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2012年11月

2012年11月30日 (金)

『湖沼学』と母なる琵琶湖/花づな列島復興のためのメモ(165)

忘れられない1冊の本として、吉村信吉『湖沼学』がある。
私は、工学部の化学系の学科で学んだ(?)から、「湖沼学」というような分野があること自体知らなかった。
学校の専攻の延長線上で、化学系の企業で応用開発の仕事に就いたが、リサーチの仕事に転職して直ぐの頃のことである。
ある湖沼の水質浄化の経済効果を推測するというプロジェクトに携わった。
水質浄化事業の妥当投資額(≒事業費の上限)を算出することが目的である。

水資源開発や洪水調節(治水)等については、十分なものであるか否かは別として、妥当投資額を算出する方法論があったが、水質浄化という分野については、考え方の整理から始める必要があった。
そもそも、湖沼の水質浄化の効果はどういう分野で発現するか、その効用はどのように測定すべきか?

検討すべきだと判断した分野の1つに、内水面漁業がある。
しかし、われわれの組織でも、まったく未知の分野であった。
そこで、当時日野市にあった水産庁の淡水区水産研究所に話を聞きに行った。

その時、世の中にはこんな仕事があるんだ、ということと、専門家へのヒヤリングの質は事前にどの程度の当該分野での知識を仕入れているかに依存する、という考えてみればごく当たり前の印象を抱いたことを覚えている。
幸いにして私がヒヤリングした人は、まさに知りたいことを研究している数少ない人の1人だった。
そして、淡水の生態系の生産力を勉強したいのなら必読であると貸していただいたのが、吉村信吉『湖沼学』という本であった。
昭和12(1937)年の出版であるが、当時(昭和49(1974)年頃)すでに絶版で入手困難な貴重なものであった。

私はその好意に深く感謝すると同時に、その著書の構成に大きな興味を抱いた。
湖沼は、生態系としてみると、ほとんど完結した1つの世界を形成していると見ることができる。
したがって、湖沼学は、必然的に総合科学になる。

そして、個々の湖沼の特徴と湖沼一般との兼ね合いが問題となる。
もともと生態学という分野がそうであろうが、具体と抽象という思考の根本に係わっている。
吉村氏の著書は、まさにその辺りが絶妙なように思われた。
通論というのはこういう風に書くのか、と感じられた。

さすがに名著であることの証明といえるのではないかと思うが、その後、生産技術センターというところから復刻版が出版された。
奥付を見ると、昭和51年9月の発行である。
私は、高価であったため、神田の古書街を探し回って入手した。
いま改めて読み返す余裕はないが、巻頭に付された気象学者として著名な岡田武松の序によれば、41歳の若さで諏訪湖で殉職している。
40歳そこそこで、このような名著を遺す人の偉大さを改めて思う。

そんな体験もあって、湖沼の生態系については、一時期、人並み(以上)の関心を持ってきた。
新党「日本未来の党」を結成した嘉田滋賀県知事は、元琵琶湖博物館総括学芸員とのことである。
1973年に京大農学部を卒業し、81年滋賀県庁に入庁、97年に琵琶湖博物館員となった。
いわば生態学の専門家であるが、琵琶湖を守る決意で滋賀県知事に就任した。
もちろん、スタートしたばかりであるから今後の動向は神のみぞ知るところではあるが、大きな期待感を抱かせることは確かであろう。

地球上の生命は、水の存在なしには考えられない。
「水のある星」というきわめて稀な幸運に恵まれていたのである。
⇒2009年8月17日 (月):温度と熱 その2.水の特異性/「同じ」と「違う」(2)

地球上の水の大部分は海洋である。
湖沼(内水面)は、ごく限られたものである。
であるが故に、大切にしなければならない。
琵琶湖は単に滋賀県のものであるばかりでなく、近畿圏のあるいは日本の宝である。

かつて、富山和子氏が『水と緑と土―伝統を捨てた社会の行方』中公新書(改版1007)で喝破したように、生態系にとって、「水と緑と土」は必須の基盤である。
そして重要なことは、原発と「水と緑と土」は相性が良くないということである。
全国農業協同組合中央会(JA全中)が、脱原発に舵を切ったのはある意味では当然のことであろう。

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2012年11月29日 (木)

日本語の表記の豊かさと仮名の創造/知的生産の方法(26)

長い間、日本語の文字種が多いことは、機械化にとっての大きな障壁だった。
実用的な日本語を書こうとすれば、2000字程度の文字は必要であろう。
もちろんその大部分は漢字である。

1980年に、私は勤務していた組織にとって大きな意味を持つプロジェクトの、調査報告書とそれに基づく企画書を作成した。
その時点で、調査報告書の方は手書き、企画書の方は写植だったことを覚えている。
日本語のワープロがなかったのであり、今から思えば隔絶の感があるが、高々30年余り前のことに過ぎない。
和文(邦文)タイプは、特殊技能の1つだったと言ってよい。
ひっくり返った2800程度の文字を選択して、1字ずつ印字する。
フォントが違えば重い活字を入れ替える。
とても素人の手に負えるものではなかった。

日本語ワープロの発売は、1979年の2月であった。
東芝のJW-10という機種で、以下のような仕様である。

価格: 630万円。
記憶装置: 10MB-HardDisk, 8inch-FloppyDisk
書体: 独自開発。コードは発表されたばかりのJISに準拠。
表示装置: 中央無線製ラスター式CRT 24dotの漢字を 41桁×14行表示
プリンタ: ワイヤドット式 24dot/文字 (独自開発)
CPU: ミニコンTOSBAC40CのCPU相当をLSI化したもの。
http://www.ffortune.net/comp/history/wordpro.htm

価格からして、個人はもとより中小企業がおいそれと手を出せるものではなかった。
印字の品質も、 24dot/文字だから、もちろん読めることは読めるが、画数の多い漢字だと略字風になってしまう。
しかし、一度ブレークスルーすれば、その後の改良進化の速度は速い。
お陰でいま私たちは、漢字、ひら仮名、カタ仮名、アルファベット等の入り混じった文章を容易に作成できる。
Web2.0の時代になって、それを多くの人に伝えることすら容易になったのである。

私たちの書き言葉の環境はずいぶんと恵まれたものといえよう。
しかし、そうなるになる過程では、多くの先人たちの工夫と苦労があったはずである。
漢字の伝来、万葉仮名の工夫、ひら仮名の考案、カタ仮名の考案・・・
単に1人の人が作り出せばいいというものではない。
多くの人が使って初めて意味が出てくる。

言語を書き記すことは、コミュニケーションの上でも、思考を展開させていく上でも、エポックメーキングなことである。
そのひら仮名の創成の過程を知る上で興味深い発掘があった。

121129 平安時代の貴族の邸宅跡(京都市中京区)から出土した9世紀後半(平安時代前期)の土器片約20点に、平仮名が墨書されているのが見つかり、京都市埋蔵文化財研究所が28日、発表した。10世紀に成立したとされていた平仮名が、9世紀後半に確立していたことを示す史料で、専門家は「今後の日本語研究の基準となる希有(けう)な発見」としている。

 墨書土器が見つかったのは、右大臣、藤原良相(よしみ)(813~867年)の邸宅跡。同時期の平仮名は、富山県や宮城県などでも断片的に見つかっているが、今回は出土量も多く、平安京跡でまとまって見つかったのは初めて。

 仮名は9世紀以降、1音に1字を当てる万葉仮名、万葉仮名の草書体を用いた草仮名、そして平仮名の順に移行するとされる。今回の発見で、10世紀といわれていた平仮名の確立が約50年さかのぼることになる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121128/wlf12112820350011-n1.htm

たまには、先人の努力を偲んでみることとしたい。

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2012年11月28日 (水)

「卒原発」は言葉遊びか?/花づな列島復興のためのメモ(164)

今朝TVを視聴していたら、昨日新党「日本未来の党」の結成を表明した嘉田滋賀県知事が、「卒原発」という言葉を使っているのに対し、「脱原発とか卒原発とか、言葉遊びのような・・・」という批判を口にした人がいた。
確か、自民党の世耕弘成政調会長代理だったと思う。
私は、果して嘉田氏の提起は、「言葉遊び」に過ぎないものだろうか、と感じた。

「言葉遊び」とは、Wikipedia によれば、以下のようなものである。

葉遊び(ことばあそび)は、言葉の持つ音の響きやリズムを楽しんだり、同音異義語を連想する面白さや可笑しさを楽しむ遊びである。言語遊戯とも言うが、言葉遊びのほうが比較的に多い。
・・・・・・
また、本来の意味から転じて、支離滅裂な詭弁や戯言を指して「言葉遊び」と呼称することもある。

嘉田氏は、「卒原発」を、「原発稼働ゼロから全原発廃炉まで、道筋、時間軸を意識した言葉だというような説明をした。
世耕氏の批判はその後で行われたもので、上記の解説によれば、「支離滅裂な詭弁や戯言」という意味で言っていた。
現在わが国で稼働している原発は、大飯原発3、4号機だけである。
つまり、原発稼働ゼロに限りなく近い状態である。

野田首相は、「電力需給ひっ迫による停電リスクを避けるため」大飯原発を再起動すると言った。
そして、何故か稼働は需給がタイトな夏場だけに限らないとも付け加えた。
「支離滅裂な詭弁や戯言」を言っているのは誰か?

関西電力をはじめ、電力各社がこぞって値上げの申請をしているという。
あたかも、原発を稼働させないと電力料金を上げざるを得ませんというデモンストレーションのような感じである。
しかし、原発のコスト積算には不透明性があることは拭えない。
事実、城南信用金庫の創設したシンクタンクの試算によれば、原発は火力より高いという結果である。
⇒2012年11月25日 (日):原発の立地をどう判断するか?/花づな列島復興のためのメモ(162)

直観的にも、事故対応費用や廃炉までのライフサイクル・コストを考えれば、「原発が安い」という論理にまやかしがあるだろうと思う。
なぜならば、東京電力という最強の電力会社ですら、自立できないことが明らかになったからだ。

民主党も、昨日「マニフェスト」を発表した。
民主党が「マニフェスト」という言葉を使うのは、自虐ネタのブラックジョークのようなものではないか。
民主党は、政権与党の立場であるにもかかわらず、今回総選挙の目標は「比較第一党」だという。
最初から単独では政権を維持できないと考えているわけである。
とすれば、連立を組む相手によって、「政権公約」も変わってくるに違いない。

しかも、惨憺たる結果の前回「マニフェスト」に懲りて、できるだけ理念的に表現したそうである。
つまりは曖昧化ということであり、まさに「羹に懲りて膾を吹く」を地で行っているといえよう。

嘉田氏は、結党の記者会見で、「びわこ宣言」を発表した。
部分を抜粋する。

福島の事故は、放射性物質を大気や水中に広げることで地球を汚した、この重い責任を感じることなく、経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されないことである。
原発事故の潜在的リスクが最も高いのは老朽化した多数の原発が集中立地する若狭湾に近い滋賀県、琵琶湖である。琵琶湖は近畿圏1,450万人の命の水源であり、その琵琶湖をあずかる知事として、このまま国政にメッセージを出さないことは、これまで琵琶湖を守ってきた先人に対しても、子や孫に対しても申し訳が立たない。

http://kadayukiko.net/?p=1410

この宣言に賛同して名を連ねた顔ぶれが興味深い。
京セラ名誉会長の稲盛和夫氏、音楽家の坂本龍一氏、俳優の菅原文太氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏、脳科学者の茂木健一郎氏の5人である。
新党の代表代行には、脱原発の旗手である環境エネルギー政策研究所長の飯田哲也氏が就任するという。
当代の話題の人を揃えた感じである。

「国民の生活が第一」(小沢一郎代表)や「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」(河村たかし、山田正彦共同代表)が直ちに合流を表明した。
唐突な新党結成のようにも感じられたが、周到な根回しが行われていたのであろう。
「みどりの風」(谷岡共同代表ら)は、衆議院候補は「未来」に入る形で選挙に臨むが、4代表は参議院議員で合流はしないという。

今後どう展開していくか不明であるが、興味深い顔ぶれである。

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2012年11月27日 (火)

「嘉田新党≒オリーブの木」は第三極の柱に育つか?/花づな列島復興のためのメモ(163)

総選挙をめぐる動きが複雑化している。
現時点で、14~15の政党が名を挙げているが、合従連衡の過程で最終的にどのような戦いの構図になるのか、予断を許さない。
長期にわたる自民党政権に愛想を尽かした国民の多数派が選んだのは民主党だったが、3年余の実績で期待は夢のように消えていった。

それでは自民党に支持を戻すのか? 
どうもそういう雰囲気ではないようである。
安倍総裁は、自らが首相になることが既に約束されているかのように、「憲法改正」「自衛隊の国防軍への改変」といった重要な課題を口にしているが、盟友のはずの公明党からも冷めた見方をされているかのようである。

台風の眼になるかといわれていた日本維新の会も、太陽の党との合流以後、「オヤオヤ」という感じが急速に広まっている。
2つの政党が合流するのだからある程度の妥協は必要であろうが、基本政策を曖昧化してしまっては、野合と批判されても仕方があるまい。
橋下氏は、政策よりも現実に組織を動かせることが大事というようなことを言っているが、白紙委任の選挙ということなら「維新八策」などと言う勿れ、ということだろう。
他党との提携のハードルにもしていたことからすれば、「??」という感じは拭えない。
みんなの党と合流したいが、候補者調整をジャンケンで決めよう、という話が伝わっている。
有権者をナメていると言われても止むを得まい。

そんな状況のなかで、嘉田滋賀県知事が新党を結成するという。
またか、という気もするが、維新に代わり、台風の眼になる要素が多分にあるのではないか?

 滋賀県の嘉田由紀子知事(62)は27日、大津市内で記者会見し、12月4日公示の衆院選に向け、脱原発を掲げた新党「日本未来の党」を結成すると表明した。
 嘉田知事が代表を務める。
 嘉田氏は会見で、「誰もが希望を持てる未来をつくるために、新しい党をつくる」と述べた。
 新党には、「国民の生活が第一」(
小沢一郎代表)や新党「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」(共同代表・山田正彦元農相、河村たかし名古屋市長)などが合流や連携を模索しており、日本維新の会とは別の、脱原発を政策の柱にした「第3極」勢力が結集する可能性が出てきた。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20121127-00948/1.htm

この動きに対して、他党はどういう反応か?

 維新は警戒を強めている。橋下氏は26日、福島県会津若松市の街頭演説で「脱原発を言うのは簡単だ。どう実行するのか。こんなのは市民運動と同じだ。民主党が米軍普天間飛行場移設で『最低でも県外』と言ってできなかったのと同じだ」と強くけん制した。松井一郎幹事長(大阪府知事)も大阪府庁で記者団に「消費税や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)など原発以外のところで合うのか」と指摘した。
 また、民主党の安住淳幹事長代行は26日、千葉県市川市内で記者団に「選挙前の野合の一つだ。(知事職と)二股をかけてやれるほど軽い仕事ではない」と批判した。

http://mainichi.jp/select/news/20121127ddm002010104000c.html

将来のエネルギー政策をどう考えるかは、総選挙の大きな争点である。
日本維新の会が、太陽の党と合流に際し、脱原発色を薄めた現在、正面から「脱原発」の旗を掲げる政党があってもいいのではないか。
嘉田氏の新党構想は、いわゆる「オリーブの木」に近いものだろう。

1994年の第12回総選挙で勝利した中道右派連合は、シルヴィオ・ベルルスコーニを首相に政権運営を担ったが、ベルルスコーニの汚職疑惑によりわずか1年で崩壊した。第12回総選挙を政党連合「進歩主義者」で臨んだものの敗北した中道左派連合は、ベルルスコーニ政権総辞職後に発足したランベルト・ディーニ率いる非政治家内閣を信任、政権への影響力を持つ一方で次期総選挙に向けて中道勢力との連携が課題であった。
ディーニ内閣が上下両院で承認された翌日、経済学者のロマーノ・プローディは中道左派勢力を結集する市民運動を開始することを表明、シンボルを「オリーブの木」とした。運動名を「オリーブの木」にした理由は、「平和の象徴で、丈夫で実がなる」ことからである。
プローディの「オリーブの木」構想に賛同したのは野党第一党の左翼民主党(PdS)で、書記長のマッシモ・ダレマは「オリーブの木」への参加を表明、前回選挙を「進歩主義者」で戦った各党も参画した。しかし左派の共産主義再建党(PRC)はプローディが旧与党勢力のキリスト教民主主義(DC)出身でDC政権において閣僚経験があることから警戒し、参加を見合わせたものの選挙協力には同意した。
「オリーブの木」は旧イタリア共産党系のPdSが中核であるものの、プローディを首相候補にしたことから共産主義の色彩を抑えることに成功した。1996年の第13回総選挙ではベルルスコーニ率いる右派連合を抑え、議会最大勢力に躍進した。

Wikipedia

日本版「オリーブの木」は、かねてから国民の生活が第一の小沢一郎氏が構想していたといわれる。

無論、小沢氏が注力しているのは新人発掘だけではない。とくに意欲的なのが「オリーブの木」構想と称される野党の連携工作。野党や地域政党が選挙などで連携し、民主党、自民党などの既成政党と対抗するというシナリオだ。
小沢氏周辺によると、オリーブの木は、今年8月8日の時点ですでに基礎ができている。この日、生活、社民党、みんなの党などの中小野党が結束して内閣不信任案を提出。不信任案は民主党の反対で否決されたが、中小野党の結束は最後まで崩れなかった。小沢氏は、これがオリーブの木の基礎になると考えている。

http://president.jp/articles/-/7762

小沢氏は、先頃、政治資金規正法違反容疑について、無罪が確定した。
しかし、その間に形成されたダークグレーのイメージは強固である。
小沢氏が黒子に徹し、嘉田氏や「みどりの風」などの女性中心の党が結集すれば、第三極の柱になり得る可能性はおおいにあると考えられる。
「脱原発」で結集する勢力の出現を期待したい。

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2012年11月26日 (月)

邪馬台国と『記紀』の年代論/やまとの謎(68)

中田力『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)は、邪馬台国を宮崎平野に比定する。
それが事実かどうかは現時点では検証のしようがない。
ところで、今年は『古事記』1300年という節目の年でもある。
⇒2012年4月19日 (木):入院しました/闘病記・中間報告(42)

邪馬台国と『古事記』などに書かれている日本神話の関係については、どう考えられるであろうか?
日本神話』のハイライトの1つが天孫降臨であろう。
⇒2012年7月 9日 (月):天孫降臨の高千穂峰/やまとの謎(66)

「ノジュール」(JTBパブリッシング)という旅の雑誌に、「『古事記』を旅する」という3回の連載が掲載されている。
11月号が最終回で、天孫降臨以降を扱っている。
筆者の辰宮太一氏によれば、最初の天地創造の部分は、哲理・法則を描いたものであって、物語性は必要がない。
物語が始まるのは、イザナミ、イザナギの段からである。
創造の世界を踏まえつつ、神のファミリーの物語を描いている。

そして、高天原を舞台とする段から、社会の物語になる。
それはさまざまな解釈が可能な物語である。
辰宮氏は、次のように言っている。

 神話で重要なのは、そのまま読まないことだ。必ずと言っていいほど、記号化されて隠されたストーリーがある。それを解けば、神の働きも見えてくる。
・・・・・・
 ためしに、三柱の御子神のお名前を、音表記にしてみよう。そして稲作に重ねてみると、ほでりは穂出りで稲の穂が出てきました・ほせすりは穂勢りで穂が勢いよくのびています・ほおりは穂降りで穂が頭を垂れましたという、稲の実りを表す描写なのだ。
 つまり、邇邇藝能命と木花之佐久夜毘賣命の夫婦神は、稲作の親神ですよと語っているとも読み取れるのだ。

それでは、一見荒唐無稽に思える天孫降臨は、何を意図しているのだろうか?
神界のトップは天照大御神(アマテラス)である。
アマテラスは孫神である日子番能邇邇藝命(ニニギノミコト)に地上を任せることにした。
それは何時のことか?

中田氏は、安本美典氏の提唱した「天皇の即位年数解析法」を援用する。
⇒2008年11月16日 (日):安本美典氏の『数理歴史学』
⇒2008年12月 1日 (月):邪馬台国に憑かれた人…②安本美典と「神話伝承」論
そして敏達天皇以降の在位年数と年代がきわめて高い相関を示していること、飛鳥以前がこの相関曲線から外れることを検証している。

飛鳥以前を以下の4グループに分ける。
神武~開化(1~9)
崇神~仲哀(10~14)
応神~武烈(15~25)
継体~欽明(26~29)
それぞれの平均在位年数を『日本書紀』から計算してプロットしたのが下図である。
Photo

上図をみれば、飛鳥以前の天皇の在位年が造作されたものは明らかである。

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2012年11月25日 (日)

原発の立地をどう判断するか?/花づな列島復興のためのメモ(162)

関西電力大飯原発は、野田首相が、「国民の生活を守るために再起動すべきというのが私の判断」と明言したのが6月8日のことだった。

   野田首相が再稼働の理由として強調したのが、電力需給逼迫による停電のリスクだ。原発が電力供給の3割を占めてきたことを念頭に、

「数%程度の節電であれば、みんなの努力で何とかできるかもしれない。しかし、関西での15%もの受給ギャップは11年の東日本でも体験しなかった水準で、現実的にはきわめて厳しいハードル。仮に計画停電が行われ、突発的な停電が起これば、命の危険にさらされる人もでる」

と述べた。さらに、火力発電にシフトすると燃料費が電気代に転嫁されることを理由に、

「夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」

と、秋以降も継続して稼働させる考えを示した。
http://www.j-cast.com/2012/06/08135066.html?p=all

私は、最もロジカルであるべき原子力行政が、ずいぶんといい加減な判断で行われていることに戦慄さえ覚える。
当然のことながら、この「判断」が適正なものであったか否かが検証されなければならないはずである。
にもかかわらず、そういう検証がなされたという報道はない。
私が知らないだけかも知れないが、野田首相が挙げた再稼動の理由は正しかったのか?

需給ギャップは、どの程度であったのか?
結果論というかも知れないが、結果でしか評価できないものもあるのだ。
「みんなの努力」は、結果として何%ぐらいと見積もられるのか?
それが分からなければ、今後の適切な判断もできないのではないか?

原発のコストも不透明である。
城南信用金庫の創設したシンクタンクの試算によれば、原発は火力より高いという。

 活動の第一弾として「原発を廃炉にすることが経済的にも正しい」とするリポートを発表した。経済産業省によると、一キロワット時当たりの発電コストは原発が五~六円で、火力の七~八円より安い。だが、これは原発が立地する地域に対して国が支払う交付金などが含まれていないと指摘。
 立命館大学の大島堅一教授の試算によると、原発のコストは一〇・二円で、火力の九・九円より割高になっている。加えて、使用済み核燃料の処理や保管に掛かる費用も含めて考えると、「原発のコストは恐ろしく高価。将来、大幅な電気料金の値上げにつながる発電方法」と位置付け、コスト面からも原発に頼る危うさに警鐘を鳴らす。

「原発廃炉 経済的にも正しい」 城南信金がシンクタンク

経産省は、コスト算出の根拠を明示すべきだ。
どの範囲の費用までが含まれているのか?

除染などの事故対応費用は?
あるいは、使用済み核燃料の処理等のライフサイクルコスト(LCC)はどう考えられているのか?

また、敷地内の地層のズレは活断層の可能性はどうなのか?

 原子力規制委員会は、関電に追加調査を指示し、その結果を踏まえて稼働の是非を判断する方針だが、活断層が動くことがあれば重大な事故につながりかねない。追加調査を進めるとしても、運転を止めてから行うのが筋だろう。規制委は稼働停止を関電に要請すべきだ。
・・・・・・
 だが、規制委の田中俊一委員長は「何の根拠もなしにこういったものを簡単に判断できるほど世の中は甘くはない」と語り、全国で唯一稼働中の大飯原発の停止を、直ちに求めることを否定した。調査前に田中委員長は「濃いグレーの場合もそれなりの判断をする」と話していたが、どの段階から濃いグレーになるのかもはっきりしない。規制委との意見交換会に出席した有識者から、停止を求める声が出たのは当然だ。
 そもそも大飯原発3、4号機は、政府が暫定的にまとめた安全基準に従って7月に再稼働された。事故時の対策拠点となる免震棟建設など時間がかかる対策は後回しで、地域防災計画の見直しもできていない。活断層の現地調査も、本来なら再稼働前に実施すべきだった。hに活断層はあるのか、ないのか。白黒の決着がつかないまま、関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の稼働が続いている。

社説(毎日新聞):大飯原発の断層 運転止めて調査が筋だ

グレーだったらどう判断すべきか、小学生でも分かる理屈だ。
田中委員長の見識を疑うが、そもそも田中委員長らの人事は国会の承認を得ていないのだ。
⇒2012年9月 6日 (木):火事場泥棒的に原子力規制委の人事を行おうとする野田政権/原発事故の真相(46)
⇒2012年11月 8日 (木):改めて、原子力規制委の任務と人事を問う/原発事故の真相(51)

野田首相は、再稼動の判断を正しかったとするならば、国民の疑問に明快に答えるべきだ。
国会事故調の黒川委員長も、野田首相の判断の内容と時期については疑問を呈しているのだから。⇒2012年6月 9日 (土):なぜ事故調報告を待てないのか?/花づな列島復興のためのメモ(81)
なし崩し的に重要な判断を積み重ねることは許されるべきではない。
⇒2012年6月 5日 (火):「なし崩し」に壊れていく「国のかたち」/花づな列島復興のためのメモ(77)

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2012年11月24日 (土)

公共事業とマニフェストのハードル/花づな列島復興のためのメモ(161)

2009年の政権交代のキャッチコピーは、「コンクリートから人へ」だった。
耳触りのいいフレーズである。
将来のエネルギー政策に関して「民意」を問う新しい試みとして、意見聴取会や討論型世論調査が行われた。
これ自体は悪いことではないが、民主党はその企画から(おそらく)、実施までを大手広告会社に丸投げしていた。
⇒2012年7月13日 (金):将来の原発比率と「討論型世論調査」/花づな列島復興のためのメモ(109)
⇒2012年7月15日 (日):エネルギー・環境会議の意見聴取会の実態/花づな列島復興のためのメモ(111)

その結果は、必ずしも政府・民主党の期待したようなものではなかった。
⇒2012年8月23日 (木):将来の原発比率に関する民意/花づな列島復興のためのメモ(134)

今にして思えば、マニフェストも大手広告会社に丸投げしていたのではなかろうか?
耳障りのいいキャッチコピーは、広告会社が最も得意とするところである。

「コンクリートから人へ」のコピーは何を訴求したのか?
自民党的政治を象徴する土木事業からの転換であろう。
その中心が「脱ダム」であり、シンボルが八ッ場ダムであろう。
⇒2012年10月20日 (土):象徴としての八ッ場ダム/花づな列島復興のためのメモ(153)

政権交代後の初の国土交通相の前原氏は、マニフェスト通りに「建設中止」を明言したが、ここでも「言うだけ番長」だったようである。
もちろん個別のダムについて、「費用対効果」が検証されているであろうが、「脱ダム」という雰囲気はすでにないと言っていいだろう。
そもそも「脱ダム」は長野県知事だった田中康夫氏が打ち出したものであるが、その時よりも後退しているのではないか?

野田首相は、「前に進むのか、後ろに戻るのか」とよく口にする。

   衆議院の解散を受け、野田佳彦首相は2012年11月16日夕方首相官邸で記者会見を開いた。総選挙(12月4日告示、16日投開票)を1か月後に控え、論点を5つの政策分野で示し、「前に進むのか、後ろに戻るのか」と繰り返し訴えた。
http://www.j-cast.com/2012/11/16154335.html?p=all

もちろん一般論あるいはレトリックとしては、「後ろに戻る=後退」であろう。
しかし道を間違えた場合には、前に進むのではなく、後ろに戻るのが鉄則である。
空疎な演説はもはや誰の心にも響かない。

一方、自民党は、「国土強靱化基本法案」を用意している。
未曾有の震災を体験した現在、国土強靱化自体は必要であろう。
しかし、問題はその方法論である。
旧態依然としたコンクリート中心の土建的方法からの脱皮が求められよう。
⇒2011年10月29日 (土):猿橋の「用」と「美」と「レジリエンス」/花づな列島復興のためのメモ(10)

民主党は、党の方針、すなわち野田首相の考え方に同調しなければ公認できない、というハードルを設定した。
鳩山元首相が、このハードルを越えられないとして出馬を断念した。
⇒2012年11月23日 (金):民主党政権への挽歌/花づな列島復興のためのメモ(160)
民主集中制というシステムは、共産党などではお馴染みである。
それを突き詰めると、代表の独裁となる。
スターリン、毛沢東などの例を見るまでもなく、弊害も大きい。

野田首相が政治生命を賭けると言った消費増税法案には、景気条項(附則18条)が付いている。
「消費税率の引上げに当たっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため」、「平成23年度から平成32年度までの平均において名目の経済成長率で3パーセント程度かつ実質の経済成長率で2パーセント程度を目指した望ましい経済成長」と明記されている。
現下の経済状況では、達成できるとは思えないが・・・

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2012年11月23日 (金)

民主党政権への挽歌/花づな列島復興のためのメモ(160)

衆院が解散され、12月16日投票ということになった。
このタイミングで、事実上政府が機能しなくなることについて批判はあるが、決まってしまったことは致し方ない。
選挙結果がどうなるかは不明だが、民主党が第1党でなくなることは確実のようである。

おそらくは、単独過半数を制する政党もなく、連立政権となるのだろう。
その組み合わせを今から論じることにも意味はないであろから、民主党政権の3年余を振り返って挽歌としよう。

民主党は、2009年の総選挙で圧勝して、念願の政権交代を果たした。
しかし、初代鳩山首相は、ルーピーと評される迷走ぶりの末に、「国民が耳を傾けなくなった」として、政権を投げ出した。
2代目菅首相は、首相としての国政選挙である参院選で大敗したのにも拘わらず、十分な反省なしに代表戦に勝って、首相の座に居続けた。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
そして、政権運営において、どうかと思うような失敗を繰り返した。
⇒2010年11月23日 (火):菅内閣における失敗の連鎖

そして、自らの外国人献金疑惑と側近といわれていた土肥隆一衆議院議員の竹島を巡る問題発言で、絶体絶命の状態の時に、東日本大震災が起きた。
⇒2011年3月11日 (金):大規模地震で日本国はどうなるのか?
福島第一原発事故への対応も含め、その後は、震災対応が喫緊の課題となった。
この間の政府の対応については、国会事故調の報告に見られるように、少なからぬ疑問があるが、全貌は未だ明らかではない。
⇒2012年5月29日 (火):依然として不明朗な「藪の中」/原発事故の真相(32)
今後時間をかけてでも、真相に近づく努力をすべきだろう。

福島の事故や震災への対応とは別に、菅首相は自身の献金疑惑についてはどう考えているのだろうか?
まだ納得のいく説明を聞いた記憶はない。
⇒2011年8月 1日 (月):次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇

3代目野田首相は、菅退任後の代表戦に勝って首相の座に就いた。
しかし、マニフェスト違反は、菅内閣までの実績で明らかであったのだから、その時点で信を国民に問うべきであった。
⇒2011年8月24日 (水):綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う

野田首相は、最初は相田みつを氏の言葉を引用して、泥臭いが誠実であることをアピールすることからスタートした。
しかし、それが見せかけだけのことであるのが、組閣直後に明らかになった。
⇒2011年9月10日 (土):「閣内てんでんこ」の野田ドジョウ政権と言葉の力

そして、自ら自民党に擦り寄り、政権交代の意義を失わしめた。
⇒2012年6月 4日 (月):乾坤一擲の覚悟で自民党に擦り寄る野田首相を嗤う/花づな列島復興のためのメモ(76)
そしてついに、自民党と無差別、自民党野田派と評されるまでに至った。
⇒2012年6月10日 (日):政権は自民党野田派か?/花づな列島復興のためのメモ(82)
⇒2012年9月21日 (金):野田氏のポジショニングは自民党総裁候補と無差別

3年前の政権交代は、自民党的政治に対する「No!」であった。
しかし、今や民主党は進んで自民党的政治を行うまでに変質してしまった。
理由はさまざまであるが、政権交代後に民主党を離党した人の数が100人を超えたという。

 衆院解散後も民主党の崩壊に歯止めがかからない。14日の野田佳彦首相の衆院解散表明以降、11人が党を離れ、気がつけば政権交代以降の離党者は102人と、ついに大台を突破した。衆参両院で423人いた国会議員は激減。しかも、離党者の行き先は保守系からリベラル系の政党までばらばらだ。ある意味、「寄せ集め集団」と言われた民主党らしい結末なのかもしれない。
・・・・・・
 振り返れば、首相の消費税増税方針を批判した小沢一郎元代表に近い衆院議員9人が昨年末に離党し、新党きづなを結党したのが民主崩壊の第一幕。7月には小沢氏を含む49人が「国民の生活が第一」を立ち上げるなど、離党者は昨年9月の野田政権発足以降に集中した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121123/stt12112311370001-n1.htm

自党の議員がこぞって解散反対(常任幹事会という機関決定)にもかかわらず、解散を実行した野田氏だから、離党者が野田政権発足以降に集中するのも当然であろうか。
総選挙に名前を連ねる政党の数は多い。
しかし、現実的に政権を担う可能性のある政党は限られている。
気になるのは、政権の軸となるであろう政党の右傾化傾向である。
Photo
東京新聞121121

野田首相の民主党が自民党と無差別であるとすると、前回総選挙で示された「アンチ自民党的政治」の現実的な受け皿はどの政党になるのであろうか?
熟慮の時である。

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2012年11月22日 (木)

セイダカアワダチソウの風景と記号論/知的生産の方法(25)

日本経済新聞121107夕刊に、鷲谷いづみ東京大学教授が『セイダカアワダチソウに染まった秋』というコラムを書いている。
福島第一原発事故により放棄された農地がセイダカアワダチソウの花で黄色に染まった風景となっている、ということだ。
黄色の花は、耕作のできない水田を覆い、民家の庭先などの明るい立地を覆い尽くしている。

保全生態学が専門の鷲谷氏は、農地整備がなされる前の水田には湿地の植生が戻るが、整備された「乾田」はセイタカアワダチソウが繁茂する荒れ地になってしまうことを、知っていた。
だから、大震災と原発事故を知ったとき、黄色に染まったおぞましい風景を予見した。
それが現実のものになってしまったのだ。

鷲谷氏の上記文章を読んで、記号論のことを連想した。
記号論(学)とは、モノから、本来の機能を超えた何らかの意味を読み取る立場をいう。

たとえば、「ゴジラ」を単なる怪獣とみないで、太平洋戦争において戦略爆撃を行ったアメリカ軍のことだと考えたり、南洋で亡くなった日本軍の戦没兵士のことだと考えたりすることである。
⇒2012年11月 6日 (火):『ゴジラ』論の変容/戦後史(6)
これは、「ゴジラ」をあるモノの表象、一種の記号とみる立場である。

わが国で記号論、記号学が流行したのは、1980年代のことだった。
ちなみに記号論の入門書である池上嘉彦『記号論への招待』岩波新書が出版されたのが1984年3月である。
記号論(学)は、元来人文系の学問であるが、以下のように理工系にとっても有益だとされる。

 記号論は、表現とその意味の関係を探求する人文科学の一部門ですが、エンジニア特に情報工学(ウエブ開発、システム開発、人工知能、ソフトウエア開発とくにオブジェクト指向関連ソフト他)やシステム工学(システム計画・開発、制御システム)に携わる人は、記号論を知っておけば必ず役立つと感じています。私は、2002年3月まで35年間、企業の研究所に勤務していたシステム工学が専門の技術者ですが、ウエブ上で、英国のウエールズ大学のダニエル・チャンドラー博士(Daniel Chandler)が書いたSemiotics for Beginnersに出会い、翻訳し『初心者のための記号論』としてインターネット上で公開しました。Semiotics for Beginnersは非常に良いテキストですが、翻訳しながら感じたことは、全くの初心者特にエンジニアにとっては、ハードルが高いだろうなということです。私は記号論はエンジニアにとっても有効な分析ツールになると信じていますので、エンジニアにとっての『初心者のための記号論』への入門書を書いてみることにしました。このテキストは、Semiotics for Beginners(初心者のための記号論)に出てくる色々な考え方を、工学的な視点から解説してみたいと思っています。
http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/isej/index.html

伊東道生『解体する記号論』(里見軍之編『現代思想のトポロジー』法律文化社(9103)に、面白い解説がある。

探偵と脇役の差は何であろうか。脇役は現場にある「マッチ」を「マッチ」としてしか見ないのに、探偵はそれを犯罪の手掛り、つまり「マッチ」の機能とは別の意味を見いだす。その意味は探偵が推理する思考過程の中での位置に由来している。あるもの(対象)を「マッチ」(コトバ)と認定するのがいわば「科学」であるのに対し、探偵の思考を支えているのが「記号論」なのである。探偵が発見する記号は因果関係の中で考えられるものもあれば、暗号のように人為的規則に従ったものもある。

探偵といえば、シャーロック・ホームズである。
実際、トマス・シービオク&ジーン・ユミカー=シービオク/富山太佳夫 訳シャーロック・ホームズの記号論―C.S.パースとホームズの比較研究』岩波書店(9412)という著書もある。
脇役はワトソンということになろう。
実際、上掲書の中で『四つの署名』の中の次のようなホームズとワトソンの会話が取り上げられてる。

[ホームズ]「‥‥きみが今朝ウィグモア街の郵便局に行ったのは観察で判るけれど、きみがそこで電報を打ったと判るのは推理の力でね」
[ワトソン]「その通りだ!‥‥しかし、正直な話、どうして判ったんだろう?」
[ホームズ]「簡単なことさ。‥‥説明などいらないくらい簡単なことだよ。‥‥僕の観察によれば、きみの靴の甲には赤土が少しついている。ウィグモア街の郵便局の前の歩道は最近敷石をはずして、土を掘り起こしているからね、郵便局に入ろうとすれば、その上を踏まないわけにはちょっとゆかない。そこの土がちょうどそんな赤い色をしているわけで、この界隈には他に例がない。ここまでが観察。あとは推理だね」
[ワトソン]「じゃあ、電報はどうして推理したんだろう」
[ホームズ]「何でもない。午前中僕はきみの前に座っていたんだから、君が手紙を書かなかったのは判っている。それに、開けたままのきみの引き出しには切手も葉書も十分にあった。となると、郵便局に出かけて、電報を打つ意外の何をするんだろう。よけいな要素を取り除いていけば、残ったものが答えのはずだ」

http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/isej/jise04/pierce.html

ホームズとワトソンの上のような会話は至るとことに出てくるもので、それがホームズものの醍醐味ともいえるであろう。
先日、あるところで、ケアレスミスとかセレンディピティのことが話題になった。
ホームズの延長線上にセレンディピティがあるのだろうし、ケアレスミスはワトソン以前ということになるのではないか。
単純化していえば、「違いが分かる」かどうかである。
⇒2009年8月 8日 (土):「同じ」と「違い」の分かる男

ところで、今の季節になると、セイダカアワダチソウで空き地が黄色に染まるのは、田舎ではありふれた風景である。
Img_17732
セイダカアワダチソウは北アメリカ原産の外来種である。
以下、Wikipediaの解説を引用する。

外来生物法により要注意外来生物に指定されているほか、日本生態学会によって日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれている。
・・・・・・

昭和40年代の繁殖状況は、アレロパシー後述)効果でススキ等その土地に繁殖していた植物を駆逐し、モグラネズミが長年生息している領域で肥料となる成分(主として糞尿や死体由来の成分)が多量蓄積していた地下約50cmの深さまでを伸ばす生態であったので、そこにある養分を多量に取り込んだ結果背が高くなり、平屋の民家が押しつぶされそうに見えるほどの勢いがあった。
しかし、
平成に入る頃には、その領域に生息していたモグラやネズミが駆除されてきたことによって希少化し土壌に肥料成分が蓄えられなくなり、また蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと、他の植物が衰退してしまったことで自らがアレロパシー成分の影響を強く受けてしまったこと等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。セイタカアワダチソウの勢いが衰えてきた土地にはススキなどの植物が再び勢力を取り戻しつつある。

私は探偵でもないし科学者でもないが、セイダカアワダチソウの黄色の風景をみると、漠然と生態系の衰弱のような不安感があった。
鷲谷氏の文章を読んで、それが「不可逆的な植生変化」であることを意味していることを知った。
福島の風景の変貌は、住環境も相当長期間ダメージを受けるということであろう。

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2012年11月21日 (水)

野田首相の世襲批判に対する違和感

野田首相が自民党に対して、世襲候補者が多いと批判している。
この様子をTVで視聴していて、「オヤオヤ・・・」という感じを拭えなかった。

 野田佳彦首相は18日、羽田孜元首相(衆院長野3区)の引退を受け、長男で参院議員の羽田雄一郎国土交通相が衆院選に同じ選挙区からくら替え出馬する場合、公認しない方針を明言した。首相は「脱世襲は貫徹をする。例外はつくらない」と述べた。首相公邸前で記者団に語った。
 その上で、
自民党が引退議員の世襲を相次いで認めていることについて「世襲を認めないと3年前のマニフェスト政権公約)に書いていたはずだ。いわゆる公募という形でどんどんと(公認された)。世襲候補ばかりじゃないか」と批判した。
 日本維新の会と太陽の党の合流に対しては「脱原発と原発維持を言っていた人たちがいて、大きな方向性が全く見えない。それぞれシャープな色が出せていたのに、混ざるとグレーになってしまう」と述べ、野合との見方を重ねて示した。 

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-121118X752.html

もっともなことを言っているようでもあるが、疑問だらけである。
私も、いわゆる2世、3世といった世襲政治家が多いのは如何なものかと思う。
親の地盤を引き継いだ候補者よりも、自ら志を立ててという候補者の方が好ましいであろう。
自民党に世襲政治家が多いのは、先の総裁選を見ても明らかである。
⇒2012年9月14日 (金):民自両党の党首選候補者/花づな列島復興のためのメモ(141)

しかし、野田首相のこの時期での発言には、著しい違和感を感じる。

その第一は、「こんなことが、総選挙の争点か?」ということである。
言い換えれば、別に争うべき論点があるだろう、ということである。
今度の総選挙は、現時点では、稀に見る多党下での選挙である。
⇒2012年11月16日 (金):多党政治はどこへ向かうのか?/花づな列島復興のためのメモ(159)
であるが故に、争点を明確にして選挙戦に臨んでほしいと考える。

多党化ということは、争点が多様であることの反映でもあろう。
エネルギー政策、税と社会保障制度、領土問題、TPPあるいはこれらの共通基盤とも考えられる統治機構や憲法など。
これらの争点には、考え方によって優先順位が異なるだろう。
「日本維新の会と太陽の党の合流」についても、小異を捨てたと見るか、野合と見るかは、人によりさまざまではないか。
それを決めるのは、有権者である。

世襲批判は、争点隠し(もしくはずらし)に過ぎない。
重要争点に触れずに(触れる前に)、別の論点を持ってくるのは、姑息なレトリックというべきである。
もはや国民は小手先のレトリックに乗せられるほど甘くはないことを知るべきだろう。

第二は、民主党が重要政策をどう示すかに答えないで、他党の批判をすることについてである。
「野合がけしからん」と思う人は投票しなければいいのであって、他党の批判よりも自党の政策のブラッシュアップに注力すべきだろう。
民主党だって、「野合」の政党に過ぎないことは、ついに綱領を策定できなかったことをみても明らかである。
⇒2011年8月24日 (水):綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う
⇒2012年6月17日 (日):政党のアイデンティティを徴表するもの/花づな列島復興のためのメモ(87)

第三は、世襲批判は、有権者をバカにしている面があることである。
世襲といっても、引き継ぐのは後援会組織などに過ぎない。
後援会の人たちも、先代の子供だからといって無条件に支持などしないのではないか。
そのような判断力に乏しい(もしくはない)と決めつけているようなものである。
人を出自によって差別するのは、この場合でも、よろしくないのではないか?

第四は、さまざまな重要な争点がある中で、あえて世襲批判をすることには、別の意図を感じざるを得ないということである。
聞くところでは、「鳩山外し」の狙いがあるという。
ルーピーこと鳩山前首相は、曾祖父の鳩山和夫衆院議長以来、政治家4代目という代表的な世襲議員である。
自民党を批判すると見せかけて、敵は本能寺にあり、というわけである。
現実に、鳩山氏は出馬しないことに決めたようだ。

 民主党の鳩山由紀夫元首相は20日、来月16日投開票の衆院選に出馬しない意向を関係者に伝えた。野田佳彦首相が消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)推進などへの賛同を候補者公認の条件としていることに反発した。
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/11/2012112001002148.htm

鳩山氏が出馬しないことは、自身がかねてより言っていたことであるから、結構なことだと思う。
できればこれを機に、政治的な発言を控えるようにすることを期待したい。
また、袂を分かった小沢一郎氏も世襲議員であるが、小沢氏が抜けた後で脱世襲と言っても迫力に欠ける。
客観的にみて、鳩山氏や小沢氏の存在抜きにしては、民主党が政権を獲得することはなかっただろう。
自身が首相の座に就いていながら、脱世襲貫徹というのも妙なハナシではなかろうか。

第五に、マニフェスト違反を持ち出したことである。
さんざん自らマニフェストを守ろうとはせず、マニフェストに書いていないことを押し通そうとしてきたのに、どの面下げてマニフェスト違反というのだろう。
まあ、天に唾するようなもので、これで得点を稼ごうと考えているとしたら、とんだお門違いというべきである。

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2012年11月20日 (火)

「邪馬台国=西都」説/オーソドックスなアプローチ

いわゆる「邪馬台国論争」は、ひところのブーム的な現象は終わったかのようであるが、まだまだ熱気は冷めていないようだ。
必ずしも網羅的に論争をレビューしたわけではないが、断面を切り取って見せたものに、渡辺一衛『邪馬台国に憑かれた人たち 』学陽書房(9710)、岩田一平『珍説・奇説の邪馬台国』講談社(0004)がある。
⇒2008年11月27日 (木):「憑かれた人たち」と「珍説・奇説」

上掲2書に紹介されている説は、タイトルから受ける印象と異なり真摯な探究の姿勢のものが多いが、「邪馬台国論争」には、憑かれたように自説へのこだわりを見せる人や、ずいぶんと奇矯な説などがある。
学界の説は、九州説と畿内説に大別され、最近は考古学的な発掘の成果から、纏向などの畿内説が有力だと言われている。
⇒2009年11月11日 (水):纏向遺跡の巨大建物跡は卑弥呼の宮殿か?

しかし、私は、纏向=邪馬台国説に違和感を感じざるを得ない。
「邪馬台国」は、いわゆる『魏志倭人伝』に登場する名前であって、考古学的に所在地論争が決着するのは「親魏倭王」の金印などの決定的な遺物が発見されることが条件である。
あるいは、金印のような「動くもの」だけでは決定的な証拠足りえないというべきかも知れない。
現時点では、『魏志倭人伝』の記載をベースに、『記紀』や考古学的な知見を含め、総合的・大局的に「仮説」として考えることが、オーソドックスな立場といえよう。
⇒2009年11月13日 (金):邪馬台国と大和朝廷の関係

中田力『日本古代史を科学する 』PHP新書(1202)は、上記のような意味で、まことにオーソドックスな立場に立った古代史論であり邪馬台国位置論だと思う。
著者の中田氏は、巻末の紹介文を参照すれば以下の通りである。

1950年学習院一家の末っ子として東京に生まれる。学習院初等科・中等科・高等科を経て、76年東京大学医学部医学科卒業。78年にアメリカの西海岸にて臨床医になるために渡米。カリフォルニア大学、スタンフォード大学で臨床研修を受け、92年にカリフォルニア大学脳神経学教授に就任。96年にファンクショナルMRIの世界的権威として日本に戻り、2002年に新潟大学脳研究所・統合脳機能センター設立、センター長に就任

つまり医学畑の人である。
医学は、もちろん自然科学的に基礎を置くが、人間に対する深い理解がなければならないだろう。
いみじくもiPS細胞をめぐる山中伸弥京大教授と森口尚史東大病院特任研究員の著しい対照が、人間性の側面の重要性を示しているのではなかろうか。

著者は、自らの立場を次のように言っている。

 科学者としての私は自然科学者である。
 複雑系脳科学を専門としているが、研究の対象は人文学的命題であることが多い。
・・・・・・
 複雑系科学において最初に考えなければならないことは「初期条件の設定」である。
・・・・・・
 また、複雑系科学ではマルコフ連鎖が重要な役割を果たすと考える。・・・・・・一般に、過去を問わないという表現で教えられる理論である。
 過去を問わないということは、過去を問えないという意味でもある。・・・・・・考古学の当てはめて言えば、時間軸に沿った考察だけが許されるという意味である。
・・・・・・
 これらの原則に当てはめながら日本の歴史、特に考古学的な歴史を自然科学者として考察してみることにする。まずは初期条件の設定であるが、それは、どう考えてみても「魏志倭人伝」にあるように思える。

そして中田氏は、理論展開の規準となる「前提(postulate)」を次のように定める。
前提1 「魏志倭人伝」に書かれている記載には故意に変更された事項がない。
前提2 科学・技術の時代背景をきちんと考察する。
前提3 社会学的な意識を持ち込まず、常識的でない解釈は採用しない。

そして衛星画像を処理して考古学的に利用することを、中野不二男氏が「宇宙考古学」と命名しているが、中田氏は、衛星画像を使い、「魏志倭人伝」に記された行程を検討する。
先ず、帯方郡~末蘆国までは通説の通りで、九州上陸の場所である末蘆国を唐津近辺とする。
次に問題となるのが、「東南陸行五百里にして、伊都国に到る」である。

多数説は、前原付近(糸島市もしくは怡土と呼ばれた福岡市西区付近)に比定するが、それは論理的ではない、とする。
上記の場所は、水行の方が有利であり、魏王朝の一向が陸行したとの記述に合わない。
また、方角も北東に近く、東南という記載に合わない。
1里は、それまでの記述から、約60メートルと推定される(いわゆる短里説)。
そうすれば、五百里≒30kmだから、東南方向に30kmほどのところが伊都国の地である。

こうして、伊都国、奴国、不弥国までを下図のように比定する。
Photo

「魏志倭人伝」の行程は、不弥国以降、記載の調子が変わる。

南、投馬国に至る水行二十日。
南、邪馬台国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月。

いよいよ諸説が乱立(?)する箇所である。
松本清張が『水行陸行』という小説にしたように、その前までと文章の書き方も異なるので、難解である。
中田氏は、「宇宙考古学」によって、奴国の2倍以上の戸数が扶養できる場所は、熊本付近だけであることを確認する。

そしていよいよ邪馬台国である。
水行十日で、八代市付近で上陸する。
陸行一月は、人吉盆地まで行くのが地形的にも自然である。
以後のルートは、北へ行くと熊本に戻り、南に行くと伊佐、えびの市、東へ行くと西都である。
「魏志倭人伝」によれば、邪馬台国は海岸に面している。
陸行で行くに相応しいのは、人吉からまっすぐ東へ行っても、南へえびの市に出て都築へ抜けるかしても、いずれにしろ宮崎平野、日向灘に面したところである。
Photo_2

上記の説は十分に納得的である。
西都という「都」がついた地名と有名な古墳群の存在、天孫降臨神話との親和性等である。
⇒2012年7月 9日 (月):天孫降臨の高千穂峰/やまとの謎(66)

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2012年11月19日 (月)

地頭力とフェルミ推定と数学的実在/知的生産の方法(24)

ビジネスの場で、「地頭力(ジアタマリョク)」という奇妙な言葉が一般化している。
以下のような意味で使われている。

前例にとらわれず、物事の本質を捉え、少数の基本原則(常識)だけを元に、ゼロから解決のフレームワークを考えていく
http://allabout.co.jp/gm/gc/313570/4/

細谷功『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』東洋経済新報社(0712)あたりが、広めたように思う。
細谷氏はビジネスコンサルタントであり、地頭力の本質は、「結論から」「全体から」「単純に」考えるの3つの思考力であるとしている。
「結論から」考える仮説思考力、「全体から」考えるフレームワーク思考力、「単純に」考える抽象化思考力である。

そして、地頭力を鍛える強力なツールとなるのが「フェルミ推定」であるという。
「フェルミ推定」とは何か?
エンリコ・フェルミは、イタリア人の物理学者で、理論、実験の両分野で大きな功績を上げた。
放射性元素の発見で1938年のノーベル賞を受賞している。

グーグルの採用試験での出題が話題になった。

「エンジニア採用ではないですが、基本的にどの職種でもフェルミ推定系のお題は出ますね」
この一言が効いたのか、2007年12月に出版された
『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』という本がアマゾンで順位を上昇させ、版元の東洋経済新報社の出版物のトップに上がっている(1月4日現在)。
・・・・・・
フェルミ推定とは「日本に蚊は何匹くらいいるか」といった、実際に調査して把握するのが難しい問題を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること。

http://www.j-cast.com/kaisha/2010/01/04057255.html?p=all

上記サイトでは、フェルミ推定は、新規市場規模の見込みを立てるときに、前提となるいくつかの仮説を掛け合わせて算出するので、ビジネスでも有用なスキルであり、コンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがある、と解説している。

9月18日の日本経済新聞(夕刊)に、公告特集として、「丸の内キャリア塾」LECTURE123『数学を仕事に生かす』が載っていた。
桜井進さんというサイエンスナビゲーターに対するインタビューで構成されている。
桜井さんの肩書のサイエンスナビゲーターというのは、とっつき難い数学を、映像や音楽をふんだんに使って分かりやすく解説する仕事だそうである。

桜井さんは次のように言う。
ビジネス上の問題はたいてい複雑だが、数学は複雑な問題ほどシンプルにして考える。
アルキメデスは、円周の長さを出すために、円に内接・外接する多角形を考えた。
6角形、12角形、24角形と大きくしていき、その間に法則性を見つけて96角形の辺の和から円周の長さの近似値を求めた。

円周率について、約4000年前のエジプト人は、既に3.1という近似値を知っていたが、アルキメデスが3.14を算出するのに、約2000年を要したことになる。
アルキメデスのように、問題をシンプルにして法則性を見つけることは、ビジネスシーンでも応用できる考え方だろう。

そして、図に描いて考えることが効果的だという。
点に面積はなく、直線には幅がないと考える。
つまり、頭の中の存在である。
同様に、正96角形も頭の中の存在である。

このように、頭の中に考えた存在を、「数学的実在」という。
「数」と「数字」は違う。
日本語では同じ漢字を使うので紛らわしいが、英語では数はナンバー(number)、数字はフィギュア(figure)である。
数字は文字であるが、数は概念である。
財務諸表などに並ぶ数字は文字であるが、これらの数字は数学的経路を経て算出された結果であり、数学的経路は頭の中にだけ存在するものである。

つまり、フェルミ推定とは、実在する具体的な問題を、頭の中の存在に置き換えて、それを操作することにより実在するものの答えを導き出すことであろう。
フェルミは、そういうことに優れていたからこそ、理論、実験の両分野で卓越した業績を上げることができた。
20世紀のアルキメデスといえないだろうか。

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2012年11月18日 (日)

瀬島龍三氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(12)

瀬島龍三氏は、元陸軍参謀にして、商社マンあるいは財界人として著名であった。
陸軍士官学校から陸軍大学校へ進み首席で卒業して(第51期)、昭和天皇から恩賜の軍刀を賜った。
⇒2007年9月 5日 (水):瀬島龍三氏の死/追悼(1)
1911年12月9日生まれ。
満州事変の首謀者とされる石原莞爾は1889年1月18日生まれだから、 石原より23年ほど歳下である。
石原は、陸大30期の次席である。

陸軍中央に在籍した瀬島は、“大先輩”の石原らの起こした満州事変をどう見ているか?
瀬島氏の著書『大東亜戦争の実相 』PHP研究所(9807)を見てみよう。
この書は、ハーバード大学大学院で「一九三〇年代より大東亜戦争開戦までの間、日本が歩んだ途の回顧」というテーマで行った講演録であることが、瀬島氏による「まえがき」に書いてある。

全体の構成は以下のようである。

序  章  「大東亜戦争」という呼称について
第一章  旧憲法下における日本の政治権力の構造上の問題点
第二章  満洲事変
第三章  国防方針、国防に要する兵力及び用兵綱領
第四章  支那事変
第五章  昭和十五年の国策のあゆみ
第六章  昭和十六年の情勢
第七章  東条内閣の登場と国策の再検討
第八章  開戦
終  章  回顧よりの教訓

序章において、「大東亜戦争」という名称を使用する理由を以下のように説明する。
1.開戦直後の1941年12月10日の大本営政府連絡会議において、「支那事変を含めて、呼称するとしたこと。
-それは、中国に対する軍事行動と米英蘭3国に対する戦争を一括するものであり(ABCD包囲網)、1945年8月に参戦したソ連との戦争も包含される。
2.戦争期間中に施行された日本の法令条規の随所に使用されていること。
要するに、戦後のマッカーサー元帥の「使用禁止の通達」に抵触するものであることに対する弁明である。

次いで、第一章において、旧憲法(明治憲法:1889年制定、1947年廃棄-大日本帝国憲法)の問題点、特に、戦争指導機構の問題点を次の2つにフォーカスして論じている。
1.「統帥権の独立」問題
2.明治憲法の構造的問題
1.は、菊田均氏の著書に関連して触れたことがある。
⇒2012年10月26日 (金):菊田均氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(7)

2.について、内閣総理大臣の権限が、現憲法に比べきわめて弱いものであり、国家の運営が、内閣、陸軍、海軍の3極構造、または内閣総理大臣(外務大臣)、陸軍大臣、参謀総長、海軍大臣、軍令部総長の5(6)極構造で行われたが、それが国家権力の分散牽制を招き、集中統一性を欠くこととなった。
統治権を総攬する天皇は、絶大な精神的権威を持っていたが、英国流の「君臨すれども統治せず」という立場をとったが、天皇親政の建前の憲法との間に齟齬があった。
瀬島氏は、天皇に問題があったのではなく、憲法に問題があったのだ、としている。

第二章が、満洲事変について論じている部分である。
最初に、「満洲事変とは」と、対象の規定をしている。
すなわち、
1.1931年9月18日、日本軍が中国東北辺防軍との紛争に起因して軍事行動を開始。
2.おおむね1年半後に、満洲から中国軍を一掃。
3.1932年3月1日、満洲国独立宣言。
4.1932年9月15日、日本の満洲国承認。
5.1933年5月31日、日中両軍事当局間で停戦協定が成立(塘沽(タンク)停戦協定)。

上記の満洲事変は、1937年支那事変に、1941年大東亜戦争に発展した。
これら三者は、分離すべきものであったが、日本の政治家、軍人はこれを分断し得なかった。
その結果、満洲事変は日本の破滅への途における歴史的転機となった。

そして、瀬島氏は、幕末から明治維新、日清・日露戦争、第一次世界大戦等を通じての日本の大陸政策とアメリカの反応をレビューする。
結論的に、第一次世界大戦後のアメリカ主導のワシントン体制で、日本の地位は後退弱化し、大陸発展政策は手かせ足かせをはめられに至った。

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2012年11月17日 (土)

張作霖爆殺河本真犯人説の論拠/満州「国」論(11)

秦郁彦氏は、『陰謀史観』新潮新書(1204)において、田母神氏らのコミンテルン陰謀説を下表のように整理している。
Photo_2
p152

張作霖陰謀説は、一連の陰謀説の出発点に位置する。
秦氏は、田母神氏の論文を、「実証性に乏しい俗論に過ぎない」と論評する一方で、定説となっている河本犯行説の確度を検証している。
秦氏の援用する資料は以下の通りである。

1.『昭和天皇独白録』
寺崎御用掛の遺した筆記録。「事件の首謀者は河本大作大佐である」という記述がある。
これに対して、小堀桂一郎氏は、「先帝陛下までそれ(河本犯行説)を信じられて」と言っている。

2.河本大佐の磯谷廉介中佐宛書簡
1928年4月18日付の書簡で、「今度という今度は是非やるよ」等、決意を示したと見られる記述がある。

3.森克己博士のヒヤリング
森克己という人は、満州建国大学教授。参謀本部から満州事変秘史の収集を依頼され、1942~44年に関係者からヒヤリングした。河本の聴取記録も含まれ、爆殺計画の企画実行の経緯が語られている。

4.川越守二大尉の回想記
1962年防衛庁戦史室の依頼で執筆。河本を補佐して爆殺の準備にあたった経緯が記述されている。

5.尾崎義春少佐の回想録
河本の部下で警備参謀の任。爆破の様子が記述されている。

6.森島守人奉天領事
著書の中に、実行者の東宮大尉が「黒幕は河本大佐」と記述している。

7.河本大作の獄中供述書
中国共産党時代の獄(太原)中供述書ではあるが、他の第一次資料とも整合している。

8.桐原貞寿中尉が撮影した写真記録
爆破の現場写真や張作霖の葬儀などを撮影。

秦氏は、「これだけ証拠が揃うのは裁判でもめったにあるまい」としている。
当時の状況から、可能性のあるのは、日本、国民革命軍(蒋介石)、ソ連の三者であった。
事件の第一報は、関東軍の奉天特務機関から参謀本部に舞い込んだ。

張作霖の列車南方便衣隊により爆破せらる。張負傷す

その証拠として、現場付近で日本兵が刺殺した中国人が持っていた命令書だった。
しかし、その命令書は日本流の漢文であることを中国側から指摘された。
林久治郎奉天総領事は、「ひどいことだず、陸軍の連中がやったんだ」と語ったという。

その後、林総領事は、日本軍犯行説を、「風説」と報じたが、海外メディアはもちろんのこと、日本の新聞でさえ「風説」を肯定するような書きぶりだった。
現時点では、「歴史を書き換える」必要はないようである。

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2012年11月16日 (金)

多党政治はどこへ向かうのか?/花づな列島復興のためのメモ(159)

衆議院が解散されて、いよいよ総選挙である。
「1票の格差」の違憲状態は解消されないままであり、選挙違反ならぬ違反選挙であって、異常事態というべきであろう。
小選挙区を「0増5減」する法案を成立させたが、適用は次の次からとなるので、所詮アリバイ作りのようなものである。

歴史的な政権交代総選挙から3年3カ月が経ったが、ずいぶんと政治の風景は変わったものだというのが正直な感想である。
政権を獲得した民主党の姿は正視に耐えないほどの惨状だ。
前回総選挙で民主党に票を投じたものの1人として、不明を恥じる。
この間、鳩山、菅、野田と首相が交代したが、いずれも政権交代にかけた期待を、三様の形で裏切った。

挙句の果てが、先日の党首討論の際の野田首相の「“トラスト・ミー”という言葉が軽くなって、信じて貰えなくなった」という発言である。
ルーピー(ループ-日本語でいえば、くるくる・・・-の形容詞形)と評された鳩山元首相の言葉であるが、野田氏はどういうつもりで言ったのか?
ジョークにはなっていないし、揶揄したとすれば、鳩山氏が民主党籍に留まっていることを踏まえれば、いやしくも同志であり、人間性を疑わざるを得ない。
ドジョーの衣を被っただけであることが、党首討論という場で、衣が破れて真の姿が現れたのであろうか?
討論相手の安倍総裁からは、「軽くなったのは、“マニフェスト”や“近いうちに”も・・・」と切り返されていたが。

小選挙区制の導入により、政権交代が可能な2大政党の実現を目指していたはずが、民・自両党が余りの体たらくということもあって、かつてない多党による総選挙となりそうな雲行きである。
民主党では、首相の独断的解散表明により、離党者が出始めている。

 民主党の分裂が止まらない。十五日、離党表明した山崎誠衆院議員は、同党離党者らでつくる参院会派「みどりの風」に合流。国会議員が五人となり、国政政党に仲間入りした。社民党の阿部知子衆院議員も合流予定だ。
 民主党では、ほかにも山田正彦元農相らが新党結成を模索し、近く離党する考えで、この二日間で離党予定者は七人に達した。十二月四日の公示までに、さらに政党数が増える可能性がある。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012111690065748.html

民主党のアイデンティティが「政権交代」にあったとすれば、政権を失うことが確実視される状況では、瓦解するのも当然であろう。
⇒2012年6月16日 (土):民主党と野田政権のアイデンティティ/花づな列島復興のためのメモ(86)

そもそも政党とは何であろうか?
政治資金規制法や公職選挙法における「政党の要件」は以下の通りである。

1.国会議員が5人以上所属する
2.直近の衆院選または参院選で、選挙区か比例代表の選挙で有効投票総数の2%以上の得票がある―のいずれかを満たす
http://note.masm.jp/%C0%AF%C5%DE%CD%D7%B7%EF/

私的な集団である政党に公的資金を使っていいかどうかという問題もあるが、この要件を満たす政党だけでも下表の通りである。
121116_2

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012111690065748.html

最終的にどの政党が残るかは不明であるが、選択肢が多いこと自体は悪いことではない。
しかし、小選挙区制の下では、弱小政党は圧倒的に不利である。
「死に票」を覚悟して弱小政党に投票するか、よりマシな大政党を選ぶのか?

弱小政党は、「小異を捨てて大同につく」動きになるだろう。
野合と譏られないためには、綱領であるか、「軽くなった」マニフェストであるか、あるいは他の方法であるかは別として、アイデンティティははっきりさせるべきであろう。
⇒2012年6月17日(日):政党のアイデンティティを徴表するもの/花づな列島復興のためのメモ(87)

政党は、板垣退助らが1874年(明治7年)に結成した愛国公党に始まる。
政党内閣の始まりと言われる1918年(大正7年)の立憲政友会の原敬内閣、約100年を閲した。
どうやら日本の政治は大きな転機を迎えているようである。

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2012年11月15日 (木)

小沢無罪判決/花づな列島復興のためのメモ(158)

小沢一郎「国民の生活が第一」代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反容疑裁判で、東京高裁は無罪とした。
強制起訴されていた事案で、検察官役の指定弁護士による控訴が棄却された。
この裁判については、訴訟が提起されること自体に、私は違和感を抱いていた。
⇒2012年2月18日 (土):小沢裁判に対する疑問
⇒2012年5月11日 (金):小沢裁判控訴の狙いは?/花づな列島復興のためのメモ(64)

野田首相の解散の表明によって、この裁判のことはどこかに吹き飛んでしまったようだが、客観的にみれば、あり得ない、あってはならない裁判だったといえよう。
あえて言えば、「真昼の暗黒」である。
⇒2012年2月22日 (水):小沢強制起訴裁判で墓穴を掘るのは誰か?
⇒2012年4月26日 (木):小沢裁判の影響/花づな列島復興のためのメモ(56)

裁判の経緯は、下表のようである。
Ws000001
http://www.asahi.com/national/update2/1112/TKY201211120016.html

上表に見るように、検察庁が強制捜査の末、起訴を見送り、これに対して検察審査会が起訴相当の議決を出し、もう一度検察庁が起訴を前提とした捜査を行って起訴に至らなかったものを、検察審査会がもう一度起訴相当の議決を出して、強制起訴となったものである。
検察審査会制度そのものが問われることになろう。
つまり、強制起訴ということが行われるべきか否かである。

検察が起訴しなかった(起訴できなかった)容疑者に対して、一般市民から選ばれた検察審査会が、「起訴すべきである」と2度決議すると、強制的に起訴される。
検察審査会のメンバーは匿名である。
悪用は想定されていないのかも知れないが、故意に容疑者に仕立てることも不可能とはいえない。
今回のケースでは、検察審査会に提出された資料が、ねつ造されたものであった。
まさに「真昼の暗黒」である。

振り返ってみれば、小沢裁判には、上表の前史があった。
西松建設から小沢氏の公設秘書への違法献金が疑われ、民主党代表だった小沢氏が代表を降りた。
時あたかも政権交代が必至と言った情勢の中での容疑であった。
⇒2009年3月 4日 (水):小沢スキャンダルは、自民党の神風になるか?

そういう経緯まで含めて考えると、謀略の臭いが芬々とする。
政党別の衆議院国会議員数を見ると、「国民の生活が第一」は野党第二の政党である。
小沢氏の好き嫌いは別として、余りにも問題のある裁判ではなかったか。
考えてみれば、福田政権の時、大連立を持ちかけられた民主党が小沢氏以外は幹部のほとんどが「No」だったが、その時与党の経験をしておけば、政権交代したときも、もう少しマシな運営ができたのではないかと思う。
反小沢によって支持率を高めようとした民主党政権は、余りにもお粗末であったと言わざるを得ないだろう。

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2012年11月14日 (水)

民主党内の野田降ろしと首相の解散明言

ついにというか、やっとというか、野田首相が、解散を明言した。

野田佳彦首相が特例公債法案、一票の格差是正と定数削減を今国会で処理できるなら16日に解散すると明言した。自民党はこれに応じる姿勢を示しており、16日に衆議院は解散され、12月16日にも投開票となる見通しだ。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE8AD05E20121114

野田氏の胸中は分からないが、昨日(13日)の民主党常任幹事会で、解散先延ばし論が噴出したのが大きな要因であることは間違いないだろう。

大敗の恐怖に縛られた民主党内では、首相を支える執行部やベテラン議員からも反対論が噴出した。13日の民主党常任幹事会では赤松広隆副代表が「政権維持ができる態勢で選挙に臨んでもらいたい」と口火を切った。鹿野道彦前農相のグループは約20人が集まり、年内解散反対で一致した。中野寛成常任幹事会議長(旧民社グループ)や赤松氏(旧社会)、荒井聡元国家戦略担当相(菅)、前田武志前国土交通相(鹿野)ら10人がグループ横断の会合を開き、解散反対の文書を作成。14日に輿石東幹事長に申し入れる。
 輿石氏は周辺に「常任幹事会は党大会と両院議員総会に次ぐ機関だ」と語り、常任幹事会メンバーの一人は「これで流れが変わるのではないか」と首相の変心に期待感を示した。輿石氏は13日夜、赤松氏のパーティーで「金魚が水槽から飛び出せば死んでしまう」と発言。自らをドジョウに例えて「金魚のまねはできない」と言った昨年の首相演説を引き合いに、首相が党内世論の枠から飛び出さないようけん制した。

http://mainichi.jp/select/news/20121114k0000m010142000c.html

野田首相は、解散権を持つのは首相だと言っていた。
その言葉通りに、解散阻止の包囲網を強行突破に出たのだろう。
菅前首相が、党内の大勢によって身動きできなくなったのを学習したとも言える。

「近いうちに信を問う」と約束してから、既に3カ月以上が過ぎている。
解散は首相の専権事項で、ウソを言ってもいい、と巷では言われている。
しかし、野田氏は「ウソつき」と呼ばれることを嫌がったのだろう。
首相就任時に、「ドジョウが金魚のマネをしたって・・・」という言葉を引いて誠実さをアピールしたのが、「ウソつき」と言われたら、サマにならない。

しかし、遅きに失したのではないか?
下表は「ウソ」を指摘されている野田氏の言動である。
解散時期だけでない。「ウソつき」のオンパレードである。
Photo
http://nippon7777.exblog.jp/17125010

常識的に考えれば、解散を先延ばしすることは、限界といえよう。
ここで年内総選挙に踏み切らなければ、求心力をいっそう失って、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の推進などを目玉政策にしようという意図も後退せざるを得ない。
であれば、総選挙の惨敗は避けられないとして、せめて選挙後の政界再編成に一縷の望みを託そうと・・・・・・

しかし、民主党内には批判が高まった。
解散を明言したのは党首討論においてであるが、身内の話し合いはまったく不十分のようだ。
第三極を含め、選挙前にも離合集散が予想される。

また、年末年始の解散総選挙には、国民生活との関係で批判もある。
どの道、野田氏の環境は茨だらけなのだ。

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2012年11月13日 (火)

田母神見解と陰謀史観/満州「国」論(10)

第29代航空幕僚長を務めた田母神俊雄氏が、アパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』で、最優秀藤誠志賞を受賞した。
この論文の内容が、政府見解と異なる歴史認識であり、かつ独断で外部発表したことにより、防衛大臣から航空幕僚長の職を解かれ、航空幕僚監部付に降格された。
その後、田母神氏は、時の人となり、講演や著作の刊行、マスメディアへの露出など、華々しく活動している。
⇒2009年1月10日 (土):田母神第29代航空幕僚長とM資金問題

田母神氏は、満州事変の前史である張作霖爆殺について、コミンテルンの仕業という説をとっている。
すなわち、合法的に中国に駐留していた日本軍に対し、蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返したが、蒋介石はコミンテルンに動かされていたのである。
コミンテルンの目的は、日本軍と国民党を戦わせて両者を消耗させ、最終的に毛沢東率いる共産党に中国大陸を支配させることであった。
⇒2009年1月13日 (火):田母神氏のアパ論文における主張②…張作霖爆殺事件

この主張は、河本大作大佐を首謀者とする関東軍によるもの、という定説に真っ向から抵触するものであった。
この田母神論文が一定の影響力を発揮し、一部言論人が昭和史の書き換えを主張するようになっている。
秦郁彦『陰謀史観』新潮新書(1204)は、次のように書いている。

 たとえば保守系の運動組織である日本会議は、中西輝政、小堀桂一郎の対談を軸とする『歴史の書き換えが始まった--コミンテルンと昭和史の真相』と題するブックレットを刊行した。その序文には「かつて年輩の方々から『日本があの戦争に巻き込まれたのはコミンテルンに引っ掻き回されたからだ』とよく聞かされていたが、その直感は正しかった」という中西の宣告をかかげている。
pp150-151

秦氏は、張作霖爆殺の犯人が関東軍であることは、「この半世紀ばかりは動かせない歴史上の事実として受け入れられてきたといってよい」としている。
そして、「異説」が突如出現した。
ユン・チアンとジョン・ハリディの共著『マオ―誰も知らなかった毛沢東』講談社(0511)において、である。
ユン・チアンは、『ワイルド・スワン―Wild swans』講談社(9512)の著者である。

張作霖爆殺ソ連工作員犯行説は、この書で登場した新説であるとして、秦氏は邦訳の全文(3行)を引用しているので孫引きしておこう。

張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン(のちにトロッキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという。

これに対し、秦氏の表現によれば、「強烈な反応」が起きた。
あえて名を記せば、松原隆一郎、猪木武徳、中西輝政氏らが、新聞・雑誌等で、もし事実であれば、日本の近代史は修正が必要になる、とした。
もし事実であるならば、という条件が付いているが、とりあえずは検証抜きで興奮しているのである。

ところが、産経新聞の内藤モスクワ支局長が、出典として挙げられている『GRU帝国』の原著者のプロポロフを取材し、「既存の資料を総合し分析した結果、スターリンの命令で実行した工作員は1925年に張作霖暗殺に失敗し、2回目に成功したということが、ほぼ間違いない」という結果だった。
藤岡信勝氏は、内藤記者の記事に対して、「2回目は関東軍が先に実行してしまったので、自分たちがやったように報告」した可能性を指摘した。 
産経新聞も、「新しい歴史教科書をつくる会」前会長も藤岡氏も、コミンテルン犯行説が実証されれば、おそらく歓迎する立場だろうが、冷静である。

秦氏は、「泰山を鳴動させた張本人が、あっさりと伝聞と類推の産物と自認したのだから騒ぎは決着しそうなものだが、そうはならないのが陰謀論の世界では珍しくない」としている。
陰謀史観は読み物としては面白いが、実相としては如何なものだろうかと思うが、現に陰謀と思われる現象もあるのだから、決して廃れることはないだろう。

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2012年11月12日 (月)

田中上奏文と陰謀史観/満州「国」論(9)

史観といわれるものは多い。
その中でも「陰謀史観」という文字を目にする機会が結構多い。
はてなキーワード」には以下のような説明がある。

史観とは歴史をどういう切り口で分析するかという方法論であり、例えば唯物史観は「突き詰めれば生産手段の組織化の形態が歴史を動かすのだ」という立場で歴史を見る。
陰謀史観は、何等かの陰謀によって歴史が動かされていると見なす立場に立つ。すべての陰謀を企画している何等かの黒幕の存在を前提することが多いが、必ずしも必要ではない。
太平洋戦争ルーズベルトの陰謀だ」にしても、

  1. 第二次世界大戦に参戦できないので日本を挑発して戦争を誘発させた」だけで終わる場合
  2. 「実は当時の合衆国上層部には大量のソヴィエトのスパイが入り込んでいて、彼らに操られて合衆国は戦争に突入したのだ」
  3. ルーズベルトユダヤ国際陰謀結社によってコントロールされていたが(中略)最後は結社の邪魔になったので消されたのだ」

以上のように、これらをすべて「陰謀史観」の一言で括ることも可能だが、どちらかというと「いわゆる『陰謀史観』」としてカギ括弧付きで扱われることも多い。
なんとなれば陰謀の存在を信じてまじめに歴史を研究している当の本人からすれば、
「私の考えが
陰謀史観なのではない。従来の歴史が(故意に、もしくはたまたま)見落としていたことを研究しているだけだ」
ということになる。

上記のように、「陰謀史観」の前提となる「陰謀の事実」そのものが、きわめて検証されにくい性質のものである。
なぜならば、秘かに行われるから陰謀なのであって、それが公式に確認されれば、それはもはや陰謀とは呼ばれない。
昭和初期の歴史に関しても、「陰謀史観」は存在する。

当面の関心事である満州「国」に関してみれば、「田中上奏文」なるものの存在が挙げられる。
田中義一総理大臣が、天皇の勅旨に応じて提出したという形の文書である。
Wikipediaによれば、大略以下のようなものである。

田中上奏文(たなかじょうそうぶん)は、昭和初期にアメリカ合衆国で発表され、中国を中心として流布した文書である。
日本の歴史家の多くは怪文書偽書であるとしている。田中メモリアル・田中メモランダム・田中覚書とも呼ばれ、中国では田中奏摺、田中奏折と呼ばれる。英語表記はTanaka Memorialである。
田中上奏文は、その記述によれば第26代
内閣総理大臣田中義一1927年昭和2年)、昭和天皇へ極秘に行った上奏文であり、中国侵略・世界征服の手がかりとして満蒙(満州蒙古)を征服するための手順が記述されている。松岡洋右重光葵などの当時の外交官は、日本の軍関係者が書いた文書が書き換えられたものではないかと見ていた。田中上奏文を本物であると考える人は現在でも特に日本の国外に存在する。

この文書で特に有名なのは、次のくだりである。

支那を征服せんと欲せば、先ず満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ず先ず支那を征服せざるべからず。(中略)之れ乃ち明治大帝の遺策にして、亦(また)我が日本帝国の存立上必要事たるなり。

秦郁彦『陰謀史観』新潮新書(1204)には、次のようにある。

 いわゆる田中上奏文は明白な偽書とはいえ、スケール、生命力、影響力のどれをとってみても、日本が関わった陰謀史観中の白眉と評してよいだろう。
p23

田中上奏文は、真贋論争としては、秦氏のいうように既に決着がついているのであろう。
しかし、歴史の教訓としては、現在でも意味を持っているのではないか?
たとえば次のような記述を見てみよう。

 5月15日に放送された「さかのぼり日本史 昭和 “外交敗戦”の教訓」の第3回は「国際連盟脱退 宣伝外交の敗北」と題し、国際連盟脱退に至った経緯をとりあげている。ゲストは服部龍二・中央大学教授。番組の焦点は田中上奏文をめぐる松岡洋右と顧維鈞の駆け引き。顧が論拠とした田中上奏文を松岡が「そのような文書が天皇に上奏された事実はない」「もし本物だというならその証拠を提出してもらいたい」と反駁。本国に連絡し「本物である証拠は提出できない」と回答された顧は「そのような証拠は日本のしかるべき地位の者にしか入手できない」と取り繕ったうえで、「証拠はともかく、この問題についての最善の証明は今日の満州で起きている現状である」と、現実が田中上奏文を裏付けているという主張へとシフト。だがこの論争が欧米で報道されるたびに、日本の軍事行動が印象づけられることになった、と。その結果、リットン報告書よりも日本に厳しい対日勧告案が可決されることとなる。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120516/p1

田中上奏文には、記述の誤りもあって偽作されたものであることは疑えないが、張作霖爆殺事件、満州事変、日中戦争などの推移は、上奏文に書かれていたことを裏付けるかのように進んでいった。
それが、東京裁判でも、国際検事局が当初「共同謀議」を前面に出そうとした理由である。
現在の中国の反日キャンペーンも、田中上奏文をホンモノとして扱っているかのような気がする。

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2012年11月11日 (日)

感情失禁について/闘病記・中間報告(55)

11月9日の東京新聞に、早稲田大学教授(フランス文学)の芳川泰久氏が、『病気で発見 翻訳の世界』という文章を寄せている。
芳川氏は、3年半前に脳幹梗塞を患った、と書いている。
後遺症は、身体的にはほとんど残らなかったというから、ラッキーだったというべきだろう。
私も、入院して多くの脳疾患患者を見てきたが、多くは身体的な後遺症に悩まされている。

江藤淳は、「脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は形骸に過ぎず」と遺書にしたためた。
⇒2010年9月 6日 (月):江藤淳の『遺書』再読
私も、「形骸に過ぎず」とまでは思わないが、後遺症がもう少し改善されないものか、と思いながらリハビリを続けている。
しかし、私も多くの同病者の中では、比較的にはラッキーだったのだろう(と自分自身を慰めている)。

芳川氏は、「軽い構音障害」と診断されたが、専門医から「使いながら慣らせ」といわれる程度だったらしい。
私も、回復期の入院中はST(言語聴覚士)の訓練を受けたが、退院後はリハビリ時間の制限もあって、もっぱら使いながらになっている。
自分では結構もどかしい思いをしているが、もともと能弁ではないこともあって友人・知人は、「良くなったなあ、以前と変わらないよ」などと言ってくれるが、自分自身が以前と同じでないことは承知している。

芳川氏は大学を半年間休職して散歩をしながら発声練習を繰り返したという。
その結果、記載はないものの、発声はほとんど障害としては残っていないだろうと推測する。
半年間の休職明けには、大学の講義等があるだろうからである。

興味深いのは、感情がコントロールできない後遺症が残ったということだ。
こういう現象を、感情(もしくは情動)失禁という。
失禁は、我慢できずに漏れてしまうことをいうが、文字通り感情(情動)が抑えきれないで、漏れてしまうことである。

感情失禁というのは、情動失禁とも言われますが、わずかな刺激で過剰に泣いたり、笑ったり、怒ったりすることをいいます。
感情失禁は、刺激に対して起こる情動の調節が障害された状態で、脳動脈硬化症や脳血管性痴呆症などの症状としてよくみられます。

http://kaigo01.cash-law.com/006.html

つまり、脳の病気では一般的なようである。
私も、元来涙もろいタチであったが、発症後いっそう亢進したことを自覚している。
「つまらない」と頭では理解している安手のTVドラマなどを見ていても、泣けてくるのを抑えられなくなる。
一緒に見ている妻などは、「バカじゃない」というような顔をするが、病気の後遺症なのだ。

芳川氏は以下のように書いている。

文字通り、何を見ても笑えてくる。かと思えば、理由もなく泣けてくる。しかしその理由が分からない。とつぜん、身体が勝手に反応しているのだ。自分であるのに、身体は自分ではない。

芳川氏は、「理由もなく」と書いているが、私の場合は、感情を刺激するモノはあるように思う。
しかし、リハビリを受けている病院の入院患者(だと思う)に、確かに「身体が勝手に反応している」ように笑ってばかりいる人がいる。
体が勝手に反応したり、麻痺して意図通りに動かなかったり、やっかいなことではある。
まあ、自然に笑う場合は、泣いたり怒ったりするのと異なり、周りも余り気にならないようであるが。

芳川氏は、病から得たものが一つだけある、という。
根気づよさが備わったというのだ。
裏返していえば鈍感になったということだと芳川氏は書いているが、同じ作業を繰り返しても飽きないという。
私は、もともと単純作業が好きだったので、この点で変化があったのかどうか良く分からない。
しかし、感情失禁と根気強さが両立するのだから、脳というものは不思議なものだと改めて思う。

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2012年11月10日 (土)

『ゴジラ』から「クール・ジャパン」へ/戦後史断章(8)

怪獣の「ゴジラ」と対照的な位置を占めるのが「鉄腕アトム」である。
手塚治虫原作の漫画の主人公であり、原子力エネルギーで作動するロボットである。
体内に10万ボルトの原子炉を内蔵している。
妹が「ウラン」、弟が「コバルト」である。
いずれも、コンピュータ制御のロボットで、人類の平和に貢献するという設定である。

吉見俊哉『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)によれば、ドラえもん、ガンダムというおなじみのロボットも、原子力により動いている。
手塚治虫が「アトム」を発想したのは、1951年だという。
つまり、アイゼンハワーの有名な国連総会演説「アトムズ・フォー・ピース」より前だった。
原子力の軍事利用から平和利用への転換は、1950年代初頭において、米政府首脳と日本の漫画家に共有されたビジョンだった。

アイゼンハワーの場合は、共産圏との冷戦に勝ち抜く戦略として位置づけられた。
一方、手塚の場合は、技術と人間の共存であり、その困難であった。
言うまでもなく、アトムは普通名詞でもある。
アトムという言葉は、現在企業名などに多く使われている。
株式会社アトムは、回転ずしチェーンなどを展開する外食企業であるし、アトム株式会社は、作業用手袋を製造するメーカーである。
その他「アトム〇〇」「〇〇アトム」というような企業名も多い。
これらの企業の個別のCIはそれぞれであろうが、「原水爆」を連想させようという意図でないことは共通であろう。

ところで『鉄腕アトム』が米国のTVで放映されることになったとき、アトムは原水爆のイメージが強かった。
アイゼンハワーが原子力の平和利用を宣言する一方で、原水爆の開発を止めなかったことがその理由である。
『鉄腕アトム』を実体を反映した「アトムボーイ」でも、直訳の「Mighty Atom」でもなく、『Astro Boy』とされた。
Astro=天体であるから、宇宙時代を反映したとも、手塚マンガの主題とよりマッチさせたともいえるが、原子力の平和利用というメッセージは見えにくくなった、と吉見氏は評している。

 つまり、日本では「アトム=核」という結びつきが比較的早い段階で失われ、原水爆=核のイメージが背景化されていったが故に、軍事的な意味内容を失った「アトム」は、どのような内容であれ指示できる自由なシニフィアンとなったが、軍事超大国アメリカでは、「アトム」と原子力の結びつきが、同時に核兵器との結びつきでもあるのは当然のことであったので、子供向けアニメのかわいらしい主人公の名前としては、他の言葉に変える必要があったのである。
p254

50年代のハリウッド映画は、恐竜や巨大化したタコ、アリなどの怪物の姿を借りて「核」を表象した。
表象されたのは原水爆を保持するに至った共産主義の脅威である。
この脅威は、自由主義側の原子力技術(神の恩賜)によって殲滅されなければならないものであった。

1954年の日本映画『ゴジラ』は、原水爆の経験を自己そのものの問題として捉えたという点で画期的なものであった。
しかし、このことは、「ゴジラ」が何を表象しているか、を曖昧にするものでもあった。
アメリカか、日本か?
あるいは過去の記憶か未来の恐怖か?
そして、この二重性は、戦後史を通じてサブカルチャーのなかを浸透していった。

そして70年代になって、松本零士の『宇宙戦艦ヤマト』では、ヤマトは、戦争体験を象徴する「戦艦大和」というよりも、「抽象化された悲劇」を象徴する存在になっている。
それは、高度成長以降の日本には、原水爆の破壊的イメージは、自分とは関係のない外側の存在という大衆意識に関係している。
アメリカの核の傘にすっぽりとおさまり、沖縄以外では、そのことに無自覚という大衆。
その間に、多数の原発が稼働を始めるのと並行的に。

しかし、サブカルチャーや一部の言説は、この虚構の果てに何らかの崩壊が起きるであろうことを予見し始めていた。
吉見氏は、それがの正体であり、「クール」は冷戦の「コールド」と結びついている、という。
ちなみに、「クール・ジャパン」は、Wikipediaで以下のように解説されている。

日本文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象や、それらのコンテンツそのもの、または日本政府による対外文化宣伝・輸出政策で使用される用語

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2012年11月 9日 (金)

『ゴジラ』映画と社会の変容/戦後史断章(7)

ゴジラ』の第2作は、1955年に製作された『ゴジラの逆襲』である。
再び日本を襲ったゴジラは大阪に向かう。
ゴジラに蹂躙された大阪は、数年前の東京と同じように破壊され尽くす。
東京襲撃のゴジラは、芹沢博士のオキシジェン・デストロイヤーによって、彼自身の生命と引き換えに仕留められるが、逆襲してきたゴジラに対しては、政府も人々もまったく無力である。

また、山根博士は、「第二のゴジラと共に新たに出現したアンギラスの脅威、我々は今や、原水爆以上の脅威の下にある」と言って、アイゼンハワー政権の世界戦略のなかで、核兵器が世界各地に配備されていく状況を暗示している。
つまり、1950年代のゴジラ映画においては、ゴジラは原水爆の圧倒的な破壊力のイメージを伴うものであった。

ところが、1962年の『キングコング対ゴジラ』では、原水爆による被爆のイメージは、背景に後退したものとなった。
キングコングが南洋の島から東京に連れ出されてくるのは、ある製薬会社の提供番組の視聴率アップのためだし、ゴジラはライバル会社のキャンペーンに関係している。
この映画では、ゴジラは北極の氷山のなかで冬眠していたことになっており、ハリウッド映画の『原子怪獣現る』と共通である。
また東京に到来したキングコングは、若い女性を攫って国会議事堂に登るが、エンパイアステートビルのオリジナル版の焼き直しである。

とすれば、『キングコング対ゴジラ』では主役は、テレビ、マスコミ、ハリウッド映画であって、原水爆とゴジラの関係は希薄化されている。
そして、1960年代を通じ、ゴジラは善玉になり、さらには「かわいい」化していく。
大阪万博直後に製作された『ゴジラ対ヘドラ』では、田子の浦のヘドロや光化学スモッグなどの公害がテーマにされているが、冒頭の場面で、ゴジラの人形で遊んでいた子供が、ゴジラが好きかと聞かれて、「スーパーマンだもん」と答えるシーンを、吉見氏は紹介している。

それは原子力の平和的利用と軌を一にしている。
原水爆イメージの希薄化を象徴的に示したのが『モスラ』の登場ということになる。
モスラは、原水爆実験で死の島と化したインファント島であるが、そこには先住民が住み続けていて、島で発見された「赤いジュース」によって放射能被害が解毒される。
つまり、被爆後の希望であり、未開人を文明国に連れてきて見世物にするという植民地主義的なファンタジーである。

吉見氏は、『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)において、ロードショーの観客動員数を次のように整理している。
1954年 『ゴジラ』……約961万人
1955年 『ゴジラの逆襲』……834万人
1962年 『キングコング対ゴジラ』……1255万人
1964年 『モスラ対ゴジラ』……720万人
1965年 『怪獣大戦争』……513万人
1966年 『南海の大決闘』……421万人
1967年 『ゴジラの息子』……309万人
1968年 『怪獣総進撃』……258万人
1969年 『オール怪獣大進撃』……148万人

つまり60年代を通じ、最大の観客動員数を記録した『キングコング対ゴジラ』に比べ、8分の1にまで低下したことになる。
そもそも、映画の吸引力自体が低下しているとも考えられるが、配給収入の推移のデータとして下記があった。
Ws000000

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5666.html

上図を見ると、60年代に邦画の配給収入は全体で約3分の2に低下している。
また、この期間は文字通り「所得倍増」という期間であるから、物価の変動を考慮すると、邦画全体で観客動員数は3~4分の1程度になったのではないかと思われる。
それにしても、ゴジラ映画の観客動員力は弱まったとしていいだろう。

そして、高度成長と共に、ゴジラは人々の意識から遠いものとなっていった。
吉見氏は、このようなゴジラ映画の低迷を、「ゴジラ的なもの」の周縁化、と呼んでいる。
それは、各地での原発の建設と並行的であった。
各原発の操業開始年度は次のようである。
1970年 敦賀原発、美浜原発
1971年 福島原発
1974年 高浜原発
1975年 玄海原発
1976年 浜岡原発

これらの70年代に操業が開始された原発は、60年代に建設されたものである。
計画段階では50年代から原子力の平和利用という流れができていた。

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2012年11月 8日 (木)

改めて、原子力規制委の任務と人事を問う/原発事故の真相(51)

福島第一原発については、複数の事故調査報告書が出ているが、事故の真相についてはまだ分からない部分が多い。
⇒2012年5月29日 (火):依然として不明朗な「藪の中」/原発事故の真相(32)
⇒2012年7月25日 (水)政府事故調の報告書/原発事故の真相(41)

特に、国会事故調報告書が「認識の共有化」として書いている次の一節は、われわれが深く心に刻むべきものと考える。
⇒2012年7月 6日 (金):国会事故調と大飯原発再稼働/花づな列島復興のためのメモ(104)

平成 23(2011)年 3 月 11 日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電所事故は世界の歴史に残る大事故である。そして、この報告が提出される平成 24(2012)年 6 月においても、依然として事故は収束しておらず被害も継続している。破損した原子炉の現状は詳しくは判明しておらず、今後の地震、台風などの自然災害に果たして耐えられるのか分からない。今後の環境汚染をどこまで防止できるのかも明確ではない。廃炉までの道のりも長く予測できない。一方、被害を受けた住民の生活基盤の回復は進まず、健康被害への不安も解消されていない。

今後の原発に関する議論は、上記のような認識から出発しなければならないはずであるが、野田政権にはそうした認識が欠如しているようだ。
野田首相は、今夏の電力需給の上で大飯原発の再稼働が不可欠であるとして、「国民のために」再稼働の意思決定をした。
そのことについても異論があるが、大飯原発敷地内の断層が活断層であるか否かをめぐって評定が続いている。
結論を断定できないならば、その間は安全側で対処すべきであることは児童でも理解する理屈である。
⇒2012年11月 3日 (土):大飯原発の活断層をどう考えるか/花づな列島復興のためのメモ(157)

しかるに、原子力規制委は関電に追加調査を要請するという。

 原子力規制委員会は関西電力大飯原発の「F―6断層」の現地調査から2回目となる7日の評価会でも、活断層か否かを判断せず、関電に追加調査を求めることになった。地元では、白黒をはっきりさせない規制委の姿勢にいらだちが募る一方、県内の他の原発にからむ断層についても慎重な調査を求める声が上がった。
http://mytown.asahi.com/fukui/news.php?k_id=19000001211080001

その間は、稼働を継続するということだ。
まるで、ガス漏れの疑いのあるコンロでやかんを沸かし続けるようなようなものだ、と言った人がいる。
もちろん、危険性は、ガスコンロと比ぶべくもない。
先ずは火を止めて点検すべきなのは言うまでもないことではないのか。

改めて規制委の任務を調べてみると、下記のようである(設置法3条)。

原子力規制委員会は、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資するため、原子力利用における安全の確保を図ること(原子力にかかる製錬、加工、貯蔵、再処理及び廃棄の事業並びに原子炉に関する規制に関すること、並びに国際約束に基づく保障措置の実施のための規制、その他の原子力の平和的利用の確保のための規制に関することを含む)を任務とする。

大飯原発の稼働問題について、「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全」に著しく違背しているのではなかろうか。

野田内閣の真摯さを疑わざるを得ないのは、同委の人事問題である。
政府は、規制委人事の国会同意を、通常国会に続いて臨時国会でも見送ることにした。
藤村官房長官によれば、「不承認のリスクがあるから」ということであるが、不承認のリスクとは何だろうか?

リスクの概念は多義的であるが、一般的には、「ある行動に伴って(あるいは行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する概念」 と理解されている。
Wikipedia
不承認すなわち危険に遭う可能性ということであろうか?
意味不明である。
損をするということならば、意味は通じるが、まさか・・・・・・

また、経済学においては、「ある事象の変動に関する不確実性」を指すといわれる。
承認か不承認か不確実だから、ということであろうか?

これは、当たり前であろう。
そのための国会同意である。
もしそういう意味だとしたら、規制委だけでなく国会軽視と言う他ない。

仄聞するところでは、秘かに解散ではなく、野田内閣総辞職のシナリオが練られているという。
野田内閣が死に体であるのは間違いないが・・・・・・

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2012年11月 7日 (水)

反面教師のロールモデルを果たした田中文科相

田中文科相の新設大学設置認可をめぐる騒動がマスコミを賑わしている。
昨日の静岡新聞のコラム「大自在」は次のように書いている。

 「やっぱり」「とうとう」―。問題となった言動よりも就任後1カ月間“無風”だったのを意外に感じた人もいるかもしれない。正規の手順でお膳立てされた3大学の新設を“ちゃぶ台返し”した田中真紀子文部科学相である▼大学教育が質より量になっている。世界に貢献する視点がほしい。学歴より真の学力が大切。問題意識は共有できるが、それがなぜ3大学の不認可になるのか。説明が足りない▼大学教育に関して積極的に発言してきたわけでもない。唐突感は、ご自身が「暴走老人」と批判した人にも比肩しよう。副大臣を含め省内でほとんど議論せずに、自分の考えだけで審議会答申を覆したことを認めている▼「大学設置認可の在り方を抜本的に見直す」という。事後対応ではなく、事前のふるい分けを厳しくしたいらしい。いわば規制強化論で行政改革の流れには逆行する。「総理にはご報告をしてあった」と言うが、政権の基本方針にも関わる大問題に思えるのだが▼話題を振りまいて課題を顕在化させ、議論の波を立てる手法はさすがではある。ただ、ぶち上げ方が「思いつき」と変わらないようでは、政治家として落第だ。ノーベル賞受賞者に洗濯機を贈るのとは違う。とばっちりを受ける人がいるのだから▼個人の多様性を尊重し、自立や生きがいにつながる教育を。見直しにはそんな理由も挙げていた。まさか大臣もかくあるべしと多様性を発揮し、役人から自立した姿を見せようとしたのではあるまい。暴走が生きがいにも見える人だけに、つい疑念を抱いてしまう。

私はこのコラムから、ロールモデルという言葉を思い出した。
辞書で確認すると、以下のようである。

ロール‐モデル【role model】
役割を担うモデル。模範。手本。「革命家の―にゲバラを挙げる」

一般的には、学ぶべき手本であろうが、反面教師ということもある。
ついでにこの言葉も辞書で確認してみよう。

悪い面の見本で、それを見るとそうなってはいけないと教えられる人や事例のこと。それを見ることで、反省の材料となるような人や事例。その言行が、そうしてはいけないという反対の面から、人を教育するのに役立つのでいう。

どういうところが反面教師たるゆえんか?
田中文科相の問題提起は、正論のようにも思える。

 記者会見での話はこんなふうだった。大学が多くつくられ、教育の質の低下が進み、就職難にもつながっている。大学間の競争が激しく、運営が問題化するところもある。相変わらずの審議会制度そのものを見直すべきだ、と。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012110602000140.html

確かに大学の数が多すぎるのでは、という気はする。
2000年に649校だった4年制大学は2012年で783校に、20%を越える伸び率である。
希望すれば、どこかの大学に入れるという状況である。
しかし、そのこと自体は悪いということではないだろう。
大学間の競争が激しくなっていることは、切磋琢磨を促しているのではないか。
その結果淘汰される大学も当然あるだろう。
教育を市場原理だけで考えるわけにはいかないだろうが、競争に耐え得ない大学を補助して延命させることはないだろう。

教育の質の低下は大学だけの問題ではない。
というよりもむしろ、大学以前の段階での教育のあり方を考えるべきだろう。
就職難は、就職先を選ぶ側の問題もあろう。
いわゆる3Kのイメージが広く流布してしまっている介護・看護職などは、慢性的な人不足で外国人の採用が検討課題になっている。

審議会制度は、実態をよく知らないが、仄聞するところでは、官僚の都合に合わせた人選が行われているようである。
しかし、これはこれとして解決すべきであり、個別の許認可問題とは別であろう。

実際問題として、大学の設置準備には、多くの時間と資金を必要とする。
学生募集等も勘案すると、できるだけ早い段階で是非を決定すべきだろうが、そうなるとペーパーだけの審査に依存する部分が多くなりそうであり、別の問題が起きよう。
橋下大阪市長は次のように語っている。

 橋下徹大阪市長は6日、田中真紀子文部科学相が3大学の新設を不認可とした問題について、「大学の需給調整は国の役割ではない。切磋琢磨にさらさないと、大学の発展はない」と述べ、田中氏の対応を批判した。市役所内で記者団に答えた。
 橋下市長は「大学の新規参入は認めるべきだ。(大学が)良いか悪いかはユーザーがきめればいい」とし、大学レベルの向上には大学間の競争が不可欠との考えを強調。その上で、「大学がつぶれたときに、学生が他大学に移れるようにするなどのセーフティーネットを作るのが国の役割だ」と持論を述べた。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121106/waf12110621480025-n1.htm

橋下氏の教育行政には批判が多いが、この問題に関しては正論だと思う。
最終的に、田中文科相は、再審査ということで幕を引くつもりになったようである。

 田中文科相は6日、記者会見を終えた後、再び会見場に姿を見せ、一転して3大学の再審査に言及した。文科省幹部によると、同省12階の会見場からエレベーターで移動したところで森口泰孝次官から「言い忘れたことはありませんか」と問われ、思い返して会見場に向かったという。
 田中文科相が3大学の不認可を表明したのは11月2日。省内では3大学の不認可を回避するため複数の案を作成し、5日に森口次官が大臣室に入ったという。混乱する事態の収拾を図ろうとしたとみられる。
 同省幹部によると、新たな検討会は、今週中に財界人など幅広い分野からメンバーを人選。田中文科相の了承を得た上で今月中に発足させ、財務状況や学生の募集状況の見込み、地域から要請があるかなど、現行より厳しい基準を設ける。その後、田中文科相が認可を最終判断する。年内の判断なら、来春開学に間に合う目算だ。

http://mainichi.jp/opinion/news/20121107ddm003040066000c.html

ところが、茶番劇はさらに急展開した。
衆院文部科学委員会で、午後になると午前までの主張を全面的に撤回し、現行基準の下での認可ということになった。

    あくまで3大学への不認可の撤回を固辞し、新基準のもとでの再審査を主張していた田中氏が同じ文部科学委員会の場で、既定方針を急転させたのは午後三時半を過ぎてから。来春の3大学の開学に向け、同委員会の川内博史委員長(民主)が「速やかな対応を」と求めたときだった。
 田中氏はこれに応えて、11月2日の不認可発表以来の発言をすべて覆す形で「3大学の認可については現行の基準や制度にのとって適切に対応したい」と述べた。
 閉会後の会見でも記者の質問に答え、不認可決定の撤回に加えて「この3校については認可します」と明言した。

http://www.j-cast.com/2012/11/07153100.html

落ち着くべきところに落ち着いたといえようが、「真紀子劇場」の自作自演の茶番劇である。
「新たな基準」で審査となると、ゲームの途中で、審判に合わせてルールを変えるようなものであって、さらに新たな問題を派生させることになる。
田中文科相は、見事に反面教師としてのロールモデルを演じたのではなかろうか。
それにしても、野田首相の適材適所の人事も、「お見事!」である。

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2012年11月 6日 (火)

『ゴジラ』論の変容/戦後史断章(6)

映画『ゴジラ』は、戦後史の中で、状況に応じてさまざまに論じられてきた。
そに一端を、笠井潔『8・15と3・11―戦後史の死角』NHK出版新書(1209)によって紹介した。
⇒2012年10月21日 (日):ゴジラは何の隠喩なのか?/戦後史(2)
以下、吉見俊哉『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)によって、さらに検討してみよう。

吉見氏は、以下のように言っている。

ゴジラを論じることは、紛れもなくビキニ環礁での第五福竜丸の被爆、アメリカの核戦略と被爆国日本の関係、そして広島、長崎の被爆の経験を論じることであり、さらには日本人の戦争経験を論じることでもあった。

つまり、ゴジラは、「戦後」という時代の主要なテーマをどう考えるかを判断するための試薬である、ということになる。
ゴジラ』が封切られたのは、1954年11月であった。
その直後には、否定的な批評が多かった。
当時の朝日新聞の映画評は、次のように酷評している。

(科学映画的なものに乏しいだくでなく)空想的なおもしろさもない。とくに、ゴジラという怪獣が余り活躍せず、『性格』といったものがないのがおもしろさを弱めた。……ただ、企画のおもしろさはあり、一般受けはするだろう。宝田明と河内桃子の二人の青年と娘の恋愛が、なにか本筋から浮いているが、これは構成上の失敗だった

また、読売新聞も同様であった。

ゴジラ自身に水爆実験のため平和な住まいを追われた悲劇味が何一つ出ていない。映画は、ゴジラ対策の人間側でいろいろ芝居をもりこむが、この処理がまったく拙い。荒唐無稽なものにせず、科学的な面も見せようという手段も実に不手際。特殊撮影だけがミソの珍品

当初の評価の低さに対し、90年代以降、『ゴジラ』は多くの論者に取り上げられ、繰り返し考察の対象になっていく。
それは、ゴジラが戦後の日米関係を象徴し、同時に日本の戦争と戦後の象徴でもあるという構造をひめていたからである。

佐藤健志氏は、1992年刊行の『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』文藝春秋(9207)で、「南太平洋で生まれた怪獣が少しずつ日本に近づき、ついには本土に上陸して東京を火の海にするという第一作『ゴジラ』の展開は、太平洋戦争後半の戦局をそっくりなぞったもの」と指摘した。
それは、米ソの冷戦やアメリカの世界戦略に巻き込まれて被害を受けるのではないか、という国民感情の反映で、底流に軍国主義や軍事超大国によって翻弄される被害者(佐藤氏も言葉では「ひがみ」)意識があると論じた。

余談ではあるが、佐藤氏は、政治学者佐藤誠三郎と弁護士佐藤欣子を両親とする保守派の評論家・作家である。
なるほどここにも「血脈」の流れを感じる。
⇒2007年12月 7日 (金):血脈…①江国滋-香織
⇒2007年12月 8日 (土):血脈…②水上勉-窪島誠一郎
⇒2009年6月26日 (金):太宰治と三島・沼津(4)

しかし、『ゴジラ』と破壊的他者であるアメリカの関係はより複雑であると考えるべきではないか。
五十嵐恵邦氏は、『ゴジラ』では「アメリカ」は徹底して名指しされない存在であるが、「敵として回帰し、戦争の記憶を呼び起こす。ゴジラが通過した後の東京のありさまは、アメリカの戦略爆撃の後の荒廃した光景、特に広島、長崎のそれを思い起こさせよう。病院のシーンでは、ガイガーカウンターによって、一見何の外傷のない子供も、放射線を被爆したことが明らかにされる」としている。
「ゴジラ」とアメリカによる空爆・原爆投下の結びつきは、明白である。

笠井潔氏は、『8・15と3・11―戦後史の死角』NHK出版新書(1209)において、川本三郎らの『ゴジラ』が戦没兵士たちの象徴ではないか、という説を紹介している。
⇒2012年10月21日 (日):ゴジラは何の隠喩なのか?/戦後史(2)

吉見俊哉『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)も川本説に触れている。

ゴジラは「銀座を破壊し、国会議事堂を破壊し、紀尾井町のNHKのテレビ塔をへし折り、その次に当然目標にしていい皇居を前にしてなぜか突然、くるっとまわれ右して海へと帰って行く」。

このことから、川本氏は、天皇制に呪縛された旧日本軍兵士の「痛ましさ」を読み取るのだが、吉見氏は、天皇=皇居を攻撃目標にしなかったのは米軍も同じであり、このゴジラの攻撃目標の選別には、旧日本軍兵士の「痛ましさ」と米軍の「狡猾さ」の両方が含まれていると考えるべきだろう、としている。
加藤典洋氏についても、笠井氏と同様、吉見氏も触れており、「ゴジラが日本の戦後における死者の『行きどころのなさ』を体現する見事な客観的相関物」という規定を紹介している。

「核放射能によって異常成長を遂げたゴジラは、こうして、かつては日本の国家の自存自衛と東洋の白人支配の打倒のための戦争に散った死者であり、かつまた、アジア諸国を蹂躙し二千万の死者をもたらした侵略戦争の先兵であり、いまとなっては意味づけようのない否定されるべき戦争えの加担者という、戦争の死者の多義性だけでなく、東京大空襲の米軍でもあり、アジア空襲の日本軍であり、かつまた原水爆の落とし子であると同時に原水爆そのものでもあるという、戦後日本全体の核心部をなす構造的な多義性」を帯びるのだ

これらの「ゴジラ」論を吉見氏は次のように整理する。

ゴジラ解釈の方向としては、これを過去の「戦争の記憶」と結びつける方向と、未来の「核戦争の恐怖」と結びつける方向の二通りがあり、またこれを「他者としてのアメリカ」と、「自己としての日本」と結びつける方向の二通りがある。この二軸を交差させるならば四通りの解釈パターンが示されるが、未来×他者という結びつきは、同時代の原水爆ものとの共通性を強調する方向に向かうことになるし、過去×自己という結びつきは、この映画をむしろ同時代の原水爆ものの映画とは異なる特異性において理解していく方向に向かうことになる。

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2012年11月 5日 (月)

『ゴジラ』とアメリカ映画の物語構造の類似性と差異/戦後史断章(5)

冷戦初期において、原水爆のモチーフは、映像にも用いられた。
吉見俊哉『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)には、核戦争をモチーフにした50年代のSF映画として、次のような作品が紹介されている。

1953年『原子怪獣現わる』
北極圏の氷の中に長らく眠っていた太古の怪獣が、核実験の影響で蘇り、ニューヨークに上陸する。
怪獣を追跡する古生物学者と美人助手が主要な登場人物で、最後はアイソトープ弾を撃ち込まれた怪獣が絶命する。

1954年 『放射能X』
ニューメキシコでの度重なる核実験の影響で巨大化したアリの群れが人間を襲う。ロサンジェルスにも襲来して軍隊と衝突。
アリ学者の老博士とその娘、若くてハンサムなFBI捜査官が主人公。

1955年『水爆と深海の怪物』
水爆実験の影響でサンフランシスコ湾岸に、巨大タコが出現。上陸しかけた巨大タコは原子力潜水艦からの攻撃で仕留められる。

これらの作品と、『ゴジラ』とは、基本的な物語の構造がよく似ている。
①巨大生物が原水爆実験の影響で出現する
②その因果関係を説明するのは老科学者
③老科学者には、美人秘書か娘がいて、手助けをする
④怪物と対決する若い科学者、将校、捜査官、新聞記者などが、老科学者を現場に導きいれる
⑤若者と美人秘書や娘が結ばれることが暗示される

こうしてみると、『ゴジラ』とハリウッド映画との同時代性は明らかである。
しかし、吉見氏は、これらの50年代のアメリカ製の作品と、『ゴジラ』には根本的な差異が存在するという。
ゴジラ』の迫力は、同時代のハリウッドの「水爆もの」の迫力を易々と凌駕している。

それは、どうしてか?

物語構造が類似であるのに、印象がずいぶん異なる。
それは、怪物の造形の差によるものであろう。
それでは、アメリカの作品における怪物はなぜ貧弱なレベルにとどまり、『ゴジラ』だけが圧倒的な優位性を持てたのか?

アメリカ作品の怪物が貧弱なレベルにとどまったのは、怪物たちが表象したのが、「原水爆」そのものではないことによる。
怪物たちは市民生活を脅かす存在ではあるが、最終的には米軍や警官隊に取り囲まれ、科学者の活躍や特殊兵器(しばしば核兵器)によって、息絶える。
つまり、怪物が表現しているのは、「原水爆」の恐怖ではなく、核を保有する共産主義の恐怖である。

原水爆によって作り出された怪物を殺すには、原水爆が必要だ。これが軍備競争の論理である。
チョン・A・ノリエガ

これに対し、『ゴジラ』が表象したのは、原水爆の恐怖そのものであった。
ゴジラは、ビキニ沖で被爆した第五福竜丸の隠喩であり、原子爆弾そのものの隠喩であった。
そして重要なことは、『ゴジラ』による破壊のイメージは、アメリカ作品のような未来の恐怖を煽る反共プロバガンダとしてではなく、主要都市が廃墟と化した生々しい記憶と結びついていることである。

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2012年11月 4日 (日)

冷戦と原水爆の肯定的位置づけ/戦後史断章(4)

映画『ゴジラ』は、どうやら私が考えていたレベルを超えて、戦後史において大きな位置を占めているらしい。
⇒2012年10月21日 (日):ゴジラは何の隠喩なのか?/戦後史(2)

私は単純に香山滋の原作があって、それを映画化したものだと考えていた。
そこで原作を読むつもりで小説版を読んだのだが、実際は田中友幸プロデューサー(東宝)による映画の企画が先にあって、香山が台本を書いたという経緯だった。
私が読んだのは、いわゆるノベライズの作品である。
⇒⇒2011年5月 9日 (月)誕生の経緯と香山滋/『ゴジラ』の問いかけるもの(1)

それでは、田中プロデューサーはどうして発想したのだろうか?
吉見俊哉『夢の原子力: Atoms for Dream』ちくま新書(1208)によると、原子力怪獣というような一群の映画が、『ゴジラ』に先行してハリウッドでハリウッドで製作されていたらしい。 
そして、その前史には冷戦期の初期に、アメリカ大衆文化の中で原水爆が重要な位置を占めていたらしい。
原水爆の破壊力が、東(共産主義)陣営に対抗する上で大きな役割を占めると期待された。
日本のヒロシマ、ナガサキに次ぐ第三の被爆である第五福竜丸はビキニ環礁における水爆実験によるものであった。
女性の露出度の高い水着、すなわちビキニ、はこの実験地であったことに由来する。

水着のビキニの場合、一九四〇年代末にこれが最初に考案されたときには、文字通り「アトム」と名づけられてもいたようだ。ビキニ=水着は、それを身につけた女性が周囲の男たちに与える「破壊的刺激」が「アトム=原爆」に喩えられ、やがてその実験が集中的に行われていた「ビキニ環礁」の海と「原爆級に刺激的な」水着の女性というイメージが合体して現在の名称が確立していくのである。
p200

被爆者からすれば何ともノーテンキなネーミングということになるが、核爆弾はアメリカの大衆には肯定的に捉えられていたのである。
『アトミック・カクテル』『アトミック・ベイビー』『ウラニウム・フィーバー』『放射能ママ』などの歌は、いまではブラック・ユーモアかと思うようなタイトルであるが、大衆音楽としてヒットしたものだという。

その1つに、1957年に女性ロカビリー・シンガーだったワンダ・ジャクソンが歌った『フジヤマ・ママ』という曲があるそうである。
「フジヤマ・ママ」は、ビキニに象徴される原爆の「破壊的刺激」とオリエンタリズムを結びつけたものであるが、「被爆側に対する徹底的な鈍感さ」と吉見氏は言っている。
しかも、驚くべきことに、ワンダ・ジャクソンは1959年に、日劇のウェスタン・カーニバルに出演し、日本の聴衆は熱狂した。
私は、片田舎の中学生だったから、日劇ウェスタン・カーニバルなるものがあることは知っていたが、その内容についてはまったく無知だったし、関心もなかった。
しかし、後年、同世代の人に、結構ロカビリー・ファンがいたことを知った。

原水爆のモチーフは、もちろん音楽だけに取り入れられたわけではない。
ハリウッドでも行われた。
しかし、音楽に比べ映像はより具象的であるから、扱い方が難しい。
冷戦の初期においては、受容され得るストーリーは、「「悪辣な」共産主義の攻撃に対する「自由の」アメリカの圧倒的勝利」だけだったが、軍や政府の広報のような映画は、基本的には面白くないだろう。

そして、このような「面白くなさ」を打破する工夫として考えられたのが、「放射能の主体を隠喩のレベルにとどめる」ことであった。
典型的には、「原水爆実験の影響を受けて蘇った太古の怪獣や巨大化した昆虫」である。
1950年代のアメリカでは、そういう映画が何本も作られている。

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2012年11月 3日 (土)

大飯原発の活断層をどう考えるか/花づな列島復興のためのメモ(157)

再稼動の是非をめぐって、賛否両論が対立している関西電力大飯原発(福井県おおい町)の敷地内を走る「F-6断層(破砕帯)」が、活断層である疑いを持たれている。
調査のため、原子力規制委員会の調査チームが現地調査を行った。
関西電力は、10月31日、敷地内を走る断層「破砕帯」について、「活断層であると確認できない」とする中間報告を原子力規制委員会へ提出したが、結論はどうだったか?

破砕帯について、渡辺満久・東洋大教授が「活断層の可能性を否定できない」と指摘していた。
ボーリング調査や、断層面を掘り出すトレンチ調査などを行った結果、北側の海に近いトレンチで、関電がないとしていた断層を確認し、原子炉に近い山頂のトレンチでは、過去に断層が動いたことを示す粘土を確認した。
121103
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012110302000108.html

調査チームは4日に、調査結果について議論するが、活断層かどうかの確認には時間を要するだろう。
断層が動いた年代を特定しなければならないからで、鉱物の詳しい分析や再調査が必要になる可能性があるからだ。
活断層と判断されれば、原発の耐震設計審査指針に反し、規制委は運転停止を求める見通しである。
しかし、この規制委の考え方は、活断層と確認されるまでは運転を認めるということである。
安全性の考え方が逆立ちしていると言わざるを得ない。
⇒2012年10月24日 (水):活断層定義問題と大飯原発の稼働/花づな列島復興のためのメモ(154)

「疑わしきは罰せず」という法理がある。
疑わしい、つまりグレーである場合には、疑われている側(被告)に有利になるように判断するということである。
しかし、安全性の考え方については、「疑わしきは罰する」とすべきであろう。

事故を未然に防ぐために、製造現場や工事現場などでは、「安全第一」という考え方が定着している。
⇒2012年6月 5日 (火):「なし崩し」に壊れていく「国のかたち」/花づな列島復興のためのメモ(77)

また、医学でも、「治療よりも予防」と言われる。
私のように、脳梗塞の後遺症のある身には、もっと注意すれば良かったと思っても、後悔先に立たずである。
⇒2011年10月 8日 (土):『沈黙の春』と予防の論理/花づな列島復興のためのメモ(8)/因果関係論(10)

規制委が活断層と認定しても、運転停止や廃炉にする法的な権限はないという。
「規制」の言葉が泣く、といいたいが、法整備がされるまでは、政治主導で取り組むべきだろう。

再稼動を検討していた時、関西電力が故意に活断層隠しをしていた疑惑も指摘されている。

北側断面図をもっと分かりやすくすると、こうなります。
Photo
2012年6月14日 テレビ朝日「モーニングバード」より

  バックチェックの専門委員会でも、関西電力も保安院も北側断面図を隠し続け、F- 6断層は活断層ではない、という結論になりました。
http://onndannka.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-909a.html

関西電力の姿勢も検証されなければならないだろう。

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2012年11月 2日 (金)

大手電機メーカーは恐竜か?/花づな列島復興のためのメモ(156)

大手電機8社の9月中間連結決算が発表された。
東芝とNECを除く、6社の最終損益が赤字または大幅な減益である。
121102
静岡新聞121102

中でも、パナソニックとシャープの家電2社は巨額損失を計上した。
薄型テレビなどデジタル家電の価格下落に対応できずに競争力を失っているのが主因である。
いわゆるコモディティ化現象といえよう。

 ある商品カテゴリにおいて、競争商品間の差別化特性(機能、品質、ブランド力など)が失われ、主に価格あるいは量を判断基準に売買が行われるようになること。一般に商品価格の下落を招くことが多く、高価な商品が低価格化・普及品化することを“コモディティ化”という場合もある。
・・・・・・
 一般にコモディティ化が起こりやすいのは、機能や品質が向上してどの製品・サービスでも顧客要求を満たす(オーバーシュート)ようになり、さまざまな面で参入障壁が低く、さらに安定した売上が期待できる市場においてである。
・・・・・・
 コモディティ化が起こると、競争激化によって価格が下落し、企業収益が悪化する。
http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/commoditize.html

特に、経営再建中のシャープは、「継続企業の前提に関する重要な疑義」が存在すると発表した。
「重要な不確実性」については、否定した。
「継続企業の前提」とは、企業が将来も事業活動を続けられる、という前提であり、普通は当たり前のことであるが、本業の赤字などで懸念がある場合には、決算短信などに「重要な疑義」と記載して、投資家に周知しなければならない。
対策をとっても不確実性が残る場合には、「重要な不確実性がある」ことを記載しなければならない。

シャープは、創業100年の歴史上初めて「継続企業の前提に関する重要な疑義」の存在を認めざるを得なくなったのである。
ついこの間まで、輝いていたにも拘わらず、である。
⇒2012年4月 5日 (木):AQUOSブランドの凋落/花づな列島復興のためのメモ(47)

3月末の本決算発表時までにV字回復できなければ、「不確実性」についても記載せざるを得なくなる可能性があるだろう。
会社更生法の適用を受けた半導体大手のエルピーダメモリのことを想起せざるを得ない。
同社は、「疑義」と「不確実性」を記載した結果、破綻した。
⇒2012年2月28日 (火):硅石器時代とエルピーダの破綻/花づな列島復興のためのメモ(29)

急激な環境変化にのたうち回る巨大企業の姿は、約6,550万年前の白亜紀末期に絶滅したといわれる恐竜を連想せざるを得ない。
⇒2010年7月 4日 (日):「恐竜の脳」の話(7)恐竜とは何か

そして、白亜紀末を生き延びた種と絶滅した種には、それぞれ相応の原因があったと思われる。
結果論として考えても、諸説があるのだろうが。
⇒2010年7月 6日 (火):恐竜はなぜ絶滅したのか?/因果関係論(6)

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2012年11月 1日 (木)

「集合知」と「集合愚」の分水嶺/知的生産の方法(23)

1人で考えるよりも、3人で考えた方が、より優れたアイデアが浮かぶ。
「三人寄れば文殊の知恵」という諺には、そういう前提があるだろう。
幸いにして、現代はネットが発達している。
大勢の人間が、時空の制約なく知恵(意見)を出し合える。
それでは、より良い知恵が出しやすくなった、と言えるのかどうか?

「衆知=集合知」に対して、「衆愚=集合愚」というものは存在しないのだろうか?
TVや週刊誌などを見ている限り、「衆愚」を実感せざるを得ない。
かくいう私も、そのような大衆の1人であることは間違いないが。

「集合知」と「集合愚」はどこで分かれるのだろうか?
10月21日の「NHKスペシャル」は、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授へのインタビューだった。
インタビュアーは国谷裕子キャスターである。

いくつか興味深い話があったが、山中教授が「仮説(予想)が裏切られた時こそ重要だ」と強調していた。
実験で自分の見込み(仮説、予想)に反した結果が出たとする。
普通は、仮説通りの結果が出なければ、「残念だった」と考えるか、精々実験のやり方を間違えたかな、と思うくらいであろう。
とことが、山中教授は、そういう時こそ「心躍る」のだという。

実験結果をありのままに受け取る。
「自然の懐は深く、まだまだ分かっていないことがある」というように思えるかどうか?
私も、論理としては、「知れば知るほど知らないことが増える」という説の信奉者だ。
⇒2008年8月 8日 (金):2年目を迎えて

しかし、実際の場面では、なかなか先入観を捨てるのは難しい。
「言うは易く、行うは難し」というのが、馴質異化、異質馴化である。
⇒011年1月30日 (日):馴質異化と異質馴化/「同じ」と「違う」(27)
⇒2011年1月18日 (火):馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)
⇒2011年1月29日 (土):異質馴化-斎藤美奈子さん江/知的生産の方法(8)

山中教授は、自分の仮説が裏切られた時こそ独創のチャンスと言われた。
まさに、市川亀久彌氏の等価変換理論やシネクティクスの教えるところでもある。
⇒2012年9月 1日 (土):シネクティクスとメタファー/知的生産の方法(21)

要は、実験事実が示すところを虚心に受け止めよ、ということであるが、凡人にはそれが難しい。
というのは、人間が感情の動物であるからだろう。
多くの人は、自分の価値観を変えることに抵抗がある。
たとえ論理的に説得されても、イヤなもの(こと)はイヤなのである。

ネット上には多数の言説が飛び交っている。
人は、自分の価値観に合致した言説を受け入れがちである。
そのような言説は、広大なネット空間をブラウジングすれば、いくらでも見つかるであろう。
かくして、その人は自分の考えを、他の人の意見で補強する(したつもりになる)。
すなわち、硬直化である。

異質馴化と馴質異化は、基本的にはアタマの柔らかさを必要としている。
「暴走老人」というのは、アタマが硬直化した人のことであろう。

おそらく、クレバーな人ほど異なる意見を参考にするが、そうでない人は自分の意見と異なる見解を受け容れたがらないだろう。
すなわち、衆愚の発生である。
そこに、「集合知」と「集合愚」の分水嶺があるように思う。

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