曰く「不可解」の大間原発建設工事再開/花づな列島復興のためのメモ(146)
昔、藤村操という旧制一高(現在の東京大学)の学生が、日光の華厳滝から投身自殺した。
エリートは立身出世すべし、という世相の中での厭世自殺であったから、大きな反響を呼んだ。
1963(明治36)年5月22日のことである。
藤村は、身を投げる前に、傍らの木に「巌頭之感」を書き残した。
Wikipedia
文中の「
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」」は、私が受験生だった頃には、出来なかった問題についてよく引用されたものである。
50年も前のことを思い出したのは、電源開発が中断していた大間原発建設工事を、枝野経産相の「建設途上のものは原則の外側にある」との発言を受けて、年内にも再開する方針だと報じられているからである。
私には、枝野氏の判断も、電源開発の意思決定も「不可解」である。
大間原発がいつ完成して供用が開始されるかは不明である。
しかし、「40年で廃炉にする」という原則を適用しても、50年代までは供用されることになる。
「革新的エネルギー・環境戦略」の「30年代に原発ゼロを目指す」との整合性をどう考えるか?
さらには、圧倒的な民意として示された「2030年に原発ゼロ」の声をどう考えるか?
大間以外に原発の新増設計画が11基あるという。
政府は新増設はしないとしたが、本当に電力会社の新増設に対して実効性のある「否」を出せるのか?
また、原子力規制委が安全性の判断を下すことになっている。
その基準は現在検討中で、年度内に成案を得て来年度から適用される見通しだ。
⇒2012年9月28日 (金):論理の通らない原子力行政/花づな列島復興のためのメモ(145)
もし、大間原発に関し、安全性が「非」とされた場合のリスクについて、電源開発はどう考えているのか?
現実論として考えれば、原発の新増設は非常に困難であると思われる。
具体的に、新増設を止めるのは誰なのか?
東京新聞120929
「何ができるか精査する」ならば、精査が終わるまでは新増設を認めないのが当たり前の論理ではなかろうか?
「曰く「不可解」」とつぶやくだけでは空しい。
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