因果関係がはっきりしない事態への姿勢/花づな列島復興のためのメモ(116)/因果関係論(14)
最近、因果関係を問われる事態にどういう姿勢で向き合ったらいいのか、ということが気になることが重なった。
たとえば以下のような事案である。
・大津市の中学生の自殺と「いじめ」の因果関係
・放射能と健康被害の因果関係
・原発事故と地震の因果関係
・胆管ガンと有機溶剤使用の因果関係
いずれも、2つ事象の間の関係は複雑である。
一方(x)が起きれば、かならず他方(y)が起きるということではない。
しかし、数学的な関係や物理的な現象ならともかく、社会的な事象で、因果関係が疑いもなく明確であるということは稀であろう。
多くの場合は、xとyの間には、なにがしかの関係が疑われる、という「なにがしか」の程度の問題である。
2つの事象の間の関係を平面にプロットしたものを、散布図という。
上図のような散布図において、一般に、「a」のような場合なら2つの事象には関係があり、「c」のような場合なら、関係は不明である、と考えられる。
「a」のような場合を、相関関係という。
相関関係が認められる場合、「x」が「y」の原因であるというためには、当然、「x」が「y」よりは時間的に先行していることが必要である。
民法において、損害賠償は次のように定められている。
つまり、損害賠償を請求できるためには、原因行為と損害との間に、因果関係が存在することが要件である。
言い換えれば、因果関係を認めうる範囲で加害者に賠償責任を負わせることができるということである。
この場合、いわゆる事実的因果関係(「あれなくばこれなし」の関係)があれば認めるということだと、因果関係の範囲が広くなりすぎ、損害賠償の範囲が過大になりすぎる。
極端な例を挙げると、MさんがNさんを殴り、殴られたNさんがいらいらしてOさんを殴り、その結果Oさんが負傷したというケースである。
Oさんの負傷は、MさんがNさんを殴ったことがそもそもの原因であるともいえるが、Oさんの負傷までMさんの責任に帰するのは社会通念的にはおかしいだろう。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉があるが、森羅万象なんらかの繋がりがあるともいえる。
そこで、法的には、事実的因果関係が成立していることを前提にしつつ、損害賠償させるべき範囲をより狭く限定している。
つまり、「相当因果関係(=社会通念上相当と言えるか否か)」が認められことが条件となっている。
「相当因果関係」の概念には、曖昧さがある。
したがって、それをどう証明するかが大きな問題となる。
挙証責任は、一般には、原告者(被害者)側にあるとされる。
しかし、公害事件や医療過誤事件などにおいては、被害者には挙証が難しいケースが多い。
このため、以下のような立証責任の軽減が図られてきた(Wikipedia)。
- 蓋然性説
因果関係の100%までを原告側で立証する必要はなく、蓋然性が認められる範囲まで立証すれば、その時点で因果関係が推定され、その後は被告側が反証に成功しない限り因果関係は肯定されるとする理論。
疫学的因果関係
公害など、多くの因子が被害に絡む場合に、侵害行為と被害発生との間に統計的な有意性が認められれば因果関係を肯定しようという理論。
⇒2009年7月19日 (日):因果関係の立証と疫学的方法
冒頭に挙げたような例は、厳密に因果関係を立証しようとすると難しい。
胆管ガンと有機溶剤使用の因果関係については、以下のように報じられている。
大阪市内の印刷会社の従業員に胆管がんが多発した問題で、厚生労働省は10日記者会見し、「胆管がんは、仕事の過程で発症した蓋然(がいぜん)性(可能性)が高い」との見解を明らかにした。原因物質についても、同社で使われていた有機溶剤が「有力」とみている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120711-00000008-mai-soci
つまり蓋然性説である。
大津市中学生については、大津市は後に態度を変えたが、当初次のような主張をして争う姿勢だった。
被告大津市は、教職員がいじめを目撃しながらこれを見逃してきたとの原告両親の主張に対して、教員の誰が、いつ、どこで、いかなる事実を目撃していたことを指すのか明らかにされたいとの求釈明を行い、少年の死を防止し得た機会を漫然と見逃したとの原告両親の主張に対しても、いつ、誰に対し、誰が、いかなる具体的措置を講じれば、少年の自殺を回避することができたかにつき明らかにされたいとの求釈明を行いました。さらに、少年が自殺に至らないように最大限の注意をする具体的義務があるとの原告両親の主張に対しては、いつの時点で、誰に対し、いかなる具体的措置を講じるべき義務があったといえるか、などの求釈明を行いました。
http://www.yoshihara-lo.jp/otsu-ijime/progress.html
大津市は、相当因果関係ということを理解していなかったのではなかろうか?
放射能と健康被害の関係については、政府主催の意見聴取会で、中部電力の課長が、個人の意見と断った上で、「放射能で死んだ人はいない」と言い切った。
福島第一原発の事故で放出された大量の放射能の将来における影響については、専門家を含め誰にも分からない。
中電の課長は、放射能の被爆の急性的な意味で言ったのだろうが、枝野官房長官(当時)の、「ただちに健康に影響がない」と言った言葉と同じである。
おそらくは何年か経過した後に、疫学的な因果関係の検証が行われることになるのであろうが、それまでの間は保守的に、つまり危険はある、と考えるべきだろう。
言い換えれば、因果関係がないことが立証されるまでは、疑わしきはクロと見なすべきだということである。
それにしても、放射能の影響でなくとも、避難生活の過程で亡くなった人は相当数いることが確認されている。
中には、自殺した人もいるのである。
被害を受けている人の苦しみを無視した発言である。
意見聴取会は、選ばれた発言者が持論を述べるという方式である。
政府は発表者の選定には関与していないというが、電力会社の社員が、個人的な意見と言いつつ、あきらかに電力会社の立場で意見を述べることは、やはりフェアとは言えないだろう。
それが政府の言う「国民的議論」ということであろうか。
選択肢の設定自体が問題だと思うが、「議論は尽くした」というアリバイ工作としか考えられない。
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コメント
死んだ蜂を食べさせる。
加害者は、遊びだと言っている。
もし、加害者が高校へ進学して、同じことをされても遊びか?
今回は、通帳のお金を取られたらしいから、いじめではなく、もう窃盗罪の犯罪。
越市長の責任は重い。
しかし、越市長の就任は今年。
事件は、昨年。
当時の引退した目片市長は、無関心だったらしい。
ちくった生徒が、いじめの標的にされないように、先生が見ていたということにできないのか?
投稿: 日本共産党めっちゃ大嫌い男 | 2012年7月23日 (月) 01時01分