『ゴジラ』から「クール・ジャパン」へ/戦後史断章(8)
怪獣の「ゴジラ」と対照的な位置を占めるのが「鉄腕アトム」である。
手塚治虫原作の漫画の主人公であり、原子力エネルギーで作動するロボットである。
体内に10万ボルトの原子炉を内蔵している。
妹が「ウラン」、弟が「コバルト」である。
いずれも、コンピュータ制御のロボットで、人類の平和に貢献するという設定である。
吉見俊哉『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)によれば、ドラえもん、ガンダムというおなじみのロボットも、原子力により動いている。
手塚治虫が「アトム」を発想したのは、1951年だという。
つまり、アイゼンハワーの有名な国連総会演説「アトムズ・フォー・ピース」より前だった。
原子力の軍事利用から平和利用への転換は、1950年代初頭において、米政府首脳と日本の漫画家に共有されたビジョンだった。
アイゼンハワーの場合は、共産圏との冷戦に勝ち抜く戦略として位置づけられた。
一方、手塚の場合は、技術と人間の共存であり、その困難であった。
言うまでもなく、アトムは普通名詞でもある。
アトムという言葉は、現在企業名などに多く使われている。
株式会社アトムは、回転ずしチェーンなどを展開する外食企業であるし、アトム株式会社は、作業用手袋を製造するメーカーである。
その他「アトム〇〇」「〇〇アトム」というような企業名も多い。
これらの企業の個別のCIはそれぞれであろうが、「原水爆」を連想させようという意図でないことは共通であろう。
ところで『鉄腕アトム』が米国のTVで放映されることになったとき、アトムは原水爆のイメージが強かった。
アイゼンハワーが原子力の平和利用を宣言する一方で、原水爆の開発を止めなかったことがその理由である。
『鉄腕アトム』を実体を反映した「アトムボーイ」でも、直訳の「Mighty Atom」でもなく、『Astro Boy』とされた。
Astro=天体であるから、宇宙時代を反映したとも、手塚マンガの主題とよりマッチさせたともいえるが、原子力の平和利用というメッセージは見えにくくなった、と吉見氏は評している。
つまり、日本では「アトム=核」という結びつきが比較的早い段階で失われ、原水爆=核のイメージが背景化されていったが故に、軍事的な意味内容を失った「アトム」は、どのような内容であれ指示できる自由なシニフィアンとなったが、軍事超大国アメリカでは、「アトム」と原子力の結びつきが、同時に核兵器との結びつきでもあるのは当然のことであったので、子供向けアニメのかわいらしい主人公の名前としては、他の言葉に変える必要があったのである。
p254
50年代のハリウッド映画は、恐竜や巨大化したタコ、アリなどの怪物の姿を借りて「核」を表象した。
表象されたのは原水爆を保持するに至った共産主義の脅威である。
この脅威は、自由主義側の原子力技術(神の恩賜)によって殲滅されなければならないものであった。
1954年の日本映画『ゴジラ』は、原水爆の経験を自己そのものの問題として捉えたという点で画期的なものであった。
しかし、このことは、「ゴジラ」が何を表象しているか、を曖昧にするものでもあった。
アメリカか、日本か?
あるいは過去の記憶か未来の恐怖か?
そして、この二重性は、戦後史を通じてサブカルチャーのなかを浸透していった。
そして70年代になって、松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』では、ヤマトは、戦争体験を象徴する「戦艦大和」というよりも、「抽象化された悲劇」を象徴する存在になっている。
それは、高度成長以降の日本には、原水爆の破壊的イメージは、自分とは関係のない外側の存在という大衆意識に関係している。
アメリカの核の傘にすっぽりとおさまり、沖縄以外では、そのことに無自覚という大衆。
その間に、多数の原発が稼働を始めるのと並行的に。
しかし、サブカルチャーや一部の言説は、この虚構の果てに何らかの崩壊が起きるであろうことを予見し始めていた。
吉見氏は、それがの正体であり、「クール」は冷戦の「コールド」と結びついている、という。
ちなみに、「クール・ジャパン」は、Wikipediaで以下のように解説されている。
日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象や、それらのコンテンツそのもの、または日本政府による対外文化宣伝・輸出政策で使用される用語。
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