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2012年9月 7日 (金)

信濃デッサン館

先日無言館などを訪ねて上田市に行ったばかりであるが、数少ない木造校舎として知られる上田市立浦里小学校が燃えてしまった。
⇒2012年9月 3日 (月):無言館再訪

浦里小学校の本校舎は、1924(大正12)年に建てられ、数多くの映画・ドラマのロケ地としても知られた。
1995年の映画『ひめゆりの塔』で使われて以降、『スパイ・ゾルゲ』『ゼロの焦点』『私は貝になりたい』などの作品で使われた。
Photo
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20120907/CK2012090702000021.html

Photo_2
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/589338/slideshow/507069/

そうとなるならば、見ておきたかった、と言っても後の祭りである。

しかし、今回無言館と併せ、念願の「信濃デッサン館」も訪ねることができた。
信濃デッサン館は無言館より先にできた、いわば本館にあたるものであり、共に、窪島誠一郎氏が私財を投じて作られた美術館である。
村山槐多・関根正二など若くして病死した画家のデッサンを中心に展示されている。

無言館からさほど離れていない前山寺という古刹に隣接して建っている。
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浦里小学校とは5~6kmくらいの距離であろうか。
前山寺は真言宗智山派の寺で、信州の鎌倉と称されるこの地方(塩田平)の中心である。Img_13892_2

古刹と美術館は、微妙にマッチングしている。
窪島氏の『信濃デッサン館日記』講談社文庫(8610)に、以下のように書かれている。

「信濃デッサン館」が、長野県上田市独鈷山ふもとの、真言宗前山寺山門そばにたつことになり、その収蔵作品の公開展が、五十三年十一月二十五日から三カ月間、東京世田谷の故柳田国男邸で開催のはこびである。企ては私の心に練られてきた年来ののぞみではあったけれど、実現にあたっては、信州在の多くの人々のあつい手をかりた。前山寺ご住職守栄真氏が約一千五百平方メートルの用地を提供してくだきり、農民美術史など地道な研指で知られる地元の著述家小崎軍司氏が、資材の調達や人あつめにはしってくれている。たてものの建築のほうは、私の永年の知己で、東京麻布で設計をやっている入江慶一君のプランをもとに、上田市内の建設会社の青年社長、花岡空口氏がひきうけられた。いずれも、私にとっては、旅さきの信州路で出会ったゆきずりの人である。

窪島氏が水上勉と再開したのが昭和52年だから、信濃デッサン館の計画が具体化しつつある時期だった。
信濃デッサン館は、無言館に比べて経営が苦しく、窪島氏は、2006年にいったん閉館することを決意した。
しかし、「閉館しないで欲しい」というファンの声で、2007年1月から半年休館して改修、展示スペースを拡張して再オープンした。
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私は、思いがけず、むかしファンだった立原道造の遺品を見ることができた。
⇒2009年2月 4日 (水):浅間山の癒しと脅威
今年リニューアルして、館内に「立原道造記念展示室」が新設されたとのことである。
立原道造の他に、小熊秀雄など詩人として知っている人のデッサンを見ることができた。

目の前に塩田平が開け、気持ちのいい場所であった。
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コメント

こんにちは。
浦里小学校の焼失、まことに惜しいですね。
何代もこの小学校での思い出を持ったご家族もおられたでしょう。

ところで、立原道造は僕もひそかなファンですが、文京区の東大脇に、弥生美術館、竹久夢二美術館、の並びに立原道造記念館があり、3館共通チケットを買って何度も訪れました。
昨年のはじめにその立原道造記念館だけが閉館されましたから、その備品関係がたぶん信州に移されたんでしょうね。

投稿: kimion20002000 | 2012年9月 9日 (日) 06時24分

kimion20002000様

まさか上田を訪ねて間を置かず焼けてしまうとは・・・
『スパイ・ゾルゲ』はDVDがあったような気がするので、見直し見ようか、と思います。
文京区の立原道造記念館は知りませんでした。東大には縁は薄いものの、何回かは訪問しているので残念でした。多分ご推察の通りの事情でしょう。もっともそれほど多量の作品が展示されていなかったようなので、分散したかも知れませんね。
立原道造は、詩とはこういうものか、ということを知った思い出の詩人です。

投稿: 夢幻亭 | 2012年9月 9日 (日) 23時03分

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