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2012年11月21日 (水)

野田首相の世襲批判に対する違和感

野田首相が自民党に対して、世襲候補者が多いと批判している。
この様子をTVで視聴していて、「オヤオヤ・・・」という感じを拭えなかった。

 野田佳彦首相は18日、羽田孜元首相(衆院長野3区)の引退を受け、長男で参院議員の羽田雄一郎国土交通相が衆院選に同じ選挙区からくら替え出馬する場合、公認しない方針を明言した。首相は「脱世襲は貫徹をする。例外はつくらない」と述べた。首相公邸前で記者団に語った。
 その上で、
自民党が引退議員の世襲を相次いで認めていることについて「世襲を認めないと3年前のマニフェスト政権公約)に書いていたはずだ。いわゆる公募という形でどんどんと(公認された)。世襲候補ばかりじゃないか」と批判した。
 日本維新の会と太陽の党の合流に対しては「脱原発と原発維持を言っていた人たちがいて、大きな方向性が全く見えない。それぞれシャープな色が出せていたのに、混ざるとグレーになってしまう」と述べ、野合との見方を重ねて示した。 

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-121118X752.html

もっともなことを言っているようでもあるが、疑問だらけである。
私も、いわゆる2世、3世といった世襲政治家が多いのは如何なものかと思う。
親の地盤を引き継いだ候補者よりも、自ら志を立ててという候補者の方が好ましいであろう。
自民党に世襲政治家が多いのは、先の総裁選を見ても明らかである。
⇒2012年9月14日 (金):民自両党の党首選候補者/花づな列島復興のためのメモ(141)

しかし、野田首相のこの時期での発言には、著しい違和感を感じる。

その第一は、「こんなことが、総選挙の争点か?」ということである。
言い換えれば、別に争うべき論点があるだろう、ということである。
今度の総選挙は、現時点では、稀に見る多党下での選挙である。
⇒2012年11月16日 (金):多党政治はどこへ向かうのか?/花づな列島復興のためのメモ(159)
であるが故に、争点を明確にして選挙戦に臨んでほしいと考える。

多党化ということは、争点が多様であることの反映でもあろう。
エネルギー政策、税と社会保障制度、領土問題、TPPあるいはこれらの共通基盤とも考えられる統治機構や憲法など。
これらの争点には、考え方によって優先順位が異なるだろう。
「日本維新の会と太陽の党の合流」についても、小異を捨てたと見るか、野合と見るかは、人によりさまざまではないか。
それを決めるのは、有権者である。

世襲批判は、争点隠し(もしくはずらし)に過ぎない。
重要争点に触れずに(触れる前に)、別の論点を持ってくるのは、姑息なレトリックというべきである。
もはや国民は小手先のレトリックに乗せられるほど甘くはないことを知るべきだろう。

第二は、民主党が重要政策をどう示すかに答えないで、他党の批判をすることについてである。
「野合がけしからん」と思う人は投票しなければいいのであって、他党の批判よりも自党の政策のブラッシュアップに注力すべきだろう。
民主党だって、「野合」の政党に過ぎないことは、ついに綱領を策定できなかったことをみても明らかである。
⇒2011年8月24日 (水):綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う
⇒2012年6月17日 (日):政党のアイデンティティを徴表するもの/花づな列島復興のためのメモ(87)

第三は、世襲批判は、有権者をバカにしている面があることである。
世襲といっても、引き継ぐのは後援会組織などに過ぎない。
後援会の人たちも、先代の子供だからといって無条件に支持などしないのではないか。
そのような判断力に乏しい(もしくはない)と決めつけているようなものである。
人を出自によって差別するのは、この場合でも、よろしくないのではないか?

第四は、さまざまな重要な争点がある中で、あえて世襲批判をすることには、別の意図を感じざるを得ないということである。
聞くところでは、「鳩山外し」の狙いがあるという。
ルーピーこと鳩山前首相は、曾祖父の鳩山和夫衆院議長以来、政治家4代目という代表的な世襲議員である。
自民党を批判すると見せかけて、敵は本能寺にあり、というわけである。
現実に、鳩山氏は出馬しないことに決めたようだ。

 民主党の鳩山由紀夫元首相は20日、来月16日投開票の衆院選に出馬しない意向を関係者に伝えた。野田佳彦首相が消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)推進などへの賛同を候補者公認の条件としていることに反発した。
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/11/2012112001002148.htm

鳩山氏が出馬しないことは、自身がかねてより言っていたことであるから、結構なことだと思う。
できればこれを機に、政治的な発言を控えるようにすることを期待したい。
また、袂を分かった小沢一郎氏も世襲議員であるが、小沢氏が抜けた後で脱世襲と言っても迫力に欠ける。
客観的にみて、鳩山氏や小沢氏の存在抜きにしては、民主党が政権を獲得することはなかっただろう。
自身が首相の座に就いていながら、脱世襲貫徹というのも妙なハナシではなかろうか。

第五に、マニフェスト違反を持ち出したことである。
さんざん自らマニフェストを守ろうとはせず、マニフェストに書いていないことを押し通そうとしてきたのに、どの面下げてマニフェスト違反というのだろう。
まあ、天に唾するようなもので、これで得点を稼ごうと考えているとしたら、とんだお門違いというべきである。

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