吉本隆明氏の戦争観と満州事変/満州「国」論(8)
吉本隆明氏は、戦後、最も大きな影響力を持った人だろう。
私自身、余り良い読者とは言えないが、特に初期の論考に大きな影響を受けたと自覚している。
⇒2012年3月16日 (金):さらば、吉本隆明
吉本氏の戦争観は多くの著書に書かれているが、『私の「戦争論」』ぶんか社(9909)は、そのものズバリのタイトルである。
田近伸和氏をインタビュアーとして、戦争観を語ったものを編集してできあがったものである。
全体は、次の5章で構成されている。
第一章 小林よしのり『戦争論』を批判する
第二章 「新しい歴史教科書をつくる会」を批判する
第三章 保守派の「思想」を批判する
第四章 私は「戦争」をこう体験した
第五章 人類は「戦争」を克服できるか
ここで問題にしようとしている満州事変に直接触れている箇所はないが、「他国の領土内で行う戦闘行為は「侵略」である」という項目は、満州事変のことにも該当すると考えられる。
第一次大戦後、国際連盟は総会で、「すべての侵略戦争を禁止する決議」を行った。
しかし、「侵略」の定義が共通認識になっていない状態での決議だった。
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、英語:World War I)は、1914年から1918年にかけて戦われた人類史上最初の世界大戦である。
ヨーロッパが主戦場となったが、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦した。
第一次世界大戦
国際連盟(こくさいれんめい、英語:League of Nations)は、第一次世界大戦の教訓から、1919年のドイツとのヴェルサイユ条約、および中央同盟国との諸講和条約により発足した。連盟としてのはじめての会合は1920年1月16日にパリで、第一回総会は1920年11月15日スイス・ジュネーブで開催された。史上初の国際平和機構であり日本では連盟と略されることもある。連盟本部はスイスのジュネーヴに置かれていた。
国際連盟
吉本氏は、「侵略とは何か?」という問いには、次の1つのことだけしか言えないだろう、と言う。
戦争をしている国同士ががあって、相手国の領土内で行われた戦闘行為があった場合、その相手国への「侵略である
先の戦争では、日本軍は中国に出て行って中国で戦闘行為を行っている。
日本軍が「侵略」を行ったことは否定できない。
この点でいえば、満州事変は、明らかに日本(関東軍)の行った侵略行為だった。
「相手国の領土内」という言葉から連想されるのは、帝国主義および植民地であろう。
帝国主義(ていこくしゅぎ、英語: imperialism)とは、一つの国家が、自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを拡大するため、新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策。
帝国主義
植民地(しょくみんち)とは、国外に移住者が移り住み、本国政府の支配下にある領土のこと。
植民地
吉本氏は、「帝国主義戦争」という言葉を、倫理的な意味合い(=善悪の問題として)で使うようになったのはレーニン以降であり、マルクスは倫理的な意味では使わなかった、という。
マルクスは、植民地化には害と利の両面があるとしている。
吉本氏が、レーニンを非、マルクスを是としていることは、文脈からして明らかである。
吉本氏は、日本軍や日本の官憲の評価は、支配地の現地で何をしたかによる、という。
もちろん、スローガンが良くてもふるまいが悪ければ非難されても仕方がない、ということを言っているのであるが、他国の領土を支配すること自体は、必ず、しも非難されるべきことではない、と読める。
本当にそうだろうか? という疑問が湧く。
それは、戦争をして負けたのはアメリカに対してであって、太平洋の島々が戦地であり、アメリカさえいなければ勝っていたかもしれない、という言葉についても同様である。
だいたい、アメリカは、自国内で戦闘行為を行っていないではないか。
先の定義からすれば、アメリカは一貫して侵略国ということになる。
吉本氏は、アジアの国々のことは、余り眼中にないようである。
やはり、違和感を覚えずにはいかない。
ところで、小林よしのり『戦争論』の中で、インドのパル判事の言葉を引用している。
ハルノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクでも矛をとってアメリカに立ち向かうだろう。
これに対し、吉本氏は次のようにいう。
当時、アメリカは日本に対して、「満州国を撤廃しろ」「日本軍は中国から全面撤退しろ」と要求してきた。
それは、日本が20年も30年もかけて積み上げてきた歴史的な歩みをすべて否定するものだった。
国民感情としては、「そんな要求を飲むことは、とうてい不可能だ」であった。
もちろん、吉本氏も、朝日新聞党のメディアも、志賀直哉や谷崎潤一郎らの文学界の長老もこぞって戦争肯定だった。
当時の状況はそうだったに違いない。
しかし、「20年も30年もかけて積み上げた歴史的な歩み」の出発点となるのは、張作霖爆殺事件あるいは満州事変であろう。
それは、他国の領土内で行われた謀略であり戦闘行為ではなかったか。
それを考えると、吉本氏の語っていることは矛盾しているのではなかろうか。
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