日中関係と「東京裁判」史観/満州「国」論(4)
先般亡くなった吉本隆明の代表作といわれているのが『共同幻想論』河出書房新社(1968)である。
私は工学系の学科だったためか、周りに熱心な読者は少なかったように思う。
しかし、多少でも「論壇」(この言葉も死語同然のようだが)に目配りをしていれば、同世代に大きな影響を与えたことはよく感じ取られた。
それにしても、少なくとも私にとっては、論旨を追いにくい書であった。
畢竟するところ、吉本は、国家の本質を「共同幻想」であるとした。
それでは、「共同幻想」とは何か?
それを吉本は、個人幻想、対幻想と対比して位置づけられるとしているが、その論証を、『古事記』と『遠野物語』“だけ”を論拠に行おうとしたのである。
戦中派の吉本にとって、わが身を捧げる覚悟だった国家とは? あるいは天皇制とは?
大東亜戦争は無意味な侵略戦争に過ぎなかったのか?
吉本が辿りついた結論は、国家の本質は、宗教の延長線上にある共同幻想、ということだった。
それでは、満州「国」は、果たして「国家」だったのか?
武田徹『偽満州国論』河出書房新社(9511)は、吉本国家論を参照しながら、「満州国」を題材に国家の本質を考察したものである。
「満州国」は、1932年3月1日に忽然と姿を現し、1945年8月18日に跡かたもなく消えていった。
13年5カ月ばかりのカゲロウのような存在を、はたして「国家」と呼び得るのだろうか?
「満州国」は、折に触れ論じられはするが、次第にその実体を知る人は少なくなっている。
私も、もちろん具体的な実体を知る世代ではない。
しかし、私たちの世代は、「赤い夕陽の満州」になんとなくノスタルジックな感情を呼び起こされる。
また、リサーチャー時代には、「満鉄調査部」というのは、ある意味で憧れの存在であった。
『偽満州国論』の著者の武田氏は1958年生まれ。本書を上梓した時点では30歳代半ばである。
私よりずっと若い。
そのような世代にとって、「満州」はどのような角度から関心が寄せられ、どのように論じられているか?
現在、私が物心ついてから最大級に日中関係が緊迫しているように見える。
私には、中国人の反応はいかにも短絡的で、成熟していないようにも思える。
たとえば、9月9日、ロシア・ウラジオストクで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の会合前に、野田首相は胡錦濤国家主席と立ち話をした件について、田原総一朗氏は次のように解説している。
野田首相が「日中関係については大局的観点から対応したい」と話しかけると、胡錦濤氏は「中国は(日本が)島を購入することに断固反対する」と怒りをあらわにしたとされる。
ところが、その2日後の11日、政府は尖閣諸島の「国有化」を閣議決定した。APECでの立ち話は一体何だったのか。発言が無視された胡錦濤氏のメンツは、丸つぶれとなったのである。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20121004/325729/
いわゆる「メンツが潰された」ことが、反日の嵐となった?
それでは極道の世界と同じではないか、という見方も、二枚舌で国民の怒りを買っているのと同じ構造ではないか、という見方もできよう。
私は、先ずは真摯に向き合う態度が必要だと思うが。
少し、日中関係の近・現代史を振り返ってみたい。
満州事変にはじまる日中戦争から太平洋戦争(私は総称して「東亜・太平洋戦争」が妥当だと考える)に至る時期の日本の活動をどう評価するか?
1つの立場は、いわゆる「東京裁判」史観である。
私が義務教育を受けた頃は、ほとんどの教師がこの立場に立っていたように思う。
「東京裁判」史観とは何か?
満州事変は関東軍の謀略であり、成立した満州国は傀儡国家であった。
満州国成立後も軍部の独走により、無謀にも米英を主敵とした太平洋戦争に突入した。
日本の大陸進出は、不当な侵略であり、日本国は犯罪者として裁かれるべきである。
「東京裁判」は、戦争の勝者が敗者を裁いたものである。
勝者の立場から、敗者が断罪された。
そうした見方からすれば、「満州国」という国家はなかった。
武田氏の大学院時代、中国近代史を研究する同僚が中国東北部に旅行に行ったことがあった。
持ち帰った観光用パンフレット(日本語表記バージョン)を見ると、1つの漢字が繰り返し使用されていた。
偽国務院、偽皇居、偽法務院……
それは、満州国時代に作られ、現在(武田氏の大学院時代)も使用されている建物だった。
満州国は「なかった」のだから、それらの建物は、形は残っていても機能は「なかった」ということである。
武田氏も、基本的には「東京裁判」史観の下で育ったから、「満州国」が「なかった」ということは理解できる。
しかし、こうまで激しく「なかった」ことを主張されることには「違和感を覚えないでもない」としている。
現在の尖閣問題に対する主張の激しさも、同様に、「違和感を覚えないでもない」のではなかろうか?
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