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2012年7月 2日 (月)

「国民安全の日」に大飯原発を再起動させる無神経/花づな列島復興のためのメモ(100)

昨日、つまり7月1日は、「国民安全の日」だった。
Wikipediaには、以下のような解説がある。

国民安全の日(こくみんあんぜんのひ)とは、日本国民の一人ひとりが施設や行動面での安全確保に留意し、交通安全、火災等の災害発生の防止を図る国民運動を啓発するための記念日
産業災害や交通事故の増加を受けて、
1960年昭和35年)5月6日閣議了解により制定。毎年7月1日。これは産業災害防止対策審議会(1959年(昭和34年)設置 - 1967年(昭和42年)廃止)の答申が概ね毎年7月1日となる ことから設定された。

この日、多くの国民の反対の声を押し切って、大飯原発は再起動した。

 1日夜に原子炉を起動した関西電力大飯原発3号機(福井県おおい町、出力118万キロワット)は2日午前6時、核分裂が安定的に連続して起こる「臨界」に達した。関電関係者は「通常通りで、作業は順調に進んでいる」としている。
 3号機が臨界に達したのは起動から9時間後だった。早ければ4日にタービンと送電線をつないで運転を再開(再稼働)し、5%程度の出力で発電する。順調に進めば8日にフル稼働となる見通し。4号機も最短で17日に起動し、24日にフル稼働する見込みだ。

http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012070200016

安全性に不安が残った状態での再稼働であり、選りによって「国民安全の日」に再起動するとは、皮肉な巡り合わせである。
といよりも、国民の安全な生活への願いに対する挑戦であろう。
琉球新報の今日の社説は、『大飯原発起動 教訓に背く歴史的な汚点』と題している。

 大飯原発では最低限の安全対策とされる防潮堤や免震棟の建設などは先送りされたままだが、野田政権は暫定的な安全判断に基づき、再稼働にお墨付きを与えた。
 夏場の電力不足などを理由に挙げており、安全性よりも経済性を優先させた見切り発車以外の何物でもない。
 専門家らは大飯原発の敷地内を走る軟弱な断層(破砕帯)が近くの活断層と一緒に動き、地表がずれる恐れを指摘しているが、政府は「原子力安全・保安院から新たな知見ではないと報告を受けている」(枝野幸男経済産業相)と現地調査には後ろ向きだ。
 過酷な原発事故を目の当たりにした今、安全性確保に向けて検証に検証を重ねてしかるべきだが、政府の対応は全くふに落ちない。原発再稼働に待ったをかける「不都合な真実」が露呈することをまるで恐れているかのようだ。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-193333-storytopic-11.html

原発だけでなく、オスプレイの配備も安全性の検証を棚上げしたまま、米国の言うがままの対応である。

 森本敏防衛相は一日、沖縄、山口両県を訪れ、米軍が垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを岩国基地(山口県岩国市)に一時搬入し、普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)で本格運用する計画について両県知事と岩国市長にそれぞれ理解を求めた。知事らは相次いで計画撤回や見直しを求めた。日本政府や自治体側に配備を拒否する法的権限はないものの、地元の強い反発により野田政権は配備を急ぐ米側との間で対応に苦慮しそうだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012070202000106.html

野田政権は、「国民の生活が第一」どころか「国民の安全は二の次」になっているようである。
安全・安心の欲求は、マズローによらずとも、人間の基本的な欲求であることは共通認識といっていいだろう。
Photo
http://www.studio-no9.com/sb/sb.cgi?eid=216

原発促進派である産経新聞ですら、政府の姿勢に対する批判を紹介している。

 原子力資料情報室の沢井正子研究員の話 「関西電力から電力の需給状況の詳細が公表されておらず、原発を稼働させないと電力不足になるという根拠が数字で示されていないので、関電の言い分は信用できない。政府も節電や省エネを政策的に進めていけばいいのに、本気でやろうとしていない。東京電力福島第1原発事故の教訓も明確になっていない段階で、まさに再稼働ありきの『政治的稼働』。国民の原子力不信に対する挑戦といえる。野田首相は「再稼働の責任は取る」と言ったが、安全確認も不十分なままで稼働させるのは無責任の極みだ」
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120701/scn12070119280005-n1.htm

野田総理は、7月2日に官邸で行われた「国民安全の日」の行事・安全功労者内閣総理大臣表彰式において、以下のような挨拶を述べた。 

 表彰状授与後、野田総理はあいさつで、「長年にわたり、高齢者や児童の交通事故防止、学校における安全教育、事業所内の安全指導、火災予防等、地域や職場で率先して事故防止と安全確保に努めてこられてきたことに、心から敬意を表します。
 国民一人ひとりが生活のあらゆる面で安全に配慮し、事故や災害の防止を心がけることが極めて大切であります。国民生活の安全・安心確保のため、政府では各種事故、災害の発生防止に努力するとともに、市民と地域が一体となった自主的な取組を後押しをしてまいりたいと思います。・・・・・・

http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201207/02anzen.html

繰り返しになるが、この人の言葉は、滑舌は良くても人の心に響かない。

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コメント

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
12歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年7月 4日 (水) 21時27分

日本語には、時制がない。だから、日本語は、現実を表すための言語である。
日本語は、実況放送・現状報告のための言語であるといえる。

理想は、非現実の内容である。
現実を表す言語を使って非現実の内容を示すことは難しい。
現実構文の中の非現実の内容は、すなわち真っ赤なウソになる。
つまり、話にうつつ (現・現実) を抜かしたことになるのである。
だから、日本人は、非現実を述べることもなければ、考えることもしない。
すなわち、無哲学・能天気の状態になっているのである。

日本語を使って非現実を伝えようとすると、悪意はなくとも、すくなくとも絵空事にはなる。これは、漫画の世界である。
理想にはならずして、空想になる。だから、日本人は、なかなか真面目な態度にはなれない。
理想は常に想定外になる。

金は手段か、目的か。
理想が目的にならないならば、金はその手段にはなりえない。
我が国においては、金は限りなく究極の目的に近い。
これは、人生の間違いである。政治の間違いにもなっている。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年7月20日 (金) 01時48分

所詮、この世は仮の世である。
私の考える真っ当な世の中は、もっと別のところにある。
私は、この世をもっと理想に近づけてから、そちらの国に旅立ちたいと願っている。
この世のことも夢のまた夢となる。草葉の陰に隠れてじっと日本を眺めていることもない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年7月21日 (土) 00時29分

日本人は自己を見失うことなく英米流の高等教育をも身に着けるべきである。
さすれば、自己について説明することが可能になる。英米人と対等に議論もできる。
日本人は、世界の人びとにも多大な貢献をすることが可能になる。
この教育は、大人のための英語の再教育である。言語能力の発達していない子供にはできない。

意思のあるところに罪がある。
子供・アニマルには罪がない。
殺意を持つと殺人罪になる。
殺意がないので、人は死んでも、死刑執行人は罪に問われることがない。

意思がないところには責任もない。
この国がひっくり返った時にも責任者はでなかった。
とかく、この世は無責任。

「我々は、どこから来たか」、「何者であるか」そして「どこに行くのか」という三つの質問は、三つの独立した世界の内容に対応している。
これらの三つの世界の内容は、時制よって、過去・現在・未来の三つの独立した世界の表現形式で表される。考えの形式は、印欧語族の文法なのであろう。

文章がなければ、主張の中から矛盾は取り除くことはできない。話は、ちゃらんぽらん・出鱈目になる。
時制がなければ、日本語のように、話の内容は実況放送・現状報告のようなものになる。つまり、現実 (現在) を表す言葉のみとなる。
非現実の方は、夢 (未来)・幻 (過去) のような意味をなさないものになる。だから、哲学・学問は成り立たない。
不透明で不安な未来と風化の激しい過去は、まさに夢・幻の (日本) 人の世でもある。

所詮、この世は仮の世である。
私の考える真っ当な世の中は、もっと別のところにある。
私は、この世をもっと理想に近づけてから、そちらの国に旅立ちたいと願っている。
この世のどこかにとどまって、草葉の陰に隠れてじっと日本を眺めていることもない。
日本のことも夢のまた夢となる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年7月24日 (火) 05時40分

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