「霞ヶ関文学」と「東大話法」はメダルの表裏/花づな列島復興のためのメモ(149)
わが国のプライオリティが東日本大震災からの復興に置かれるべきことに反対意見はないだろう。
そのためには増税もやむなし、というのが大方の国民の考えではないかと思われる。
昨年11月に復興財源確保法が成立して、臨時増税が決まった時も、消費増税の時のような反対の声はなかった。
しかし、復興財源が本当に復興に有効に使われているのかどうか、疑問なしとは言えないようだ。
東日本大震災の復興予算を使って経済産業省が民間企業の設備投資に補助金を交付する「国内立地推進事業」は、補助対象510件(総額2950億円)のうち被害が著しい岩手、宮城、福島の3県での事業が約30件しか含まれていない。一方、補助金の受け手にはトヨタ自動車、キヤノン、東芝などの世界的大企業の名も。被災地からは「復興に乗じた補助金のばらまきでは」との声も聞こえる。
http://mainichi.jp/select/news/20121008k0000m010049000c.html
復興予算が必ずしも被災地のために使われないのは、「霞ヶ関文学」と称される官僚特有のレトリックによって、拡大解釈が出来るようになっているからであるといわれる。
法律や行政文書は、厳密に書かれているようで、およそ一般人の理解を超越したような解釈が可能であるようだ。
変幻自在に拡大解釈できるような文言を盛り込むテクニックが、「霞ヶ関文学」と呼ばれるものの特徴である。
⇒2011年7月11日 (月):震災復興会議の提言と「霞ヶ関文学」/花づな列島復興のためのメモ(2)
⇒2012年8月28日 (火):「脱原発」と「脱原発依存」/「同じ」と「違う」(50)
東日本大震災復興対策本部が定めた「東日本大震災からの復興基本方針」(平成23年7月29日)は、東日本大震災復興基本法の「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れる」と規定された理念を具体化したものだ。
その中に、次のような文言が盛り込まれている。
「日本経済の再生なくして被災地の真の復興はない」
この文言は政治サイドの要求で入ったといわれるが、この文章により、幅広い事業が復興の名目で行われることが可能になったとされる。
核融合エネルギーの研究費に約四十二億円、調査捕鯨事業に二十三億円、東京の国立競技場の補修に三億三千万円…。
これらは、復興予算の一端である。
一方、被災した中小企業を支援する補助金の交付については、約63%が「国の予算が足りない」などの理由で申請を却下された、と報じられている。
被災地が必要としているところに資金がまわらず、復興とは距離感のある事業に使われている。
復興増税は、所得税が来年1月から25年間にわたり、納税額に2.1%を上乗せ、個人住民税が年収に関係なく一律で年間1000円が2014年6月から10年間である。
これだけ長期の増税が、復興と直接には関係しない事業に使われるとは、納税者の「想定外」ではなかろうか。
「霞ヶ関文学」の主要な書き手は、東大法学部の卒業生を中心とする中央省庁の官僚であろう。
同時に、彼らは、「東大話法」の使い手でもある。
「東大話法」について、Wikipediaでは次のように解説している。
安冨(歩・東大教授)は、福島第一原子力発電所事故をめぐって、数多くの東大卒業生や関係者が登場し、その大半が同じパターンの欺瞞的な言葉遣いをしていることに気づいた。安富は原発がこの話法によって出現し、この話法によって暴走し、この話法によって爆発したと考察し、まず「言葉を正す」ことが必要ではないかと考えた。そのためのすべての人への防護指針として提案したものである。安冨の提示した東大話法の概念は「常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのように装い、さらにその主張を通すことを可能にしてしまう、論争の技法であると同時にそれを支える思考方法」というものである。
東大話法は自分の信念や感覚にもとづくものではなく、相手を言いくるめ自分に従わせるための、言葉を使った暴力だと説明される。この話法は東京大学の教授や卒業生だけが使う技術というわけではないが、使いこなせる能力を有する人は東大に多く集まっているのも事実だという。学者、官僚、財界人、言論人にも、この話法の使い手や東大話法的思考をもつ人がいるとされる。さらに、権力の集まる場所にいる人の多くが東大話法を操っており、その技術が高い人が組織の中心的役割を担うようになる、これは国民にとって大変な不幸である、と述べている 。
福島第一原発事故が「東大話法」を浮き彫りにしたわけである。
⇒2012年9月16日 (日):「東大話法」では包み隠せない民主党政権の「三百代言」/花づな列島復興のためのメモ(143)
⇒2012年9月20日 (木):もはや嗤うしかない「革新的エネルギー・環境戦略」の「東大話法」
大震災からの復興の中で、「霞ヶ関文学」も正体を現すことになろう。
「霞ヶ関文学」と「東大話法」は同根であり、メダルの表裏であろう。
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 際立つNHKの阿諛追従/安部政権の命運(93)(2019.03.16)
- 安倍トモ百田尚樹の『日本国紀』/安部政権の命運(95)(2019.03.18)
- 平成史の汚点としての森友事件/安部政権の命運(92)(2019.03.15)
- 内閣の番犬・横畠内閣法制局長官/人間の理解(24)(2019.03.13)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 暫時お休みします(2019.03.24)
- ココログの障害とその説明(2019.03.21)
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 野党は小異を捨てて大同団結すべし/安部政権の命運(84)(2019.03.05)
「花づな列島復興のためのメモ」カテゴリの記事
- 公明党の存在理由/花づな列島復興のためのメモ(336)(2014.06.29)
- 2014年W杯敗退の教訓/花づな列島復興のためのメモ(335)(2014.06.28)
- 「失言」体質と自民党の病理/花づな列島復興のためのメモ(334)(2014.06.26)
- ホンネの表出としての失言/花づな列島復興のためのメモ(333)(2014.06.23)
- 品位を欠く政治家にレッドカードを!/花づな列島復興のためのメモ(332)(2014.06.20)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント