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2012年9月

2012年9月30日 (日)

「火山の冬」と富士山噴火の可能性/花づな列島復興のためのメモ(147)

「火山の冬」という言葉がある。

火山の冬(かざんのふゆ、: volcanic winter)とは、大火山の爆発的な噴火によって、火山灰や霧状の硫酸が太陽光を遮り、地球のアルベドを上昇させることによって温度が低下する現象のことである。長期間に及ぶ冷却効果は主に、大気上層部に構成されるエアロゾル中の硫黄化合物の増加が原因である。
Wikipedia

わが国でも、悲惨な天明の大飢饉は、浅間山の噴火が原因だといわれる。
⇒2009年2月 4日 (水):浅間山の癒しと脅威
⇒2009年10月11日 (日):八ツ場ダムの深層(1)天明3年の浅間山大噴火
⇒2009年10月12日 (月):八ツ場ダムの深層(2)天明という時代相

火山噴火の影響は、「想定外」の広がりと大きさを持つ。
1783年のアイスランドのラキ火山の噴火がフランス革命を引き起こしたともいわれる。
⇒2012年3月 9日 (金):餓死という壮絶な孤独(3)/花づな列島復興のためのメモ(34)
⇒2009年10月16日 (金):八ツ場ダムの深層(6)吾妻川の地政学

「花づな」と形容される日本列島は、火山列島でもある。
火山はしばしば大きな災厄をもたらすが、いっぽうで恵みの源泉でもある。
⇒2012年5月 8日 (火):火山活動との共生/花づな列島復興のためのメモ(62)

富士山噴火の可能性が話題になっている。
富士山麓に暮らす私としては、まさに他人事ではない。
⇒2012年1月31日 (火):活火山・富士山周辺で起きている地震

 昨年3月11日の東日本大震災と4日後に静岡県東部で起きたマグニチュード(M)6・4の地震によって、富士山のマグマだまりに噴火を引き起こしかねないほどの大きな圧力がかかったことが防災科学技術研究所(茨城県つくば市)などのチームの研究で6日、分かった。
 圧力の高まりだけが噴火の要因ではなく、現在のところ、噴火の兆候は観測されていない。ただ富士山の直近の噴火である1707年の宝永噴火で直前の宝永地震により富士山に加わった力より、今回の力は強く、チームは「地震から数年たってから噴火する可能性もあり警戒が必要」としている。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120906/dms1209061538023-n1.htm

富士山噴火の降灰は、富士山麓だけでなく、首都圏全域に及ぶと予想されている。
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http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120910/dms1209101127002-n1.htm
私自身は、富士山噴火の結果、人生の終末を迎えたとしても本望だという意識もあるが、まだこれから長い人生を送る人たちにとってはそうも言っていられないだろう。

富士山よりも遙かに大きな規模のカルデラ火山が注目されているらしい。
たとえば、アメリカのイエローストンである。
60万年~80万年周期といわれるこの火山が最後に噴火してから、60万年が経過しているというのだ。
もっとも、60万年という時間に比べれば、人生の時間などは誤差のうちなので心配するのは杞憂というものだろう。

火山は地下のマグマが一定量たまると爆発する。
210万年前のイエローストンの噴火で噴出したマグマは2,500立方キロ。9万年前の阿蘇山噴火の10倍以上と推定されている。
いまこの規模の噴火が起きたらどうなるか?

東京新聞9月29日に、『地球を襲う「火山の冬」』という記事が載っている。
日本大学の高橋正樹教授(地質学)によれば、「急に氷河期になったようなものだ」。
つまり、硫酸を含んだガスが太陽光によって化学反応を起こし、硫酸エアロゾルに変わり、太陽光を反射するため、寒冷化する。

日本の気温が10℃下がるとどうなるか?
分かりやすくいえば、鹿児島が北海道のようになる。
国内のほとんどの地域では米作ができなくなるということだ。

有史以来、この規模の巨大噴火は起きていないというが、準じた噴火の例はある。
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東京新聞120929

1815年のインドネシアのタンポラ火山の爆発は、翌年の異常気象を引き起こし、「夏の来ない」年となって大凶作になった。
そして、免疫力が低下した結果、コレラや発疹チフスが大流行した。
ラキ火山とフランス革命の関係も、規模はもう少し小さかったのだろうか、世界史を変える要因となった。
巨大噴火は、人類を滅亡させることにもなりかねない。

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2012年9月29日 (土)

曰く「不可解」の大間原発建設工事再開/花づな列島復興のためのメモ(146)

昔、藤村操という旧制一高(現在の東京大学)の学生が、日光の華厳滝から投身自殺した。
エリートは立身出世すべし、という世相の中での厭世自殺であったから、大きな反響を呼んだ。
1963(明治36)年5月22日のことである。

藤村は、身を投げる前に、傍らの木に「巌頭之感」を書き残した。
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Wikipedia

文中の「 萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」」は、私が受験生だった頃には、出来なかった問題についてよく引用されたものである。
50年も前のことを思い出したのは、電源開発が中断していた大間原発建設工事を、枝野経産相の「建設途上のものは原則の外側にある」との発言を受けて、年内にも再開する方針だと報じられているからである。
私には、枝野氏の判断も、電源開発の意思決定も「不可解」である。

大間原発がいつ完成して供用が開始されるかは不明である。
しかし、「40年で廃炉にする」という原則を適用しても、50年代までは供用されることになる。
「革新的エネルギー・環境戦略」の「30年代に原発ゼロを目指す」との整合性をどう考えるか?
さらには、圧倒的な民意として示された「2030年に原発ゼロ」の声をどう考えるか?

大間以外に原発の新増設計画が11基あるという。
政府は新増設はしないとしたが、本当に電力会社の新増設に対して実効性のある「否」を出せるのか?

また、原子力規制委が安全性の判断を下すことになっている。
その基準は現在検討中で、年度内に成案を得て来年度から適用される見通しだ。
⇒2012年9月28日 (金):論理の通らない原子力行政/花づな列島復興のためのメモ(145)
もし、大間原発に関し、安全性が「非」とされた場合のリスクについて、電源開発はどう考えているのか?

現実論として考えれば、原発の新増設は非常に困難であると思われる。
具体的に、新増設を止めるのは誰なのか?
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東京新聞120929

「何ができるか精査する」ならば、精査が終わるまでは新増設を認めないのが当たり前の論理ではなかろうか?
「曰く「不可解」」とつぶやくだけでは空しい。

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2012年9月28日 (金)

論理の通らない原子力行政/花づな列島復興のためのメモ(145)

原子力行政は分かりにくい。
原子力発電等の仕組みはともかく、行政とかその前提となる政治判断の論理が矛盾だらけなのだ。

たとえば、新設された原子力委員会の再稼働の判断基準である。
原子力委員会の田中俊一委員長は、年度内に新たな安全基準を定め、来春にも再稼働の判断を行うとした。

 原子力規制委員会の田中俊一委員長は26日の記者会見で、設置法で来年7月までとされた原発の新たな安全基準の策定について、「年度内にほぼ完成形をまとめる」と述べた。再稼働が可能になる時期については「安全審査で合格すれば再稼働できるが、審査に何年かかるとは一概に言えない」と明言を避けた。
 また田中委員長は、原発事故時に住民避難などの対応の基本となる防災指針や、これに基づき立地市町村が定める地域防災計画について「防災指針だけでは不十分。(再稼働の)法的条件ではないが、地域の防災計画ができないと最低限の条件はそろわない」と指摘。10月までに行う指針の改定だけでなく、来年3月までに策定される防災計画の整備が終わらなければ、再稼働すべきではないとの見解を示した。

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012092600905

これだけ読めば、再稼働の是非について判断基準が定められ、それがクリヤされるまでは稼働は「否」ということになると思うだろう。
ところが、あれだけ再稼働反対の声が高まっている大飯原発に関しては、再稼働は「是」だという。
その理由は、「政治的判断を覆せない」ということだから、本末転倒である。
さっそく、橋下大阪市長から、批判の声が上がった。

 新党「日本維新の会」代表となる橋下徹大阪市長は27日、7月に再稼働した関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)をめぐり、原子力規制委員会の田中俊一委員長が「政治的判断での稼働」を理由に再停止に難色を示したことについて「委員会の存在意義を問われる論理矛盾だ」と批判した。「政治を考えずに安全性を追求するのが委員会の設立趣旨」とも強調し、維新合流議員を通じて国会で真意をただす考えを示した。
 田中委員長は26日の記者会見で、大飯原発の再停止について「政治的に社会的条件を判断して稼働させたものを、何の根拠もなく止めなさいというのは難しい」と発言した。
 これに対し、橋下氏は「委員長自ら政治に判断を委ねてしまっている。委員会がご破算になるくらいの大問題だ」と批判。維新幹事長の松井一郎大阪府知事と連携し、大阪府市として大飯原発の再停止を求める意見書を同委員会と関電に提出する考えを示した。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120927/lcl12092721000000-n1.htm

どう見ても橋下氏の方がスジが通っている。
政治的判断を追認するということでは、何のための規制委かということになる。

原発から出る廃棄物処理の問題も論理が逆転している。
現在は、廃棄物は再処理して、再利用されることになっている。
⇒2012年9月 4日 (火):核廃棄物をどうするか?/花づな列島復興のためのメモ(137)
ところが、この核燃料サイクルが長年頓挫したままで、サイクルが閉じていない。

であれば、サイクルが完結するまで廃棄物を出さないようにするか、再利用計画を見直すかしかないだろう。
ところが、枝野経産相は、核燃料サイクルをそのまま継続すると説明している。

 枝野幸男経済産業相は20日、原発関連施設がある青森県の4市町村長と経産省で会談し、原発で使い終わった燃料を再利用する「核燃料サイクル政策」を続ける方針を改めて説明した。「2030年代に原発稼働ゼロ」をめざす革新的エネルギー・環境戦略の考え方については、「原発ゼロは目標」などと語ったという。
 会談後にむつ市の宮下順一郎市長が明らかにした。会談で宮下氏らは「原発ゼロと核燃料サイクルの継続との整合性はなぞめいていて、理解できない」と主張した。枝野氏は「(核燃料サイクル継続の)約束を守りながら、ゼロにしていきたい。ゼロにできるか見極めは難しいが、まずやってみる。ゼロは目標である」と答えたという。

http://www.asahi.com/politics/update/0920/TKY201209200623.html

枝野氏の発言は看過できない。
それは「核燃料サイクル政策」と「革新的エネルギー・環境戦略」が矛盾しているだけではない。
「核燃料サイクル政策」の継続自体、すでに破綻していることをあたかも順調に進んでいるかのように言い繕っていることが、誠実な態度とは言えまい。

 核燃料サイクルの中心にあるのが、福井県敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」である。ところが二十一年前に試運転を始めて以来、事故や事故隠しが相次ぎ、発電できた期間は延べ約四カ月間しかない。
 青森県六ケ所村の再処理工場も、たび重なるトラブルのため、開業が十九回も延期されてきた。十兆円ともされる事業費をつぎ込みながら、リサイクルの輪が閉じる見込みは立っていない。
 現実的に考えるなら「もんじゅ」は速やかに廃炉にし、核燃料サイクル計画は直ちに中止すべきである。欧米諸国はとうに手を引いている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012092802000119.html

現時点ですでに国内には約1万7千トンの使用済み核燃料があるという。
今までの計画は、再処理して再び燃やせるプルトニウムなどを取り出し、残った廃棄物はステンレス製容器に入れて地層に埋めようということであるが、再処理ができても最終廃棄物の放射能が弱まるまで数万~数十万年以上の長期が必要である。
安全性を危惧する声が強いのは当然であろう。
つまり、最終処分場のメドが立っていないのである。

枝野氏に見られるように、民主党政権の中枢は不誠実であり、論理矛盾を犯していることにも無頓着である。
いくら末期だとはいえ、こんなデタラメを放置しておいていいとは思えない。
付言すれば、原子力政策・行政の骨格は自民党政権時代の負の遺産ともいうべきものである。
その自覚がないのだから、民主党がダメだから自民党に、というわけにはいかない。

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2012年9月27日 (木)

W党首選の結果と両党あるいは日本の将来

民自両党の代表選が終わった。
虚しい空騒ぎというよりも、この国はかくして衰亡していくのか、というのが率直な感想である。
民主党野田氏、自民党安倍氏という結果は、ある意味では順当なものだろう。
しかし、選挙戦を通じて、次の国政のリーダーを選ぶというワクワクした感じが、まったくしなかった。

民主党は、党人事や内閣改造が報道されている。
輿石幹事長の留任の時点で、「近いうちの」総選挙が遠くなったことは確かなようである。
しかし、党も内閣も、所詮敗戦のための人事になるしかないということははっきりしている。

党人事では、細野豪志環境相兼原発事故担当相が政調会長に内定したという。
総裁選立候補に色気を示したりしたが、選挙向けの顔としての人事だという。
「まさか!」と思うが、本当らしい。
選挙民も嘗められたものだ。

細野氏は代表選出馬を、原発事故への対応を理由に見送ったはずだ。
原発事故対応はどうなる?
といっても、細野氏が、目覚ましい実績を上げていたというわけではないが。
細野氏は京大出身であるが、立場に忠実な「東大話法」の人というべきだろう。

玉突きのような感じで、前原政調会長は入閣だという。
現内閣には、野田総理のほかに、玄葉外相、松原国家公安委員長の3人の松下政経塾出身者がいるが、加えて前原氏の他に、樽床幹事長代行と城島国対委員長が入閣の方向だという。
民主党政権の終焉が避けがたいので、仲間意識からポストを用意するらしい。
国家の大事よりも、お仲間優遇とは呆れた采配といわざるを得ないが、松下政経塾内閣に長期は託せない。

自民党は、安倍氏の返り咲きということだ。
政権を中途半端にも投げ出してから5年。
言葉通り、画期的な新薬が開発されて体調が回復したからといって、それはないだろうと思う。
本人あるいは周辺は、みそぎが済んだという風に思っているのだろうか?

何よりも、自民党には3年前に国民から激しい「No!」を突き付けられたことへの反省がまったく感じられない。
確かに民主党政権の3年間は、お粗末の一語であった。
だからといって、自民党政権時代が良かったというわけでは、決してない、という自覚が各候補者から伝わってこない。
民主党の批判をすれば有権者受けすると思うのは大間違いである。

私は、街頭演説で、軽騒に民主党批判を叫ぶ自民党候補者を眺めて、つくづくこの政党は終わっていると感じた。
いずれも世襲議員の候補者には、一般の市民感覚が欠如していることの表れだという気がする。
一番世襲らしさが濃厚であった安倍氏が最終的に選出されたということが、この政党の行く末を暗示しているだろう。

幹事長には石破氏が就くようだ。
石破氏が、地方票で1位だったことで民意に背反するとの批判を考慮したという解説であるが、自民党の右傾化を象徴している。

両党代表選の候補者をポジショニングした図があった。
⇒2012年9月21日 (金):野田氏のポジショニングは自民党総裁候補と無差別
結果として、民自両党共に、もっとも右翼的な、つまり「タカ派・自助」に位置する候補者が当選した。
Photo
東京新聞120927

このことは、日本全体が右傾化していることの反映か?
もしくは、両党とも、国民の意識と遊離したところで代表選が行われたと考えるべきか?
私は後者だと信ずるが、それにしても救い難い両党の現状である。

自民党が世襲議員、民主党が松下政経塾だとすれば、中国の権力争いに似ていると言えなくもない。
太子党≒世襲議員、共産主義青年団≒松下政経塾という図式である。
もっとも、左右が裏返った鏡像のようではあるが。

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2012年9月26日 (水)

井上靖『氷壁』/私撰アンソロジー(16)

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井上靖『氷壁』の主人公・魚津恭太が北アルプスD沢で遭難し、死を覚悟して綴ったメモである。
最近は、山ガールなどがファッショナブルな出で立ちで山に行くことが流行っているようであり、それはそれで好ましい光景だとは思うが、一昔前は、登山は基本的に男の世界であり、山登りには男のロマンと呼ぶべき要素があった。
『氷壁』は、1956~57年に、朝日新聞に連載され、1958年に増村保造監督のメガホン、菅原謙二、山本富士子らのキャスティングで映画化された。

井上靖は、映画「わが母の記」の原作者でもあるが、一世を風靡した流行作家だった。
⇒2012年6月 3日 (日):『わが母の記』と沼津・伊豆
1936年に「サンデー毎日」の懸賞小説に入選して千葉亀雄賞を受賞した『流転』が翌年に映画化されるなど、映画化に適したドラマティックな作品が多いともいえる。

『氷壁』新潮文庫(6311)の解説「井上靖 人と作品」で、福田宏年氏は次のように書いている。

 今ひとつ指摘しておかなければならないことは、井上靖が象徴的な意味で現代の作家だということである。井上が芥川賞を得て文壇に登場した昭和二十五年は、中間小説と新聞小説の勃興期に当る。幸か不幸か井上はそういう時期に文壇に出たのである。中間小説と新聞小説は昭和三十年頃に最盛期を迎えるが、井上もまた昭和三十年を中心とするほぼ十年間に、これが一人の人間に書き得るかと思われるほど多くの作品を発表している。

その代表的な作品が『氷壁』である。
同じく解説「『氷壁』について」の佐伯彰一氏の文章を引用しよう。

『氷壁』は、一見いかにもドラマチックな小説だ。前穂高の難所に挑む若い登山家という設定自体が、ドラマチックであるばかりでなく、友人の不慮の事故死をめぐる社会的スキャンダルとの戦い、さらには、男性同士の友情と恋愛とのからみ合い、といった工合に、さまざまな劇的な契機が、この小説の中には投げこまれている。

『氷壁』の重要な題材が、実際に起きたザイル切断による山岳事故である。
その原因解明に半生をささげた元高専教授、故・石岡繁雄さん=三重県鈴鹿市=の遺品が母校の名古屋大学図書館へ寄贈され、研究資料として活用されるという。

 一九五五年一月、鈴鹿市の山岳会が北アルプス前穂高岳東壁を登はん中、ザイルが切れて石岡さんの弟=当時(19)=が転落死した。切れたナイロン製ザイルは当時、高い強度を売りにした新製品で、メーカーは公開実験で安全を強調。石岡さんは自宅裏に研究所を建てて独自に実験を重ね、欠陥を指摘した。
 後にザイルはとがった岩角に弱いことが判明し、七五年に国がザイルの安全基準を設けるきっかけになった。
 石岡さんが二〇〇六年に亡くなった後、次女あづみさん(60)やかつての教え子たちが資料を整理しデータベース化してきた。活用先を探すうち、名古屋大が大学ゆかりの著名人として石岡さんに関心を寄せていることを知り、寄贈を決めた。
 遺品の四分の一は、事故の検証に関する資料が占める。ザイルが切れた現場の岩角を型取りして再現実験に使った石こう模型や、ザイルの切断面が映されている遺体発見時の8ミリ映像などだ。
 井上が読んで感動し氷壁を執筆するきっかけになった石岡さん作成の冊子や、石岡さんの著書に添えるため井上が寄せた肉筆原稿もある。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081302000084.html

井上さんも石岡さんも、もうこの世にはいない。
しかし、文芸作品『氷壁』は今も読み継がれ、石岡さんの研究は後輩たちの研究の道しるべになる。

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2012年9月25日 (火)

フルベッキ写真と権力による情報の隠蔽/幕末維新史(1)

8月11日の夜のことであった。
加治将一『ビジュアル版 幕末 維新の暗号』祥伝社(1208)を眺めていたら、見るともなく視聴していたTVから上野彦馬という名前が聞こえてきた。
テレビ東京の「美の巨人 国宝建築②大浦天主堂」という番組であった。

世界に名を馳せる西洋建築の最高峰が長崎にあります。国宝『大浦天主堂』。正式名称は『日本二十六聖殉教者天主堂』と言います。創建されておよそ150年。現存する日本最古の木造教会です。一歩中へ入ると、まず目に飛び込んでくるのは鮮やかなステンドグラス。天井はゴシック様式特有の優美な曲線で覆われています。しかし、これほどの装飾美・建築美を生み出す技術は、当時の日本には無かったはず。
いったいどうやってこの美しい教会は建てられたのでしょうか?さらに、この教会がある奇跡を起こしたというのですが…。それはいったい?

http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/14857_201208112216.html

その大浦天主堂を、日本で最初のカメラマンといわれる上野彦馬が撮影した写真が遺されている。
上野の人物像はWikipediaによれば、以下の通りである。

天保9年(1838年)、長崎の蘭学者・上野俊之丞(しゅんのじょう)の次男として生まれる。広瀬淡窓の私塾、咸宜園で2年間学び、咸宜園を離れた後の安政5年(1858年)にはオランダ軍医ポンペ・ファン・メールデルフォールトを教官とする医学伝習所の中に新設された舎密試験所に入り、舎密学(化学)を学んだ。このとき、蘭書から湿板写真術を知り、大いに関心を持つ。同僚の堀江鍬次郎らとともに蘭書を頼りにその技術を習得、感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功するなど、化学の視点から写真術の研究を深める。また、ちょうど来日したプロの写真家であるピエール・ロシエにも学んだ。その後、堀江とともに江戸に出て数々の写真を撮影して耳目を開き、文久2年(1862年)には堀江と共同で化学解説書『舎密局必携』を執筆する。
同年、故郷の長崎に戻り中島河畔で上野撮影局を開業した。ちなみにこれは日本における最初期の写真館であり(ほぼ同時代に鵜飼玉川や下岡蓮杖が開業)、彦馬は日本における最初期の職業写真師である。同撮影局では坂本龍馬、高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影した。

個人的には、舎密学(化学)という名前が懐かしい。
工業化学系の学科に在籍していたので、友人たちと舎密塾という勉強会をやっていたことがあった。
遠い昔の記憶である。

加治将一氏の作品についてはすでに『西郷の貌』を取り上げた。
⇒2012年4月16日 (月):『西郷の貌』と万世一系のフィクション/やまとの謎(61)
文章は荒削りだが、着眼点が興味を惹く。

ビジュアル版 幕末 維新の暗号』のAmazonの内容紹介は以下の通りである。

累計50万部を突破した“加治将一の禁断の歴史シリーズ"(既刊5作)から、『龍馬の黒幕』『幕末  維新の暗号』『西郷の貌』3作を選び出し、ビジュアル要素を1冊に凝縮。宣教師・フルベッキが明治政府に与えた影響とは? 西郷隆盛の「顔」が封印された理由は? 幕末期の古写真を中心に70点の写真が、明治維新という革命の裏面史を浮かび上がらせる。

幕末期の古写真といえば、上野彦馬は欠かせない。
上野が撮影したという説もあるフルベッキの写っている写真が作品のモチーフである。
ちなみにフルベッキとはWikipediaから引用すれば、以下のような人物である。

グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(Guido Herman Fridolin Verbeck、或いはVerbeek、1830年1月23日 - 1898年3月10日)は、オランダの法学者・神学者、宣教師。オランダ・ザイスト市出身。ユトレヒトで工学を学んだ。日本では発音しやすいようフルベッキ(Verbeck)と名乗り、現在に至るまでこのように表記されている。両親は敬虔なルター派の信徒とされているが、正確にはオランダ系ユダヤ人であり、いわゆる改宗ユダヤ人である[要出典]。フルベッキはモラヴィア教会で洗礼を受け、同派の学校でオランダ語、英語、ドイツ語、フランス語を習得している。

先日、知人が下図のような写真を額に入れて置いてあるのを見た。
Verbeck
A3判くらいの大きさの立派そうな額に入ったフルベッキ写真である。
ちなみに、フルベッキ写真とは以下のように解説されているものである。

「フルベッキ写真」とは、フルベッキとその子を囲んで撮影された集合写真の俗称。
この写真は古くから知られており、1895年(明治28年)には雑誌『太陽』(博文館)で佐賀の学生達の集合写真として紹介された。その後、1907年(明治40年)に発行された『開国五十年史』(大隈重信監修)にも「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」とのタイトルで掲載されている。
1974年(昭和49年)、肖像画家の島田隆資が雑誌『日本歴史』に、この写真には坂本龍馬や西郷隆盛、高杉晋作をはじめ、明治維新の志士らが写っているとする論文を発表した(2年後の1976年にはこの論文の続編を同誌に発表)。島田は彼らが写っているという前提で、写真の撮影時期を1865年(慶応元年)と推定。佐賀の学生達として紹介された理由は、「敵味方に分かれた人々が写っているのが問題であり、偽装されたもの」だとした。
この説は学会では相手にされなかったが、一時は佐賀市の大隈記念館でもその説明をとりいれた展示を行っていた。また、1985年(昭和60年)には自由民主党の二階堂進副総裁が議場に持ち込み、話題にしたこともあったという。また、2004年(平成16年)には、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞にこの写真を焼き付けた陶板の販売広告が掲載された。東京新聞が行った取材では、各紙の広告担当者は「論議がある写真とは知らなかった」としている。また、業者は「フルベッキの子孫から受け取ったもので、最初から全員の名前が記されていた」と主張している。
2009年現在、朝日新聞と毎日新聞は「フルベッキ写真の陶板」広告を掲載し続けている。
この写真の話題は間歇的に復活して流行する傾向がある。ちなみに最初に島田が推定した維新前後の人物は22人であったが、流通する度に徐々に増加、現在では44人全てに維新前後の有名人物の名がつけられている。
現在でも土産物店などでこの説を取り入れた商品が販売される事がある。
また、大室寅吉という名で後の明治天皇が写っているとした説や、「明治維新は欧米の勢力(例:フリーメイソン)が糸を引いていた」説等の陰謀論、偽史の「証拠」とされた例もある。

加治氏は、上掲書の「万世一系のトリック」の項で、次のように書いている。

情報の締め出し、非公開。
 福島原発事故の隠蔽工作を見るまでもなく、日本には昔から隠し癖がはびこっている。
 先進国なら事実と虚構の間に争いが生じるはずだが、日本では起きない。なぜなら、困ったことに政治家、学者、メディア、基幹産業が官僚支配層にひれ伏しているからだ。そのために論争すら起こらず、ほぼ完璧に封印されてきたのである。
 支配層は昔から「隠蔽」「封印」と露骨に言わない。
 何と言うか?
 上から目線で、「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」だ。

その代表が「万世一系」という物語というわけである。
明治維新を『坂の上の雲』のようなイメージで捉えるだけでは、平面的な見方ということになりそうである。

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2012年9月24日 (月)

秋の夜は「牧水」がいい

若山牧水は、こよなく酒を愛した歌人として知られる。
明治18年宮崎県に生まれ、昭和3年沼津で病没した。享年44歳。病名は、急性腸胃炎兼肝臓硬変症。
遺骨は沼津乗運寺に埋葬。法名は古松院仙誉牧水居士である。
若すぎる死は、もちろん長年の飲酒が原因であろう。

若山牧水と沼津の縁は深い。
沼津に移住したのは、千本松原の景観に魅せられたためで、永住の地と定めた。
大正9年に一家をあげて沼津に引越し、晩年の9年間を沼津で過ごし、まさに永住の地を実践した。
沼津港の近くの松林の中に、「牧水記念館」がある。
埋葬された乗雲寺の林茂樹住職が、公益社団法人沼津牧水会の理事長を務めている。
Photo
http://www.mapple.net/photos/I02200047902.htmhttp://www.mapple.net/photos/I02200047902.htm

9月23日の東京新聞の「東京歌壇」欄の佐佐木幸綱選の第1席に次の歌が選ばれた。

秋の夜の酒は静かに飲めといふ牧水の書はまろくくつろぐ

鹿嶋市 加津牟根夫
(評)ご存じ「白玉の歯にしみとほる…」の歌である。牧水の字を「まろくくつろぐ」としたのは、言い得て妙。

酒が好きだった牧水には、「讃酒歌」というジャンルがあり、生涯に残した七千首のうち酒を詠ったものが二百首に及ぶそうだ。
若山牧水 讃酒歌

なかでも「白玉の……」の歌は広く人口に膾炙している。
Photo_3
http://web.thn.jp/bokusui/2shisetu/tenjisitu.htm

Photo_4色紙の牧水の筆跡は、確かに「まろくくつろぐ」感じである。
沼津市の渡辺酒造で製造している日本酒に、「牧水」という銘柄があったが「終売」とのこと。
http://www.e-fujisan.com/seisyu.htm

それにしても、秋の夜には、日本酒が似合う。
旨い酒を、気の合う人と、「静かに」飲みたいものだ。

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2012年9月23日 (日)

あっぱれ! 日馬富士の全勝優勝

TVで大相撲を観戦しなくなって久しい。
しかし今日の「横綱白鵬VS大関日馬富士」の千秋楽の結びの一番は、しっかり堪能した。
見ている方が息苦しくなるような力の入った大一番だった。

これで日馬富士の横綱昇進は確定した。
2場所連続の全勝は、久しぶりの偉業である。
対戦している両者のせめてどちらかが日本人であったら、などと瞬間思ってもみたが、「あっぱれ!」である。

もはや白鵬にしろ、日馬富士にしろ、立派な力士として、日本人の範たる存在であろう。
優勝インタビューでの受け答えも立派なものだった。
真っ先に、自分を生んでくれた父母に対する感謝を口にしたのも清々しい。
このような感謝の気持ちが日々の精進に繋がっているいるのは間違いないだろう。

朝青龍、白鵬、日馬富士とモンゴル出身の横綱が続くが、問題にはならない。
横綱審議委員会における横綱推薦基準は次の通りである

1.品格、力量が抜群であること
2.大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする
3.2場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することができる

いずれの基準についても異論は出ないはずである。
正直な話、日馬富士について、先場所以前はさほど注目していなかった。
もちろん大相撲全般についての認識が低下しているのだが、直前の5月場所では取りこぼしが多く、千秋楽の結びの一番に白鵬に勝ってようやく勝ち越しを決めたのだから、まあ当然とも言えよう。
この結びの一番が八百長ではないかという人もいるようだが、まあ勘繰りはすればいくらでもできるだろう。
今日の一番も八百長の声があがるのだろうか。

日馬富士は、先場所から急変したように見える。
まさに大化けである。
弁証法で、「量質転化」ということがいわれる。

量を重ねていくことで質的な変化を起こす現象を「量質転化の法則」という。
理屈をいくつ覚えてもなかなかできるように ならない。だが、毎日繰り返し練習して何百回、何千回と失敗を重ねた頃、出来るようになる。これが量が質に転化した瞬間なのだ。

http://50sai.com/50sai25.html

おそらく、これに似たことではないだろうか。
なにはともあれ、見事な相撲だった。

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2012年9月22日 (土)

もはや嗤ってはいられない、オスプレイ「安全宣言」の野田政権

民主党代表選に野田氏が圧勝した。
私たちは、民主党国会議員らが、民主党への国民の期待を裏切り続けている野田氏を圧勝させた、という事実を記憶して、次の国政選挙の投票行動に反映するべきだろう。
民主党党首選における総ポイント数1231ポイントのうち、国会議員票が672ポイントと、55%を占めているのである。

その野田政権は、19日オスプレイの安全性が確認されたと宣言した。
判断の根拠は何だろう?
私は、直ちに大飯原発再稼動の茶番劇と同じ構造だと思わざるを得ない。

振り返ってみよう。
政府が関係閣僚会議で、「再稼動の判断基準におおむね適合している」としたのは、4月9日のことであった。
「おおむね」ということなどに対して批判の声がわき起こったため、4月12日には「熟慮」することにしたが、翌13日には「熟慮」の舌の根が乾かないのにもかかわらず、「安全性が最終的に確認された」とした。
⇒⇒2012年4月13日 (金):拙速に過ぎる政府の大飯原発再稼働判断/原発事故の真相(26)

しかし、「最終的に確認した」というのは、あくまで関係閣僚の合意を確認したというに過ぎなかった。
⇒2012年7月20日 (金):野田政権における「倫理の崩壊」/花づな列島復興のためのメモ(115)
関係閣僚とは、野田首相、藤村官房長官、枝野経済産業相、細野環境相の4人である。
この4人は、安全性に関する無責任男として記憶されるべきであろう。

なぜならば、「最終的に安全性を確認した」はずのことが、敷地内の断層が活断層であることを否定しきれなくなったことを見ても、「確認」できていないことが「確認」できる。
「革新的エネルギー・環境戦略」についても同様と言えよう。
政府が、「革新的エネルギー・環境戦略」を基本方針とするとしたのが9月14日、それを閣議決定としないで参考書類扱いとするとしたのが9月19日のことであった。
⇒2012年9月15日 (土):「言うだけ」感を拭えない政府の脱原発政策/花づな列島復興のためのメモ(142)
⇒2012年9月20日 (木):もはや嗤うしかない「革新的エネルギー・環境戦略」の「東大話法」

野田首相は、再選後の演説で、「原発ゼロ社会を30年代に目指す、実現をする、ぶれない姿勢で」と強い口調で言い切った。
しかし、原発ゼロとは相反する核燃料サイクル政策も、建設中の原発の工事も、継続するという。
「東大話法」に拘って迷彩を施す余裕もなくなっているが、政権与党の立場だけは手放したくないということだろう。

オスプレイの安全性についても同様である。
野田首相は、「きちんと安全性が確認される」まで、日本における飛行は行わないとしていた。
墜落事故が相次いでいるオスプレイの「安全性」に対し、地元の懸念は強い。
米国内では住民の反対で一部の訓練計画が中止されている。

政府の「安全宣言」を受けて、山口県岩国市の米軍岩国基地に一時駐機しているオスプレイの試験飛行が始まった。
それでは、「きちんと安全性が確認され」たのか?

 日米の外務・防衛当局の実務者による「日米合同委員会」は19日午前、国内各地で行うオスプレイの低空飛行訓練の高度を地上150メートル以上に制限するなどとした運用ルールで合意。その後、防衛相と玄葉光一郎外相は首相官邸で記者会見し、オスプレイに関する政府方針を発表、日本国内の飛行を認める安全宣言を行った。
 防衛相は会見で「飛行の安全性に最大限の配慮がなされることを前提にオスプレイの運用を開始することにした」と強調。仮に沖縄県など地元の理解が得られなかった場合でも、「日米の合意に従い飛行運用が始まる」と述べた。外相は「日米合同委を通じて、今回の合意の実施をきちんとフォローしていく」と語った。
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_514795

この説明で、「安全性の確認」について、納得がいく人が どれくらいいるだろうか?
私は、軍用機である以上、安全性が多少低いことは避け得ないだろうと思う。
オスプレイのメリット、デメリットをきちんと評価した上で、飛行すべきだという結論に達したのならまだしもである。

米国は事故原因を「人的要因が大きい」と説明し、日本政府もこれで安全だという。
しかし、人的要因でトラブルが発生したのだから、オスプレイは安全だ、ということで説明になると、本気で思っているのだろうか。
沖縄県の仲井真知事が「トラブルは人のミスで発生するから大丈夫と言うなら、かなりトンチンカン」と言っていたが、そのとおりである。

試験飛行を終えた後、早ければ今月末から順次、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場に配備される予定だという。
しかし、オスプレイ配備は在日米軍基地の74%が集中する沖縄県民にさらに負担を強いることになる。

東アジアがきな臭くなっている時であるから、オスプレイの配備そのものは必要かつ重要かも知れない。
しかし、沖縄の負担はバランスを失しているのではないか。

オスプレイの「安全宣言」によって、玄葉外相も安全性無責任男に列することになった。
野田政権の無責任ぶりは、もはや嗤ってはいられない。

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2012年9月21日 (金)

野田氏のポジショニングは自民党総裁候補と無差別

民主党代表選は、予想通り野田首相が選出された。
国会議員票が2ポイント/人で計672ポイントの他、国政選公認内定者票が9ポイント)、地方議員票が14ポイント、党員・サポーター票が409ポイントで、計1231ポイントであるが、野田氏は818ポイントを獲得した。
他の3人は、、原口氏が154ポイント、赤松氏が123ポイント、鹿野氏が113ポイントだった。
しかし、事実上総理大臣を選ぶ選挙にしては、まったく熱気がなく盛り上がりもない選挙戦だったといえよう。

野田佳彦首相が圧勝した民主党代表選が盛り上がらなかったのは「次の総選挙でも過半数をとって与党でいる」と思う人が、票を投じた議員や党員の中に、ほとんどいなかったからにほかならない。7割近い得票率とは裏腹に、首相を取り巻く空気は「他に適当な人がいない」「野党になってしまうから」との消極的な信任だ。強敵も盟友もいない首相を支える基盤は、極めてもろい。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2102R_R20C12A9000000/

このような状態で、総選挙を先送りするのは自分勝手な無責任な態度というべきであろう。
ところで、ビジネス・パーソンに馴染みの深い言葉として「ポジショニング」という用語がある。
ターゲット市場において、競合から自社を差別化し、優位な地位を占めるための考え方である。

 製品ポジショニングとは、ターゲットとした市場において自社製品を差別化し、相対的に優位な地位を占めようという考え方であり、その目的には2つの観点があります
 1点目は、競合製品との対比で、自社製品の差別化のポイントを顧客にどのように理解させて、購買決定を促すかという観点です。2点目は、自社の製品ラインにおける当該製品の位置づけを明確にするという観点です。これは自社製品がカニバリゼーション(自社製品同士が同じ顧客層を取り合う、いわゆる市場の共食い)を起こさないようにチェックするという目的で行われます。

民自党首選において、民主党4人の他に、自民党5人の候補者が立候補した。
それぞれ、党首選というターゲット市場において、自分を他の候補者といかにして差別化を図り、優位に立とうとしているか工夫を凝らしていると考えられる。

民主党の党首は、当面の総理である。
野田氏が再選されたが、、任期はどれくらいか不明である。
一方、自民党の党首は野党の党首に過ぎないが、野田-谷垣の密談により、「近いうちに」行われるはずの総選挙で、政権回復が実現すれば、次の(?)総理である。
もちろん、総選挙がいつになるか、その結果がどうなるかは分からないが、少なくとも自民党の候補者(の何人か)は、本気でそう考えているに違いない。

とすれば、ターゲット市場は、それぞれ自分の党だけではないことになり、国民全体がターゲットとも考えられる。

興味深い図が東京新聞の9月20日に載っている。
民自党首選候補者9人を、「タカ派-ハト派」「公助-自助」の2軸によりポジショニングしたものである。
Photo
もちろん、軸の取り方や、各候補の位置については別の考え方もあろう。

興味深いのは、野田氏が他の民主党候補者と比べると、自民党候補者に近い位置にあることである。
自民党が「タカ派&自助」の象限に集まっているのは、賛成か反対かは別にして、同じ政党であるから当然ともいえよう。
そして、民主党候補者の中では、野田氏だけがこの象限に位置している。
自民党野田派という世評を裏書きしたものといえる。
⇒2012年6月10日 (日):政権は自民党野田派か?/花づな列島復興のためのメモ(82)

民主党候補者のポジションが離れているのは綱領なき政党らしい。
⇒2011年8月24日 (水):綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う
しかし、党のアイデンティティこそが問われていることを、各候補者はどの程度自覚していたのだろうか?
⇒2012年6月17日 (日):政党のアイデンティティを徴表するもの/花づな列島復興のためのメモ(87)

「革新的エネルギー・環境戦略」や「オスプレイの安全宣言」を見ても、民主党政権は支離滅裂である。
このような政権は国益を損なう。

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2012年9月20日 (木)

もはや嗤うしかない「革新的エネルギー・環境戦略」の「東大話法」

政府は、先に決定した「革新的エネルギー・環境戦略」について、閣議決定を事実上見送り参考文書にとどめることとした。

 閣議決定は、今後のエネルギー政策は「革新的エネルギー・環境戦略」を踏まえ、「関連自治体や国際社会と責任ある議論をして国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」となった。政府関係者によると、この文言は18日、野田首相が自ら決めたという。
http://www.ytv.co.jp/press/economy/TI20087591.html

決められない政治からの脱却を標榜していることを考えれば、ヨシモトも及ばない笑劇といえよう。
そもそも、「革新的エネルギー・環境戦略」が、あちこちの顔色を窺いながら、という代物であった。
⇒2012年9月15日 (土):「言うだけ」感を拭えない政府の脱原発政策/花づな列島復興のためのメモ(142)

とすれば、綻びが露呈して一幕の笑劇と化すのももっともなことと言えよう。
古川元久国家戦略相は、全文を閣議決定しない事例は過去にも事例があると釈明しているが、釈明と言えるのかどうか?

 閣議決定内容について古川担当相は、14日に発表した「革新的エネルギー・環境戦略」で今後のエネルギー政策の方向性を提起し、「この戦略を踏まえて、今後グリーン政策大綱、地球温暖化対策の計画、エネルギー基本計画、原子力人材や技術維持強化策といった、エネルギー環境政策の具体化を図るなど、実際の政策決定プロセスを見据え、政府一体となって、戦略を踏まえて政策を遂行していくことを明確にしたもの」と説明。「実際の政策決定プロセスを見据えたもので、何ら決定内容を変えたということではない」と繰り返した。
 しかし、政府方針を全文閣議決定することができず、「30年代に原発稼働ゼロ」を目指す方針の拘束力は乏しくなった。年限を明記できなかった理由や、閣議決定できなかった理由を再三問われたが、古川担当相は、「確かな方向性を示すと同時に、状況に応じて柔軟に(対応すること)がこの戦略だ。大きな方向性を定めたわけで、そこに向けて足元から、ひとつひとつ具体的な政策を詰めていくことが極めて重要なことだ」と繰り返した。

http://www.asahi.com/business/news/reuters/RTR201209190072.html

繰り返し言わなければならないところが、自分で説得力がないと感じている証拠である。
「状況に応じて柔軟に(対応すること)がこの戦略」であるならば、全文(というかキモの表現)を閣議決定しても、柔軟に対応すればいいことである。
そういう自己矛盾で釈明しなければならないところが笑えるが(笑っている場合ではないが)、末期に特有の症状ともいえる。

原発推進派のメディアである日経新聞のコラム「春秋」でも、政府の態度は笑いのサカナになっている。

三差路で迷った易者が通りがかりの牛遣いに道を尋ねた。意地の悪い牛遣いに「人のことが分かるんだから自分のことくらい占えるだろう」と言われた易者が答えていわく、「おっしゃるとおり占ってみたら、あなたに聞けという卦(け)がでた」。江戸時代の笑い話である。
▼迷走する政府のエネルギー・環境戦略にこの話を思い出した。さしずめ、「ぶれない」「決める」の看板を掲げた政府が易者の役回り。牛遣い役は、近いうちにありそうな選挙を左右する民意か。看板倒れの政府の苦肉の策が「民意に聞け」だったのだろう。かくして「2030年代に原発ゼロ」の道を歩み始めたが……。
▼もとより、国の行く末よりわが身の選挙を案じた決断にみえた。いや、それすら買いかぶりで、決断にもなってはいなかったのだ。原発ゼロ戦略は「参考文書」扱いにとどめ、「柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら戦略を遂行する」ときのうの閣議で決めたという。三差路に戻って考え直すということらしい。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO46325830Q2A920C1MM8000/

閣議決定された文言について、信濃毎日新聞の「社説」は次のように論じている。

「踏まえて」という表現で、肝心の中身についての閣議決定を巧妙に回避した。「不断の検証と見直し」との条件まで付けている。目標を骨抜きにする含みが感じられる。国民を欺くやり方と言わざるを得ない。
http://www.shinmai.co.jp/news/20120920/KT120919ETI090004000.php

「目標を骨抜きにする含み」どころか、「骨抜きそのもの」というべきであろう。
あるいは、もともと骨が無かったと考えた方がいい。
このような表現は、できの悪い「東大話法」というべきであろう。
⇒2012年9月16日 (日):「東大話法」では包み隠せない民主党政権の「三百代言」/花づな列島復興のためのメモ(143)
つまり、はなはだ率直に「腰の定まらない姿」を表面化してしまっている。
この政権の一刻も早い終焉を願う。

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2012年9月19日 (水)

黒曜石の産地を訪ねる

星糞峠というのは妙な名前と言っていいだろう。
「星」と「糞」はミスマッチのような気がする。
その星糞峠の付近が、有名な黒曜石の産地であって、「黒耀石体験ミュージアム」という施設がある。
表記が、黒「耀」石であり、「曜」ではないのは何故か?
黒曜石か黒耀石かについて、Wikipedia に次のような解説がある。

黒曜石とも黒耀石とも表記される場合がある。「耀」の字が常用漢字外であるため、慣用的に黒曜石と表記したと言われることがあるが、常用漢字の制定以前から黒曜石の表記はあった。安永2年(1773年)に初めて黒曜石を取り上げた木内重暁の『雲根誌』では黒曜石としており、Obsidian の訳語として採用した和田維四郎も黒曜石としている。黒耀石という用字が現れるのはおそらく太平洋戦争後で、藤森栄一など考古学者の一部が好んで用いる。

黒耀石という表記は、光り輝くイメージを伝えたいということであろう。
同様の趣旨で、黒「燿」石という表記も用いられている。

先日、近所の100均で買った『日本の歴史事典』の「旧石器文化と縄文文化」の項に、以下のような記述があった。

各地で交易が行われていたことが、狩猟用石器の原料である黒曜石の出土などから分かる。その産地は長野県和田峠など数カ所に限られるが、かなり離れた土地でも黒曜石で作られた石鏃が見られるからだ。

黒曜石の交易圏については、以前に少し触れたことがある。
⇒2011年6月30日 (木):黒曜石の産地と利用地/やまとの謎(32)
下図の赤丸の場所、中山道がヴィーナスラインと交差するあたりが和田峠である。
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「黒耀石体験ミュージアム」は、ふるさと創生事業で建造されたとかで、山の中のある立派な施設だ。
長野県小県郡長和町大門という場所である。
となりに、明治大学黒曜石研究センターがある。
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ペンションオーナーのお嬢さんが小学6年生のとき、新聞コンクールで大賞を受賞した作品が展示してある。
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沼津市は黒曜石と縁が深い。
沼津市文化財センターの学芸員池谷信之さんは、「黒曜石考古学」という分野を開拓した功績で、日本考古学協会大賞受賞という栄誉に輝いている。

遺跡の出土品の一部という位置付けにすぎなかった黒曜石に価値を見いだして18年。常識を覆す「全点分析」の手法で黒曜石考古学を一分野として確立したことが評価された。 池谷さんは、旧石器時代や縄文時代に刃物として使われていた黒曜石の産地分析を通じて、当時の人々の生活や社会背景を研究している。「切り開いた分野が認められたことがうれしい」と受賞を喜ぶ。
http://www.47news.jp/localnews/shizuoka/2011/06/post_20110624161855.html

また、沼津高専の物質工学科望月研究室は黒曜石研究で有名である。
⇒2011年6月26日 (日):沼津は黒曜石研究のセンター

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2012年9月18日 (火)

柳条湖事件から81年、拡大する反日デモの行方/満州「国」論(2)

81年といえば、平均的な人の一生の時間である。
81年前、日本史の転換点となる事象が発生した。
柳条湖事件である。

百円均一の店で売っている山田美佐子編『日本の歴史事典』大創出版(0411)は、日本史を概観するのに便利であるが、同書の満州事変の項の説明は次の通りである。

 一九二八年末に張学良が国民政府と合体し、中国の統一を一応完成した。日本の関東軍は危機感を深め、武力で満州を勢力下に置こうとした。そして、石原莞爾らが一九三一年九月一八日、奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道を爆破し(柳条湖事件)、これを中国軍のしわざとして軍事行使を開始し、満州事変が始まった。
 関東軍は内閣を無視して占領地を拡大し、世論も軍の行使を支持したので、若槻礼次郎内閣は総辞職し、替わって政友会総裁犬養毅が組閣した。
 一九三二年に、軍は満州の主要地域を占領し、清朝最後の皇帝溥儀を執政として、満州国を建国させた。中国からの訴えで国際連盟はリットン調査団を派遣した。

地図で当時の状況を見れば以下のようである。
Photo
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/kou_chirekikouminn/sekaishichizu/sww/01_manshyu.html

上掲『日本の歴史事典』の解説は、ほぼ現在の通説的な見解といって良いであろう。
これに対し、たとえば元自衛隊航空幕僚長・田母神俊雄氏が、アパグループ主催の第1回『「真の近現代史観」懸賞論文』において、最優秀藤誠志賞を受賞した「日本は侵略国家であったのか」等に見られる見方がある。
⇒2009年1月10日 (土):田母神第29代航空幕僚長とM資金問題

田母神氏は、この論文において、次のように書いた。

 1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
⇒2009年1月13日 (火):田母神氏のアパ論文における主張②…張作霖爆殺事件

文脈からすれば、柳条湖事件についても、石原莞爾ら関東軍主導説を否定するものであろう。
この事件は、日中戦争の導火線となり、戦火はやがて東亜・太平洋地域に拡大し、第二次世界大戦の一部となって、日本国は壊滅的な敗戦に至る。
つまり81年前の9月18日は、近現代の日本史上の大きなターニングポイントだった。

いままた、尖閣諸島の国有化をきっかけとした反日デモが中国全土に拡大している。

 日本の尖閣諸島の国有化に抗議する中国の反日デモは16日、前日に続き数十都市で起きた。一部が暴徒化し、日系商業施設などが襲われた。日系企業には被害を恐れ、休業などの動きが出ている。広東省深セン(センは土へんに川)市ではデモ隊が中国共産党委員会の建物に押し入ろうとして治安当局と衝突。当局が催涙弾を撃つなどの騒乱状態となった。
 今回の一連の反日デモで、党機関にデモ隊が押しかけたことが確認されたのは初めて。中国社会の反日感情が、党や政府への不満の噴出につながりかねないことを浮き彫りにした。

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http://www.asahi.com/international/update/0916/TKY201209160320.html

雲霞のごとく押し寄せてくる船団の映像は、遙かいにしえの白村江における唐の船団のことを想起させるものがあった。

Photo_2
http://hamusoku.com/archives/7457403.html

尖閣に領土問題は存在しないというのがわが国の立場である。
しかし現実に反日デモは拡大している。
隣国との関係は難しいのが一般的ではあるが、対立よりも友好が望ましいのはいうまでもない。
私は東京都が交渉しているものだとばっかり思っていたが、知らぬ間に国有化ということになっていた。
国有化の是非はともかく、野田政権はコトを急ぎ過ぎたのではと感じる。
少なくとも、唐突な国有化の意思決定の過程を国民に説明すべきではないか。

反日デモが反政府デモに転化するかどうかは分からない。
しかし中国政府・共産党にとっては、内政に対する不満を外に向けるという常套手段が、両刃の剣になる可能性も否定できない。
毛沢東の肖像画を掲げるデモに、文化大革命時代の残像を見るような気がした。

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2012年9月17日 (月)

維新ブーム考/花づな列島復興のためのメモ(144)

民自両党の党首選が賑やかであるが、それぞれの関係者だけが盛り上がって、国民的関心は今ひとつといった感じである。
東日本大震災、とりわけ福島第一原発事故という歴史的事象を体験したというのに、旧態依然というか、変化の予感がしないのだ。
⇒2012年9月10日 (月):嘆くべきか、嗤うべきか、民自両党党首選の猿芝居
⇒2012年9月14日 (金)民自両党の党首選候補者/花づな列島復興のためのメモ(141)

これに比べて、「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長の勢いは確かに違うようだ。
「大阪維新の会」は国政に進出することを明確にし、政党要件を満たして新党「日本維新の会」に発展的に移行することを発表した。
閉塞状況をブレークスルーする力が、民自両党には感じられないのと対照的である。

い‐しん【維新】ヰ‥
[詩経[大雅、文王]「周旧邦と雖いえども、其の命維これ新たなり」]
①物事が改まって新しくなること。政治の体制が一新され改まること。
②明治維新のこと。

広辞苑第六版より引用

上記の説明にあるように、維新には、一般的な事象を示す①の意味と、特定の事象を指す②の意味とがある。
「日本維新の会」は、①の意味であろうが、多分に②を意識しているのではなかろうか。
現代の政治家が、高杉晋作や坂本龍馬のような維新の群像に自らを擬えたがる風潮があるからである。
たとえば、菅前首相が、政権を「奇兵隊内閣」と命名したいといった。
2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
⇒2011年6月 2日 (木):哀しき奇兵隊内閣の末路

このような風潮は、菅氏の例がそうであるというだけでなく、何となく胡散臭いものがある。
特に明治維新については『坂の上の雲』に代表される司馬史観の影響が、多くの人に刷り込まれている。
高い志を持った若者が、封建的な時代に風穴を開けた。上っていく坂の向こうには、輝く白い雲が浮かんでいる・・・。

30年ほど前に初めて鹿児島に行ったとき、西駅(現在の中央駅)近くの「若き薩摩の群像」を見て、予定している新規プロジェクトを精一杯やろうと奮い立った記憶がある。
0
http://washimo-web.jp/Trip/SatsumaStud/satsumastud.htm

しかし、明治維新にはこのような明るい面だけがあるわけではない。
激しい権力闘争という側面を見逃してはならないだろう。
明治維新は、徳川慶喜の大政奉還により成った。

幕末、ペリーの浦賀来航が1853年であり、大政奉還が1867年であるから、およそ15年間の間に情勢は大きく動いた。
その間、国論は尊皇攘夷と佐幕開国というコンセプトの間で触れた。
「攘夷」とは、外夷をうちはらうことであり、ペリーに代表される開国を求める勢力は、「外夷」と見なされていたのである。
それが最終的には、尊皇開国に落ち着いたのであって、現時点で幕末から明治維新期は大いに参考とすべきではあろう。

大政奉還が実現した背景を最もシンプルに表現すれば下図のようになる。
Ws000000
榎本秋『図解日本史』新人物往来社(1203)

薩長土の下級武士を中心とした動きは確かに心躍るものがあることは事実であるが、東北大震災を体験した現在、より気になるのは、会津などの奥羽越藩が新政府と戦った戊辰戦争である。
東北日本と西南日本の戦いでもあったと見ることができる。
東北の中央権力に「まつろわぬ伝統」といえようか。
Ws000001
同上

東北地方は、福島第一原発事故や青森県など、今後のエネルギー政策の焦点となる地域でもある。
従来は、矛盾を引き受けるという形で地域振興を図ってきたが、その矛盾が表面に露出したのが東日本大震災であった。
「日本維新の会」の、東北地方振興策に注目したい。

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2012年9月16日 (日)

「東大話法」では包み隠せない民主党政権の「三百代言」/花づな列島復興のためのメモ(143)

「三百代言」という言葉がある。
広辞苑の説明は次のようである。

さんびゃく‐だいげん【三百代言】
①明治前期、代言人の資格がなくて他人の訴訟や談判を引き受けた者。また、弁護士の蔑称。木下尚江、良人の自白「弁護士が可いいと言ふじやありませんか、阿母おっかさんは―と一つになさるから不可いけないワ」
②転じて、詭弁きべんを弄すること。また、その人。

広辞苑第六版より引用

枝野経産相兼原子力損害賠償機構担当相は、弁護士であり、野田政権では、内閣法制局長官に代わって、憲法及び法律解釈も担当している。
政権における法律の専門家と言って良い。

政府が「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した直後である。
⇒2012年9月15日 (土):「言うだけ」感を拭えない政府の脱原発政策/花づな列島復興のためのメモ(142)
その根幹である「2030年代に原発稼働ゼロを可能にする」という方針と両立し得ない言動が、早くも枝野経産相の口から出た。

 政府が自ら掲げた「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」が早くも迷走を始めている。青森県の三村申吾知事らと青森市内で十五日に会談し、電源開発大間原発(同県大間町)など建設中の三原発について、建設継続を容認する考えを示した枝野幸男経済産業相。これらの稼働が認められれば、運転から四十年で廃炉にする政府原則を適用しても、五〇年代までは原発が稼働し続けることになる。
 枝野氏は会談で「経産省としてはすでに建設許可が与えられた原発について、変更することは考えていない」と明言。枝野発言は新しい原発の稼働に事実上のお墨付きを与えたといえる。
 三〇年代に原発ゼロを実現するには、運転四十年の「寿命」を迎える前の原発を廃炉にする措置が必要だが、新たな原発が稼働すればその実現はますます困難になる。
 全国で建設計画のある原発は十二基。このうち、着工済み原発の進行状況は、大間原発が37・6%、中国電力の島根3号機(松江市)が93・6%、東京電力の東通1号機(青森県東通村)が9・7%。いずれも東電福島第一原発事故を受けて、自主的に工事を中断している。
 政府は十四日に示した「革新的エネルギー・環境戦略」で、原発は新増設しないことを明記したが、建設中の三原発の扱いについては明らかにしていなかった。枝野発言を受け、電源開発は「より安全な発電所となるよう全力を挙げる」とのコメントを発表し、大間原発の建設を推進する考えを示した。
 会談後、記者団にゼロ目標との矛盾を問われた枝野氏。だが、「ゼロが可能となるよう、あらゆる政策資源を投入するということ」と述べるのみで、何の説得力ある方策を示すこともできなかった。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2012091602000116.html

人間が他の動物と異なる大きな特徴の1つが、言語の使用である。
福島第一原発事故が発生した当初、官房長官だった枝野氏が、「ただちに影響はありません」をしきりに繰り返したのは多くの人が忘れられないであろう。
現実には、原子炉はメルトダウンし、大量の放射性物質が飛散して。今なお住んでいた所に帰ることが出来ない故郷喪失者が多数いる。
枝野氏が発する言葉は、いわゆる「東大話法」の典型例であると思う。
⇒2012年7月16日 (月):枝野経産相の責任を問う/花づな列島復興のためのメモ(112)

「東大話法」の造語者・安冨歩氏の近著『もう「東大話法」にはだまされない 「立場主義」エリートの欺瞞を見抜く講談社+α文庫(1209)の案内文から。

「徹底的に不誠実で自己中心的でありながら、抜群のバランス感覚で人々の好印象を維持し、高速事務処理能力で不誠実さを隠蔽する」――日本社会の支配層が駆使する欺瞞と無責任の「東大話法」。その規則は以下の通り。
1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する

以下省略

その枝野氏が、経産相として原発推進政策の一翼を担っている。
事故が起きても、権力者としての立場には変わりはない。
私などは、ずいぶんタフな精神構造の持ち主だなあ、と思うが、この人が大臣の椅子に座っていること自体が、民主党政権の本質を表しているのではなかろうか。
政策の整合性などは、どうでもいい。その時、その場を切り抜ければ良し。
すなわち、「三百代言政権」である。

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2012年9月15日 (土)

「言うだけ」感を拭えない政府の脱原発政策/花づな列島復興のためのメモ(142)

政府が「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した。
脱原発を求める世論を受けて、従来の原発推進路線を転換し、原発ゼロ目標を初めて政府方針に明記した。
一歩前進と評価すべきであろうが、なにしろマニフェストをことごとく反古にしてきた政権である。
本気で「脱原発」に取り組もうとしているのか、疑問を感じざるを得ない。
とりあえず、「脱原発」のポーズはとりました、ということではなかろうか。
120915
東京120915

もちろん、「脱原発」を実現することは、容易ではないだろう。
いくつもの難関が待ち受けていると、素人でも思う。
ちなみにTVの討論番組では、自民党総裁選の5人の候補者がこぞって、「2030年代に原発稼働ゼロを可能にする」に×印を付けていた。
野党ばかりでなく、経済界等の手強い抵抗勢力を相手に、本気でブレークスルーしていく覚悟が伝わって来ないのだ。

先ず第一に、「2030年代に原発稼働ゼロを可能にする」は、意見聴取会や討論型世論調査の際に支持が高かった「2030年に原発ゼロ」とは明らかに異なる。
2030年と2030年代とでは、最大10年異なることになるし、2030年代の結果を検証できる関係閣僚がいるとは思えない。
仮に27年後のことを言っているとすれば、細野原発担当相でさえ70歳近いことになるが、私自身の経験からしても、40歳ぐらいの頃は70歳になったときのことなど、想像さえしたことがなかった。

しかし、「2030年に原発ゼロ」が非現実的である、という判断もあり得るとは思う。
だが、長期的に原発の稼働をゼロにするということなら、今できるところは着実に速やかに実行すべきだろう。
たとえば、大飯原発については再稼動の判断を考え直すべきだろう。
ピーク需要期を過ぎたのだから、需給不安説は説得力を持たない。
需要の少ない時期に、脱原発(原発ゼロ)の状態を試行すべきではないか。

第二に、核燃料サイクルの方向性である。
現状は、原発から出てくる使用済み燃料は、再処理して原発で燃料として再利用する計画であるが、その再利用サイクルが破綻もしくは未確立である。
再処理工場は、青森県六ケ所村にあるが、青森県は、脱原発の場合、使用済み燃料の引き取りを拒否する、としている。
⇒2012年9月 4日 (火):核廃棄物をどうするか?/花づな列島復興のためのメモ(137)
とりあえずは現状方針を継続するということだろうが、弥縫策に過ぎないことは間違いない。

第三に、原子力規制委員会の人事の問題である。
福島第一原発事故の教訓はたくさんあるが、「原子力規制に関する権限基盤が脆弱だった」という認識は、米国戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハムレ所長でさえ、指摘しているところである。
⇒2012年9月13日 (木):米国対日司令塔の「原発ゼロ」批判/花づな列島復興のためのメモ(140)
にもかかわらず、政府は原子力規制委の人事を国会に諮ろうともしないのだ。
⇒2012年9月 6日 (木):火事場泥棒的に原子力規制委の人事を行おうとする野田政権/原発事故の真相(46)

第四に、アメリカとの関係である。
アメリカは日本に、消費税増税、環太平洋連携協定(TPP)、原発維持を要求しているといわれる。
野田政権は何とかこの要求に応えようとしているが、消費税増税で全力を使い切ってしまったように見える。
原発に関しても、アメリカの原子力政策は、日本の技術抜きには考えられない。
長期的な日米関係を踏まえて、脱原発をどう具現化していくのか?

これらの課題・疑問に正面から向き合って、息の長い現実的な「脱原発」のロードマップを提示すべきだろう。

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2012年9月14日 (金)

民自両党の党首選候補者/花づな列島復興のためのメモ(141)

民自の党首選がマスメディアを賑わしている。
私には、その賑わいが空しき狂騒のように映じる。
⇒2012年9月10日 (月):嘆くべきか、嗤うべきか、民自両党党首選の猿芝居
しかし、総選挙がそう遠くない時期に行われるとすれば、次の総理大臣選びに直結する可能性が大きいのが現実である。

民主党代表選には、野田首相と赤松広隆元農相、原口一博元総務相、鹿野道彦前農相が立候補している。
皆演説は上手いなあ、だけど信用できないなあ、という感じである。
民主党政権3年間の実績の評価は、代表が替わっても変わりようがない。
毎日新聞社説は、次のように説く。

 政権交代以来2度も首相が交代し、党分裂の混乱まで演じた民主党にまず求められるのは3年にわたる政権運営の真剣な総括である。税と社会保障の一体改革など諸課題について意思統一を図り、マニフェストをめぐる混乱にけじめをつける場としなければならない。
http://mainichi.jp/opinion/news/20120911k0000m070131000c.html

その通りではあるが、このメンバーでは誰が代表になっても、「マニフェストをめぐる混乱にけじめをつけ」られるようには思えない。
というよりも、毎日新聞がいう「けじめ」とは、どういう状態になれば、「つく」というのだろう。

かたや自民党総裁選には、町村信孝元官房長官、石破茂前政調会長、石原伸晃幹事長、安倍晋三元首相、林芳正政調会長代理の5人が立候補している。
各候補とも、民主党の低迷ぶりから、政権復帰への期待があからさまであるが、3年前の総選挙は、民主党が支持されたというよりも、自民党に対するレッドカードだったことを忘れてしまわれては困る。
前回の総選挙で惨敗した結果、国会議員票よりも党員票が多いらしい。
それがどう結果に影響するか?

しかし、自民党が変わっていないなあ、と感じるのは、5人の候補者とも世襲議員であることだ。
世襲が絶対的に不可だということではない。
しかし、政治を家業にしてはいけないだろう。

町村信孝氏の父は、内務官僚から衆議院議員、北海道知事、参議院議員を歴任した金五。
北海道のイメージが強いが、生まれたのは静岡県の沼津だという。
金五が静岡県の水産課長時代だったことがあるらしい。
信孝氏は、文部大臣や外務大臣などを歴任している。

石破茂氏の父二朗は、内務官僚から鳥取県知事、参議院議員になり、自治大臣などを歴任した。
茂氏は、軍事オタクとして知られ、防衛大臣等を歴任した。

石原伸晃氏の父は、現東京都知事の慎太郎。
ただし、選挙区の重複はなく、後援会等を引き継いでいるという意味での世襲ではない。

安部晋三氏の父は、晋太郎で自民党総裁候補だったが急死した。
晋三氏は、総理大臣経験者であるが、唐突な辞任劇は記憶に新しい。

林芳正氏の父は、大蔵大臣等を務めた義郎。
菅前首相が財務大臣当時、乗数効果について質問し、菅氏が答弁に窮したことがある。
このやりとりは、補正予算凍結のマイナス効果を容認する菅氏の見解を質した林氏に対し、菅氏が「前政権の公共事業は1兆円投資して1兆円しか効果がなかったが、現政権は異なる」という趣旨の答弁をしたため、林氏が「どうも乗数効果のことを言っておられるようですが、子ども手当の乗数効果はいくらとお考えか」と質問したという経緯であり、財務大臣としてはやはり問題であろう。

以上のように、5人とも大臣経験者の子息である。
そのことが、現在の難局を乗り切るリーダーとしてどう作用するのか。
いずれにせよ、民主党の犯した敵失に乗じるというだけではまったく不十分であろう。
なぜならば、民主党が失敗したことの大きな要因は、自民党政権時代の負の遺産を払拭しきれなかったことのあるからである。

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2012年9月13日 (木)

米国対日司令塔の「原発ゼロ」批判/花づな列島復興のためのメモ(140)

今日(9月13日)の日本経済新聞に、米国戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハムレ所長が、日本政府の「2030年代に原発稼働ゼロを可能にする」という案に再考を求める寄稿をした、という記事が載っている。
120913
日本経済新聞120913

日経新聞の記事からすると、論旨のポイントは次の2点である。
1.太陽光・風力では近代的な経済に必要なエネルギーを賄えない。
2.核不拡散・国家安全保障上の観点からも、日本は原子力国家であり続けるべきだ。

1.は、将来のエネルギー・ミックスをどう考えるか、という問題である。
そしてそれは、将来の社会・生活像をどう考えるか、という問題と不可分である。
政府が、意見聴取会や討論型世論調査で、特定の選択肢に誘導しようなどと考えずに、真摯に問題を深掘りしようとする姿勢であれば、もう少し議論は深まったかもしれない。
しかし、現状は生煮えのままであり、国民的合意が得られているとは言えない状態である。

2.は、私には論理の道筋が良く分からない。
ジョン・ハムレ氏の言葉を追ってみよう。
a.今後30年間で中国は75から125基の原子力発電所を建設する。
b.日本はこれまで、核不拡散問題で世界のリーダーであり続けた。
c.日本が脱原発依存ということになれば、日本は核不拡散に関する技術を失ってしまう。
d.日本は先進的な原発利用者として、他国に対して同じレベルの対応を求めていくべきだ。
e.日本は強固な規制権限の基盤を作り、安全な操業と国民の信頼を取り戻すべきだ。

私が良く理解できないのは、原発を基盤としていなければ、核不拡散のリーダーになれない、という点である。
日本が核不拡散の先頭に立つことは、唯一の被爆国というだけで十分ではないか。
原発大国であることが、核不拡散にとってマイナスではあれ、決してプラスには働かないであろう。
しかも、福島第一で世界史上未曽有の大事故を起こしてしまったことを踏まえれば、脱原発こそが核不拡散に適合している。

ジョン・ハムレ氏の寄稿の中の言葉で同意するのは以下のくだりである。

 残念なことに、日本政府は商業用の原子力発電を適切に管理する構造を構築してこなかった。日本の(原子力)規制に関する権限基盤は脆弱で、原子力産業に安全基準を課すこともできなかった。
 だからこそ、尋常でない自然災害が日本を襲った後、原子力の惨劇が生まれてしまった。多くの日本国民は今なお、日本が原子力規制に関する強固な体制を欠いたままであり、それゆえに原子力をこのまま放棄すべきだと感じている。

国会事故調の報告書で指摘されていることと同じであろう。

 東京電力福島第1原発の事故を「人災」と断定した国会事故調の報告書は、規制当局と事業者の立場が逆転し、「原子力安全の監視・監督機能が崩壊した」ことを事故の根本的な原因と指摘。規制当局は規制の先送りを許し、東電など事業者の「虜」になっていたと厳しく批判した。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120705/dst12070521490019-n1.htm

CSISとは何か?
Wikipediaによる解説は以下の通り。

1962年にアーレイ・バークおよびデイヴィット・アブシャイア (David Abshire) の主導によって、ジョージタウン大学の付属研究機関として設立された。1987年、同大学から独立した研究機関となった。
2000年より同研究所所長CEOにはジョン・J・ヘイムリ (John Hamre) 元国防副長官、理事長は元上院議員で上院軍事委員会の民主党の重鎮サム・ナンが務めている。
イラク復興において、リポート「より賢い平和 (A Wiser Peace) 」を作成し、ラムズフェルド国防長官に提出した。
日本の首相小泉純一郎の次男小泉進次郎や浜田和幸や渡部 恒三の息子の渡部恒雄(49)などが一時籍を置いた。

対日謀略の指令塔という説がある。
以下のような指揮系統だという。
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/36ff9392cc63d3631b4ee93750c21d8d

1)『米戦略国際問題研究所(CSIS)』の親玉はデビッド・ロックフェラー氏、その下にキッシンジャー氏とハーバード大学教授ジョセフ・ナイ氏 がいる
2)その下にリチャード・アーミテージ氏とCSIS所長のジョン・ハレム氏がいる
3)その下に米国務省のカート・キャンベル氏とマイケル・グリーン日本部長がいる
4)東京常駐は元海兵隊中将のジェームズ・R・ジョーンズ 前国家安全保障担当補佐官。この退役軍人が“小沢抹殺”の司令塔兼行動隊長で菅首相や仙谷官房長官をアゴで使う
5)日本側エージェントのボスが前原誠司でサブが長島昭久。渡部恒三はパシリ

どの程度の信憑性があるのか分からないが、納得できる部分がある。
それにしても、日米関係のキー・パーソンからも、「原子力規制に関する権限基盤が脆弱」という指摘を受けているにも拘わらず、原子力規制委の人事を国会に諮ろうともしない政府の姿勢はどうしたものか?
⇒2012年9月 6日 (木):火事場泥棒的に原子力規制委の人事を行おうとする野田政権/原発事故の真相(46)

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2012年9月12日 (水)

松下金融・郵政民営化担当相の自殺

松下忠洋金融・郵政民営化担当相の自殺には驚いた。
時期が時期だけに、政治的な背後関係があるのではないかと考えるのが普通であろう。
⇒2012年9月10日 (月):嘆くべきか、嗤うべきか、民自両党党首選の猿芝居

直後から、自殺に至る背景が報じられ始めた。
実際は、今日(12日)発売の「週刊新潮」に、同氏の女性スキャンダルが掲載されているらしい。
タイミングからしてもこの問題と関係があると考えるのが自然であろう。
同記事は未読だが、新聞広告には「痴情はてなき電話と閨房」とある。
人前では読むのが憚られるようなタイトルである。
同誌に連載の「黒い報告書」と似たようなものか?

政治家の自殺は目立つ。
何か隠された背景があるのではないか、とつい勘繰ってしまう。
現職閣僚としては、松岡利勝氏に続いて、戦後2人目ということだ。
しかも松下氏と松岡氏は親友だったという。
私は松岡氏には余り良いイメージがない。
事務所光熱費をめぐる疑惑に、「何とか還元水が・・・」などという珍答弁をしていた記憶ぐらいしかない。

中川一郎、新井将敬……。
印象に残っている自殺政治家である。
現職ではなかったが、偽メール事件の当事者であった永田寿康氏なども記憶に新しい。
⇒2009年1月 8日 (木):永田寿康元衆議院議員の自殺
いずれも不可解な死であったが、真相は闇の中である。

現職国会議員の自殺者リストがある。
Photo_3
東京新聞120912

松岡氏と比べてみても、松下氏は地味な目立たないあるいは存在感の希薄な政治家だったといえよう。
おそらく脚光を浴びたのは、自殺の報道が初めてではなかろうか。
死んでしまった人にどうこう言っても仕方が無いが、大臣としての出処進退のケジメをつけて、一私人として自殺すべきであったように思う。

「週刊新潮」の記事のことを聞いた時、「73歳にもなる政治家が、女性スキャンダルとは・・・」と、瞬間的に思った。
そんな分別のない男が、大臣を務めていたのか!
「100年に一度」のリーマン・ショックの後遺症が完全に癒えぬまま、「1000年に一度」の東日本大震災という国難を迎えた。
デフレ経済から脱出する道筋が見えぬままである。
いまこそしっかりとした金融政策が求められているのに・・・、という感じである。

大臣という最高レベルの公職にある人間としては、あるまじき行為であることは間違いあるまい。
女性スキャンダルも、自殺も、である。

しかし、一歩下がって、一個の人間としてみたらどうだろうか?
第一発見者は夫人だと報じられており、「週刊新潮」のタイトル(?)からしても、いわゆる不倫とか浮気とか火遊びといわれる類のことだろうと思われる。
もちろん、73歳にもなって女性スキャンダルとは誉められた話ではないことは当然である。
一般論としてはそうであるが、男女の仲というものは他人が窺い知れないものがあることも事実である。
年齢や地位や名誉とはまったく関係がないともいえる。
他人がとやかく言っても仕方がないのではないか。

松下氏が死を選んだのは、「自殺予防週間」の初日で、「世界自殺予防デー」の当日である。
いかに自殺予防が難しいかを示しているともいえよう。
私は、自殺をした人間のことを、生きている人間が理解するのは不可能もしくは至難であると思う。
詮索するのは勝手であろうが、所詮憶測に過ぎないのではないか。

松下の死去に伴い補欠選挙が行われる見通しである。
民主党政権の正当性、政権存続の妥当性が問われている時期でもあり、注目される選挙となろう。
「大阪維新の会」が発展し、今日政党化されたた新党「日本維新の会」も早速候補者擁立を考えているという。

 橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が、松下忠洋金融・郵政民営化担当相の死去に伴う10月28日投開票の衆院鹿児島3区補欠選挙に、近く立ち上げる新党「日本維新の会」から候補者擁立を検討していることが12日、分かった。擁立すれば新党で初の国政選挙となる。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20120912-1015609.html

松下氏に比べ、同じように女性スキャンダルに見舞われた橋下氏のしたたかさは、質が違うようだ。
「近いうち」の総選挙がいつになるかは分からないが、総選挙の帰趨を予示することになるのかも知れない。

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2012年9月11日 (火)

「9・11」を迎えて/花づな列島復興のためのメモ(139)

Photo
上図は、会田誠氏の『紐育空爆之図』と題する作品である。
2001年の9月11日、紐育(ニューヨーク)はまさに空爆されたのだが、この作品は、1996年に描かれた。
したがって、「9・11」とはまったく関係が無い。

しかし、次のような短歌の作品は明らかに「9・11」をモチーフにしている。

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長きながく待ちゐき
大江隆弘『デプス』

大江氏の作品は、空爆する側にシンパシーがあるが、その背景には、「アメリカ金融帝国」への異議申し立てのような気持ちがあるのではなかろうか。

TVでリアルタイムに視聴したニューヨークのワールド・トレード・センター(WTC)へのテロ攻撃は、21世紀が容易ならざるものであることを予感させた。
あれから11年、テロの首謀者と目されていたウサマ・ビンラディンは殺されたが、問題の解決には程遠いと言わざるを得ない。

その映像は、夜の番組の途中、突然に映し出されたように記憶している。
WTCには友人の金融関係の会社が入っていたので、訪ねていったことがある。
また、私自身は大した役割をしなかったが、近くのオフィスを借りてJVで仕事をしたこともあった。
だから、WTCが崩れ落ちていく映像は、映画でも見ているような感覚であった。

アフガニスタンは今も遠い国であるが、多数の子供を含む自爆テロなどの犠牲者がいる。
それから10年半後の「3・11」。
やはりTVに映し出される津波の映像は、映画を見ているようであった。
しかし、紛れもなく、この日本で現実に起きていることであった。

それから1年半。
私もほんの一端を垣間見る機会を得た。
⇒2012年8月27日 (月):大川小学校の悲劇と避難誘導の難しさ/因果関係論(20)
もちろん身体不如意の老残の身であるから、具体的な復興作業に貢献することはできない。
しかし、何かのお役に立ちたいという気持ちは持っているつもりである。

復興はケースバイケースのようである。
すっかり復旧しているところもあれば、まだ津波の痕が生々しく残っているところもある。
もちろん、福島第一原発事故は「収束」には程遠い。

震災により自宅を離れざるを得なくなって、まだ家に帰れない人が34万人もいるという。
静岡県内に避難している人も千人以上の数に上る。
1120911
120911静岡新聞

私たちは、「ABCD=アメリカ、イギリス、中国、オランダ」を中心とする国々と、無謀としか考えられない戦争に踏み切り、当然のごとく負けた。
私は戦争の記憶はないが敗戦直後の食糧難の時代は覚えている。

そこから必死になって復興し、経済成長を遂げ、飽食の時代といわれるようになった。
まことに変化の大きな時代だったと思う。
しかし、ヒロシマ、ナガサキに加え、ビキニ環礁での原爆実験の被害まで受けているにも拘わらず、原発大国となって、エネルギー多消費社会を謳歌してきた。
やはり、そんなことではいけなかったのだと思う。

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2012年9月10日 (月)

嘆くべきか、嗤うべきか、民自両党党首選の猿芝居

国民新党の松下金融相が自殺したらしい。

 松下忠洋金融担当相(73)が10日午後、東京都江東区内の自宅で首をつった状態で見つかり、病院に運ばれたが、死亡が確認された。警視庁は室内の状況から自殺を図ったとみて調べている。
http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012091001001890.html

自殺の理由など、本人にしか分からないから詮索はすまい。
しかし、現職閣僚の自殺とはただ事ではない。
民自両党の党首選の状況に関係はあるのか、ないのか?

野田首相問責決議可決以来、開店休業状態だった国会が閉会したが、民主、自民両党は、国会閉会前からすっかり党首選モードに移行していた。
何ということだろう、消費税増税だけ3党合意で可決し、社会保障も「身を切る改革」も、我関せずといった感じである。
こんな連中を、「選良」というのか?
血税の無駄遣いの典型であろう。

自民党では、急きょ谷垣総裁が、出馬を断念したという。

 自民党の谷垣禎一総裁は10日午前、党本部で緊急に記者会見し、党総裁選(14日告示、26日投開票)への不出馬を明らかにした。谷垣氏は再選出馬を目指す考えを繰り返し示していた。しかし、派閥の実力者らに推された石原伸晃幹事長(55)が反旗を翻す形で立候補に意欲を示したことで劣勢が伝えられており、出馬断念に追い込まれた。
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_509314

谷垣氏の無念はいかばかりかと思うが、所詮修羅場には向いていない人だと思う。
3党合意をした結果自縄自縛的になり、野田不信任案に賛成できなかった時点で、この人の政治生命は終わりだと感じた。
⇒2012年8月 4日 (土):野田内閣不信任決議案可決の条件/花づな列島復興のためのメモ(124)
案の定、支援を求めた古賀元幹事長をはじめ、派閥の長老たちの応援を得られず、不戦敗を選択せざるを得なくなったのである。
谷垣氏の胸中の一端は、次の言葉に表れている。

 この間の党首会談で、近いうちに解散、そして解散をすれば、わが党が政権を必ず取り戻す選挙にしなければならないし、それはまた可能なところまで来ている。あと一歩のところまできている。それを自分自身の手でやりたいという思いも大変私は強く持っていたが、このままで行くと、たくさんの方々が立候補し、今まで党の再生とそして日本のために自民党が働くということでやってきた路線も、あまりたくさんの方が出るとわからなくなってしまう。
 特に執行部の中から2人出るのは良くないだろうと考え、決断した次第だ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120910/stt12091012480006-n1.htm

ひ弱な人だなあ、というのが実感である。
野党党首は務まっても、総理はムリということだろう。
しかし、立候補を取りざたされている自民党の、石原伸晃幹事長、石破茂前政調会長、町村信孝元官房長官、安倍晋三元首相らで、期待感を呼び起こせるだろうか?
私は、自民党はすでに歴史的役割を終えた政党だと思っているが、民主党の余りの体たらくに、自民党が政権を奪回する可能性はある。
何とも空しいことではあるが。

民主党の方も、何をやっているのだろうか、と思う。
野田総理では選挙を戦えないとして、何人かの「有志」が細野環境相を推した。
一時は細野氏もその気になったようであるが、さすがに留める人がいたのであろう。
細野氏は出馬を見送った。

しかし、そもそも細野氏にその資格があるのか?
環境相として、あるいは原発事故担当相として、なにか積極的な功績を上げたのだろうか?
大飯原発再稼働を決めた関係閣僚の1人であるが、関係閣僚という匿名性を利用して表に出ようとしない。
利口な立ち回りともいえるが、責任を被ることを避けていてリーダー他たり得るのだろうか?
「見てくれがいい」ということで選挙の顔にと考えた民主党の「有志」は、どんな志を持っているのだ。
⇒2012年9月 6日 (木):火事場泥棒的に原子力規制委の人事を行おうとする野田政権/原発事故の真相(46)

結果として、民主党代表選には、首相と赤松広隆元農相、原口一博元総務相、鹿野道彦前農相が立候補した。
勝手にやってくれ、という感じである。
もちろん、勝手にやるのであるが、私は誰が選ばれても「近いうちに」行われるはずの総選挙では、民主党には投票しないであろう。

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2012年9月 9日 (日)

「廃炉の研究」の具体化は?/原発事故の真相(47)

「3・11」から間もなく1年半である。
福島原発事故は、昨年12月、「事故収束」を宣言したが、決して「収束」といえるような状態ではない。
原子炉の損傷の具体的な状況すら未だ分かっていないのだ。
⇒2012年6月22日 (金):原子炉の内部の状態/原発事故の真相(38)

主要な事故報告書は出そろったが、事故の経緯については藪の中に残されている部分がある。
⇒2012年7月25日 (水):政府事故調の報告書/原発事故の真相(41)
東電の情報公開もなぜか不十分のままである。
⇒2012年8月 5日 (日):原発事故のビデオ映像の公開/原発事故の真相(42)
東電は、福島原発の減価償却をして原価に組み入れた。
廃炉をするならば、除却して特別損を計上するのがスジであろう。
⇒2012年7月19日 (木):福島の再稼動も目論んでいるのか?/原発事故の真相(39)

もはや「脱原発(依存)」は動かしがたい流れであろうが、そのためには多くの課題が横たわっている。
新規に原発を作ることに同意する自治体はないであろうが、現存する原発の廃炉や解体には、40年位の期間が必要であるとされている。
その間、安全な操業と管理を行わなければならない。

運転中だった1~3号機はメルトダウンを起こしている。
溶け落ちた核燃料はまだ熱源として働いており、440トン/日の冷却水を注いでいる。
その水収支が大きな問題である。
⇒2012年6月 1日 (金):福島原発事故の水問題/原発事故の真相(33)
Photo
東京新聞120909

溶け落ちた核燃料は強烈な放射線量を発している。
内部を覗く内視鏡が十数時間で使えなくなってしまうという。
廃炉に至る道のりは遙かである。
Photo_2
東京新聞120909

コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの第1作は『緋色の研究』である。
ダジャレに興ずる場合ではないが、「廃炉の研究」をもっとスピーディに進めるべきではないか。

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2012年9月 8日 (土)

平山郁夫シルクロード美術館と高句麗壁画

三分一湧水の近くに、平山郁夫シルクロード美術館がある。
⇒2012年8月20日 (月):三分一湧水と先人の知恵
Photo
http://www.silkroad-museum.jp/access/index.html

平山郁夫とシルクロードとの係わりは深く長い。

「私がシルクロードを歩くようになったのは,日本文化の始まりである仏教伝来の道をたどることが目的」だったという平山画伯は,「仏教伝来」をはじめ,「玄奘三蔵への道」「アレクサンダーの道」シリーズなど,シルクロードと関わりの深い作品を数多く残している。
http://www.silkroad-museum.jp/hirayamaikuo/index.html

仏教伝来の道の一環として、朝鮮半島は欠かせない。
朝鮮半島でも、百済、新羅、伽耶には壁画古墳がほとんど見られないのに対し、高句麗には現在分かっているだけで100基ほどの壁画古墳があるという。
平山郁夫シルクロード美術館に、高句麗壁画古墳の再現模型がある。

東京芸術大学の宮廻正明教授 (文化財保存学・保存修復日本画)は、北朝鮮の世界遺産高句麗古墳群のひとつ、江西大墓(こうせいたいぼ)(6世紀末~7世紀初め)の壁画を、独自のデジタル技術によって世界初の原寸大で「復元」したと発表した。
2
 
http://www.rekishijin.jp/rekishijinnews/20120319kokuri/

高句麗は、古代朝鮮にあった国だが、その領域は驚くほど広い。

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Wikipedia

決して朝鮮半島北部というようなものではない。
契丹と接していた時代もあるようだが、この地域の歴史は入り組んでいて複雑である。

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5世紀頃Wikipedia
⇒2012年1月 9日 (月):草原の王朝「契丹」展@静岡県立美術館

1972(昭和47)年3月、明日香村の高松塚古墳でわが国で初めて彩色壁画が発見された。
古墳の築造時期や被葬者などをめぐって、各分野の専門家から様々な見解が発表された。
⇒2008年9月 8日 (月):様々なる被葬者論

⇒2008年11月13日 (木):岡本正太郎氏の高松塚被葬者論…⑤大津皇子について

被葬者については未だ確説はないようであるが、築造時期については、藤原京期(694~710)の範囲に限定されてきたようである。
壁画は、四神・日月星辰・男女の風俗等を描いていて、当初より高句麗壁画との類似性が指摘されている。
平山美術館の再現壁画は、青龍、白虎、玄武、朱雀の四神図である。
なぜ、高松塚古墳に高句麗古墳に似た壁画が遺されていたのか?
素人の考え及ぶところではないが、興味を惹かれる。
⇒2010年10月26日 (火):聖武天皇の宝剣?/やまとの謎(3)

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2012年9月 7日 (金)

信濃デッサン館

先日無言館などを訪ねて上田市に行ったばかりであるが、数少ない木造校舎として知られる上田市立浦里小学校が燃えてしまった。
⇒2012年9月 3日 (月):無言館再訪

浦里小学校の本校舎は、1924(大正12)年に建てられ、数多くの映画・ドラマのロケ地としても知られた。
1995年の映画『ひめゆりの塔』で使われて以降、『スパイ・ゾルゲ』『ゼロの焦点』『私は貝になりたい』などの作品で使われた。
Photo
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20120907/CK2012090702000021.html

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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/accident/589338/slideshow/507069/

そうとなるならば、見ておきたかった、と言っても後の祭りである。

しかし、今回無言館と併せ、念願の「信濃デッサン館」も訪ねることができた。
信濃デッサン館は無言館より先にできた、いわば本館にあたるものであり、共に、窪島誠一郎氏が私財を投じて作られた美術館である。
村山槐多・関根正二など若くして病死した画家のデッサンを中心に展示されている。

無言館からさほど離れていない前山寺という古刹に隣接して建っている。
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浦里小学校とは5~6kmくらいの距離であろうか。
前山寺は真言宗智山派の寺で、信州の鎌倉と称されるこの地方(塩田平)の中心である。Img_13892_2

古刹と美術館は、微妙にマッチングしている。
窪島氏の『信濃デッサン館日記』講談社文庫(8610)に、以下のように書かれている。

「信濃デッサン館」が、長野県上田市独鈷山ふもとの、真言宗前山寺山門そばにたつことになり、その収蔵作品の公開展が、五十三年十一月二十五日から三カ月間、東京世田谷の故柳田国男邸で開催のはこびである。企ては私の心に練られてきた年来ののぞみではあったけれど、実現にあたっては、信州在の多くの人々のあつい手をかりた。前山寺ご住職守栄真氏が約一千五百平方メートルの用地を提供してくだきり、農民美術史など地道な研指で知られる地元の著述家小崎軍司氏が、資材の調達や人あつめにはしってくれている。たてものの建築のほうは、私の永年の知己で、東京麻布で設計をやっている入江慶一君のプランをもとに、上田市内の建設会社の青年社長、花岡空口氏がひきうけられた。いずれも、私にとっては、旅さきの信州路で出会ったゆきずりの人である。

窪島氏が水上勉と再開したのが昭和52年だから、信濃デッサン館の計画が具体化しつつある時期だった。
信濃デッサン館は、無言館に比べて経営が苦しく、窪島氏は、2006年にいったん閉館することを決意した。
しかし、「閉館しないで欲しい」というファンの声で、2007年1月から半年休館して改修、展示スペースを拡張して再オープンした。
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私は、思いがけず、むかしファンだった立原道造の遺品を見ることができた。
⇒2009年2月 4日 (水):浅間山の癒しと脅威
今年リニューアルして、館内に「立原道造記念展示室」が新設されたとのことである。
立原道造の他に、小熊秀雄など詩人として知っている人のデッサンを見ることができた。

目の前に塩田平が開け、気持ちのいい場所であった。
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2012年9月 6日 (木)

火事場泥棒的に原子力規制委の人事を行おうとする野田政権/原発事故の真相(46)

野田首相は、大飯原発の再稼働を「私の責任で判断する」と言って、再稼動に踏み切った。
⇒2012年5月31日 (木):野田首相に理はあるか/花づな列島復興のためのメモ(75)
その首相が、原子力規制委員会の人事に原発推進派を起用し、本来は国会の同意が必要なのに、首相権限で強行するという。
国会軽視であるし、無責任の極みでもあるだろう。

国会は、野田首相の問責決議が可決したことにより、事実上閉会して、民自両党は、次の代表者選びに集中している。
問責された側と問責した側のどちらに非があるか?
一概には言えないにしても、問責可決した側が悪い、というように見える政府・民主党に明日はないと思う。
評価のフィードバックなき組織に発展的な存続はあり得ない。
⇒2010年8月 1日 (日):民主党におけるマネジメントの不在

民主党の代表選では、野田首相の対立候補を擁立する動きが活発化している。
「近いうち」に実施されることになっている総選挙の顔として、野田首相は相応しくないということのようだ。
対立候補としては、細野環境相などの名前が挙がっており、細野氏も乗り気のようだ。
しかし、細野氏には疑問を感ずる部分がある。

細野氏は野田政権内では仕事師であるといえよう。
過去に女性スキャンダルが写真週刊誌に載るという脇の甘さもあったが、ルックスの良さで女性受けもいいようだ。
しかし、次のような記事を見ると首を傾げざるを得ない。

 細野豪志環境相は30日、東京電力福島第1原発事故の被曝による遺伝子への影響を調べるため、来年度から福島県民を対象に「全ゲノム(遺伝情報)解析調査」に着手する考えを明らかにした。
 福島県立医大(福島市)で開いた私的懇談会の終了後、記者団に述べた。
 細野環境相は「政府としてしっかりと(福島に)向き合っていく。遺伝子の調査はすぐに不安の解消にはつながらないかもしれないが、人間の根源的な遺伝子を調べることで将来への予防になる」と語った。環境省は子どもを中心に調べる方針。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120831/dst12083100360000-n1.htm

この調査が的外れであることは、次の批判を読めば十分であろう。

 まったく馬鹿げたことだ。そもそも遺伝子の異常は、普通の状態でも発生する。とすれば、比較調査をするためには、福島だけでなく多くの地域で同時に調査をする必要がある。なのに、福島だけで調査しても、それは放射線のせいかどうか、区別できない。
 また、仮に区別できるとしても、そもそもこの程度の低レベルの放射線では、遺伝子の異常は起こらない、ということは、とっくに調査で判明している。つまり、「無意味」とすでにわかっている調査をすることになる。
( ※ 生物学ではとっくに判明しているが、DNA に影響をもたらすような放射線レベルは、福島の数千倍ぐらいのレベルだ。現状のレベルでは、遺伝子に異常を起こさないことはすでに判明している。ごく稀に起こる分はあるかもしれないが、それは統計誤差に埋もれてしまうレベルだ。要するに、無視できる。……というわけで、政府の調査はまったく無意味。)

http://openblog.meblog.biz/article/11138124.html

こういう調査をすることによって、「福島では遺伝子変異の可能性がある」というメッセージが発信されることになる。
言い換えれば、政府の調査は、無意味というよりも有害である。
発案は細野氏というより、官僚かも知れない。
しかし、細野氏が担当大臣であり、責任を負う立場である。
現状では、「民主党代表=首相」であるが、民主党は次の総選挙で惨敗するであろうから、代表に誰がなってもそれほど問題にすることではないともいえるが。

それよりも、原子力規制委の人事は、まさに「火事場泥棒」のようなものといえよう。
しかもその「火事場」は自ら撒いたものだから、放火犯が泥棒を働くようなものである。

政府側は原子力規制委員会設置法付則二条を根拠としている。「国会の閉会または衆院解散のために両議院の同意を得られない時は、首相が任命できる」との例外規定があるためで、二十六日の委員会設置期限を前に、十一日の閣議で決定する方針だ。
・・・・・・
政府・民主党は、付則に緊急事態の場合は事後同意が必要ないとの趣旨が盛り込まれていることを理由に、次の国会でも同意を求めないことも検討している。東京電力福島第一原発事故後は緊急事態が継続しているとの解釈からだが、国会軽視も甚だしい対応だ。
 内閣府原子力委員会新大綱策定会議の委員を務める金子勝・慶応大教授は同意人事に関し「原子力ムラを第三者の立場からチェックする機能だ。政府はそれを骨抜きにしようとしている。国民から信用されない」と指摘した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012090602000131.html

そもそも新設の原子力規制委員会を国家行政組織法第三条に基づく独立性の高い委員会にしたのは、国会事故調査委員会報告にも見られるように、従来の原子力安全・保安院や原子力安全委員会が原発推進派の強い影響下にあったことの反省を踏まえたからではなかったのか?

政府が指名したのは、委員長候補に原子力委員会委員長代理や日本原子力研究開発機構副理事長などを務めた田中俊一氏、委員候補に日本アイソトープ協会主査の中村佳代子氏、日本原子力研究開発機構原子力基礎工学研究部門副部門長の更田豊志氏らである。
しかし、彼らは、核燃料サイクルの推進機関や放射性廃棄物の集荷、貯蔵、処理をする団体の関係者であった。
つまり、原発推進を目指す「原子力ムラ」の住人である。
このような人事を、放火しながら泥棒を働く手口でやろうとしているのである。

現在は原子力緊急事態宣言発令中なので、事後同意も必要ないということらしい。
盗人猛々しいとはこういうことを言うのであろう。

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2012年9月 5日 (水)

本末転倒の「廃棄物処理ができないから原発稼働」論/花づな列島復興のためのメモ(138)

将来的な原子力発電の比率について、民主党エネルギー・環境調査会は、「原発ゼロ」を目標とする素案を示した。
間近に迫った衆院選を意識したものとの批判もあるが、意見聴取会や討論型世論調査で明らかになった民意が、政府・民主党を動かしたといえよう。
⇒2012年8月23日 (木):将来の原発比率に関する民意/花づな列島復興のためのメモ(134)

しかし、原発ゼロになると、、「使用済み核燃料の処理が課題」になる。
現在は使用済み核燃料は、再処理されて一部が核燃料として再利用されることになっている。
⇒2012年9月 4日 (火):核廃棄物をどうするか?/花づな列島復興のためのメモ(137)
使用済み核燃料の処理をどうするかは、脱原発の大きなキーである。

産経新聞は、選挙対策ばかりを意識して国の根幹となるエネルギー政策を決めることになれば、大きな禍根を残す、として次のように論じている。

 使用済み核燃料問題は深刻な課題だ。青森県六ケ所村にある再処理工場には約2900トン使用済み核燃料が貯蔵されているが、六ケ所村と日本原燃が結んだ覚書では「再処理事業の確実な実施が著しく困難」となった場合、使用済み燃料を施設外に搬出すると定めている。
 政府が原発ゼロを決めれば、再処理事業を進める必要はなくなり、燃料は電力会社に返却される。だが、貯蔵する場所は原発の使用済み核燃料プールなどしかなく、返却されれば一気に満杯になる。枝野氏は「努力や施策の積み重ねで解決は可能」と語ったが、最終処理施設の建設などめどは全くたっていない。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120904/trd12090422480016-n1.htm

使用済み核燃料の貯蔵場所がないからといって、再処理事業を進めるために原発を稼働させるべき、というのは論理が逆立ちしている。
貯蔵場所も問題であるが、核燃料サイクルが計画通り進捗していないのだ。
原子力委員会の事務局(内閣府)が、電力会社など原発推進の側だけを集めた非公式な会合を20回以上も重ね、核燃料サイクル政策の見直しを議論する小委員会の審議前に情報を流していたということがあった。
⇒2012年5月27日 (日):原子力ムラの懲りない人たち/原発事故の真相(30)

その秘密勉強会の場で、電力各社でつくる電気事業連合会(電事連)の幹部が、使用済み核燃料の再処理事業は、原発に使用済み核燃料がたまって稼働できなくなるのを防ぐため、と明言していたことが報じられている。

 鈴木氏(注:原子力委の委員長代理)の質問は、電力各社にとって再処理を続けるメリットは、プールにたまった使用済み核燃料を減らし、原発を維持することかどうかをただす趣旨。部長の答えは、まさに電力会社の本音を語ったものだ。
 ただし、日本の原子力政策の建前は、再処理で出たプルトニウムを使い、混合酸化物燃料(MOX燃料)にしてプルサーマル発電で再利用。それが「資源小国の日本にとってウラン資源の節約につながる」ということだ。その建前で十兆円もの巨費を投じてきたが、再利用の輪は完成しておらず、MOX燃料の利用計画も立てられなくなっている。
 政府・与党は近く、将来の原発比率をどうするか結論を出す見通しだが、再処理を含め原発を維持しようとする動きは根強い。政府からは、原発ゼロにした場合、光熱費がアップするなど否定的な側面だけを宣伝する動きも強まっている。
 だが、これまでの再処理の建前はうそで、原発を運転し続けるための方便ということがはっきりしたことで、再処理事業の存続意義はますます揺らぐことになりそうだ。
 電事連は「(秘密勉強会の)出席者や発言者の確認をしていない」として、検証チームへの資料提出を拒否している。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012090502000123.html

120905
東京新聞120905

ウソと恫喝で武装した(しなければならない)原発政策が破綻しているのは明らかである。


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2012年9月 4日 (火)

核廃棄物をどうするか?/花づな列島復興のためのメモ(137)

われわれの活動を制約するのは、資源とその利用結果としての廃棄物である。
資源制約は人類の歴史と共に古いが、廃棄物問題が顕在化してきたのは、この半世紀くらいのことと言ってよい。
大気汚染や水質汚染などの環境問題が大きな課題となった。

学生が何を専攻の志望とするかは多分に社会の影響を受ける。
私は、工学部の出身であるが、高度成長期にはごく自然な選択だったと思う。
工学部の中で、第二志望が衛生工学科だった。
もう少し社会性のある学生だったら第一志望としたかも知れない。
しかし第二志望でも、すなわちある程度成績を割り引いても、入れる可能性のある学科が衛生工学科だった。

原子力利用の場合も、資源問題と環境(廃棄物)問題の両面から考える必要がある。
現在、核燃料のリサイクルについては、次のような図式が想定されている。

再処理工場は、青森県六ケ所村にある。
青森県が、脱原発の場合、すなわち継続的なサイクル事業が想定されない事態の場合には、使用済み燃料の引き取りを拒否する、としている。
120904
日本経済新聞120904

不要かつ危険なモノを預かれ、というのだから青森県の言い分も尤もである。
日経新聞の論調は、「だから脱原発は問題だ」ということに力点があるが、そもそも現行サイクル事業が破綻しているのである。
⇒2012年6月11日 (月):電源構成と核燃料サイクル/花づな列島復興のためのメモ(83)

したがって、現状では、「原発の稼働=高レベル放射性廃棄物の増大」である。
使用済み核燃料プールの容量はごく限られている。
数年で満杯になるという。
120904_2
東京新聞120904

一方、福島第一原発事故で栃木県内で発生した「指定廃棄物」の最終処分場を、矢板市に建設するという案を政府が唐突に提示した。
もちろん交渉の仕方は難しいと思うが、事前の相談・根回しがまったく無いということでは、地元が拒否するというのも尤もであろう。
原発は、平常時のサイクルも、事故時の収束も完結していないのである。
「事故が収束した」などという表現は、絵空事というべきであろう。

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2012年9月 3日 (月)

無言館再訪

無言館に初めて行ったのは、2006年8月16日のことだ。
この日付は、小泉純一郎氏の靖国参拝とセットであり、印象に残る。
自民党総裁選(すなわち総理大臣選出)に立候補した小泉氏は、敗戦の日に靖国参拝することを公約していた。
知覧の特攻基地で涙を流した小泉氏には、戦没者に対する思いがあったのだろう。
総理退陣を目前にして、小泉純一郎氏は靖国参拝の公約を果たした。
靖国参拝に対する賛否は別として、公約を果たすことに努力したことは、民主党歴代の総理に比べれば評価できる。

無言館のことは、その少し前に、何新聞だったかに乗った小さな記事が気になっていた。
もう40年以上前のことになるが、まだ新婚のころ、妻と2人でキスリングとテントを担いで、笹ヶ峰や戸隠のキャンプ場へ行ったことがあった。
その地を再訪しようと、その夏、クルマで出かけたのだった。
帰り道に、新聞記事のこともあり、ついでに、という感じで無言館を訪ねた。
ナビを装備していないクルマだったので、上田市内に入ってから無言館に行き着くまで苦労した。
Photo
http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/sys/20090914111443494.html

無言館の印象は鮮烈だった。
「無言館」は、水上勉の実子の窪島誠一郎氏が個人で経営している私設美術館である。
そのことは、いつか雑誌か新聞で読んだ記憶があったのだが、「無言館」を訪ねるまで意識の底に眠っていた。
新聞記事には、館主の窪島誠一郎氏の名前は載っていたはずであるが、水上勉氏との関係について触れられていた記憶はなかった。
無言館を訪れて、窪島氏の文章に接したとき、水上氏との関係が記憶の底から甦ってきた。
⇒2007年12月 8日 (土):血脈…②水上勉-窪島誠一郎

水上家から3歳のときに窪島家に養子として引き取られる。
昭和17年のことであった。
水上家が子育てをするような環境ではなかったからである。
窪島家は、明大前で靴の修理を家業としつつ明大生等に下宿を提供していたが、石巻市に疎開中の昭和20年4月の東京大空襲で被災し、家財一式を失う。
戦後、靴の修理業を続けるが、その生活は戦後という環境の中でもとりわけ貧しいものであった。

やがて、窪島少年は、自分の出生に何らかの秘密を感じるようになる。
そして、皮膚病に罹患した際の血液検査で、医師から両親との間に何らかの事情があることを仄めかされる。
少年から青年に成長するに従い、窪島氏の疑問は確信に変わり、自分を手放した実父を探求する。そして、35歳になって、それが水上勉であることを突きとめたのだった。

無言館に入ると、文字通り無言にならざるを得ない。
多くの有為な青年たちの無念の思いに、言葉が出てこないのだ。
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前回訪れた時以降に、第二展示館「傷ついた画布のドーム」が、2008年9月21日にオープンした。
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それにしても、昭和20年には、どんなにひいき目に見ても、戦争に勝てる見込みはなかったはずである。
終戦遅延の責任がどこに帰すのか、現代史家はどう見ているのだろう。

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2012年9月 2日 (日)

ASPとSaaS/「同じ」と「違う」(51)

いまやクラウドという言葉もすっかり定着しているといえよう。
スマートフォンが普及したことなどにより、日常的にインターネットを使う機会が増えてきたことが大きいように思う。
しかし、とかく新語の類は人によって含意が異なることが多い。
クラウドについても次のような解説がある。

これだけ「クラウド」についての情報が出回っているのにも関わらず「クラウド」という言葉については,人によって大きく違います。ある人は「クラウド」をメールやグループウェアなどのコミュニケーションツールのように言いますし,また別の人は「クラウド」を色々なデータを保存するストレージのように言います。さらにある人は「クラウド」を利用して,数百台のサーバを用意したという人もいます。
・・・・・・
また,これだけ「クラウド」の意味が幅広くなると,言葉の定義を統一するのも難しくなります。実際「クラウド」という言葉は,数多くの団体・組織によって定義づけられています。しかし,これらのクラウドの定義も,意味が幅広く色々と解釈されるので,実際の仕事上の会話で利用するのは難しいと思われます。

クラウドを再入門,クラウドとは何か?

しかし、一般的には次のような理解で十分だと思う。

「クラウド」(雲)は、ネットワーク(通常はインターネット)を表す。従来より「コンピュータシステムのイメージ図」ではネットワークを雲の図で表す場合が多く、それが由来と言われている。クラウドコンピューティング(英: cloud computing)とは、ネットワーク、特にインターネットをベースとしたコンピュータの利用形態である。従来のコンピュータ利用は、ユーザー(企業、個人など)がコンピュータのハードウェア、ソフトウェア、データなどを、自分自身で保有・管理していたのに対し、クラウドコンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になる。
クラウド

私も個人として、evernoteやdropboxなどで、データの保管や利用に気を使わなくていいようになった。
フロッピーディスクを使っていた時代から考えると、夢みたいである。
有り難い時代であると同時に、この先どうなっていくのか楽しみでもある。。

ビジネスモデルの保護のために特許化をする場合、インターネットなどITの利用が不可欠である。
⇒2012年2月27日 (月):ビジネスモデルとビジネスモデル特許/「同じ」と「違う」(43)
特に、新しいビジネスモデルはクラウド絡みのものが多く、耳慣れない言葉も増えてきている

最も代表的なビジネスモデルのIT(システム)化の例として、ASP(Application Service Provider)がある。
アプリケーションソフトの機能をネットワーク経由で顧客にサービスとして提供するものであり、パッケージで提供されるものと対照される。
サービスを純粋に使用量に応じて費用を払えば純粋に変動費化できる。
多くの場合、リース契約等、一定の制限付きのようであり、準変動費化ということになる。

ITに限らず、経営資源の何を社内で賄い、何を外部化するかということは、重要な企業の戦略課題である。
社会発展は分業の進展とも考えられ、次々と社内で行われていた機能を専門化して別会社として起業する例は多い。
ITは専門スキルを必要とし、しかもそのスキルは本業とは無関係であることが多いので、別会社化する典型である。

最近は、ASPと同様のサービスに対して、SaaSという言葉がよく使われる。
必要な機能を必要な分だけサービスとして利用できるようにしたソフトウェアもしくはその提供形態のこと、と説明される。

ASPとどう違うのか?
SaaSの解説に、以下のような説明があった。

ここでよく聞かれる質問に、SaaSと「ASP」(Application Service Provider)のモデルとどこが違うのかというものがあります。ベンダ側ではさまざまな説明をしているようですが、あまり本質的な相違はないというのが正直なところでしょう。両者の違いを厳密に議論しても実りは少ないと思います。「SaaSは過去におけるASPと本質的には同じではあるが、その重要性が飛躍的に大きくなっていることから、マーケティング的な観点で新しい名称で呼ぶことにしました」というのが妥当なところでしょう。

Saas
http://www.atmarkit.co.jp/im/cop/special/fivemin/saas/01.html

何を自社のkey(キモ)と考えるか、差別化をどこで図るかが、社内で賄うか、社外調達するかの岐路である。

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2012年9月 1日 (土)

シネクティクスとメタファー/知的生産の方法(21)

箱根の「彫刻の森美術館」にピカソ館がある。
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ピカソは文字通り天才画家であるが、若いころは友人の構図などを参考にして画家としての素養を磨いたといわれる。
ピカソが近くに来ると「自分の作品を盗まれる」といって嫌われたほどだという。

模倣は、一般的には、創造性とは反対の概念である。
模倣の名人(?)ピカソは、いかにして創造的な天才画家に変貌したか?

その論理を解き明かしたのが、井上達彦『模倣の経営学―偉大なる会社はマネから生まれる―』日経BP社(1203)である。
井上氏は、創造的な模倣には2つのタイプがある、という。

1つは、自らを高めるために、遠い世界から意外な学び方をするという模倣である。
もう1つは、顧客の便益のために、悪いお手本から良い学びをするという模倣である。

ライバル関係にある競争相手について考えてみよう。
競争には、勝負の面と学びの面とがある。
敵を鑑として見ることもできるし、反面教師とすることもできる。
他人の試行錯誤を自分の経験とノウハウにできるか否か。

メタファー(暗喩)というレトリック(修辞)の技法がある。
比喩の一種であるが、「~のようだ」と明示的な喩え方をしない。
たとえば以下のようなものである。
・人生はドラマだ。
・人生は旅だ。
・彼女はお姫様だ。
・彼はオオカミだ。

メタ(meta)は「~を越えて」、ファー(phor)は「運ぶ、もって行く」という意味で、「ある世界から別の世界へ、境界を越えてもって行く」ということになる。

メタファーには次の2つの種類がある。
1つは、馴染みのある喩えを用いて馴染みのないことを説明するものである。
未知のことを既知のことで説明することで、その本質を理解させる。
上記した例は、馴染みのある喩えである。

もう1つは、馴染みのない喩えで、馴染みのあることを説明するものである。
なぜ、そんなことが必要か? 
あるいはどのような効果が期待されるか?
そぐわない喩えで説明されることによって、頭が刺激されて新しいアイデアが生まれることが重要である。

前者を「修辞学的メタファー」、後者を「認知的メタファー」という。
「修辞学的」というのは、このようなメタファーを使うことにより、さまざまな意味合いを簡潔に伝えることができるからである。
「認知的」というのは、喩えるモノと喩えられるモノとの「同じ」と「違い」の係わるからであろう。
⇒2011年1月30日 (日):馴質異化と異質馴化/「同じ」と「違う」(27)

井上氏は、「模倣は高度なインテリジェンスが必要とされる知的な行為」と言っている。
そのインテリジェンスが模倣のパラドクス(=模倣できない仕組みが模倣によって築かれる)を解くカギである。

この間の事情は、シネクティクスという創造性開発の方法論が参考になる。
シネクティクスはアナロジー(類比・類推)をベースに発想するというもので、多くの創造性開発技法の基礎となっている。
⇒2009年8月 8日 (土):「同じ」と「違い」の分かる男
具体的な事象としてはまるっきり「違う」事象でも、抽象化すれば「同じ」ことであることを発見することが、創造という行為の本質である。
⇒2011年1月30日 (日):馴質異化と異質馴化/「同じ」と「違う」(27)

井上氏は、ビジネスにおける新しい結びつきは、落語における「なぞかけ」と同じ原理であるという。
「~とかけまして・・・と解く。その心は○○」である。
市川亀久彌氏の等価変換理論は、まさにその構造を示したものといえよう。
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