1889年1月18日生まれだから、 石原より23年ほど歳下である。
石原は、陸大30期の次席である。

陸軍中央に在籍した瀬島は、“大先輩”の石原らの起こした満州事変をどう見ているか?
瀬島氏の著書『大東亜戦争の実相 』PHP研究所(9807)を見てみよう。
この書は、ハーバード大学大学院で「一九三〇年代より大東亜戦争開戦までの間、日本が歩んだ途の回顧」というテーマで行った講演録であることが、瀬島氏による「まえがき」に書いてある。

全体の構成は以下のようである。

序  章  「大東亜戦争」という呼称について
第一章  旧憲法下における日本の政治権力の構造上の問題点
第二章  満洲事変
第三章  国防方針、国防に要する兵力及び用兵綱領
第四章  支那事変
第五章  昭和十五年の国策のあゆみ
第六章  昭和十六年の情勢
第七章  東条内閣の登場と国策の再検討
第八章  開戦
終  章  回顧よりの教訓

序章において、「大東亜戦争」という名称を使用する理由を以下のように説明する。
1.開戦直後の1941年12月10日の大本営政府連絡会議において、「支那事変を含めて、呼称するとしたこと。
-それは、中国に対する軍事行動と米英蘭3国に対する戦争を一括するものであり(ABCD包囲網)、1945年8月に参戦したソ連との戦争も包含される。
2.戦争期間中に施行された日本の法令条規の随所に使用されていること。
要するに、戦後のマッカーサー元帥の「使用禁止の通達」に抵触するものであることに対する弁明である。

次いで、第一章において、旧憲法(明治憲法:1889年制定、1947年廃棄-大日本帝国憲法)の問題点、特に、戦争指導機構の問題点を次の2つにフォーカスして論じている。
1.「統帥権の独立」問題
2.明治憲法の構造的問題
1.は、菊田均氏の著書に関連して触れたことがある。
⇒2012年10月26日 (金):菊田均氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(7)

2.について、内閣総理大臣の権限が、現憲法に比べきわめて弱いものであり、国家の運営が、内閣、陸軍、海軍の3極構造、または内閣総理大臣(外務大臣)、陸軍大臣、参謀総長、海軍大臣、軍令部総長の5(6)極構造で行われたが、それが国家権力の分散牽制を招き、集中統一性を欠くこととなった。
統治権を総攬する天皇は、絶大な精神的権威を持っていたが、英国流の「君臨すれども統治せず」という立場をとったが、天皇親政の建前の憲法との間に齟齬があった。
瀬島氏は、天皇に問題があったのではなく、憲法に問題があったのだ、としている。

第二章が、満洲事変について論じている部分である。
最初に、「満洲事変とは」と、対象の規定をしている。
すなわち、
1.1931年9月18日、日本軍が中国東北辺防軍との紛争に起因して軍事行動を開始。
2.おおむね1年半後に、満洲から中国軍を一掃。
3.1932年3月1日、満洲国独立宣言。
4.1932年9月15日、日本の満洲国承認。
5.1933年5月31日、日中両軍事当局間で停戦協定が成立(塘沽(タンク)停戦協定)。

上記の満洲事変は、1937年支那事変に、1941年大東亜戦争に発展した。
これら三者は、分離すべきものであったが、日本の政治家、軍人はこれを分断し得なかった。
その結果、満洲事変は日本の破滅への途における歴史的転機となった。

そして、瀬島氏は、幕末から明治維新、日清・日露戦争、第一次世界大戦等を通じての日本の大陸政策とアメリカの反応をレビューする。
結論的に、第一次世界大戦後のアメリカ主導のワシントン体制で、日本の地位は後退弱化し、大陸発展政策は手かせ足かせをはめられに至った。

|

« 張作霖爆殺河本真犯人説の論拠/満州「国」論(11) | トップページ | 地頭力とフェルミ推定と数学的実在/知的生産の方法(24) »

思考技術」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

満州「国」論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/395349/47848731

この記事へのトラックバック一覧です: 瀬島龍三氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(12):

« 張作霖爆殺河本真犯人説の論拠/満州「国」論(11) | トップページ | 地頭力とフェルミ推定と数学的実在/知的生産の方法(24) »