自民党総裁選の決選投票をめぐる因縁/戦後史断章(1)
自民党の総裁選は、第1回目の投票で2位だった安倍氏が、1位だった石破氏を破った。
40年ぶりの決選投票で、逆転勝利は56年ぶりのことだ。
自民党総裁選は26日午後、東京都千代田区の党本部で投開票され、安倍晋三元首相(58)が新総裁に選出された。党員・党友による地方票(300票)で過半数を獲得した石破茂前政調会長(55)が1回目の投票でトップに立ったが、国会議員票(198票)だけによる決選投票で逆転した。決選投票は40年ぶりで、決選で逆転したのは56年ぶりとなる。
http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY201209260314.html
総裁選の顔ぶれ自体には、正直なところあまり興味が湧かなかった。
⇒2012年9月10日 (月):嘆くべきか、嗤うべきか、民自両党党首選の猿芝居
⇒2012年9月14日 (金):民自両党の党首選候補者/花づな列島復興のためのメモ(141)
⇒2012年9月21日 (金):野田氏のポジショニングは自民党総裁候補と無差別
しかし、56年前の総裁選の逆転劇は、戦後史の1つの画期だったように思われる。
1956年12月14日に行われた総裁選は、鳩山一郎前総裁が、モスクワでの日ソ共同宣言への署名により日ソ国交正常化を果たし、引退の意思を表明したことにより始まった。
1955年11月15日に、自由党と日本民主党の保守政党が合同して、いわゆる「保守合同」が成った。
これに先行して、左右両派に分かれていた日本社会党が再統一していたので、「55年体制」という戦後の歴史を規定する枠組みが整ったことになる。
この総裁選に、岸信介、石橋湛山、石井光次郎が立候補した。
保守合同に至るさまざまな思惑や駆け引きが背景にあったので、争いは熾烈を極めた。
1回目の投票で1位の岸が過半数を獲得できなかったため、決選投票となり、石橋が当選した。
私が小学生の時のことであるが、石橋が私の住んでいる地域の選出だったこともあり、かなり鮮明に覚えている。
当時は中選挙区制であったが、石橋は静岡県東部(静岡2区)という区割りの選挙区だった。
石橋は、戦前は『東洋経済新報』を拠点にしたジャーナリストだった。
一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱えた。
岸が満州国の高級官僚だったことを考えると、「石橋VS岸」は宿命的な関係ともいえる。
鳩山引退後、アメリカ追従を主張する岸に対して、石橋は社会主義圏とも国交正常化することを主張した。
決選投票での逆転には石橋派参謀の石田博英の働きが大きかったといわれる。
組閣は難航した。
岸支持派との間でしこりが残り、石橋支持派内部においても閣僚や党役員ポストの空手形乱発が行われたためである。
そのため、一時的に石橋自身が全ての閣僚の臨時代理・事務取扱を兼務して一人内閣として発足した。
日本を反共の砦としたいため、岸の勝利を望んでいたアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは狼狽したらしい。
混乱は、岸を副総理で迎えることにより、なんとか収拾した。
内閣発足直後に石橋は全国の遊説行脚を敢行して、有権者の意見を積極的に聞いてまわった。
しかし帰京した直後に、脳梗塞により自宅の風呂場で倒れる。
石橋は「私の政治的良心に従う」と潔く退陣を表明した。
石橋はかつて『東洋経済新報』で、暴漢に狙撃されて帝国議会への出席ができなくなった当時の濱口雄幸首相に対して、退陣を勧告する社説を書いたことがあった。
もし国会に出ることができない自分が首相を続投すれば、当時の社説を読んだ読者を欺く事態になると考えたのだといわれる。
岸の代読による石橋の退陣表明を聞いた日本社会党の浅沼稲次郎書記長は石橋の潔さに感銘を受け、「政治家はかくありたいもの」と述べたと言う。
石橋の後を継いだ岸は、「60年安保」の当事者として戦後政治史に名を残す。
岸の評価はともかく、自民党新総裁の安倍氏の母方の祖父が、岸であるのは奇妙な因縁である。
私にとっては、56年前の逆転敗北を裏返したような既視感のような感覚である。
安倍氏によって、果たして政権奪回となるのであろうか?
それにしても、自民党の今回の総裁選を眺めていて、「石橋VS岸」の争いに比べると軽量級の感は否めない。
「石橋VS岸」の争いは、国家像を賭けた争いだった。
同時に、石橋の出処進退の見事さが改めて偲ばれる。
民主党が自民党を超えようとするなら、一度は引退を口にしながら、いつまでも影響力を行使しようとする鳩山由起夫氏や、延命のため詐欺師まがいの言動をする菅直人氏に引導を渡すべきであろう。
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